天田城介(josukeamada.com)立命館大学大学院先端総合学術研究科
2007年度 天田発の立命館大学大学院先端総合学術研究科「公共」領域ML一覧(その4)

天田城介(AMADA Josuke)
2008.01.21

立命館大学大学院先端総合学術研究科における仕事・2007年度(天田メモ)
2007年度 天田発の立命館大学大学院先端総合学術研究科「公共」領域ML一覧


【301〜400までのML一覧】
■400 ■080120 [ml-prosemip 6497] 『理想の医療を語れますか』(天田)
■399 ■080120 [ml-prosemip 6496] 『高齢化社会』(天田)
■398 ■080120 [ml-prosemip 6495] 『医療経済学』(天田)
■397 ■080120 [ml-prosemip 6494] 『ここに問題が』(天田)
■396 ■080120 [ml-prosemip 6493] 『新老人福祉論』(天田)
■395 ■080120 [ml-prosemip 6484] Re: [ml-prosemip 6480] 『老人医療の現場』(再送)(天田)
■394 ■080120 [ml-prosemip 6482] 1963年5月の田邊誠の質問(天田)
■393 ■080120 [ml-prosemip 6481] 『生きているだけではいけないのだろうか』(天田)
■392 ■080120 [ml-prosemip 6480] 『老人医療の現場』(天田)
■391 ■080118 [ml-prosemip 6461] シンポジウム「高齢社会を生きる案内転送(天田)
■390 ■080118 [ml-prosemip 6459] Re: [ml-prosemip 6455] 院生論文関係
■389 ■080116 [ml-prosemip 6434] Re: 諸々について(天田)
■388 ■080116 [ml-prosemip 6414] 関増爾(天田)
■387 ■080116 [ml-prosemip 6413] 『高齢社会がやってくる』(天田)
■386 ■080116 [ml-prosemip 6412] 『昭和社会事業史への証言』(天田)
■385 ■080116 [ml-prosemip 6411] 老いファイル追加のお願い(天田)
■384 ■080116 [ml-prosemip 6410] 戦後老年医療についての幾つか(天田)
■383 ■080116 [ml-prosemip 6409] 『人口問題研究』(天田)
■382 ■080116 [ml-prosemip 6408] 『ヨーロッパの老人福祉』(天田)
■381 ■080116 [ml-prosemip 6407] 長谷川保(天田)
■380 ■080116 [ml-prosemip 6406] 潮谷総一郎&杉村春三(天田)
■379 ■080116 [ml-prosemip 6405] 『老人はどこで死ぬか』(天田)
■378 ■080111 [ml-prosemip 6380] 短文(天田)
■377 ■080111 [ml-prosemip 6379] 『この国は恐ろしい国』(天田)
■376 ■080110 [ml-prosemip 6376] Re: [ml-prosemip 6373] Re: 生活保護−高齢者女性
■375 ■080107 [ml-prosemip 6325] Re: 有り難うございました→川口さん・立岩さん(天田)
■374 ■080106 [ml-prosemip 6319] 増田雅暢本3冊(天田)
■373 ■080106 [ml-prosemip 6318] 生井久美子本(天田)
■372 ■080106 [ml-prosemip 6317] 「寝たきり老人」をめぐるお金の話・2(天田)
■371 ■080106 [ml-prosemip 6316] 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』(天田)
■370 ■080106 [ml-prosemip 6314] 『老いとは何か』(天田)
■369 ■080106 [ml-prosemip 6313] 『老いと死を考える』(天田)
■368 ■080106 [ml-prosemip 6309] 『日本人の老後』(天田)
■367 ■080106 [ml-prosemip 6308] 『恍惚の人』解説(天田)
■366 ■080106 [ml-prosemip 6307] 『社会学』(天田)
■365 ■080106 [ml-prosemip 6306] 今週の予定(天田)
■364 ■080104 [ml-prosemip 6298] 「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書(天田)
■363 ■080104 [ml-prosemip 6297] 了解です→立岩さん・川口さん(天田)
■362 ■080104 [ml-prosemip 6296] 老い1970年代・補足
■361 ■080104 [ml-prosemip 6295] 森幹郎本(天田)
■360 ■080104 [ml-prosemip 6294] 美濃部都政時代の研究所(天田)
■359 ■080104 [ml-prosemip 6293] 老い1970年代「東京都老人総合研究所」×「寝たきり老人」
■358 ■080103 [ml-prosemip 6285] 至急に送付すること可能です→川口さん(天田)
■357 ■080103 [ml-prosemip 6279] 「レット・ミー・ディサイド」関連本(天田)
■356 ■080103 [ml-prosemip 6278] Re: 面談了解です→大谷(通)さん
■355 ■080103 [ml-prosemip 6277] 『季刊福祉労働』33「長寿社会を生きる」
■354 ■080103 [ml-prosemip 6275] 謹賀新年(天田)
■353 ■071230 [ml-prosemip 6246] 『介護保険の再出発』(天田)
■352 ■071230 [ml-prosemip 6245] 『介護保険の知識』(天田)
■351 ■071230 [ml-prosemip 6244] 『新寝たきり老人ゼロ作戦関係通知集』(天田)
■350 ■071230 [ml-prosemip 6243] 『寝たきり老人ゼロ作戦』(天田)
■349 ■071230 [ml-prosemip 6241] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→山口昇(天田)
■348 ■071230 [ml-prosemip 6240] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→『国保新聞』(天田)
■347 ■071230 [ml-prosemip 6239] Re: [ml-prosemip 6228] PPK/透析→水野肇(天田)
■346 ■071230 [ml-prosemip 6238] Re: [ml-prosemip 6228] PPK/透析→立岩さん・的場さん
■345 ■071225 [ml-prosemip 6181] Re: 有り難うございました→立岩さん
■344 ■071225 [ml-prosemip 6179] 『病いの戦後史』からの引用(天田)
■343 ■071225 [ml-prosemip 6178] 『あなたの「老い」をだれがみる』(天田)
■342 ■071225 [ml-prosemip 6175] 年末不在(天田)
■341 ■071225 [ml-prosemip 6174] 老いてゆくアジア関連(天田)
■340 ■071224 [ml-prosemip 6173] 『老いと死を生きる』(天田)
■339 ■071223 [ml-prosemip 6165] Re: 適宜情報を流していきます→川口さん
■338 ■071223 [ml-prosemip 6164] 『高齢社会を生きる』(天田)
■337 ■071223 [ml-prosemip 6163] 「三郷中央病院事件」(天田)
■336 ■071223 [ml-prosemip 6162] 「寝たきり老人」「三郷中央病院事件」への言及(天田)
■335 ■071223 [ml-prosemip 6160] Re: 本日サーバー止まっていました→川口さん
■334 ■071222 [ml-prosemip 6155] 『老年医療の歩みと展望』からの引用(天田)
■333 ■071222 [ml-prosemip 6154] 京都老人のターミナルケア研究会(天田)
■332 ■071222 [ml-prosemip 6153] 日本老年医学会の「立場表明」に至るごく簡単な概説(天田)
■331 ■071222 [ml-prosemip 6151] 『私が決める尊厳死』における横内氏の引用(天田)
■330 ■071220 [ml-prosemip 6140] 『患者追放』からの「横内氏による学会『立場表明』批判」の箇所を引用(天田)
■329 ■071220 [ml-prosemip 6122] Re: ウェブに掲載しています→大谷さん(天田)
■328 ■071219 [ml-prosemip 6118] 『死は誰のものか』からの引用(天田)
■327 ■071219 [ml-prosemip 6114] Re: 石井氏論文集の場所→立岩さん
■326 ■071219 [ml-prosemip 6111] 明後日21日(金)の予定
■325 ■071218 [ml-prosemip 6096] 『学術の動向』(天田)
■324 ■071217 [ml-prosemip 6094] 今週の予定(天田)
■323 ■071214 [ml-prosemip 6071] 『恍惚の人』
■322 ■071214 [ml-prosemip 6066] 雑文(天田)
■321 ■071213 [ml-prosemip 6061] 明日の予定(天田)
■320 ■071208 [ml-prosemip 6038] シンポジウム「少子高齢社会の政策形成と社会学」のお知らせ(天田)
■319 ■071206 [ml-prosemip 6028] 明日の予定(天田)
■318 ■071206 [ml-prosemip 6026] 『立命館人間科学研究』17号投稿募集開始(天田)
■317 ■071205 [ml-prosemip 6021] Re: 了解です→片山さん(天田)
■316 ■071205 [ml-prosemip 6018] 今週の予定(天田)
■315 ■071205 [ml-prosemip 6019] 今週のプロジェクト予備演習(天田)
■314 ■071205 [ml-prosemip 6017] 日本保健医療社会学会195回関西定例研究会の案内(転送)(天田)
■313 ■071205 [ml-prosemip 6016] 日本保健医療社会学会194回定例研究会の案内(転送)(天田)
■312 ■071205 [ml-prosemip 6015] 短文(天田)
■311 ■071129 [ml-prosemip 5983] Re: [ml-prosemip 5933] ニフティの「迷惑メール」への勝手な割り振りについてのお尋ね(天田)
■310 ■071129 [ml-prosemip 5980] シンポジウム「同性カップルの生活と制度」
■309 ■071126 [ml-prosemip 5952] 家族問題研究会「研究例会」の案内の転送(天田)
■308 ■071126 [ml-prosemip 5951] 国際研究集会「ミクロデータの相互利用による家族比較研究――日本・中国・韓国」
■307 ■071125 [ml-prosemip 5947] 今週の予定(天田)
■306 ■071125 [ml-prosemip 5945] Re: システム設定の変更は1週間前あたりかと(天田)
■305 ■071124 [ml-prosemip 5933] ニフティの「迷惑メール」への勝手な割り振りについてのお尋ね(天田)
■304 ■071123  [ml-prosemip 5917] 医療社会学研究会のご案内の転載(天田)
■303 ■071123 [ml-prosemip 5915] 『ゴジラ・モスラ・原水爆』
■302 ■071123 [ml-prosemip 5913] 来週の予定(天田)
■301 ■071123 [ml-prosemip 5912] 本日(天田)


■301 ■071123 [ml-prosemip 5912] 本日(天田)

天田です。
お知らせしたように、明日16:20〜プロジェクト予備演習。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#11
その前、時間あります(午後からであればいつでもOK)。
用件のある方はどうぞ。

取り急ぎ。
天田

■302 ■071123 [ml-prosemip 5913] 来週の予定(天田)

天田です。
幾人の人たちから問い合わせがありましたので、MLにてお知らせいたします。私の来週は以下の通りです。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#11

11月27日(火)10:00〜面談?(返答待ち)、13:00〜教授会、18:00〜21:10公共論T、夕方16:30〜18:00までのあいだ空いています。
11月28日(水)、午前中あるいは午後とも空いています。夕方まで可能。それと、12:00〜13:30あたりは予定はいるかもしれません。それ以外は調整可能。

取り急ぎ。
天田

■303 ■071123 [ml-prosemip 5915] 『ゴジラ・モスラ・原水爆』

天田です。
以下、いただきました。私もこれから早速読みます。

◆好井 裕明 20071120 『ゴジラ・モスラ・原水爆――特撮映画の社会学』,せりか書房,233p. ISBN-10: 4796702806 ISBN-13: 978-4796702805 2415.
http://www.amazon.co.jp/dp/4796702806
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9982674978&REFERER=0

放射能熱線を吐き、街を破壊するゴジラ、ビルを破壊し、悠然と飛翔するモスラ、音速を超えて飛ぶラドン。
週末の映画館、私は怪獣たちに魅了されていた。
昭和という時代、優れた大衆文化として特撮映画があった。
特撮映画はいったい私たちに何を与えてくれたのだろうか。
本書は原水爆イメージを手がかりとして特撮怪獣映画を読み解く社会学の「モノ」語りである。

1 特撮怪獣映画の終焉に出会う―『ゴジラファイナルウォーズ』(二〇〇四年)
2 反原水爆という鮮明なメッセージ―『ゴジラ』(一九五四年)
3 リアルな恐怖としての原水爆イメージ―『美女と液体人間』(一九五八年)
4 ファンタジー化する原水爆イメージ―『モスラ』(一九六一年)
5 脱色されたリアルとしての原水爆イメージ―『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』(一九六五年)
6 お茶の間に定着する軽妙な原水爆イメージ―『ウルトラQ』(一九六六年)
7 特撮怪獣映画を読み解く意味とは?―『昭和歌謡大全集』(二〇〇四年)

[BOOK著者紹介情報]
好井裕明[ヨシイヒロアキ]
1956年生。筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。専門は、差別の社会学、社会問題のエスノメソドロジー、映画の社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■304 ■071123  [ml-prosemip 5917] 医療社会学研究会のご案内の転載(天田)

天田です。
黒田さんから以下の研究会の案内を頂きましたので、転送します。

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
医療社会学研究会のご案内(複製,転載,配布可)

医療社会学研究会は,1992年ころから,医療社会学者の黒田浩一郎を幹事として,大阪の地で月2〜4
回の研究会の開催と何冊かの本の出版(黒田浩一郎編『現代医療の社会学』世界思想社、1995年,佐藤
純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』世界思想社、1998 年,黒田浩一郎編『医療社会学のフロンティ
ア』世界思想社、2001年)を行なってきました。この度,研究会の活動を見直し,医療社会学のさらなる「通
常科学」化を目指して――そのあり方や方策の検討を含めて――下記のような活動を展開していこうと考え
ています。
研究会の目指すものの実現にご協力頂けるという方,あるいは研究会の活動から得るところがあるという
方の,研究会への参加を求めます。下記のような活動の少なくとも1つに参加していただくことと研究会のメ
ーリングリストsocio-med に登録していただくことが研究会への加入条件です。つきましては,加入を希望さ
れる方は,下記の要領で加入申請をお願いいたします。

研究会幹事
黒田 浩一郎
龍谷大学社会学部
〒520-2194 大津市瀬田大江町横谷1-5
phone/fax 077-543-7601
e-mail sttng-commander-data@mail.ryukoku.ac.jp

研究会活動(計画中のものを含む)

定例研究会
2カ月に1回の頻度で関西で
ゼミナールまたは学会発表形式で研究報告

ワークショップ・セミナー
年に1〜2 回の頻度で1泊2日で
特定テーマを決め,文献の検討を通して,医療社会学がそのテーマにどのようにアプローチできる
か/すべきかをディスカッション
※構想段階のものとしては,大学夏期休業中に2泊3日ほどで,医療社会学の研究者養成セミナ
ーの提供があります。

ニューズレターの発行
4カ月に1 回の頻度で,電子メールで配信

ホームページの作成
ニューズレターの内容を中心に,徐々にホームページを充実させていく方針
※ニューズレター/ホームページでは,医療社会学の「通常科学」化に資するような内容,たとえ
ば最新の文献の紹介,医療社会学のモデルシラバスやモデルリーディングスの提示,医療社会
学の研究テーマ/課題や研究ティップスの提供などを盛り込んでいく方針です。

研究会加入申請方法
加入したい旨のメールを
宛先は,socio@med.email.ne.jp
件名を「医療社会学研究会参加希望」に
本文に氏名,所属,ML 登録希望アドレスを記入して

■305 ■071124 [ml-prosemip 5933] ニフティの「迷惑メール」への勝手な割り振りについてのお尋ね(天田)

天田です。
先ほど、届くべきメールが届いていないことに気づき、ニフティのウェブメールにて確認したところ、勝手に「迷惑メール」のフォルダに割り振られていることを発見したところです。
膨大な迷惑メールの対処として、これまで「学習型フィルター」を使って迷惑メールを排してきたのですが、これまでは今回のように勝手に「迷惑メールでないもの」を「迷惑メール」として勝手に割り振るこのようなことは基本的にはほとんどなかったので、
http://www.nifty.com/mail/spam_folder/?spamfolder_01
不思議に思っているところです。このあたりを詳しくご存知の方がいましたら、教えていただけると助かります。

いずれにしても、このようなことで返信が遅れているメールが幾つもあります。今から返信しますので、どうぞ宜しく。

取り急ぎ。
天田

■306 ■071125 [ml-prosemip 5945] Re: システム設定の変更は1週間前あたりかと(天田)

青木様 大谷様

天田です。
青木さん、有り難うございました。
大谷さん、ニフティをOutlookExpressなどのメーラーを使って送受信していると何が迷惑メールとして割り振られたのかを確認できないので、このようなことが起こりますね。

ちなみに、私はパソコン上でのNorton Antispamに加えて、
ウイルスバスター for @nifty Mailと
http://www.nifty.com/mail/virusbuster/index.htm
迷惑メール対策@nifty のオプションのいくかを
http://www.nifty.com/antispam/index.htm
を行っているため、ウェブメールにて確認をしないと、勝手に迷惑メールに割り振られたメールにいつまでも気づかないようなことがあります。そのため、できる限り、「学習型フィルター」を利用して対応しているのですが、青木さんが指摘する通り、ニフティ側のシステム設定の変更があったと考えられるかと思います。

膨大な迷惑メールをいちいちゴミ箱に入れるのも面倒ですが、あとからウェブメールにて救済?するのもまた面倒ですが、致し方ないようで。あとはこまめに「学習」をさせていくしかないかと。

取り急ぎ。
天田

■307 ■071125 [ml-prosemip 5947] 今週の予定(天田)

天田です。
私の今週の予定は以下の通り。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#11

11月27日(火)は、10:00〜吉村さんの博士論文草稿検討を立岩さんと創思館416にて。その後、13:00〜教授会、16:30〜植村さんと面談、18:00〜21:10公共論となります。

翌11月28日(水)は、12:30過ぎから打ち合わせをしたあと、14:30〜杉原さん(現在返信待ち)、16:00〜会議などがあり、その後18:00〜生存学研究センターの研究交流会の予定。

11月30日(金)は16:20〜応用購読演習Uの前であれば、調整は可能です。何かあればどうぞ。

取り急ぎ。
天田

■308 ■071126 [ml-prosemip 5951] 国際研究集会「ミクロデータの相互利用による家族比較研究――日本・中国・韓国」

天田です。
以下、学会MLにて案内を頂きましたので、転送します。

以下の日中韓の家族比較研究に関する研究については、
先日の日本家族社会学会第17回大会
http://www.wdc-jp.com/jsfs/regulation/index.html
でも関連する報告が幾つもありました。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp070908.htm
(ちなみに、私は始めての大会参加でした)

一応のお知らせでした。
取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
国際研究集会「ミクロデータの相互利用による家族比較研究――日本・中国・韓国」
(International Workshop on Family Structure and Relations; Collaborative Exploration of Micro-level Data Sets in Japan, China, and Korea)のご案内

来たる12月8日・9日に、科研費共同研究チーム(代表:石原邦雄)の主催による、家族国際比較のための研究集会が開かれます。
これは、学会による「全国家族調査(NFRJプロジェクト)」の国際比較研究への展開をめざすものであり、中国・韓国の家族研究者に呼びかけて、各国の家族の状況を捉えられる大規模な調査データを個票レベルで相互に利用しあえる体制を作り出すことによって、広範な家族の比較研究を可能にしていこうとする試みのひとつです。
中国から沈崇麟氏(中国社会科学院社会学研究所)を代表とする5名、韓国からはEun Ki-Soo氏(ソウル国立大学)を代表とする6名が来日し、日本側からは科研費共同研究メンバ10名ほどが参加します。各自の分析課題によるワーキングペーパーを持ち寄って、英語による発表を15分ないし20分程度で行った後に質疑をするという形式でのワークショップ的な研究集会となります。扱われるテーマは家族構造、家族ストレス、結婚・子育てなど多岐にわたりますが、3カ国の研究者の間で関心が重なる主な領域は、世代間関係と夫婦関係になります。
家族の国際比較に関心のある方、また全国家族調査(NFRJ)のデータ分析に取り組んでいる方の参加を歓迎します。

このうち、1日目(12月8日)午後のセッション(13:30〜17:00)は、家族問題研究会の定例研究会を兼ねて公開されますので、ご自由にご参加下さい。その他のセッション(8日午前、9日午前、午後)や交流懇親会に参加希望の方は、会場が変わる可能性と準備の都合もありますので、詳細を担当までお問い合わせ下さい。

日時:12月8日・9日
会場:明治大学駿河台校舎
   (12月8日午後の会場はリバティタワー14階 1144教室)
主催:日中韓家族比較研究会
(科学研究費「東北アジアの家族構造と変容―日本・中国・韓国―」
  代表:石原邦雄(成城大学))
後援:日本家族社会学会、家族問題研究会
連絡・問い合わせ先: 田渕六郎(上智大学) r-tabuch@sophia.ac.jp

■309 ■071126 [ml-prosemip 5952] 家族問題研究会「研究例会」の案内の転送(天田)

天田です。
前便と研究会との共催で以下の研究例会が開催されるとのことです。
私は全く関係していませんが、関係者につなぐことはできます。関心のある方は連絡下さい。

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
家族問題研究会では、定期的に研究例会を開催しております。
ご関心をお持ちの皆様のご参加をお待ちしております。

日時: 2007年12月8日(土)13:30〜17:00
会場: 明治大学駿河台校舎・リバティタワー14階1144教室
司会: 平尾桂子(上智大学)

趣旨:
今回の例会は、日中韓家族比較研究会との共催で開催されます。
石原邦雄教授(成城大学)を代表とする科学研究費(「東北アジアの家族構造と変容―日本・中国・韓国―」)プロジェクト(日中韓家族比較研究会)が、プロジェクトの一環として、ワークショップ形式での国際研究集会を開くこととなり、その研究集会の一部を家族問題研究会例会と重ねて開催するものです。
 同プロジェクトは、日本家族社会学会による「全国家族調査(NFRJプロジェクト)」の国際比較研究への展開をめざすものであり、中国・韓国の家族研究者に呼びかけて、各国の家族の状況を捉えられる大規模な調査データを個票レベルで相互に利用しあえる体制を作り出すことによって、広範な家族の比較研究を可能にしていこうとする試みのひとつです。
 今回、家族問題研究会の例会との共催にあたって、夫婦関係および世代間関係のセッションを設定しました。各自の分析課題によるワーキングペーパーを持ち寄って、英語による発表を15分ないし20分程度で行った後に質疑をするという形式でのワークショップ的な研究集会となります。報告及び討論は英語で行われますが、討論部分は可能な限り通訳の補助もいたしますので、家族の国際比較に関心のある方、また全国家族調査(NFRJ)のデータ分析に取り組んでいる方の参加を歓迎します。

予定報告タイトル、報告者および報告要旨:

Session 1: 夫婦関係と家族役割 Marital Relationships and Family Roles
1) Strategy of Household Division of Labor under Market Economy(市場経済下の家事分業戦略)
 LI, Dongshan & SHEN, Chonglin(李東山:四川省社会科学院・沈崇麟:中国社会科学院)

2) Comparative Analysis of Childcare in Japan and Korea(日韓の子育てをめぐる比較分析)
 SONG, Yoo-Jean(Ewha Womans University)

3) 3) Determinants of Marital Satisfaction in Japan, Korea, and China: A
Comparative Analysis(結婚満足感の決定要因:日韓中3国における比較分析)
 KAMO, Yoshinori (賀茂義則:ルイジアナ州立大学)

Session 2: 世代間関係 Intergenerational Relationships
1)  Intergenerational Relations of Young Married Women in Korea and Japan(韓国と日本における若年有配偶女性の世代間関係)
 KIM, Cheong-Seok(Dongguk-University)

2)  Determinants of Parent-child Proximity in Korea and Japan(居住距離の規定要因:韓国と日本)
 TABUCHI, Rokuro(田渕六郎:上智大学)

3)  Blood and In-law Relationships in Family(家族における血縁と姻縁)
  CHEN, Yingying & XIA, Chuanling(陳嬰嬰・夏伝玲:中国社会科学院)

参加費:無料
また、報告要旨などの詳細については、学会のサイトをご参照ください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/cfr/

■310 ■071129 [ml-prosemip 5980] シンポジウム「同性カップルの生活と制度」

天田です。
以下、MLにて案内を頂きましたので、送付します。

このあいだ片山さんとちょっと話しをした小倉さんの著書については以下を参照。
http://www.arsvi.com/b2000/0612oy.htm
http://www.josukeamada.com/bk/bs07-3.htm

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
シンポジウム
『同性カップルの生活と制度−聞き取り調査から考える現在と未来−』

共催 レインボートーク2006生活実態調査プロジェクト
      お茶の水女子大学21世紀COEプログラム「ジェンダー研究のフロンティア」プロジェクトC

2006年から2007年にかけて、主としてカップルで生活しているセクシュアル・マイノリティに対して行った、聞き取り調査の分析結果を報告します。実証的な研究をもとに、同性カップル等の置かれた状況を把握するとともに、同性同士で生活している人々が直面している問題を解決するための足がかりを考える場にしたいと思っています。

●日時
2007年12月15日(土)
13:00〜17:00(開場12:30)
お茶の水女子大学 理学部3号館7階701号室

●プログラム

開会挨拶…舘かおる(お茶の水女子大学教授)
第一部:制度
調査の概要と望まれる法的保障/婚姻-家族制度に対する抵抗感/トランスジェンダー・クェスチョナー等の状況
◇報告者
谷口洋幸(早稲田大学)・石田 仁(明治学院大学)・杉浦郁子(中央大学)
◇コメンテーター
角田由紀子(弁護士・明治大学法科大学院教授)

第二部:生活
家事分担のなされかた/親密性のありかた/妊娠・子育て
◇報告者
釜野さおり(国立社会保障・人口問題研究所)・志田哲之(神奈川大学)・柳原良江(お茶の水女子大学/東京大学)
◇コメンテーター
善積京子(追手門学院大学社会学部教授)

第三部:未来
ディスカッション
◇話題提供
小倉康嗣(立教大学社会学部講師)

*どなたでもご参加いただけます。参加費無料(参加登録不要)

●ゲストご紹介
◇角田 由紀子(つのだ・ゆきこ)
弁護士、明治大学法科大学院教授。女性の権利に関する事件を多く手がけ、1990年代初頭から性的マイノリティの権利保障の必要性を主張。主著に『性の法律学』『性差別と暴力』(ともに有斐閣)ほか

◇善積 京子(よしずみ・きょうこ)
追手門学院大学社会学部教授。スウェーデンと日本の比較を中心に、家族関係の多様化や家族政策を研究。『婚外子の社会学』(青木書店)で山川菊栄賞受賞。主著に『結婚とパートナー関係』(ミネルヴァ書房)ほか

◇小倉 康嗣(おぐら・やすつぐ)
立教大学社会学部ほか非常勤講師。社会の高齢化を背景とする個々人の生き方の変容に焦点をあてながら、成熟社会における生のあり方・社会のあり方を研究。主著に『高齢化社会と日本人の生き方』(慶應義塾大学出版会)ほか。

●会場
お茶の水女子大学(〒112-8610 文京区大塚2-1-1)
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅・有楽町線「護国寺」駅より徒歩10分
問合せ:
お茶の水女子大学21世紀COEプログラム
「ジェンダー研究のフロンティア」事務局
TEL:03-5978-5547
FAX:03-5978-5548
URL:http://www.igs.ocha.ac.jp/f-gens/
*当日、南門は閉門していますので、東門(正門)からお入りください

●お問い合わせ
シンポジウムに関するお問い合わせ先
お茶の水女子大学21世紀COEプログラム「ジェンダー研究のフロンティア」
プロジェクトC研究協力者 柳原良江
E-mail:gender@jcom.home.ne.jp

調査に関するお問い合わせ先
レインボートーク2006生活実態調査プロジェクト代表:谷口洋幸
E-mail:rt2006-chosa@hotmail.co.jp

■311 ■071129 [ml-prosemip 5983] Re: [ml-prosemip 5933] ニフティの「迷惑メール」への勝手な割り振りについてのお尋ね(天田)

天田です。
先日のニフティの「迷惑メール」への勝手な割り振りはやはりシステム上のトラブルであった模様です。

いやはや。
天田

――――以下――――

----------------------------------------------------------------------
本メールは@niftyメール迷惑メールフォルダーをご利用のお客様にお送りして
います。
----------------------------------------------------------------------
                                                        2007年11月29日
                           ニフティ株式会社

  迷惑メールフォルダー振り分け処理トラブルについて(お詫び)

 平素は@nifty(アット・ニフティ)をご利用いただき誠にありがとうござ
います。

 この度、お客様がご利用の@niftyメールにおきまして、お客様宛の一部の
メールが誤って迷惑メールフォルダーに振り分けられるトラブルが発生いたし
ました。
 お客様にはご迷惑をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。深くお詫
び申し上げます。

 ■発生期間 2007年11月15日 16:30 〜 17:30
            11月16日 16:00 〜 18:00
            11月19日 15:00 〜 11月27日 12:00

 ■発生した事象
  上記の期間、迷惑メールフォルダーで採用している株式会社シマンテック
  の判定システムが、トラブルにより誤判定しやすい状況になっておりまし
  た。そのため、お客様宛の一部のメールが誤って迷惑メールフォルダーに
  振り分けられておりました。

 ■お客様へのお願い
  大変お手数でございますが、お客様宛メールの一部が誤って迷惑メールフ
    ォルダーに振り分けられていないか、ご確認いただきますようお願い申し
  上げます。
  迷惑メールフォルダーは、@nifty Webメールにログインした後、画面左
  側の「迷惑メール」フォルダーを選択しご確認いただけます。

  詳細につきましてはこちらのURLからご確認ください。
  http://www.nifty.com/mail/trouble.htm

 ※誠に申し訳ございませんが、11月28日以前に「迷惑メール」フォルダー保
  存期間が経過し、削除されたメールにつきましては、復活させることがで
  きませんのでご了承下さい。
  なお、11月29日以降につきましては、12月20日まで「迷惑メール」フォル
  ダー保存期間の設定に関わらず、迷惑メールフォルダーに振り分けられた
  メールの自動削除が行われないよう弊社にて設定させていただきました。

 なお、本トラブルは現在復旧しております。
 
 この度は、お客様に多大なご迷惑をおかけしましたことを、重ねてお詫び申
し上げます。今後はこのようなことの無いよう、確認・徹底に努めてまいりま
すので、何卒ご容赦賜りますようお願い申し上げます。

 今後とも@niftyをご愛顧賜りますようよろしくお願いいたします。

                           ニフティ株式会社
======================================================================

◇本件に関するお問い合わせ

【メールによるお問い合わせ】
 本メールへの返信にてお問い合わせください

【お電話によるお問い合わせ】
 ・@niftyサービスセンター
    電話:0120-818-275(フリーダイヤル)

   (携帯電話・PHS・海外等から)
    電話:03-5753-2373 ※通話料はお客様のご負担となります。
    受付時間:毎日9:00〜21:00
======================================================================

■312 ■071205 [ml-prosemip 6015] 短文(天田)

天田です。老い研MLにも同文を送付。重複受信の方々すみません。

田島さんからの紹介で、以下の連載を書いています。ご存知のとおり、10月中旬のハードディスク大破+全てのデータ消失などがあったために、送付が遅くなったので、第1回目は以下の号(42巻1号)よりも遅くなる可能性もあります。

1600字では何も書けませんが、一応ということで。

http://www.josukeamada.com/bk/betc25.htm
にて天に唾棄するものを書いた内容とも一部重複します。

取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
◆天田 城介 2007/12/27 「この世界を社会学すること・1」(OTのための教養講座 Lesson1:社会学)
 『作業療法ジャーナル』(42巻1号).**-**.(三輪書店)
 http://www.josukeamada.com/bk/bs08-1s.htm

■313 ■071205 [ml-prosemip 6016] 日本保健医療社会学会194回定例研究会の案内(転送)(天田)

天田です。
先日の大谷(い)さんのMLにもあった田代さんの発表にて以下の研究会があります。

一応、お知らせということで。取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
http://square.umin.ac.jp/medsocio/box/society.htm

12月8日に行われます194回定例研究会についてお知らせいたします。

@日時:12月8日(土) 14:00〜
A場所:法政大学市ヶ谷キャンパス80年館7F 大会議室1
B講師:田代志門氏(日本学術振興会特別研究員)
  司会:三井さよ(法政大学)
  討論者:武藤香織(東京大学医科学研究所)
Cテーマ:「研究と治療の区別」はいかにして可能か――金沢大学付属病院無断臨床試験訴訟を事例として
 研究倫理はなぜ必要なのか、そしてどのように形作られるべきなのか。日本の現状を踏まえると同時に理論的考察を重ねてきた田代さんに登壇していただき、金沢大学付属病院で実際に起きた訴訟における被告側の論理を詳細に検討しつつ、
今後求められる研究倫理の構想をお話しいただきます。
D参加費:無料

連絡先:三井さよ(法政大学・社会学部)  s-mitsui@hosei.ac.jp

事前の参加申し込みは不要です。学会員でない方のご参加も歓迎いたします。
関心をお持ちの方々にアナウンスください。多くの皆様のご参加をおまちしております。

*************************************************
日本保健医療社会学会事務局
  113-0033 東京都文京区本郷7-3-1
  東京大学大学院医学系研究科健康社会学教室内
  TEL 03-5841-3513  FAX 03-5684-6083
  http://square.umin.ac.jp/medsocio/index.htm
  E-mail jshms-office@umin.ac.jp
*************************************************

■314 ■071205 [ml-prosemip 6017] 日本保健医療社会学会195回関西定例研究会の案内(転送)(天田)

天田です。
先ほどは関東の研究会。以下は関西の研究会。一応、ということで。

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
http://square.umin.ac.jp/medsocio/box/society.htm

第195回 関西定例研究会

日時: 2008年3月15日(土)14:00-18:00
講師とテーマ:
(1)阪神淡路大震災後の遺児ケアの問題について
発表者:阿部 俊彦氏 (東海学院大学総合福祉学部助教)

(2)意思決定過程における「説明」のジレンマ:不妊治療の会話分析
発表者:川島 理恵氏 (日本学術振興会特別研究員/埼玉大学 教養学部所属)

場所: キャンパスプラザ京都 第二会議室(2階)
※JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側、京都駅より徒歩3分

(連絡先)
樫田美雄 (徳島大学総合科学部・樫田研究室)
kashida@ias.tokushima-u.ac.jp

■315 ■071205 [ml-prosemip 6019] 今週のプロジェクト予備演習(天田)

天田です。
今週のプロジェクト予備演習は3名が報告する予定です。

2つに分けるか、あるいは3名を(やや時間を延長して)行うかは当日に決定したいと思います。

ということで。
天田

■316 ■071205 [ml-prosemip 6018] 今週の予定(天田)

天田です。
すでに終わりましたが、12月02(日)12:00〜17:30あたりまで第3回老い研究会がありました。参加した皆さん、ご苦労様でした。
(上記の研究会は、常に誰でもいかようにも参加可能です)
昨日は、10:00〜学外の方との面談、13:00〜16:30までパートナーシップ委員会企画、その後、打ち合わせ、18:00〜公共論Tでした。

今週ですと、明日は淑徳大学大学院に行きますので、不在となります。
明後日、プロジェクト予備演習の前後は『Core Ethics』関連の面談など可能です。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#12


プロジェクト予備演習については別便にて。

取り急ぎ。
天田


■317 ■071205 [ml-prosemip 6021] Re: 了解です→片山さん(天田)

天田です。
片山さん、了解です。ただ、当日、できたところまで、あるいは口頭にて簡単に話をするという形でもよいかと思いますので、そのあたりは柔軟にやっていくのがよいかと。当日の片山さんの状況・希望にあわせます。文献表についても了解です。

取り急ぎ。
天田

■318 ■071206 [ml-prosemip 6026] 『立命館人間科学研究』17号投稿募集開始(天田)

天田です。
人間科学研究所の紀要『立命館人間科学研究』
第17号の投稿募集を開始したそうです。一応、
皆さんにお知らせいたします。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/hs/publication/pdf/kiyou17boshuyouko.pdf
――――――――――――――――
紀要「立命館人間科学研究」第17号

掲載申込締切 : 2008年2月29日(金)
原稿締切 : 2008年3月31日(月)
発行予定日 : 2008年6月末(予定)
――――――――――――――――

■319 ■071206 [ml-prosemip 6028] 明日の予定(天田)

天田です。
明日は16:20〜プロジェクト予備演習。その後、植村さんとの面談
(プロジェクト予備演習の教室でやりましょう→植村さん)

当人がOKであれば、常にオープンです。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#12
その前後、簡単なやりとりであれば可能です。

取り急ぎ。
天田

■320 ■071208 [ml-prosemip 6038] シンポジウム「少子高齢社会の政策形成と社会学」のお知らせ(天田)

天田です。
以下の案内のほう、お知らせいたします。

――――――――――――――――
シンポジウム「少子高齢社会の政策形成と社会学」開催のお知らせ

 日本学術会議社会学委員会少子高齢社会分科会、社会政策学会保健医療福祉部会およびお茶の水女子大学教育研究プロジェクト「コミュニケーション・システムの開発によるリスク社会への対応」の共催により、シンポジウム「少子高齢社会の政策形成と社会学」を以下の要領で開催いたします。
 どなたでもご参加いただけますので、事前にお申し込みの上、ふるってご参加ください

日時 2007年12月22日(土) 午後1時〜5時

会場 お茶の水女子大学共通講義棟2号館102号室
   東京都文京区大塚2-1-1
   http://www.ocha.ac.jp/access/index.html
   (当日は、正門のみが開いていますので、正門からキャンパス内にお入り下さい)

プログラム
 司会・趣旨説明: 平岡公一(お茶の水女子大学・日本学術会議連携会員)
 報告:佐藤 博樹(東京大学・日本学術会議連携会員)
    「ワーク・ライフ・バランス社会を実現するために:必要性と取り組みの方向」
    笹谷 春美(北海道教育大学・日本学術会議連携会員)
    「日本型介護政策の展開と家族介護(者)支援策」
    二木 立(日本福祉大学・日本学術会議連携会員)
    「エビデンスに基づく(?)保健医療政策の現状と課題」
    前田 正子(横浜市国際交流協会理事長、前横浜市副市長)
    「子育て支援施策の政策形成の現状と課題」
 討論: 津谷典子(慶応義塾大学・日本学術会議会員)
     武川正吾(東京大学・日本学術会議連携会員)

参加申し込み・問い合わせ先
 参加ご希望の方は、12月19日(水)までに、以下の申し込み先までE-Mailまたは葉書にてお申し込みください。葉書でお申し込みの場合は、連絡先の電話番号またはFAX番号を明記してください。
  〒112-8610 東京都文京区大塚2-1-1
  お茶の水女子大学「コミュニケーション・システム開発」事務局
  E-mail:csd−info@cc.ocha.ac.jp

■321 ■071213 [ml-prosemip 6061] 明日の予定(天田)

天田です。
明日12月14日(金)は、14:30〜山本さんと面談、その後16:20〜応用購読演習です。応用購読演習のあとは『Core Ethics』関連ほかでの面談も可能です。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#12
年末年始でのギリギリの対応は厳しくなると思いますので、事前に相談してください。

取り急ぎ。
天田

■322 ■071214 [ml-prosemip 6066] 雑文(天田)

天田です。
書いていながらホームページにアップすることができずにいた雑文をアップしました&連絡するのを忘れていました。
ちなみに、私、この数週間は学会関連業務で仕事疎かになります。メールの返信等が遅い場合も多々あります。

取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
◇天田 城介 2008/02/01 「ケア・3」(世界の感受の只中で・10)
 『看護学雑誌』72-02(2008-02):-(医学書院)
 http://www.josukeamada.com/bk/bs07-10.htm

◇天田 城介 2008/01/01 「ケア・2」(世界の感受の只中で・09)
 『看護学雑誌』72-01(2008-01):-(医学書院)
 http://www.josukeamada.com/bk/bs07-9.htm

■323 ■071214 [ml-prosemip 6071] 『恍惚の人』

天田です。
立岩さん、加藤本のリンク、有り難うございました。以下、先ほど老い研MLに送付したものと同文です。

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
◆有吉佐和子.197206.『恍惚の人』新潮社,312p. ASIN: B000J95OE4 →19820525.『恍惚の人』新潮社(新潮文庫)→20030525.『恍惚の人』(改版)新潮社(新潮文庫),437p. ISBN-10: 4101132186 ISBN-13:978-4101132181 660 [amazon]/[boople]
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J95OE4/
http://www.amazon.co.jp/dp/4101132186

【内容(「BOOK」データベースより)】
文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果して幸福か?日本の老人福祉政策はこれでよいのか?―老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない“老い”の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。

【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
有吉 佐和子
1931‐1984。和歌山生れ。東京女子大短大卒。’56(昭和31)年「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。代表作に、紀州を舞台にした年代記「紀ノ川」「有田川」「日高川」の三部作、一外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描く「華岡青洲の妻」(女流文学賞)、老年問題の先鞭をつけた「恍惚の人」、公害問題を取り上げて世評を博した「複合汚染」など。理知的な視点と旺盛な好奇心で多彩な小説世界を開花させた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
――――――――――――――――

以下、同書の一文。当該箇所以外にも「ネタキリ老人」「寝たきり」など何度も言及されています。
http://www.josukeamada.com:80/bk/bs07-10.htm

◆有吉佐和子.197206.『恍惚の人』新潮社,312p. ASIN: B000J95OE4 →19820525.『恍惚の人』新潮社(新潮文庫)→20030525.『恍惚の人』(改版)新潮社(新潮文庫),437p. ISBN-10: 4101132186 ISBN-13:978-4101132181 660 [amazon]/[boople]

「私こそ気の毒なのだと言いたいのを昭子は喉許(ルビ:のどもと)で抑えて、黄色いパンフレットを指さして訊いた。
 『この特別養護老人ホームというのは、なんでしょうか』
 『ネタキリ老人とか、人格欠損のある方を収容する施設です』
 寝たきり老人というのは一つの熟語として専門用語になっているらしいと分かったが、人格欠損は分からない。質問してみると、相手はちょっと昭子の顔を見て口籠もりながら、『失禁するとかですね……排泄物を食べたり……躰になすりつけたりするような老人の場合ですね』
 と言ったから、昭子も驚いた。」(有吉 1972→2003:308)

「はっきり分かったのは、今の日本が老人福祉では非常に遅れていて、人口の老齢化に見合う対策は、まだ何もとられていないということだけだった。もともと老人は希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が、しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果たてに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。あるいは、彼は、もう終った人間なのかもしれない。働き、子孫を作り、そして総ての器官が疲れ果てて破損したとき、そこに老人病が待っている。癌も神経痛も痛風も高血圧も運よくくぐりぬけて長生きした茂造のような老人には、精神病が待ちかまえていたのか。」(有吉 1972→2003:314)

「信利も箸を置いて、黙っていた。彼はこの日、目も見えず、耳も聞こえず、食物を<0326<咀嚼することもできなくなった寝たきり老人の話を聞いたばかりだった。鼻孔からプラスティック製のチューブを挿入して液状化した食物をポンプで送りこむ。しかも、そうした状態で、人間はポンプの故障でもない限り、二十年から生きられるのだという。おそらく茂造以上に老耄した頭の中で、その老人は何事を考えて日を送っているのだろうか。躰の寒くなるような話だった。それを聞かしてくれた男は、信利の表情を読んで、もうそれ以上は言えないと言った。信利も訊けなかった。医学の進歩も残酷なものですよ、生かさず殺さずということですからな、と言ってから、相手は更に驚くべきことを、一度は口籠った話を続けた。プラスティックのチューブは差しこみっぱなしにしてあるので、鼻孔の入口を摩擦して皮膚が次第に腐り始める。うっかりすると蠅がそこにたかって卵を産みつけ、蛆がわき出すというのだった。いつ思い出しても信利の全身が寒くなってくる。
 さらに信利は別の知人から聞いた話も思い出していた。戦後の日本では急速に人口の老齢化が起っていることを、その男はいらいらするほど正確な数字や百分比をあげて説明したのだ。本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。つまり一人の若者のまわりに四人の老人が取り囲んでしまう社会が現出する。生活力を持たない四人の老人を、一人の若者<0326<が養わなければならない大変な時代がくる。なぜそんなことになるかといえば、フランスのように日本の人口も、ある時期から出生率が急激に減退し始め、しかも医学の進歩によって老人の死亡率は低くなっているからだ。それを要するに老齢人口の急増という。
 これを現実に考えれば、何十年後には信利も昭子も完全に老人と呼ばれるべき年齢になっていて、敏は一個の社会人として老化した両親の他に赤の他人の古ぼけたのを二人抱えて生きなければならないということになる。また別の男の口からは、違う数字が聞かされた。昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。そうなるまでには、なんとか死んでいたいと思うが、その話を妻にする元気は信利にはなかった。それでなくても彼の耳の奥には、ずっと前に敏が言い捨てた言葉がこびりついている。パパも、ママも、こんなになるまでに長生きしないでね。」(有吉 1972→2003:325-327)

■324 ■071217 [ml-prosemip 6094] 今週の予定(天田)

天田です。今週の予定は以下の通り。
明日17日(火)は、終日、本の引越作業と整理、そして18:00〜公共論です。
12月21日(金)は、13:00〜能勢さん、16:20〜プロジェクト予備演習となります。なお、プロジェクト予備演習は今年最後の回になります。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#12

諸々の状況でバタバタしておりますが、明日17日(火)、21日(金)のいずれも短時間であれば、『Core Ethics』関連、その他などについて面談可能です。できる限り早めに連絡ください。

取り急ぎ。
天田

■325 ■071218 [ml-prosemip 6096] 『学術の動向』(天田)

天田です。
別件で調べていたらたまたま引っかかったので、お知らせします。
読んでどれだけの益があるかは様々かと思いますが、『学術の動向』の数年分のバックナンバーが読めます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/backnumber.html

一例を挙げると、2007年12月号の特集は「保健医療と個人情報保護法」、2006年11月号の特集は「ジェンダー学と生物学の対話」だったりします。
http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/2007-12.html

一応、情報提供まで。
天田

■326 ■071219 [ml-prosemip 6111] 明後日21日(金)の予定

天田です。本日は(も)書類を書いたり、封筒に切手張ったり、郵送したり、メールしたりで一日が終わりました。
さて、明後日21日(金)の予定をお知らせいたします。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#12
12:00〜藤原さん、13:00〜能勢さん、16:20〜プロジェクト予備演習、その後、櫻井さんと面談。
『Core Ethics』関連などなど、午前中、短時間であれば、コメント等も可能です。

取り急ぎ。
天田

■327 ■071219 [ml-prosemip 6114] Re: 石井氏論文集の場所→立岩さん

天田です。
立岩さん、石井さんの「論文集」はURLが変更になっています。
私も老い研のMLでのやりとりから探したら、以下に変更になっていました。

> 石井氏
> http://www.arsvi.com/w/ie01.htm
> かつて(今年)HPに掲載されていたファイルが
> なくなっていたのですが

医療法人財団石心会グループ
http://www.sekishinkai.or.jp/

法人のご案内
http://www.sekishinkai.or.jp/hojin.html

理事長 石井暎禧の論文集
http://www.sekishinkai.org/ishii/index.htm

なお、関連」論文は以下。
――――――――――――――――
◆石井暎禧.19980201.「老人への医療は無意味か――痴呆老人の生存権を否定する「竹中・広井報告書」『社会保険旬報』1973号.
http://www.sekishinkai.org/ishii/opinion_tc01.htm
◆石井暎禧.19980501+19980511+19980521.「みなし末期という現実――広井氏への回答」『社会保険旬報』(1983号.1998.5.1)(1984号 1998.5.11)(1985号 1998.5.21).
http://www.sekishinkai.org/ishii/opinion_tc02.htm
◆石井暎禧.20010121.「終末期医療費は医療費危機をもたらすか――『終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究報告書』の正しい読み方」『社会保険旬報』2086号.
http://www.sekishinkai.org/ishii/opinion_tc03.htm
◆石井暎禧.200103.「医療保険改革と『老人終末期医療』――事実に基づいた改革を」『日本病院会医療経済税制委員会報告書「制度と政策の変革を目指して」』.
http://www.sekishinkai.org/ishii/opinion_tc04.htm
◆石井暎禧.20020925.「老人医療の現状と政策の流れ」『大原社会問題研究所雑誌』526・527号.2002年9・10月合併号(9月25日発行)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/526-527/526-1.pdf
――――――――――――――――
まずは取り急ぎ。
天田

■328 ■071219 [ml-prosemip 6118] 『死は誰のものか』からの引用(天田)

天田です。
以下、老い研MLに送付したものと同文。

立岩さんが公共ML【[ml-prosemip 6110] 呆け老人を…/尊厳死協会】にて提供してくださった情報との関連で以下を記しておきます。

これも立岩さんが言及していますが、斎藤本
http://www.arsvi.com/0w/ts02/2003008.htm
◆斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000
において、以下「呆け老人を抱える家族の会」の「申し入れ」についての言及の箇所を引用。長文ですが、ご容赦を。

ちなみに、私、多大なる時間を要す編集業務に従事することに。
取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
第7章 「末期」「尊厳死」概念の混乱 (の冒頭部分からの引用)

「痴呆症にも尊厳死」
「重度痴呆になったら延命措置はやめて――。リビング・ウィル(延命措置に関する事前指示書)で末期状態の延命措置を拒否する「尊厳死」を、日本で広めようと運動している「日本尊厳死協会」(事務局・東京都)は、一九九三年、協会の発行するリビング・ウィルを変更し、「重度の認知症になったら尊厳死」を行う条項を加えるかどうかの検討を行なった。会員から「生き恥をさらしてまで生きていたくない」「介護で家族が苦しむ」などの声が寄せられたためだ。同年に内部に委員会を設置、リビング・ウィル修正を検討し始めた。一九九五年には会員に対するアンケートも実施。八五%の賛成意見が寄せられた。そこで、リビング・ウィルとは別の紙に「重度老年期痴呆になったら延命措置を拒む」ことを書く試案が作られた。日時や場所を認識で<184<きない/徘徊(ルビ:はいかい)する/夜中騒ぐ/便を食べたりする――などの症状が出て、複数の医師が「重度の老年期痴ほうで回復の見込みがない」と診断したケースで、他の疾患を併発した場合などに延命措置を断るとしている。たとえば、肺炎などの合併症が出ても抗生物質の投与など治療は行なわず、体が衰弱してもも栄養補給の措置はとらないこと――などを求めることができるという。
 一見、リビング・ウィルは痴呆症にも有効のように見える。しかし「痴呆症の尊厳死」は、「延命措置中止」の基準から大きく逸脱している。前章でみた東海大病院事件の判決にある通り、消極的安楽死を含めた「治療行為の中止」が社会的に許されるためには、@治療を中止する時点で患者の意思表示がある、A患者が回復不可能で、死が避けられない末期状態にあること――が最低条件だ。しかし、痴呆症は「死が避けられない」状態でも「末期状態」でもない。死が迫っていない人が肺炎などを起こした時、故意に治療しなければ、それは間違いなく「殺人」だ。本人からの要請があるといっても、自殺ほう助や嘱託殺人罪に問われる可能性が高い。
 この修正案は痴呆老人を支える家族に強い衝撃を与えた。この問題がマスコミで取り上げられたことをきっかけに、一九九六年七月、市民団体「呆け老人をかかえる家族の会」が「『ぼけ』への偏見、誤解がある」として「ぼけ」を「尊厳死」の対象としないように求め、尊厳死協会に申し入れを行なった。申し入れは@ぼけは死に直面していない、Aぼけの人が重篤になれば、症状は他の病気と共通で、わざわざ「ぼけ」をうたう必要はない、B「ぼけ」は、周囲の対応の仕方や福祉の充実で人間らしく生きていくことができる、Cぼけに対する保健・医療・福祉の充実が<149<先決――と訴えた。

くするぶ危うい議論
 同協会は理事会で対応を検討。一九九六年七月、リビング・ウィル修正を「時期尚早」と見送った。この問題はそこで終了しているはずだった。しかし、議論はその後もくすぶり続ける。協会の理事長は当時、成田薫弁護士がつとめていた。成田弁護士は一九六二年、寝たきりの父親に殺虫剤入りの牛乳を飲ませ、死なせた男性に、嘱託殺人の有罪判決を下した名古屋高裁の裁判官の一人だった。元々、より刑の重い尊属殺人で起訴された事件だったが、裁判所の主導で、訴因が嘱託殺人に変更された。この判決は安楽死が許される六つの要件を示し、それは、東海大病院事件の判決で出された積極的安楽死を認める四要件の基礎になった。
 成田理事長は、同年九月、「家族の会」に申し入れの回答を送った。回答は議論の打ち切りを知らせてはいたが、「痴呆症の尊厳死」への強いこだわりを示していた。「議論の中心は、助かる見込みのない重度老年期痴呆に限られており、しかもその人の人生最後の、唯一の願(事前の自己決定)を容れて、延命措置だけをやめるなら、法的にも人道的にも、それがむしろ当然の措置でなんら問題はないはず。どうしてこれが世間の一部の人が言うように、弱者の切り捨てになるのか、どうして福祉の充実に逆行するというのか全く理解しがたく、誤解も甚だしいと評する外ない」。「家族の会」との認識のズレは一向に埋まっていないことを示す内容だった。<150<
 成田弁護士は一九九七年、毎日新聞のインタビューに応じ、「重度老年期痴呆は尊厳があるとは言えない。理性も知性も失われた動物に近い状態で生き恥をさらしたくない、という会員の願い強い。痴呆条項について、時期尚早として議論を打ち切ったが、否決したわけではない。数年後に、議論する時期がくる」と、協会が議論を蒸し返す可能性を示唆した。
 (中略)<151<
 重度の認知症は立派に生きている人間だ。そして医療の「自己決定権」は「死ぬ権利」ではない。末期でも、死が迫っているわけでもない人間に「痴呆症はみじめでいや」「介護の負担が大きい」など、一方的な価値観や社会制度の貧困を理由に「死」をもたらしてもよいとする論理は、「生きる価値がない」と障害者を大量に安楽死させたナチスと変わりがない。」(齋藤 2002:148-152)
――――――――――――――――
◆成田薫については以下のページにも言及あり。
http://www.arsvi.com/b2000/0202fh.htm
http://www.arsvi.com/d/et-nsk.htm

197707  成田薫「安楽死について」 於:九州大学医学部
〔以下略〕

◆成田 薫 編 1996 『年表が語る協会20年の歩み』,日本尊厳死協会
◆成田 薫 編 1996 『そこが聞きたい知りたい尊厳死問答集』,日本尊厳死協会
◆成田 薫(日本尊厳死協会会長) 19980110 「尊厳死思想とその根底にあるもの」,日本ホスピス・在宅ケア研究会編[1998:41-51]*

◆名古屋安楽死6要件(1962年)名古屋高等裁判所 当時 成田薫主任判事

■329 ■071220 [ml-prosemip 6122] Re: ウェブに掲載しています→大谷さん(天田)

天田です。大谷さん、ご指摘有り難うございます。
私のところに到着したMLは文字化けがなかったのですが、一応、以下に正確な文章を記しておきます。
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2007-4.htm#328

取り急ぎ。
天田

■330 ■071220 [ml-prosemip 6140] 『患者追放』からの「横内氏による学会『立場表明』批判」の箇所を引用(天田)

天田です。
以下、老い研MLと同文。

http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#124
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#126
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#127
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#128
では「『福祉のターミナルケア』に関する調査研究報告書」(1997年)に関する記述部分を引用をしましたが、今回は向井本の中から別の箇所を。
歴史的文脈としては、前者があったのちに、以下の「横内氏による学会「立場表明」批判」があったということになります。マニアックですが、一応の情報提供ということで。

――――――――――――――――
◆向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』筑摩書房,250p. ISBN:4-480-86349-4 1500
http://www.arsvi.com/b2000/0308ms.htm
 
高齢者の終末期と「医学論争」([向井 2003:174]の冒頭部分からの引用)
 「二〇〇一年一〇月、第一三回日本生命倫理学会年次大会が名古屋で開かれた。学問には無縁の私だが、演題にいくつか気になることがあって傍聴を申し込んだ。
 まずは当日のランチョンセミナーで、日本老年医学会が六月に発表した「高齢者の終末期医療に関する立場表明」を説明するというのに関心があった。また、演題のいくつかに、「死の義務」、「トリアージ」など、数年前から気になっていたキーワードが散在しているのにも興味があった。「高齢者の終末期医療に関する立場表明」自体は、「高齢であることや自立能力が低下しているなどの理由などにより、適切な医療およびケアが受けられない差別に反対する」(立場1)など一三項目の宣言文からできていて、高齢者が医療を受ける権利が薄められる一方の時代に、医師の側から社会的責任の一環として問題提起を試みたという前向きの印象を受けるものだった。(中略)<174<
 だが、その「立場表明」はどうも「議論は錯綜して明確な結論を得られない」まま発表したものらしかった。というのも、日本老年医学会自らが生命倫理学会の予稿集にその旨を記していたからである。
 議論が錯綜した最大の理由は、肝心の「高齢者の終末期」の定義、いったいどういう状態ならば「終末期」といえるのか、ということだったらしい。(中略)<175<
 ところが、最終報告でさらに不思議な一文が加えられた。高齢者の場合、終末期の定義ははっきりしない、しかも余命の予測もできない。ではなぜ、「近い将来死が不可避」と言い切れるのだろう。さらに、最終報告には、「将来の検討課題」として、「痴呆疾患の終末期」、「悪性腫瘍の終末期」、「脳卒中の終末期」、「呼吸不全の終末期」など、「個別疾患ごとの検討が必要」という文章も加えられた。つまりは、高齢者の終末期は病気によっても違うし、一概には論じられない、医学的にはまだ定義することができない、それは「今後の課題」ということなのだろうか。(中略)<176<
 しかし、不思議だったのは、「日本老年医学会では高齢者の終末期医療に対する学会としての立場を表明することを迫られており……」と予稿集が説明しているところだった。いったいなぜ、老年医学会はまだ「曖昧」でよくわならないらしい「高齢者の終末期」のことで、なんらかの立場表明を「迫られ」なければならなかったのだろう。
 「将来の検討課題」というなら、「適切な医療およびケアは侵すことのできない基本的人権。重度痴呆患者など判断力が低下している患者にあっても保障されるべきものである」(立場1)とまず第一に掲げた「医療を受ける基本的人権」が侵されていないかどうかを、臨床現場をあげて実情を調査する、そのイニシアティブをとることの方が、まずは求められる。それが科学者の社会的責任というものなのだと私には思われた。
 「見解」批判の先鋒となり、高齢者の終末期論争に火をつけた形の同学会評議員の医師、横内正利氏はつぎのように記していた。
 「たとえばアルツハイマー病の場合、どのような状態になったら終末期と診断されるのだろうか。あるいは老衰の場合はどうだろうか。案では、恣意的な差別を引き起こす可能性があるため、具体的な規定は設けなかったとしているが、定義をあいまいにしたまま議論を進めることこそ、かえって重大な差別を招くことになりかねない……過小医療に警告を発するという学会の意図とは逆に、高齢者の医療打ち切りに悪用される危険は大きく、そのことに対する配慮が足りない。もし本当に過小医療に反対するというのならば、『安易に終末期と判断してはならない』と警告す<177<るべきであろう」(11)
 横内氏は同時に、二〇〇一年の秋からほぼ平行して学会が取り組んでいた「高齢者終末期医療における輸液治療のガイドライン」作成作業との関連をも案じていた。口から食事や水分がとれなくなった患者に静脈を通じて水や電解質を補給する方法である。ここでも「終末期」とは「見解」と同じく、「近い将来の死が不可避となった末期の状態」とされていた。ガイドラインは、老いて病が重くなり、弱りきったおとしよりを「終末期」と診断した場合、水分や栄養の補給をどうするのか、続けるのか打ち切るのかを判断する手順を示すためのものだが、「事実上、『高齢者の終末期では輸液や人工栄養を行なってはいけない』という精神が貫かれている」(12)と横内氏は指摘していた。こちらも「議論錯綜」のためか、ガイドライン作成作業は二〇〇三年春の段階では頓挫したままのようである。」(向井 2003:174-178)

※上記で引用されている文献(以下は向井[2003;219]の表記のとおりに記す)
(11)横内正利 「日本老年医学会『立場表明』は時期尚早」(『Medical Tribune』メディカル・トリビューン社、二〇〇一年二月一五日)
(12)横内正利 「再論・日本老年医学会『立場表明』――高齢者医療打ち切りになる恐れあり」(『Medical Tribune』メディカル・トリビューン社、二〇〇一年一〇月四日)

――――――――――――――――
※参考情報
◆2001年6月13日 「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」
 http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/index.html
――――――――――――――――

上記については前便にてアナウンスしたとおり。
上記の横内論文、研究室か自宅のどこかにあります。必要な方がいれば探しておきます。

取り急ぎ。
天田

■331 ■071222 [ml-prosemip 6151] 『私が決める尊厳死』における横内氏の引用(天田)

天田です。
以下、老い研MLと同文。重複受信の方々、乞ご容赦。

昨夜(またしても切手張りやら糊付けやら何やらの手仕事のため)送付できなかったので、以下に送付します。

> 今夜にも「怪しげな人たち」の話をちょっと抜書きして
> 送付します、→90年代・00年代の担当の方々へ

以下の「一部のヨーロッパ諸国では、……」において引用表記はありませんが、以下の植村論文でもそうであるように横内論文が参照されています。ある種皮肉な引用のされ方でございます。

◆植村 和正 200606 「高齢者の終末期医療」(特集 終末期医療――医療・倫理・法の現段階)『学術の動向』2006年06月号 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/pdf/200606/0606_2733.pdf
「……ヨーロッパ諸国ではこのような場合に人工栄養を施さないで安らかに「死なす」ことが社会的合意として定着しているようである 2)。……」
※2)は「横内正利 1998 「高齢者の終末期とその周辺――みなし末期は国民に受け入れられるか」『社会保険旬報』1976 13-19」です。

立岩さんの
◆立岩真也 2007/01/26 「おわりに――よい死・18」,『Webちくま』[了:20070126]
http://www.arsvi.com/d/n01.htm
「デンマーク他には「寝たきり老人」がいないという報告にもそのような効果があった。……そこでは、たんにケアが充実しているというだけでなく、あるいはそのケアを充実させるためにも、ある時点で医療を停止していることを知り、そのことを報告する人たちがいる。」
という指摘にも関係することです。

――――――――――――――――
■日本尊厳死協会東海支部編著・日本尊厳死協会発行 20070720 『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』中日新聞社,159p. ISBN-10: 4806205486 ISBN-13: 978-4806205487 1000
http://www.arsvi.com/b2000/0707ns.htm

◆高齢者 井戸豊彦・益田雄一郎(日本尊厳死協会東海支部編 2007:61-91)からの引用
 「今まで「末期医療」で議論されてきたのは、主に65歳未満の若年者の悪性腫瘍j(ルビ:しゅよう)患者(以下、悪性腫瘍は「がん」と表記)を対象としたものが多かったと思います。高齢者もがんで死亡する場合が少なくないのですが、やはり若年者と異なった病態・経過・転帰(行き着く先)を示す例が多く、また高齢者の場合、がん以外の疾患で死亡する患者も少なくありません。やはり、高齢者の「末期医療」は、若年者の末期医療と比較して相違点が存在するのです。
 この章では、高齢者の末期を考えるにあたり、対象となる疾患に「脳血管障害」「パーキンソン病」そして「認知症」の中のアルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)を選択しました。
 認知症全体をとり上げずアルツハイマー病と限定したのは、脳血管性認知症の場合は、脳血管障害と内容が重複すること、また他の神経編成疾患は比較的まれえだること、さらには全身性疾患によるものは早期の診断で治癒するものがほとんどであること、を考慮したからです。
 認知症そのものでの死亡はありませんが、アルツハイマー病を高齢者に特有な疾患として、議論の対象としました。
 「老衰」については不治とか末期といった項目は設けず、一部言及するにとどめました。その理由は「老衰」が疾患概念を意味する言葉ではないこと、かつては「老衰」を死因としてきましたが、近時は死因とはできないとする意見のあることを考慮したからです。
 脳血管障害の不治、末期とは、様々な機能障害を引き起こし、すでに全面介助状態となった人が、合併症として肺炎や心不全、あるいは褥瘡(ルビ:じょくそう)(床ずれ)から敗血症などの感染症を引き起こし、それ<63<らの合併症が治癒せず不治、末期となった状態に陥ったときです。
 一般的にいえば合併症の多くは治癒が可能です。しかし高齢者の場合、治療を実施に行なってもその効果はなく、末期の状態に陥ることが少なくありません。
 一方、合併症がなく、比較的全身状態がよい状態であれば、嚥下(ルビ:えんげ)機能(飲み込むこと)が傷害され、食事がとれなくても、また意思疎通の能力を喪失して会話が全くできなくても、いわゆる不治、末期とはいえないと思います。
 パーキンソン病やアルツハイマー病については、病態が進行し全身状態が悪化してくると、薬物療法の効果も限定的となり、いわゆる寝たきりとなります。その際、嚥下機能や意思疎通能力も喪失することがほとんどです。そしてその末期ですが、肺炎や心不全、敗血症などの感染症に侵され、それらの合併症の治癒が見込めないときに、不治、末期である、といえます。
 これらの経過とは別に、全体としてみれば特定の疾患や臓器不全によるものというより、固体全体の「老化」の結果というべきものである場合も多いと思います。老化によって寝たきりや全面介助状態に至ることも少なくありません。いわゆる「老衰」ですが、この状態に陥った場合も、「末期」と考慮すべきです。(筆者注は略)<64<」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:63-64)

「老衰による死について
 高齢者の病態を全体としてみれば、特定の疾患や臓器不全によるものというより、個体全体の「老化」の結果というべきものである場合があります。寝たきり、全面介助状態に至ったときのことです<65<<66は表1のみ掲載<が、この状態をわれわれは老衰といい、「末期」に準じて考えるべきだ、と思います。
 この場合、寝たきり、全面介助状態は6ヶ月を超えることが少なくありません。老衰の過程で生じる「摂食不能」を放置すれば死に至りますが、この老衰死は主に脱水死であり、通常、苦しみは少なく、死亡までの期間も短く、治療による苦痛もない、ある意味で受け入れやすい死に方といえます。
 一部のヨーロッパ諸国では、このような場合に人工栄養を施さないで安らかに「死を迎えさせること」が社会的合意となっているようです。しかしながら、わが国ではこのような場合に、補液などどの医療措置を施さない例はあまり多くないと思います。それは、ひとつにはこの場合の摂食不能が「不可逆的」であると判断することが困難だからです。老衰の経過中に生じる摂食不能は肺炎などの急性疾患が原因のことが多く、これを治療すれば摂食可能となる場合が少なくないからです。
 もう一つ大事な点は、一部のヨーロッパ諸国と異なり、日本ではこのような場合の医療措置に対する国民的合意が成立していないことです。一般国民を対象にしたアンケートによれば「たとえ持続的植物状態に陥ったとしても、人工栄養などの医療措置を希望する」が少数ながら存在し、しかも高齢者ほどその比率が増加します。医療における「自己決定権」の行使が、慣習としても制度としても成熟しているとはいえない日本社会では「老衰の過程においては医療措置を施さない」という社会的合意の形成は容易でない背景があります。<67<」」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:65-67)

 「末期を定義するにあたっては、生命予後を目安に定義していく考え方があります。生命予後6ヶ月以内の状態を「末期」と定義する場合がその例です。しかしながら死亡期間を正しく予測できないことは既に指摘されています。
 清水哲郎は末期医療を考える際に予後の長さが本質的要素ではないとし、末期の基準を「治療方針を決める際に、患者がそう遠くない時期」に死に至るであろうことに配慮するかどうかにある」と考えるのが適当としています(文献)。高齢者の場合は具体的定義がさらに困難と思われます。その理由は病態の多様性が背景にあるからです。」(日本尊厳死協会東海支部編 2007:73)

■引用文献、参考文献(日本尊厳死協会東海支部編 2007:90-91/文献は同書の表記の通りに記す)
今堀和友:老化とは何か 岩波新書(1993)
Christakis NA, Lamont EB. Extent and determinations of error in doctors' prognoses in terminally ill patients: prospective cohort study. BMJ 2000; 320: 469-473.
Fox E et al. Evaluaton of prognostic criteria for determing hospice eligibility in patients with advance lung heart, or liver disases JAMA 1999; 282: 1638-1645.
清水哲郎:終末期医療としての高齢者医療―患者・家族・医療者間の倫理をめぐって― Geriatric Medicine 2006; 44: 51-56
村井淳志:第7章終末期医療. 1.救命・延命の医療と終末期医療.新老年学(第2版)(折原肇編).pp1273-1275 東京大学出版会(1999)
横内正利:高齢者の終末期とその周辺、みなし末期は国民に受け入れられるか.社会保険旬報 1999;1976:13-19.
大友栄一:長寿社会総合研究平成3年度研究報告4:245-247(1992).
植村和正:「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」.日老医誌:41(1),45-47.2004.
AGS Ethics committee: The care of dying patients; A position statement from the American Geriatric Society: JAGS 43:577-578, 1995
WHO編:がんの痛みからの解放(第2版).金原出版(1996)
森田達也、角田純一、井上聡、千原明:高齢者癌患者の緩和ケアの特徴.Geriatric Medicine 1997; 35: 1505-1511
星野一正:医療の倫理.岩波新書(1999)
益田雄一郎、井口昭久:米国の死ぬ権利の現状―Advance Directiveに焦点をあてて― 海外社会保障情報 1997;118:29-41.
Masuda Yuichiro, Iguchi Akihisa et al.. Physicians' reports on the impact of living wills at the end of life in Japan. Journal of Medical Ethics 2003; 29: 248-252
――――――――――――――――

ちなみに、益田氏は以下のような本を書いてもいますね。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4890145532.html
なお、どうでもよいことですが、上記の共著者の井口昭久氏には以下の論文と本があります。
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/31thesess.html
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/16thesess.html
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/44thesess.html
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/64thesess.html
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/65thesess.html
http://kenpro.mynu.jp:8001/Profiles/0006/0000694/72thesess.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/481580382X.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4833131412.html
加えて、昨日お知らせした日本老年医学会倫理委員会の委員長だったりもしました。
特段に意味はありません。一応ということで。

取り急ぎ。
天田

■332 ■071222 [ml-prosemip 6153] 日本老年医学会の「立場表明」に至るごく簡単な概説(天田)

以下も老い研と同文。

天田です。
次々と長文ですが、きちんとやれば(誰もやった人がいないので)きちんとした仕事になるかと思います(お前がやれという話でもありますが)。

以下のページに、2001年6月13日の「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」に至る簡単な概説あり。
http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/tachiba/index.html

ちなみに、前便にてお知らせしたとおり、日本ならびに米国の老年医学会の「立場表明」は
■日本尊厳死協会東海支部編.20070720.『私が決める尊厳死――「不治かつ末期」の具体的提案』中日新聞社.
http://www.arsvi.com/b2000/0707ns.htm
の文献としても引かれています。
(それ自体がどうということではありませんが)

言うまでもなく、2001年6月13日の日本老年医学会の「立場表明」は1995年の米国老年医学会の「立場表明」を(一定度)受けてのことです。
■AGS Ethics committee: The care of dying patients; A position statement from the American Geriatric Society: JAGS 43:577-578, 1995.

※米国老年医学会の「立場表明」の全文は以下を参照。
■American Geriatrics Society (AGS) Position Statement.THE CARE OF DYING PATIENTS.AGS Ethics Committee. *Last Updated 2007*
http://www.americangeriatrics.org/products/positionpapers/careofd.shtml

取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
■社団法人全国老人保健施設協会.1999.報告書『介護保険制度の展開と老人保健施設の役割――21世紀の社会保障制度をめざして 5』
 の「第2部 老人保健施設におけるターミナルのあり方に関する調査研究」の「はじめに」
http://www.roken.or.jp/member/book/houkokusho/h11/a-terminal.htm

「米国老年医学会では、1995年高齢者のターミナルケアに関する「立場表明」を行い、基本的方針を明らかにした(AGS Ethics Committee : The care of dying patients: A position statement from the American Geriatrics Society. J Am Geriatr Soc 43:577-578,1995)。そこでは、高齢者の人生の終末期になっても、症状を和らげ安楽でいられ、人間としての尊厳性と自己管理ができるケアを希望している現状を踏まえ、将来に絶望しないよう効果的なケアを提供することが骨子とされた。
更に、終末期のケアの質を複数の諸団体が糾合して改善するための提言がなされた(Commentary: Measuring quality of care at the end of life: A statement of principles. J Am Geritr Soc 45:526-527,1997.)。

本邦においては、京都老人のターミナルケア研究会の報告書(村井淳志:日本老年医学会雑誌34:34,1997)により、高齢者の享受したいターミナルケアの要素についてのアンケート結果や、東京都老人医療センターにおける外来患者調査により末期医療の具体的な質問がなされた(松下:日本老年医学会雑誌1999、36:45-51)。
1998年から、厚生省長寿科学のターミナルケアに関する研究班(班長:内藤通孝名古屋大学老年科学助教授)が組織され、日本老年医学会倫理委員会(委員長:井口昭久名古屋大学老年科学助教授)による、高齢者終末期医療に関する立場表明の作成と発表などの取り組みがようやく地に着いたところである。」
――――――――――――――――
なお、「京都老人のターミナルケア研究会」については以下。
http://www.so-net.ne.jp/medipro/isyk/new_info/9711/77020-m.htm

日本老年医学会倫理委員会については別便にて。
取り急ぎ。
天田

■333 ■071222 [ml-prosemip 6154] 京都老人のターミナルケア研究会(天田)

天田です。以下も老い研MLと同文。
長文メールの連続、すみません。必要ない人は削除してください。以下、前便の「京都老人ターミナルケア研究会」についての情報。

――――――――――――――――
■琵琶湖長寿科学シンポジウム実行委員会・村井淳志編.亀山正邦監修.199711.「高齢者の介護とターミナルケア」 『総合ケア・別冊』110p. NDC:369.26 \2,800 (税込\2,940)
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9971430606&REFERER=0
http://www.so-net.ne.jp/medipro/isyk/new_info/9711/77020-m.htm
http://www.ishiyaku.co.jp/search/details.cfm?bookcode=770200

■19980613 京都老人のターミナルケア研究会主催「高齢者の終末期ケア講演会」
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1998dir/n2287dir/n2287_08.htm
※以下、講演会の部分を上記から引用。

●高齢者の終末期ケア講演会
 開催案内 6月13日/京都市
 京都老人のターミナルケア研究会が主催する「高齢者の終末期ケア講演会」が,きたる6月13日,「最期まで人間らしい生を 老いて死にゆく人へのケア」をテーマとして,京都市の京都アスニーで開催される。
・プログラム
〔基調講演〕ここまでできる高齢者の終末期ケア(高知愛和病院長 村井淳志)
〔パネルディスカッション〕座長=弥栄町国保病院長 三宅貴夫,滋賀県立成人病センター部長 藤本直規
※その他,現場からの報告として,終末期を介護した家族の体験などが 披露される
・事務局:〒780-8130 高知市一宮3894-2 高知愛和病院(村井淳志)
 TEL(0888)45-1641/FAX(0888)46-2811

■小川直.20020205.「本の紹介/村井淳志監訳『重度痴呆性老人のケア−終末期をどう支えるか』」『京都保険医新聞』第2259号.3面.
※以下の京都府保険医協会のホームページより全文引用.
http://www.healthnet.jp/syuchou/pages/2001/02/k01020503.html

本の紹介/村井淳志監訳『重度痴呆性老人のケア−終末期をどう支えるか』2000年4月発行/医学書院、3,000円(外税).
http://www.amazon.co.jp/dp/4260330616/

終末医療が抱える現状を問い直し、医療の一方的な働きかけに提言

「父から医院を継承して5年、循環器内科を専門としてきた私にとって「痴呆」という疾患はあまりなじみのないものでした。地区医師会の理事として地域医療、在宅事業に関わりを持ち始めた頃、在宅介護支援センターの職員から「先生の近くのAさん宅に至急来てください」と連絡がありました。早速走って行くとAさんが裸で、水の入っていないお風呂の中でじっとしておられました。入浴後出てこられなくなり、困ったご家族が「水を抜いたら出てくるのではないか」「水をかけたらどうか?」「お湯をかけたらどうか?」等々苦労のあげく在宅介護支援センターに助けてほしいと連絡があったというのがその顛末でした。その後も5名のアルツハイマーと思われる痴呆患者さんと巡り会い、2名を在宅で看取らせて頂きました。

 本書にも書かれていますが、末期の痴呆患者さんは無動、寝たきり、嚥下障害、反復感染という経過をとるのが通常と言われています。私のつたない臨床経験における常識では嚥下ができなくなれば胃管、胃ろうやIVHによる栄養補給を行う、感染が起これば感染に対する治療を当然行うものだと疑いもしませんでした。

 重度痴呆に緩和ケアの手法が取り入れられ、また「感染症に対してさえも重症の痴呆患者さんは緩和ケアのみと積極的治療とでその生存曲線に変化がない」「不治の病で死に行く患者は飲食物を拒むのはふつうであることを知るべきである」という本書の記載は私にとっては驚きでした。

 本書を読ませていただき、私の今までやってきたことは、人を人として尊厳をもって接するのではなく、むしろ医療従事者側のエゴで医療を一方的に医療側の価値観で押し売りをしてきたのではないかと思わざるを得ませんでした。末期癌に対してすら、ホスピスケアが十分浸透していない我が国において、痴呆に対してのホスピスケアをいきなり受け入れる土壌は、まだ十分整備されていないのではないかと考えます。しかし、医療従事者である我々から意識改革をはかり、目を開かねばならない、在宅医療の現場で接する我々から意識を変えなければならないと痛感しました。そのために本書は非常に役立つものであると思います。

 本書は「京都老人のターミナルケア研究会」の10周年記念として村井淳志先生と会員の先生方によって翻訳、発行されたと聞いておりますが、付け加えたいのは訳者の先生方が書かれているコラムのすばらしさです。各先生方が本書の内容にしばられず、ご自分の視点でご自分の言葉でお書きになっておられます。短いコラムの中に先生方のご経験のエッセンスが凝縮されている気がします。

 私のような臨床経験の浅い若輩者のみでなく、豊富な臨床経験をお持ちの先生方にとっても役に立つ一冊ではないでしょうか。

(伏見・小川 直))

【京都保険医新聞_第2259号_2001年2月5日_3面】」

■京都老人のターミナルケア研究会.村井淳志・川合一良・塩榮夫・奈倉道隆・三宅貴夫・藤本直規.2007「高齢者福祉施設における終末期ケアの手引き」『日本老年医学会雑誌』Vol.44.No.1.126.
http://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics/44/1/44_126_3/_article/-char/ja
http://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics/44/1/126_3/_pdf/-char/ja/

引用文献
1) Commentary: Measuring quality of care at the end of life: A statement of principles. J Am Geriatr Soc 1997; 45: 526-527.
――――――――――――――――

なお、京都老人のターミナル研究会のメンバーであった、現 社団法人認知症の人と家族の会(旧:呆け老人をかかえる家族の会)顧問でもある三宅貴夫氏のホームページは以下にあります。

■三宅貴夫
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/profile.htm (プロフィール)
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/miyake.htm (論文集)
「呆け老人をかかえる家族の会」の活動
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/fcg.htm

なお、三宅氏のホームページ
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/news3tx.html
に掲載の「尊厳死協会」の記事の紹介についての箇所を以下に全文引用。

★「日本尊厳死協会 延命措置中止の判断基準などで試案」(4月14日/毎日新聞)
[略]
追加情報:「疾病ごと延命中止基準、終末期を定義…尊厳死協会報告」(読売新聞)
[略]

編者:終末期については以下の定義などがあります。
終末期の定義:「積極的な医療行為がないと生命の維持が不可能であり,またその医療行為を必要としなくなる状態には回復する見込みがない状態」(編者三宅貴夫)
高齢者の終末期の定義:「病状が不可逆的かつ進行性で,その時代に可能な最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり,近い将来の死が不可避となった状態」(日本老年医学会2001年)
認知症の人の終末期の定義:「狭義の終末期:以下をすべて満たす。@認知症である。A意志疎通が困難か不可能な状態である。B認知症の原因疾患に伴い嚥下が困難か不可能な状態である。Cこうした状態が非可逆的である。広義の終末期:狭義の終末期の状態である。または治癒しない認知症で、認知症とは直接関係ない身体疾患が終末期の状態である」(三宅貴夫)
「認知症の高齢者の体と病気 5.認知症高齢者の終末期ケア」(編者三宅貴夫著 中央法規出版「りんくる」2006年6月より2007年4月まで隔月掲載)

■334 ■071222 [ml-prosemip 6155] 『老年医療の歩みと展望』からの引用(天田)

天田です。
以下の本から抜粋。ややマニアな話が続いていて、すみません。
もしかしたらこのMLでも一人ぐらい興味を持つ人もいるかもしれないと思いまして。

以下、日本老年医学会倫理委員会の設立の経緯とメンバーなどを記しておきます。
そして、この中で生まれた「立場表明」が「横内氏による学会「立場表明」批判」へとつながってくるのです。

以下の論文の目次と本文中からの抜粋。
――――――――――――――――
■植村和正 20031220 「終末期医療」.日本老年医学会編『老年医療の歩みと展望――養生訓から現代医療の最先端まで』メジカルビュー社.222-225.

1.はじめに (植村 2003:222)
2.倫理委員会の発足 (植村 2003:222)
3.第一回倫理委員会(平成10年9月4日) (植村 2003:223)
4.第二回倫理委員会(平成10年11月20日) (植村 2003:223)
5.第三回倫理委員会(平成11年4月13日) (植村 2003:223)
6.第四回「老年医学」市民公開講演会「終末期医療の目標――日本老年医学会の立場」 (植村 2003:224)
7.第四回倫理委員会(平成12年5月31日) (植村 2003:224)
8.第42回日本老年医学会学術集会シンポジウム(平成12年6月17日) (植村 2003:224)
9.学術評議員に対するアンケート調査 (植村 2003:224)
10.第五回倫理委員会(平成13年3月27日) (植村 2003:224)
11.「高齢者の終末期の医療およびケア」に対する日本老年医学会の「立場表明」 (植村 2003:225)
12.今後の課題と展望 (植村 2003:225)

「平成10年9月4日、日本老年医学会老人医療委員会のもとに「老年医療の分野における終末期医療のあり方を含めて広く倫理的諸問題について検討し、理事会の諮問に応じて協議答申すること」を目的として倫理委員会が発足した。当初の委員は以下である。
委員長   佐々木秀忠 東北大学老年・呼吸器内科教授(平成12年より交代)
副委員長 井口昭久 名古屋大学老年科教授(平成12年より委員長)
委員    飯島節 国際医療福祉大学教授(現筑波大学心身障害系教授)
       遠藤英俊 国立療養所中部病院医長
       加藤正弘 江戸川病院院長
       小出五郎 NHK解説委員
       袖井孝子 お茶の水女子大学生活学部教授
       野口美和子 千葉大学看護学部成人看護教授
       松下啓 東京都老人医療センター副院長(現勝楽堂病院)
幹事    植村和正 名古屋大学第三内科助手(現名古屋大学病態内科助手)
 ここに、昨今のわが国の高齢者医療、とりわけ「終末期医療」を取り巻く複雑多岐にわたる諸問題に対する日本老年医学会の倫理的立場は如何にあるべきか、検討する場が設置された。本節では設置以来の倫理委員会の議論を中心にこの問題に対する日本老年医学学会のこれまでの活動をふりか<222<えり、今後の課題や展望にまで言及したい。」(植村 2003:222-223)

「平成12年秋に行なわれたアンケート調査では全評議員617名に発送され268の回答総数であった。ほとんどの評議員が「立場表明」の必要性を認めた(95.5%)。反対意見はわずかであったが傾聴に値するものであった。要約すると以下の2点からなるものであった。
@高齢者の終末期にはいまだ明確な基準がなく時期尚早である。このような時期に学会としての立場を表明すると医療費抑制のよりどころとして行政に利用されかねない。
A高齢者の終末期は老年医学会だけが責任を負うものではない。この国すべての学会、あるいは医師会などが責任を負うべきである。」(植村 2003:224)

――――――――――――――――
◆日本老年医学会編集 日本老年医学会発行 20031220 『老年医療の歩みと展望――養生訓から現代医療の最先端まで』, 329p.メジカルビュー社 ISBN-10: 4758302677 ISBN-13:978-4758302678 8400
http://www.amazon.co.jp/dp/4758302677/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9977814198&REFERER=0

■内容(「MARC」データベースより)
世界最長寿国・日本の老年医療はどのようになっているのか。老年医療の萌芽、老年疾患への取り組み、日本から発信した老化研究の変遷、わが国の老年医療を支えた人たちなど、老年医療と介護の最前線からの寄稿をまとめる。

■《内容》 社団法人日本老年医学会の編集・発行による老年医療に携わる第一線の専門家たちが、わが国の老年医療の歴史と今後の展望、進むべき方向も示し、まとめた書。 

■《目次》
年表:老年医療・医学史年表―日本と世界における系譜  鈴木 裕介・酒井 シヅ
序論  折茂 肇
第1章 老年医療の萌芽,変遷
 1 老年医療
  1) プライマリケアと老年医療のアイデンティティ  柳澤 信夫
  2) これからの高齢医療をめぐる視点  祖父江逸郎
  3) 老年者医療への対応−活動的な人生100年に向けて−  飯村  攻
  4) 老年医療の定義  佐々木英忠
  5) 老年者の社会的位置付け  鳥羽 研二
  6) 老年医療とsubspeciality  土居 義典
  7) 老年医療への期待  袖井 孝子
 2 老年医学
  1) これからの老年医学における臨床研究の手法に関する提言  高崎  優
  2) 日本における老年医学の課題  島田 和幸
  3) 老年医学近未来の課題  森本 茂人
  4) 老化医学の回顧と展望  阿部  裕
  5) 日本老年医学100年の推移と21世紀の展望と希望  勝沼 英宇
  6) 老年医学界の変遷  佐藤 秩子
 3 日本の老年者の生活と健康 松林 公蔵  
 4 医療経済
  1) 医療経済  井藤 英喜
  2) 老人医療施設  大塚 宣夫
 5 社会制度と介護保険
  1) 社会制度(介護保険)  難波 吉雄
  2) 介護保険と老年科医に期待されるもの  浅井 幹一
  3) 全世代対象の「老年医学」  小出 五郎
 6 教育
  1) 老年医学教育の変遷  五島雄一郎
  2) 老年医学教育のあり方  入來 正躬
  3) 日本における老年学の研究と教育  柴田  博
  4) 教育機関と教育  寺本 信嗣・松瀬  健
  5) 大学における老年医学教育  横野 浩一
 7 日本老年学会,老年医学会の歴史  大内 尉義 
 8 雑誌発刊  長瀬 隆英 
 9 国立長寿医療センター
  1) 国立長寿医療センターの設立  井形 昭弘
  2) 国立長寿医療センター病院の役割  木谷 健一
  3) 国立長寿医療センターの設立経緯,長寿医療のあり方,期待される展開  太田 壽城
 10.高齢者のケア
  1) 高齢者ケア職の協働に向けて  野口美和子
  2) 老年者を診る,診る人を育てる科学  齋藤  康
第2章 老年疾患への取り組み
 1 痴呆症
  1) 先が見えてきたアルツハイマー病  田平  武
  2) 老年期痴呆の治療  中村 重信
  3) 痴呆症:治療  本間  昭
  4) 痴呆症研究の歴史と日本人の貢献  荒井 啓行
 2 脳神経疾患
  1) 脳血管障害の疫学(久山町研究)  藤島 正敏
  2) パーキンソン病  犬塚  貴
 3 精神疾患
  1) 老年期のうつ状態・うつ病  大森 健一
  2) 妄想・せん妄  工藤  喬・武田 雅俊
  3) 失語症概念の変遷からみたコミュニケーション障害  小高 文聰・笠原 洋勇
  4) 高齢者の統合失調症  松下 正明
 4 循環器疾患
  1) 高齢者心疾患診療における最近の進歩  松本 正幸・岩井 邦充
  2) 動脈硬化性疾患に対する分子治療  青木 元邦・森下 竜一
  3) 老年医療における循環器疾患  金政  健
  4) 老年者不整脈の100年と今後の展望  橋場 邦武
 5 高血圧症
  1) 老年者高血圧症の変遷  荻原 俊男・福尾 惠介
  2) 食塩感受性高血圧  日和田邦男
  3) 高齢者高血圧・循環器疾患を中心に  島本 和明
 6 呼吸器疾患
  1) 誤嚥性肺炎  関沢 清久
  2) 在宅医療の進歩−在宅酸素療法にみる発展の歴史−  木田 厚瑞
 7 消化器系の疾患  千葉  勉 
 8 糖尿病
  1) 加齢と糖尿病  大庭 建三
  2) 高齢者糖尿病の治療の変遷について  成田 琢磨・伊藤 正毅
     −合併症発症進展防止における高血圧治療の重要性について−  
 9 内分泌疾患(女性ホルモン)  秋下 雅弘 
 10 腎・泌尿器疾患
  1) 腎不全  井上 剛輔
  2) 高齢者腎疾患医療と今後の展望  土井 俊夫
  3) 尿失禁  飯島  節
 11 血液疾患  今村 雅寛 
 12 膠原病−関節リウマチ  後藤  眞 
 13 骨疾患
  1) 整形外科医として老人医療に携わって  林  泰史
  2) 骨粗鬆症:病因・診断(転倒,骨折)  細井 孝之
  3) 骨粗鬆症の治療の進歩  長屋 政博
 14 皮膚疾患  種井 良二 
 15 口腔・歯の疾患
  1) 高齢者の口腔ヘルスケア  渡邉 郁馬
  2) 高齢者への歯科医の関わり  田中 健藏
 16 摂食・嚥下障害  才藤 栄一 
 17 老年者の機能評価   小澤 利男
 18 百寿者研究のエポックメーキング  広瀬 信義
 19 老化に関する長期縦断疫学研究  下方 浩史・安藤富士子
 20 終末期医療  植村 和正
第3章 わが国から発信した老化研究の変遷
 1 老化と寿命−ウエルナー症候群  三木 哲郎
 2 テロメア  石川 冬木
 3 老化と寿命:Klotho遺伝子  鍋島 陽一
 4 線虫からヒトへの道  鈴木 (堅)之
 5 ポストゲノム時代の老化研究  後藤佐多良
第4章 わが国の老年医療を支えた人たち
 1 尼子富士郎先生  大友 英一
 2 冲中 重雄先生  小坂 樹徳
 3 村上 元孝先生  蔵本  築
 4 山田 弘三先生   鈴木 裕介 
 5 村地 悌二先生  板垣 晃之 
 6 関本  博先生   土屋  博 
 7 桂  英輔先生  横出 正之 
 8 葛谷 文男先生   遠藤 英俊 
 9 原澤 道美先生  福地義之助 
 10 吉川 政己先生  江藤 文夫 
第5章 長寿への取り組みと展望
 1 取り組み
  1) 長寿達成  亀山 正邦
  2) 養生訓  貝原 信明
  3) 統合としての老年医療,科学的精神,老化の研究  松下  哲
  4) 「お達者健診」の意義と実践  鈴木 隆雄
  5)長寿国世界一を支える老年医学  水島  豊 
 2 展望
  1) 老年学の提唱  井口 昭久
  2) 老年医学への関わりと今後のわが国の老年科の位置付け  高柳 涼一
  3) 老人による老年病の症候学・療養法のテキストを  後藤 由夫
  4) 日本における高齢者医療と老年医学の将来  平井 俊策
  5) 長寿への道  長谷川恒雄
  6)老年病予防時代の到来  木村 郁郎 
  7)老年者を診る心  橋爪 潔志

■335 ■071222 [ml-prosemip 6160] Re: 本日サーバー止まっていました→川口さん

天田です。
本日、大学に行って諸々の雑務をしていましたが、メールあるいはネットができなかったので、情報システム課に問い合わせたところ、「本日停電?のため、終日、サーバが止まっている」との返事でした。20時過ぎに順次動き出すと言っていましたので、ようやくといったところかと思います。
というわけで、立岩さん、川口さんのML、先ほど受信しました。一応、お知らせ。

取り急ぎ。
天田

■336 ■071223 [ml-prosemip 6162] 「寝たきり老人」「三郷中央病院事件」への言及(天田)

天田です。以下、老い研MLと同文。乞ご容赦。
以下のような「武蔵野方式」を進め広めたとの山本茂夫氏の本があります。
(自宅のダンボールの中にありましたので、必要な人にはお貸しします)

「寝たきり老人」への言及あり。
また、「三郷中央病院事件」についての言及もあります。こちらは別便でお知らせします。

――――――――――――――――
◆山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』朝日カルチャーセンター,226p. ISBN-10: 4900722146 ISBN-13: 978-4900722149.\1,456(税込\1,529).
http://www.amazon.co.jp/dp/4900722146/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9950229677&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
武蔵野市福祉公社をつくった山本茂夫が血ぬられた銘刀で、官僚主義と福祉行政をバッサ、バッサと斬りまくる、痛快、感動のドキュメント。

【内容(「MARC」データベースより)】
老後福祉の前線自治体で、その歴史をきり拓いてきた著者が、福祉の原点と問題をリアルに明快に示す。「寝たきり老人」を大量生産するニッポンにはびこる官僚主義と福祉行政をバッサバッサと斬りまくる。

【[BOOK著者紹介情報]】 (山本茂夫 200104 『定年後は心なごむ「レストラン」を始めよう』ノ著者紹介情報から引用)
山本茂夫[ヤマモトシゲオ]
1934年、樺太生まれ。終戦で山形へ。55年、日本社会事業短期大学卒業。同年、東京・武蔵野市福祉事務所に就職。1963年、早稲田大学第二文学部卒業。主に高齢者福祉の分野を歩み、93年、福祉保健部長。この間、“武蔵野方式”といわれる先端的な高齢者福祉を進め、関係者に注目される。95年、定年退職。翌年、障害者の子息との約束を果たすべくランチ専門「レストランえりか」を開店。現在、早稲田大学第二文学部、日商簿記三鷹福祉専門学校講師、西水元ナーシングホーム(特養)施設長を務める。著書に『福祉部長山本茂夫の挑戦』『新しい老後の創造』がある。

第1部 地方公務員 山本茂夫の四十年
第2部 これで良いのか福祉行政
第3部 介護地獄をなくすために
第4部 特別対談 土屋正忠市長、武蔵野市の福祉を語る―豊かで安らぎのある武蔵野市を

◆山本 茂夫 198210 『新しい老後の創造――武蔵野市福祉公社の挑戦』,ミネルヴァ書房,240p. ASIN: B000J7K3GA.→2000 『新しい老後の創造――武蔵野市福祉公社の挑戦』ミネルヴァ書房,247p. ISBN-10: 4623014398 ISBN-13: 978-4623014392
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7K3GA/
http://www.amazon.co.jp/dp/4623014398/

ちなみに、上記以外に以下のような本もあるようです。
◆山本 茂夫 200104 『定年後は心なごむ「レストラン」を始めよう』 ,亜紀書房,230p. ISBN-10: 4750500194 ISBN-13: 978-4750500195 1575
http://www.amazon.co.jp/dp/4750500194/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9974630746&REFERER=0


■337 ■071223 [ml-prosemip 6163] 「三郷中央病院事件」(天田)

天田です。以下、老い研MLと同文。乞ご容赦。
前便にて紹介した「三郷中央病院事件」についての簡単な情報提供。この事件についてのウェブ情報は驚くほどないですね。抜書きは後日します。

■大熊一夫 19810820 『ルポ・精神病棟』朝日新聞社.
http://www.arsvi.com/b1900/8108ok.htm
の翌年です。「悪徳病院批判」がどのような文脈から出てきて、どのような道筋を辿ってきたのかを確認しておくことも悪くはないかと思います。

取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
■■1982年3月〜 三郷中央病院事件

◆大熊由紀子 200304〜「物語・介護保険」(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-00.html

■大熊由紀子 200406「第4話 「日本型福祉」が生んだ「日本型悲劇」」『月刊・介護保険情報』2004年6月号.
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-04.html

◆雨後の竹の子のように生まれた老人病院では
「グラフは人口1000人当たりのベッド数です。日本(赤線)だけが、奇妙に増え続けています。そのかなりの部分が老人病院と精神病院でした。
 「老人病院」の経営実態の多くは闇の中でした。例外的に明るみに出たのが、埼玉県にある三郷中央病院でした。
 見るに見かねて県に内部告発した職員がいたのです。
 「東京医科歯科大学出身の院長、新潟大学出身の副院長、1カ月3万円で完全看護」が売り物でした。事務職員は東京・千葉・埼玉の福祉事務所を熱心に回り病院をPRしました。集められたお年寄りの7割が東京と千葉の住民でした。
 1980年75床で開院、半年後には177床に膨れ上がりました。
 「三郷中央病院事件とその教訓」という県のマル秘文書からうかがわれる、そこでの「診療」は、たとえば、次のようなものでした。
・入院した人にはすべて「入院検査」と称して31種類の検査を受けさせ、その後も毎月「監視検査」という名で21種類の検査。
・検査はやりっばなしで、検討された形跡はなし
・ テレメーターによる心臓の監視の架空請求で1000万円を超える収入
 口から食べられる人にも点滴が行われ、お年寄りの顔はむくんでいました。
 点滴を無意識に抜いたりするとベッドの柵に縛りつけられました。写真Aのような褥瘡、尿路感染、肺炎、……そして、平均87日で死亡退院。
 このような現実に、伊藤さんたちがどう立ち向かっていったかは、後の物語で。」(大熊 2004:**)

■和田努 医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考える「CONSUMER HEALTH」
http://wadajournal.com/index.htm

http://wadajournal.com/profile/katsudo.htm
◆老人医療制度を変えたスクープ
 「私がジャーナリストとしてスタートした70年代は、人口の高齢化が本格的にすすむ時代でした。高齢者問題に力を入れてきました。埼玉県三郷市に「三郷中央病院」がありました。この病院は老人を食い物にする悪徳病院でした。丹念に取材して、廃院に持ち込みました。この事件は国会問題にもなり、厚生省が老人医療を見直しするきっかけになった事件でした。私としては思い出深いスクープです。
 武蔵野市福祉公社をつくり、老人福祉の歴史を拓いてきた山本茂夫さんが『福祉部長 山本茂夫の挑戦』という本のなかで私のことを紹介してくれています。いささか長くなるが引用させていただきます。
 老人病院の実態を見聞する機会は多いが、それを取り上げ、論じるのは、ごく少数のジャーナリストだけで、老人福祉の専門家や政治家たちは、言の葉にも乗せず、知らんふりをきめ込んでいる。
 月刊誌『宝石』(昭和57年3月号)で、NHKディレクターであった和田努氏が三郷中央病院を告発したのが、老人病院の非情な処遇を取り上げた最初のものであった。
 和田氏は病院関係者の研究会の席上、私立病院の管理職だった人から、悪質病院の話を聞き、病院に勤めて要る職員や退職した人、家族などから困難な事情聴取を重ね、埼玉の三郷中央病院が典型的な悪質病院であることに確信を持ち、病院の名前を明記して実態を公表することを決意し、記事にした。それに先立って、和田氏は、病院院長から「名誉毀損で訴えるぞ」などの嫌がらせを受けながら、さらに『老人でもうける悪徳病院』(エール出版)で、薬づけ検査づけの実態やお年寄りをベッドに縛り付ける看護婦の姿を詳細に伝えている。
 三郷中央病院は、許可された病床が177床なのに、200人以上の患者がつめ込まれ、いやがる老人をベッドに縛り付けて、検査と点滴を行っていたと和田氏は告発した。
 昭和56年一年刊に200人近くの老人がこの病院で亡くなり、退職した職員は「ふとんを強いた殺人工場です」と語ったという。
 和田氏の告発を契機に、厚生省は検査づけ点滴づけの老人医療を改善するために、昭和58年老人保健法を制定した。一ジャーナリストの果たした社会的意義は大きい。(山本茂夫著『福祉部長山本茂夫の挑戦』より)」

■和田 努 198208 『老人で儲ける悪徳病院』,エール出版社,187p. ASIN:B000J7FAQS
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7FAQS/

■338 ■071223 [ml-prosemip 6164] 『高齢社会を生きる』(天田)

天田です。
以下、老い研MLと同文。重複受信の方々、乞ご容赦。
以前、たしか大谷(い)さんからも公共MLで紹介がありましたが、詳細な目次を以下に掲載。ご参考まで。

――――――――――――――――
◆清水哲郎編 20071020 『高齢社会を生きる――老いる人/看取るシステム』,東信堂,208p. ISBN-10: 4887137915 ISBN-13: 978-4887137912 1890.
http://www.amazon.co.jp/dp/4887137915/
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4887137915.html

現場から考える高齢者の生・死・看取り。
知の新しい道しるべ。
家庭や地域における高齢者医療の現状と課題を捉え直し、新たな実践の場として「ナラティブホーム」をドキュメントする。
日本学術振興会人社プロジェクトの成果。

清水哲郎 「序 高齢者にとっての生と死」 清水編[2007:3-11]

T 家庭と医療現場をつなぐ
清水哲郎 「第1章 人生の終末期における医療と介護――意思決定プロセスをめぐって」 清水編[2007:15-46]
日笠晴香 「第2章 予め決めておく――事前指示をどう考えるか」 清水編[2007:47-68]
会田薫子 「第3章 食べられなくなったとき――胃瘻という選択肢の意味」 清水編[2007:69-91]

U 地域社会における生と死
竹之内裕文 「第4章 看取りの文化」の再構築へむけて――「間」へのまなざし」 清水編[2007:95-116] 
田代志門 「第5章 「看取り」を支える市民活動――ホスピスボランティアの現場から」 清水編[2007:117-138]

V 高齢化医療システムの現状と課題
西本真弓 「第6章 さまよえる高齢者の現実――療養病床を持つ病院の個人データからみえてくるもの」 清水編[2007:141-164]
吉田あつし 「第7章 高齢者をめぐる医療システムのこれから――お金は大事だがすべてではない?」 清水編[2007:165-184]
佐藤伸彦 「第8章 医師が目指す「ナラティブホーム」」 清水編[2007:185-207]

 
【BOOK著者紹介情報】
清水哲郎[シミズテツロウ]
1947年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科次世代人文学開発センター・上廣死生学講座・教授。研究テーマは医療現場に臨み、患者・家族および医療従事者たちと共に、意思決定の進め方(臨床倫理学)や、死生をめぐる価値の問題(臨床死生学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■339 ■071223 [ml-prosemip 6165] Re: 適宜情報を流していきます→川口さん

川口様

天田です。コメント、有り難うございます。
ややマニアな情報でしたので、誰も読んでいないものかと思っておりました。

少なくともこれから順次このMLに流していきますが、高齢者の領域に限って言えば、(協会に対して違和を表明しながらも)実践としてはそのやり方でやってしまっているという現場は少なくありません。

> 「医療側の価値観の押し売り」という一方的な反省

この「医療者側の押し売り」や(前便の)「悪徳病院批判」が反復されて今日に至っているといったところかと思います。
老い関連情報のみですみませんが、適宜、情報を流します

取り急ぎ。
天田

■340 ■071224 [ml-prosemip 6173] 『老いと死を生きる』(天田)

天田です。以下、老い研MLと同文。
ええ加減にしろや、という方は削除をお願いします。

こちらで時間的制約の中で提供できる情報はお伝えしていますので、皆さん、どうぞ宜しく。

引用の「悪徳老人病院の告発記事……」は昨日お知らせした「三郷中央病院事件」などです。こちらについての情報は別便でも送付します。また、老人保健法前後の歴史的文脈についても確認することができます。

「資料」として読み解きつつ、使えるものは使うといった感じで進めるのがよいです。
その他も諸々ありますが、別便にて。

――――――――――――――――
◆新福 尚武 監修 20040521 『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』,老人病院情報センター ,223p. ISBN-10: 4990198301 ISBN-13: 978-4990198305 2100.
http://www.amazon.co.jp/dp/4990198301/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=997858823X&REFERER=0
※以下、http://www32.ocn.ne.jp/~rojin_byouin_ic/rhic0145.htmlから引用(一部、加筆・修正)。

これまで語られることのなかったテーマ!
自分の死、親の看取り、患者の看取りを
老人病院の医師5人が語る

目次
まえがき
よく老い、老いをよく生きる
老人病院医師への九つの質問

第一章 天本宏(天本病院理事長) 在宅重視の二四時間体制コミュニティケア
自分の死――わがまま体制を整え、セルフィッシュを貫く
親の看取り――看取りにいたるまでの関わりを重視
患者さんの看取り――在宅ケアの条件は本人の意思決定
医師になった理由――広島で被爆
高齢者医療に向かっていった動機――高齢者の地域調査がきっかけ
老人病院の建設――付き添いなしのトータルケア
印象に残った死――祖父の死、先輩の死
家族へのアドバイス――時代のニーズは自由な環境
宗教――自分の物差しを持つのに役立つ
インタビューを終えて

第二章 漆原彰(大宮共立病院理事長) 医療、介護施と在宅支援のシステムづくり
自分の死――発達した裁量の医療を受けたい
親の看取り――医師としてよりも子どもとして
患者さんの看取り――苦痛をとるターミナルケア
医師になった理由――建築家か医師か
高齢者医療に向かっていった動機――核家族時代にバックアップ体制
老人病院の建設――医療と福祉の合体を先がける
印象に残った死――眠るように逝った祖母
家族へのアドバイス――家族観の変化と階後の社会化
宗教――袈裟を着て診察する自分の姿
インタビューを終えて

第三章 新貝憲利(成増厚生病院院長) 痴呆専門病院を開設、痴呆老人のケアと看取り
自分の死――僕は寂しがりや、日替わりメニューできてほしい
親の看取り――居心地の良い空間を用意
患者さんの看取り――孤立感、孤独感のない最期
医師になった理由――医師である父への反発
高齢者医療に向かっていった動機――僕が痴呆を治す
老人病院の建設――痴呆老人のターミナルケア
印象に残った死――数えきれないほど立ち会った
家族へのアドバイス――病気・障害・人間性をみる
宗教――僕の宗教観はあるがまま
インタビューを終えて

第四章 大塚宣夫(青梅慶友病院理事長)
大往生・終いの住処としての施設
自分の死――死はいつもすぐ隣りにある
親の看取り――親をみるために病院を建てた
患者さんの看取り――家族も医療者も後悔しない看取り
医師になった理由――一族のなかに医師をひとり
高齢者医療に向かっていった理由――長生きした罰・人間収容所にショック
老人病院の建設――家族も癒される施設
印象に残った死――厳かな死
家族へのアドバイス――設備、技術、知識、システムの揃った施設の活用
宗教――人は一度しか死なない
インタビューを終えて

第五章 新福尚武(元東京慈恵会医科大学精神医学科教授)
大正・昭和・平成の時代を生きて
年齢とともに死生観が変わってきた
不可知なるものの存在
宗教と精神医学の一体化
二一世紀の精神医学の目指すもの
活発に生きるヒント
挨拶をして穏やかに死を迎える
インタビューを終えて

あとがき


【書評】
斉藤弘子 20060625 「語り考える人生の最期/『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』」『北海道新聞』(2006年6月25日)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/20060625/1.html

■『老いと死を生きる――老人病院医師へのインタビュー』(新福尚武監修 老人病院情報センター 二一○○円)
<略歴>しんふく・なおたけ 1914年生まれ。精神医学者。著書に「さわやかに老いる知恵」など。

語り考える人生の最期
 誰も避けることができない「老いと死」という事象に、どう向き合っていけばよいのか。親の看(み)取りや迫りくる自らの老いを前にして、これは中高年世代にとって切実な問題である。本書は、そういった命題に対し、高齢者医療の草分けともいえる五人の医師が「自分の死、親の看取り、患者さんの看取り、印象に残った死、家族へのアドバイス」などの問いに答える形で自らの思いを語ったインタビュー集である。
 介護を必要とする高齢者を抱えた家族のために、病院情報を中心にした相談業務と情報提供を行っている「老人病院情報センター」の設立十五周年記念出版であり、同センター代表の川添みどり氏がインタビューを行っている。それゆえ、「自分の親がこの病院に入院したら」という視点でこれまで多数の老人病院を取材してきた川添氏の姿勢が随所に表れている。そのひとつは、「自分の親にしてもらいたくないことを患者さんにしてはならない」という大塚宣夫医師(青梅慶友病院理事長)の言葉への共感であり、川添氏はこの言葉を高齢者医療や介護職の関係者にぜひ伝えたいと強調する。
 高齢者医療の先駆者たちの考え方や生き方をはじめ、現場の移り変わりを知るためにも、また医療・介護の仕事に携わる人にとっても、本書は貴重な資料になる。また、「老いと死」に向き合った多くの高齢者とその家族の姿をみつめてきた医師の言葉には、現場を背景にした生と死の哲学がある。とくに「老年精神医学の父」といわれる監修者・新福尚武氏のメッセージには、「よく老い、老いをよく生きる」ためのヒントが含まれている。ただ、自らの老いや死を受容する過程で、葛藤(かっとう)する高齢者の心、家族と織りなす人間模様なども描き込まれれば、生と死の哲学にもっと深みが出たのではないか。
 家族観や高齢者をとりまく介護・医療事情の変化とともに、いま、「老いと死」はお任せではなく自ら創(つく)る時代になった。本書は、ケアを受ける側にとってもケアを提供する側にとっても、最終ステージの生き方を考えるうえでの指南書になるだろう。
評・斉藤弘子(ノンフィクションライター)


「天本 一九八五年に『老人の専門医療を考える会』は、できました。僕や青梅慶友病院の大塚先生が、病院を建てたのは一九八〇年です。その頃は、悪徳老人病院の告発記事が新聞に掲載されて、老人病院バッシ<35<ングの時代です。我われのやっていることすべてが否定されました。
 お世話料の問題もそうですし、付き添いもつけないでやってるとか、痴呆症の人にリハビリさせているとか。必要な治療としての点滴注射もぜんぶカットされ、仲間の医者からも否定された。我われは現場で医療、ケア、リハビリも必要だと思うからしているんだけど、学問的にも誰も肯定しないし、いろんなことで叩かれた。
 それに憤りを感じた人達が集まってきた。なんとなく集まってというふうにしていたら、そこに青梅慶友病院の大塚宣夫先生がいて僕がいた。老人病院の中でも真剣に取り組んでいる姿を、当時の厚生省の人がみていて、中核になるような人に声をかけたんじゃないでしょうか。
 ある意味では『老人の専門医療を考える会』で、大塚先生と僕がやってきたことが今のような形になってし、組織をつくって良くしていかなきゃいけないという発想でした。そして僕がその会の初代の会長になりました。」(天本 2004:35-36[新福監修 2004:35-36])

「――(聞き手は川添みどり) 漆原先生は病院だけではなく、いろいろな施設やシステムをつくって、患者さんの希望する介護体制を支援します、という形をとってらっしゃいますね。先生ご自身は死について、どう考えておられるかうかがいにまいりました。ご自身の死について考えたことはありますか。具体的にどういうふうな死に方をしたいと思っていますか。
漆原 基本的には考えたことはありません。正直いって考えたくないっていうか。(中略)<50<
 治療が必要な状態になって死ぬならば、無理に医療を在宅に持ち込んで死のうとは思わない。在宅での死って突然死に近い状態か、長期の要介護状態の先にある死だけだと思うな。家族の負担もあるし。でも家族には見送ってほしいとは思うけどね。
―― 事故だとか、重篤な病気とかじゃなくて、ある程度人生を全うしたであろうお年寄りの死と、若い人の死とは違いますよね。
漆原 それはまったく違いますね。若い人の場合は普遍的な経過や自然さがないからね。高齢者の死は誰もが早晩避けられないものだと知っ<51<ていて、ある程度は本人も周りも自然に受容してくるものだと思う。死に対する恐怖や不安といったものは確立が高まる分だけ高齢者のほうが強く自覚していて、死に直面するといろんな反応をあらわすんだ。高齢者でも加齢によってだけ死ぬことは少なくて、医学的には病的な状態をへて死ぬと考えていいんだと思うな。人生を全うした先の死だとしても自然で安楽な死って、ほとんどないと思ってるけど、違うかな。」(漆原 2004:50-52[新福監修 2004:50-52]/過括弧内補足は引用者)

「――(聞き手は川添みどり) この頃、胃ろう造設が増えてきました。食べ物が飲み込めず、口からの栄養補給が難しい人に、嚥下訓練をするには非常にいいそうですね。食べられるようになればやめられますから。また、生きたいと願う本人の思いが強ければ、胃ろうの造設も当然の処置だと思います。けれど本人の意思も確かめられない状態で、胃ろうの造設手術をしますと担当医からいわれて、困惑している家族も多いようです。入院するまではいっていた特別養護老人ホームは、胃ろうをすれば再入所が可能だというそうですが、本人は意思表示ができないのに、本人以外の誰かが決めるのは難しいですよね。
漆原 そんな時、決めているのは実際は家族なんだけど、本人以外の<76<家族や介護者が決めていいのかどうかは疑問だよね。医師に、これをしなければ死にますけどどうししますかっていわれると、とりあえずはやってくださいという。それと患者さんや家族と医師の関係には、まだまだ温度差があるよね。患者さん側には医師のすすめる処置を拒否できない雰囲気があるよね。胃ろうをすすめられたさっきのケースのように、その後のケア施設の入所がかかっている場合など、本人や家族のほんとうの気持ち以外の要因で決められることになる。結構多いよ、そういうこと。
――そうなんです。だからこの本をつくったのは、自分の死に方を決めておこうということと、親の死に方に対しての覚悟を決める時に、胃ろうや気管切開などの処置が、どういうことかを知っておこう、そういう想いからです。
漆原 胃ろうだって気管切開だって必要な医療処置の手段段だよ。ただ、どんな状態で、なんの目的で行なうかが問題だと思う。本人が判断できないんなら、やっぱり家族だよね決めるのは。死に直面してい<77<る状態や、回復が望めない状態なのは、担当の医師にはわかっているんだけど、医師によっても捉え方や死が迫っている基準が少しずつ違う。生きている価値観なんだ相当違うからね。今は正解なんてないんだ。医師はそれを決める家族に十分情報提供をして、制約をつけないで考えてもらうのがいいと思う。聞かれれば意見はいうけど、最後の延命的な処置をどこまでするかくらいは、元気のうちに自分のことも家族のことも話し合って、決めておけるようになればいいと思うよ。」(漆原 2004:76-78[新福監修 2004:76-78]/過括弧内補足は引用者)

「――(聞き手は川添みどり) それが今の老人病院(青梅慶友病院)のはじまりですね。何年のことですか。
大塚 一九八〇年、昭和五五年です。この頃っていうのはね、老人病院花盛りなんですよ。あちこちにたくさんできたけど、行き場のないお年寄りを預かってベッドに縛りつけて点滴する、大量の薬を服ませる。介護といえば、家族が直接雇った付き添いまかせの状態でした。今朝までご飯を食べていたお年寄りが、入院した途端に突然点滴されて、しばらくすると動けなくなって、それで床ずれができて、1ヶ月もすると肺炎を起こして死んじゃう。これがお決まりだったんですよ。
―― 社会問題になりましたよね。<141<
大塚 ある新聞が告発記事を書いたこともあって、それで老人病院=悪徳病院という図式ができてしまいました。だから私が老人病院を建てるといった時は、「お前ねぇ、そんなにしてまでお金儲けがしたいのか」っていわれましたよ。
 だけど、病院を始めてみて、実際にはいってくる人は寝たきりに加えて脱水状態であったり、低栄養状態であったりする。あるいは大声を出すとか、徘徊する、暴力をふるうといった、活発な問題行動を伴う痴呆老人が大部分でした。ところが、対応する方法といえば、我われが知っているのは医療技術だけですから、それを駆使して、なんとかこの人の状態をコントロールしようと思う。そうるすと、落ち着く先は点滴でったり、強い鎮静剤という話になるわけですよ。
 ある時、気がついたら、私は一生懸命やっているのに、よその悪徳病院といわれるところと結果はそんなに違わなかった。これが結構ショックだったんです。ほどなく医療保険の支払い機関から、お前の病院は医<142<療費がかかりすぎて怪しからんと呼びだしを受けたんです。私としては治療でお金を稼ぐためにやっているわけじゃなかったのに。そこで、もうそんなにいわれるなら、点滴もなにもしないで様子をみてやるよとばかりに、ぜんぶやめてしまったんですよ。医師や看護師はやることがないから、患者さんの傍に行って遊んだり、寝ている患者さんを起こしてレクリエーションなんかするでしょ。それまでは入院してだいたい1ヶ月もすると寝たきりになっていたのが、寝たきりにならなくなってきた。痴呆の人なんかも薬を使わなくても結構落ち着いてきた。
 この体験でケアの大切さを知り、今までの医療を中心とした対応が、いかに無力かというよりも、有害かを思い知らされた。
 もうひとつ、病院をはじめて半年くらいで大きな発見をしました。それは、老人病院というのはお年寄り本人というより、家族のための施設だということです。家族が困り果てて連れてくる。病院を選ぶのも、その後お金を払ってくれるのも、病院の評判を外部に伝えてくれるのも<143<家族。となれば家族の要望に、しっかりとこたえる運営にすればいいと考えた。当時の家族の要望は、ずっと入院させてくれること、預けることに後ろめたさを感じなくてもいいような対応をしてくれるkと、本人に痛い思いや辛い思いをさせるような医療を、しないことだと知ったことです。二、三年してヨーロッパの老人施設をみて、また大ショックを受けた。同じような状態のお年寄りを対象にしながら、対応がまったく違う。寝たきりや点滴をしている人が皆無。私がなんとなく思っていたことを決定的に裏づけた。ともかく、もう全員ベッドから離して起こした方がいい。ケアの大事さ、生活環境を整えるのが大事だっていうのがわかってきた。」(大塚 2004:141-144[新福監修 2004:141-144]/過括弧内補足は引用者)

「新福 (中略)もうひとつは精神学会が、『老年の精神医学』のシンポジウムを持ったことです。それに大阪大学の金子仁郎教授、横浜私立大学の猪瀬正教授、そして私の三人が演者になった。一九五五年ですが、これが日本の老年精神医学の研究にも、私どもの研究にも大きな弾みになりました。」(新福 2004:194[新福監修 2004:194])

――――――――――――――――
【関連情報】
■1983(昭和58)年5月 「老人の専門医療を考える会」設立 (初代会長 天本宏/2代 大塚宣夫/3代 平井基陽)
http://ro-sen.jp/
http://ro-sen.jp/tokai/nenpyo.html
http://ro-sen.jp/tokai/history.html
 「老人の専門医療を考える会」設立の発端は、昭和50年代後半、老人医療の理想と現実が大きくかけ離れていたことにある。高齢化が急速にすすむわが国で老人病院の数が増大する中、昭和58年2月1日(1983年2月1日)に老人保健法が施行され、診療報酬が一部包括化された特例許可老人病院が生まれた。しかし、老人医療の現場では、質の確保、財政面など様々な課題を抱えており、このような社会背景の中で、全国から老人医療の専門性の確立を目指して意を同じくする有志数名が勉強会を始めた。昭和58年(1983年)、8名が世話人代表となり「老人の専門医療を考える会」を立ち上げ、事務分担は、東京都の天本病院、青梅慶友病院、上川病院で行うこととした。初代会長は天本宏氏。
  その設立目的は、「今後急速に進むであろう高齢化社会の中で老人病院の果たす役割と専門性を考え、わが国における理想的な老人医療のあり方を追求し、全ての老人が安心してより良い医療を受けられる環境を実現させること」であり、25年目の現在も変わっていない。記録が確かな昭和60年以降の老人の専門医療を考える会の歩みをたどってみよう。(肩書きは当時のもの)

■20061116 老人の専門医療を考える会.「高齢者の終末期ケアのあり方について――老人の専門医療を考える会の見解」
http://ro-sen.jp/tokai/terminalcare.html
「…(略)…したがって、管の挿入や人工呼吸器の装着については、開始するかどうかにすべてが掛かっていると言っても過言ではなく、この時点での患者・家族およびスタッフとの合意が、すべてである。少なくとも医師一人の判断で、生命維持に直結する処置の中止は厳禁であると心得るべきである。…(略)…」(老人の専門医療を考える会 20061116)

「…(略)…現在の慢性期医療費抑制策は、二木立氏が指摘するように「日本療養病床協会が介護力強化病院の時代から営々と築いてきた高齢者への『良質な慢性期医療』の提供が根底から崩され、30年前の『悪徳老人病院』が復活する可能性」の危機に瀕している。今回の提言が「高齢者の尊厳ある死」の実践に役立てば幸甚である」(老人の専門医療を考える会 20061116)

■大熊由紀子.200503.「第12話 「悪徳」老人病院からの脱出」『月刊・介護保険情報』2005年3月号.
http://www.yuki-enishi.com/kaiho/kaiho-12.html

「(略)
 この出会いが一つのきっかけになって、天本会長、吉岡事務局長、小山・勝手連的広報担当の「老人の専門医療を考える会」が誕生することになりました。
 会誕生のきっかけは、もう2つありました。
埼玉県の老人福祉課長として三郷中央病院を徹底的に究明した荻島國男さんが83年4月、老人保健課の課長補佐になって厚生省に戻ってきたのです。荻島さんは、若くして、「いずれ厚生省の事務次官」と衆目の一致する人物でした。
 小山秀夫さんの父で社会保険審議会と老人保健審議会の会長だった路男さんと荻島さんは同じ高校の先輩後輩という縁もあって旧知の間柄。その上、荻島さんが秀夫さんの論文を読んでいたこともあって二人は意気投合しました。
 小山さんは、天本さんの1年後に青梅慶友病院を開設していた大塚宣夫さんを荻島さんに引き合わせました。ところが、その日のうちに大喧嘩になってしまいました。
 三郷中央病院の一件もあって医師不信状態の荻島さんが「患者をビジネスの対象にする、医者なんてロクなもんじゃない」と言ったのが始まりで、大塚さんが激怒。「僕は、オフクロにちゃんとした専門医療をしたいと思って始めた。あなたが見た病院のようなものばかりと思うなんて、許せない」
 そのころ、天本さんも、怒り心頭状態でした。「痴呆性老人に運動療法は妥当とは思えない」と診療報酬を大幅に削られたからです。
 2人のこの怒りが発火点になって、83年、「ほんとうの老人医療を極めて広めよう」と研究会が発足することになりました。
 荻島さんはこんどは、最大の理解者になりました。(略)」

――――――――――――――――
■天本宏(天本病院理事長)
http://sun.ten-ou-kai.or.jp/aisatsu.html

■漆原彰(大宮共立病院理事長)
http://www.omiya-kyoritsu.or.jp/html/goaisatu-annai.html

■新貝憲利(成増厚生病院院長)
http://www.mhcg.or.jp/narimasu/about/gaiyou.php

■大塚宣夫(青梅慶友病院理事長)
http://www.keiyu-hp.or.jp/outline/target.php
http://tateiwa.kir.jp/b1990/9009on.htm

■新福尚武(元東京慈恵会医科大学精神医学科教授)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%90V%95%9F%8F%AE%95%90/list.html

■341 ■071225 [ml-prosemip 6174] 老いてゆくアジア関連(天田)

天田です。
以下の書籍、売れているようです。
これらの書籍の内容は別にして、先日のプロジェクト予備演習の時にも話しましたが、「人口/少子高齢化」に関する研究は仕上げ方いかんでとてもオモシロイものになります。
→陳さん/老い研ほかの皆さんもこのあたりもぜひ。

――――――――――――――――
◆大泉 啓一郎 20070925 『老いてゆくアジア――繁栄の構図が変わるとき』,中央公論新社(中公新書), 204p. ISBN-10: 4121019148 ISBN-13: 978-4121019141 798.
http://www.amazon.co.jp/dp/4121019148/
◆小峰 隆夫・日本経済研究センター編 20071015 『超長期予測 老いるアジア――変貌する世界人口・経済地図』,日本経済新聞出版社,243p. ISBN-10: 4532352797 ISBN-13: 978-4532352790 1890.
http://www.amazon.co.jp/dp/4532352797

(その他「人口/少子高齢化」に関する文献は後日紹介)

■342 ■071225 [ml-prosemip 6175] 年末不在(天田)

天田です。
明日26日(水)よりしばらく不在となります。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp071226.htm
連絡等はメールや携帯電話にてお願いします。

取り急ぎ。
天田

■343 ■071225 [ml-prosemip 6178] 『あなたの「老い」をだれがみる』(天田)

天田です。
いつものごとく老い研MLと同文。

「大熊一夫」「大熊由紀子」「老人の専門医療を考える会」の系列で。
「三郷中央病院事件」をはじめとする「悪徳病院批判」と「寝たきり老人」、そして老人保健法施行の歴史的文脈をきちんと追いましょう。

――――――――――――――――
◆大熊一夫 19860531  『あなたの「老い」をだれがみる』朝日新聞社,朝日ノンフィクション,261p. ISBN-10: 4022555408 ISBN-13: 978-4022555403 1100.→199003 朝日新聞社,朝日文庫,307p. ISBN-10: 4022605898 ISBN-13: 978-4022605894 480.
http://www.amazon.co.jp/dp/4022555408/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9860184720&REFERER=0
http://www.amazon.co.jp/dp/4022605898/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9900122909&REFERER=0

■内容(「BOOK」データベースより)
かつて、アル中患者になりすまし精神病院に潜入、『ルポ・精神病棟』を著して衝撃を与えた朝日新聞の大熊一夫記者が、このたびは「ボケ」「寝たきり」問題に鋭く切り込んだ。現代姥捨病院の実態、ボケ研究の現状のほか、家庭の悲劇、年寄りとつき合う法、寝たきりをつくらぬ秘訣、住宅のあり方、在宅老人救済網の実例など、「老い」が抱える多くの問題とケースをとり上げ、長寿国日本の「老い」の実相を鮮かに描き出すとともに、明日のあなたや、あなたの家庭の問題でもある「老い」をとりまく環境の改革と高齢化社会の展望を切り開くことが、われわれにとっての緊急課題であることを切々と訴える。

★以下、引用。
「本書は、『週刊朝日』昭和60年(1985年)3月22日号と同年7月19日号からどう12月20日号、および昭和61年(1986年)1月31日号に掲載された『ルポ 老人病棟・あなたの「老い」をだれが看る』をまとめたものである。」(大熊 1986:6)

「閉鎖性の強い精神病院に閉じ込められている人々は、この世でも最も虐げられた階層である。そんな病棟の中でさらに最下層におかれているのが、いわゆる「ボケ老人」たちであることを、私は初めて知った。人生の最終楽章をこんな形で送る人々がいるのは、ひどく気になった。
 その後、老人たちをめぐる情勢は逼迫(ルビ:ひっぱく)の一途をたどっている。日本の平均寿命の長さは昭和六〇年で三年連続世界一。とくに、女性の皆さまはこの年、世界ではじめて八十歳代にのった。(以下、略)」(大熊 1986:8)

「小説『楢山節考』でおりん婆さんが捨てられたのは、人里は離れた雪山だった、しかし、現代の姥捨山(ルビ:うばすてやま)は、大都会周辺部の田んぼの中に立っていた。
 首都高速を筑波の例の科学万博会場方面へ二十分ほど走り、三郷(ルビ:みさと)インタで降りてUターンし、南へ六、七キロ下ったあたり、そこに三郷中央病院はあった。(中略)<28<
 いったい、どんな診療が行なわれていたのか。
 埼玉県生活福祉部には「三郷中央病院事件とその教訓」と題した取扱注意のマル秘文書がある。それによれば、その乱診乱療ぶりは、次のような<29<経過で明らかになっていった。
 同病院から提出された国民健康保険のレセプト、つまり診療報酬請求明細書によれば、五十六年六月から同年十一月までの月割りの患者一人当たり請求額は七十五万余円。これは、県内五十以上の老人病院の中でも群を抜いて高かった。埼玉県の五十五年度の国保での老人一人当たり入院費は約四十万円だった。この県内平均四十万円という額自体も高すぎて、埼玉県内の老人病院がおしなべてあまり上等ではなさそうな雰囲気を感じさせる。
 権が同病院のレセプトの内容を分析してみると次のような疑問が出てきた。
 @入院時の病名、入院後の併発病名などが、画一的である。
 A注射や検査も画一的で本当の病名にそっているとは思えない。
 B内服薬は種類、量とも多すぎる。
 C禁忌(ある病気にはけっして使ってはいけない)薬剤が数ヶ月にわたって処方されている。
 D点滴が異常に多く、請求額の六〇〜八〇パーセントを占めている。
 Eテレメーター(患者の心臓の動きをFM電波によって遠隔監視する装置)による連日監視が多すぎて、レセプトの治療内容にそぐわない。
 Fおびただしい検査が行なわれ、しかも医師がその結果に応じた治療処置をやっているとは思えない。
 七つの疑問を解くため、同部は五十七年三月末に立ち入り検査を開始した。(中略)<30< (中略)<31<
 悪徳病院と「点滴ぜめ」は、切っても切れない関係にある。もっとも、最近は「点滴ぜめ」はやや下火で、代わりにチューブで胃へ直接に液状の食物を送り込む「経管栄養ぜめ」が、悪い病院で流行しはじめたという。
 ボケが進み、体力もないお年寄りには、こんな点滴はこたえたと思われる。元職員たちの記憶によれば、点滴を受けると、どの顔もむくんでいった。肝臓の処理能力を超えて液体が血中に入っていた証拠である。
 点滴を嫌って逃げ回る人もいた。また、無意識に動いて注射器を抜いてしまうような人も大勢いた。<32<そんな人々は、ベッドの柵に腕をしばりつけられた。こうして「寝かせきり」にしておくと、たちまち「寝たきり老人」になってしまう(第19章に詳述)。筋肉や関節というものは、使い続けていないと、たちまち衰えて使いものにならなくなる。しかも元に戻らなくなる。実際、この病院に入った老人は、次々と「廃用性歩行不能」になってしまった。
 なんの楽しみもない病棟で、おむつをあてられ、点滴ぜめにされれば、食欲も細る。体も弱る。褥瘡(ルビ:じょくそう)もできる。尿路感染症、肺炎も起きやすくなる。かくして……。
 大半の職員は、院長の命ずるままに黙々と働いた。しかし、少数ながら、この事態を見るに見かねて県に内部告発した職員がいた。五十七年二月になると、新聞が乱脈ぶりを報道し始めた。四月には警察も動きだした。県は、五月末で院長の保険医の資格を、また病院の保険医療機関としての資格を取り消した。病院は、五十七年六月一日、廃院届を県に出した。」(大熊 1986:28-33)

「「老人病院」には、どこか、うさん臭いイメージがついてまわる。そうなった理由は、はっきりしている。
 この日本には、残念ながら、医療の名に値しない姥捨山的な病院がすくなからず存在する。そのいくつかが、あまりにもあこぎに走りすぎて新聞記者や警察に尻尾をつかまれ、おそるべき実態の一部が世に知られるところとなる。本書第3章に紹介した三郷中央病院、幽霊看護婦で荒稼ぎをして、六十年夏に話題になった北九州グループ、チェーン病院の中でお年寄りをタライ回しにして巨額の収入をあげ、脱税し、院長がおめかけさんに入れあげていた荻中病院などは、その見本である。
 一方で、お年寄りの身を案じてくれる真面目な老人病院が、ないわけではない。そのいくつかは本書にも登場した。実際の数はつかみにくいが、しかし世の人々が「良い病院」を探すときのなみなみならぬ苦労から推して、真面目派病院は多数勢力になり得ていないようである。(中略)<212<
 そのうえ、もっといまいましいことがもちあがった。三郷中央病院など悪徳病院の摘発をきっかけにして、昭和五十八年二月に生まれた「老人保健法」という法律のおかげで、お年寄りの患者によかったと思われる診療が十分にできにくい雰囲気になってしまった、というのである。
 そんな状況に腹をすえかねて、立ち上がった老人病院の院長さんがいる。東京・多摩ニュータウン近くにある天本病院(多摩市買取)の天本宏院長は、五十九年秋、同じく志を抱く老人病院の院長に呼びかけて「老人の専門医療を考える会」をつくった。「本物の老人医療を志向する院長さんたは、この指とまれ」というわけである。そして、この一年で、四十人の病院長が天本院長の指にとまった。」(大熊 1986:212-213)

 「天本さんは「お年寄りだから」という理由で、治療の手を差しのべないのは罪悪だと考えている。
 こんな事件があった。
 老人保険法が施行されて四ヶ月後の五十八年六月、医療費請求額三千万円のうち約一割の三百万円分が保険の審査会でバッサリ減額された。「減点通知書」にはこう書かれていた。
 「特定患者収容管理料算定の症例に対する運動療法は妥当と認められません」
 この患者さんは、ひらたくいえば、寝たきりで全面介護を必要とする鼻腔栄養の人であった。寝たきりになった人にはリハビリは不必要だから、そんな請求はダメだというのである。「脳軟化症の(人の)腰痛に運動療法は認められません」という通知書もあった。これに対して、天本さんは猛然と意義を唱えた。」(大熊 1996:217)

■344 ■071225 [ml-prosemip 6179] 『病いの戦後史』からの引用(天田)

天田です。
以下、老い研MLと同文。重複受信の方々、乞ご容赦。

1982年の老人保健法前後の「三郷中央病院事件」などの「悪徳病院批判」について流しましたので、今度は「80年代の「寝たきり老人」をめぐるお金の話」を記しておきます。極めて基本的な情報ですが、知らない人もいるようです。
今後も70年代・80年代の情報を(時間があれば)流します。→70年代・80年代担当者の方々へ

――――――――――――――――
■向井 承子 19900320 『病いの戦後史――体験としての医療から』,筑摩書房,246p. ISBN-10: 448085536X ISBN-13: 978-4480855367 1495
http://www.arsvi.com/b1990/9003ms.htm
http://www.amazon.co.jp/dp/448085536X
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9900142179&REFERER=0

★「絶版」ですが、立岩さんのところで買えます。
http://www.arsvi.com/b/s.htm

■「寝たきり老人を大量生産する」(向井 1990:169〜)以降からの引用
 「それにはもちろん、費用がかかる。私たちは、区役所に行って、東京都が行なっている「寝たきり老人福祉手当」の対象者として登録した。初めて私たちが登録した時は月額一万七五〇〇円だったが、一九八九年一〇月から四万一〇〇〇円と、じりじり上がってきている。介護手当も月に七〇〇〇円出る。そして、行政が行なっている対策で利用できるものはなんでも利用することにした。そんな流れの中で、在宅寝たきり老人を訪問してくれた保健婦さんのお世話で、シャワー・イスも無償で風呂場に備えることができた。その椅子は、つい最近までよそのお年寄りが使っていたのだが、<171<亡くなった方のでもいいですか、と尋ねられたものだった。(中略)
 繰り返すが、この全てが費用がらみである。それができる、という程度の生活を私たちがどうにかしているという証明なのだろう。でも、母自身の収入といえば、月三万円足らずの老齢福祉年金だけで、収支のバランスは全くとれない。老人福祉手当は、そんな自立を助けるための費用としては、少しは役に立つものだった。この制度ができたのは昭和四七年(1972年/引用者補足)一〇月、シビル・ミニマムなどの地方自治の発想を基本に福祉を重点に据えた美濃部都政が始まった時だった。その遺産である福祉の制度を鈴木都政も引き継ぎ成長させている。首都圏の他県とは桁外れの高額の「手当」を、私たちはありがたく利用させてもらっている。ありがたい、という意味は、その伝統を築いた歴史の担い手たちへの謝辞である。
(中略)
 この数字をどう見るか。たとえば介護者に毎月支給される介護費用七〇〇〇円では、家政婦費用の丸一日分にも満たない。介護者が一日でもだれかを頼んでゆっくり休める費用にもならない。また、老人福祉手当にしても、安心して身辺を任せられる人を頼む費用にはならないし、老人用の品<172<を整えようとすると、ベッドひとつとっても桁違いである。その制度について国はなんの補助も出していない。そして、在宅、在宅と声高にいわれる昨今がやってきている。在宅福祉とは、ほんとうはきめを細かくしようとすると、施設よりも費用がかかるものなのに、実際はある程度の生活レベルを保てる家族と同居を前提の、ちょっとお小遣い程度の金銭のばらまきを福祉といっているのではないか、と私には感じられる。仕事をしている女性にとっては、仕事をやめた方が安上がりの、主婦の在宅前提の考え方が頑固に基調にある。しかも、ひとりになにもかも背負わされて疲労困憊の主婦の立場には思いをやらない、「うちてしやまん」式の親孝行の実践が期待されている日本を象徴してはいまいか。
 それでも東京とは他府県とは比較にならないほど高いのである。在宅の「寝たきり」、あるいは「痴呆性老人」とその家族に行政が手渡す金額は、月五万円近いのが東京都、たとえば神奈川県では年額三万五〇〇〇円、千葉県では月額一万一五〇〇円の市町村への補助金交付、そして国は零円である。みんな、どうやってくらしているのだろう、と私は思う。そして、ふいに一番簡単な結論に思いがいってしまうのである。
 病気が一番好都合なのである。世間も納得するし、家族も楽である。そして、老人医療もあって、付き添いをつければ還付の制度もある。なんと、好都合なことであろうか。まるで「姥捨て山」のような病院の光景はたぶん、そこかしこに存在しているのだろう。」(向井 1990:171-173)

「たとえば、老人福祉手当てを受けるには資格がいる。在宅で六ヵ月以上、入院で三ヶ月以上を寝たきり状態にあることである。「寝たきり」の基準というのがあって、食事、排泄、入浴、その他の、身辺の具体的な自立機能について民生委員による調査と証明がいる。父も母も、この資格に合格して受給者になれたのだが、ここで矛盾が出てくる。少しでもこの基準から外れると資格を喪失してしまうことである。極論に聞こえるかもしれないが、寝たきりを強いておけば、資格喪失には<174<ならない。応々にして、その方がみとる側にとって楽なことがある。そうやって、死に追いやるのを奨励しているのかなあ、と思うことがある。(中略)
 病院で寝かせておけば、受給資格は死亡時まで永遠である。そして、現行の健康保険制度のもとではその方が遥かに安上がりとなる。その事自体の問題は問わずに手間と費用をかけた在宅介護の結<175<果だけを審査して資格を云々する根底の思想の貧困に私は苛立ってしまった。寝たきりから、少し自立し始めた時期を支える方法はまるで用意されていない。いや、念頭にもないといった方があたっているかもしれない。事実、老人福祉手当関連の書類には、資格喪失を届け出る項目があるのだが、そこには、「死亡」、「転出」、「その他」などの項目はあるのだが、「快癒」という項目は見たことがない。たぶん、初めから想定されていないのに違いない。」(向井 1990:174-176)

■345 ■071225 [ml-prosemip 6181] Re: 有り難うございました→立岩さん

天田です。
立岩さん、有り難うございました。

なお、12月20日からさみだれ式にMLに流した情報は老い関連情報でも極々基本的かつ少量の文献(自宅のダンボールに置いてあったもの)から抜書きしたものです。
私の本の9割近くはすでに創思館416に移っています。そこで諸々の本を探すことができますし、必要であれば古本なども購入します。どうぞよろしく。

老い研の方々、「副業」ということを念頭にしつつ、仕事をしてください。どうぞよろしく。

取り急ぎ。
天田

■346 ■071230 [ml-prosemip 6238] Re: [ml-prosemip 6228] PPK/透析→立岩さん・的場さん

天田です。
黙っていようと思っていましたが、「寝たきり×PPK×健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」あたりで老い関連のことを考えることも大切かと思いますので、さみだれ式にMLをします。長文が続きますが、乞ご容赦。

> PPKについて誰か「さっと」調べたらいかがでしょう。

> PPK運動
> 由来については

概ね記述の通りですが、「PPK」はもっと政策的な話になります。
諸々については別便にて。

取り急ぎ。
天田

■347 ■071230 [ml-prosemip 6239] Re: [ml-prosemip 6228] PPK/透析→水野肇(天田)

天田です。
本日はいくつか連続でMLします。

以下の著者の本はたくさんあるので、一部のみ。その他は別便にて。
なお、1970年代〜90年代の老い関連の本は私の手元にありますので、お貸しすること可能です。

――――――――――――――――
■水野 肇 みずの・はじめ
http://www.arsvi.com/w/mh04.htm

◆水野 肇・青山 英康 199809 『PPK(ピンピンコロリ)のすすめ――元気に生き抜き、病まずに死ぬ』,紀伊國屋書店,211p. ISBN-10: 4314008245 ISBN-13: 978-4314008242 1890.
http://www.amazon.co.jp/dp/4314008245/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9971760843&REFERER=0

80歳を過ぎても健康で元気な高齢者の秘密とは?健やかに老い、健やかに天寿を全うするピン・ピン・コロリ(PPK)の条件が国保中央会の調査で浮かび上がってきた。
PPK達成日本一の長野に学び、行政・医療・住民の意識改革を促す。

はじめに 健康長寿―PPKのすすめ
1章 なぜいま長野なのか
2章 PPK・長野の秘密
3章 長野のPPKを他の都道府県に適用できるか
4章 PPKを目指すには
5章 対談 PPKへの意識改革と介護保険
まとめに代えて 調査に見るPPK

《内容》 80歳を過ぎても健康で元気な人の秘密とは? 平均寿命が男女ともに高く、老人医療費が日本一少ない健康長寿の地域として知られる信州・長野への大掛かりな調査によって、健やかに老い、健やかに天寿を全うするピン・ピン・コロリ(PPK)の条件が浮かび上がってきた。PPKへの普及化・全国化へ向け行政・医療・住民の介護をめぐる意識改革を促す書。

◆水野肇 19990315 『病まずに生きる 死に方健康学――安らかな老いを生き抜くために』,文化創作出版,218p. ISBN-10: 4893871757 ISBN-13: 978-4893871756 1733.
http://www.amazon.co.jp/dp/4893871757/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9972251012&REFERER=0

【内容(「MARC」データベースより)】
どんな人でも人生の終わりはやってくる。その時、どういう死に方をするかは、結局、どういう生き方をしたかで決まる。命長き時代に、いかに病まずに老いるか、心の持ち方と正しい病気の知識について語る

第1部 どんな死に方をしたいのか(あゝ、ガンでよかった;ある尊厳死;「移植」は医学の本流か;あきらめる ほか)
第2部 病気の見方・からだの見方(「健康病」という名の病気;ちょっと空恐ろしいクスリの話;健康食品、大いに疑義あり!;白衣症候群 ほか)

◆水野肇 20030520 『老いかた上手――PPKの大往生をめざして』,主婦の友社,191p. ISBN-10: 4072372390 ISBN-13: 978-4072372395 1365.
http://www.amazon.co.jp/dp/4072372390/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9976843062&REFERER=0

老成とか悟りとか、そんなものには無縁でも老いを素直に受け入れ、愉しく生きる。
そんな生きかたの知恵、お教えします。

序章 10年前と比べて、老いに対する考えかたはどう変わったか
第1章 健康について考えすぎない
第2章 人は長生きできるようになっている
第3章 充実した老後を過ごすには
第4章 あるがままに生きてきた私の人生
第5章 孤独と向かい合って生きる
第6章 医療の進歩をどうとらえるか
第7章 どのようにして死を迎えるか

老成とか悟りとか、そんなものには無縁でも迷いながらも日々をきちんと生きる。これぞ人間本来の長生き上手のコツではないか。

この本では、「人はどのようにして老いればよいのか」について述べています。といって、「人間いかにして老いるべきか」などということを大上段に構えて語るわけではありません。そうしたお説教を説くものではありませんし、強制するようなことはしません。それにどう老いていくかの話で、あまりに高尚で求道的な生き方論を言われても、今さらどうしようもないものでしょう。「人は生きてきたように老いる」のです。老後になったからといって、急に人生を変えたりはできないのではないでしょうか。老いたからといって、現世のしがらみから離れ、率然と悟りを開き無私の境地に達するなんてことは、あり得ないのです。私たち人間は悩みながら傷つきながら一生懸命生きているのですから、老後もそのまま自分の道を肩肘張らずに淡々と歩んでいけばいいのではないでしょうか。人間じたばたしても死ぬ時は死ぬ。最期まで自分のことは自分でできて苦しまずに死を迎えたい。本書では、これをPPKと言っています。PPKとは、「ピンピンコロリ」の略で、ピンピン元気に生きて、最期はコロリと大往生することです。それには、どのように老いを過ごせばいいのかに・u桙ツいて述べています。
――――――――――――――――

以下、透析関連。おまけです。
――――――――――――――――
■健康ワンポイント
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/index.htm
「健康ワンポイント」は厚生労働省の提唱している「健康日本21」の9分野を中心に番組が作られています。関心のある分野をクリックするとそれぞれの放送テーマをご覧いただけます。
健康ワンポイントとは
 このホームページでは、(社)国民健康保険中央会が、国民の健康意識を高め、より一層の健康増進を目的として提供しているラジオ番組『健康ワンポイント』(ニッポン放送はじめ全国38のラジオ局で、2001年10月1日〜2005年4月1日の間、毎週月曜から金曜まで毎日)の内容を全文掲載しています。
 健康づくりや病気の予防に役立つ、季節に合ったタイムリーな情報を専門家へのインタビュー形式でまとめました。
提供:(社)国民健康保険中央会
企画・編集:共同通信社
制作:ニッポン放送

◆『健康増進は糖尿病予防から』 
 医事評論家 水野肇先生
 インタビュアー ニッポン放送アナウンサー 那須恵理子
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20040301.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20040302.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20040303.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20040304.htm

 第2回「糖尿病予防で医療費削減」
――今日は「糖尿病予防で医療費削減」というお話ですが、糖尿病の患者さんというのは増えているということなんですけれども、医療費というのはどのくらいかかっているものなんですか。
水野  今、だいたい日本全体の医療費というのは、健康保険で使っている分ですけれども30兆円ある。そのうち糖尿はどれぐらいあるかというと、糖尿の治療に使っているのが診断治療ですね、これが1兆2千億。それに対して糖尿になってだんだん悪くなっていって、腎臓がやられて人工透析というのをやりますね。これで使っているのが大体8千億。
――1兆2千億と8千億で2兆円
水野  ただ、それはそういうカウントの仕方をすると2兆だけれども、もうちょっといろいろあるんではないかという見方はあるわけです。
――例えば。
水野  それは糖尿が原因でほかの心臓血管系の病気になったりするようなのを入れていくと、20%を過ぎるという予測もある。
――今どのくらいの方が年齢的には糖尿病の方というのは多いんですか。
水野  一番多いのは65から74なんですが、それは人口の問題もありますからね。やっぱりある程度年を取れば数が減るわけですから、当然糖尿の人の数も減るわけです。ただ僕たちが非常に恐ろしいなと思うのは、35から44という、ものすごい働き盛り、これが7万7千人もいるんですよ。この人たちがさらに年を取っていけば、3倍ぐらいになるんじゃないかと、そういう予想があります。だから、いずれにしてもあまり減る要素というのは今のところは、このままいけばないわけです。
――何か減らす方法というのはないんですか。
水野  それはやっぱり境界領域というのがありまして、糖尿ではないんだけれども、糖尿に限りなく近いという、そういう人たちを糖尿にもっていかないようにやると、これはフィンランドで実験では成功しているんですが、そういうことを日本でも考えないといけない時期がきているんではないかと私は思います。
――では先生、今日の「健康ワンポイント」をお願いします。
水野  「糖尿病を予防することができれば、日本の医療費は大幅に下げることができる」。

■348 ■071230 [ml-prosemip 6240] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→『国保新聞』(天田)

天田です。
今度は以下の組織の新聞から紹介。全くきちんと読む必要のない文章ですが、一応、音頭とりの組織(の一つ)でもありますので。各組織・各業界がどのように動いていたのかは知っておく必要はあります。→関心のある方、ぜひどうぞ。

※以下、[引用者注]も参考にしてください。後ほど送付するメールにも関わります。

――――――――――――――――
■国民健康保険中央会
http://www.kokuho.or.jp/
http://www.kokuho.or.jp/tyuohkai/index.htm

■『国保新聞』記事検索
http://www.kokuho.or.jp/intra/owa/knwp00_00

――――――――――――――――
■国民健康保険中央会 20000901 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200009010230.htm

地域特性踏まえた保健活動を展開
 [実績発表]
 健康な町の実現に、住民組織と2人3脚
 【神戸文夫・群馬県下仁田町長】
 下仁田町は人口約一万千六百人、高齢化率二九・五%。乳幼児から高齢者まできめ細かな生涯を通じた保健予防事業を展開している。
 子供たちの歯の状況が県内最下位だったため、昭和六十三年度から幼児歯科健診でのフッ素塗布を開始した。塗布率は九五%以上を継続し、現在では県内トップクラスの良い歯の状況までに改善している。
 小学校でのフッ素洗口を目指したが、合意をみることが出来なかったので、昨年度から家庭で任意にはじめ、八〇%の児童が申し込んだ。平成十四年度には中学生にまで拡大したいと思っている。
 町民の健康づくりは、「保健推進員」「食生活改善推進員」「生命の貯蓄体操」の三本柱で進めている。百八名いる保健推進員は各地域での住民と行政の架け橋役。三十世帯に一人の割合で、年間の活動件数は約二万件にのぼる。家庭でのフッ素洗口推進へ保護者の委任を受けて洗口剤を配布する大役を担っているほか、一人暮らしや高齢者などが元気でいるかどうかの確認などをしている。
 百四十五人の食生活改善推進員は、母と子の料理教室、健康教室の各種資料づくり、生活習慣病の予防のほか、高齢者の給食サービスなどを担う。
 生命の貯蓄体操は、三十二名の指導員が会員三百人が集う三十一の教室に赴き、毎日四〜五会場で開かれている。
 十二年度の自覚症状調査からは、体操をしている人の六割に改善が出た。特に、頭痛、肩凝り、腰痛、イライラ、かぜなど、血液循環や気分の安定に効果がみられるようだ。
 マッタリ・ポックリ、総合施設は癒しの場
 【福井県名田庄村国保名田庄診療所・中村伸一所長】
 名田村は人口約三千人、高齢化率は二七・五%。健康なまちづくりは「住民が安心して暮らし、安心して最期を迎える」ことだと思う。PPK(ピンピンコロリ)とは少しちがい、“マッタリ・ポックリ”の村を目指している。医療機関は名田庄診療所(無床)のみで、十一年五月から医師二名体制で二十四時間対応している。
 十一年四月に保健・医療・福祉の統合施設として「あっとほ〜むいきいき館」がオープンした。国保名田庄診療所、開業医歯科(週三日)、国保高齢者保健福祉支援センター、社会福祉協議会が入り、健康づくりの拠点になっている。
 保健事業や介護保険、日常診療のほかに重点的に取り組んでいるのは、住民の交流の場づくりだ。「ビッグマザーの会」は、乳幼児を持つ八割が村外から嫁いできているため、新婚女性や妊婦、乳幼児を持つお母さんの仲間づくりの場を提供している。
 健康祭では、カラオケを一曲歌った後に自分の健康問題を語ってもらったり、ボランティアが介護問題を演じる健康劇、お酒の楽しみ方を知ってもらう「利き酒コーナー」などのほか、施設全体を癒しの場とするため、施設を花でいっぱいにする「花づくりボランティア」などがグループ活動している。
 そもそもは六年に全て手作りで策定した老人保健福祉計画を立てた際に、スタッフが一緒に働けて、住民が集まれる施設がほしいと思うようになった。住民が参加する「福祉懇談会」(村長の私的諮問機関)でも同様な意見が出て、八年に「福祉の森検討委員会」という職員と住民による建設チームができた。
 基本構想の段階から住民と現場職員が参加し、ボトムアップの形で「あっとほ〜むいきいき館」を建設することになった。
 住民の希望踏まえて在宅死、医療費減に
 【長野県泰阜村・松島貞治村長】
 泰阜村は人口二千二百二十八人で、高齢化率は三六%、老健対象者は二六・七%いる。「健康な町づくり」の究極の目的は、「増え続ける国民医療費をどう抑えるか」に尽きると思っている。
 当村の十一年度老人医療費は一人当たり四十六万四千円。長野県の平均は六十四万二千九百五十四円だが、県下百二十市町村の中で、百十八番目に位置している。
 国保税は一世帯当たり五万千二百円で、県下で一番安い。平成元年から、医療費がどんどん下がり、国保税も元年に比べて、半分に下がった。
 当村には、国保直診の医師が一人で二十四時間対応しているほか、隣町には県立と私立の病院もあり、決して医療環境が恵まれていない訳ではない。
 医療費と国保税が低くなった最大の理由は、在宅死が増えたためだ。分析した結果、医療費で一番高いのは、高齢者の終末期医療、延命治療だと分かった。これにメスを入れない限り、増え続ける国民医療費、老人医療費は解決できないと思っている。
 昭和六十年代後半に、国保直診の医師が長寿社会での医療のあり方について、「老いや障害の問題は誰も避けることは出来ない。薬をいくら出しても、その先にあるのは死だ。そうだったら、自宅で死にたいという本人の希望を叶える意味で、何とか自宅で最期を迎えさせてあげる手助けをしたい」という方針になった。
 これからは、老いを認め、障害を持つことを認め、その先の死をどう考えるか―に尽きる。
 そういう観点から、「幸せな尊厳ある生を保障する」という良心的な医療、保健活動が必要になってくる。
 ケーブルテレビで国保事業をPR
 【佐賀県山内町町民保険課・佐々木征男主事】
 山内町は人口九千九百七十三人、高齢化率二一・六%。老人医療費は一人当たり九十三万二千円と高水準で、医療費削減に向けて、保健事業を継続して実施する必要がある。
 具体的な内容を挙げると、在宅ケアの推進事業として、国保連とのオンラインで在宅医療推進支援事業を実施しており、ホームヘルパー、保健婦がパソコンを活用して退院後の健康指導の実施、嘱託看護婦がケース検討会の結果に基づいて訪問指導(十一年度は延べ四百四十七人)をしたほか、歯科衛生士による寝たきり老人への訪問口腔指導を実施している。
 また、自宅にいながら、国保制度の周知と健康づくり事業をPRするため、ケーブルテレビを活用して、「いきいき山内町国民健康保険」を放映している。放映一か月前に、国保、社会教育、保健婦、広報の各担当と協議して、一週間(日曜除く)の放映内容を同じものとし、毎日三〜五回放映している。
 教室を使った保健事業では、地区老人会への保健婦による予防教室で、糖尿病予防教室をはじめ、高脂血症予防教室、ビデオや寸劇による健康教育と血圧測定、またスポーツ舞踊などを実施している。
[助言者]
 一緒に町づくりを
 今井正信氏 国保直診は全国に千三百四十九ある。その中に、実際に医者が活躍している診療所が六百、病院が四百ある。長野は全国ではちょっと違うと解釈している。医者も違うし、住民も違う。医者にかからないし、医者も入院させたがらない。できるだけ在宅で診る医者が多く、モデルとなる地域が多い。
 国保直診の病院・診療所で、住民と一緒に健康づくり、町づくりをやろうという感覚が出てきた。ぜひ、保健・医療・福祉が一体となる形をつくるような方向性を、行政の方から発想してほしいと思う。
 赤字はやむを得ない
 中村仁氏 保健・医療・福祉の町づくりは、首長自らが関心を持って、同時に町の医療機関の先生が一緒に取り組むことで促進される。しかし、町村の医療機関の経営状態はどこも赤字ではないか。先生が一生懸命やっている訳だから、多少の赤字はやむを得ないと思っている。ただ、病院も経営だから、赤字は単年度で処理をする考えで進めている。そして、先生方に負担をかけないように、安心して診療に専念できるような体制を築く必要がある。
 食生活の改善運動を
 松谷満子氏 食生活改善推進員は食生活の改善を推進する人として、日本の風土のなかの食文化を大切にしながら、ボランティアの説明が大変な時代から、次の世代に渡していきたいというボランティア精神で活動してきた。健康で心豊かに暮らせる町づくりとするために、地域住民の一人として、文化を共有する者の一人として、今後も食生活改善運動を推進する必要があると思う。
 介護保険が切り口に
 渡辺芳樹氏 高齢者医療の問題で、本当の狙いというものを、国保・介護の事業の中で実現していく努力を頂いている。レセプトの十億枚の二〜三%を占める終末期医療で、医療費の三〇%を消費している。高齢者医療の問題、自分の一生を締めくくる時に求められている医療とは何なのか―を問う必要があるが、ひとつの切り口が介護保険の充実だと思う。
 数字は結果なので、出てくる前の姿を大事にしなければならない。家族と地域の変容を踏まえた地域の組織づくり、人材育成、事業計画という基礎的な動作なしには、“保険官僚的な数字”の改善はみられない。
2000年09月01日

■国民健康保険中央会 20001001 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200010010290.htm

健康フォーラムを開催/奮って御参加を
 国保中央会は社会経済生産性本部との共催で十月十九日午後、国民の健康への意識改革を推進するための「ミレニアムヘルスフォーラム」を設立し、記念シンポジウムを東京・平河町の日本都市センターで開催します。「PPK(ピンピンコロリ)を目標に健康観の革命を」をメインテーマに、青山英康・岡山大学名誉教授の基調講演(「人生八十年時代の健康管理」)と、医事評論家の水野肇氏を司会に、厚生省・佐〓進健康増進栄養課長、国保中央会・田中一哉企画部長、東北大学・辻一郎医学部助教授、長野県佐久市・三浦大助市長、日本経済新聞・渡辺俊介論説委員―の各氏が意見交換するパネルディスカッション「PPK―健康寿命が目標」が展開される予定です。参加費は無料ですので奮って御来場下さい。
※詳細は、社会経済生産性本部 電話03―3409―1178までお問い合わせ下さい。
2000年10月01日

■国民健康保険中央会 20001110 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200102200420.htm

PPKを目標に健康観の革命を/ミレニアムフォーラムを開催 社会経済生産性本部・国保中央会
 国保中央会と社会経済生産性本部は十月十九日、東京・日本都市センター会館でミレニアムヘルスフォーラム「PPK(ピンピンコロリ)を目標に健康観の革命を」を開催した。「人生八十年時代の健康管理―自立・共生・尊厳―」をテーマにした岡山大学青山英康名誉教授の基調講演のほか、「PPK(ピンピンコロリ)―健康寿命が目標」を主題としたパネルディスカッションが展開された。
同フォーラムは、「健やかな時間と空間を持てる状況」を健康ととらえ、そのために何ができるかを模索する目的で開催されたもの。健康を守ることを家庭人、社会人としての責務と位置付け、今後の高齢化に対応したライフスタイルのあり方を巡って意見交換した。
 開会挨拶で生産性本部の折田在央理事長は、「何のための健康か、目的と方法が混同されている。山積する医療問題に対応するためには健康に対する視点そのものを変えていかねばならない」と訴えた。
 基調講演では青山名誉教授が、「少子・高齢社会への変化があまりにも急速であり、混乱と矛盾が起きている。現状に的確に対応するためには、保健医療福祉の各分野の専門職だけではなく国民一人ひとりの創意・工夫が必要」と述べた。
 そのうえで、実現には(1)地域福祉(2)生活指導に重点を置いた効果的な保健事業(3)保健医療福祉の連携強化による包括ケア―などの推進が必要と指摘。「二十一世紀の健康とは自らの健康状態を正確に把握し、生きがいを持って充実した日々を過ごすことであり、健康に対して明確な目的意識と自主性を持っていることである」と位置づけ、自立・共生・尊厳をキーワードに健康に対する意識改革の必要性を強調した。
 生活習慣病対策は社会全体で対応を
 パネルディスカッションは医事評論家の水野肇氏を司会に、パネリストとして厚生省・佐柳進保健医療局地域保健・健康増進栄養課長、国保中央会・田中一哉企画部長、東北大学医学部・辻一郎助教授、長野県佐久市・三浦大助市長、日本経済新聞・渡辺俊介論説委員の五氏が出席した。
 佐柳課長は「日本は世界に先駆け史上類を見ない超高齢化社会を迎える。健康寿命をできるだけ伸ばすためにも社会ぐるみで生活習慣病対策を講じていかなくてはならない」と述べた。また、平成二十二年までの国民健康作り運動として展開中である「健康日本21」については、「今般開設したホームページへのアクセス数も順調に伸びており、国民全員を巻き込んで大いに運動を盛り上げていきたい」と抱負を語った。
 田中企画部長は、国民が健康になることが何よりの医療保険の財政安定になると位置づけたうえで、(1)住民を保健事業にボランティアとして参加させ、健康に関する知識をつける(2)規則正しい生活、積極的な社会参画で健康寿命を長くする(3)温泉の活用でコミュニケーションの場を作る―などの案を挙げ、「行政のトップダウンではない民間活力を利用することで健康作りへの活路が開けるのではないか」と提起した。
 辻助教授は喫煙・運動等の生活習慣の違いによる医療費の違いを例示したうえで、「将来の危険を訴えてもリアルタイムの問題として、生活習慣病を位置づけないと患者の意識は変わらない。何のための、誰のための健康かということを議論していく必要がある」と指摘した。
 三浦市長は健康長寿都市宣言をした佐久市の現状に触れ、住民との交流の中で「健康長寿の秘訣は自然体であると感じた」と述べた。生活習慣を変えることは一朝一夕にはいかず、個人の生活観に入り込めない部分を感じると限界を訴えた。今後の高齢社会では、痴呆症への対策が焦点になるとの認識も示した。
 渡辺論説委員は、地域保健事業の展開だけではなく職域における保健事業を展開する必要性を強調。ノウハウのない職域保健事業を推進するには地域保健事業との連携が必要とした。「煙草は駄目だ、酒は控えろなどと言われてもなかなか止められない。だから体に良いものを求めて健康ブームになっているのではないか」と行過ぎた健康管理のマイナス面を示した。
 五氏の発言を受け、司会の水野氏は「老後が二十年も三十年もある時代では自分自身で健康管理していかなくては健康な老後を送ることは難しい。これからは個人個人で健康を追究していく『個の医学』の時代となっていく」と語り、個々人の健康観の変革を地域・職域における保健事業で後押ししていく重要性を再確認して幕を閉じた。
 [国保中央会・田中一哉企画部長発言]
 温泉活用のヘルス事業にメリット大
 国民皆保険制度はいつでもどこでも国民すべてが医療サービスを受けられる世界に誇る制度である。しかしこの制度は今きわめて危ない状態にある。最大の要因は少子高齢化であり、高齢化が進む社会における老人医療費の急激な伸びが保険制度を圧迫している。皆保険体制を維持するためには高齢者医療費を抑制しなければならない。
 政府も医療制度改革、診療報酬制度、薬価基準見直しと平成十四年を目途に様々な医療制度改革に取り組んでいるが、先が見えないというのが現状である。医療制度改革では根本的解決にならず負担者が変わるだけであり、長期的な財政安定につながらない。まずは国民、地域住民が健康にならないと根本的な解決には至らない。保健事業などを通じて住民自らがきちんとした健康に関する知識を持てば結果として長野県のように医療費は下がる。
 中央会で全国三千二百人余りの平均年齢八十三歳の元気な老人を対象に、どのような生活を送っているか調査したことがある。八五%以上の人に共通したことは、規則正しい生活、外に出て積極的に人と交流すること、生きがいを持っていることなどである。こういった元気なお年寄りを作る必要条件を満たすには温泉を活用することである。実際に温泉を活用している市町村をめぐると「朝千円札一枚持って温泉に行かせれば、清潔になったうえ、ゆっくり人と話せて気分もリラックスでき、とても満足できる」という声が聞かれる。病院診療所が老人のサロンになったと言われて久しいが、これからは温泉をサロンにしていくと良いと思う。そして、ボランティアの力を上手く活用することが大事だ。
 行政のトップダウンでは限界がある。住民が自分達のために、という意識を持って活動しないと長続きしない。どのようなボランティアを育てていくのかが今後の保健事業の鍵となるのではないか。
 [長野県佐久市・三浦大助市長発言]
 長寿の秘訣は自然体
 九十歳以上の人とよく接するが、何故こんなに健康なんだろうと考える。おそらく自然に帰って自然と共に生きることが長生きの秘訣なのではないかと思う。
 市で行う保健事業のイベントで最近は血圧測定よりも糖尿検査の方が人気がある。糖尿病は万病のもとでとても怖いという意識は民間に浸透してきた。
 実際に検査をしてみると健康だと思ってやってきた人の中でも五〜七%は検査に引っかかる。五、六十代の人はこれからの老後のことを考えアドバイスを真剣に聞き、七十代、八十代の人は「倒れて家族に迷惑をかけては」という思いであることをよく聞く。
 しかし九十代ともなると健康などというものは考えていない。自然に接して好きなように生きている、という感じがする。このように年齢階級によって健康観は全然違う。
 佐久市では毎年五百人ほどいる一年間医者にかからなかった人を長野県医師会と連名で表彰している。やるべきことをやって健康長寿日本一の都市となっている。
 健康には個人の要素も強く入り込めない部分がたくさんある。逆にそこに何か新しい健康に対するアプローチ方法があるのではないか。
2000年11月10日

※[引用者注]以下はシンポジストの参照情報。
◆青山英康(岡山大学名誉教授)
http://www.primary-care.or.jp/hiroba/aoyama/aoyamapage001.htm
◆水野肇(医事評論家)
http://www.arsvi.com/w/mh04.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/mizuno.htm
◆佐柳進(厚生省・保健医療局地域保健・健康増進栄養課長)
http://www.health-net.or.jp/kenkozukuri/healthnews/010/010/k1324/index.html
◆辻一郎(東北大学医学部)
http://www.pbhealth.med.tohoku.ac.jp/room/tsuji.html
◆三浦大助(長野県佐久市・市長)
http://www.city.saku.nagano.jp/index.html
◆渡辺俊介(日本経済新聞)
http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=10749

■国民健康保険中央会 20010110 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200101100010.htm

「国保論壇」埼玉県立大教授 宮武 剛
世紀を超えてどう歩むか「病院で死ぬ」のは幸せか
 「どこでお生まれですか」、そう聞くと、東京生まれの中に、ごくわずかだが「日赤で」とか「聖路加病院です」と答える人がいる。
 逆に「(ご両親は)どこでお亡くなりになりましたか」と聞けば、大半は「病院で」と答えるだろう。何しろ日本人の八〇%は病院で死ぬ(うち二・九%は診療所)。
 二十世紀の半ば、一九五一(昭和二十六)年には自宅で看取られる人々が死亡者総数の八二・五%を占め、病院での死亡は一一・七%(うち診療所二・六%)にすぎなかった。
 戦い破れた瓦礫(がれき)の街に孤児がさ迷う時代を抜け出し、高度経済成長と国民皆保険体制へ漕ぎ着ける。この六十年代から次第に自宅での死去は減り続け、七十年代半ばには半数を切った。
 二十世紀後半の平和で豊かな日本は、食生活の改善や医療・保健の普及・充実を実現し、目を見張る乳幼児死亡率の低下や平均寿命の伸びをもたらした。
 その象徴的光景のひとつが「病院で生まれ、病院で死ぬ」ことなのだろう。しかし、世紀の区切りを超えて歩み始めた今、生死ともにひたすら病院に頼るのは、本当に幸せなことなのか、と改めて問い直すべきではないのか。
 [老後を支えるメニューづくり]
 保健・医療・福祉の連携に取り組む先進地域のひとつ、新潟県南魚沼郡大和町を初めて訪ねたのは十年近く前だった。町立「ゆきぐに大和総合病院」の斉藤芳雄院長(当時)に「ざっと三十年がかりで、いったい何をやってきたのですか」と、不躾(ぶしつけ)な質問をした。
 いつもは早口の斉藤さんだが、しばらく考え、「結局、死に場所づくりをやってきたのでしょう」と言われた。
 なるほど、自宅で看取ってほしい人には「往診」「訪問看護」「訪問介護」を繰り返す。病院に運ぶほかない人には当の立派な総合病院がある。特別養護老人ホームを「終(つい)の棲家」にしてもよい。老人保健施設やホスピスもある。
 世の去り方にも「メニューが必要で、住民たちに、できるだけ自由に選んでもらえるようにしたい」。その結果、大和町では自宅で逝く人が近年も四割前後いる。目からウロコが落ちた思いがした。同時に「病院万能」の流れに棹(さお)さして、さまざまなメニューをコツコツと用意するのが、どんなに大変だったか、素人なりに少しは分かる。
 斉藤さんの著書には、文字通り「死に場所づくり」(教育史料出版会)がある。この命名に抵抗があるなら「老後を支えるメニューづくり」と言い換えてもよい。
 [質量ともに「選べる」か]
 九九年の厚生省資料で見ると、全国平均の「自宅死」は一五%、病院(診療所を含む)は八〇%、老人ホーム一・七%、老人保健施設〇・四%、その他二・九%。
 全国で「自宅死」の最低は、北海道の八・四%(病院八七%、老人ホーム一・三%、老健施設〇・三%等)、次いで福岡県、長崎県、高知県と続く。
 逆に、高いのは「PPK」(ピンピンコロリ)で名高い長野県の二二%(病院七一%、老人ホーム三・九%、老健施設〇・九%等)を筆頭にジ賀県、新潟県、山形県の順である。
 これに国民健康保険医療費マップの都道府県別地域差指数(九八年度、年齢構成の影響を除いた指数)を重ねてみる。
 「病院死」の多い北海道の医療費は全国一位、福岡県二位、長崎県四位、高知県六位と上位を占める。逆に「病院死」の少ない長野県の医療費は全国四六位、ジ賀県三八位、新潟県三三位、山形県四三位と下位に並ぶ。
 弓なりの列島は、さまざまに自然条件が異なる。人口分布、所得の差、医療機関の配置には、さらに激しいデコボコがある。粗診・粗療に陥っても困る。このマップだけで医療費の適否を即断されることには異論もあるだろう。しかし、もうひとつ「老後を支えるメニューマップ」をかぶせることで、地域医療・地域福祉の現状と目指すべき道筋を把握できるはずだ。
 一九六一年の「国民皆保険」を契機に医療保険と医療サービスが二人三脚で普及・充実していった歴史を、世紀末に歩み始めた介護保険と介護サービスが再現できるかどうか。単に医療費の高低を問題にするのではない。住民たちが晩年を託したいと願う保健・医療・福祉のサービスが、地域にどれだけ整っているか、を問うのだ。
 現在の市町村域に閉じこもって自給自足の体制は作れそうにない。市町村の連携や広域化によって、保険集団の規模のメリットを生み出し、安心して暮らせるメニューを重複しない形で幅広く用意したい。
 医療保険制度の改革がどう動こうと、この基盤なしに二十一世紀は乗り切れない。
 筆者略歴=【一九四三年生まれ、六八年毎日新聞社入社、科学部長や論説副委員長を経て九九年、新設の埼玉県立大学に転じ社会福祉学科教授(社会保障論、社会福祉原論)。近著に「年金のすべて」(毎日新聞社)や「改定新版・介護保険のすべて」(保健同人社)等】
2001年01月10日

■国民健康保険中央会 20010120 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200101200040.htm

“国保ここにあり”日々の業務充実を 北郷理事長
 国保中央会の北郷勲夫理事長は全国事務局長会議で挨拶に立った。(要旨次のとおり)
 昨年は介護保険が始まり大変だったが、みなさんの努力もあり、どうにか今日を迎えている。補正予算による介護審査支払システムの強化改善では、新しい機械を導入して、処理スピードをよりアップしたいということだ。
 レセプト全体の約一割を占める調剤の処理が電算で出来ることは大きいので、薬剤師会などとも調整して進めていきたい。
 医療保険であるが、財政問題は老人医療制度、高齢者の医療費の伸びをどう抑えていくのかに尽きる。一部負担をさらに明確にしていくことや、医療提供体制、診療報酬改正などいろいろな事を全てやっていかねば片づかない。
 その一環として、地域保険の国保として保健事業やPPK(ピンピンコロリ)に真正面から取り組むべきであろう。市町村や連合会でやることはやっていかないと、一本化の主張も認められない。外部からも評価される事業展開が必要であり、保健事業、新国保三%推進運動、審査支払業務など総合的にキチッとやっていくことで、結局は真価が問われる。“国保ここにあり”の考え方で新しい年に向かっていきたい。
2001年01月20日

※[引用者注]北郷勲夫
http://event.yahoo.co.jp/tokyo2016/plan/pop19.html

■国民健康保険中央会 20010320 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200103200270.htm

健康日本21推進全国連絡協議会設立総会開く/会長に加藤陸美健康・体力づくり理事長
 「健康日本21」を民間から推進するために、健康関係団体など百五団体が会員となって組織する「健康日本21推進全国連絡協議会」が三月十四日、都内で設立総会を開いた。会長に加藤陸美健康・体力づくり事業財団理事長を互選したほか、活動基本方針として、(1)会員間の連絡協議・情報交換(2)国民への幅広な普及啓発活動(3)生活習慣の改善を目指す国民への支援環境の整備―を承認した。なお、国保中央会も加盟し、櫻井正人常務理事が二十五名いる幹事役に就いている。
 全国連絡協議会の立ち上げは、十二年度からスタートした「健康日本21」を民間の立場から盛り上げていくことが目的。去る二月二十六日に、国際医療福祉大学の大谷藤郎学長や国保中央会の櫻井常務理事など地域、医療、マスメディア関係者二十五氏が発起人となり、関係団体に参加を呼び掛けた結果、百五団体が集まったもの。発起人二十五氏は加藤会長から幹事に指名された。
 総会では、健康日本21を推進していく活動基本指針を了承。会員各団体の事業内容などを相互に把握しながら新事業の可能性も探っていく「連絡協議・情報交換」をはじめ、国民へのPR活動を徹底していく「『健康日本21』の国民的理解の醸成に資する活動」、実際に生活習慣を改善しようとする個人の健康づくり環境を整備する「国民の健康づくり支援環境整備に資する活動」―などを全会一致で確認した。なお、今後の具体的な活動については、幹事会に一任されたうえで、十三年度に開く次回総会で協議することとなっている。
 一方、厚生労働省の篠崎英夫健康局長は来賓挨拶と記念講演をした。連絡協議会の立ち上げについては「十二年度から二〇一〇年までの健康づくり運動がスタートしたが、諸準備もあり、今日が実質的に全国展開していく大きな節目の一つになる」と歓迎した。
 講演では「健康日本21」の内容を説明するなかで、「NNK(ネンネンコロリ)はやめて、PPK(ピンピンコロリ)でいきたい」と述べ、世界トップレベルにある平均寿命(八十歳)と健康寿命(七十四・五歳)との格差を縮める意図を強調した。
 さらに、「健康日本21」は個々人の生活習慣改善が中心となるため、参加団体が社会的にサポートしていくなど環境整備への協力を要請した。
2001年03月20日

※[引用者注]上記の組織は以下参照。
◆健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)
http://www.kenkounippon21.gr.jp/
◆健康日本21推進全国連絡協議会
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kyogikai/0_top.html
◆財団法人 健康・体力つくり事業財団
http://www.health-net.or.jp/zaidan/index.html

■国民健康保険中央会 20060820 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200608200070.htm

地域・家庭を見据えて 重複多受診の訪問指導事業/神奈川県秦野市 越光森茂市民健康課長
 秦野市は人口16万8000人、高齢化率は16・7%の中核都市。国保加入者は世帯数2万9710世帯、被保険者数は5万7299人で、景気低迷等で増加傾向にある。
 医療費も増加している中、15年度から神奈川県国保連の支援を受け、「重複・多受診者等の訪問指導事業」を開始した。同診療科目を1か月に3か所以上受診した重複受診者、1か月に同一医療機関を15日以上受診した単月多受診者(秦野市の条件設定)に対する訪問指導事業だ。
 適正な受診行動を促し、医療費の抑制を得ることが目的で、事業では、対象者を訪問実施者とそれ以外に分けてそれぞれの効果について比較・分析を試みている。
訪問看護師による訪問が一定の効果
 訪問開始前の入院者割合と比較すると、重複受診者の訪問実施者については1年後の入院割合が低くなった傾向があるが、多受診者については有意差は認められなかった。
 生存と死亡の追跡調査では訪問群の方が明らかに長生きという傾向が出ている。また家族などと悩みをじっくりと話し合う機会が少ない方が多かったため、訪問看護師による訪問が一定の効果を上げた。
 重複受診・多受診者等の訪問指導事業から学んだことは、生活習慣、行動の変化を目指して行動しているが、目標を達成するためには、地域や家庭内の関係性にまで着目していく必要があるということだ。長期療養型の病床が減って、地域見守り支援の方に医療が改正されようとしている現在、その実用性は極めて高いと考えている。
 国保の退職被保険者にアンケート調査も実施しており、自分のことを健康だと思っているのかという健康感と行動パターンをクロスでまとめた。交友関係が広いほど、挨拶を交わす機会が多い人ほど健康感が高かった。また外出頻度が多い人ほど健康感が高い傾向が表れている。
 健康だから挨拶し、外出するのかと思ったが、実はキーワードは本人の健康感だと思っている。本人の健康感は活動的な人でも不健康であるということもあるし、体の自由がきかない人にも健康だという方がいらっしゃる。PPK(ピンピンコロリ)は実際に楽しく充実した生活を目標にして生活をおくることが健康感につながる。
 退職者の事業から学んだことは、女性中心の運動だけでなく、退職者なども含んだ住み良い町づくりを宣言した健康づくり運動の展開が有効だったということである。
2006年08月20日

■国民健康保険中央会 20060820 『国保新聞』
http://www.kokuho.or.jp/kokuhosinbun/200608200130.htm

〈第48回全国都市国保主管課長研究協議会から助言者〉保健国保 介護予防も念頭に 1人の人生を見据えて健康づくりを/全国保健師長会 村田昌子会長
 いままでの老健事業のやり方が必ずしも良しとされていなかったことも認識しなければならない。個々の市町村で取り組んできたが、なかなか行動変容につながらなかったことへの反省がある。1人ひとり気がついたらかなり健康値でいろいろな問題が出てきているなかで、いかに専門家が理解させていくことに難しさがある。今後、今の老健事業をどのように変えていくのか、分析していくのか、保健師の立場から話したい。
 遠野市の事例は高齢化率31・4%と高いことだ。自分たちの市をどういう形に持っていくのか、「PPK」(ピンピンコロリ)を目標としたがそのためには今何をしなければならないのか。いろんな人たちが共通理解を持って自分たちの最終行動を何処に持っていくのか、固めておく必要があると思う。
 遠野市は肥満解消を目的とした運動教室を実施し、地域の医師が積極的にかかわって地域に根ざしていることはなかなか良い。ただ参加者が65歳〜69歳と高齢の方が多い。40歳から保健事業をした場合にどういう取り組みをしてきたのか分析する必要がある。そのうえで、肥満解消教室をするにはどこにターゲットを絞って要医療にならないようにすることが大事だ。
 また体重減少率で7割近くの人が目標を達成したが、それ以外の上手くいかなかった人、失敗した人は何故そうなったのか分析することも必要だ。次のステップに活かすためにも重要だ。
 運動で効果が得られるのは、エビデンスとして重要だが、この成果を一般の住民に運動することで、食事の保健指導でこれだけの効果があるということを地域に広めていかなければならない。伝えていくことが行政の役目でもある。
 運動の参加者がボランティアとして加わっていたが、地域に広めることは非常に重要な事例だ。
 秦野市の事例では、国保とヘルスの連携は今後、特に整合性を持って取り組むことは大事になってくる。もうひとつ「退職者世代を対象とした健康づくり事業」があるが、男性は地域にかかわりが少ないので、退職をする前に地域に出たときに、地域の中で保健事業をどうのように持っていくのか考えなければならない。
 そうなると職域にいる時から地域との関係をどう持つか、保健師が目標を何処に持つか、また異なった健康づくり組織がでてくる。地域に保健師が出て行かないと分からない問題になる。地域のなかで状況を掴むには日頃から歩いていることが大事だ。
 もう一点は、保健事業も行政が何時までも関与するのではなく、どこかで手を放さなければならない事態がくる。地域の力は大事になるが、手を放していくことも考えなければならない。
 多受診と訪問指導事業は、同一疾病で多受診を訪問群と訪問群でないのと分けてみるのもひとつの方法だろうし、もうひとつは200万円以上など医療費が高い人たちをレセプトから抽出して、そこに到った道筋はどうだったのか、いつから病気になったのか、ずっと追いかけるといい分析が出てくるのではないかと思う。
 有田市は、どういう方向で保健事業を展開していくのか、保健事業のガイドラインを作成していかなければならない。生活習慣病の医療費分析で高血圧、高脂血症など多いことを出しているので、いろいろな保健事業で介入することでどう変わってきたのか、この評価があるといいと思う。
 健康教育、保健事業は様変わりして構わないと思う。集団健康教育をしても毎年毎年、同じ保健師が出てきて同じことを話すと、住民は「またか」と飽きてしまい、誰も行きたくなくなるものだ。
 やり方も、個別健康教育も本人が納得する形でするにはどういう工夫をしたらいいのか。住民と検査結果をみて一緒に勉強して健康教育を努めるうちに、住民同士が互いに検診結果を見て勉強を重ねるうちに少しずつ変わってきた事例もある。またメールを活用した保健指導のやり方もある。そのなかで評価が大事になってくることを学んだ。
 山陽小野田市は、病床数が958床あって恵まれたところだと思う。ただ医療は軽症のうちにかかることが大事だ。高額医療になる前に早期の予防を中心に考えていかなければならない。
 いきいき水中運動教室に取り組んでいるというが、全国的には人気は高まってきている。街の中にスイミングが多く出来るところと、数が1か所しかないところでは取り組み方が違ってくると思う。参加者が絞られてくるので、例えば学校を利用するなど、取り組み方を考える必要がある。
 また運動だけで、食を併せて考えなかったのは問題が出てくるので、食事も含めていかないと効果は難しいと思う。
 健康推進員の養成講座を開いても、なる人が少ないのは、健康づくり自主サークル活動の目的が共通理解されていないからだ。健康づくりは色々な形があることや、推進員の力を借りて住民に健康づくりを広げていく形になると、やはり活動が注目を浴びる表舞台が重要になってくると思う。
 現在は、保健の分野だけでは出来ない分野が多くなってきた。国保の分野と介護予防も念頭に置かないと、1人の人間は人生を送るときにヘルスを受けたり、病気になって医療を受診したり、介護を受けたり、行ったり来たりなどさまざまな関わりがある。
 行政が一部分だけを採り上げるのは人間を分断することになる。今後の1人の人生の20年、30年を見通して考えることが大事だ。これから国保は保健師を活用するところが出てくるだろうが、国保とヘルスで連携がなかった過去の轍を踏まないで貰いたい。
 これから市の健康づくりを進めるには、一般と国保と上手く組織体制を構築し、どういう健康づくりをするか首長を交えて、庁内で共通理解を得て検討して欲しい。役割分担はその上でのことだ。
2006年08月20日

※[引用者注]上記の組織は以下参照。
◆全国保健師長会
http://www.jpha.or.jp/nacphn/

■349 ■071230 [ml-prosemip 6241] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→山口昇(天田)

天田です。
山口昇氏の以下の書籍における「寝たきり老人」の言及については別便にて。
→ここは意外に面白いところですよ→老い研の皆さんほか

◆山口昇 19920501 『寝たきり老人ゼロ作戦』,家の光協会,222p. ISBN-10: 4259543954 ISBN-13: 978-4259543952 1325.
http://www.amazon.co.jp/dp/4259543954/

◆略歴
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/yamaguchi.htm
公立みつぎ総合病院、御調町保健医療福祉管理者
昭和37年3月 長崎大学大学院医学研究科修了
昭和59年11月 公立みつぎ総合病院 院長
平成5年10月 御調町保健福祉管理者(病院長兼務)
平成14年4月 全国国民健康保険診療施設協議会常任顧問
平成15年4月 全国老人保健施設協会名誉会長

またしても以下からの紹介。読んで特段に何かというものでは全くありませんが、山口氏が取り組んできた実践がその後(時として)どのような話へと接合してしまうのか、更には、他の「寝かせきり批判」「寝たきり老人ゼロ作戦」を言っていた人たちはどのような話へと帰着しているのか、などを考えていくことはそこそこ面白いと思います。そのための、一応の簡単なご紹介ということで。
それと老人保健施設協会をはじめとする諸々の組織の動きなども合わせて考えてみるとよいでしょう。

――――――――――――――――
■国民健康保険中央会
http://www.kokuho.or.jp/

■健康ワンポイント
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/index.htm

■『寝たきりゼロを目指す医療』
公立みつぎ総合病院、御調町保健医療福祉管理者 山口 昇先生
インタビュアー ニッポン放送アナウンサー 那須恵理子
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030317.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030318.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030319.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030320.htm
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030321.htm

■4日目『理想の死はピンピンコロリ』
http://kk.kyodo.co.jp/kenko/thema/20030320.htm

――今日は「理想の死はピンピンコロリ」というお話なんですけれども、たしかに健康に暮らしていて寝たきりにならないで、コロッというのが一番いいと思うんですが、なかなか難しい。
山口  おっしゃるとおりでしょうね。だから、いくら平均寿命が世界一になって延びても、寝たきりで長生きというのはあまり感心しませんよね。だから、やっぱり病気にならないようにしよう、これが一番だと思います。それが国の「健康日本21」、こういう一次予防という、せめていわゆる生活習慣病をなくそうと。
――でも、やっぱり年を取ればあちこち具合の悪いところが出てきますし、けがもしますし。
山口  おっしゃるとおり。一次予防だけではやっぱり不十分。いったん病気をしたときに、それが寝たきりにならないようにすること、これが2番目に大事になるわけですね。
――寝たきりになったりとか、介護のお世話になったりというのは、周りも大変ですけれども、本人もつらいですよね。
山口  とにかく病気にならないようにすること、しかし、なっても寝たきりにつながらないようにすること、この2つが大事なんじゃないでしょうか。
――そのためにはどうしたらいいか。
山口  そういうことで国は「健康日本21」を作りましたけれども、御調町では国の「健康日本21」に「介護予防」というのをプラスして、「健康御調21」というのを作っています。それから、一次予防プラス介護予防ですね。この2つで、できるだけ寝たきりの期間を縮めていくというのが、健康寿命を延ばすということにつながっていくんだろうと思いますね。そういう意味では寝たきりを防止して、そして一次予防を徹底させながら寝たきりにならないようにして、そしてピンピンコロリと、このような発想が必要になるんじゃないでしょうか。
――病気にならずに、なってもリハビリをすることで寝たきりにならないようにして。
山口  おっしゃるとおりで、私は「長命」、単なる長生きと「長寿」は少し違うと思っているんです。
――長い命と長い寿という長寿ですね。
山口  昔から、還暦、「古来まれなり」古希の70歳に始まりましたね。そして77歳の喜寿、88歳の米寿、卒寿、と「寿」がみんな付いていますよね。この寿というのは単なる長命じゃないと思うんですね。やっぱり人間としてまともに、自分の一生を終えて良かったなと思えるような、そういうふうなのがやはりピンピンコロリにつながる発想なんじゃないかなと思います。
――先生、今日の「健康ワンポイント」お願いします。
山口  「寝たきり防止で天寿をまっとう」。

■350 ■071230 [ml-prosemip 6243] 『寝たきり老人ゼロ作戦』(天田)

天田です。
前便の山口昇の著書からの引用。あくまでも参考資料として。

また、後日、MLしますが、「寝たきり老人」はどのような基準で「寝たきり老人」とされていったのか、あるいはその場合、以下の向井本でもごく一部を紹介したように
http://www.arsvi.com/b1990/9003ms.htm
どのようにお金が(家族あるいは病院・施設に)支払われたのかについても知っておくことが大切です。

――――――――――――――――
◆山口昇 19920501 『寝たきり老人ゼロ作戦』,家の光協会,222p. ISBN-10: 4259543954 ISBN-13: 978-4259543952 1325.
http://www.amazon.co.jp/dp/4259543954
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9920245410&REFERER=0

地球包括システムをどう築くか。
21世紀・長寿社会への指針を提示する。

第1章 医療の出前が始まった
第2章 御調町と病院のあゆみ
第3章 地域包括医療と病院経営
第4章 寝たきり老人ゼロ作戦の展開
第5章 キーワードは「地域包括システム」
第6章 地域ぐるみのネットワークづくり
第7章 安心できる長寿社会の設計

■引用
「平成3年「寝たきりゼロへの10か条」(山口 1992:126-128)

「従来、わが国では寝たきりの程度を判定する基準がなかった。その地域で、また判定する個人によって、それぞれがばらばらな判定をしていた。御調町でも今から一〇年前までは判定基準がなく、したがって民生委員が寝たきりと判定した老人が、保健婦が行なってみると庭まで下りていたり、まだ逆に寝たきりではないと判定された老人が、実際には寝たきりであったりということがあった。そこで御調町では数年前からADLの程度によってこれを点数化し、その点数によって寝たきりか否かを判定するようにした。このことにより、かなり客観的に判定されるようになった。
 国も公衆衛生審議会の答申を得て、平成三年一一月、「障害老人の日常生活自立度(寝たきり度)判定基準」を作成した。私もその作成委員の一人としてこれに関与したが。要はいつでも誰でもどこででも判定できるものを作ろうという発想であった。今後はこれにより寝たきり度が判定され、平成四年度から五年度にかけて策定される予定の地方老人保健福祉計画にもこれが適用されることになった。
 新しい判定基準では、起居移動にウェートを置いて、全体を四つのランクに分けている(表16参照)。まずランクJは、なんらかの障害は有しているが日常生活はほぼ自立<131<<【表16】132<<【表17】133<しているグループである。ランクAは、いわゆる閉じこもり(House bound)であり、準寝たきりに属する。ランクBは、車椅子では移動できるが
なんらかの介助を要するグループ(Chair bound)であり、ランクCは、ベッドから離れることができないbed boundである。そして、これらをさらに二つの程度に分けている。また、
これら四つのランクに加えて、七種類のADLの程度により必要なサービスを選択できるようになっている(表17参照)。従来の五種の介助に整容と意思の疎通を加えたものである。
 私たちはこの寝たきり度の判定基準に当てはめてみたところ、表16に示したとおりで、そのランク別とは得点はほぼ一致していることがわかった。私たちは、こうして従来のADLの程度で判定する点数制と今回の判定基準との整合性を図ることができた。
 次に寝たきりにならないために、私たちの病院では具体的にどのような方法を行なっているか、少し紹介してみたいと思う。原則的には国が作った「寝たきりゼロへの一〇か条」で十分であるが、私たちは本人向けと家族向けの十か条を作っている(一三九〜一四一ページ参照)。病院のお年寄りのおられる人たちに、あるいは何かの参考になるかもしれない。」(山口 1992:130-134)

――――――――――――――――
【関連情報】
■厚生省 199204 『厚生白書(平成3年版) 広がりゆく福祉の担い手たち――活発化する民間サービスと社会参加活動』,厚生問題研究会,ぎょうせい発売,432p. ISBN-10: 4324033102 ISBN-13: 978-4324033104 1631.
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199101/
http://www.amazon.co.jp/dp/4324033102

第1編
第3部  厚生行政の動き
第1章  保健医療・福祉サービスの総合的な展開
第1節  地域における高齢者の保健・福祉サービスの総合的な推進
1  高齢者の保健・福祉サービスの積極的な推進(高齢者保健福祉推進十か年戦略の展開)
(3)  寝たきり老人予防対策
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz199101/b0082.html

「寝たきりゼロへの10か条
 寝たきり予防に向けた啓発活動や寝たきり予防のための総合的な施策を柱とした「寝たきり老人ゼロ作戦」を効果的に展開するため,啓発活動の一環として,「寝たきりゼロへの10か条」を平成3年3月に策定した。
第1条 脳卒中と骨折予防寝たきりゼロへの第一歩
第2条 寝たきりは寝かせきりから作られる過度の安静逆効果
第3条 リハビリは早期開始が効果的始めようベッドの上から訓練を
第4条 くらしの中でのリハビリは食事と排泄着替えから
第5条 朝おきて先ずは着替えて身だしなみ寝・食分けて生活にメリとハリ
第6条 「手は出しすぎず目は離さず」が介護の基本自立の気持ちを大切に
第7条 ベッドから移ろう移そう車椅子行動広げる機器の活用
第8条 手すりつけ段差をなくし住みやすくアイデア生かした住まいの改善
第9条 家庭でも社会でもよろこび見つけみんなで防ごう閉じこもり
第10条 進んで利用機能訓練デイ・サービス寝たきりなくす人の和地域の和
 このほか,全国6か所で厚生省と県が共同して「寝たきり防止シンポジウム」を開催したり,平成3年度から全都道府県に「寝たきりゼロ推進本部」を設置するなどして「寝たきり老人ゼロ作戦」を実施している。」(厚生省 1992)

■351 ■071230 [ml-prosemip 6244] 『新寝たきり老人ゼロ作戦関係通知集』(天田)

天田です。
前便に関連するものの一つとして以下。
介護保険法制定との絡みで考えるとよいです。

――――――――――――――――
◆厚生省老人保健福祉局老人保健課 199812 『新寝たきり老人ゼロ作戦関係通知集――各種保健福祉サービスの概要』,日本法令,452p. ISBN-10: 453971614X ISBN-13: 978-4539716144 2900.
http://www.amazon.co.jp/dp/453971614X/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9972073335&REFERER=0

【内容(「MARC」データベースより)】
新寝たきり老人ゼロ作戦の概要から、老人保健法や老人福祉法、介護保険法などの関連法令、各通知までを一冊にまとめる。参考資料として、高齢者保健福祉推進10か年戦略の見直し、介護保険制度概要を付す。

概要(新寝たきり老人ゼロ作戦体系図;新寝たきり老人ゼロ作戦の概要;寝たきり老人等の状況 ほか)
法令(老人保健法;老人福祉法;介護保険法 ほか)
通知(新寝たきり老人ゼロ作戦総合推進事業の実施について;新寝たきり老人ゼロ作戦普及啓発推進事業の実施について;「寝たきりゼロへの10か条」の普及について ほか)

■352 ■071230 [ml-prosemip 6245] 『介護保険の知識』(天田)

天田です。
以下のメールに記した渡辺俊介の著書は以下。
(それ以外もたくさんありますが、取り急ぎということで)

>Subject: [ml-prosemip 6240] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→『国保新聞』(天田)
>
>[略]
> ◆渡辺俊介(日本経済新聞)
> http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=10749

「第4章 先例に学ぶ」の「2 グラッドサックス市のケース」「6 介護の充実で医療費を削減」、「4 日本の介護先進地域・御調町」のあたりを参照。

――――――――――――――――
◆渡辺 俊介 19970512 『介護保険の知識』,日本経済新聞社(日経新書),177p. ISBN-10: 4532107490 ISBN-13: 978-4532107499 872.
http://www.amazon.co.jp/dp/4532107490
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9970336304&REFERER=0
http://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=10749

【内容(「BOOK」データベースより)】
急速に高齢化、核家族化が進む中、介護の体制づくりが不可欠であることを指摘。高齢社会を支えると期待される公的介護保険の仕組みをわかりやすく説明。保険料徴収の方法、介護認定の公平性、マンパワー不足など、懸念される点も解説。デンマーク、ドイツ、広島県御調町など介護に取り組んだ先進地域の例を紹介。

以下はhttp://www.nikkei-bookdirect.com/bookdirect/item.php?did=10749を参照。

【著者紹介】
渡辺俊介
1944年 生まれ。
東京大学文学部卒業後
1970年に日本経済新聞社入社。
政治部、経済部記者などを経て、
1988年より論説委員。
現在:日本経済新聞社論説委員兼経済部編集委員

<主な著書>
『年金と社会保障の話』(新潮社)
『あなたの年金』(日本経済新聞社)
『年金危機』(日本経済新聞社)
『企業年金時代』(日本経済新聞社)
『年金改革』(日本経済新聞社)
『サラリーマンのための年金早わかりガイド』(日本経済新聞社)

いよいよ実現に向け動き出す公的介護保険制度。給付と負担の仕組み、市町村など行政の問題、介護・医療の現場、海外・国内の先進事例など、一般読者にも分かりやすく、その仕組みと意義、問題点を解説する。

第1章 介護保険とは何か
 1 なぜ介護保険は必要か
  1 国によって異なる社会保険制度
  2 年金と医療が中心の日本
  3 高齢社会となった日本
  4 重くなる介護の負担
  5 「社会的入院」の問題
  6 老人福祉が必要な時代に

 2 介護保険導入までの経緯
  1 老人福祉の充実を謳った「21世紀福祉ビジョン」
  2 消費税導入を契機とした「ゴールドプラン」
  3 地域の声を反映した「新ゴールドプラン」

 3 新介護システムを形づくる四つのポイント
  1 高齢者自身による選択
  2 介護サービスの一元化
  3 ケアマネジメントの確立
  4 社会保険方式の導入

 4 難航する実現への道
  1 保険料の徴収方法の問題
  2 現金支給を認めるか
  3 法案提出を急いだ厚生省
  4 保険料を低く抑えたい思惑
  5 市町村がサービス提供の担い手に
  6 市町村からの激しい反発
  7 再度仕切り直しに

第2章 介護保険 負担の仕組み
 1 介護費用はいくら必要か
  1 目標によって異なる費用
  2 基盤整備費用とサービス提供費用

 2 基盤整備のため作成されたゴールドプラン
  1 マンパワーの整備目標
  2 施設の整備目標
  3 全国を一万か所の地域単位に

 3 上方修正された新ゴールドプラン
  1 ゴールドプランの不十分だった点
  2 各市町村の実態把握へ
  3 マンパワー、施設とも目標を上方修正
  4 どこまで介護を充実させるか

 4 保険料負担はどう決まるか
  1 2000年度で四兆二千億円が必要に
  2 一人当たりで年間二千九百円余りに
  3 人により納める金額は異なる
  4 健保の保険料を合わせて徴収
  5 健保の負担は減る見込み
  6 国民健保加入者の場合
  7 公費による費用負担
  8 保険料滞納への対策

第3章 介護保険 受給の仕組み
 1 介護認定の仕組み
  1 まず必要な介護認定
  2 要介護度の認定

 2 在宅介護のケアプランの作成
  1 要介護度とサービス費用の限度額
  2 症状に合わせメニューを選択
  3 ケアチームによるケアプランの検討
  4 サービス提供機関の紹介も
  5 定期的に見直し

 3 施設での介護の仕組み
  1 三種類の施設
  2 措置制度を廃止
  3 どの施設に入るのか、選択は自由に
  4 施設での費用の限度額

第4章 先例に学ぶ
 1 介護先進国デンマーク
  1 市(コミューン)単位で独自の介護
  2 在宅介護中心でマンパワーも充実
  3 施設介護はプライエムが中心
  4 医療と介護との連携

 2 グラッドサックス市のケース
  1 施設か在宅か本人の意思を尊重
  2 施設介護で必要となる費用
  3 在宅介護のケース
  4 高負担に社会的合意
  5 医療費の節約も目的
  6 介護の充実で医療費を削減

 3 介護保険を始めたドイツ
  1 95年にスタート
  2 改革の背景
  3 保険料方式を選択
  4 制度の仕組み
  5 サービス提供の仕組み
  6 明らかになった問題点

 4 日本の介護先進地域・御調町
  1 典型的な過疎、高齢化の町
  2 介護力不足が寝たきりを生む実態
  3 「医療の出前」と「患者の自宅改造」を実行
  4 人間関係の壁
  5 たて割り行政の弊害
  6 医療、保健、福祉を連携
  7 施設の総合化のメリット
  8 地域の開業医との連携
  9 福祉バンク制度
  10 きめ細かく総合的なケアを実現
  11 福祉の理想郷

第5章 介護保険の問題点
 1 介護保険料にまつわる問題
  1 「天引き」以外の人の滞納
  2 “掛け捨て”保険の性格
  3 保険料引き上げの悪循環
  4 市町村による補てん必要に?
  5 滞納者の介護をどうするか
  6 「保険料あって介護なし」になる恐れ
  7 介護先進地域の懸念

 2 介護費用の調達は税にすべきか保険にすべきか
  1 保険の原理になじまず
  2 保険料方式のメリット、デメリット
  3 税方式のメリット、デメリット
  4 不十分だった国民的合意づくり

 3 介護認定に関する問題
  1 市町村によるばらつきの不公平
  2 財政の圧迫にも

 4 介護基盤は整えられるか
  1 マンパワーは足りるのか
  2 人材の養成と確保が課題に
  3 施設の充実も課題

 5 ケアプラン、ケアマネジメントの問題
  1 利用者の声をどれだけ反映できるか
  2 民間サービスの活用が必要
  3 市町村の連携が必要に

 6 十分な介護体制の実現のために
  1 ネックになるのは何か早急に洗い出しを
  2 ‘やる気’が最も大切

■353 ■071230 [ml-prosemip 6246] 『介護保険の再出発』(天田)

天田です。
以下のメールに記した宮武剛の著書は以下。
(それ以外もたくさんありますが、取り急ぎということで)

> Subject: [ml-prosemip 6240] Re: [ml-prosemip 6228] PPK→『国保新聞』(天田)
>
> [略]
> 「国保論壇」埼玉県立大教授 宮武 剛

――――――――――――――――
◆宮武剛
http://www.mejiro.ac.jp/univ/professor/files/miyatake.html
http://www.clinic.tkcnf.or.jp/b/b03/b0313.html
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=998092456X&REFERER=0

◆宮武 剛 20060710 『介護保険の再出発――医療を変える・福祉も変わる』,保健同人社,239Ip. SBN-10: 483270317X ISBN-13: 978-4832703179 2000.
http://www.amazon.co.jp/dp/483270317X/

【内容(「MARC」データベースより)】
大幅変更となった介護保険の2005年改正。社会保障の理念と原則を再確認しながら「介護保険の再出発」を総点検し、それと密接に絡む医療や福祉の動向を報告。その過去・現在・近未来を俯瞰する。

序章 介護や医療を取り巻く時代と環境
第1章 介護保険の理念や仕組みを再考する
第2章 介護保険の過去・現在・近未来
第3章 二〇〇五年改正・その全体像
第4章 予防重視型システムの大事さ・難しさ
第5章 財政構造と新しい介護報酬
第6章 医療改革へ、介護保険のインパクト
第7章 積み残された宿題の重さ
終章 地域福祉・医療の時代へ

【[BOOK著者紹介情報]】
宮武剛[ミヤタケゴウ]
1968年、早大政経学部卒、毎日新聞社入社、東京本社で社会部・副部長、科学部長、論説委員、論説副委員長を歴任。99年、新設の埼玉県立大学へ転じ、保健医療福祉学部・社会福祉学科教授(社会保障論、社会福祉原論)。最近の主な役職、厚生労働省「社会保障審議会」臨時委員(年金数理部会)、同「医療分野の規制緩和の在り方検討会」座長、社会保険庁「社会保険事業運営評議会」座長、財務省「財政制度等審議会」委員(共済分科会長)、全社協「月刊福祉」編集委員長など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
――――――――――――――――
【関連情報】
◆医療分野における規制改革に関する検討会.20040129.『医療分野における規制改革に関する検討会報告書』(平成16年1月29日).
http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/01/tp0129-2.html
http://www.mhlw.go.jp/topics/2004/01/tp0129-2a.html

上記検討会における資料は以下から参照可能。
http://www.wam.go.jp/wamappl/bb13GS40.nsf/aCategoryList?OpenAgent&CT=30&MT=020&ST=030

■354 ■080103 [ml-prosemip 6275] 謹賀新年(天田)

天田です。
新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

この数日、通信環境の悪い場所にいましたので、MLすることできませんでしたが、本日明日は、現在手元にあるもの「のみ」情報に限って連射的にML送付しますので、どうぞ宜しく。

私も諸々の書籍を注文しました。老い関連だけでも100冊ぐらい注文しましたので、来週にも書庫に運び込みます(家のダンボールを先に持って行きますので、その後ですが)。

ちなみに、本日送付する(予定の)関連情報としては以下の通り。
◆「レット・ミー・ディサイド」関連情報
◆「『季刊福祉労働』 19861225 特集:長寿社会を生きる」関連
◆「寝たきり老人」のお金の話・2 (介護手当→家族介護慰労事業→廃止)
◆「寝たきり老人」の「認定」について
◆その他諸々

関係のない方々は削除してください。
取り急ぎ。
天田

※何名か返信していない方がいますが、本日中にはお返事します。

■355 ■080103 [ml-prosemip 6277] 『季刊福祉労働』33「長寿社会を生きる」

天田です。

私も遥か昔に図書館で読んだ記憶がありますが、内容についてはほとんど覚えていない、以下の『季刊福祉労働』の論文は、1980年代の論文としてきちんと押さえておきたいと思います。
→立岩さん、もし以下の雑誌が生存学書庫にあれば、貸してください。

とりわけ、二日市 安/後藤 安彦さん
http://www.arsvi.com/w/fy03.htm
の「冬の終着駅で」を再読しておきたいと思います。

たまたま向井本の原稿を書くために読んでいたら、上記の論文に対する言及あり。
一応、1980年代後半の時代の多少の参考になるやもしれないので、一応、以下引用しておきます。
(なお、向井本の別の箇所の引用については別便にて)

取り急ぎ。
天田

――――――――――――――――
『季刊福祉労働』1980-1989(006〜045号)
http://www.arsvi.com/0m/kfr1980.htm

◆『季刊福祉労働』 19861225 特集:長寿社会を生きる☆ 『季刊福祉労働』33 950

山内 常行 19861225 「今度戦争になれば国民がおこすのよ」(インタビュー 聞き手:佐野利男)
 『季刊福祉労働』33:004-007 
川本 三郎 19861225 「老いをみつめる映画」
 『季刊福祉労働』33:008-011 
津村 喬 19861225 「”長寿”幻想を超えた生き合う理念」
 『季刊福祉労働』33:012-046 
向井 承子 19861225 「長寿社会のテスト・パイロットたち」
 『季刊福祉労働』33:027-035 
渡辺 鋭氣 19861225 「老人と子ども――その共生感覚」
 『季刊福祉労働』33:036-047 
二日市 安 19861225 「冬の終着駅で」
 『季刊福祉労働』33:048-055 
古津洲 海子 19861225 「手さぐりの介護の中から思うこと」
 『季刊福祉労働』33:056-063 
池田 正枝 19861225 「老人自立の家を作ろう」
 『季刊福祉労働』33:064-071 
小柳 俊子 19861225 「地域で自己形成を続ける老人たち」
 『季刊福祉労働』33:072-077 
――――――――――――――――

◆向井 承子 19930930 『老親とともに生きる』,晶文社,285p. ISBN-10: 4794961375 ISBN-13: 978-4794961372 1835.
http://www.amazon.co.jp/dp/4794961375
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9930592946&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
東京に住む向井さんの家に、両親が身を寄せたのは、1972年の春のことでした。お父さんは73歳。お母さんは68歳。二人ともいくつかの病気を抱えていました。当時の平均寿命が、男69歳、女74歳。「親孝行も数年のことだと思った」と向井さんは正直に書いています。でも、それは「甘っちょろい誤算」でした。すでに日本の高齢化社会は急速に進みつつあったのです。老父母との20数年間の暮らしのこまごまを記録し、日本の老人医療・福祉のありかたを根本から問い直す本。

【内容(「MARC」データベースより)】
著者が病気を抱える両親と同居を始めたのは父親が73歳、母親が68歳の時。「親孝行も数年」と思ったがそれは誤算だった…。老父母との20数年間の暮らしの詳細を記録し、日本の老人医療・福祉のあり方を問い直す本。*

【目次】
誰か私を助けてください
1 あの橋をわたるとき
 あの箸をわたるとき

2 老人と暮らす日々
 電磁調理器
 おばあちゃんの神通力
 ご近所
 わが家のウサギ闖入事件
 マドンナたち
 骨なし豚
 犬を連れて歩いてたら
 老人の文章教室で
 「在宅」を支えるもの

3 老人と医療
 医療と福祉の谷間で
 ある老人病棟からの報告
 ネットワーク型地域医療の挑戦――大阪府松原市見学記

対談 制度というお化け・家族という神話――岡本祐三医師と

医療福祉用語小事典
あとがき

■引用

「「のたれ死の自由を」というタイトルを他でも見た。尊敬する二日市安(後藤安彦)さんだ。「冬の終着駅で」と題されたエッセイが『季刊・福祉労働』誌に掲載されたのは一九八六年だった。エッセイを書かれた直後、最愛のパートナーだった仁木悦子さんを失われた。しんしんと迫る老いと死を描くエッセイの中でも、そのかなしみと憤りが深く迫る異様な小品として、時代に記録されるべきものと思う。幾度も読み返した二日市さんの文章をここに少し引用させていただきたい。
「もともと脳性麻痺で自由のきかないわたしの四肢のなかで、比較的自由に動いていたのが右腕だった」、という二日市さんの右腕が機能低下し始める。「心理的なものだよ」と言われることを期待して医師に相談する。が、「診察の結果として出た答えは、わたしの予想や楽観的希望とは違ったものだった。要するに、もともとの障害に老年が加味されて別の障害が発生したというのだ」と宣言されたところから二日市さんは「老いという名の終着駅について考えざるを得ない状況に立たされ」た。

(以下、二日市の文章の引用/下記の「(中略)」は筆者によるもの/引用者補足)
 体力の衰えも機能の減退も感じなかった若い時期、わたしは自分なりの意味合いで「のたれ死」を考えたことがあった。(中略)わたしは死ぬ場所にはこだわらない。それが施設<56<以外の場所なら、それで立派な「のたれ死」だと思う。誰からの拘束も受けずに仕事や運動や遊びを好きなだけやり、持っている限りの体力を使い果たしたら、そこで死んでいく。気がついたら死んでいた――他人にとっても自分にとってもそんなふうに感じられるような死に方をしたいと思い、また簡単にそうできると思っていた。
 だが、いまとなっては、ただそれだけのことが容易に実現できない夢であるのを思い知るしかない。
 いまよりもっと老い、肉体的にもっと衰えた何年か後のわたしに、果たしてどれだけの選択の自由が残されているだろうか。子も孫もなく、現在住んでいる家以外はまとまった資産とて持たない障害者老夫婦のわたしたちに、国はどこまで「のたれ死の自由」を認めてくれるだろうか。
 妻とわたしのどちらが先に死ぬかはわからない。だが、どちらが死んでも残った方はひとりで生きつづけるだろう。しばらくのあいだは……。しかし、生き残ったひとりがもしわたしの方だったとして、何年か後に気力も体力も尽きて、それでもまだ生きつづけるとしたら、どういう現実が待っているだろうか。そのときは首尾よくのたれ死できるだろうか。

 だが、「施設という関門」が登場してくる。「障害者もしくはそれに近い状態になった高齢者<57<専用の特設予備改札口」である。「“措置”して、寝せ、食べさせ、排泄させ、そしてまた寝せるための場所としての施設」とは「思想もなく、男女交際もなく、飲酒もなく、あるのはただ仕事としての介護だけ」という「場所」、それを二日市さんは「拒否の対象」として視る。

(以下、同様に二日市の文章の引用/下記の「(中略)」は筆者によるもの/引用者補足)
 障害者施設にしろ老人ホームにしろ、そこに働く人たちの善意を疑うのは、たぶん非礼なことであり、間違ったことなのだろう。ほかの仕事を選ぶこともできたのに、素朴な善意から施設職員の道を歩むことを選んだという人たちに、わたしはむしろ脱帽すべきかもしれない。
 だが、あえていわせてもらうなら、その人たちは「選んだ」が、障害者や高齢者の多くは選ぶことすらできず、施設に「措置」されるのだ。そして、“老いた障害者”としてのわたしにも、やがて選ぶ権利を失う危機が迫ってくるのである。無用者排除の原理とやらに従って、そのときは、わたしもおとなしく選ぶ権利を放棄して、「措置」されるべきなのだろうか。
 いやだ。もう一度いうが、冗談じゃない! わたしは「のたれ死」をこそ選ぶのだ。「のたれ死」を選ぶ方法を見つけ出すのだ。
 (中略)
一九五三年に死んだアメリカの詩人ディラン・トマスに「あの快い夜におとなしく入っ<58<てはいけない」という詩がある。死に近い老いた自分の父親をみつめながらつくった作品で、「あの快い夜」とは死をさす。おとなしく死んではいけない、老人は病と格闘しながら、死の影を拒否して最後のぎりぎりまで荒れ怒りながら生きるべきだ――という激しい呼びかけの詩句がつづく。
 死そのものと最後まで格闘しとおす自信はわたしにはない。だが、死の前哨戦としてのあの高齢障害者専用の予備改札口を通ることだけは、あくまで拒否しとおすつもりだ。
 主体性を放棄して施設の生活に身をゆだねるのは、わたしにとって死以上の死だ。

■356 ■080103 [ml-prosemip 6278] Re: 面談了解です→大谷(通)さん

天田です。
大谷(通)さん、返信が遅くなりましてすみません。

『Core Ethics』関連の面談、了解しました。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#1
1月8日(火)は、13:00〜藤原さん、14:30〜山本さんの予定ですので、16:00〜あたりはいかがでしょうか。
上記で都合が悪いようであれば、日程調整は可能です。その場合、候補日をいくつか(第一候補から第三候補あたりまで)出して頂ければ、その中で調整をします。

一応、MLにて返信させていただきました。
取り急ぎ。
天田

■357 ■080103 [ml-prosemip 6279] 「レット・ミー・ディサイド」関連本(天田)

天田です。
以下、「レット・ミー・ディサイド」関連本。このところ読んで楽しい本をここに全く挙げておりませんが、「資料」としてのみ扱っていただければよいかと。

立岩さんの情報としては以下があり。
http://www.arsvi.com/d/sd-lmd.htm
http://www.arsvi.com/0w/ts01/1998a14.htm

ウェブ上では以下にその記述あり。

◆堀田力×二ノ坂保喜 200202 「堀田力のさわやか対談」『さぁ、言おう』2002年2月号(財団法人さわやか福祉財団)
http://www.drnino.jp/sawayaka.htm
http://www.drnino.jp/lmd.htm内に掲載)

◆二ノ坂保喜 20060612 「<17>自分で決める自分の医療」
http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/series/ninosaka/post_103.shtml
(連載・死を見つめて生きる(二ノ坂保喜)「九州ねっと西日本新聞」内に掲載)
http://qnet.nishinippon.co.jp/medical/series/ninosaka/

◆クリスティン・ハリスン&ウィリアム・モーロイ 199204 「事前指定書における倫理的問題について」
http://www.drnino.jp/lmd-kadai1.htm

◆終末期を考える市民の会
http://www6.ocn.ne.jp/~syumatuk/

◆社会保障構造の在り方について考える有識者会議 20000620 「社会保障構造の在り方について考える有識者会議(第6回)議事録」(平成12年6月20日(火)17:00〜19:00 )
http://www.kantei.go.jp/jp/syakaihosyou/dai6/6gijiroku.html
「【堀田委員】私がいただきましたテーマは、活力ある高齢社会にしていくための方策等々であります。同じ意味ではありますけれども、私のレジュメで「高齢者のいきがいと安心を確保するための方策」ということでまとめてみました。アカデミックなものじゃなくて主観的なものですので、その点は御了承いただきたいと思います。
[略]
 それから、尊厳死も実は尊厳ある生き方の裏返しでありまして、今のように植物状態で判断力等が回復する見込みがないのに何か月、何年も植物状態で置いておいて、だれも人工呼吸器を外さないというような状態は異常でありまして、尊厳を害すると思います。それにかかる費用も大変なものであろうと思います。もっと尊厳死ということが自分の意志でできるように、これは尊厳死協会というのもありまして今9万人入っております。資料に付けておりますけれども、そういった運動がしっかり広がり、お医者さん方も認識されるようにしていくことが必要であろう。
 レットミーディサイド運動も、カナダで始まった運動でありますけれども、日本で少しずつ広がってきつつあります。これは、終末期の治療方法について、判断力がしっかりしているときに自分で選択して、こういう治療法はしてほしい、これはしてほしくないということを決めるという運動でありまして、何名かのお医者さん方が展開しておられますが、もっともっと広がってほしいと思っております。これは資料に簡単な説明を付けております。
 それから自然治癒力の重視ということ、それから心の働きの重視ということで、なるべく在宅医療を進めてほしいといったようなこと。いろいろ医療面でも身体的自立を支える仕組みにしてほしいと思います。 」

以下、文献。
――――――――――――――――
【BOOK著者紹介情報】
岡田玲一郎[オカダレイイチロウ]
社会医療研究所所長。昭和8年岡山県生まれ。30年明治薬科大学卒業と同時に堀井薬品工業(株)にプロパーとして入社。33年医療法人慈光会入職、薬局長と事務長を務める。48年社会医療研究所創設、所長に就任。48年より63年まで立教大学社会学部講師(施設管理論)を務める。(社)日本病院会顧問
http://www.pegasus.or.jp/topics/log/12okadakouen.html

◆岡田玲一郎 200412 『生き方上手は死に方上手――上手な病院のかかり方』,厚生科学研究所,205p. ISBN-10: 4905690943 ISBN-13: 978-4905690948 2100.
http://www.amazon.co.jp/dp/4905690943/
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4905690943.html

【内容(「MARC」データベースより)】
死ぬことは難しい。上手に死ねれば生き方上手。上手に生き、上手に病院にかかり、上手に死ぬために、国民と医療者の意識改革の必要性を説く。

◆岡田 玲一郎 (19970801 『いのちは誰のものか』I家の光協会,205p. ISBN-10: 425954523X ISBN-13: 978-4259545239 1680.
http://www.amazon.co.jp/dp/425954523X/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9970602276&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
自分で決める自分の医療―。元気なうちから自分の最期を考え、指定していこうとする運動が広く共感を呼んでいる。―医療者と患者が探る“積極的生”。

【内容(「MARC」データベースより)】
元気なうちから自分の最期を考え、指定していこうとする運動が広く共感を呼んでいる。レット・ミー・ディサイド(自分で決める自分の医療)活動を続ける著者が、いのちとは誰のものかを語る。

第1章 自分で決める自分の医療
第2章 インフォームド・コンセントの追求
第3章 儀式のような医療行為は必要か
第4章 事前指定書をつくるときに
第5章 「自己決定に関する調査」より

◆National Advisory Committee 岡田 玲一郎訳 20011025 『高齢者のend‐of‐lifeケアガイド――ときに治し、しばしば慰め、つねに癒す』,厚生科学研究所,273p. ISBN-10: 4905690781 ISBN-13: 978-4905690788 2520.
http://www.amazon.co.jp/dp/4905690781/
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4905690781.html

【内容(「BOOK」データベースより)】
高齢者がQOL(生きていてよかったと思うひととき)を感じられるケアこそが高齢者ケアである。

【内容(「MARC」データベースより)】
わが国の老年学や老年医学は「治す」あるいは「治そうとする」ことに重きをおいているのではないか。高齢者がQOL(生きていてよかったと思うひととき)を感じられるケアについて専門家たちが定義、具体的な対応を考慮する。

第1章 最適なケアに向けて
第2章 人生の晩年に満ち足りて生き、満足して死ぬために
第3章 快適さの維持
第4章 倫理的な問題
第5章 晩年期ケアの実践
第6章 介護者のためのケア
第7章 スピリチュアリティー
第8章 高齢者の緩和ケア、晩年期ケアのための文化的側面
第9章 先住民の問題
第10章 終わりなき挑戦

《内容》 カナダ政府諮問委員会が作成した晩年期の高齢者ケアのガイドブック“a
guide to end-of-life care for seniors”の日本語版。倫理的な問題、介護者の負担、スピリチュアリティー、高齢者の持つ文化など、高齢者をケアするうえで考えておくべき事柄を満載。高齢者に関わるすべての医療・福祉サービス提供者、高齢者を介護している家族の必携の書    

◆Molloy, William 19930402 Let Me Decide Let Me Decide Penguin Books .=岡田 玲一郎・高橋 香代・堺 常雄 訳 19931220 『自分で決定する、自分の医療――
治療の事前指定』,エイデル研究所,165p. ISBN-10: 4871681823 ISBN-13: 978-4871681827 1020.
http://www.amazon.co.jp/dp/4871681823/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-FAUTH=%8D%E4%8F%ED%97%59&HITCNT=020&RECNO=1
http://www.amazon.co.jp/dp/0140178961/ (原書)

【内容(「BOOK」データベースより)】
この本は、自分が病気になった時にどうして欲しいかという希望を、どのように記録しておくかについて述べたものです。

【内容(「MARC」データベースより)】
医学知識が一般の人に知れ渡るようになってきても、実態がともなわなければ完全な医療を受けたとはいえない。患者側が自ら医療を決定するシステムの理念と長所、手続きを紹介する。

将来に備えて事前指定を作成することについて
“私が決定する自分の医療”の事前指定の概要
命に関わる病気
栄養補給
心肺蘇生(CPR)
個人的要望
事前指定書の書き方

◆モーロイ,ウィリアム・川渕孝一 19950120 『最期の選択――大往生するための本』,エイデル研究所,205p. ISBN-10: 4871682005 ISBN-13: 978-4871682008 1529.
http://www.amazon.co.jp/dp/4871682005/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9950069645&REFERER=0

【内容(「MARC」データベースより)】
人間いかに生き、いかに死ぬのか。医療の先進国とされるカナダの医師である著者が、ヒューマニズム的見地からだけでなく、医学的、社会的、経済的、法律的見地から、「自らの死」についてメスを入れる。

第1部 危機に瀕した医療(患者を見捨てないで症候群;医療技術の暴走;膨張する医療費)
第2部 変革への選択(いかに死なせるか?―安楽死と自殺幇助;医療の事前指定;事前指定の問題点;これからの医療)

◆川渕孝一 19971028 『生と死の選択――延命治療は患者にとって幸せなのか』,経営書院,219p. \1,995
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=997084329X&REFERER=0

それでも治療を続けますか。
高齢化社会を迎える日本にとって終末期医療の問題点とあるべき方向を問う。

第1部 医療と経済学は相容れないのか?
第2部 医療と哲学・倫理学は相容れないのか?
第3部 医療と法律は相容れないのか?
第4部 医療と宗教は相容れないのか?
第5部 終末期医療の処方せん

【BOOK著者紹介情報】
川渕孝一[カワブチコウイチ]
1959年富山県生まれ。一橋大学商学部卒業。シカゴ大学経営大学院修士課程修了(MBA取得)。民間病院・企業勤務の後、旧厚生省国立医療・病院管理研究所、日本福祉大学経済学部教授、日医総研主席研究員、経済産業研究所ファカルティフェローなどを経て、東京医科歯科大学大学院教授。スタンフォード大学客員研究員。専門は、医療経済学、医療政策、医療経営

◆立木寛子 20000630 『沈黙のかなたから――尊厳死の宣言書/終末期宣言書/レット・ミー・ディサイト医療の事前指定書』,朝日ソノラマ,236p. ISBN-10: 4257036001 ISBN-13: 978-4257036005 1680.
http://www.amazon.co.jp/dp/4257036001/

【内容(「MARC」データベースより)】
「最期の迎え方」を考えてありますか? 元気なうちに終末期医療を事前に指定しておけば、病気や事故で意識を失っても、自分自身の考えを貫くことができる。人生の最終章でも自分らしくあるために必要なことを考える。

第1章 母の教訓
第2章 日本尊厳死協会「尊厳死の宣言書」
第3章 終末期を考える市民の会「終末期宣言書」
第4章 レット・ミー・ディサイド医療の事前指定
第5章 患者の自己決定権尊厳死、安楽死
第6章 沈黙のさけび

【BOOK著者紹介情報】
立木寛子[タチキヒロコ]
1956年前橋市生まれ。産経新聞記者を経て84年からフリーランス・ライター。医療、看護分野のルポルタージュを中心に手掛ける。著書に『ドキュメント・看護婦不足』『こわがらないで・乳がん』『いのち愛して 看護、介護の現場から』(以上朝日ソノラマ)、『転ばぬ先のザ・75―身近なガイドブック』(全貌社)がある

◆二ノ坂 保喜監修.矢津 剛ほか著 200508 『在宅ホスピスのススメ――看取りの場を通したコミュニティの再生へ』,木星舎,321p. ISBN-10: 490148317X ISBN-13: 978-4901483179 2500.
http://www.amazon.co.jp/dp/490148317X
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/490148317X.html

【内容(「MARC」データベースより)】
在宅での療養や死を望む人に向けて、具体的な取り組みや経験や智恵を説明。在宅ホスピスの可能性、ギアチェンジと質の保証、在宅ホスピスの実際、ナースが支える在宅ホスピス、在宅ホスピスのこれからの5章構成。

以下、http://www.drnino.jp/susume.htmより引用

『在宅ホスピスのススメ――家で過ごす最期の時を支えるために』
今から4年前、『緩和ケアを始めよう』という本を出版し、ホスピスに取り組んでゆく上での心構えやテクニックなどについて考えました。
その後、在宅ホスピスに関する本を出版しよう、という話が持ち上がってから構想2年。
ようやく『在宅ホスピスのススメ』というタイトルで、在宅ホスピスの本の出版にこぎつけました。
福岡で先駆者的な存在として在宅ホスピスに取り組んできた6名の経験と実践が詰まったこの1冊。皆様、ぜひご覧になってください。

執筆者(50音順)
片山  泰代  矢津クリニック訪問看護ステーション管理者、介護支援専門員
二ノ坂 保喜  にのさかクリニック院長
花田  光洋  NPO法人ハーモニー理事長
平野  頼子  訪問看護ステーション管理者、ケアマネージャー
深堀  邦枝  福岡ホスピスの会世話人
矢津   剛  医療法人矢津内科消化器科クリニック理事長

監修
二ノ坂 保喜  にのさかクリニック院長

■358 ■080103 [ml-prosemip 6285] 至急に送付すること可能です→川口さん(天田)

天田です。
立岩さん、補足説明、有り難うございました。
大谷(い)さんも有り難うございます。


なお、川口さん注文の本、至急必要であれば私は(1冊を除き全て)書庫に置いてありますので、すぐに送付可能です。
ただ、立岩さん既に手配されているので、時間の差は僅かであると思います。いずれにしても、至急の場合には声をかけてください。

取り急ぎ。
天田

■359 ■080104 [ml-prosemip 6293] 老い1970年代「東京都老人総合研究所」×「寝たきり老人」

天田です。
たまたま東京都老人総合研究所について調べたら以下を発見。「寝たきり老人」の話として以下のようなものもあります。

ちなみに、都老研のホームページは以下です。
◆財団法人東京都高齢者研究・福祉振興財団 東京都老人総合研究所
http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/J_index.html

文章中に出てくる人たちも知っておいてよいかもしれません。
太田邦夫、那須宗一、前田大作、田中多聞、三浦文夫、今堀和友、袖井孝子、小笠原祐次、根本博司、賀集竹子、鎌田ケイ子、諸氏……

文章中に紹介されている著書は以下。すでに老い研のMLでもお知らせしている田中多聞氏、都老研の『寝たきり…』本も参照。
また、『小金井市における寝たきり実態調査と訪問看護に関する報告書』も取り寄せること、可能です。

◆那須 宗一・湯沢 雍彦 編 1970 『老人扶養の研究――老人家族の社会学』,垣内出版,355p. ASIN: B000J9NKUO.
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9NKUO/
◆森幹郎 1968 『老人福祉の方向』,社会保険出版社,221p. ASIN: B000J9OA3A.
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9OA3A/
◆田中多聞 1969 『新老人福祉論』,社会保険出版社,326p. ASIN: B000J9OYJU.
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9OYJU/
◆東京都老人総合研究所編.197803.『寝たきり老人の看護と予防』(ゼロントロジー公開講座)東京都老人総合研究所.60p.

なお、以下で言及した、草の実「老人問題研究会」の箇所
http://www.josukeamada.com/bk/bs07-1.htm
で以下のように記している背景には、都老研の小金井市調査などが行なわれていたことがあるのです。細かいなことですが、知っている人は知っている話です。

「実際、1972年(昭和47年)の東京都養育院付属病院(現東京都老人医療センター)の建設には老研のメンバーを中心にした草の実会が大きな役割を果たした。」
「1970年代に入ると、「車椅子で、自分の足で、積極的に外出する年寄りの姿が町を明るくする」という老研で得た確信を実現するために、老研の会員は自らの住んでいる地域において活動していくようになる。例えば、1971年に二瓶万代子や斉藤芳子を中心に発足した小金井老人問題研究会は、行政との交渉の中で「リハビリ相談」や「訪問リハビリ」を実現させていきつつ、『子や孫に伝えたい戦争の体験』などをまとめていく活動を行った。」

ちなみに、以下の著者、私は不勉強のため知らないです。
――――――――――――――――
■株式会社ヒューマン・ヘルスケア・システム
http://www.hhcs.co.jp/

◆露木まさひろ 200609- 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編」
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_01.html
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_02.html
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_03.html
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_04.html
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_05.html

◆露木まさひろ 200609 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(1/5)」
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_01.html

■引用
「3期12年のなかで、朝鮮大学校の認可、都営ギャンブル廃止など、人々をアッとさせる施策を断行。昭和43年には「東京都公害研究所」を発足させ、翌年には工場にはかなり厳しい「東京都公害防止条例」も公布した。さらに、目玉施策の一つに〔老人対策〕を掲げてきたため、昭和46年には老人医療費無料化をやってのける。この老人対策の一環として都老研も設立されたのである。
この時代、日本の高齢化率はまだ7%ほど。今日の超高齢化社会を想定できる人は少なかったものの、将来を見越した動きは出ていた。
昭和43年には国民生活審議会老人問題小委員会が『深刻化するこれからの老人問題』を報告。翌年には、厚生省の森幹郎専門官が、『老人福祉の動向』を出版し、特養『悠生園』を開設した田中多聞氏が、昭和44年に『新老人福祉論』で課題提起をした。そして、昭和45年版の『厚生白書』には、「老齢問題をとらえつつ」の副題が付けられたのだ。
そうしたなかで折しも、明治初期に創設され、戦前戦後をとおして高齢者と身体障害者の福祉に大きな役割を果たしてきた日本最古の総合福祉施設「東京都養育院」が、昭和47年に100 周年を迎えようとしていた。しか
し、長い歴史のなかで見劣りがする施設となっていたため、大改造をする構想が浮上したのだ。
この構想は、医療依存度の高い養育院入居者のための附属病院に医局員を派遣するなどで関係が深かった東大医学部の教授らによってまとめられ、「都内の老人の医療の現状と対策」「養育院の近代化と老人問題研究所の必要性」などが都知事に進言された。
老人対策を都政の柱にしてゆくことを決めていた美濃部都政は、そうした進言に我が意を得たりの心境となり、昭和46年に発表された『東京都中期計画』にも、そうした趣旨が盛り込まれる。
構想は素早く具体化されてゆき、養育院全体をリニューアルして、それまでの収容所的な福祉施設の造りと閉鎖的な運営にもメスを入れて大改革をする…養育院附属病院を一般都民も利用できるリハビリ重視の老人専門病院に建て替える…同時に、高齢者問題を、生命科学、医科学、心理学、社会学、看護学、生活環境、といった幅広い視点から考察し究めてゆく総合研究所を新しく併設する…というものだった。」

◆露木まさひろ 200609 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(2/5)」
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_02.html

■引用
『恍惚の人』と厚生官僚
これが、昭和47年に誕生する国内初の高齢者問題研究所となるわけだが、当時、類似の研究所はアメリカや旧ソビエトにあったくらいで、しかも、福祉施設と医療施設と研究所が三位一体になった〔総合施設〕はどこにもなく、世界初の快挙となるのだった。
奇遇なのか同年の6月、作家の有吉佐和子さんが『恍惚の人』を著し、たちまち大ベストセラーとなった。有吉氏は、この頃すでに国内でも使われ始めていたジェロントロジー(老年学)という言葉も知っていて、数少ない文献にもしっかりと目をとおしながら、その作品を書き上げたという。『恍惚の人』が、一般国民に〔高齢者問題〕への関心を広めたのはいうまでもない。
しかし、美濃部知事は、国が環境庁を発足させる昭和46年より3年前に東京都公害研究所(昭和60年に東京都環境科学研究所と改称)を設けたり、中央官庁が困惑する独走と独自の施策が目立ったため、都庁と中央官僚との間には、しっくりしないムードが広がってしまう。
「昭和46年に東京都が老人医療費の無料化に踏み切ったため、全国の世論が老人医療無料化に沸いてしまい、昭和48年に国としても導入せざるを得なくなった。しかも、高齢者問題の総合研究所を、国を越して設立したことで、厚生省は東京都にいい感情をもたなったようだ」と複数の関係者は証言する。
都老研が業績を築くほど、国の厚生行政との間に、深くて冷たい溝が形成されていった。都老研が、早急に国策として組み入れるべき普遍性のある研究結果を出しても、国の対応は遅く、5年後10年後にようやく国策に組み込まれるのである。
[以下略]

◆露木まさひろ 200610 「福祉関係者なら知っておきたい『東京都老人総合研究所』の不思議・前編(5/5)」
http://www.hhcs.co.jp/Article_070820_ToroukenNoFushigi_05.html

■引用
「前代未聞の〔小金井研究〕とは
都老研の名を高らしめたのは、通称〔小金井研究〕だ。この研究を抜きに都老研は語れないほど画期的な内容となった。これは「百歳老人の生活史」研究を発展させたもので、「老化の医学的社会学的背景の研究〜小金井市70歳老人の総合健康調査」の名称で昭和49年から着手された。
[略]
都老研の研究者40人ほどが参画したこの〔小金井研究〕に付随して、同市の寝たきり高齢者宅の家に看護職が上がり込み、生活やケアの実態を把握する調査も行われた。担当したのが、賀集竹子さん率いる看護研究室で、後に〔訪問看護の鎌田〕といわれるほど著名になってゆく鎌田ケイ子さんも昭和50年から一員に加わった。
鎌田さんは、東大医学部衛生看護学科を卒業後、心臓血管研究所や東京女子医大高等看護学校の教師などをしてきたものの、臨床経験の少なさに焦りと悩みを感じていた頃、都老研職員の話が舞い込み、何となくの気分で入所したという。「老化の生命科学はもちろん、高齢者のことも何も知らなかったわけですから、暗中模索のスタートでした」と語る鎌田さんにとって、在宅寝たきり高齢者宅の訪問が、本格的な臨床体験となった。
この頃すでに、家庭奉仕員制度があったにせよ、所得制限のため派遣できる家庭は少なく、ましてや看護職が家庭を訪問するなど考えられなかった。
ほとんどの寝たきり高齢者が、介護も看護もなく、入浴もできず失禁状態にもあるのに、家庭内で放置されている状態だったのだ。15人ほどのメンバーが手分けをして約80世帯を訪問しながら、寝たきり高齢者の寝床で看護職は何ができるのか?何をすべきなのか?何をすれば効果があるのか?といった試行錯誤が始まった。

訪問看護は都老研が創始した
この訪問看護の研究で鎌田さんらが驚いたのは、寝たきり高齢者の褥瘡の凄さだった。看過できないため実態研究だけでなく、褥瘡と全身を清潔にする処置や家庭看護のイロハを指導する実践活動が加わっていった。
すると週1回でも看護職が訪ねて看護的な処置をすると、3カ月で褥瘡が回復したり…寝具が衛生的になったり…食欲が出たり…と寝たきり高齢者の生活環境がはっきりと改善してゆくのが判っていった。
こうした研究成果が、『小金井市における寝たきり実態調査と訪問看護に関する報告書』としてまとめられ、都の民生局も称賛したのだが、それ以上に喜んだのは〔調査対象〕だったはずの寝たきり高齢者とその家族だった。小金井市役所に感謝の声が続々と寄せられたのだ。そこで、調査研究で終わせることなく、訪問看護を制度化する方向に発展。昭和52年から東京都が全国に先駆けて訪問看護を導入することになったのだ。
看護研究室が訪問看護ステーションを兼ねたわけだが、この実績が都老研の価値基盤を築いたともいえる。「老人研究所が何の役にたつのか?税金の無駄づかいではないのか?」といった一部の都庁幹部にあった無用論の打ち消しにも貢献したわけだ。ついでに記せば、訪問看護制度が国の制度になったのは、昭和57年施行の『老健法』からである。
[以下略]」

■360 ■080104 [ml-prosemip 6294] 美濃部都政時代の研究所(天田)

天田です。
前便の補足説明。面白みのない話ですが、一応、最低限、知っておくこととして、都老研が設置された美濃部都政時代には以下の研究所なども設置されました。一応、おまけ。

――――――――――――――――
1968年(昭和43年)4月、東京都公害研究所(現 財団法人東京都環境整備公社東京都環境科学研究所)発足
1972年(昭和47年)4月、東京都老人総合研究所(現 財団法人東京都高齢者研究・福祉振興財団 東京都老人総合研究所)開所
1972年(昭和47年)4月、東京都神経科学総合研究所(現 財団法人東京都医学研究機構 東京都神経科学総合研究所)開所
1973年(昭和48年)7月、東京都精神医学総合研究所(現 財団法人東京都医学研究機構 東京都精神医学総合研究所)発足
1975年(昭和50年)12月、東京都臨床医学総合研究所(現 財団法人東京都臨床医学研究機構 東京都臨床医学総合研究所)開所

◆財団法人東京都高齢者研究・福祉振興財団 東京都老人総合研究所
http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/J_index.html
【沿革】
http://www.tmig.or.jp/J_TMIG/about/enkaku.html

◆東京都老人医療センター
http://www.tmgh.metro.tokyo.jp/
(「京都養育院附属病院」も1972年(昭和47年)6月1日に開設)

◆財団法人東京都環境整備公社 東京都環境科学研究所
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/kankyoken/
【研究所の歩み】
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/kankyoken/history/history.htm

◆財団法人東京都医学研究機構 東京都神経科学総合研究所
http://www.tmin.ac.jp/
【沿革】
http://tmin.ac.jp/annai/history/history.html

◆財団法人東京都医学研究機構 東京都精神医学総合研究所
http://www.prit.go.jp/index.html.ja
【沿革】
http://www.prit.go.jp/Ja/Outline/enkaku.html

◆財団法人東京都臨床医学研究機構 東京都臨床医学総合研究所
http://www.rinshoken.or.jp/index.html
【沿革】
http://www.rinshoken.or.jp/enkaku/enkaku.html

■361 ■080104 [ml-prosemip 6295] 森幹郎本(天田)

天田です。
このところ以下の古い本を再読。後日、情報を提供します。本=資料はほとんど揃っていますので、必要な人はどうぞ。

――――――――――――――――
森 幹郎
http://www.arsvi.com/w/mm09.htm

老年学関係書
http://www18.ocn.ne.jp/~mori8080/page2.htm

ハンセン病関係書
http://www18.ocn.ne.jp/~mori8080/page1.htm

■362 ■080104 [ml-prosemip 6296] 老い1970年代・補足

天田です。
前々々便の話ですが、政策的・歴史的には以下のような文脈にありました。
1968年の全社協の「寝たきり老人実態調査」を受けつつ、小金井市調査などもあるわけです。『恍惚の人』などもそのような位置づけで読むことが必要であるわけです。

――――――――――――――――
【1970年前後の年表・簡略版】
◆1968年 国民生活審議会調査部会老人問題小委員会 1968 『深刻化するこれからの老人問題―国民生活審議会調査部会老人問題小委員会報告』,経済企画庁国民生活局,73p. ASIN: B000JA41TW
 http://www.amazon.co.jp/dp/B000JA41TW/
◆1968年 全国社会福祉協議会「居宅ねたきり老人実態調査」
◆1968年 中央社会福祉審議会「老人ホーム老人向住宅の整備拡充に関する意見」具申
◆1969年 東京都 70歳以上老齢福祉年金受給老人の医療費自己負担分の無料化実施
◆1970年9月 「豊かな老後のための国民会議」開催
◆1970年11月 中央社会福祉審議会 『老人問題に関する総合的諸施策について』
◆1972年4月 東京都老人総合研究所(現 財団法人東京都高齢者研究・福祉振興財団 東京都老人総合研究所)開所
◆1972年6月 有吉 佐和子『恍惚の人』
 http://www.arsvi.com/b1900/7206as.htm
◆1972年6月16日 70歳以上の老人医療費の公費負担(本人無料化)を内容とする老人福祉法の一部改正案が成立(「老人医療費無料化」)1973年施行
◆1974年 老人問題懇談会 『今後の老人対策についての提言』
 http://www8.cao.go.jp/kourei/yushiki/free-society/houkoku.html
 「1973(昭和48)年、政府は、内閣総理大臣を本部長とし、各省庁の事務次官等を本部員とする老人対策本部を設置するとともに、老人問題懇談会を開催して、当面の老人対策について検討を進め、老齢人口の急増に備えるためにも、立ち遅れていた老人対策の充実に努力を傾注することとした。その年は、いわゆる「福祉元年」に当たり、老人医療費の無料化、物価スライドの導入などの年金給付の大幅な改善が行われた。」
◆1975年 社会保障長期計画懇談会 『今後の社会保障のあり方について』
◆1975年 社会保障制度審議会 『今後の老齢化社会に対応すべき社会保障のあり方について』

――――――――――――――――
【参考資料】
◆厚生白書(昭和45年版)
総論―老齢者問題をとらえつつ―
第2章  老年と健康
7  リハビリテーション対策をまちのぞむ老齢者
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0009.html

■引用
「「全国社会福祉協議会が昭和43年に行なつた居宅ねたきり老人実態調査によれば,70歳以上の居宅ねたきり老人の数は約20万人で,当該年齢層人口の5.2%にあたることが明らかにされているが,これらの人々の疾病の状態をみると,第2-8表に示すように老衰26%,脳卒中22%,高血圧18%,リューマチ,神経痛15%等が上位を占めている。これらの老齢者のめんどうをみるためにほとんど同数あるいはそれ以上の家族が多大の負担を負つていることは想像にかたくない。」

◆『厚生白書(昭和45年版)』
総論―老齢者問題をとらえつつ―
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197001/b0000.html

■引用
「「豊かな老後のための国民会議」は,高齢化社会の到来に備えて老後の問題に関する国民的目標の設定をねらいとして,国民各層を代表する「豊かな老後のための国民会議委員会」が主催し,昭和45年9月20日,21日,22日東京において開催された。会議は,全国から約2,000人の各層代表が参加して,所得,健康,家庭,地域社会,住まい,仕事,社会参加の各問題について検討された。 」

◆『厚生白書(昭和47年版)』
各論
第4編  社会福祉の増進
第3章  老人の福祉
第2節  老人の保健医療対策
3  老人医療費の支給
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197201/b0246.html

■引用
「そして,44年8月には「老齢保険制度」の創設を内容に含めた「医療保険制度の改革要綱試案」が厚生大臣から社会保障制度審議会および社会保険審議会に諮問され,46年9月および10月にその答申が行なわれたが,いずれも老人の医療費についてなんらかの措置を講ずる必要を認めつつも,老齢保険制度については賛意を示すものではなかつた。
 この間,ますます深刻化する老人医療費問題に関し,45年9月に開かれたわが国初めての「豊かな老後のための国民会議」においても,同年11月中央社会福祉審議会から厚生大臣に対して行なわれた「老人問題に関する総合的諸施策について」の答申の中でも,老人医療費問題についてはその実態の緊急性にかんがみ,早急に結論が出されるべきであるとの意見が強く打ち出された。」

◆『厚生白書(昭和48年版)』
各論
第4編  社会福祉の増進
第3章  老人の福祉
第1節  概説
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz197301/b0242.html

■引用
「こうしたことから,厚生省では,45年9月の「豊かな老後のための国民会議」で討議された成果や,同年11月の中央社会福祉審議会(中川善之助委員長)から厚生大臣への「老人問題に関する総合的諸施策について」の答申等の提言を体的施策に取り入れるために,46年3月,大型の老齢者対策プロジェクト・チームを発足させ,検討した。その結果,老人医療費支給制度の創設という大きな成果を実らせた。また,47年12月に中央社会福祉審議会老人福祉専門分科会(安田厳会長)から提言された「老人ホームのあり方」に関する中間意見の趣旨を施策に生かすべく,その当面の方策として,48年度から養護老人ホーム及び軽費老人ホーム(A型)の国庫補助基準面積の改定を実施した。これは,現在の老人ホームを「収容の場」から「生活の場」へと高め,新しい老人ホームへ脱皮すべく,その第1弾としてホームの居住性を高めることにしたものである。

 また,厚生省では,従来から,老人福祉施設の効果的実施を図る上から,各省関係部局とも密接な連絡を保ってきているところであるが,本年4月,総理府に老人対策本部(本部長;内閣総理大臣,副本部長;総理府総務長官,厚生大臣)が設置され,その事務推進機構として,老人対策室が総理府内に発足した。この本部は,老人に関する施策について関係行政機構相互間の事務の一層の緊密な連絡を図るとともに,総合的かつ効果的な対策を推進するために設けられたものである。 」

■363 ■080104 [ml-prosemip 6297] 了解です→立岩さん・川口さん(天田)

天田です。
返信遅くなりました。すみません。

>> 『季刊福祉労働』
「公共」院生室か416を探してみます。
有り難うございます。コピーとらせてもらいます。


立岩さん大量購入ということで、その線の本は私は今後は二度と買わない方向でいきます。

> 棚に死ぬほど並んでます。


川口さん、了解です。明後日にも大学に行って確認・送付します。

取り急ぎ。
天田

■364 ■080104 [ml-prosemip 6298] 「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書(天田)

天田です。
以下の報告書は(ある筋の人たちにおいては)話題になったものです。
私の手元にはありませんが、必要であれば、コピーをしてきます。

◆(財)医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構
 平成11年度の調査・研究実績の概要
 http://www.ihep.jp/publish/report/h11.htm
 ↓
◆医療経済研究機構.1999.「終末期におけるケアに係わる制度及び政策に関する研究」報告書
 http://www.ihep.jp/publish/report/past/h11/h11-3.htm#1-3-3

取り急ぎ。
天田

■365 ■080106 [ml-prosemip 6306] 今週の予定(天田)

天田です。
立岩さん、いつもながら情報掲載、有り難うございました。
本日もいくつもMLします。各自の仕事、どうぞ宜しく
→お〜い、老い研の皆さん

私の今週の予定は以下の通り。
http://www.josukeamada.com/schedule2007.htm#1

明日1月日7(月)は、午前中は本の引越をしています。午後16:00前後から川口さん(創思館416)。
明後日1月8日(火)は、13:00〜藤原さん、14:30〜山本さん、16:00〜大谷(通)さん、18:00〜公共論となります。

『Core Ethics』関連、予備論、博士論文、その他諸々、早めに連絡をください。こちらも幾つも遅延状態の仕事があるので、ギリギリでは対応できないことがあります。

取り急ぎ。
天田

■366 ■080106 [ml-prosemip 6307] 『社会学』(天田)

天田です。
大著の「社会学」のテキストが刊行されています。アナウンスが遅くなりました。すでに先日、山本さんにお貸ししています。
→山本さん、読み終わりましたら、時間がある時でよいので416へ返却ください。

――――――――――――――――
◆長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志 20071121 『社会学』〔New Liberal Arts Selection] (New Liberal Arts Selection〕,有斐閣,606p. ISBN-10: 4641053707 ISBN-13: 978-4641053700 3675.
http://www.amazon.co.jp/dp/4641053707/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9982700626&REFERER=0

【内容紹介】
社会学を学ぶすべての人へ。現在,社会学として学ぶべき内容を網羅しスタンダードを呈示する,待望の本格的テキスト。現実社会と関連した問いかけから説き起こし,概念を丁寧に解説。「社会はどのようにあるのか」を問い続ける社会学の醍醐味を伝える。〈2色刷〉

※以下、http://yuhikaku-nibu.txt-nifty.com/blog/2007/11/post_36b8.htmlより引用。


◆長谷川公一・浜日出夫・藤村正之・町村敬志/著 『社会学』(New Liberal Arts Selection)
A5判並製カバー付,606頁,定価 3500 円(税込 3675 円) ISBNコード 978-4-641-05370-0 2007年11月刊

社会学を学ぶすべての人へ。現在,社会学として学ぶべき内容を網羅しスタンダードを呈示する,待望の本格的テキスト。現実社会と関連した問いかけから説き起こし,概念を丁寧に解説。「社会はどのようにあるのか」を問い続ける社会学の醍醐味を伝える。〈2色刷〉

〈目 次〉
 序 章
第1部 行為と共同性
 第1章 親密性と公共性
 第2章 相互行為と自己
 第3章 社会秩序と権力
 第4章 組織とネットワーク
 第5章 メディアとコミュニケーション
第2部 時間・空間・近代
 第6章 歴史と記憶
 第7章 空間と場所
 第8章 環境と技術
 第9章 医療・福祉と自己決定
 第10章 国家とグローバリゼーション
第3部 差異と構造化
 第11章 家族とライフコース
 第12章 ジェンダーとセクシュアリティ
 第13章 エスニシティと境界
 第14章 格差と階層化
 第15章 文化と再生産
 第16章 社会運動と社会構想

〈著者情報〉
長谷川公一 東北大学教授
浜日出夫  慶應義塾大学教授
藤村正之  上智大学教授
町村敬志  一橋大学教授

■367 ■080106 [ml-prosemip 6308] 『恍惚の人』解説(天田)

天田です。
以下、1972年06月10日刊行の初版本のあと、文庫化された1982年5月25日に刊行された文庫版に収められた森幹郎の解説です。時代的には「三郷中央病院事件」のあたりに書かれたものですね。

――――――――――――――――
有吉佐和子『恍惚の人』
http://www.arsvi.com/b1900/7206as.htm

■森幹郎 19820528 「解説」.有吉佐和子『恍惚の人』新潮社(新潮文庫).430-437.

■引用
「本書の爆発的な売れ行きの中で、老人福祉の<435<推進に対する世論は高まり、関係者の合意はとにもかくにも得られたと言ってよい。思わぬ援軍があったわけである。
 しかし、本書がテーマとした痴呆の老人の問題については、今日にいたるもなお、有効な社会システムが成立しているとはいえない。もちろん、当局にもそれだけの理由がなかったわけではない。というのは、限られた財源の中で、「ねたきり老人対策」に優先順位がおかれたからである。
 当局のねたきり老人対策に対する関心はつとに早く、精粗の差こそあるが、昭和三十五年以来ほとんど毎年その全国調査が行なわれている。そして、昭和五十七年現在、その数は三十万人を越えているという。
 しかし、痴呆や精神薄弱など、精神障害の老人については、いまだに一回も全国調査が行なわれていない。問題はプライバシーに深くかかわることであり、調査をするといっても容易ではないことはよく分かる。けれども、調査をしなければ実態は分からない。実際が分からなければ社会システムのプログラムは立てられるはずもないのである。
 現在のところ、全国における痴呆老人の数は、東京都における出現率を借りて、約五十万人ということのようであるが、いやしくも一国の政策立案のためのデータとしては、少しくお粗末ではないだろうか。<436<
 最近も、厚生省の所管課長は、「老人ホームの入所者がぼけていく場合はお世話していますが、本来(痴呆の老人対策)は精神衛生対策の分野。狭い意味での老人福祉では何の対策もありません」と言っている(昭和五十六年一月十三日付毎日新聞「記者の目」)。
 これでは、京子が「徘徊(ルビ:はいかい)老人? 厚生省も見放しているんだわね、つまり」と言い、老人福祉指導主事が「どうしても隔離なさりたいなら、今のところ一般の精神病院しか収容する施設はないんです」と言っている十年前と同じではないか。
 しかし、現に、痴呆の老人を対象とする特別養護老人ホームが民間レベルでぼちぼち設置運営されている(東京都、三重県等)。さらに東京都でもこの春から都立で同様のものを設置するという。責任当局者の発言と考え合わせて、政策不在の感を禁じ得ない。今後、痴呆の老人は、精神病院に入院させず、特別養護老人ホームでお世話していくのが望ましい方向と言えよう。
 現在、政策はまだ本書の問題提起に答えていない。その意味で、この小説はますます今日性を増していると言えよう。しかし、本書が一日も早く歴史上の本になることを願っているものである。
(昭和五十七年五月、社会福祉学者)」(森 1982:435-437)

■368 ■080106 [ml-prosemip 6309] 『日本人の老後』(天田)

天田です。
前便の『恍惚の人』の「解説」にて森幹郎が書いている
「当局のねたきり老人対策に対する関心はつとに早く、精粗の差こそあるが、昭和三十五年以来ほとんど毎年その全国調査が行なわれている。」
との指摘は以下にあるように「高齢者調査」(1960年/昭和35年)やその後の「高齢者実態調査」(1963年)などを指摘しています。

ちなみに、言うまでもなく、本書は『』恍惚の人』初版本と同年(3ヶ月ほど前)に出版されたものになります。

前々から再三お伝えしているように、「寝たきり老人」言説との関係で言えば、以下のような「リハビリテーション」言説との関係を押さえることがそこそこ大切であるわけです。この領域は押さえようとすればそう大変ではなく、容易に押さえるべきことを押さえることは可能です。→老い研の皆さん

「わが国で昭和三十八年に老人福祉方の制定ととも創設された特別養護老人ホームには一面、いわゆるナーシング・ホーム的な性格を持つものであった。それは、法制定の前年に行なわれた養老施設収容者の健康調査に現れている九.二%の寝たきり老人をそのおもな対象として生まれたものであったからである。……」(森 1972:116-118)

――――――――――――――――
森 幹郎 19720225 『日本人の老後――“豊かな老後”はいつの日か』,日本経済新聞社(日経新書),201p. ASIN: B000J9NRRA.
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9NRRA/

【目次】
まえがき
1 経済社会の変貌
2 人口問題と老人問題
3 社会保障の考え方
4 老人と自殺
5 老人と労働
6 老人と余暇
7 老人ホーム
8 老人と居宅福祉
9 老人クラブ
10 老人リハビリテーション
11 センチナリアン
12 老人と死
〔参考書〕

■引用
「これらのことから、わが国における農業社会から工業社会への移行は、昭和三十年代の前半から中ごろにかけて、決定的になったといえよう。そして、それは最も典型的に、昭和三十五年秋の池田内閣による「所得倍増計画」に現されている。老人問題も、このころから社会的な問題として顕在化してきたのである。」(森 1972:16)

「こうして、資本主義国家でも社会主義国家でも、老親を扶養する子どもの義務を民望に規定す<16<ることになる。わが国もその例外ではなく、明治二十九年に制定された旧民法にも、昭和二十二年に改正された新民法にも、その旨が規定されている(ただし、デンマーク、イギリスではいち早くこの規定を削除したが、このことについては、さらに後に触れよう)。
 しかし、多くの人は、新民法では扶養義務の規定が削除されたように思っている。たとえば、昭和四十三年の世論調査では、三二%の人が「扶養の義務はない」と答えている。だが、これは誤りで、民法第七三〇条にはちゃんと「直系血族及び同居の親族は、互に扶け合わなければならない」と規定しているのである。」(森 1972:16-17)

「上位十位までの国を見ると、概していえば、そのほとんどはいち早く高度工業社会の段階に到達した国であることが知られる。そして、わが国の老人人口が総人口の七%弱であるのに対し、上位十位までの国はいずれも一一%ないし一五%で、わが国のおおよそ二倍である。厚生省人口問題研究所の推計によれば、わが国<30<でその割合が一二%に達するのは、表7にも明らかなように、二十世紀末のことである。」(森 1972:30-31)

「社会保障の責任を負うのは誰か、というのはきわめて興味のある、しかも答えるのにむずかしい問題である。国によっても、時代によっても、また人によっても一様ではない。これに対する個人の回答ではなく、社会(国といってもいい)の考え方は、社会保障の財源を誰がどの程度負担しているかによって知られるのではないだろうか。表13は、社会保障の財源を被保険者と使用者と政府がそれぞれどのような割合で負担しているかを主要国について見たものである。(以下略)」(森 1972:47)

「たとえば、イギリスでは、第二次世界大戦の終了した後、ナフィールド財団がシーボーム・ロントリーを長として調査委員会を設置、老人の実態調査と将来の老人福祉対策に対する勧告を行なったが、その中の一部を引用しておこう。
 「老人は一般に無気力で、壁のそばにたたずみ、食事の時間と寝る時間とを待っている」
 「理想は、各人に個室を与えることであろう。しかし、公的扶助施設の場合、それは実現が不可能であるし、また(民間の)老人ホームにおいても、老人が健康でない場合には監督も大変だし、経費もかかる。したがって公的扶助施設の場合は、一室二人ないし四人に制限したいものである。そして、老人の希望<111<によってはカーテンか衝立(ルビ:ついたて)を於くべきである。固執性の場合も、老人の多くは二人、三人の同室を好むようである」
 福祉国家イギリスにおいてさえ、戦争が終わった直後の混乱期とはいえ、なお固執性にふみきってはいなかったわけである。
 一方、わが国の実情をみると、かつての養老院は、今や養護老人ホームとその名称を改めたが、大部屋雑居制はそのまま引きつがれ、一室(八畳)の定員は厚生省令によって四人とされている。八畳の一室に四人では、プライバシーの空間もプライバシーの時間も保障されないことはいうまでもない。しかし、わが国の場合、老人ホームに関する限り、まだまだ量産の必要な時代なのである。
 では、老人ホームの施設整備量はどのくらいが適当といえるのだろうか。大変むずかしい問題であるが、一応、北欧の水準が参考になると思われる。北欧の中ではフィンランドの収容率が最も高く、老人人口の七.九%が老人ホームで生活している。これに続いて、ノルウェー五.五%、スウェーデン四.九%となっている。そして、いちばん収容率の低いデンマークでも、老人人口の三.五%は老人ホームで生活している(表24参照)。<112<
 ちなみに、わが国の場合、その収容率は昭和四十七年三月現在、一.二%である。」(森 1972:111-113)

「やがて施設保護に対する再度の反省が起こってくる。それは二つの理由からである。第一は、施設保護に内在している財政の硬直化ということである。昔、救貧院時代、人々はただ貧乏で生活できないというだけの理由で施設に入れられ、保護を受けていたが、その中には元気でピンピンしている老人も少なくなかった。
 たとえば、わが国の例をみると、老人福祉法の制定される前年の昭和三十七年、養老院の収容<114<者について健康調査が行なわれているが、その結果、老人の三分の二(六四.一%)」はピンピン老人であり、一割(九.二%)が寝たきり老人であると報告されている。ピンピン老人が、なぜ、三食つき、寮母さんつきの養老施設にはいってこなければならなかったのか。それは、住宅もなく、仕事もなく、年金もなかったからにほかならない。まさに三無斎である。もし、それらの対策が整備されていたら、なにも養老施設にはいらないでもよかった人たちが、養老施設の収容者の三分の二を占めていたのである。
 これは、なにもわが国だけのことではない。社会福祉が進んだヨーロッパの国でも、つい最近まではそうだったのである。英語の文献を見ると、初期のものにBoarding Home, Residential Home, Old People's Homeなどという言葉が出てくるが、これらはいずれも「老人下宿」といった感じの言葉である。
 しかし、そのうちに、ただ貧乏で生活できないというだけの理由で施設に入れていたのでは、金がかかって仕方がないということが知られてくる。たとえば、スウェーデンはカナダ、ニュージーランドなどとともに、世界で最も年金制度の進んだ国として知られているが、そのスウェーデンでさえも、老人ホームのコストは老齢年金の額の二倍にも上るのである。また、イギリスでは三倍にも上っている。」(森 1972:114-115)

「わが国で昭和三十八年に老人福祉方の制定ととも創設された特別養護老人ホームには一面、いわゆるナーシング・ホーム的な性格を持つものであった。それは、法制定の前年に行なわれた養老施設収容者の健康調査に現れている九.二%の寝たきり老人をそのおもな対象として生まれたものであったからである。
 なお、ついでに、特別養護老人ホームのもう一面の性格について見ておきたい。それは、第二<116<病院という性格である。疾病を持った老人をどのような施設に収容するかは、サービスの面から考えても、政策的にもきわめてむずかしい問題であるが、ヨーロッパの実情から、それは二つの考え方に分かれる。一つは病院に入院させることであり、もう一つはナーシング・ホームに入所させることである。これに対して、私は、わが国における病院建設およびスタッフ充足の両面での医療供給から考えて、少なくとも慢性疾患を持った老人については、ナーシング・ホームに入所させて、保健・福祉の両面からサービスをするのが適切と思う。つまり、ナーシング・ホームの第二病院化といえよう。
 施設保護に対する反省の第二は、老人の人間性尊重ということである。これは後の述べるリハビリテーションの考え方の普及と表裏一体をなすものであるが、オーバー・サービスは老化を促進する以外の何ものでもないという反省である。人間というものは、本来、安易を浴するナマケモノで、いくらでも容易さに妥協していく。それは同時に、人間性を堕落させるものでもあり、一個の主体的な人間としての尊厳性を傷つけるものでもある。
 先に述べたナフィールド財団の報告をはじめ、世界の精神神経学者は一致して、老人は集団生活をすることによって、生活が消極的、受身的になり、精神の老化が促進されるものであるから、できるだけ施設に入れないで保護したほうがいいと主張している。したがって、施設保護を必要とする高齢、病弱な老人の場合はともかく、居宅で生活できるうちは、居宅で生活させた<117<ほうがいいという考え方である。」(森 1972:116-118)

「新しい老人ホームが当面している次の問題は、老人ホームは老人をただ保護していればそれでいいのか、という問題である。
 ヨーロッパに滞在中、私は、各地の老人ホームで、老人ホームには車の両輪のように食堂とリハビリテーション室とが必要である、と聞かされた。いうまでもなく、人は身体と精神とを持つものであるが、食堂は身体を養い、リハビリテーション室は精神を養うというのである。
 今までの老人ホームは、ややもすれば、健康な老人にも三食つき、寮母さんつきのサービスをするなど過保護のきらいがあった。今後も、老衰末期の老人には手厚い看護は必要である。しかし、病弱な老人でも、機能の低下を防止するためのリハビリテーション療法が必要である。つまり、その残された能力を低下させないようにすることが大切なのである。
 老人人口、わけても老衰末期老人人口の増加が、生産年齢人口の負担となることは明らかであり、したがってリハビリテーション療法を老人ホームの中に導入することは、ミクロ的にも、またマクロ的にも必要なことである。今後の新しい老人ホームに課された一つの使命といえよう。」(森 1972:122)

「各地の居住福祉のうち、最も中心的な役割を果たすものは、各国ともホームヘルプ・サービスである。ホームヘルプ・サービスは一八八〇年(明治一三年)、スイスに始まり、今世紀にはいって急速に各国に普及した。その名称も初めは国によっていろいろ異なっていたが、一九五二年(昭和二十七年)の国際会議でホームヘルプという名称に統一された。ただし、アメリカでは初めからホームメーカーという名称を用いていたが、一九七一年(昭和四十六年)、ヘルスエイド(保健助手)と改められた。
 欧米のホームヘルプ・サービスは、初め多子家庭や妊産婦家庭を対象とする児童福祉対策、労働政策で、いわば防救的な性格をもつものであった。しかしその後、老人や身体障害者を対象と<134<する救貧的な性格のサービスも行なわれるようになった。
 (中略)
 わが国では、昭和三十五年から労働省(婦人少年局)の指導の下に事業内ホームヘルプ制度が始<135<められた。これは、企業に勤務する労働者の家庭で、たとえばその妻の病気、子どもの事故などのため労働者が欠勤しなければならないような場合、企業が雇用しているホームヘルパーをその家庭に派遣し、労働者家族福祉の推進をはかろうとするものである。四十七年一月末現在、三百三十二の企業が単独または協同してこの制度を持っている。
 一方、これよりも早く昭和三十三年、大阪市は独自にホームヘルプ・サービスを始めたが、これは老人家庭を対象とする福祉サービスであった。その後、老人福祉法の制定に伴い、ホームヘルプ・サービスは国庫補助事業として積極的に推進されることとなった。」(森 1972:135-136)
〔引用者補足〕
日本では、1956年、長野県で家庭養護婦派遣事業が始まり、その後、1958年、大阪市で臨時家政婦派遣制度が発足する。その後、1962年度から国庫補助事業として制度化されたのちに、1963年の老人福祉法において老人家庭奉仕員事業として規定されたものである。その後、1990年の老人福祉法改正で老人居宅介護事業として位置づけられた。

「一九六九年(昭和四十四年)の九月、アイルランドの首都ダブリンで開かれた第十一回国際リハビリテーション会議は、やがてあと数ヶ月で迎えようとしている一九七〇年代を前にして、「リハビリテーションの時代きたる」と宣言、世界にその重要性を強調した。そして、リハビリテーションを行なう理由を、それによって、その人が社会になんらかの貢献をするからではなく、たとえ社会になんの役に立たなくても、人それぞれに残された能力を埋もれさせておくのは人間尊重の精神に反するからであるからであることを確認した。(以下略)」(森 1972:159)

「だが、それは身体障害者のリハビリテーションにとどまり、老人のリハビリテーションについてはまだまだひろく一般の市民はおろか、リハビリテーション関係者の理解さえも得ることが容易ではなかった。たとえば、昭和三十六年、厚生省有志が個人の資格で参加してつくったリハビリテーション省内研究会は、年余にわたる討論の後、「医学的リハビリテーションに関する現状と対策」と題して報告した。しかし、それは、ほとんど身体障害者の医学的リハビリテーションに関するもので、老人については、わずかに数行が記録されたに過ぎない。」(森 1972:161)

「たとえば、最近、とみに人々の関心をひきようになった「寝たきり老人」は、昨日や今日突然に発生したものではない。昭和二十八年に行なわれた内閣総理府と郵政省の共同調査でも、その後の数次にわたる厚生省の各種調査でも、つねにその存在は明らかにされていたものである。そ<163<の推移は表29のとおりで、毎回、わが国お六十歳以上の人口の数パーセントは半年以上床につきっきりであることが推計されていたのである。
 ピーター・タウンゼントらによる『工業化された三国の老人問題』によると、老人人口の中に占める「寝たきり老人」の割合は、イギリス三%、アメリカ二%、デンマーク二%となっているから、わが国の割合のほうが高いことが知られる。
 わが国の寝たきり老人について、その原因をみると、さきの昭和二十八年の調査でも、三十八年の調査でも、その四〇%は脳卒中の後遺症によるものと推計されている。しかし、近年におけるリハビリテーション医学の教えるところによれば、脳卒中を発病した場合、二人に一人が生き残り、生き残った人については、その九五%までが自分で自分のことぐらいはできる程度に回復するばかりか、さらに少なからぬ割合の人が職場にも復帰するという。とすると、三十数万人に及ぶ「寝たきり老人」の半数近くは、「安静にしていなさい」という医師の言葉を忠実に守ってきたがための犠牲者ではないだろうか。老人でなくても、1ヶ月も絶対安静にしていれば、手足や身体の各所が衰えてくるからである。」(森 1972:163-164)

〔引用者補足〕表29「寝たきり老人の割合(日本)(60歳以上に人口につき)」では、各調査年次ごとの「寝たきり老人」の割合を示している(単位:%)。昭和28年(1953年)の「老後の生活についての世論調査」(郵政省・総理府)では5%、昭和35年(1960年)の「高齢者調査」(厚生省)では男性4.5%、女性4.0%。昭和38年(1963年)の「高齢者実態調査」(厚生省)では男性6.0%、女性5.3%、昭和43年(1968年)の「高年者実態調査」(厚生省)では3.5%、昭和45年(1970年)の「老人実態調査」(厚生省)では3.2%となっている。

■369 ■080106 [ml-prosemip 6313] 『老いと死を考える』(天田)

天田です。
山本さん、紹介、有り難うございました。

しつこいですが、三度、森幹郎本の引用です。学部生の教科書的な内容ですが、一応押さえておく必要はあります。
押さえるべきは、1963年の老人福祉法への流れです。

――――――――――――――――
◆森 幹郎
http://www.arsvi.com/w/mm09.htm

◆森 幹郎 20070915 『老いと死を考える』,教文館,253p. ISBN-10:
476426904X ISBN-13: 978-4764269040 1575.
 http://www.amazon.co.jp/dp/476426904X/

以下、http://www.kyobunkwan.co.jp/Publish/NB33.htm からの引用。

見えない老い、忘れられた死
○いま日本は、老いを拒否する「モラトリアム中年」、死を考えたくない「モラトリアム老年」が増えていないか。
○著者は元厚生省老人福祉専門官。行政と教育で老人福祉に長年携わり、現在は老人ホームの一室で自らと周囲の老いに直面。若いときからの自らの老人観の変化をも交えながら、個人・社会・行政の現状に問いを投げかけ、迫り来る高齢化社会に向けて提言。
○「若さ」「健康」「強さ」のみが価値ありとされる風潮のなかで、実は、常に病や死にさらされているすべての人間存在についても考えさせられる書。

目次
第1章 老人ホームの生活
第2章 老いと病
第3章 死と葬
付録 1.ボーヴォワール『老い』(書評)
    2.有吉佐和子『恍惚の人』(解説)

■引用

「一九六八(昭和四十三年)、民生委員制度発足五十周年を記念して行なわれた、全国社会福祉協議会のねたきり(ねたきりに傍点/引用者補足)状態実態調査の結果報告によると、六十五歳以上のねたきり老人の数は四十万人と発表された。その惨状は広く報道されたが、介護する家族の負担がひときわ目を引いた。
 老人福祉の仕事をしながらも、私は私や妻がねたきり(ねたきりに傍点/引用者補足)になることなど考えてもいなかったので、調査の結果を知って、ねたきり(ねたきりに傍点/引用者補足)になったときのことなども含め、老後設計のプランニングを持っていることが必要だと考えるようになった。
 当時、認知症のことはまだ問題になっていなかったが、そのとき、まず第一に考えたのは、私たちの介護のため、子供が自分の時間をさいたり、ましてや家庭崩壊の危機に曝されたりするようなことがあってはな<10<らないということであった。これが全てのことの大前提であった。
 当時、ねたきり(ねたきりに傍点/引用者補足)になれば、入院するのが一般的であったが、私は入院には否定的であった。病院には「治療」はあっても、「生活」がなかったからである。また、今後、在宅福祉がいくら進んでも、増加してくる老人数の絶対的な増加のなかで、とても十分なケアは望めないだろうと思ったからである。また、特別養護老人ホームの待機者数が多く、とても「措置入所」してもらえないだろうということも分かっていた。そこで、夫婦で話し合い、入居時前払い金の目途さえつけば、有料老人ホームに入ろうという結論になった。誰にでも与えられている選択肢とは言えないだろうが、私たちの場合、幸いにも願い通りの道を選択することができた。」(森 2007:10-11)

「一九七〇年代の終わりごろから、私は、苦痛の緩和・除去及び看護・介護サービスの充実等いくつかの点の改善を条件として、「特別養護老人ホームを老人のホスピスにするこ<14<と」を抽象してきたが(7@)、これは特別養護老人ホームが「終のすみか」となることを期待したものであった。
 一九七九年(昭和五十四年)、四十代の研究者が「森幹郎は特別養護老人ホームはホスピス(死にかけ老人収容施設)となることを乱暴にも肯定しているが、この主張の間違いは、訪問看護の実践からも証明できる」と反論した(7A)。ホスピスを「死にかけ老人収容施設」と説明するのも研究論文として無神経に過ぎるが、私も「訪問看護」の重要性については十分に認識していた。
 乱暴と言われた拙稿は、中軽度の介護の必要な老人に対しては在宅ケアを、そして、常時、濃厚なケアの必要な老人に対しては、入院ケアではなく、特別養護老人ホームにおけるケアを提言したものであった。
 すでに一九六八年(昭和四十三年)、六十五歳以上のねたきり老人の数は四十万人と報告されていたが(本書一〇ページ)、一九七四年(昭和四十九年)時点でもホームヘルパー数は一万七二〇人に過ぎず、先進諸国の高レベルケアに倣うなら、八十五万人の配置が必要であろうと、私は試算した(7B)。それから三十数年、平成十六年時点でも、介護保険法による訪問看護職員は十五万三二三二人に過ぎない(7C)。八十五万人! 夢のまた夢である。」(森 2007:14-15)
※[引用者補足説明]注(7)は以下の通り。
@例えば、「ホスピスとその問題点」『断章・老いと死の姿――死ぬことの社会学』保健同人社、一九八三年(一七九―一八五ページ)に所収。
A前田信雄「病める人を地域でみる」『講座日本の中高年(六)』垣内出版株式会社、一九七九年(一八七ページ以降)
B『ホームヘルパー』日本生命済生会社会事業局、一九七四年(一四ページ)。『戦後高齢社会基本文献集(第二十一巻)』日本図書センター。
C厚生労働省『平成一六年介護サービス施設・事業所調査結果の概況』

「一九六二年(昭和三十七年)に厚生省(二〇〇〇一年、労働省と合併、厚生労働省となる)が行なった調査によると(11)、生活保護法の養老施設の時代、入居者の健康状況は、健康六四%、病弱二七%、臥伏中九%と報告されている。つまり、養老施設は生活保護階層に属する老人の住宅事情、家庭事情又は健康・疾病状況等に応じて、それぞれ住宅、老人ホーム又は病<24<院として機能していたのである。
 一方、養老施設とは別に有料老人ホームの流れがあった。一九五九年(昭和三十四年)の時点で、その数は二十二ヵ所と報告されている(12)。有料老人ホームは、毎月の利用料の他、入居時に相当額の前払い金を支払わなければならなかったが、個室制であったこともあってか、そのニーズは高く、一九六三年(昭和三十八年)にはあ四十二カ所に増え、四年の間にほぼ倍増している。
 これに応えて、一九六一年度(昭和三十六年度)から、有料老人ホームに対する設備費及び事務費の国庫補助が始まり、名称も「軽費老人ホーム」と称されることとなった。軽費老人ホームは有料であるが、従来までの有料老人ホームと違って、前払い金を支払う必要もなく、社会福祉事業法の社会福祉事業であった。また、養老施設とも違って、個室制であり、入居者自身が食費や事務費の一部を支払うものであったから、社会の見る眼は有料老人ホームとも養老施施設とも一線を画していた。
 一九六三年、老人福祉法が制定されると、養老施設は養護老人ホームと名称を改め、また、特別養護老人ホームの制度が創設された。これらに軽費老人ホームを加えた三つの老人ホームは老人福祉施設として(当初・第一四条。現行法・第五条の三)、また、従来からあった有料老人ホームは届出施設としてそれぞれ規定された(第二十九条)。<25<
 このうち前二者への「収容」(当初法。後に「入所」と改正)については国家事務(機関委任事務)とされ、施設整備費及び入所者措置費(施設事務費及び老人生活費等)は政府予算に計上された。一方、軽費老人ホームは潜在していた一部のニーズに応えることにはなったが、居室面積は六畳一室であったから(制度発足時は三畳一室)、より高い居住水準を欲する階層の老人ホーム・ニーズは依然として充足されなかった。」(森 2007:24-26)

「一九六一年(昭和三十六年)、寿命学研究会(二〇〇七年解散)の会長・渡邊定(ルビ:わたなべさだむ)先生(一八九<83<二―没年?)はアメリカからM.ダッショ博士(ニューヨーク大学医学部助教授)を招き、全国主要都市を回って、老人リハビリテーションの講演会を持った。まだ誰も老人リハビリテーションなどと言わなかったころのことである。老人問題の黎明期に啓蒙学者として、また、老年社会科学会の初代理事長として、先生の働きは大きかった。
 同年、厚生省内に「リハビリテーション研究会」という有志のグループができた。翌年、研究会は報告書を纏(ルビ:まと)めて解散したが、「老人のリハビリテーションについては身体障害のためハンディキャップを持っている老人の問題はこれを検討事項に含めたが、一般的には老人の福祉問題として取扱うことが適当であるとし特に触れなかった。……」(同研究会報告書。四-五ページ)と、呼べるに止まり、理学的リハビリテーションの範囲を出なかった。研究会の一員として、老人のリハビリテーションは広く「生活のアクティヴェーション化」まで含めなければならないと発言してきた私にとっては、いささか不本意な報告書であった。
 それから、五十年近く、今や、アクティベーションの考え方は当然のこととなり、ついには生活不活発病(学術的には廃用症候群)などという言葉さえ出てきた。」(森 2007:84)

「『老人はどこで死ぬか』の鼎談のうち、「死に水」に関する私の発言の一部を紹介しておこう。
森 「老人はどこで死ぬか」というようなことを、実は、これまであまり考えたことがありませんでした。(中略)<121<
 さて、「老人はどこで死ぬか」ということからまず第一に連想するのは、「寝たきり老人」の問題です。その数は、昭和四三年〈一九六八年〉、全国の民生委員が老人の総点検をした結果によりますと、七〇歳以上の老人については十八万人、六五歳以上の老人については四〇万人と推計されていますが、これらの老人が、どこで、どのようにして死んでいくのかということは大きな問題です。つまり、家族や看護婦〈現・看護師〉の看護も受けないで、はなはだしい場合には、ゴハンは一日に一回しかあてがわれないとか、納戸にねかされほったらかされているとか、人間としての生活を保障されていない老人もそのなかには少なくないことを知って、「どこで、どのようにして」、ということをもう一度、謙虚に、素直に見直さなくてはいけないと思うんです。老人福祉といいますが、人権にもかかわるこのような大きな問題が民生委員の老人総点検が行なわれるまでほとんど問題にならなかったということは、大きなショック<122<でしたね。」(森 2007:122-123)

「これらの変化を一言で言えば、死の社会化ということである。やがて、老人の死のケアのあり方に二度目の変化が現れてきた。それは医療レベルから福祉レベルへの、病院死から老人ホーム死への転換である。財源について見るなら、税金から保険料への、そして、医療保険財政から介護保険財政への転換である。このことについてはすでに第一章第二節で述べておいた。
 老人ホーム死と関連して、老人福祉法の立案の過程で、特別養護老人ホームの法的な性格について論争のあったことに触れておきたい。それは、特別養護老人ホームを慢性疾患を持った老人のケアの場にしたいと考えていた老人福祉部局に対する、医療関係者の強い反対であった。反対の理由は慢性疾患を持った老人は病人なのだから、家庭で介護ができないのなら、病院に入院させるべきであって、老人ホームのような福祉施設に入れるべきでない、ということであった。医療行政部局もこれに賛同したため、老人福祉法の八月制定(一九六三年)より早く、その年の三月に成立していた新年度予算の費目上の名称「看護老人ホーム」の構想は実現しなかった。(中略)<126<
 しかし、私は特別養護老人ホームは慢性疾患を持った老人を対象としたナーシング・ホームとして専門化していくべきであり、終焉の地になるべきであると思っていたから、その後も私見を繰り返し主張した。老人福祉法の制定から八年経った、一九七一年(昭和四十六年)、私の主張に反対する浴風会病院院長・関増爾(ルビ:せきますじ)先生(一九一八―一九九三)と私の往復書簡が浴風会(四九ページ)の広報誌に連載されたこともあった。」(森 2007:126-127)

「私の安楽死に関する関心は一九七〇年代の後半に始まる。一九八〇年代の初め、私は時事通信社の『厚生福祉』にターミナルケア論や死論(死の変容、死の選択、死の理解等)を長期連載していたが、その中の「安楽死について」が「安楽死」に関する私の最初の小論である。次に、一部引用しておこう。(中略)<136<
「(略)いずれにしても、世界的に広まりつつある一連の安楽死運動は、人が自分の終末期のケアと死に方について、選択的にかかわっていこうとしている一つの現われである。科学の奴隷になり下がった人間がもう一度人間としての主体性を回復しようとしている一つの現われであろう」(森 2007:136-137)

「二〇〇七年(平成一九年)に入ると、厚生労働省(医政局)は「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会」を公開開催し、ガイドラインの検討を行なっている。底知れない医療財政に悲鳴を挙げての結果であろうが、私はインフォームドコンセント医療の確保が担保されていれば、安楽死法の制定も医療行政のコントロールも必要ないものと思っている。」(森 2007:139)

「死の射程距離内に入った今、思い出すのは一九六〇年代後半から七〇年代にかけ、老人福祉の世界に吹きまくった「生きがい論」である。」(森 2007:152)

■370 ■080106 [ml-prosemip 6314] 『老いとは何か』(天田)

天田です。
特段にとり上げるものはほとんどありませんが、一応。
ちなみに、昨年末から送付しているもののほとんどは私自身のためのものではありません。その点、宜しく。

――――――――――――――――
森 幹郎
http://www.arsvi.com/w/mm09.htm

◆森 幹郎 198909 『老いとは何か――老い観の再発見』,ミネルヴア書房,OP叢書 241p. ISBN: 4623019454 1427
http://www.amazon.co.jp/dp/4623019454/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9890712059&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
社会は「老い」をどのように見ているか、老人自身はどうなのか?老い観は、歴史を見ても、国によってもおどろくほど違っている。本書は「老い観」の史的変遷をたどり、現代世界の「老い観」に光を当て、その背後にある死の問題について考える。そして、老年学者である著者自身の「老い観」の変化を告白的に語る。「老い」へのユニークな入門。

【内容】
社会は「老い」をどのように見ているか。老人自身はどうなのか。歴史的・国際比較的にも著しく異なる「老い観」の史的変遷をたどり,現代の「老い観」を死の問題も含めてユニークに考察する。

【目次】
序章
1 覚えずして来る死
2 生物的な老いと社会的な老い

第1章 老い観
1 社会の持つ老い観の変遷
2 老人の持つ老い観の国際比較
3 現代社会の老い観をつくったもの
4 社会の持つ老い観を今後変えるもの

第2章 老いの社会相
1 科学の対象としての老い
2 社会問題としての老い

第3章 老いは死のこちら側
1 老いと同居する病い
2 変貌する死の姿

終章 私の老い観

■引用
「昔、養老院(一九三一―一九四七)、養老施設(一九四七−一九六三)に収容されていた老人は、たとえ病気になっても、そう簡単に医師の治療を受けることはできなかった。(中略)<171<<172<
 一九六〇年代に入って、医療費保障の制度が軌道に乗ってくると、事情は一変した。病<173<人のケアは福祉行政から一転して医療行政に移ることになったからである。一九六三年老人福祉法が制定されたが、特別養護老人ホームは「身体上又は精神上著しい欠陥があるために常時の介護を必要と」する(老人福祉法第一一条)老人を対象とするもので、「欠陥」という用語の解釈上「病人」を対象とするものではなかったから、特別養護老人ホームは競って保険診療機関を併設することとなった。」(森 1989:171-174)

■371 ■080106 [ml-prosemip 6316] 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』(天田)

天田です。
本当は「武蔵野方式」の仕組みなどについても言及すべきなのですが、それらは別途ということで。お金と制度のことは大切なことです。

――――――――――――――――
■山本 茂夫 199503 『福祉部長 山本茂夫の挑戦』,朝日カルチャーセンター
http://www.arsvi.com/b1990/9503ys.htm

■引用

「東京都では、昭和四七年に制度化されたねたきり老人などへの福祉手当は、現在でも七〇歳以上の要介護者に月額五万一千円の手当が支給されている。この金額は、他の自治体では想像できないほどの高額なもので、全都で約四〇〇億円の福祉手当(臥床)が支給されている。」(山本 1995:127)

「昭和四八年度、東京都は在宅福祉サービスの三大新規偉業として、福祉電話、友愛訪問員、家庭家事雇用費助成事業を実施した。家庭家事雇用費助成事業とは、東京都と都内の家政婦協会が協定を結び、市町村は協定料金で介護券を協会から買い上げ、ホームヘルプサービスの必要な家庭に介護券を配布するという画期的なものであった。私は、ホームヘルパーの常勤化を進める一方、ヨーロッパの福祉先進国では、非常勤ホームヘルパーの活用で量的に対応しているとの先例を知り、東京都の新制度の推進に積極的に努力した。
 美濃部革新都政の現実的な対応として出された介護券によるホームヘルパー派遣の新規事業であったが、労働組合、特に特別区職員労働組合の連合組織である「特区協」が反対運動を展開した。武蔵野市職労にも、民生局(現在の福祉局)に対する抗議行動への参加について上部組織から指令や、ホームヘルパーへの直接な働きかけなどがあったが、担当係長であり執行委員長として、私はそれらの動きを黙殺していた。」(山本 1995:131)

「老人病院のひどい実態を見聞する機会は多いが、それを取り上げ論じるのは、ごく少数のジャーナリストだけで、老人福祉の専門家や政治家たちは、言の葉にも乗せず、知らんふりを決め込んでいる。
 月刊誌『宝石』(昭和五七年三月号)で、NHKのディレクターであった和田努氏が三郷中央病院を告発したのが、老人病院の非情な処遇を取り上げた最初のものであった。
 (中略)<164<
 昭和四八年一月より、老人医療費支給制度の実施により七〇歳以上の高齢者に対する医療費の無料化が実施されたことにより「老人病院」が各地で繁盛した。
 (中略)
 和田氏の告発を契機に、厚生省は検査づけ点滴づけの老人医療を改善するために、昭和五八年二月に老人保健法を制定した。一部には、「老人への差別医療の導入」という批判は根強くあったが、これにより三郷中央病院のような悪徳経営にブレーキがかけられることになったのは事実である。一ジャーナリストの果たした社会的意義は大きい。
 大熊一夫氏が告発したのは入院患者に経費をかけないで儲けようとする新しいタイプの悪徳病院で<165<あった。『告発ルポ・老人病棟』は、私にとって和田氏につぐ再度の衝撃であった。
 アル中患者になりすまして精神病院に潜入し、『ルポ精神病棟』を著して衝撃を与えた大熊氏は行動派の記者であるが、「眞愛病院」の取材は困難を極めたようである。
 二一九人の入院患者の中から毎月二〇人近い人が死ぬ殺人工場に等しい老人病院が、三郷中央病院が消えた五年後にも現存していたのであった。
 (中略)
 その後、劣悪な老人介護について、問題提起をするジャーナリストはあらわれなかったが、平成六年六月一日から朝日新聞紙上に連載された『付き添って――ルポ老人介護の24時間』という記事は私にとって新しい衝撃であった。生井久美子記者が病院と付添さんの了解を得て何日間も病院に泊り込ん<166<で取材したもので、標準的な病院における付添看護の実態であるだけにショックは大きかった。(以下略)」(山本 1995:164-167)

■372 ■080106 [ml-prosemip 6317] 「寝たきり老人」をめぐるお金の話・2(天田)

天田です。
前便にて「東京都では、昭和四七年に制度化されたねたきり老人などへの福祉手当……」と記した「寝たきり老人等福祉手当」あるいは「重度痴呆老人介護手当」について説明をしておきます。これは先日、向井本からも引いておいたことでもあります。
http://www.arsvi.com/b1990/9003ms.htm

もともと1970年代前半に大阪府や東京都などで「寝たきり老人」の本人もしくは介護者を対象にして、「介護手当」が創設されます。その後、1980年代後半〜90年代に「痴呆性老人」も対象に加えていくような方向へと展開していきます。また、実施主体が都道府県から市町村へと移っていったのもこの時期にあたります。

そして、介護保険制度施行の手前の1999年11月には「家族介護支援特別対策」の一つとして市町村のメニュー事業のなかに位置づけられ、2001年度から実施されるようになっています。
このように「介護手当」から「家族介護慰労金」へと移ってきたのですが(地方自治体の独自事業から国の補助事業へと変更)、介護保険制度が始まってからは多くの自治体で廃止へと向かっています。
(ちなみに、上記とあわせて、介護保険制度創設の段階で様々に議論があった「家族介護(者)に対する現金給付」について考えてみるもの大切なことです)

この「介護手当」について、あるいは「家族ヘルパー派遣」について以下の論文がコンパクトにまとめています。老い研の皆さん、ご一読を。

◆菊池いづみ.20040627.「介護保険導入によって変わる介護手当の実態調査研究――地方単独事業介護手当の変遷より」.福祉社会学会第2回大会.2004年6月27日(日).於:東京大学本郷キャンパス.
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jwsa/02-4-3-1.doc
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jwsa/02-4-3-2.doc

◆菊池いづみ.200607.「家族ヘルパー派遣の決定要因――全村調査より」『大原社会問題研究所雑誌』No.572.33-48.
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/572/572-03.pdf

繰り返しますが、「介護手当」「家族ヘルパー派遣」「家族介護への現金給付」のいずれも私はなかなか面白いテーマだと思っています。

―――――――――――――――
【関連情報】
◆厚生労働省老人保健福祉局 「全国厚生関係部局長会議資料」
http://www1.mhlw.go.jp/topics/h12-kyoku_2/roujin-h/tp0119-1.html

◆厚生労働省老人保健福祉局 2000 「平成12年全国厚生関係部局長会議資料」
http://www1.mhlw.go.jp/topics/h12-kyoku_2/roujin-h/tp0119-1b.html

■373 ■080106 [ml-prosemip 6318] 生井久美子本(天田)

天田です。
前々便にて『福祉部長 山本茂夫の挑戦』の引用箇所に出てきた
> 生井久美子記者
の本、再読しています。今更ですが、時代的文脈とあわせて考えるとそこそこ面白いと思います。

グーグルで探したら、立岩さん作成のページを発見しました。
http://www.arsvi.com/w/ik07.htm

――――――――――――――――
◆生井久美子 199307 『私の乳房を取らないで――患者が変える乳ガン治療』,三省堂,ISBN-10: 4385355010 ISBN-13: 978-4385355016 1223.
http://www.amazon.co.jp/dp/4385355010/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9930401768&REFERER=0

◆生井 久美子 199601 『付き添って――明日はわが身の老人介護』,朝日新聞社,292p. ISBN-10: 4022569360 ISBN-13: 978-4022569363
http://www.amazon.co.jp/dp/4022569360/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9960026825&REFERER=0

【内容(「MARC」データベースより)】
家政婦紹介所から病院に派遣される「付き添いさん」。彼女たちの仕事や生活を通して、この国の医療やお年寄りの介護の実態を取材。厚生省の指導による「付き添いさん」廃止は、医療現場に何をもたらしたかを検証。

◆生井 久美子 199903 『人間らしい死をもとめて――ホスピス・「安楽死」・在宅死』,岩波書店,ISBN-10: 4000017500 ISBN-13: 978-4000017503 2310.
http://www.amazon.co.jp/dp/4000017500/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9972300633&REFERER=0

【出版社/著者からの内容紹介】
人間らしく生きられない社会で,人間らしく死ぬことは難しい.医療・介護問題に長年とりくんできた新聞記者が,納得のゆく死に方とはなにかを知るために,英国とドイツのホスピス,デンマークの在宅死制度,オランダの「安楽死」の実態をつぶさに取材した,老人大量死の21世紀を迎える現代日本人必読のレポート.

【内容(「MARC」データベースより)】
人間にとって納得のゆく死は可能か? 早くから「死」にとりくんできたヨーロッパの国々をめぐり、英国とドイツのホスピス、デンマークの在宅死制度、オランダの「安楽死」の実態をつぶさに取材したレポート。

◆生井 久美子 20000201 『付き添って――ルポ 老人介護の24時間』,朝日新聞社(朝日文庫),321p. ISBN-10: 4022612835 ISBN-13: 978-4022612830 693.
http://www.amazon.co.jp/dp/4022612835/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9973188373&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
病院での老人介護を支えてきた「付き添いさん」に密着ルポ。現場の人手不足は人間らしさとはかけ離れた、慄然とする現実を強いていた。在宅のとりくみも含め、介護する側、される側ともに大きな苦しみを背負う「介護地獄」の実態を追う。朝日新聞で大反響を呼んだ連載、待望の文庫化。

病院での老人介護を支えてきた「付き添いさん」に密着ルポ。
現場の人手不足は人間らしさとはかけ離れた、慄然とする現実を強いていた。
在宅のとりくみも含め、介護する側、される側ともに大きな苦しみを背負う「介護地獄」の実態を追う。
朝日新聞で大反響を呼んだ連載、待望の文庫化。

第1章 老人介護の24時間
第2章 「基準看護」の矛盾
第3章 私たちの体験
第4章 高齢先輩国はうまくいっているか
第5章 日本でもできる
第6章 そして、これから

◆生井 久実子 200009 『介護の現場で何が起きているのか』,朝日新聞社,328p. ISBN-10: 4022574720 ISBN-13: 978-4022574725 1470.
http://www.amazon.co.jp/dp/4022574720/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9974004764&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
この本は、付き添い廃止をきっかけに、介護の現場の取材を始めた著者が、朝日新聞に連載した記事をもとに、大幅に加筆・再構成してまとめた。第一章「チューブはやめて」、第二章「『縛らない介護』をめざして」、第三章「付き添いは消えたか」では、人間らしい介護を求めて続く、現場の人々の努力や挑戦、お年寄りや家族のようすを紹介した。第四章「新しい風」では、介護を支える家族や人々の変化を追った。第五章「介護保険がやってくる」では、介護保険の運営を担うことになった市町村の衝撃や、スタート前夜からの取り組みをまとめた。第六章「介護保険がやってきた」では、期待と不安のなかで、実際に介護保険制度が始まった現場のようすの一端を報告した。また、高齢先輩国デンマークがとりくむヘルパーの教育の充実や在宅での看取り支援制度、介護保険先輩国ドイツで、法医学者が遺体を調査して介護の質の惨状を明らかにした「バンブルク・スキャンダル」など、両国から学ぶべき点を、付章として紹介した。

【内容(「MARC」データベースより)】
日本はこれまで介護を悲惨なものにしてきた。家族も働く人にも過度の負担をかけてきた。介護保険導入を受けて、介護の現場はどのように変化したのか。『朝日新聞』連載をもとに大幅に加筆・再構成。

第1章 チューブはやめて―介護とリハビリの現場で
第2章 「縛らない」介護をめざして―介護保険で原則禁止に
第3章 付き添いは消えたか
第4章 新しい風―ここまで変わった家族、支える人々
第5章 介護保険がやってくる―壮大な「実験」の始まり
第6章 介護保険がやってきた―始まりの始まり
付章 海外先輩国から

■374 ■080106 [ml-prosemip 6319] 増田雅暢本3冊(天田)

天田です。
前々便の「介護手当」について言及されている本2冊。3冊目は介護保険制度創出の時にいかなることがどのように議論されていたのかをざっと知る意味であげています。

取り急ぎ。
天田
――――――――――――――――
◆増田 雅暢 20040130 『介護保険見直しへの提言――5年目の課題と展望』,法研,191p. ISBN-10: 4879545023 ISBN-13: 978-4879545022 1890.
http://www.amazon.co.jp/dp/4879545023/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9977880727&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
施行後5年目を迎える介護保険は、これまでどんな課題をかかえ、今後どう変わるべきなのかを徹底検証。

【内容(「MARC」データベースより)】
施行から5年目を迎えた介護保険の現状を、豊富なデータを用いて分析。法制度の見直しに向けて、よりよい介護保険制度を構築するための課題と、具体的な施策を提言し、介護保険の今後を展望する。

【目次】
第1章 5年目を迎える介護保険の評価(介護保険制度の経緯;介護保険導入のねらい ほか)
第2章 介護保険施行上の課題(介護保険制度の施行をふり返る;ケアハウスの将来 ほか)
第3章 介護保険見直しの課題(第2号被保険者の取扱い;若年障害者に対する適用問題 ほか)
第4章 介護保険と社会福祉法人(社会福祉法人をとりまく状況の変化;介護保険制度の導入や社会福祉基礎構造改革の展開 ほか)
第5章 介護保険の今後の展望(介護保険見直しの動向;保険者のあり方 ほか)
――――――――――――――――
◆増田 雅暢 200307 『介護保険見直しの争点――政策過程からみえる今後の課題』,法律文化社,225p. ISBN-10: 4589026813 ISBN-13: 978-4589026811 2310.
http://www.amazon.co.jp/dp/4589026813
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9977102589&REFERER=0

【内容(「MARC」データベースより)】
介護保険制度の政策形成の過程の分析をふまえ、現行制度を概観し、今後の制度見直しにあたっての論点と対応策を提示。また介護手当問題について、制度化への具体的施策を提言する。

【著者からのコメント】
本書の前半部は、介護保険制度の政策形成・決定過程を分析しています。介護保険制度を題材にした政治学的あるいは行政学的な色彩が濃い論文集です。省庁内部で、介護保険がどのように構想され、どのような議論が行われて法律がつくられたのか、審議会や関係団体、与党内の調整など、一般には知られていない介護保険の政策過程を明らかにしています。筆者は、旧厚生省において介護保険制度の企画立案業務に従事した経験をもっていることから、当事者の眼で介護保険法がつくられていく過程を、具体的に描いています。本書の後半部は、政策過程で課題としてあげられていた事項を中心に、見直しにあたっての論点を整理・分析しています。とくに、家族介護の評価に関しては、なぜ介護手当が制度化されなかったのか、その経緯を振り返るとともに、被保険者のためになる制度となるように、政策提言をしています。これからの少子高齢社会において、介護保険は私たちの生活に不可欠な制度になっていくことでしょう。本書が、介護保険を考える材料となることを期待しています。

【目次】
はしがき
第T部 介護保険制度の政策過程分析
 第1章 介護保険制度の政策過程の特徴
  T はじめに
  U 介護保険制度創設の検討に至った背景
  V 介護保険制度の政策過程の特徴
  W 介護保険制度の検討経緯における特徴
  X 介護保険制度の政策過程からみた今後の課題
 第2章 官僚組織における介護保険制度の政策過程
  T はじめに
  U 介護保険制度の創設に取り組んだ理由
  V 高齢者介護対策本部における政策形成
  W まとめ―省庁主導型政策形成の最後の重要制度
 第3章 与党における介護保険制度の政策過程
  T はじめに
  U 自民党政権下と自社さ連立政権下での政策過程の相違
  V 与党福祉プロジェクトチームの検討
  W 政治主導における介護保険制度試案作成
  X まとめ―連立与党の政策過程から見えてくるもの
第U部 介護保険制度の概要と見直しの争点
 第4章 介護保険制度の概要
  T はじめに
  U 介護保険法の制定
  V 介護保険制度創設の意義
  W 介護保険制度の概要
  X 介護保険法の修正及び特別対策
 第5章 介護保険制度見直しの課題
  T はじめに
  U 介護保険制度の3年間の状況
  V 見直しにあたっての10の論点
 第6章 家族介護の評価と介護保険
  T はじめに
  U 介護手当とは何か
  V 介護手当に関する検討経緯
  W 介護手当はなぜ制度化されなかったのか
  X 介護手当はどのように制度化すべきか

 参考文献
 参考資料
 あとがき
 初出一覧
 索引
――――――――――――――――
◆増田 雅暢・厚生省介護保険制度施行準備室監修 19980730 『わかりやすい介護保険法』,有斐閣,124p. ISBN-10: 4641077479 ISBN-13: 978-4641077478 998.
http://www.amazon.co.jp/dp/4641077479/
http://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?W-NIPS=9971651114&REFERER=0

【内容(「BOOK」データベースより)】
2000年4月から施行される介護保険法は、介護を社会全体で支え、総合的な介護サービスを利用者自身の希望によって受けることができるようにするものです。本書は、利用者の立場から見た疑問に答える形でやさしく簡潔に解説しました。ケアマネージャーが基本的な知識を整理するためにも好適です。

【内容(「MARC」データベースより)】
人口の高齢化が急速に進む中で、身近な問題となってきた介護問題。利用者、すなわち被保険者の眼から見た介護保険法のポイントについて、介護保険制度創設の検討に携わった経験のある著者がQ&A形式で解説。

2000年4月から施行される介護保険法は、介護を社会全体で支え、総合的な介護サービスを利用者自身の希望によって受けることができるようにするものです。
本書は、利用者の立場から見た疑問に答える形でやさしく簡潔に解説しました。
ケアマネージャーが基本的な知識を整理するためにも好適です。

介護保険法がつくられた背景や理由は何ですか
介護サービスの財源について、公費(税金)ではなく、なぜ社会保険で対応することとしたのですか
介護保険制度の創設のねらいとその仕組みをわかりやすく教えて下さい
介護保険の被保険者の範囲はどのようになっているのですか。高齢者は全員被保険者になるのですか。また、外国人も対象になるのですか
介護保険の給付内容はどうなっていますか。要介護者と要支援者では受けるサービスに違いがあるのですか
在宅で受けられるサービスについてその内容を具体的に説明して下さい。また、介護者が現金で保険給付を受け取ることができるのですか
施設サービスの内容を具体的に説明して下さい。養護老人ホームや一般の病院でも介護保険の給付を受けることができるのですか
有料老人ホームにいてもサービスを受けられますか。その場合、ホームに支払っていた介護金は返還してもらうことができるのですか〔ほか〕

■375 ■080107 [ml-prosemip 6325] Re: 有り難うございました→川口さん・立岩さん(天田)

天田です。
本日朝からバタバタして返信遅くなりました。

川口さん、情報有り難うございました。そうですか。
再読してみると、よい本を書いていることが分かります。
本日、田島さん紹介の本も含めて持参します。

立岩さん、有り難うございました。
今回はやや多めにあり、すみませんでした。

取り急ぎ。
天田

■376 ■080110 [ml-prosemip 6376] Re: [ml-prosemip 6373] Re: 生活保護−高齢者女性

天田です。
指摘自体は前々からのことですが、どなたかがこれまでの老齢加算/母子加算をめぐる議論の詳細などまとめてくれるとよいのではないかと。
また、その後の生存権訴訟も諸々についても。

なお、
http://www.arsvi.com/0m/sfj20081.htm
を発行している市民福祉情報オフィス・ハスカップ
http://haskap.net/
がまとめた本が以下。
http://www.arsvi.com/b2000/0603oh.htm
また、中学生でも読めるものとして以下のものがあります。
(以下、覚えたamazonの形式を使ってみたかっただけでもありますが)

――――――――――――――――
◆宮下 忠安・小竹 雅子 200501 『もっと知りたい!国会ガイド(岩波ブックレット)』,岩波書店,80p. ISBN-10: 4000093428 ISBN-13: 978-4000093422 504
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000093428/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4000093428.html">[kinokuniya]</A>

【内容(「BOOK」データベースより)】
国会案内や法律のつくられ方、国会議員の仕事などをわかりやすくまとめたガイド本。

【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
宮下 忠安
1930年生まれ。中央大学法学部卒業、同専攻科修了。参議院事務局参事、同予算委員会調査室長(専門員)、企画調整室長を務める。流通科学大学教授を経て、明海大学客員教授

小竹 雅子
1956年生まれ。81年より「障害児を普通学校へ・全国連絡会」事務局スタッフとして、地域の学校に通うことを願う子どもたちを支援する活動に参加。96年、「市民福祉サポートセンター」設立に関わり、高齢者福祉に関する電話相談事例をもとに『介護情報ハンドブック』(岩波ブックレット、2002年)を執筆。2003年より「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

【目次】
1 国会ウォーキング
2 国会の春夏秋冬
3 国会議員
4 国会のシステム
5 法律ができるまで
6 市民の国会へのアクセス
6 国会の出版物

◆小竹 雅子 200602 『こう変わる!介護保険(岩波ブックレット)』,岩波書店,61p. ISBN-10: 4000093703 ISBN-13: 978-4000093705 504
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000093703/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4000093428.html">[kinokuniya]</A>

【内容(「MARC」データベースより)】
2006年4月1日に施行予定の改正介護保険法を解説。「今までのヘルパーさんには来てもらえなくなるのですか?」「施設サービスの利用料は、なぜ上がったのですか?」などの疑問に、わかりやすく回答する。

【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
小竹 雅子
1956年生まれ。1981年より「障害児を普通学校へ・全国連絡会」事務局スタッフとして、障害のある子どもたちと保護者などの就学運動を支援。1996年、「市民福祉サポートセンター」設立に参加、電話相談「介護問題ホットライン」の事例をもとに『介護情報ハンドブック』(岩波ブックレット)を執筆。生活情報サービスセンター「介護相談」コーディネーター、国際長寿センター「介護支え合い相談」アドバイザーなどをつとめる。2003年より「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」を主宰。メイル・ミニコミ「市民福祉情報」の配信、介護保険の見直しを考える連続ワークショップなどを企画(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

【目次】
こう変わる!改正介護保険(なぜ、介護保険法は改正されたのですか?;改正の内容は、どのようなものですか? ほか)
さらにくわしく!改正介護保険(今までのヘルパーさんには来てもらえなくなるのですか?;筋力トレーニングをしなければならないのですか? ほか)
増える利用者負担(施設サービスの利用料は、なぜ上がったのですか?;値上げ分を払えないと、施設を出なければなりませんか?)
もっとくわしく!改正介護保険(認知症の人たちへのサービスは、どうなりますか?;在宅介護の医療ケアは、どうなりますか? ほか)
改正介護保険のこれからの課題(若者も介護保険料を払わなければならないのですか?;障害者サービスも介護保険になるのですか?)


◆小竹 雅子 200705 『介護情報Q&A(岩波ブックレット)』,岩波書店,ISBN-10:
4000094009 ISBN-13: 978-4000094009 735
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000094009/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4000094009.html">[kinokuniya]</A>

【内容(「MARC」データベースより)】
介護保険の制度、さまざまなサービスの内容と費用などを65の用語にわけ、利用する立場からわかりやすく説明。相談できる市民活動グループや諸機関も紹介。2002年刊「介護情報ハンドブック」を全面的に書き改めたもの。

介護保険のしくみ
介護保険にかかる費用
サービスを利用するための手続き
介護保険のメニュー
サービスを利用するには
自宅などを訪問してもらい利用するサービス
通って利用するサービス
泊まって利用するサービス
自宅などで利用するそのほかのサービス
新しく登場した地域密着型サービス
介護保険以外の住宅サービス
住み替えて利用するサービス
施設で利用するサービス
介護保険とほかの制度の関係
高齢期の悩み
介護する人たちの悩み
支える人たち

【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
小竹雅子[オダケマサコ]
1956年生まれ。1981年より「障害児を普通学校へ・全国連絡会」事務局として、障害のある子どもたちの就学運動を支援。1996年、「市民福祉サポートセンター」に参加、電話相談活動の事例をもとに『介護情報ハンドブック』(岩波ブックレット)を執筆。2003年より「市民福祉情報オフィス・ハスカップ」を主宰。メイル・ミニコミ「市民福祉情報」の無料配信、介護保険や社会保障制度の連続セミナーを企画。2006年、首都圏の市民活動六団体と電話相談「改正介護保険ホットライン」を共同開設(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■377 ■080111 [ml-prosemip 6379] 『この国は恐ろしい国』(天田)

天田です。
前便の生活保護にも関係することですが、ここでは「児童扶養手当」と美濃部都政の「介護料」「介護手当」の記述部分のみ。
書かれたものはすでに知られていることですが、いつに何が書かれたのかという意味で、ということで。


ちなみに、いろいろ探してみましたが、残念ながら、
http://www.kageshobo.co.jp/
『季刊 辺境』についてのデータベースは影書房のウェブ上にもないです。
→どなたかデータベースの在り処など知っている方がいましたら教えてください。

――――――――――――――――
◆関 千枝子 198810 『この国は恐ろしい国――もう一つの老後(人間選書)』,農山漁村文化協会,202p. ISBN-10: 4540880713 ISBN-13: 978-4540880711 1366
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4540880713/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4540880713.html">[kinokuniya]</A>

【内容(「BOOK」データベースより)】
生存するのも危ういほどの賃金しかもらえず、その低賃金のために、平均をはるかに下回る年金しかなく、もちろん貯金もない女性たちは、どんな老後をおくれるのでしょうか。私は、まじめに働きつづけてきた人間が、年をとってから生きて行くのが不可能な年金制度で平然としている国はどう考えてもおかしいと思います。その国が世界一のお金持ちというから、いよいよ話はわからなくなります。この国は―恐ろしい国ですね。日本エッセイストクラブ賞受賞(『広島第2県女2年西組―原爆で死んだ級友たち』)の著者による渾身のルポ―。

【目次】
“豊かな国”の底辺を行く
第1章 もう1つの老後
 底辺の所得層=未婚・離別の母子世帯
 ある母子家庭の暮らし――家計簿から
第2章 “子殺し”に母親を追いつめた低賃金長時間労働(宇都宮)
 “親のエゴ”でかたづける“普通の人々”
 この国に“貧困”は存在しないか?
 “枠組み”からはみだしたことのない”負い目”
 “負い目”を共有する立場から
第3章 母親を“餓死”させる“豊かな国”の福祉(札幌)
 “母子世帯”をみる歪んだ目
 暮らしを閉ざした末に
 「役所はこわいところ」
 売春を示唆する福祉事務所
 “豊か”幻想のなかで子どもらは
第4章 見えない老後――この国は恐ろしい国(広島)
 “老後”どころではない
 地方はもはや壊滅している
対談 “買う福祉”を買える人々・買えない人々(久場嬉子氏と)
 家族が担う福祉と買う福祉
 貧困の女性化
 福祉に占める「公」の役割
 貧困の再生産――母子家庭の場合
 「弱者」に「弱者」をささえさす構造
 老後にとって豊かさとは何か
 福祉の民活路線は何をもたらすのか
あとがき

■引用

「児童扶養手当は、年金の“補完措置”としてつくられた。つまり、父親が死んだ場合、彼が厚生年金加入者なら遺族年金が、国民年金加入者なら母子年金が支給される。ところが、国民年金加入者でも保険料の払えない(払っていない)ケースがあるのでこのために「母子福祉年金」が制定された。このとき、同じように父を失いながら、何の年金ももらえないケースがあるということが問題となり、“父と生計を共にしていない”離別や未婚の子を対象とした児童扶養手当が生まれたのだった。まさに、児童について――「児童の福祉の増進を図ることを目的とする」(旧・児童扶養手当法第一章)と、児童憲章の理念と精神にのっとったものだったのである。その趣旨により所得制限は母子福祉年金の制限額と同一とされた。
 児童扶養手当の改悪案が出、当事者たちの反対運動が起こったころ、この所得制限自体を取り払うべきだとの意見があり、要求にもなった。つまり年金の補完措置なのだから所得制限があるのはおかしい。遺族年金も母子年金も、母の収入や資産に関係なく出るのではないかという意見である。私は理論としてはわかるが、抵抗を覚えたものである。私自身の経験では、所得制限以上の所得があり、こんな手当てなどもらわなくて暮らせたら、どんなにせいせいするかと思った。なんであっても、金をもらうことは、いやなことなのである。
 だから、母子家庭の母たちは、収入が低くむしろ生活保護を申請したほうがいいと思われる場合でも、それだけはイヤだと、夜も昼も働く。児童扶養手当は“子どもの健やかな成長のためのもの”な<73<のだ。胸を張って、もらっていいのだ、といい聞かせる。
 (注=児童扶養手当法は改悪され、手当ての目的そのものが「……父と生活を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進に寄与するため……」と、“家庭”が対象となり、年金の補完から福祉となり、母子福祉年金とは異なる所得制限となった)」(関 1988:73-74)

「「弱者」に「弱者」をささえさす構造
久場 これは今日ぜひお話したかったことなんですが、母子家庭の高齢化、老人問題などをみていると、これからの問題として弱者が弱者を支えなきゃいけないような構造というか、支えさせられていくような構造がつくられつつあるような気がするんです。(中略)<186<
 子どもを抱えた人が八万円とか十万円とかの給料で、大切な老人たちの身のまわりの世話をさせられるわけでしょう。そこにこれからの高齢化社会の、もっとも警戒すべき縮図が表されている、とわたしは思うんです。
 「弱者」といったら悪いけれども、とにかくそういう立場に置かれている人たちが、「弱者」にさせられている老人たちの世話をさせられる。それは、母子家庭のお母さんにとっても死活問題ですが、老人の人権問題からいっても、そこで受けるサービスが安かろう悪かろうですまされてはたまったものではないですね。それを考えるなら、このことは母子家庭の問題というということを超えて、それこそ高齢化社会をどう考えるかという問題になってくる。しかもいまはそこにアジアの女性たちを入れるということさえ話題にされている。そうなると、アジアからの若い女の子たちが来るというので、「あなたたちおばさんはいらない」と言われて賃金を叩かれることになるでしょう。
 しかも日本では、いま、この問題について言えば、アジアの女性たちを入れるのはやむをえないだろうという考え方がけっこうスンナリと通っていくのですね。というのは、日本の女性はそういうダーティーワークをしたがらない、老人の世話をしたがらないからだと考えられている。冗談じゃない、<187<その方面で職業としての訓練を受け、経済的に自立を計りたい、真剣に働きたいという意思のある人たちを受け付けないで、ダーティーワーク化させておいて、日本の女性がいやがるからとアジアの女性たちを連れてくるという論法はまことに無茶ですね。
関 たとえば、東京の美濃部都政が赤字財政をつくったと批判されますが、いまだに残っている大きな遺産のひとつに「介護料」というものがある。お年寄りが本当にダメになって、家庭で面倒みきれなくなったとき、東京だと一日一万円近くの付き添いさんの介護料全額が補助されるから経済的負担はほんどなしですむんです。それだとちゃんといいヘルパーさんもつけられると思うんです。
久場 美濃部都政の、他とくらべて突出したもう一つの遺産に、家庭で老人を介護している人への介護手当てというものがありますよね。他の市町村ではそれを出すところがあるにしても、せうぜい二千円というような「涙金」的なおカネなわけです。ところが東京では、月三万二千円いくらかの額なんですね。横浜が今度ふやして年に九万なにがし、つまり月五千円程度です。それでわたしは東京都というのはたいしたもんだと思っていたら、つい先日ノルウェーについて聞いた話なんですが、「家庭で老人の面倒をみている女性にきちんと介護手当てを払え」という主張があって、その運動があるというんですね。なんとその手当ての額を聞いて驚いたのですが、「看護婦さんの賃金と同じ額」というんです。
 家庭で面倒みようが外でみようが、老人の面倒をみる仕事というものはきちんと手当てされなくてはいけないという考え方で、これはもう日本の二千円、三千円というのとそもそも精神が違うんです<188<ね。
 ですからわたしは、やはり先に言った「弱者が弱者を支える構造」というのが日本では貫徹しつつあると思う。かたや有料老人ホームだ、いや億ションの老人マンションだと民活がすさまじい勢いで進行しつつありますが、その下の階層、底辺ではどういうことになっているかというと、なけなしのおカネを私立の老人病院に払って、介護にしてもケチられ、満足に受けられない状態にある。そして、厳密な意味での専門職ではないにしても、きちんとそれなりの訓練を受けた女性たちが働きたいといっても、相応の扱いをせず、アジアの女性たちに取って替えかねないような風潮さえある。
 それは、世話を受ける老人たちの人権問題でもある。働く人の人権と面倒をみられる人の人権をどう考えているのかという大変な問題ですね。」(関 1988:186-189)

「本文の一章、二章、四章は、第三次「辺境」(井上光晴氏編集)二号〜四号に掲載したものです。「辺境」が再刊されるという報道を知り、井上光晴氏が“すべての面で辺境“の存在、たとえば、老後の問題にも力を入れたいといっておられるのを聞き、もっとも“辺境”の位置にいる母子家庭の老後の問題を書きたいと手紙を書きました。折り返し井上さんからすぐ書きなさい、と電話がきました。(以下略)」(関 1988:200)

■378 ■080110 [ml-prosemip 6380] 短文(天田)

天田です。
以下、短文。一応、お知らせ。

――――――――――――――――
◆天田 城介 2008/01/28 「この世界を社会学すること・2」(OTのための教養講座 Lesson2:社会学)
 『作業療法ジャーナル』(42巻2号).**-**.(三輪書店)
http://www.josukeamada.com/bk/bs08-2s.htm

■379 ■080116 [ml-prosemip 6405] 『老人はどこで死ぬか』(天田)

天田です。
1970年7月刊行の著書。この本で触れている「潮谷総一郎」「杉村春三」については別便にて。また、「十字の園」(+「長谷川保」)についても別便にて。

後半は「長文」の抜書きです。これだけ読めばおおよそ60年代の事情が分かります。読む楽しさは放棄し、「資料」として読むことが大切です。
(なお、「医療側」がどのような反応であったのかについては詳細に調べておく必要はあります)
→老い研の皆さん

――――――――――――――――
◆佐口 卓・森 幹郎・三浦 文夫 19700715 『老人はどこで死ぬか――老人福祉の課題』,至誠堂,184p. ASIN: B000J9P7M8 420
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9P7M8/ryospage03-22">[amazon]</A>

【目次】
第T部 老人福祉の問題点
1 問題の提起  佐口卓
2 施設処遇と居宅処遇  三浦文夫
3 ヨーロッパの老人福祉の現状  森幹郎

第U部 老人はどこで死ぬか(座談会) 佐口卓・森幹郎・三浦文夫
1 「問題の提起」をめぐって
2 誰が死に水をとるか
3 同居か別居か
4 孤独と孤立
5 居宅か施設か
6 老人の権利と役割 
7 老人福祉の課題をめぐって

第V部 戦後老人対策のあゆみ 森幹郎
1 一九五〇年代(昭和二五〜三四年)
2 一九六〇年代(昭和三五〜四四年)
3 戦後二五年のまとめ 

付録 老人福祉関連統計・老人福祉法

■引用

 「もちろん「老人はどこで死ぬか」という設問は、一面では、「老人は老後をどこで如何にして過ごすのか」ということを、逆説的(ルビ:パラドクシカル)に表現したものであろうが、この点は後述することにして、「老人はどこで死ぬのか」という質問は、考えようによっては、今日の老人福祉対策を考える場合に、タブー規されるだけのことであってはならない側面も含んでいる。
 たとえば、この問題は、わが国の老人福祉対策上の立ちおくれの一つとして指摘される「老衰末期者対策」にかかわるものでもある。この点について杉村春三氏は次ぎのようにのべている。
 「現在の日本の特別養護老人ホームは、法規制と行政機構の制約から、その本態的分析すらも遠慮されているきらいがあるが、要は老衰末期者に末期看護を中核的なサービスとしてあたえる。そして事実上老衰末期者を安らかに死なせる場所という根本認識が欠けているために、枝葉末節的なことに必要もない努力がなされたり、といってNursing homeの分化を十分に考慮する必要はもち
ろんあ<16<ることだけに、単一機能や性格を押しつけることは誤りでもあって、現在の時点では日本の特別養護老人ホームはむしろ通過すべき歴史的な過程全休の始まりの場所に停滞しているものと考えられる。最も重要なことは終末看護(Terminal-care)の機能であり、これは臨床診断診療を中軸機能とする病院とは、厳密にいって明確に区別されるべきものであろう。」(杉村春三「老人福祉をめぐる諸問題」社会福祉研究二号所収)
 だいぶ長い引用になったが、この指摘はわが国の特別養護老人ホームのおり方を鋭くついたもので、傾聴に価する提言であろう。人ロ老齢化がますます進み、さらにその第二段階とでもいうべき七五歳以上の後期高齢者層の激増が将来予想されるわが国にあって、この「老衰末期者対策」の重視という指摘は、老人ホームのあり方というだけでなく、老人対策全般についても、真剣に検討しなければならない問題提起の一つと思われる。」(佐口・森・三浦[1970]16-17)

 「たしかに、わが国の老人福祉対策を考える場合、老人の処遇を居宅中心に考えるかそれとも施設中心で考えるかということは今日では重要な問題の一つとなっている。しかし、このことが真剣に問われるようになったのはごく最近のことであり、昭和三八年老人福祉法が登場する頃までは、この問題は少なくとも老人福祉対策との関連で問われることはきわめて稀であった。
 それは、いうまでもなく、従来の老人福祉対策は生活保護事業の枠内で取り扱われ、居宅保護か施説保護ということは、あくまでも生活保護法の処遇原則に結びついて論じられるにすぎなかったか<31<らである。そして、この場合に居宅保護が原則とされたにしても、それは老人処遇ということとは無関係に、被保護世帯すべてに共通するものとして取り扱われていたのであった。そして老人の処遇ということは、経済的貧困を前提として「老齢のため独立して日常生活を営むことのできない者で、適当な扶養家族のいない者のために、国および地方公共団体は、老齢者ホームを設け、これらの人々の便宜を図る必要がある」(昭和二五年、社会保障制度に関する勧告)ということで、生活保護法で 「養老施設」への収容を規定している。その意味で、上記の条件にない貧困老人は、生活保護法による経済保障を与え、必要に応じて生活指導を行なうことがあるにしても、それらは特に老人福祉対策とみなされるものではなく、老人福祉対策としてはあくまでも施設処遇が中心的な課題となっていたのである。
 しかし、昭和三八年の老人福礼法の制定は、一面で、生活保護法に収斂されていた老人福祉対策を部分的に解放することになった。たとえば、同法の第二条「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として敬愛され、かつ、健全で安らかな生活を保障されるものとする」という規定に示されるように、従来貧困老人に限定されていた老人福祉の対象を一般老人にまで拡げ、しかも、その処遇の内容としても、生活保護法の規定する最低生活の保障ではなく、理念的には「健全で安らかな生活の保障」が得られなければならないとされたのである。したがって、対象が貧困老人だけでなく一般老人にまで拡げられたということは、それまでの施設<32<収容中心の老人福祉対策では済まされなくなり、居宅処遇を含む総合的対策に転換することが要請されることになったのである。
 ところで、この転換のなかで、収容施設は、従来の養老施設一本ということではなく、養護・軽費・特別養護の三本建ての老人ホームに細分化されることになった。しかし、注意しておかなければならないのは、特別養護老人ホームは例外としてみても、他の二つはあくまでも経済的事由にもとづいて区分されていることである。これは、老人福祉法の前提となる所得保障を例にとると、国民皆年金体制ということで制度の枠は西欧なみに確立されながらも、それが今日の老人の生活には実際的に有効に働かず、依然として最終の救済手段としては生活護法(ママ)に依存しなければならない現状では、ある意味で止むをえないものであるかもしれない。
 したがって、このような収容施設のもつ現状のなかで、老人の処遇は居宅中心でいくかそれとも施設中心でいくかという設問は、きわめて限定された範囲でしか考えることはできないのである。すなわち、老人の処遇は居宅中心でいくべきかどうかといっても、その前に、老後の経済生活は何によって支えられるかということが問われなければならない。そして、経済的に貧しいという前提が明らかになってはじめて、居宅かそれとも施設かということが問題とされることになるのである。換言すると、経済的に自活できる老人にとっては(有料老人ホームを例外としておくならば)、居宅での生活ということは選択の余地のないほとんど自明のことといわれなければならない。<33<
 なお、経済的事由とは別の見地から老人の収容をはかる特別養護老人ホームについて、付言しておこう。周知のように、このホームは、「養老施設収容者のうちには、精神上または身休上著しい欠陥があるため、常時介護を要する状態にある者……を一般の者と分離して収容し、医学的管理のもとに適切な処置を行うことが、老人の健康の保持と施設管理の合理化の面から強く要請される。……また生活保護階層でない老人のうちにも以上と同様の状態にあるもの……は家庭内において必ずしも適切な看護を受けているとは限らないので、これらの者をも合せて収容する施設として、諸外国にその例をみるナーシングホームを計画的に設備していくことを考え」て設立されたものである(昭和三七年厚生白書)。
 しかし、この趣旨にもかかわらず、諸般の事情によって、医学的管理・看護等はかならずしもその中心的機能とすることができず、収容される老人は常時介護を必要とするものとされ、いわゆる「ねたきり老人」の収容が実体となっている。その性格は曖昧なものとなった。そしてこの「ねたきり老人」のもつ特性はほとんど考慮されず、その分類もおこなわれていない。その上、この施設数は、昭和三八年の三施設から昭和四四年三月末で八三施設と大幅にふえているが、この種の施設を必要とする老人のニードに比較すると、その数はあまりにも僅少にすぎるといわなければならない。
 要するに、このホームにかぎっていえば、入居のために経済的事由は直接には問題とならずに、常時介護を要するかどうかという理由によって施設への収容が選択されることになる。しかし、このよ<34<うな建前があるにもかかわらず、施設数の絶対的な少なさは、居宅になじまない老人をも余儀なく居宅としなければならないことも多々起こり、その意味では選択の幅が狭いといわなければならない。
 また老齢にともなう心身機能の退行化の進展は当然精神上・身体上の疾病を増加させる。その意味からいうと、老齢者にたいする医学的管理はきわめて重要なものとなる。しかし、特別養護老人ホームは上述したようにかならずしも医学的管理を行なうわけではなく、さりとて、老人向けの医療施設もかならずしも体系的に整備されているわけではない。このために、心身上の理由から医学的管理をともなう施設を望んでもほとんどこの期待にこたえることができない。」(佐口・森・三浦[1970]31-35)

「I「問題の提起」をめぐって
 佐口 まず、最初に、老人はいかに死ぬか、死ぬべきか、また、どこで死ぬか、あるいは死というものにぶちあたるまでの老衰末期の問題をどう取扱うか、こういう問題提起をしたわけですが、両先生はともに老人福祉の研究を進めておられるので、その点、問いかけに最初いったいどういう感想をお持ちになったかをうかがってみたいのです。
 森 「老人はどこで死ぬか」というようなことを、実は、これまであまり考えたことかありませんでした。ということは、まさに、従来の老人福祉対策をそのままあらわしているのだと思うのですが、わが国の老人福祉対策は、従来、いってみれば老人ホーム対策だったと思うのです。私どもがいままで老人福祉の対象としてきた老人というのは、老人ホームの老人しかいなかったわけです。したがって「老人はどこで死ぬか」といえば、老人ホームしかなかった。ですから、いま改めてこの問題を考えてみますと、まず、老人ホームで生活している老人は全国の六五歳以上の老人のわずか一パーセントそこそこに過ぎないんだ、ということを再認識しなければいけないと思うんです。そして、つぎに、水底で生活している残りの九九パーセントの老人のなかには、たとえば、ねたきりの老人が数十万人もいることを再認識しなければならないと思うんです。<62<
 戦後四分の一世紀、老人福祉法が制定されてから七年を経たい今日、これほど老人の問題が世間でやかましくいわれながらも、実は、行政的な面では最近まで家庭の老人のことが生活保護を受けている老人などのほかにはあまり顧みられないできたという意味で、「老人はどこで死ぬか」という問題は、私にとって、ショッキングな問いかけであったわけです。
 さて、「老人はどこで死ぬか」ということからまず第一に連想するのは、「ねたきり老人」の開題です。その数は、昭和四三年、全国の民生委員が老人の総点検をした結果によりますと、七〇歳以上の老人については一八万人、六五歳以上の老人については四〇万人と推計されていますが、これらの老人が、どこで、どのようにして死んでいくのかということは大きな問題です。つまり、家族や看護婦の看護も受けないで、はなはだしい場合には、ゴハンは一目に一回しかあてがわれないとか、納戸にねかされほったらかされているとか、人間としての生活を保障されていない老人もモのなかには少なくないことを知って、「どこで、どのようにして」、ということをもう一度、謙虚に、素直に見直さなくてはいけないと思うんです。老人福祉といいますが、人権にもかかわるこのような大きな問題が民生委員の老人総点検が行なわれるまでほとんど問題にならなかったということは、大きなショックでしたね。
 三浦 「老人はどこで死ぬか」という問題提起にどう答えるべきかということになると、正直いってハタと当惑してしまいます。この当惑感は何であろうかとふり返ってみますと、いろんなことが考え<63<られますが、その一つには、老人問題を考えるときに死という問題はできるだけ避けるという世間一般の空気と関係かあるように思います。私どもも、しらずしらずのうちに、老人の死という問題については、あからさまに問題にするのは慎みたいというような気持もなかったとはいえません。しかしこういう形で真正面から問題を提起されてみると、この問題を避けるということでは済まないことであると思います。よく考えてみますと、この問題は老人対策、老人福祉対策の場合に、非常に重大な問題を含んでおることに気がつきました。
 ところでこの問題を受けとめてみまして、まず頭に浮かんだのは、老人ホームをターミナル・ステーションとして考えようとする提案でした。たしか昭和四十三年の老年社会科学会の席上であったかと思いますが、杉村春三先生が老衰末期者の対策と関連して、老人ホームはどのような性格をもつべきかという問題提起をされて、ターミナル・ステーションということをいわれていますが、率直のところ、そのとき私はこの提言がピンとはきませんでした。しかしいま改めて、「老人はどこで死ぬか」という問題を出されてみると、この杉村先生の発言は老人ホームにとっても非常に重要な問題であったということに気がつきます。その意味でも、この問題はもう一度考えてみなければならないと思いました。」(佐口・森・三浦[1970]62-64)

「佐口 いかに死かぬべきかということになれば、場所の問題もあるけれども、もう一つはやはりそれに耐えるだけの気持を養っておかなければならないという自分自身の問題だということですね。
 森 そうですね。いわゆる老年性痴呆のような老人は別としても、心身の比較的元気な老人については、とくにこのことが強調されなければならないんじゃないですか。
 佐口 ただたしかに生ける屍になったときのあの状態というのは、悲惨であると同時に本人には自覚できないことだし、そうなってくると、安楽死というような問題も本当は出てくることですね。
 森 ですから、私は前からこんなことをいったり書いたりしているんです。それは、養護老人ホー<136<ムがまだ、生活保護法の養老施設といっていた昭和三七年の調査なんですが、収容されている老人の六四・一パーセントは健康な老人なんですね。これらの老人には、本当は、住宅をあげればいいんです。そして貧しくて生活ができなければ生活保護法でみてあげればいいんです。とにかく住宅をあげる。そして、そのあとの空いたところには比較的病弱な老人や、ねたきりの老人をいれたらいいと主張してきたんです。
 しかし、従来、とくに戦後しばらくのあいだは日本の住宅行政が労働政策の一環として、つまり労働力の再生産という立場から推進されていたということもあって、健康な老人が住宅を与えられないまま養護老人ホームに入ってきたため、一方では四〇万人というねたきり老人が、世間から忘れられたまま、老人ホームに入れないでいたんですね。わが国でも北欧のように福祉住宅や低家賃住宅の建設、あるいは家賃補助の制度を実施していれば、健康な老人は養護老人ホームに入る必要もなく、養護老人ホームにはまず病弱な老人をいれることができたはずなんです。
 戦後もすでに二五年、四分の一世紀が過ぎたんですから、もうそろそろ老人ホームの住宅代替機能は払拭したいもんです。健康な老人にたいする三食つき、寮母さんつきのオーバー・サービスは決して老人の人権を尊重したことにはならないと思うんです。
 佐口 これから老齢人口がどんどんどんどんふえていく状勢のなかで、ねたきり老人の数もまたふえていくと思うんですが。<137<
 森 ねたきり老人の数は、今後は医学の進歩につれて、むしろ減るんじゃないですか。というのは老人をねたきりにして動けなくしてしまったのは医学の責任なんですね。つまり、いままで、脳卒中といえばとにかく寝かせておくしかなかったんです。それが最近では、発作後一週間もしないうちに起こすようになりましたからね。ねたきり老人のうちの半分は脳卒中の後遺症なんですから、少なくとも脳卒中の後遺症によるねたきり老人の数は相当に減ると思うんです。
 ただ老衰末期の老人は佐口先生かおっしゃったように、これはふえると思います。昔なら、ほっておく以外に治療方法のなかったような病人も、いまでは、とにかく呼吸だけは続けさせることができるんですからね。植物人間、そういうような意味で死ぬないで生きていく人もふえてくるでしょう。
 佐口 どうも題名からしてこの木は非常に暗いんですけどね。結論もなんとなく暗くなってきたわけですが、老人の死をみつめて、われわれが何か考えるべきことがあることだけはわかる、受け取り方はさまざまで、宗教の問題であろうと何であろうと、もっと真剣に考えるべき問題だという警告を与えるという点ではいいじゃないですか。今まで老人福祉を語るときには老人天国のようなことが多すぎたと僕は思うんですよ。そうじゃないんだ、それをやろうとしたって残る問題は死というものがあるんじゃないかと考える。その死にいたるまでの老人のあり方について、世の中に警告を発する意味では、たとえ暗くともこの本は非常に有意義だと思うんです。」(佐口・森・三浦 [1970]136-138)

「一九五〇年代(昭和二五〜三四年)
a 養老施設の時代
 一九五〇年(昭、二五)といえば朝鮮戦争の起こった年であるが、この年現行の生活保護法が制定された。
 これより先き一九四五年(昭、二〇)に第二次世界大戦が終わり、翌年、生活保護法の旧法が制定されている。これは日本を占領した連合国総司令部の指導のもとに制定された、いねば応急的な立法であったから、わが国における近代的な意味での公的扶助の制度は、一九五〇年(昭、二五)の新生活保護法の制定によってその第一歩をふみ出したといってよい。
 一九四六年(昭、二一)に制定された日本国憲法は、その第二五条に、
 @すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 A国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と規定しているが、生活保護法は、この理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行ない、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とするものである(生活保護法 第一条、この法律の目的)。
 生活保護の方法としては、生活扶助、住宅扶助、医療扶助等があり、その中心をなすものは生活扶助であるが、これは「被保護者の居宅において行う」ことを原則としている。そして、居宅において保護を行なうことができないとき、保護の目的を達しがたいとき、または被保護者が希望したときは、それそれ保護施設に収容して保護を行なうこととなっている(第三十条、生活扶助の方法)。
 老人を収容する保護施設を養老施設といい、「老衰のため独立して日常生活を営むことのできない要保護者を収容して、生活扶助を行うことを目的とする」(第三十八条、保護施設の種類)と規定されていたが、これは古くから、いわゆる養老院といわれてきた<140<ところのものである。
 すなわち、当時の老人対策は、老人が生活に困窮した場合その最低限度の生活を保障するものであって、このかぎりにおいては消極的な意味しか持たなかったといえよう。
b 老人福祉の夜明け
(1)有料老人ホーム
 第二次世界大戦は、わが国の各方面にはかりしれない大きな影響をのこしたが、「いえ」の制度の崩壊もその一つである。すなわち、戦後、従来の拡大家族の制度はくずれ、新しい「家族」が生まれた。その影響かまともに受けることになったのが老人である。
 その場合、老人が生活に困窮するときには、生活保語を行なうことによって問題の解決を図ることができた。しかし、生活に困窮しない中間階層、上流階層に属する老人のあいだにあっても、こども夫婦との心理的葛藤があらわになってくるなど問題があった。このような葛藤は戦前からもしばらしばあったはずであるが、当時は「いえ」の体面を汚してはならないという慮から潜在化していたものと思われる。それが、一九四七年(昭、二二)、民法の大変革等の影響もあって、社会の表面に出てきたものといえよう。
 また、今次大戦の戦禍によって住宅困窮はその極に達していた。
 こうした社会的な背景のもとに生まれたのが有料老人ホームである。すなわち、それは、物心両面において崩壊した「としよりの座」に安住していることのできなくなった老人たちの別居欲求にこたえることとなったのである。
 一九五一年(昭、二六)頃から、全国養老事業大会の議題の一つに有料老人ホームの設置促進がとりあげられるようになったが、一九五一年(昭、二六)、最初の有料老人ホームが東京都内に設置された。つづいて毎年数ヵ所ずつ設置され、一九五〇年代の終わり(昭、三四)までにその数は全国で二一ヵ所を数えるにいたった(全国養老事業協会調べ)。
 一九五〇年代における有料老人ホームの続出は、老人問題が生活困窮以外の要因からも生まれてきたことを示すもので、これらの問題は、いずれの社会におい<141<ても、都市化、近代化の過程においては容認しなければならないものであろう。有料老人ホームは、このような過程において住宅対策の遅れを補完していたものである。
(2)としよりの日
 これより先き一九五〇年(昭、二五)、兵庫県は九月一五日を「としよりの日」とし、全県あげて敬老の事業を行なったが、翌年、全国社会福祉協議会は、この着想をとりあげて「としよりの日」を全国的な日とし、各種の国民的行事を行なった。
 従来、老人対策といえば、人はすべて養老院を連想し、しかも、老人問題は市民から隠蔽される傾向がみられた。このような時、としよりの日の運動が国民運動として全国的にとりあげられたのは、老人問題が社会の表面に押し出されてきたからであり・、そしてまた、生活困窮階層の問題から全国民的な視野にまで拡がってきたからである。このことはすなわち、戦後、わが国の老人問題が一変したことを示すものである。
(3)老人福祉法試案
 一九四七年(昭、二二)には児童福祉法が、つづいて一九五一年(昭、二六)には児童憲章が、また、一九四九年(昭、二四)には身体障害者福祉法がそれぞれ制定され、児童問題、身体障害者問題がようやく軌道に乗ると、次ぎには老人問題が大きな社会問題となり、老人福祉法の制定に対する要望が各種の大会で決議されるようになった。
 こうした空気にこたえて、一九五三年(昭、二八)、熊本市の潮谷総一郎、杉村春三両氏じゃ老人福祉法の試案を発表した。
(4)老人クラブ
 今日、老人クラブはその数およそ八万を数えるが、そのうちもっとも初期に結成されたものの一つに一九五〇年(昭、二五)大阪市内で結成された二つのクラブがある。同市の老人クラブは翌年七ヵ所にふえ、一九五四年(昭、二九)には四七を数えるにいたった。一方、同年のとしよりの日には全国的に老人クラブを結成する気運が促進されたこともあって、全国社会福祉協議会が同年調査したところによれば、その数は一二一にのぼっている。
 全国一一二の老人クラブのうち半数に近い四七が大<142<阪市内にあるのは、当時、老人クラプ活動が大阪市においてとくに活発であったことを示すもので、市当局が意欲的にその結成をすすめていたことが知られる。東京都においても、一九五三年(昭、二八)度から、老人クラプ(新宿生活館)が実験的にはじめられている。
 呱々の声をあげて二〇年、老人クラブは幾つかの発展段階を経て今日にいたった。発足当初の老人クラブは、私が「避難所型」と呼ぶところのもので、従来の養老施設や有料老人ホームなどの施設対策ではどうにも解決することのできなかった新しい必要性にこたえて生まれたものである。
 すなわち、家庭のなかに「としよりの座」のなくなった老人たちは、老人クラブにやってきて、嫁に頭の上がらない息子をののしり、靴下よりも強くなった嫁の悪口をいい、戦前の古き良き時代を回想してはフラストレーションを解消していたのである。蘇軾の詩に事をしのぶは腹くるるがごとしとあるが、初期の老人クラブはフラストレーションを解消するという役割を果たしていたのであり、その面での効果には大きなものがあったといえよう。
 「いえ」の制度の崩壊が、大都市においてより早く、より強く起こったことを知れば、老人クラブが、まず大阪、東京のような大都市で発足したことも容易に理解できよう。また、それらは、自然発生的に生まれたというより、当時その衝にあったすぐれた行政官の知恵と意欲とから生まれたものといえよう。
 その後、老人クラブは次ぎの発展段階に入るが、これはさらに後のことに属する。
(5)敬老年金
 戦後における拡大家族制度の崩壊が老人に与えたもっとも大きな影響の一つは、老後の生活をこどもに期待できなくなったということである。従来から、老親の扶養は家督の相続と表裏一体のものであったから、相続すべき「いえ」の制度の崩壊した戦後、こどの側に老親扶養の意識が弱まったとしても、それもまたやむを得ないものであったかもしれない。
 老後の生活が私的扶養から公的扶養に移り変わっていくは、社会の近代化の過程において広くヨーロッパの諸国がすでに経験してきたところであり、ひとりわが国だけが否定することのできるものではないであ<<ろう。
 憲法にも明示されているように、老人の生活保障は国の責務であるが、それが具体化されるには若干の年月を要する。それを待っていられない市民の声にこたえて、地方公共団体のなかには独自に敬老年金の制度をはじめるものもでてきた。
 すなわち、一九五六年(昭、三一)四月から、大分県、久慈市(岩手県)、蕨町(埼玉県)、若宮町(福岡県)の四地方公共団体は敬老年金の制度をはじめ、いささかなりとも、老人の生活を支えようとしたのである。以後、引きつづいて同年中に一二地方公共団体がこれにならい、翌年四月にはあらたに一八五地方公共団体がこの制度を開始した。
 大分県敬老年金条例の制定に当たって、厚生部長通知が管下の市長あてに出されているが、この通知には敬老年金の趣旨がよく説明されているので、やや長いが全文を引用しておこう。
 「戦後における医学の進歩と社会保障制度の充実等客観諸情勢の安定により、日本人の平均余命は著しく延長され、この結果人口の老齢化が顕著となり、老人福祉の問題も消極的な保護や研究では済まされ なくなってきており、また従来、高齢者の生活保障のため、種々欠陥はあったにせよ家族制度が大きな役割を果してき、現在もなお若干の機能を営みつつあるが、しかしながら、今日においては、旧時の家族制度の復活を望むことは到底不可能であるのみならず、現状維持すら至難であると云わねばならない。このことは、家族制度を守り高齢者の扶養義務を果そうと努めても、家族員の経済力の弱化のために実際にこれを果し得ない場合が多いのである。この故に、徐々にではあるが確実に増加する高齢者の生活保障制度の確立は重要かつ切実な問題となりつつある現状の然らしむる時代の要請により、高齢者の福祉問題対策の一環として制定したものである。従って、この条例は、その制定の発意からしても極めて道義的性格を強く有するものであるといえるのである。」
 以上のとおりであるが、支給の対象とされたのは、県内に引きつづき五年以上居住し、かつ年齢九〇歳以上の者であったから、年金とはいっても社会保障的な<144<ものではなく、敬老の精神に基づく倫理的な性格のものであった。
 また、蕨町の敬老年金制度もほとんど同様で、「蕨町居住の高齢者に対し、敬老と長寿を祝福し、その家庭の平和と住民福祉の向上に寄与する」ことを目的とするものであった。ただし、蕨町の場合、支給の対象とされたのは、当初は満八八歳以上であったが、翌年度からは満七七歳以上のものとされた。
 すなわち、これらの敬老年金の制度は、まさに長寿を祝福する敬老の精神から出たもので、老人の所得保障を意図しようとするものではなかった。
 なお一九五六年(昭、三二)春の国会には社会党から慰老年金法案が提出されている。同法案は、満六五歳以上の老人に対して年金を支給しようとするものであるが、一定所得以上のものに対しては支給しないという所得制限のあること、全額国庫負担による無拠出制であることなど、「年金」とはいいながら、公的扶助の性格を有するものであった。
 結局同法案は成立しなかったが、年金制度に対する国民の関心を高める上で大きな影響を与えた。すなわち、その三年後、一九五九年(昭、三四)、国民年金法が制定され、一九五四年(昭、二九)に制定された厚生年金保険法などとあわせて、国民皆年金の体制がしかれることとなったからである。
(6)老人家庭奉仕事業
 一九五八年(昭、三三)、大阪市では、民生委員制度開設四〇周年を記念して臨時家政婦制度をはじめたが、これは「生活に困窮する独居の老人が、老衰その他の理由により、日常生活に支障をきたしている場合に、家庭奉仕員を派遣して身の廻りの世話その他必要なサービスを行ない、日常生活上の便宜を供与することを目的とする」もので、のちに、その名称を家庭奉仕員派遣制度と改めた。
 家庭奉仕員は、老人の家庭に派遣されて、洗濯、掃除、縫物等身の回りの世話を行なうほか、必要に応じて看護などのサービスも行なったが、老人はこれによって居宅での生活を継続することができたのである先きにのべた老人クラブに対する育成指導といい、この家庭奉仕員派遣制度の創設といい、大阪市当局の老人福祉の推進に対する積極的な姿勢は、その後のわ<145<が国の老人福祉行政の推進に対してきわめて貴重な実験を栢み重ねることとなった。
c 養老事業から老人福祉へ
 社会事業という言葉はすでに早くから使われていたが、社会福祉という言葉が法律用語となったのは第二次世界大戦後のことである。すなわち、憲法第二五条に規定されたのがはじめである。
 しかし憲法もそれ以上にはふれていない。その後、一九四七年(昭、二二)に児童福祉法、一九四九年(昭、二四)に身体障害者福祉法がそれぞれ相い次いで制定され、戦前の社会事業という言葉は社会福祉という言葉に変わっていった。そして、その具体的な内容は、一九五一年(昭、二六)に制定された社会福祉事業法の次ぎの規定に盛られたものとみてよい。
 「社会福祉事業は、援護、育成又は更生の措置を要する者に対し、その独立心をそこなうことなく、正常な社会人として生活することができるように援助することを趣旨として経営されなければならない。」(第三条)。
 社会福祉の内容は、狭義に用いられる場合には、かつて社会事業の意味したところのものとほとんど同じとみて差支えないが、社会福祉と訳された原語Social Welfareは、もう少し広く、社会政策、社会保障、そして住宅、公衆衛生、環境衛生、教育等にまで及ぶ場合も少なくない。
 ウェブスター大辞典第三版は、Social Welfareについて次ぎのように説明している。
 organized public or private social services for the assistance of disadvantaged classes or groups.
 こうした新しい考え方は、老人を対象とする社会事業の分野にも影響を及ぼし、従来の養老事業という言葉がだんだん使われなくなってきた。これに代わって、使われるようになったのが老人福祉という言葉である。
 この言葉がいつ頃から使われるようになったのか、確かめるのは今日容易なことではないが、すでに一九五〇年代の中頃には相当広く使われていたものとみてよいであろう。<146<
 全国の養老施設を加盟会員とする全国養老事業協会は、一九三三年(昭、八)、その機関誌「養老事業だより」を創刊したが、戦後、一九五六年(昭、三一)には、「誌名を老人福祉と改め、養老事業を中心とし、一般老人福祉の面にまで範囲を拡張することとした。」(第一八号、編集後記)として、誌名を「老人福祉」と改題した。この後記にも、養老事業から老人福祉への脱皮、質的な転換がみとめられるであろう。
 また、従来「全国養老事業大会」という名称のもとに開催されてきた養老施設関係者の会議も、一九五九年(昭、三四)、「全国老人福祉事業関係者会議」と改められ、のもさらに「全国老人福祉会議」と改められて、従来の養老施設の関係者のほか、有料老人ホームの関係者、老人クラブの今日なども多数参加するようになった。養老事業時代から老人福祉時代への転換は、すなわち、老人問題が転換期を迎えたことを意味するものであった。
2 一九六〇年代(昭和三五〜四四年)
a 老人福祉法
 一九六〇年代をかえりみて、老人対策の上で特筆すべきことは、一九六三年(昭、三八)の老人福祉法の制定であろう。
 その源流は、先きにものべた一九五三年(昭、二八)の潮谷・杉村両氏による老人福祉法試案にまでさかのぽることができるが、翌年の全国社会福祉事業大会において、「養老年金制度を中心とする老人福祉法の制定」が決議されて以来、老人福祉法の制定は関係者のあいだの悲願となってきた。
 一九六一年(昭、三六)、右の試案は若干改正されて、九州社会福祉協議会の試案として採択された。また、同年、民社党は政策審議会の案として老人福祉法案要綱を発表した。つづいて自民党も老人福祉法要綱の紅露試案を発表した。
 このような老人福祉法の制定に対する世論を反映し<147<て、一九六三年(昭、三八)、老人福祉法の制定をみるにいたったのであるが、これによって老人対策が新しい考え方に立ったことはいうまでもない。すなわち、「この法律は、老人の福祉に関する原理を明らかにするとともに、老人に対し、その心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な措置を講じ、もって老人の福祉を図ることを目的とする」(第一条)ものであり、さらに、「国及び地方公共団体は、老人の福祉を増進する責務を有する」(第四条第一項)と規定されたからである。従来、民間または地方公共団体が自由に進めてきた老人福祉の増進が、いまや国および地方公共団体の責務であると宣言されたのである。
 先きに国民皆年金、国民皆保険の体制がしかれ、いままたここに老人福祉法の制定をみ、憲法第二五条に規定する「社会福祉、社会保障の向上及び増進に努める」ための体制は一応立法上その形をととのえるにいたったのである。
 一方、これより先き、政府は、ようやく顕在化してきた老人問題の重要性を痛感し、一九六一年(昭、三六)六月、厚生省組織令の一部を改正して新時代に即応する組織をととのえていた。
 すなわち、従来、生活保護法に基づく養老施設に関することは祉会局施設化課の所管で、その所掌事務は「養老施設の設備及び題言に関する指導及び助成を行なうこと」と規定されていたのであるが、新しく、「老人福祉事業の指導及び助成に関すること」がその所掌事務に加えられたからである。法令用語として「老人福祉事業」という言葉が用いられたのはこれが最初である。
 さらに、老人福祉法の制定された翌年四月、厚生省社会局には老人福祉課が設置され、またその翌年一九六五年(昭、四〇)には、東京都も民生局内に老人福祉課を設置した。現在、地方公共団体の民生局に老人福祉課を設置するものは、二(東京都、大阪市)、老人福祉係を設置するものは二八に及んでいる。
 なおまた、老人福祉法の付則において社会福祉事業法の一部改正が行なわれ、厚生省の付属機関である中<148<央社会福祉審議会のなかには、既設の生活保護専門分科会とともに老人福祉専門分科会が設置された。以来、中央社会福祉審議会は、数次にわたって、老人福祉施策の推進に関する答申・意見具申を行なってきた。
b 老人福祉対策
(1)経費老人ホーム
 最初の有料老人ホームが生まれて一〇年後、一九六一年(昭、三六)にはモの数は二六に達していた。これを設置主体別にみると、公立一(神奈川県)、社会福祉法人立六、宗教法人立二、学校法人立一、財団法人立五、社団法人立二、私人立九となっている。
 また、ますます高まってくる有料老人ホームの需要にこたえて、厚生年金保険の老齢年金受給者を対象とする厚生年金老人ホームの設置が計画され、一丸六二年(昭、三七)、はじめて熱海(静岡県)に設置された。これより先き、簡易保険・郵便年金の加入者を対象とする老人ホームが、一九五五年(昭、三〇)熱海に、つづいて、一九五八(昭、三三)、別府(大分県)に、翌年小樽(北海道)にと相い次いで設置されている。
 これらの有料老人ホームは、公私を問わず、いずれも入所申込者が殺到し、多数の申込者が待機して老人の要望を満たしきれないことは明らかであった。
 しかし、当時、私人の設置・経営するものの多くは、毎月の利用料のほか入所に当たって利用者から相当額の保証金、寄付金、権利金等を徴収していた。それらの多くは施設建設費の一部に当てられることが多かったので、老人が退所を申し出ても保証金を返済できない、というような例も出てきた。また、毎月の利用料は徴収せず、入所時に終身利用料として多額の一時金を徴収している例もあったが、ようやく慢性化してきたインフレのために、終身利用料として徴収したはずの一時金が年々その貨幣価値を失い、経営者側ではすでにそのすべてを使いきってしまっているという例もあった。このことに関して、有料老人ホームのなかには、老人と老人ホームとのあいだに紛争が起こり、社会問題となっているものもあった。
 こうした背景のなかで、社会福祉関係者のあいだに<149<は、早くから、無料の養老施設のほかに、社会福祉事業として有料の老人ホームを設置・経営することを希望する声があがっていた。いま、各種の大会等における古い記録を繰ってみると、一九五三年(昭、二八)度の全国養老事業協議会の大会で、すでに有料老人ホームの設置・促進について関係方面に陳情することを決議している。
 それから一〇年近く、ほとんど毎年の大会で社会福祉事業としての有料老人ホームの設置促進が決議されている。一方、高まる需要にこたえてこれを設置するものもふえてきたので、政府も、ようやく有料老人ホームについては実験的な段階を終わったものと判断し、一九六一年(昭、三六)度からその施設整備費に対して国庫補助を行ない、その設置を助成するとともに、あわせてモの運営を指導監督することとなった。そして、その法的根拠を明らかにするため、先きにものべたとおり、同年厚生省組織令の一部改正を行なうにいたったものである。
 そして、当時施設課の所掌事務の一つに加えられた「老人福祉事業」が具体的に意味したものは、「経費老人ホームを設置・経営する事業」であり、これは、社会福祉事業法に規定する「生計困難者を無料又は低額な料金で収容して生活の扶助を行うことを目的とする施設」(第二条第二項第一号)に該当するものとされた。
 そして、経費老人ホームは、毎月の利用料のほかは保証金・寄付金などいかなる名目にもかかわらずこれを徴収してはならないこととし、毎月の利用料も養老施設の措置委託費(生活費と事務費との合算額)と同額とされた。「経費」という言葉はこの時新しくつくり出されたもので、「低額の利用料」というほどの意昧である。
 要するに、従来から行なわれてきた養老施設の施設整備費に対する国庫補助にとどまらず、さらに広く低所得階層に属する老人を対象とする経費老人ホームの施設整備費に対しても国庫補助することによって、老人対策は救貧という考え方から老人福祉という考え方ヘ一歩前進したのである。
(2)老人家庭奉仕事業
 一九六二年(昭、三七)に入ると、老人福祉対策は<150<きらに展開する。
 すなわち、同年から、新しく、老人家庭奉仕事業と老人福祉センターの設置に対してそれぞれ国庫補助が行なわれることとなったからである。これらはいずれも養老施設や軽費老人ホームのように施設に老人を収容してその福祉を増進しようというものとはちがって、居宅老人の福祉を増進することを目的とするものであった。それは、人は老若男女を問わずその家庭において豊かな生活を送るのがもっとも好ましく、施設に収容し、保護するのはやむをえない場合における次善の策である、という社会福祉の基本原理を老人福祉行政に応用したものであった。
 先きにもみたとおり、一九五八年(昭、三三)にはじめて大阪市が臨時家政婦制度をはじめて以来、神戸市、名古屋市等の大都市や、長野県下の各市町村、布施市、秩父市、行田市等では、相い次いで同様の制度を採用し、その成果にはみるべきものが少なくなかった。
 ここに、政府は、老人家庭奉仕事業についてもすでに実験的な段階は終わったものと判断し、積極的にこれに国庫補助していくことになったものである。
 しかし、初年度、国庫補助の対象とされた老人家庭奉仕員の数はわずか二五〇人で、六大都市に配置されたに過ぎなかった。そして、派遣の対象も「要保護老人世帯」とされ、「そのなかに占める被保護老人世帯の割合はおおむね五〇パーセント以上とされ」だ。このことは、低所得階層から順々にサービスを供給していかなくてはならないわが国の現状からして、やむをえないことであったというべきであろう。一九六五年(昭、四〇)、その対象はやや緩和されて「低所得の家庭」にまで拡げられた。
(3)老人福祉センター
 養老施設・軽費老人ホームはいずれも施設対策であり、老人家庭奉仕事業は居宅対策ではあるが、「老衰等のため、独力で生活を営むことの困難な老人の属する要保護老人世帯」に対する対策であって、これらのサービスを受けるには、いずれもそれぞれ経済的な条件と身体的な条件とが必要とされた。つまり、それらのサービスは、すべての老人に対して開放されてはおらず、一定の条件に該当しない場合にはこれらのサービスを受けることができなかったのである。<151<
 これに対して、一九六二年(昭、三七)からその整備費に対して国庫補助が行なわれることになった老人福祉センターは、広く一般の老人を対象とするものであった。
 老人福祉センターの実験は当時まだ行なわれておらず、むしろ行政サイドの方が先行したといえる。その点、数年間の実験の後に国庫補助の対象とされた軽費老人ホームや家庭奉仕事業とはまったく異なっている。その後の老人福祉センターの発展の姿が、政府によって定められた老人福祉センター設置運営要綱とかならずしも同一ではないのは、こうしたところにも一つの理由があるといえよう。
 当時、世人クラブの数はすでに一四、六五四にも上っていたが(一九六二・四・一)、老人福祉センターの設置によって、老人クラブの活動がさらに大きな刺戟と活路を与えられたことはいなめない。
 すなわち、当時、老人クラブ活動の上でもっとも大きな隘路となっていたものは、活動の拠点となるべき会場が確保しにくいということであった。しかし、老人福祉センターーの設置された市町村にあっては、水を得た魚のように老人クラブ活動が活発になり、また、このことを伝え聞いた他の市町村の老人ククラブでは、老人福祉センターの誘致に狂奔することとなったからである。
 こうした要請にこたえて、国民年金特別融資、厚生年金保険積立金還元融資による地方公共団体の地方債の対象として、一九六一年(昭、三六)から、「老人クラブ」という名称のもとに老人クラブ会館が加えられた。そして、これは町村部に多く建てられ、老人福祉センターとともに老人クラブ活動の拠点となった。なお、「老人クラブ」は一九六五年(昭、四〇)度から「老大憩の家」とその名称を改められた。
 また、同じく一九六五年(昭、四〇)から、老人休養ホームも地方債の対象とされるにいたったが、これは従来から広く国民に利用されてきた国民宿舎の老人版ともいうべきもので、宿泊の便宜があったから、老人クラブの会員などにも広く愛用された。
 老人福祉センター、老人憩の家、老人休養ホームはいずれも、ひとり若い層だけではなく、老人のあいだにもようやく多くなってきた余暇時間をすごす「場」<152<として大きな意義があった。
(4)特別養護老人ホーム
 先きにものべたように、養老施設は「老衰のため独立して日常生活を営むことのできない」老人を収容することを目的としていたが、また一方、戦後の住宅事情を強く反映して老人住宅の性格ももっていた。すなわち、老人福祉法の制定される前年の一九六二年(昭、三七)に厚生省が行なった調査によると、収容されている老人の健康状況の分布は次ページのとおり、三分の二近くまでが健康で、養老室背がナーシング・ホームNursing Home であるよりも、住宅Housing であることを示している。しかし、また
一方、行体や精神に障害があったり、慢性疾患を持つ病弱者の割合も三分の一を越え、さらに、全休の一割近くベッドについていることも知られるのである。
 したがって、「これらの者がが常に同一の居室で起臥寝食をともにすることは、悪平等に堕するのみならず、施設内の保健衛生を維持するのに障害となり、又は静養を要する者の疾病を増悪させる等処遇を適正に行う上に望ましくないことも考えられるので、特にこれらの者を別に収容して、静養、回復させる設備を要することは当然である」(保護施設取扱指針)という考え方のもとに、養老施設は「静養室を設備しなければならない」ものとされた。そして、静養室の収容力は、施設の定員のおおむね一五パーセントに相当する人員を収容するに足る広さを標準とすることとされた。
 しかし、人はみなとしをとり、また、高齢になるにつれて病弱化化していくものである。したがって、歴史の古い施設にあっては、「脆弱、疾病に罹り静養を要する者」の割合が多くなってくるのは当然のことであり、先きに示された一五パーセントの割合をはるかに越えて、三〇パーセント、四〇パーセントという施設も少なくなかった。
 こうしたなかにあって、これらの老人だけを対象とする養老施設が生まれた。それは一九六一年(昭、三六)に設置された十字の園(静岡県当初、定員三〇人)である。これはドイツのディーコニス・ウォルフらが提唱して Nursing
Home を念頭におきながら設立されたものである。<153<

(図)養護施設収容者の健康状況
総数    一〇〇・〇
健康     六四・一
病弱     三五・九
 臥伏している   九・二
  身体障害者   一・四
  慢性睨患者   五・八
  そ の 他   二・〇
 臥伏していない 二六・七
  身体障害者   七・五
  精神障害者   四・八
  そ の 他  一四・四
(資料)1962(昭.37).5.15.厚生省施設課調べ

 老人福祉法の制定に当たって、健康な老人のための住宅対策は制度化されず、養護老人ホーム(従来の養老施設)には、依然として、「環境上の理由」(家族又は家族以外の同居者との同居の継続が老人の心身を著しく害すると認められる場合、住居がないか又は住居があってもそれが狭あいである等環境が劣悪な状態にあるため、老人の心身を著しく害すると認められる場合――社会局長通知――)によるものも収容して、養護老人ホームは救貧院的残滓を残すこととなった。しかし、これは、当時の国民の生活水準・居住水準等から判断してやむをえなかったものと容認しなければならないであろう。しかし、一方、常時臥床している老人を対象として特別養護老人ホームが創設されたことは、老人施設の専門分化の一歩前進として正しく評価すべきであろう。
 特別養護老人ホームははじめ老人病院として計画されたが、福祉立法のなかに医療機関である病院を包含するのは奸ましくないという意見などもあって、この計画は後退した。これに代わって、看護老人ホームとすべきだという意見が強くなった。一九六三年(昭、三八)三月に成立した翌年度の国の予算では、老人ホームの種類として、「老人ホーム」 (従来からの生活保護法の養老施設の移し替え)と「軽費老人ホーム」のほかに、あらたに「看護老人ホーム」が加えられ、<154<三木立てとなっているが、この「看護老人ホーム」が、その年の七月に制定された老人福祉法のなかで「特別養護老人ホーム」と規定されたものである。同年度予算は成立していたが、同法の審議の過程で、看護老人ホームという名称も適当ではないという理由から特別養護老人ホームと改められたものである。
 特別養護老人ホームについては、老人施設の専門化されたものということの外に、もう一つ大きな前進があったことを認めなければならない。それは、養護老人ホームの入所に当たっては、養老施設よりは、少しく緩和されたとはいえ、依然として経済的制限が課されていた。これに対して、特別養護老人ホームは、その対象を経済的に制限することなく、一応収容の必要なすべての老人とし、その属する経済的階層に応じてそれぞれ応分の費用を徴収するという制度を導入したからである。特別養護老人ホームの創設は、救貧的な老入保護の思想から脱却して、老人福祉の思想に立ったものといえよう。
(5)健康診査
 老人福祉法においてあらたに制度化された施策の多くは、身体的、精神的または経済的にハンディキャップを有する特定の老人を対象とするものであったが、広くすべての老人を対象とする施策の一つに老人健康診査がある。
 これは国の事務と考えられ、市町村長に委任されるものとされたが、私の知るかぎりでは、老人の健康診査を国の事務としている例は世界にもないように思われる。
 老人福祉法において健康診査が制度化されたのは次ぎのような事由による。すなわち、いかなる疾病の治療も早期発見、早期治療がもっとも望ましいものであり、そのためには平素から健康診査を受けて健康管理を行なっていることが必要であるのはいうまでもない。とくに老人に多くみられる脳卒中・ガン・心臓病は三人成人病といわれ中年期以降に比較的多い病気であるが、早期治療の効果に著しいもののあることが知られている。このため、最近、職場等においては成人病の健訴訟査が活発に行なわれている。
 一方、現行の医療保険制度のもとでは健康診査は保険の給付の対象とされていないから、被保険者は健康診査を受けようと思っても、その費用をすべて自己負<155<但しなければならない。しかし、老人は、多くの場合、その費用を負担することができないから、積極的に健康診査を受けようとしないのがふつうである。他の年齢階層の者にくらべて、老人は、有病率の高い割  合に受療率が低いのはこうした事情によるものと思われる。
 これらのことを考え、老人の健康を守るという立場から健康診査を積極的に行なうことが必要とされ、老人福祉法の制定に当たって制度化されるにいったのである。
 その結果は、当初の予想どおり、受診者の約半数については療養を必要とするものと診断された。しかし、療養費の給付については国民皆保険の体制のしかれた今日、医療保険各法または生活保護法(医療扶助)において行なわれるべきものである。医療保険の給付率は、健康保険の本人が一〇割給付であるほかは、その家族に対する五割給付、または国民健康保険の被保険者に対する七割結付となっており、その残りの三割または五割についてはそれぞれ自己負担しなければならない。しかし、老人は多くの場合その自己負担には耐ええないものであるから、療養を必要とすると診断されながらも治療の継続を期待できないというのが実情である。
 このような実情に対処して、政府では、医療制度の抜本対策についてかねてからいろいろと検討中であるが、その改善のなされるよりも早く、地方公共団体においてはすでに具体的にこれにこたえる対策を進めてきた。すなわち、給付率の引き上げがこれである。
 老人に対する給付率の引き上げをはじめて行なったのは岩手県沢内村であり、それは一九六〇年(昭、三五)のことであっだ。その後各市町村においてもこれにならうものがあらわれ、現在、東京都、秋田県のほか一〇七市町村(一九六九・一〇)がこれを行なっている。具体的にそのやり方をみると、一〇七市町村のうち、ハ○歳以上の老人に一〇割給付して全額無料としているのが五四市町村で、半数を占め、このほか、八〇歳以上の老人に九割給付が一六市町村、七五歳以上の老人に一〇割給付が二一市町村となっている。また、給付率の引き上げを行なっている市町村の大半が東北地方にあるのも特徴的である。<156<
(4)老人クラブ
 このほか、老人福祉法の制定に伴って新しくはじめられたものに老人クラブに対する助成がある。老人クラブは、先きにものべたように、老人の持つ心理的な要求に巧みにこたえたものとして、雨後の笥のようにモの数を加えていった。しかし、一九六〇年代(昭、三五)に入って、その転換期を迎えるにいたったといえよう。
 すなわち、初期の老人クラブは老人の避難所であり、老人がフラストレーションを発散させる場として大いに役に立っていたことを認めなければならない。しかし、その後の10年に近い歳月の流れのなかで、一部の老人クラブは、避難所型からレクリエーション型への移行を示しつつあったが、全休としては、やや停滞の気味がみられはじめていた。
 こうした時期に、新しく老人クラブに対する公費助成の途がとられたのである。これは、ややもすればレクリエーションレ中心になりがちであった老人クラブの活動に、教養の向上という教育的要素の加わることを期待したものであり、また、ややもすれば自己中心的になりがちであった老人クラブの活動に、地域社会との交流という遠心性の加わることを期待したものであった。と同時にまた、まだ老人クラブの結成されていない地域においては、新たに老人クラブの結成される刺戟となったことはいうまでもない。
 しかし、老人クラブに対する助成費については、はじめから好ましいものではないとする意見もあったし、また、ほとんど全国の各地に老人クラブの結成された今日、もはや助成の目的は達したから、今後は単位クラブに対する助成はやめ、指導者の養成等に重点をおくべきであるという意見もある。
(7)老人住宅
 われわれが広く社会福祉というときには、住宅政策まで包含していわれることのあるのは前にものべたとおりであるが、わが国の住宅政策は、ヨーロッパの先進諸国、とくに北欧のそれほど福祉性を有していなかった。むしろ、先きに養老施設の対象者の健康分布をみたときに指摘しておいたように、養老施設の収容者のなかには健康な老人が三分の二を占め、社会福祉施設とはいっても、職員つき、三食つきの住宅という性<157<格を持っていた。これは、第二次世界大戦の戦禍による住宅事情の深刻化と「いえ」の制度の崩壊に伴う世帯分離・核家族化の傾向とを背景にしながら、住宅供給が労働力の再生産ということに重点をおいて推進されなければならなかったことによるものであることはすでにのべたとおりである。すなわち、戦後の住宅行政が当面目標としなければならなかったのは、勤労者の住宅であり、労働力の再生産にプラスしない福祉住宅ではなかったからである。
 しかし、養老施設が老人住宅の代替的役割を演じていることが明らかにされ、片や老人ホームにも収容されないでいるねたきり老人の数が相当数に上ることが明らかにされると、ナーシング・ホームはナーシング・ホームとして、住宅は住宅として機能分化することの重要性がようやく認識されるようになってきた。
 すなわち、老人福祉法制定の翌年、公営住宅法による第二種公営住宅のなかの特定目的住宅の一つとして老人世帯向公営住宅が加えられた。
 しかし、現行の公営住宅法の規定においては単身者は入居できず、また、第一種公営住宅が対象とするほどの経済階層の老人のあいだにも入居の希望者は少なくなかったから、これらの点についてはさらに改善の余地が残されている。
(8)高齢者学級
 一九六五年(昭、四〇)から、文部省では、社会教育の一環として、市町村の行なう高齢者学級に対して委託費を出してきた。すでに早くから、社会教育の一環として、青年学級・婦人学級等が広く開講されており、従来からも多数の老人がこれに参加していたが、高齢者学級の開設により老人の学習機会はさらにふえることとなった。このことと関連して、熊本女子大学が、大学開放講座の一環として老人のための講座を持っていることもとくに記しておきたい。
 老人が社会から疎外されることなく生きていくためには、常に新しい時代の知識を吸収し世代間のギャップを埋めていくことがきわめて重要であるが、この点で、高齢者学級の果たしている役割には少なからぬものがあるといえよう。
(9)社会活動参加促進事業
 わが国の定年制は世界にも類をみない人事管理制度<158<であるが、その発祥は早く明治時代にまでさかのぼることができる。しかし、とくにこれが広く行なわれるようになったのは、第二次世界大戦の後の労働力市場における需給の不均衡に由来するものであった。そして、今日もなお、依然として根強い労働慣行として残っている。しかし、五五歳定年は最近では少しく延長されて五七、八歳になっているようであるが、これは一つには労働力市場における需給基調の転換によるものであろう。
 一方、今日、六〇歳に入ってもなお労働の意志と能力とを持っているものは少なくなく、また、制度的には国民皆年金の体制がしかれたとはいっても、いまだその成熟期にはいたっていないため、老人人口のうち老齢年金の受給者の割合はきわめて微々たるものである。したがって、定年制のゆえに従来の職場を退かなければならないとしても、働くのかやめれば多くの場合生きていくことをも否定しなければならないことになる。何としても新しい職場を探さなければならないというのが実情である。
 しかし、労働力市場が従来老人労働力をかならずしも必要としてこなかったのはいまものべたとおりである。
 こうした情況のなかで、すでに、東京都社会福祉協議会では、一九六二年(昭、三七)から、福祉行政の観点に立って老人の職業紹介事業を行なってきた。さらに、名古屋市社会福祉協議会も一九六五年(昭、四〇)からこの事業を進めており、その後も、この事業に対する国庫補助の要望はきわめて強く、かつ、その成果の著しく高いことも認められたので、一九六八年(昭、四三)から国庫補助の対象とされることになった。
(10)ねたきり老人対策
 一九五八年(昭、三三)、民生委員制度発足四〇周年を記念して大阪市に臨時家政婦制度の生まれたことはすでにのべたところであるが、一九六八年(昭、四三)には、同じく同制度の発足五〇周年を記念して、全国社会福祉協議会は全国の七〇歳以上の老人についてねたきりの実態調査を行なった。
 そして、その数は二〇万人と推計されたのであるが、これらの実態が広くマスコミをとおして喧伝されたこともあり、翌一九六九年(昭、四四)には、これ<159<らの老人を対象として、特別養護老人ホームの増設、家庭奉仕員の増員、訪問健康診査の実施のほか、あらたに特殊ベッドの貸与、専用病室増改築資金の貸付等の対策がはじめられることとなった。
 本来ならば行政当局の調査によって把握されるべきねたきり老人の実態が、全国二八万人の民生委員の調査査によって浮彫にされ、モれが行政に反映したということは、情報化社会の特性を物語るものではあるけれども、一面また、老人問題が一段と社会的な深刻さを深めてきたことを示すものでもあろう。
 なお、ねたきり老人に対する対策としては、すでに一九六八年(昭、四三)から税制上優遇の措置がとられていることもあげておかなければならない。従来、社会福祉行政は各種のサービスを供与することにあると考えられてきたが、近年は各種の減税も福祉対策と同じような効果をもたらすものとして見直されてきている。モの一つとして、一九六八年(昭、四三)から、ねたきり老人を扶養する者についてはこれを所得税・市町村民現における所得控除のうちの身体障害者控除の対象とされることになった。所得税法施行令第一〇条第一項第五号にいう「常に臥床を要し、複雑な介護を要する者」がこれである。
 一九七〇年(昭、四五)からはさらにその対象が拡大され、「精神又は身体に障害のある年齢六十五歳以上の者で、モの障害の程度が第一号又は第二号に掲げる者に準ずるものとして福祉事務所の長の認定を受けている者」についても同じく所得控除の対象されることとなった。
(注)右の第一号というのは「心神喪失の常況にある者又は……精神薄弱者とされた者」、第二号というのは身体障害者手帳に身体上の障害がある者として記載されている者である。
 これは、ねたきり老人に対する直接的な対策ではないが、これを扶養する者に対する減税であり、間接的な福祉対策として評価すべきであろう。
(11)白内障の手術
 国民皆保険の時代となっても、医療費の自己負担額が少額でない場合には老人はその負担に耐えることができないため、医療を中断することになる例の少なくないことも先きにのべたが、その対策の一つとして、<160<一九七〇年(昭、四五)から白内障の手術に対する自己負担分を公費で負担することになった。これは一つには白内障の手術の成功率が高いことによるものでもあるが、また、先きにものべたとおり、東京都はじめ相当数の地方公共団体が保険の給付率を引き上げていることともあわせて、社会保険に対する社会福祉からの接近として注目すべきことであろう。
c 敬老の目
 先きに「としよりの日」の運動が一九五一年(昭、二六)から国民的行事としてとりあけられていることをのべたが、一方、同年の全国社会福祉事業大会において、東京都および兵庫県からそれぞれ「としよりの日を国の祝日にすること」について議案が提出されている。しかし、この大会においては、なお時期尚として今後の検討に委ねられることとされた。
 翌年の全国養老事業大会においても同様の提案がなされ、今回は大会の決議として採択された。さらに翌一九五三年(昭、ニハ)の全国養老事業協議会でも同様の決議が行なわれている。
 以後、老人関係の各種大会・会議においては、かならずといってもいいほどに「としよりの日」を国の祝日に加えるよう決議されている。そして、老人福祉法の制定に当たって、従来の「としよりの日」が「老人の日」と名を改めて同法第五条に規定されるや、その後は、「老人の日」を国の祝日に加える運動として激しさを加えていった。
 このような世論に対して、一九六五年(昭、四〇)の春、国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案が提案されたが、審議未了とされ、翌年再度同法案が提案され、成立をみるにいたったものである。
 すなわち、同法の成立によって、九月十五日の「敬老の日」は、二月十一日の「建国記念の日」、十月十目の「体育の日」とともに国民の祝日の一つに加えられ、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」と規定された。
3 戦後二五年のまとめ
 一九四五年(昭、二〇)に第二次世界大戦が終わっ<161<て、以来二五年、四分の一世紀が過ぎた。ベビー・ブームの時に生まれた子供たちも、モの多くはすでに社会に出て人の子の親となっている。わが国の老人問題は、人口構造の変化という点でも、家族制度の変貌という点でも、生活様式の近代化という点でも、ヨーロッパの近代国家が一世紀のあいだに徐々に休験していったことを、戦後二五年のあいだに好むと好まざるとにかかわらず休験しなければならなかった。それらの変化は、国家にとっても、個人にとっても、何の準備もできていない時に突如として起こってきたものである。
 一方、わが国は、壊滅に瀕した戦禍の国土を復興しなければならないという敗戦国の宿命も味わなければならなかった。
 ここに、経済復興と社会福祉の二者択一の問題が起こってくる。そして、すべてが無に帰したわが国が、この時、経済復興の途をえらんだとしても、それはむしろ当然のことであったというべきであろう。
 この意味で、一九五〇年代の中頃、わが国戦後史が転換期を迎える頃までは、わが国の老人対策が公的扶助(生活保護法)による生活困窮者の救済以外に見るべきものがなかったとしても、それをとがめることはできないであろう。
 そして、一九五九年(昭、三四)、国民年金法が制定されて国民皆年金の体制がしかれ、また、前年、国民健康保険法が制定されて国民皆保険の体制がしかれ、一九六〇年代の「保険時代」に入ることになるのである(ここでいう「保険」とは、年金と医療とを保険理論の上に立って給付していくという意味で、単に医療保険だけをいうものではない)。
 わが国は、保険時代としての体制を確立して一九六〇年代を迎えることとなったが、幾つかの問題点を持っていることがすでに指摘されている。それは、理念型としては、年金制度についても、医療制度についても、いずれも一本化することによって、社会的に弱者である階層に厚く給付していくべきであるという考え方である。それぞれの制度が長い歴史と伝統とを持っていることであるから、その一本化はいうべくして行なうことのむつかしいことであろう。
 とくに年金保険については、さらに困難なもう一つ<162<の問題がある。すなわち、それは、医療保険が短期給付であるのに対し、年金給付はそれが長期給付であるということから生ずる制約である。言葉をかえていえば、年金の給付が十分に行なわれるためには一定の歳月がかかるということである。年金保険制度が確立されて、労働者は明日の老後を約束されることになった。しかし、そのことは、そのまま、今日の老人に今日の生活を保障するということにはならなかったからである。年金制度が成熟期に達するのは一九九〇年代以降といわれる所以である。
 かつて一九五〇年代の中頃、地万公共団体のなかに独自に敬老金を支給するものがあらわれ、これが慰老年金法案の国会提出となり、ひいては国長年金法の制定となったことはすでにのべたとおりであるが、成熟期の到来を待っていることのできない老人の所得ニードにこたえて、地方公共団体のなかには独白に老人年金を支給しているものも少なくない。一九六九牛(昭、四四)の調査によると、現在、老人年金を支給している地方公共団体の数は一五二にのぼっている。
 一方、老人問題の重大性・深刻化にともない、一九六〇年代に入ると、老人対策は、一九五〇年代にくらべ、質的な変化・発展を示していることは先きにみたとおりである。いま、これらを要約すると、
a 生活保護法による生活困窮者対策から全般的に低所得階層対策へと脱皮し、なかには、特別養護老人ホームのように、経済階層のいかんを問わず収容措置し、また、健康診査のように全老人を対象とする施策も具体化してきたこと
b 施設対策(養老施設)にとどまらず、各種の居宅対策も進められてきたこと
c ひとり厚生行政にとどまらず、住宅行政・労働行政・社会教育・税制などの面でも老人対策がとりあげられるようになったこと等があげられる。
 しかし、それらがいずれもいまだ十分なものでないことは率直に認めなければならないところであり、今後さらに一層の努力が必要とされなければならない。」(森 1970:140-163)

■380 ■080116 [ml-prosemip 6406] 潮谷総一郎&杉村春三(天田)

天田です。
前便にて紹介した「潮谷 総一郎」「杉村春三」関連情報です。
ハンセン病、老いなどにもかかわります。私、熊本時代にいろいろと関係者に聞き、一応資料も揃えています。

――――――――――――――――
◆潮谷 総一郎 199411 『死刑囚34年――不屈の男・免田栄の歳月』,イーストプレス,255p. ISBN-10: 4872570340 ISBN-13: 978-4872570342
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872570340/ryospage03-22">[amazon]</A>

【内容(「MARC」データベースより)】
絶望の淵からたった一人で闘い始めた死刑囚・免田栄。その34年にわたる苦悩の姿と、激しく揺れ動く心理を、免田被告が「心の師」と仰いだ著者が、その交流を通して克明に描く。

◆杉村春三 196805 「老人福祉をめぐる諸問題」『社会福祉研究』,2号.
http://www.kousaikai.or.jp/public/book/book_kiji00.html

■財団法人鉄道弘済会 発行 『社会福祉研究』,2号.「特集 わが国の老人問題とその福祉対策」
http://www.kosho.or.jp/list/048/03959085.html
那須 宗一 「老後の生活をめぐる諸問題」『社会福祉研究』,2号.
三浦 文夫 「老人福祉対策の反省と今後の課題――老人福祉対策の体系化に関連して」」『社会福祉研究』,2号.
杉村 春三 「老人福祉をめぐる諸問題」」『社会福祉研究』,2号.
国井 国長 「大都市における高齢者の就職状況」」『社会福祉研究』,2号.

◆杉村 春三 1968 『美しい老年期』,婦人之友社,237p. ASIN: B000JA4PBQ
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JA4PBQ/ryospage03-22">[amazon]</A>

◆杉村 春三 1969 『美しい老年期(続)』,婦人之友社,252p. ASIN:B000J9NTB4
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9NTB4/ryospage03-22">[amazon]</A>

あるいは以下にも幾つか記載あります。
◆志賀一親・内田守 199005 『ユーカリの実るを待ちて――リデルとライトの生涯』,リデル・ライト記念老人ホ−ム,410p. 1575
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9910370549

『ハンセン病問題に関する被害実態調査報告書』
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/4b.html

■381 ■080116 [ml-prosemip 6407] 長谷川保(天田)

天田です。
歴史的に何度も反復されてきている「北欧話」ですが、これは、いつ頃、誰がどのような文脈で言い出したのでしょうか。
→調べてみると面白いと思います。

後に別の(怪しい)本でも紹介しますが、結核のベテルホームを作り、その後、1963年の老人福祉法制定の時にも(それなりの)位置づけにあった「十字園」を設立し、1982年に緩和ケア病棟を開設した――戦後、衆議院議員となって生活保護法などの制定などにも努めたとされる――(以下略)長谷川保が1963年の老人福祉法案をめぐる国会で「北欧話」をしているわけです。
(聖隷三方原病院などはきっと的場さんが詳しいので、詳細は的場さんに尋ねてみると良いかと思います)

高齢化×核家族化×貧困老人の増大×老人の自殺――1950年代からすでに「生活苦」「病苦」による自殺が幾つも新聞に取り上げられていた――という時代的背景に加えて、養老施設における貧困老人の「重度化」問題と、養老施設の「収容者」の劣悪な処遇ならびに「職員」の労働環境といった問題が取り上げられてはいました。

ただ、上記のような背景において誰が、いつ頃、どのような文脈で「北欧話」が取り上げ、上記のような話と接合していくのか、このあたりがいまいち明確ではありません。どなたかこの経緯の詳細についてご存知でしたら(あるいは見当がつく方がいたら)教えて下さい。

――――――――――――――――
◆長谷川保
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E4%BF%9D
http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/hitobito.html

長谷川 保(はせがわ たもつ 、1903年9月3日 - 1994年4月29日)は日本の福祉事業家、教育者。
キリスト教徒であった彼は、1930年浜松市にひとりの結核患者のための病舎を建てた。のちにこの病舎はベテルホーム(ベテルはヘブライ語。旧約聖書に出る地名で「神の家」の意)と名づけられる。
1942年、財団法人認可。聖隷保養農園付属病院開設(聖隷三方原病院の前身)。
1961年、日本で初めての特別養護老人ホーム「浜松十字の園」を開設。 1982年、日本で初めてがん末期患者などのための「ホスピス(緩和ケア病棟)」を開設 など病院・福祉施設の拡充につとめる一方、各種学校遠州キリスト学園を始めとする各種医療関係学校を経営し、福祉・医療教育にも力を注いだ。
また1946年戦後第1回の衆議院議員総選挙に社会党から出馬し当選、以後衆議院議員を7期務めた。在籍中は、自らの実践を元にして、福祉に関する法律の制定に奔走した。
昭和40〜50年代に、浜名湖沿岸に聖隷静岡医科大学を開設しようとしたが、国立の浜松医科大学が誘致されたため計画を中断した。この医科大学構想は、僻地医療を支援する医師を育成しようというものであった。診療技術をコンピュータに蓄積し、短波無線による僻地との交信でどこにいても最先端の診療ができるようにするというものである。現代の衛星や情報技術による遠隔地医療を予見していたともいえる。
生涯私的財産を持たないというポリシーを貫き、病院敷地内のバラック小屋に住み続けた。 遺言で死後も墓を作らず、浜松医大に妻とともに献体。骨格標本となり、医療
者の教育に貢献しつづけている。骨格標本は長らく聖隷短大棟に保管されていたが、現在は聖隷クリストファー大学内の聖隷歴史資料館に展示されており自由に見学することができる。

◆長谷川 保 1971 『夜もひるのように輝く』,講談社,244p. ASIN: B000J9NFZE
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000093428/ryospage03-22">[amazon]</A>
◆長谷川 保 198212 『老いと死をみとる――聖隷ホスピスのあゆみ』,237p. 柏樹社,ASIN: B000J7IHL8 1050
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J7IHL8/ryospage03-22">[amazon]</A>

http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/rekishi01.html
http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/rekishi02.html
http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/rekishi03.html
http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/rekishi04.html
◆1961(昭和36年)1月  ディアコニッセ(ハニ姉妹)の尽力により要介護老人のための『十字の園』を開園。(日本で初めての特別養護老人ホーム)
「ディアコニッセのハニ・ウォルフ姉妹の提案を、鈴木生二が現実の形に仕上げた特別養護老人ホームを紹介。高齢者福祉について誰よりも早く取り組み、全国の モデルとなりました。」

■社会福祉法人 十字の園
http://www.jyuji.or.jp/hojin/index.html

■聖隷三方原病院
http://www.seirei.or.jp/mikatahara/

――――――――――――――――
◆1962年11月9日 第041回国会 予算委員会 第5号,昭和三十七年十一月九日(金曜日) 午前十一時三十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/041/0514/04111090514005c.html

○長谷川(保)委員 時間の関係上、厚生、文教行政の点を二、三伺ってみたいと思います。
 まず厚生関係を伺ってみたいと思います。
 最近、御承知のように、日本人の平均寿命というものが非常に伸びまして、男六十六才、女七十一才というようなことになりまして、大へんけっこうなことでございますけれども、このけっこうなことの裏に、実に痛ましい問題を見るのであります。最近政府でお出しになりました印刷物によりましても、老人の自殺率は世界一だということになっております。人口十万単位六十才以上の老人の自殺数は三十五年で四千六百四十四人。ことに、高年令層になりますと、その自殺率が著しく多いのでありまして、人口十万単位で見まして、六十才から六十四才で自殺率が四二、六十五才から六十九才で五三・七、七十才から七十四才で六三、七十五才から七十九才で八三・五、八十才以上になると八九・一という。この自殺の人口十万単位の全体が三十五年が二二・七ということを見ますと、高年令層では実に四倍というような驚くべき数になっております。これは西欧諸国の二、三倍というようなことでありまして、これに対する十分な対策は、だれが見ても、もはや早急にしなければならぬことは明らかであります。これらに対して厚生省は一体どういうお考えを持っておるか、伺いたい。
○渡海説明員 増加して参りますわが国人口の中に占めます老人層に対しまして深い御認識を持たれました御見識、全く同感でございます。今自殺の問題を取り上げまして老人のことを申されましたが、御指摘の通りでございます。私もその統計をながめまして驚いたような次第でございますが、この老人の人口は逐次増加を続けるのが今後の趨勢であろうと思います。先進国の統計を見ましても、わが国はまだ昭和四十三年度に総人口の一割ということになっておりますが、イギリスあたりではもうすでに三十年ほど前にその数を突破して、現在では一八%になっておると聞いております。わが国も先進国並みに増加させなければならないし、増加して参ると思います。このような趨勢に対しまして、老人対策に抜本的に取り組まなければならないという考えより、政府といたしましても十分の対策を立てるべく鋭意努力中でございまして、厚生省といたしましても、来年度の予算におきましては、特に老人対策に対しましては重点を置きまして、あらゆる新規の事業も加え予算を要求しておるような次第でございますが、なお、根本には、わが国におきまして老人がいかなる地位にあるべきか・u桙ニいうことを基本とする老人福祉法の制定も、ぜひとも次の通常国会で成案を得て御審議を仰ぐという段階に持っていきまして、老人対策の万全を期したい、かように考えておる次第であります。
○長谷川(保)委員 大蔵大臣も今お聞きの通り、これは実に痛ましい限りの数字が出ておるのであります。今度の来年度予算の概算要求について厚生省の分をちょっと見たのでありますが、老人対策費を六十九億円ほど要求していらっしゃる。これは三十七年度の約二倍に当たる額でありますけれども、ただいまも大蔵大臣のお聞きのように、実に老人の自殺が驚くべき数であるというような事態をお考えになりますならば、私として大蔵大臣に特に注文しておきたいのは、この際やはりこの対策として厚生省の要求は十分満たされまして、――私は厚生省の要求でも実際においては足らぬと思う。この点は十分大蔵大臣は留意されて、このような六十才以上の老人で一年間で四千六百四十四人も自殺をするというような事態をなくしていただきたい。日本の社会保障制度というものについて、これから池田内閣は一生懸命でやって、池田内閣がいつまで続くか知りませんけれども、十年間に西欧諸国の現在の社会保障の下の段階までこぎつけたいというように言っていらっしゃいますけれども、ことに、こういうような老人の自殺をして参ります原因というもの、これは、日本の社会保障制度・u桙フ非常な足らなさ、そういう点が何といっても大きな原因であろうと思うのであります。そういう点で、この老人対策に対して特別な配慮をしてもらいたいと思うが、大蔵大臣はその点どんなふうにお考えになっておりますか。
○田中国務大臣 お答えいたします。
 老人の自殺による死亡率というものについて、今私は御発言で承知をいたしたわけでありますが、いずれにしても、日本における自殺率は世界の何番目というように非常に高いようであります。老人に対しては、特に老人福祉の面に対して重点的な施策を行なわなければならぬことはもう当然であります。大蔵省といたしましても十分これが対策を考えておるわけでございます。
 なお、来年度の厚生省の老人対策予算としまして、看護ホームというもので三億六千万円でありますか要求しておりますが、三十六年度の老人ホームの利用率は九七・四%というようで、実際まだ一〇〇%まで使われておらない。これは、厚生省の言い方としては、二月、三月ごろ時期の悪いときに死亡率が非常に多いとか、また、自分の居住地に近いホームに入りたいというようなことでありますので、郡部にあるものは利用度が少ないとか、また、居住地の市郡内でつくろうとすれば土地が入れないとか、いろいろな問題がありますが、いずれにしても、お説のように、老人対策については国会においても老人福祉法が制定せられるような気運にありますし、これらの問題に対して真剣に考え、対処していくべきだという考えでございます。
○長谷川(保)委員 今お話しの、老人ホームに一〇〇%定員だけ入っておらないということ、この問題に非常に大きな問題がある。これは、一般の老人ホームでは現在確かに空床がある。どうして空床があるかというと、これは、政府の昭和三十五年度の高齢者の調査によると、六十五才以上の老人の二〇%が病弱または臥床しておる。ところが、こういう方たちは、一般の老人ホームのやり方では、事務費あるいは措置費が少ないために、この人たちを入れたのではやれないのです。経済的に成り立たないのです。ここに大きな問題がある。経済的に経営が成り立たないようになっておる。そこで、この病気を持っておる老人、あるいは臥床しておる人はもちろんでありますけれども、これは一般老人ホームは断わってしまう。入れないのです。そこに空床のできる大きな原因がある。でありますから、今度は、わずかにまだ日本で二つしかありませんけれども、看護老人ホームの方に行ってみますと、入りたいという希望者が殺到しておる。こういう事態をわれわれはよく見なければいかぬと思う。それで、この看護老人ホームの問題を初めて厚生省が今度取り上げまして、正規に予算の要・u梛≠clさっておる。あるいは老人保養所も同じようなものでありますけれども、これの予算の新規要求をなさる。これも非常にいい。ただ、問題は、この概算要求を見ましても、老人保養所と看護老人ホーム合わせて三億八千万です、施設補助が。保護費がわずか五千万です。こればかりのものではどうにもならぬ。先ほど申しましたように、やがて一千万にもなろうという人々、その老人たちのうちの二〇%くらいが病気を持っておる人です。でありますから、こんな対策ではどうにもならぬのであります。これは初めて芽を出したことでありますからこういうことでございましょうけれども、こんなことではどうにもならぬ。
 それから、いま一つ考えておかなければならぬことは、なぜ老人が自殺するかということです。これは、スエーデン、デンマークの老人ホームを見ましても、そこで自殺する人が相当ある。それは何かというと、かしこにおいては、あまり社会保障が発達し過ぎたために、肉親の者がもう老人ホームに見舞いにも行かない、こういうことで、肉親に対する愛情に飢えて死ぬわけです。ところが、日本では、社会保障もだめならば、同時に、家族制度が崩壊をして、そこに全く愛情に飢えた老人たちが生きがいを感じなくなった。人間というものはやはり愛の中で、生きがいを感ずるものだと思うのです、若くても年とっても。それが愛情を感じない。この点は一般の老人ホームの経営の点でも考えなければならぬ点だと思うのです。だから、単にりっぱな設備をつくっただけでは老人は満足しない。そこにやはり深い愛情がある施設になりませんと、あたたかい施設になりませんと老人は自殺するという形になってくる。こういう点で、厚生省も大蔵省もともに、措置費、保護費、事務費等を十分にもっと見なければいかぬ、つまり、ほんとうにあたたかいものができていくだけの経済的な裏づ・u桙ッというものをちゃんとしてあげなければいかぬということを思うのです。また、老人ホームをつくっていくときに、そういう愛情のあるもをつくっていかなければならぬ。従って、職員等も、単に役人の古手が回っていけばいいなんという安易な考え方でなくて、もっと真剣に考えてもらいたい。わずか一年間に六十才以上の者が四千六百四十四人も自殺する、こういうようなことが絶対あってはならぬと思います。
 看護老人ホームや老人保養所をつくっていこうという考え方を今お出しになったことについては、私は非常に賛成であります。非常にいいことだと思うのでありますけれども、ただ、問題は、それを経営して参りますのに、聞くところによりますと、たとえば看護老人ホームの看護婦の配置の数、これを、病院ではいわゆる基準看護に一類、二類、三類とあるわけですけれども、これよりも低いものになさるようであります。これは非常な間違いであります。どうして間違いかと申しますと、この看護老人ホームに入るような老人の中には、要するに老耄の人が非常にあるのであります。老耄のために一日じゅううんこを方々になすりつけるというような老人がたくさんあります。あるいは、一日じゅう、夜も昼も大きな声で叫んでおるというような老人があります。私はこの実態をよく見ておるのでありますけれども、その実態を見ていきますと、病院の看護婦ではとてもできない。もっと徹底した老人専門の看護婦でなければこの扱いはできないということをしみじみと思うのであります。そういうような、ふいてやってもまたすぐうんこをなすりつけるというようなことをしている年寄り・u桙激Dますし、また、おむつで取らなければならぬという者が非常にたくさんございます。看護老人ホームのおそらく半分はそういう人になると思います。そうなりますと、これは容易なことではありませんで、今厚生省が考えているような一類あるいは二類、三類以下の看護をやろうというようなことでは、ほんとうに長い間日本のために社会のために働いてくれて、その生涯を終わるときに至って、今申しましたような親切な、ほんとうにあたたかい愛情をかけた看護をする、みとりをしてあげるというようなことはとてもできないのであります。そうなりますと、やはりさびしくなって死ぬという形になっていくと思います。でありますから、今初めてこの看護老人ホームあるいは老人保養所というものをつくっていくとしますと、これについて、十分な人員の配置、また、この保護費等を考えてあげる必要がある。厚生省が今考えておるのを私が聞いたところによりますと、そんなことではほんとうのものはできない、こういうことを思うのであります。
 どうか、こういう点は一つ、時間がありませんからこれ以上申しませんけれども十分に考えてこの計画を進めてもらいたい。大蔵大臣にも、ぜひこの点は十分考えてやってもらいたいということをお願いいたしておきたいと思います。
 それから、生活保護のことをちょっと一言だけ伺っておきたいのでありますが、聞くととろによりますと、米価を一二%一月からアップするということでありますが、それと関連して、生活保護の保護費、低所得階層全般にわたることでもありますけれども、要保護の人々と、またその他の低所得階層に対する対策、これについて厚生省はどう考えておるのか。一月から米の値段を上げるということをもしなさるとするならば、当然保護基準の引き上げということも考えなければいかぬと思うのでありますけれども、これは補正予算で出すのか出さないのか、この点を伺っておきたい。あるいは来年度予算ではこれをどう考えておるのか、伺っておきたいと思います。

■382 ■080116 [ml-prosemip 6408] 『ヨーロッパの老人福祉』(天田)

天田です。
前便の『老人はどこで死ぬか』の中でも佐口卓が1964年に北欧を訪問していること、森幹郎が1963年にスウェーデン、デンマークを訪問していることが書かれているが、いつ頃、なんでしょうかね。この手の話が浮上してきたのは。気になります。

――――――――――――――――
◆森 幹郎19700415 『ヨーロッパの老人福祉』,全国社会福祉協議会,259p. ASIN: B000J9OXZA 480
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9OXZA/ryospage03-22">[amazon]</A>

■引用
「わたくしは昭和四四年の二月から一〇月までの間、西欧、北欧および中東の国々に滞在して、老人に対する保健福祉の実態を体験的に学ぶ機会を与えられた。本書はまず上司に対する出張復命書であり、また同時に、関係者に対する体験的報告記でもある。……」(森 1970「自序」より)

■383 ■080116 [ml-prosemip 6409] 『人口問題研究』(天田)

天田です。
知らなかったのは私だけかもしれませんが、『人口問題研究』が1巻1号(1940/04〜)から読めることを知りました。
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/jinko/jsakuin1.htm
これは便利です。諸々調べ中。

――――――――――――――――
◆国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/

少子化情報ホームページ
http://www.ipss.go.jp/syoushika/

刊行物
http://www.ipss.go.jp/syoushika/site-ad/index-bj.htm
『人口問題研究』『季刊 社会保障研究』『海外社会保障研究』

『人口問題研究』
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/jinko/jsakuin1.htm
『季刊 社会保障研究』
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/kikan/sakuin1.htm
『海外社会保障研究』
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/kaigai/ksakuin1.htm

■384 ■080116 [ml-prosemip 6410] 戦後老年医療についての幾つか(天田)

天田です。
以下にある「寿命学研究会」はじめ、諸々について調べ中。情報があれば、教えてください。

http://www.arsvi.com/b2000/0709mm.htm
「一九六一年(昭和三十六年)、寿命学研究会(二〇〇七年解散)の会長・渡邊定(ルビ:わたなべさだむ)先生(一八九<83<二―没年?)はアメリカからM.ダッショ博士(ニューヨーク大学医学部助教授)を招き、全国主要都市を回って、老人リハビリテーションの講演会を持った。まだ誰も老人リハビリテーションなどと言わなかったころのことである。老人問題の黎明期に啓蒙学者として、また、老年社会科学会の初代理事長として、先生の働きは大きかった。」(森[2007:84])

◆寿命学研究会 1956〜 『寿命学研究会年報』1−3回(昭31−33)/復刊No1−9(昭54−62) 12冊
http://www.kosho.or.jp/list/049/01815232.html

【簡略年表(以下に関連する情報+αのみ)】
1953年 東大病理学緒方知三郎が老人病研究所、老人病研究会を設立
1954年 東大外科学塩田広重が寿命学研究会を設立
1955年 阪大内科学今村荒男が老年科学研究会を設立
1956年12月 第1回日本ジェロントロジー学会が東京にて開催。会長:塩田広重、老年医学部会長:緒方知三郎、文化科学部会長:寺尾琢磨。
1957年11月 第2回日本ジェロントロジー学会が大阪にて開催。会長:今村荒男、老年医学部会長:吉田常雄、文化科学部会長:橘覚勝。
1958年11月 第3回日本ジェロントロジー学会が名古屋にて開催。会長:勝沼精蔵、老年医学部会長:山田弘三、文化科学部会長:橘覚勝。
         総会において名称の改称が決定され、日本ジェロントロジー学会は日本老年学会、老年医学部会は日本老年医学会、文化科学部会は老年文化科学会となった。
1959年5月  老年文化科学会の幹事会において、老年文化科学会の名称を日本老年社会科学会と改称した。
1959年11月 第1回日本老年学会(第4回日本ジェロントロジー学会に相当する)が東京にて開催。会長:塩田広重、日本老年医学会会長:緒方知三郎、日本老年社会科学会会長:渡辺定。
         この総会にて日本老年学会が発足し、その分科会として日本老年医学会および日本老年社会科学会が発足した。
         両分科会は隔年毎に同時、同地区において日本老年学会として開催し、他の隔年毎は単独に行う方針が承認された。
1960年11月 第2回日本老年医学会が京都にて開催。会長:井上硬。
1961年11月 第2回日本老年学会が東京にて開催。会長:尼子富士郎、第3回日本老年医学会会長:冲中重雄、第3回日本老年社会科学会会長:渡辺定。

※このあたりの時期については以下も参照。
http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/about/ayumi.html

――――――――――――――――
◆緒方知三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E7%9F%A5%E4%B8%89%E9%83%8E
緒方知三郎(おがたともざぶろう、1883年1月31日 - 1973年8月25日)は、病理学者。東京生まれ。
幕末の蘭学者・緒方洪庵の次男・緒方惟準の四男。緒方富雄は甥。東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)卒。山極勝三郎に師事。脚気や結核、腫瘍の発生、「唾液腺内分泌に関する研究」等を研究。東京帝国大学医学部教授を経て東京医科大学初代学長になる。1957年文化勲章受章。

◆塩田広重
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%94%B0%E5%BA%83%E9%87%8D
塩田 広重(しおた ひろしげ、1873年 - 1965年5月11日)は、外科医学者。京都府生まれ。胃腸手術の権威として知られ、1930年東京駅で狙撃された濱口雄幸の治療をした。輸血手技・イレウスの研究をし、成人病研究を提唱。また老人学の草分けとして、寿命学研究会を創設。1954年文化功労者。主著は「メスと鋏」。

◆勝沼精蔵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%B2%BC%E7%B2%BE%E8%94%B5
勝沼 精蔵(かつぬま せいぞう、1886年8月28日 - 1963年11月9日)は、兵庫県生まれの医学者。専門は血液学。名古屋帝国大学医学部教授、第三代目名古屋大学総長を務めた。医学博士。一高、東京帝大医科大学卒業。献体団体である不老会の設立を助言したのも彼である。1954年11月3日に文化勲章を受章。没後の1963年11月10日勲一等旭日大綬章を追贈され、従二位に叙された。

◆今村荒男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%9D%91%E8%8D%92%E7%94%B7
今村 荒男(いまむら あらお、1887年10月13日 - 1967年6月13日)は、内科医学者。奈良県生まれ。東京帝国大学卒業。伝染病研究所を経て、大阪帝国大学教授に就任。日本で初めてBCGワクチンの人体接種を行い、結核予防と治療に尽力した。1960年文化功労者。

◆尼子富士郎
http://www.jamas.or.jp/fujirou.htm
尼子富士郎(1893:明治26年〜1972:昭和47年)。山口県下松市において、父尼子四郎、母とよこの長男として生まれる。1918年東京帝国大学医学部卒業。医学部副手として稲田内科(現東大第三内科)に勤務。1926年その前年に設立された財団法人浴風会(現社会福祉法人浴風会)の医長に就任。それ以後は老年医学の研究と「医学中央雑誌」の刊行に力を注ぎ、これらの功績に対して、その存命中に数々の賞を受けた。

――――――――――――――――
【関連情報】
■社団法人老人病研究会
http://www.nms.ac.jp/gochojunet/

■日本医科大学 老人病研究所
http://www.ig.nms.ac.jp/
「昭和29年(1954)2月 東京都千代田区神田淡路町、同和病院内に社団法人「老人病研究会」の付属機関として「老人病研究所」を設立。緒方知三郎氏を所長とし、唾液腺ホルモンやビタミンEと老化について研究。」

■財団法人不老会
http://furo-kai.or.jp/

■385 ■080116 [ml-prosemip 6411] 老いファイル追加のお願い(天田)

天田です。
老いファイルを作ってもらっていますが、
http://www.arsvi.com/d/a06.htm
1970年代の前半に書かれた部分を独立させ
「老い・1950年代」
「老い・1960年代」
を追加してもらうことは可能でしょうか。
できましたら、お願いします。
→立岩さんあるいは担当者の方々

――――――――――――――――
老い・1970年代
http://www.arsvi.com/d/a061970.htm
老い・1980年代
http://www.arsvi.com/d/a061980.htm
老い・1990年代
http://www.arsvi.com/d/a061990.htm
老い・2000年代
http://www.arsvi.com/d/a062000.htm

■386 ■080116 [ml-prosemip 6412] 『昭和社会事業史への証言』(天田)

天田です。
以下、昔話を調べるために購入。amazonのマーケットプレイスでは(許し難いことに)古本屋さんの10倍の値がついております。一応、集めておきます。医療系・政策系も諸々探しています&購入中。

――――――――――――――――
◆吉田 久一・一番ケ瀬 康子 編 198210 『昭和社会事業史への証言』,ドメス出版,630p. ASIN: B000J7IB3W 10500
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J7IB3W/ryospage03-22">[amazon]</A>
日本の古本屋さん http://www.kosho.or.jp/list/045/05051988.html

■387 ■080116 [ml-prosemip 6413] 『高齢社会がやってくる』(天田)

天田です。
1972年の朝日新聞社の老い本にもビンディングとホッヘについても記述あり。詳細な経緯など知りたいものです。

――――――――――――――――
◆朝日新聞社 編 19721130 『高齢社会がやってくる』,朝日新聞社,307p. 540 [amazon]
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9O9DG/ryospage03-22

【目次】
プロローグ――ある末路
第一章 いま老人たちは
1 成立たない老後設計
  インフレが老人を攻撃
2 戦争の傷跡
  原爆孤老のつらい日々
  四十代の独身女性五十万人
  悲しい兵隊
  靖国の妻
3 孤独
  自殺率世界一の老女
  届かない保護の目
  病人をきらう施設
4 繁栄下の犠牲者たち
  生活保護に頼る過疎地の老人
  過密
  寿命を縮める公害
  むずかしい“再々就職”
5 発言
  大きな市民運動に発展する可能性
◇座談会 高齢社会への対応 (地主重美、縫田曄子、村上清、森幹郎、塩口喜乙)
  福祉哲学の相違
  インフレに弱い年金制
  働きたい人には仕事を
  ものいう老人に

第二章 その現状と問題点
1 低福祉
2 家族制度
3 住宅
4 征爾の見落し
5 医療
6 定年・再就職
◇対談 深刻化する再就職難 (早川勝、立花銀三、辻謙)
  老人に合う生産工程を
  定年延長への道程
  年金額は二段階に

第三章 老人の「心」と付き合おう
1 相手の立場になること
  脳卒中で倒れた働き者の夫
  夫の生きがいを奪っていた妻
  要求される「愛情+技術」
  かんじんな「人格」の程度
2 老人の特質
  ブレーキがかからない
  失われる能力、残る能力
3 接しかたの技術
  まずここから(聞き上手、理解したという表現、非は率直にわびる、手をにぎる、もちあげる、ボケたとはいわない、話の反論はのちほど、真の原因をさぐる)
  努力は大変でない

第四章 明るく豊かに
  自分自身で「人間回復」を
  保健婦さん
  地域の善意を結集
  リハビリでめざましい成果
  目的めざし意欲燃やす
◇対談 しあわせな老後の生き方 (永六輔、桐島洋子)
  波長が合わない
  子育てを奉仕作業と割り切る米国
  新しい発見をつづける
  すばらしい人
  かっこよい老人がふえてきた
あとがき

■引用

「四十七年七月、田中新内閣発足の翌日、ささやかだがちょっと目をひく四十人あまりのデモが東京の都心をねり歩いた。(中略)<60<このデモを組織したのは東京都老後保障推進協議会。日雇労務者の団体や老人クラブなどでつくっている老後対策要求の組織だ。デモの先頭にはスローガンを書きなぐったポンコツ寸前の愛用者にマイクをにぎった町田市老後連盟の古宮杜司男委員長がいる」(朝日新聞社 1970:60-61)

「社会保障の貧しさが「死にたい病」を
「私は、ある病院の一室で患者として治療をうけています。毎日の検査検査で次第に体力が衰え、現在では自分で何もできず、寝たきりの病人になりました。毎日、何人かの人の世話になり、そして私は苦しみ続けております。なぜ、安楽死が許されないのでしょうか。若い人なら、いかなる病気でも治療する必要がありましょうが、八十歳をこえた私にはこの苦しみに耐えられません。どうか法律で安楽死を認めて下さい」
 四十七年五月末、こんな投書が名古屋の朝日新聞『声』欄に載り、大きな反響を呼んだ。書いたのは豊田市の松平すゞさん。投書が新聞に載った約半月後にガンで死んだ。
 すゞさんが「時々、息が苦しくなる」といいだしたのは四十七年四月末ごろ。<104<
 病院で診察したら、ろく膜付近に多量の液がたまっていることがわかり、その場ですぐ入院。五月十一日のことである。その日と翌日の二回に分けて、トマトジュースのような真赤な液を千八百cc抜いた。その後で胸と胃のレントゲン検査がたて続けに行われた。液のなかからガン細胞が見つかったからである。すゞさんが投稿したのはこのころだ。
 「八十歳を越えたら、いつ死んでもよい。健康保険が赤字だというのに、私のように治る見込みがない老人が治療を受ける必要はない」
 すゞさんはベッドで息子の浣二さんにそういった。旧士族の次女に生れ、尋常小学校を出たあと独力で教員免許をとったすゞさんは気丈な明治気質の女性であった。
 「社会的に用がなくなった人間には安楽死が許されるべきだ」
 といい、すゞさんは人間の社会的有用性の基準を八十歳に置いていた。
 み仏の 光りあまねく身に受けて 今しいかなん 西方浄土に
 死期を察したすゞさんだが、こんな辞世の句をつくるほど冷静だった。
 有吉佐和子の小説『恍惚の人』の読後に「年とってボケてしまい、しもの世話が自分でできなくなったら安楽牝したい」と考える人も多い。
 が、安楽死は刑法で同意殺人とみなされ、安楽死をさせた者は六月以上七年以下の懲役か禁固<105<に罰せられる。欧米でも禁じられ、このためアメリカでは三千人、イギリスでは六百人の会員を
持つ安楽死協会が「安楽死を法で認めよ」と立法化を働きかけている。
 平均寿命がのびるにつれ、老人と安楽死の問題は将来、深刻になるだろう。
 だが――
 「病気や、ボケてしまった老人に安楽死を認めよ、という考え方には危険な落し穴がある」
 と福岡の特別養護老人ホームの田中多聞園長はいう。それによると、老人の“不安愁訴”のひとつに「死にたい病」がある。
 年を取ると、こんなつらくて、いやな思いをするなら死んだほうがましだ、と「死にたい、ポックリと楽に死にたい、と口走る。しかし「死にたい」ともらす心の奥には「生きたい」という願望があって、寝たきり老人へのホームヘルパーの充実など老人への社会保障が理想的に整えば「死にたい病」しは解消する、というのだ。
 「老人の五〜一〇パーセントは何らかの精神障害を特っている。そうした老人のことばを額面通りに受取って、老人に安楽死させろ、という主張は、老人の心理や生理についてくわしい専門家が少ない日本では危険な考え方だ」
 と田中園長は指摘する。<106<
 また宮野彬・鹿児島大助教授も、
 「ドイツでは第一次世界大戦のインフレ時に刑法学者のK・ビンディングと精神病医のA・ホッヘが『生きる価値のない生命を絶つことの許容性』という論文を発表。これがナチの安楽死思想につながり、第二次世界大戦中に老人や精神障害者が二十万人もガス室で殺された。老人の安楽死を容易に認めると、そんな事態も起り得る」
 と警戒している。
 安楽自殺は認めるが、安楽他殺は許されない、という立場から評論家の松田道雄さん。
 「寿命がのびるにつれ楽に死にたい、と願う人はふえるだろうが、あくまで本人が選択することであって、医者やまわりの親族が口出しすべきでないし、立法化の必要もない。何となく生きていて何となく死ぬ。日常生活の延長線上でそっと死を選ぶ。すいう安楽死なら理想なんだが……」
 「おふくろが病気の老人に安楽死を認めて、といったのには反対でした。でも、死顔は眠るように静かでした。最後まで最善の治療を受けたのだから、これが本当の安楽死だと思っとります」
 息子の松平浣二さんは、すゞさんの遺影に手を合わせた。」(朝日新聞社 1972:104-107)

「「名医ほど、老人の生活を拘束したがらない」といわれる。この「総合力」をやしなう修行は、現在の医師に非常に不足している――浴風会の関増爾、杉並組合病院の川上武・各博士なども、深刻に憂いている」(朝日新聞社 1972:158)

「「寝たままは、はっきり“悪”と知るべきです」<162<
 と東大病院リハビリテーション部の上田敏講師も断言する。(中略)
 (リハビリは赤字になる/引用者補足)と、東京都養育院病院荻島秀男リハビリ部長はなげく。」(朝日新聞社 1972:162-163)

「熊本県で、長く老人をとりまく調査を続けてきた杉村春三パウラスホーム・慈愛園園長らによると、老人が寝たきりになると、平均四万七千円も医療費がかかり、その費用は大抵は家計簿につけないという。……」(朝日新聞社 1972:169)

■388 ■080116 [ml-prosemip 6414] 関増爾(天田)

天田です。
前便や森幹郎本にて以下のように紹介されている「関増爾」関連。
http://www.arsvi.com/b2000/0709mm.htm
「(……)しかし、私は特別養護老人ホームは慢性疾患を持った老人を対象としたナーシング・ホームとして専門化していくべきであり、終焉の地になるべきであると思っていたから、その後も私見を繰り返し主張した。老人福祉法の制定から八年経った、一九七一年(昭和四十六年)、私の主張に反対する浴風会病院院長・関増爾(ルビ:せきますじ)先生(一九一八―一九九三)と私の往復書簡が浴風会(四九ページ)の広報誌に連載されたこともあった。」(森[2007:126-127])

なお、すでに知っている方も多いかと思いますが、『医中誌』は浴風会の初代院長の尼子富士郎の父・尼子四郎が創設しました。
http://www.jamas.or.jp/fujirou.htm
http://www.jamas.or.jp/history.htm

――――――――――――――――
■関 増爾 せき・ますじ

◆塚本 哲・関 増爾 1958 『第三の人生――中年からのからだと暮し』,日本評論新社,240p. ASIN: B000JAUBA0
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000JAUBA0/ryospage03-22">[amazon]</A>

◆村上 元孝・関 増爾 197803 『尼子富士郎』,医学中央雑誌刊行会,496p. ASIN:B000J8Q3B8
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J8Q3B8/ryospage03-22">[amazon]</A>

◆関 増爾 199004 『生きているだけではいけないのだろうか――年寄りに学ぶ』,日本看護協会出版会,230p. ISBN-10: 4818001147 ISBN-13: 978-4818001145 1632
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818001147/ryospage03-22">[amazon]</A>

――――――――――――――――
【関連情報】
■社会福祉法人 浴風会
http://www.yokufuukai.or.jp/

◆浴風会の沿革と歴史
http://www.yokufuukai.or.jp/rekishi.htm

■389 ■080116 [ml-prosemip 6434] Re: 諸々について(天田)

天田です。
諸々で返信が遅くなりました。すみません。

青木さん、的場さん、有り難うございました。
高田さん情報も助かります。


以下、主として立岩さん(ほか)への返信。
老いファイル加筆・編集、有り難うございます。他にも山ほどあるのですが、なかなか作業が追いつきません。
(順次、極々「基本的な文献」から情報提供していきます。それを参考に仕事しましょう。→老い研の皆さん)


> ほかに天田さんのところにあるものありますか?

私の手元にあるのは以下の3冊です。重複して
しまいましたが、最初は仕方がないかと。
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907757980/ryospage03-22
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9NFZE/ryospage03-22
> http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J7IHL8/ryospage03-22

なお、長谷川保情報については後ほどMLします。


> 田中多聞

前々から田中多聞については情報提供してきましたが、皆さんの反応悪いので、本日、1冊アップします。
(70年代のリハビリテーションの言説を押さえておくためにも「最低限」必要なものになります→老い研の皆さん)


> ということで、既にあるもの&注文済みのものについては
> ※つけていただけると、注文しなくてもすむことがわかって
> 都合よいです→天田さま(他)

了解です。なお、私がMLにて紹介するものはほとんど手元にあるものですので、ほとんどに※がつきます。

取り急ぎ。
天田

■390 ■080118 [ml-prosemip 6459] Re: [ml-prosemip 6455] 院生論文関係

天田です。
『Core Ethics』関連、私のところにも届いていますが、私もコメント希望等の指示がなければ、今回は特段に返信しておりませんので、どうぞよろしく。

本日、プロジェクト予備演習は最後の講義になります。講義の合間、前後に、忙しい時期が過ぎたあとの研究の計画や方向性など、諸々相談して下さい。

予備論、博論、その他、適宜、相談ください。


立岩さん、了解です。
> 松枝さんのはまずは私みます→天田さん・野崎さん)

■391 ■080118 [ml-prosemip 6461] シンポジウム「高齢社会を生きる案内転送(天田)

天田です。
以下、案内を頂きましたので、転送します。

――――――――――――――――
高齢社会を生きる――老いてからの過ごし方

日時:2008年2月17日(日)午後1時〜4時
開場:12時30分  開催:13時
場所:神戸市勤労会館4F 講習室403
    JR.阪急.阪神三宮駅 国道2号線沿東へ徒歩5分
主催:患者のウェル・リビングを考える会
    http://www.geocities.jp/well_living_cafe/
助成: 財団法人在宅医療助成勇美記念財団
参加費:無料(アンケートに答えていただきます)
定員: 100名(先着順)
            
シンポジウム

高齢者の在宅生活: 早川和男氏 (日本居住福祉学会 会長)
在宅ホスピス  : 大西和雄氏 (東神戸病院緩和ケア病棟医長)
死生観と看取り : 竹之内裕文氏 (静岡大学創造科学技術大学院准教授)
コーディネーター: 清水哲郎氏 (研究協力)(東京大学人文社会系研究科教授)

患者のウェル・リビングを考える会は、これまで自分の生老病死
について、リビング・ウィルや、自己決定などをテーマに研究会
や勉強会、さらに書評カフェなどを開いてきました。前回(老いて
からの医療の受け方)に続き、今回は、高齢者の過ごし方を、
「住い」「終末期」「死生観」など、さまざまな角度から考えてい
きます。

お申し込み:ハガキかE-mail で、住所、氏名、電話(Fax)番号、参加人数
を明記して、以下にお申し込みください。 
〒654-0052
神戸市須磨区行幸町1丁目1−37−605 セルフケア.ネット
E-mail :  selfcare@wis.gr.jp  
(お申し込み後、定員オーバーでお断りする以外は特に連絡は致しません。)

■392 ■080120 [ml-prosemip 6480] 『老人医療の現場』(天田)

天田です。
1991年にはこんな対談がありましたとさ。ばかばかしい対談ですが、一応。
なお、時期的には、「特例許可病院」が制度化された年です。それと、「長谷川保」の名もたくさん出てきます。

1991年4月 特例許可老人病院入院医療管理料の新設
        看護料,投薬料,注射料および検査料を包括化
        特例許可外老人病院の注射料の適正化
        注射料の入院時医学管理料への包括化

――――――――――――――――
◆和田 努 19910901 『老人医療の現場――明日の高齢者福祉を考える』,東林出版社,288p. ISBN-10: 4795235627 ISBN-13: 978-4795235625 1835
http://www.arsvi.com/b1990/9109wt.htm

■引用

以下、「新しい老人観で“手づくりの福祉”を――岡光序治氏との対談」の一部。

「岡光序治氏(おかみつ・のぶはる)
昭和十四年生、呉市出身。東京大学法学部卒業。昭和三八年厚生省に入り、五四年社会局施設課長、五九年保険局企画課長、六二年大臣官房総務課長、六三年大臣官房審議官(医療保険担当)を経て、平成元年老人保健福祉部長に就任」(和田 1991:257)

「死の問題を日常に取り戻す」
 和田 私事にわたって恐縮ですが、二年前に私の父は八六歳で亡くなりました。死の直前まで自宅ですごしましたが、終末ぎりぎりになって入院させました。そうしたら主治医が私を呼んで「あなたのお父さんは腎不全になりそうだから人工透析をしたらどうですか」と勧めるわけです。「私の父は八六歳まで生きさせていただきました。天寿をまっとうできたと思っています。いまさら人工透析をする必要はありません」と断わりますと、その主治医は言うわけです。「人工透析をしたら多少は延命できると思うのですが、それを断るというのは息子さんとしては冷たいんじゃ<275<ありませんか。ほかのごきょうだいと相談された結果なんですか」と。さらに父が昏睡状態におちいり、あと数時間の生命だという時にヽ「人工呼吸器を装着しますか」というようなことを医師が言うわけです。私は断わりました。八六歳の老人のわずかな時間の延命のために多くの費用と技術がつかわれることになるのですが、私の父の生命の質がこれらによって高まるわけではありません。「もっと自然な寿命というものを受けいれるべきではないか」とつくづく考えさせられましたね。
 岡光 考えさせられますね。こういう一面があるんですね。ベッドを占拠されてて、大した医療を行わないと病院は赤字になるんですね。終末期において相当集中的な医療を行って赤字部分を埋め直しているという側面を否定できないと思いますが、経営のことを考えれば、ある意味では当然おこるべきことかもしれません。そして診療報酬が悪いんだ、といわれるかもしれません。
 ですから平成二年(1991年/引用者補足)、から特例許可老人病院入院医療管理料を新設して、定額制を導入したわけですが、そういう仕組みにして、介護にかかる人件費に充ててその他の経費はできるだけ圧縮したらどうですか、というやり方を提案したわけです。
 和田 私自身は定額制の導入はすごく高く評価しています。
 岡光 経営的な要素と、もうひとつは今までは医師は生かすことしか考えていない。死の問題はいやな問題ですからね。特に老人の医療ということになると終着点は死なんだから死にどうやってたどり着くかという話は避けてしまっていると思います。<276<
 和田 しかし医療において、とりわけ老人医療においては死は絶対に避けてはいけない問題なんですね。
 岡光 そうなんです。特に最近は死を真正面に見つめていこうという考え方が出始めてきたと思いますね。個人レベルでも「私の終末はどうしたらよいのか」と大きな課題になってきている。
 和田 現代人は死を間近に見るということが少なくなって、死のことを忘れてしまってるきらいがありますよね。昔と違って死のイメージが非常に希薄になっている。そういう意味では死を日常に取り戻すということは大切なことじやないかと思うんです。
 岡光 聖隷福祉事業団の長谷川保先生が、子供とか若者に死に立ち合わせろ、とおっしゃっていますが、それは大切なことなんですね。そ<277<ういう意味で最近死の問題が出てきたことはいいと思うんですが、死というものに対して日本人の覚悟は実はできていないと思うんです。ヨーロッパの発想はどこまでが本当かよく分かりませんが、本などで読みますと、自分のロから食べられなくなったらおしまいだ、という発想があるらしくて、中心静脈とか気管切開をするなんてことはヨーロッパでは考えられない。やはり食べられなくなったら終りとか、生命の限界というふうに考えているようです。それに対して、日本人は日本人の死生観をなくしているんじゃないだろうかと思うんです。
 和田 「天がしかるべき時に死を与える」というような表現を読んだことがありますが、自然な寿命というものを私たちは受容すべきじやないかと思いますね。
 岡光 いまホスピスの動きが出ていますよね。がんの終末期が対象になっていますが、私はがん以外の病気のホスピスがあってもいいんじやないかと思います。
 和田 大賛成です。生の医療と並んで、死の医療も必要だと思うんです。ホスピス・ケアは高齢化社会において、すべての老人の天寿をまっとうさせてあげるために在るべきだとうんです。
 岡光 そうだと思います。ですから、終の住家というか、死に場所というか、「それはどこなんだ」というのを、それはもちろん複数でいいんですが、解答を出さなきゃいけないんだと思います。
 和田 それはとても重い問題ですけど、解答を迫られていますよね。死にゆく者の、あるいは死者を送る者の願望からいえば、終の住家は住み慣れた家、地域社会でありたいと思う。しかし、<278<昔だったら、広島で生まれたら、広島の地域社会で死ぬのは当たり前だった。ところが現代はそれはむずかしいことなんですね。私は広島市に生まれましたけど、首都圏に核家族をつくって住んでいる。私の母親は広島市に独居老人として住んでいます。母にとって終の住家は広島市の長年住みなれた自宅なんだろうか……。できれば広島市の自宅を終の住家にしてやりたい。息子である私は首都圏に住み、母は広島市に住む。ここに社会福祉が必要なところだと思うんですね。家族福祉とか地域福祉を超えた問題だと思います。
 岡光 そうなんですね。社会福祉、社会保障の現在の社会の位置づけはやっぱりそういうことだと思うんですね。個人レベルではどうしようもないレベルがある。それを社会全体で何とかしてあげようということだろうと思います。それがこれからの高齢者の社会福祉だと思いますね。

生活の介護を通して生きる意欲を引き出す
 和田 死を視野に入れた医療が必要じやないか、という話が出ましたが、医療の世界の中には、絶対的延命主義というか、一分でも長く延命させるのが善であるという考え方が根強くあるわけですが、自然な寿命を受容するというか、人間の老いとか死を受容するという哲学を再確認する必要があるのではないかと私は考えています。その考え方の延長線上にあると思いますが、老人医療というものは治療から看護に転換されなくては絶対にいけないと思っているのですが……。<279<
 岡光 老人医療を考えると、疾病を管理するという点からも、老人医療というのは特異で非常に変っているということを基本的に認識する必要があるのではないか。むしろ極端な言い方をするドクターがいらっしゃいます。「粗診粗療のほうが元気になるよ」と。
 和田 分かります。お粗末な医療というふうに誤解されては困るけど(笑い)
 岡光 あまり薬を与えたり、いろいろな治療をするよりも日常生活の世話をする、介護をするほうが、お年寄りは元気になるというような経験にもとづく発言もあるんです。
 和田 なるほど。
 岡光 最近、老人保健施設がどんどん作られています。タイプとしては病院と併設というのが多いんです。病院に入院していて病状が安定すると老人保健施設に移されます。老健施設で何をやっているかといえば、実は定型的な、表現は適切ではないかも分かりませんが、軽い医療しか行われていません。
 和田 「軽い医療」というのはおもしろい表現ですね。つまりケアということですよね。
 岡光 そうです。日常の世話、介護ですね。それでお年寄りは老健施設に移されると元気になるんです。看護婦さんはそういうのを見て、病院で一生懸命治療をしていた時の状態と、老健施設に移って、毎日の生活、食事の世話とか、風呂に入れるとか、トイレに連れて行くとか、ちょっとした運動、作業をするとか、みんなでレクリエーションをするとかやっていたら病院の時より元気になるのを見て、「今まで自分たちは一体何をしていたんだろう?」と。そんな声が現場か<280<ら少しずつあがってきているんです。
 和田 これまでの入院治療に対する常識とか専門性というものが問われているんですね。
 岡光 そういうことなんですね。
 和田 先はども少し出ましたが、昨年四月の特例許可老人病院入院医療管理科の新設と定額性(ママ)導入はそういう意味で評価したいと思うんです。
 岡光 ご存知のように一般診療報酬の場合は出来高払いですが、特例許可老人病院のうち特に介護に重点を置いているような老人病院については、介護というのは人件費ですからいろんな経費を包括払いにしてしまおうじやないか。いねば全体の診療報酬の九〇%程度を一括払いにする定額払いに近い診療報酬にする。そういう診療報酬が自分の病院としてはふさわしいと思えばそれを採用していただいて結構です、という仕組みにしました。
 和田 医学的処置よりも生活面のケアを必要としているお年寄りを収容している場合、定額払いに近い診療報酬は病院にとっても、お年寄りにとっても良いと思いますよ。
 岡光 採用した病院ではずいぶん変化が出てきました。ある病院のケースですが、診療収入は今までと比べて大体同じくらい。そうダウンしていないそうです。特色として出ているのは極端に薬の使い方が減ったことです。従来、全体の支出に占める医薬品の割合が二二%くらいあったそうですが、新しい包括制の診療報酬を採用して一一%になったそうです。半分になったんです。収入が大体同じで、人も同じくらいいて、経費の中で薬代が半分に減ったわけですから利益とし<281<ては上がったわけです。病院も経営的には非常に良くなった。
 和田 それはいいですねぇ。
 岡光 それから点滴をやめたそうです。点滴の中でも特に抗生物質の使用量が極端に減ったんです。またボケ防止というか、脳循環を良くするという抗痴呆薬の類の薬も使わなくなったそうです。
 和田 もともと不必要な点滴、抗痴呆薬だった、という気もいたしますね。
 岡光 表現が適切かどうか分かりませんが、どうも抗生物質を使い過ぎていたんだし、脳循環を改善する薬なんか、おそらく使わなくていいということなんでしょうね。
 和田 老人医療の現場を取材していて、何種類もの薬を飲まされて腹いっぱいになって食欲がないというケースもありますからね。
 岡光 そういえば、点滴をやめたらお年寄りはお腹がすきはじめたんでご飯を食べるようになったというんです。ご飯を食べ出したら元気になっちゃった。
 和田 まさに病院がつくっていた医原病という気がいたしますね。私の知っている特別養護老人ホームでは、病院から退院してきた老人の、病院でつくられた褥瘡を治し、病院でつくった点滴による食欲不振から治していくといいます。
 岡光 それから看護婦さんは点滴注射のセットをしなくていいものだから、投薬に関する業務量が断然減って、日常生活の介護に重点を置けるようになった。事務の人や先生方は診療報酬に<282<関する請求事務が包括払いになったものだから、これも事務量が激減してしまった。請求に頭を悩ませることもなくなった。
 和田 それは画期的なことですね。
 岡光 それで医師は患者のほうを向き出した。看護婦は日常生活の介護に力が入る。患者自身はご飯を食べて元気になっちゃった、というわけで、実は包括払いは、私たちが見ても、望ましい方向に進みつつある現象が起こっています。ですから繰り返しになりますが、どうもお年寄りの医療というのは、いわゆる治療よりも生活の介護を中心に行なうのがふさわしいのではないか、という感じが最近しているのです。」(和田 1991:275-283)

■393 ■080120 [ml-prosemip 6481] 『生きているだけではいけないのだろうか』(天田)

天田です。
先日お伝えしていた、関増爾本から。
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2007-4.htm#388
→老い研の人たち、ファイル作成してくださいよ〜。

1971年の森幹郎と関増爾の論争?の一部が収められています。私たちの研究において以下の部分以外は全く読む必要はないかと。
(以下の部分も、ということもありますが、読む楽しさは捨て、「資料」としてのみ読むこと、ということで、一応)

――――――――――――――――
◆関 増爾 199004 『生きているだけではいけないのだろうか――年寄りに学ぶ』,日本看護協会出版会,230p. ISBN-10: 4818001147 ISBN-13: 978-4818001145 1632
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818001147/ryospage03-22">[amazon]</A> ※ b a06

◆関 増爾 197103 「ねたきり老人とは何か――特別養護老人ホームよりは病院を!」『浴風会』3号,社会福祉法人浴風会→199004 『生きているだけではいけないのだろうか――年寄りに学ぶ』,日本看護協会出版会,86-96.

■引用

 「ねたきり老人とは何か――特別養護老人ホームよりは病院を!
 「ねたきり老人焼死」とか「老人またも孤独死、風呂場で冷たく一週間」などという悲惨なニュースが最近の新聞にしばしば見られます。そして、ねたきり老人や、ひとり暮らしの老人に対する施策の充実が叫ばれています。
 これに対して政府も、全国で約三十万といわれる居宅のねたきり老人には、不充分ながらも老人家庭奉仕員の派遣や、ギヤッジベッドの貸与、訪問健診などと、その対策を進めています。また、老人施設としては養護老人ホームとともに、ねたきり老人のためにという唱い文句で特別養護老人ホーム(特養)の増設を進めています。
 『浴風合』2号でも厚生省の森幹部氏は「老人ホームの方向」の中で「今後の養護老人ホームは病弱者を中心とした施設に、特養はねたきり老人を中心とした施設に専門化し……」<86<と、その方向を示唆していますが、私は、ねたきり老人収容施設すなわち特養とする考え方には、どうしても納得しかねるものがあります。
 それは、「ねたきり老人」という言葉・概念の中で具体的にはどのような老人を考えるかのちがいに端を発しており、ひいては特養とはどういう施設であるかという認識にちがいがあるからだと思います。
 結論をはじめにいえば、私は「ねたきり老人」は特養ではなく、病院へ収容するのが正しいあり方であると考えます。
 その理由を述べましょう。
 まず、はじめに、「ねたきり老人」とはいったい何かという疑問です。「ねたきり老人」という言葉は老人のある状態を示すのに便利な言葉として便われます。そして、多くの場合、それはまさに字のごとく、ねたきりであって自分の用もほとんどできない老人を意味しているようです。
 厚生省の特養への収容措置の基準も、そのようなことになっていると解釈されます。それは、特養へ収容すべき老人としてつぎの二つの条件を定めています。老人福祉法では「欠<87<陥」、厚生省社会局長通知には「障害」という言葉が便われていますが、ここでは後者を取り上げました。
 すなわち、その老人は、
(1)身体上又は精神上の著しい障害のため、常時臥床しており、かつ、その状態が継続すると認められる場合、と、
(2)身体上又は精神上の著しい障害のため、常時臥床はしていないが、食事、排便、寝起き等、日常生活の用の大半を他の介助によらなければならない状態であり、かつ、その状態が継続すると認められる場合、なのです。
 では、そのような老人はいったいどのような状態の老人なのでしょうか。それを具体的に知るために私達が行った調査(関増爾ほか「特別養護老人ホーム入所者の日常生活動作能力の全国調査成績」浴風園調査研究紀要、第45輯、昭和43年)から見ると、実際に特養に入っている老人の活動能力はきわめて低い者が多く、平均してオムツ使用者が約三分の一、便器使用者が約四分の一、着衣・入浴は約三分の二が介助を要し、食事も箸を便って自分でできる者が半数にすぎませんでした。<88<
 しかし、重要なことは、ただそれだけではないのです。特養入所者は医学的に見ると、脳卒中などの脳血管性障害あるいは高血圧などの循環器疾患、さらには精神障害の患者がおり、入所者の七〇%弱が投薬、注射などの治療を行っています。そして、特養の死亡率は昭和四十三年では一七%という高率を示しています。これらの状態は、浴風会病院の入院患者の状態とそれほど変わらないと考えられるものでした。なお、慈恵医大・新福尚武教授の全国調査(全国施設老人の精神医学的実態調査・社会精神医学研究所紀要1巻1号・昭和45年)によると、特養には痴呆およびその他の精神障害を有する老人が、三七%も見られます。
 以上非常に簡単に調査結果の概要を記しましたが、見られるように、特養に現実に入っている「ねたきり老人」は「ただ単にねたきり老人」ではないのです。それらの老人は「ねたきりであると同時に医療を必要とする相当の病気をもっている老人」なのです。
 「ねたきり老人」という言葉・概念は、そのような事実を合んでいると理解すべきです。
そういう概念で使われるべき言葉であると考えます。実際に老人を処遇した方々はきっと、この考え方がおわかりいただけると思います。
 では、このような「病人であるねたきり老人」がなぜ特養に入ってきたのでしょうか。<89<
 それは、特養の入所基準がある意味では忠実に守られているからにほかなりません。そして、その入所基準に基本的な誤りがあるのではないかと思われます。
 入所基準に「身体上又は精神上著しい障害のため……」と規定されているような老人は「単なる障害者」ではなく、現実には「障害をもった病気の老人」が多いのです。そのような老人を単に「障害」という面からのみ、あるいは、「どの程度動けるか」という面からのみ医師ではない者が判断して区分し処遇しており、老人を心身両面から全体としてみないというところに本質的な誤りがあるのではないでしょうか。
 それはまた、「老人」とはどのような人間であるかというその認識の仕方に根本的な問題があるのだと思いますし、その基本的認識のいかんが老人福祉の方法論の基盤になるものだと思います。たとえ胃癌患者であっても相当進まなければ活動能力はそれほど衰えません。
 また、たとえば、熱があるというのは一つの症状であっていろいろの原因から起こります。単なるカゼでも、肺炎でも熱が出ます。
 熟のある老人にカゼ薬だけをのませるか、抗生物質を使うか、あるいは入院させて治療<90<するか、その原因を確かめて処置するのが、患者を取り扱う常識です。「ねたきり老人」という言葉は熱があるというのと同じように一つの症状です。それがどういう原因で起こっているかを確認してからその老人を処遇すべきでしょう。したがって「ねたきり老人」だから介護をというのは、熱があるからとりあえず解熱剤をというのと同じ発想によるものです。
 日本医大、村地悌二教授の調査(村地悌二著「健康老年者の栄養状態」日本老年医学会雑誌、3巻、237頁、昭和41年)によりますと、自覚的に健康であると思って日常生活を追っている老人でも、その約七割には何らかの障害が見られます。またいうまでもなく、老人の身体の状態は、それがいつまでも同じ状態で継続しているものではありません。常に衰退の坂道を下っています。年をとればとるほどその速度は遠くなります。そのような過程にあるものとして老人の精神および肉体を捉え、認識しなければなりません。
 「身体上又は精神上の著しい障害のある……」ような老人であれば、同時に相当の病気をもっていると考えねばなりません。そう考えることが、老人を人間として、より正しく認めることになるのだと思います。<91<その理念の上に立って行われる福祉こそほんとうの老人福祉であると思います。
 特養がわが国で設置されてきた過程とその理由は、理解できないことはありません。


 急性期を過ぎたばかりの脳卒中患者を病院から引き取らされ、あるいは、発作がなく徐々に動けなくなった脳軟化症のオムツ患者を抱えて、少ない職員の養護老人ホームではほんとに困っていました。医師のいない老人ホームで淋しく死んでいく老人が少なくはありませんでした。
 現在の医療保険制度の下では、付添婦をつけられないタレ流しの生活保護の老人患者を好んで引き取ってくれるような病院はありません。
 また、老人患者は入院期間が長く病室の回転率を非常に悪くします。そのため急性の患者が入院できなくなるとか、そのほか種々の理由で、慢性病の老人患者は一般の病院からは閉め出されています。
 そのような状態にくらべれば、たしかに特養は十分ではありませんが、養護老人ホームよりは多い職員で老人の世話ができ、また、ある程度の治療も行えるということはいえましょう。<92<
 しかし、現実の特養を見るとき、「これがほんとの老人福祉のための施設である」、「これで事終われり」と考えられては困ります。
 特養は病院ではありません。しかし、現実には病院の役割を相当に果たしています。そして「ねたきり老人は特養へ」という唱い文句のためにますますその方向へ進んでいるような気がしてなりません。
 特養に病院の肩代りをさせてはなりません。老人のための病院をつくるべきです。
 老人の慢性病患者をも優先的に収容する充実した老人病院は、現在の日本にはありません――(今の浴風会病院は老人患者を収容して、できるだけのことはしておりますが、これがほんとの老人病院であると考えられては困ります)――。特養の入所基準から考えられるような慢性病患者をも収容する老人病院を設置する方向へ進むのが、老人のことを考えた行き方だと思います。
 現在の特養入所者が全て入院を必要とする患者であるとはかぎりません。しかし特養の根本的な矛盾はその入所基準と、入所決定に医師が全くタッチしないことにあります。
 それをまず速やかに変えることであると思います。現在の特養はこのままの姿ではなく、<93<あくまでも過渡的なものとしての意義があるのだと思います。
 最後に、以上のことに関連して、浴風会における特養のあり方についての私の考え方を述べたいと思います。
 なお、浴風会では福祉事務所から養護老人ホームヘ送られてくる老人を、まず新入者寮に収容し、そこでいろいろのインフォメーションを与え、また、精密な身体検査および専門家の心理面接などを行っております。その結果にもとづいて医師が老人の収容区分(養護老人ホーム一般寮・虚弱者寮・病院)を決定して、その健康度に応じた処遇を行ってきました。
 また、浴風会独自の判断で養護老人ホームの中に虚弱者寮を設けて、集団生活に耐え難いと思われる虚弱・病弱老人や、退院患者の予後観察を行い、その養護を特別に行ってきました。それは必ずしも充分なものではありませんが、しかし、老人をその健康度に応じて処遇するという点で相当大きな寄与をしているものと確信しています。
 さて、「今後の老人施設は住宅部門、ナーシング・ホーム部門、病院部門の三者を併設し<94<たワンセットシステムでなければならず……これは欧米諸国で最も望ましい形の老人施設とされているものです」と森幹郎氏は言われています。それが一つの方向であるとして、その姿を、自分流に想い浮かべ、現状に当てはめながら考えますと、浴風会には一応曲がりなりにも養護老人ホームという住宅部門? 老人患者を収容している病院が併設されています。そのような所における特養は、病院部門のない特養とは質的に異なってよいのではないか、いや、むしろ異なるのが当然であると考えます。病院部門のない所の特養は、現実に病院の役割をも果たさざるを得ない状況ですが、それと同じ質のものを、病院のある浴風会の中につくるのであれば、それは何の理念もない、見通しのない、全くナンセンスなことです。
 もし、一般の特養と同じものが浴風会の中に生まれるのであれば、それは浴風会という団体の存在意義を失うことにもなるといってもよいでしょう。言葉をかえていえば、一般の特養と異なった質の、新しい特養を設置することこそ、浴風合の存在価値があるのだといえましょう。
 普通に見られる特養の設置は、他の人々におまかせし、それをそのまま真似をする必要<95<は毛頭ないと思います。
 浴風会におけるいわゆる特養は、養護老人ホーム、病院とともにワンセット・システムの中のものとして、あるべき姿を追求する新しい質のものであらねばなりません。
 浴風会の現状としては、たとえば養護老人ホームの共同生活が困難な虚弱者寮の老人を収容し、その判断は医師が行うべきものであると考えています。そして、将来、病院および養護老人ホームの改築と処遇の改善に伴って、そのあり方も当然変化していくべきものだと思います。
 浴風会であればこそ為しえること、あるいはまた、浴風会でなければできないこと、それを行うところに浴風会の社合的意義が見いだされるのではないかと考えます。
 そういう理念のもとに、浴風会の特殊性を認め、それを利用することこそ、欧米ではなく、日本の福祉の具体的方向を究明するための、またとない機会になるものと考えます。
 関係官庁ならびに老人福祉関係者および読者各位の深きご理解とご協力ならびにご援助を切に望むものであります。
 (浴風会3号・昭和46年3月)」(関 1971→1990:86-96)

■394 ■080120 [ml-prosemip 6482] 1963年5月の田邊誠の質問(天田)

天田です。
諸々調べ中。老人福祉法制定のあと、田邊誠による発言がありましたので、以下で引用。ご参考まで。

要するに、「施設の拡充化」「施設の人員の基準」「施設職員(特に医師)の給与」「看護師の配置基準(看護師は100人につき1人/介護職(寮母)は25人に1人)」「施設の劣悪な環境(八畳で4人)」などについて聞いているわけですが、問題は医療(保険)との調整の仕方であることが当時から言われていたりしています。

――――――――――――――――
◆1963年5月30日 第043回国会 社会労働委員会 第36号 昭和三十八年五月三十日(木曜日) 午前十時四十二分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0188/04305300188036c.html

○田邊(誠)委員 将来の展望に対しても御理解をいただいてけっこうだと思うのでありますが、いまの養老施設の問題については、設備の問題、基準の問題についていろいろお話がありました。二畳に一人というような劣悪な状態であってはならない。いろいろな周囲の生活水準というものが上がってきている現状でありますから、この基準そのものも、急いで改めていかなければならない時代に来たというようにわれわれは考えておるわけでありまして、現在の基準や水準を高めていく、こういうことと見合って将来のことを展望されることが必要であろうと思うのであります。やや不明確な点もありますけれども、考え方としては大体わかりました。
○大山(正)政府委員 調査いたしまして、資料にして差し上げるようにいたします。
○田邊(誠)委員 福祉主事の重要性に対してさらにこれを認識されまして、充実した活動ができるように配慮するということを、私どもは大いに期待したいところであります。
 次に、順を追うていきますると健康審査の問題になるわけでございますが、ちょっと飛ばしまして、施設の問題について若干本日のところお聞きをしておきたいと思います。
 いろいろと問題が多いのでありますけれども、今回、従前の養護施設の名前を変えまして養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム等に変えたわけでございます。私は、これは名前が変わっただけで内容が変わらぬということであっては困るわけでございまして、当然名前が近代的になったと同時に、その施設の内容等も近代的になっていくべきであると考えておるわけであります。ひとつまとめてお伺いをいたしますから、なるべくスピードを上げる意味で漏れなくお答えをいただきたいと思います。
 先ほどの御答弁の中で、大体養護老人ホームに該当する者が現在のところ四万三千人ばかり入所をいたしておる、さらに四万人ぐらいの収容が必要だというお話がございました。これは現在収容を必要とするところの人数だろうと思うのでありまして、昨日来のお話でわかったように、この被保護人員というのがだんだん増加をしていく、しかも人口も増加をしていく、こういう老人層の将来の事態の中で、この収容人員というものの必要性も、また現状よりも多くなると思うのでありますけれども、一応現在収容を必要とするところの人たちに対して、一体何年ぐらいの計画で入所を希望する人たちを入れることができる、こういう状態になるか。明確な年次計画でなくてもよろしゅうございますけれども、お持ちでございましたならば、ひとつお聞かせをいただきたいと思います。
 それから先ほどの御答弁にもありましたように、現在の養老院というのは、たとえば人員の基準にいたしましても二畳で一人の割合という形になっており、大体六畳で三人、八畳で四人、こういうのが多い現状でありますけれども、私はこれはだんだんにその基準を変えていかなければならぬじゃないかと思うのでございまして、相当期間において変更のない現行基準というものに対して、これをだんだんに変更をしていくという御用意がありますかどうか。
 それから、県や市町村立の養護施設の場合は、その従事しているところの職員の給与は、地方公務員でありますのでそれにならうという形になるわけでございますけれども、社会福祉法人その他の施設の場合は、きわめて劣悪な給与の状態であることは毎々の国会で申し上げておるとおりであります。これに対して、やはり事務費等の面で改定をいたしてきておりますけれども、いまだ十分とは言いがたいのであります。これらの拡充計画なり整備計画と並んで、この給与改定に対してさらに熱意を示されるところのお気持ちがあるかどうか。その中で、私は特に、いままで実は漏らしてきたのでありますけれども、たとえば医師の給与というのがございます。これはまことにもって不合理というよりも、非現実的な状態であります。五十人までの基準の養老院でありますと、医師の給与は大体五千円ですね。百人くらいの基準の施設の場合は月に一万円、こういうように大体基準が示されております。これはもう私が言わずもがな、お話にならぬですね。医者でなくたって、もちろんこんな給与で人は集まりっこないでありますけれども、まして技術を持った医師の場合、一体こういう基準を・u梹ヲされることが現実的にどう当てはまるのか、私は実は非常に疑問に思っておるのであります。たとえば、その収容施設の土地に大学病院等があって、インターンのお医者さんがいる、そういった場合に片手間というか、時間外にめんどうを見てもらう、こういうことでもって、五千円でも一万円でも、研究の対象になるからというので、そういう意味で来てくれる人は場所によってはあります。しかし、もしその施設でもって、まあひとつ専門の医師として老人の罹病率――私はあとでお聞きしますけれども、病気のかかる率の多い老人のめんどうを見よう、少なくとも百人から百五十人くらいの施設になれば、医者が一人専門でかかることが当然必要になってくるのではないか、そういうときに、これは一万や一万二、三千円の給与でもって医者を配置しようということは、当然できない話であります。これは一体どういうことになりましょうか、ひとつこれを現実に即応した状態に引き戻すということは、あくまでも必要だろうと思うのであります。ただ単に名目だけで置いておいて、ときどき来てもらえればいいという無責任な態度でいこうというなら別でありますけれども一、こういった・u桙アとに対して、やはり重大な関心を払わなければならないことではないか、こw)ういうふうに思うのであります。一般的に健康診断等をするということについては承知をいたしておりますけれども、いま施設の問題に限ってみましても、私は手短にそういったことに対して、ひとつ現実に即応した態勢をつくってもらうということを待望する者として、これに対するお考え方をお伺いしたいのであります。
 もう一つ、四つ目になりましょうか、同じようなことで、看護婦は百人に対し一人という配置状態であります。これはもうたいへんな話であります。あとで特別養護老人ホームのときにさらにその配置状態をお聞きしたいのでありますが、これでは実は十分な看護体制というのができないのは、御存じのとおりでございます。こういった実はきわめてあたたかい施策をやると言いながらも、現在の非常に冷酷な状態に置かれているこの実情というのは、一体どうやって内容を改善していくか、施設をよけいつくったりするということも必要でありますけれども、現在の施設に対してさらに内容を改善して、ひとり立ちができるような状態をつくることも必要だと思うのであります。こういったことに対してどういうお考え方があるか、とりあえず四つばかりお伺いをいたします。
○大山(正)政府委員 施設の問題につきまして、まず養護老人ホームの今後の拡充計画でありますが、大体現在推定いたしまして、なお四万人くらい収容力の増加が必要ではないかというふうに考えまして、毎年これによって予算要求等をいたしておりますが、なかなか私ども考えるように予算が十分でありませんので、計画を立てましても、なかなかその実現がむずかしいというのが実情でございます。しかし、そのままにしておくということは適当でございませんので、私どもといたしましては、できれば昭和四十五年度くらいまでに一つのめどを置いて年次計画をつくってやってまいりたいということで、目下お話しのような人口、特に老齢人口の伸び等をにらみ合わせて、どの程度にこれを計画するのがいいかということをただいまいろいろな面から作業をいたしておる最中でございまして、ただいま直ちにここで、何年計画でどれだけにするということを的確に申し上げる段階に至っておりませんが、昭和四十五年度くらいを一つの区切りにして、それまでにどのくらいつくりたいということの計画を立ててまいりたい、かように考えております。
 それから一人当たりの畳数と申しますか、坪数につきましては、御指摘がありましたように、現在の養護老人ホームでは、大体八畳で四人というようなのが標準になっておるわけでございます。理想としては一人一部屋というところまで将来持っていきたいのでございますが、何ぶんにも現在の施設あるいは今後ふやさなければならない施設のことを考えますと、直ちにそれを現実の問題として取り上げるというところまでには、なかなかいきかねるかと思います。理想目標はそういうところに置いて今後ひとつ検討していきたい、かように考えます。
 それから施設に働きます職員の給与につきましては、これも御承知のように逐年上げて、措置費あるいは事務費等を組んでまいったわけでございまして、本年度も前年度にさらに八%ということで引き上げることにいたしておるわけでございますが、さらに今回の給与改定実施後の状況をただいま調査いたしておりますので、現実の給与がどのようになっているかということの実態を見まして、さらに今後、地方公務員等とあまり差がないような線にぜひ持っていくように努力したい、このように考えております。その中でも医師の給与について特に御指摘があったわけでございますが、現在百人収容の老人ホームにおきましては、医師は嘱託ということで、お話にもありました病院等に働いておられる医師の方、あるいは開業医の方を嘱託としてお願いする、そのために計上してあります費用も非常に低いというような形になっております。特に今後、特別養護老人ホームというように常時看護を要するような老人ホームをつくりました場合には、ひとつ専任の医師を置きたい。その場合には、もちろん医師としての待遇に欠けることのないような給与の水準にしたいと考えております。
 それから看護婦につきましても、百人収容の場合には一人ということでございまして、寮母を合わせて四人、直接処遇の職員としては二十五人に一人というようなことになっておるわけでありまして、この点は、確かに看護婦をふやすか寮母をふやすか、いずれにしてもこれをふやすように努力しなければならないと考えております。従来いずれかというと、現にいる人たちの給与の改善というものに力をそそぎましたために、人員をふやすというほうが若干おくれておったきらいがありますが、この点は今後人員の増加等によって、施設に働く職員が過労にならないようにということでやっていきたいと思います。それから特別養護老人ホームにつきましては、当然看護婦あるいは寮母の人数をふやさなければならないのでありまして、一般の老人ホームでは二十五人に一人でございますが、特別養護老人ホームにありましては、七人に一人くらいの割合にしたい、かように考えております。
○田邊(誠)委員 そこで今回、特別養護老人ホームなるものを別につくった意味合いというのは、私は非常に重要だろうと思います。半身不随やあるいは長い病気をしておる人たちを、一般のやや健康な老人と同居させるということは非常に適当でない面、やりづらい面が多いのでありますから、そういった面で、数少ないけれども、この新しい部面に進出をするということは必要であろうと思うのでありますが、いままでの養護老人ホームの基準と、いま若干お話がありましたけれども、いろいろな面で違う面が多いのではないかと思うのです。特に人員の配置の問題、それから収容者一人当たりの坪数の問題、老人何人に対して一体人をどういうふうに配置するか、その中の事務職員、医師、看護婦あるいは看護人、栄養士、寮母その他の職員の配置等について、これはただいまこう並べて一つ一つお聞きすると時間をだいぶ食いましょうから、これをひとつ次回の当委員会までにその一覧表をおつくりいただいて、御配付をいただければ審議の促進になると思いますけれども、いかがでありましょうか。

■395 ■080120 [ml-prosemip 6484] Re: [ml-prosemip 6480] 『老人医療の現場』(再送)(天田)

天田です。
以下、改行表示がなされず、かつ文字化けしていたようです。

> Subject: [ml-prosemip 6480] 『老人医療の現場』(天田)
> ■引用

http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2007-4.htm#392
上記に改行したもの、文字化け修正したものを表示。

なお、今夜、この数日でざっと読み直したものの抜き書きを連続して送付します(する予定です)。

取り急ぎ。
天田

■396 ■080120 [ml-prosemip 6493] 『新老人福祉論』(天田)

天田です。
田中多聞の文献を一つ挙げておきます。
引用部分を参照してください。

田中 多聞
http://www.arsvi.com/w/tt01.htm

――――――――――――――――
◆田中 多聞 196909 『新老人福祉論』,社会保険出版社,326p. ASIN:B000J9OYJU
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9OYJU/ryospage03-22">[amazon]</A> ※ b a06 r02 t04

【目次】
悠生園での老人の『復権』をみて(上田敏)

序にかえて
第一章 創生期の回顧
 一 序章
 二 社会福祉を考えよう
 三 長寿国とは
 四 日本の老人は孤独である
第二章 老人福祉のあり方
 一 県内有病老人をたずねて
 二 どこが間違っているか
 三 老人の患者は捨てられる――老衰という名のもとに
 四 ジェロントロジー
 五 老年――日本と北欧のそれ
 六 みずから消えてゆく老人たち――冷ややかにみつめる世間の目
第三章 老人の医学
 一 ジェリアトリクス(老年病学)とは
第四章 老人の社会学
 一 第二の人口革命
 二 ますます狭くなる老人の座
 三 老人の経済学
 四 新しい老人の社会とは
第五章 老人のための福祉と保障
 一 私の見た老人
 二 社会保障の意義と役割
 三 老人ホームの基本理念
 四 老人ホーム
 五 『老人の町』――悠生園の老人の町
第六章 老人のためのリハビリテーション・サービス
 一 目的と意義
 二 北欧のリハビリテーション・サービス
 三 セラピストの地位
 四 悠生園のリハビリテーション・サービス
第七章 老人福祉のマスター・プラン
 一 今後の老人福祉のあり方
 二 総合的プランニングと施策
 三 老人ホームの今後のあり方
終章

田中博士におくる(森幹郎)

■引用

 「こんなことを考えていたある日、機縁があって、悠生園を訪れることができた。田中多聞先生はとは以前から面識があったし、テレビを通して、悠生園のPTのきびしい訓練ぶりや音楽療法のこともある程度知ってはいた。実をいうと、田中先生は大変こわい人のように思えて、私のように浴風園での老人のリハビリを期間ばかりながいくせに大変不徹底にやっていて、一方大学病院でのリハビリに首を突っ込んだりしている中途半端な人間は、純粋な先生の眼から見たら、不純分子としてどなりつけられるのではないかと、おっかなびっくりであった。」(上田 1969 「悠生園での老人の『復権』をみて」)(田中 1969)

 「悠生園について語りたいことは多い。その建物にも、日課にも、リハビリテーションの精神はすみずみまで浸透していた。私はここでアメリカ以来はじめて、日中は全員がベッドから離れて空っぽになっている病室を見た。それこそがリハビリテーションの病室なのである。が、日本の多くのリハビリ病院の病室はそうでないのである。また田中先生の音楽療法へのアプローチは、IQ、失行症、失語症のテストを含め、非常に科学的なものであった。<<
 しかし、何にもまして、私が価値あるものと思うのは、老人の人間としての『復権』のためには「どうせ………なのだから」という投げてかかるアプローチそのものを否定して、老人の、そして大部分が農民で教育も高くない老人さえもの、胸の底のどこかにひそんでいる人間としての誇り、尊厳、より高いものを求める心に、直接に訴えかけていくことが必要だということを、悠生園の経験がはっきりと示してくれたことである。私はここに老人のリハビリテーションの基本精神が、いや、あらゆるリハビリテーションの、さらにはあらゆる福祉事業というものの基本精神があるように思われてならない。
 私には、いまも限に浮かぶようなのだが、運命交響曲に取り組んで緊張して指揮者を見つめていた老人たちの活気のある眼、それはふつうの福祉患者の家畜のような従順な限ではなく、まさに人間の、『復権』された人間のまなざしであったと思うのである。`
 昭和四十四年五月」(上田 1969 「悠生園での老人の『復権』をみて」)(田中 1969)

 「いちばん病気の多い子どもや老人層に、医療保険が百パーセント給付でないというところに、日本の医療保険の大きな矛盾がある。」(田中 1969:31)

 「県内の老人ホームを、あまねく回ってしまったのは、三十九年十月も終わりに近かった。
 入園希望者はあとを絶たなかった。先着順に入れることにしたものの、ほとんど同時に申し込みがあるので、私が考えたのは、家庭からの入園、老人ホームからの入園、病院からの入園を、それぞれ二対二対一の比率とした。とくに気を使ったのは精神異常者で、他の患者に迷惑をかける人たちである。脳細胞の変性による、いわゆる老年痴呆の高度のもの、また凶暴性のある分裂病など、精神病院に入院させるのが適当だと認められる者はその旨、関係先に連絡した。
 福祉事務所を経由して入園してくるわけであるが、事務所で医師のチェックがなされてくるわけでもなく、社会的条件として必要だといってきても、医学的に見て不適当だと考えた場合<41<はことわった。
 その理由は明白である。ナーシング・ホームは、病院ではないのである。医師も一名、看護婦の定員も一名に過ぎない。あとはしろうとの寮母である。それこそ、老人福祉法でうたっているように、介助を要する老人なのである。治療とか看護とかは領域外だという。
 某日、私は看護と介護の区別を質したことがある。東京での会議であったが……。看護という字句は、用いないという。なるほど社会局では、医療は所管外であろう。だとすれば、私たちがあずかる老人は、患者であってはならない。看護も医療も枠外であるからおしめかえや食事、入浴の世話でこと足りるはずである。それですめば結構である。しかし、私の予想では絶対にそうでなく、むしろ病院でも手を焼いて困る患者をもってくるものだと、かたく信じていた。
 九年間、いや大学の医局生活を入れれば十三年間にわたる私の経験では、大学病院や国立、県立、また日赤病院などが、手を焼く老人病患者を喜んで受け入れるはずがないことは、十二分にわかっていた。
 第一に、大学病院は、生活保護の患者は扱わない。特別室は、主に財界人や有力者のために用立てられているし、また偉い先生方の特別診察も、そのような人に重点が置かれているからだ。もっとも積極的な指導を要する社会の底辺の仕事をしている人たちには、目もかけてもらえな<42<いのが実状なのだ。国立、公立病院の場合でも、貧困者で慢性疾患を持つ老人は、きらわれる。医局ではよいとしても、看護婦の反対をくってしまう。そうでなくても看護婦が足りないのに、やっかいな患者はおことわりだ、というわけだ。
 その証拠に、日本の国立大学で老人科を持っているのは、東大と京大だけである。それも昭和三十七年以降の開講である。いわんや、地方の大学にあろうはずがない。また地方の病院にしても、老人科の設置を考えている病院を私は知らない。日本の医学教育の矛盾がここにある。一方、治療医学の進歩は、見るべきものがあっても、もう一歩進んで、第三の医学といわれるリハビリテーションはどうであろうか。労災病院などのそれは高い水準であるが、老年者を専門的にやっているところはきわめて少ない。」(田中 1969:41-43)

 「筆者は、スクラップを繰ってみた。
 一九六六年(昭和四十一年)九月十五日(老人の日)の毎日新聞夕刊によると、「昭和四十年一年間の六十歳以上の自殺は、四、四九三人、六十歳代で人ロ一〇万につき四〇人、七十歳代で六〇人、八十歳代で八七人が自殺している。老人福祉法第三条の〈老人は、健全で安らかな生活を保障される〉との精神からはほど遠いとしても、せめて老人を自殺に追いやることが<76<ないような対策が、早急に立てられなければならない」と書いてある。
 また同日の朔日新聞朝刊は、東京巣鴨のアパートに一人暮らしの七十八歳の老女が、ながながお世話になりましたと書置きして六月末に家出をし、ゆくえ不明のまま、やっと十四日に宇都宮の山中で、自殺死体として発見された、と報じている。」(田中 1969:76-77)

 「社会保障を語るには、まず北欧が頭に浮かんでくる。英国もそうであろう。(中略)<163<
 筆者が老人福祉国家の代表としてデンマークを選んだのは、その国柄もさることながら、コペンハーゲンの「老人の町」での研究がおもな魅力となっていた。「老人の町」院長、トルベン・ガイル博士は国際老年学会での重鎮であることはむろんだが、すぐれた老年病学者として筆者が尊敬していた方だった。博士は筆者の泊り込み研究を快諾され、一九〇一年に出来た世界でも古い本格的な老人病院の一室を提供してくださった。万事結購づくめの待遇を何の肩書も持だない私にくださったのである。外人観光客は、よくこの「老人の町」を訪れる。ゲートにそれらのゲストたちのために案内人がいて、広々とした花園に浮かぶ老人天国を案内している。」(田中 1969:163-164)

 「有病老人のための老人ホームとして、昭和三十八年施行された老人福祉法により、特別養護老人ホームが誕生した。俗に特養とか特老とか呼ばれているものである。からだの不自由な老人たちや、精神的にいちじるしい障害を持つ老人を収容し、介護する施設といわれている。厚生省の施設課でこの法案が練られ、国会を通過したのである。サンプルはもちろん、北欧のナーシング・ホームである。
 看護ホームでいくか、老人病院でいくか、議論の多かったところらしいが、結局いずれもだめになり、中途半端なものになってしまった。
 老人病院がだめになったことは後に回して、なぜナーシング・ホームがだめになったかについて述べてみよう。
 看護というと、医療が伴うという理由が有力だったらしい。医療となると医務局の管轄になる。社会局がやる以上、医療行為は伴わぬものでないといけない。したがって、看護という字句を用いずに介護を用いている。だから、収容者は、患者でなくて老人である。どうも妙なこじつけの感が強い。
 身体保障が老人の場合、とくにみじめだ。保険給付を見ればわかる。身体福祉が伴わぬところに老人福祉があり得ないことは、たびたび述べてきた。<223<
 老人は病気にかかりやすい。予防医学、治療医学、そして第三の医学であるリハビリテーション医学が一体とならなければ、老人の健康維持はむずかしい。
 収容老人(これがお役所で定められた言葉であるから使わしてもらう)が、患者でなければ介護で十分であろう。単に年をとって、ヨボヨボしている老人(いわゆる老衰)の世話をし、面倒だけをみるとしても、医師一名、看護婦一名というメディカル・スタッフでどうしてメディカル・ケヤーが行なわれるであろうか。
 老人の世話をする職員は寮母と呼ばれている。医学的には、全くのしろうとばかり。老人ホームと違う点はどこかというと、寮母の定員が多いし、収容者が自分で自分の身の回りの始末が出来ない老人が多い点である。平たくいえば、老人ホームの静養室の集りである。医師が一名専従となっていても、安い給料で医師が働くはずがないし、医療機関でないから検査も十分やれないし、月に五百円の保健衛生費などでは、ロクな治療も出来ない。みすみす老人を見殺しにすることになる。死亡診断書を書くだけの仕事じゃないかといわれても仕方があるまい。
 筆者の場合も、ずいぷんと反対された。何でそんな仕事をするのかと……。自分の病院をやっていればいいじやないかと。目本の医学でもっとも欠けている社会医学を志してやるんだといっても、鼻先で笑う人たちが多かった。
 セラピーも出来ないのは医者の仕事じゃないという思想が、根強くはびこっているのであ<224<る。とにかく医療はほとんど加えられないばかりか、看護さえも認められない。
 介護、介助だけだ。入浴、排泄の処理、食事を食べさせてあげる……。それだけが目的の特養なんてあり得ないはずだと、筆者は初めから確信していた。毎日の業務が、前三者で明け暮れるようでは、老人の余命も長くはなかろうし、また第一寮母が窒息してしまう。どんどんやめてしまうにちがいない。よほどの篤志家でない限り、長続きするはずがない。医者はもちろんのこと、看護婦も嫌う。
 いい例が、大学病院、国立病院、公立病院にしろ、大病院になればなるほど手のかかる老人患者は嫌う。
 老人福祉法でいう身体、精神上いちじるしい障害を有する老人という限界線は、どこで引けばいいのだろうか。障害を認定する人はだれか。それは、福祉事務所のケース・ワーカーである。医学的に全くのしろうとが、書類だけで措置を決めてしまう。医師の診断書が添付してある場合もあるが、そこの病院で手をやいた老人を送り込んでくることだって、大いにあり得るのである。」(田中 1969:223-225)

 「昭和初期になって、東大の高木憲次博士らによって肢体不自由者療護協会が創立され、ついで肢体不自由者を対象にした整肢療護院が誕生し、現在に及んでいる。」(田中 1969:138)

 「悠生園を例にとると、PT・OT・STの他にMT(音楽療法士)がいる。
 資格をとやかくいっても、日本では始まらない。労災病院や数少ない病院や国立、大学病院でも、PT・OTが小人数いるに過ぎない。悠生園で力を注いでいる理学療法、作業療法と音楽療法は、いまや老人にとって欠かせないものとなっている。
 対象はもちろん、卒中老人や運動器の障害を持つ老人と、精神機能障害老人である。音楽療法は一九六五年(昭和四十年)十月から開始した。当初は打楽器だけの簡単な鼓笛隊だった<257<が、いまではベートーベンの五番(運命)の演奏に取り組んでいる。
 音楽療法で署名なイギリスのジュリエット・アルビン夫人が来日され、精薄児にチェロを聴かせ、その反応を見るいわゆる聴かせる音楽療法を、直接筆者は見聞したことがある。その際、夫人に悠生園の音楽演奏療法を、テープと写真で披露した。夫人は、老人、しかも有病老人が演奏しながらからだと心の回復をはかっていることに注目され、ぜひライブラリーとして協会(ロンドン)に保存したいから資料などを送ってほしいと述べられた。そして音楽療法がどしどし積極的に、セラピーとして取り上げられるようにがんばってほしい、と激励されたものである。
 現在、音楽療法のほかに言語療法がある。卒中などの場合、言語障害が伴う場合があり、言語療法は単に言葉がいえるようにするだけでなく、精神機能を改善させるとともに、機能検査を行なうことにも重要な役割を果たすのである。くどいようだが、人間の欲望を満たすことこそ福祉本来の目的なのである。少しでも動きたい。話したい。どうにもならないんだというあきらめ、そして眼前に大きく迫る死亡の恐怖から老人を、いかに解放するかが筆者らの責務と考える。」(田中 1969:257-258)

 「養護老人ホームを二、三ヵ所回っただけで、驚いてしまった。というのは、静養室という名の部屋(ホームの定員の約一割がはいっている)がある。静養のための部屋ではなく、大変<264<な病人の収容室である。一歩踏み込んだだけで、大・小便の不潔臭が充満している。多くは板張りの床の上に直接ふとんを敷き、しかも垂れ流しのためだろう、ゴム布を大きく敷いたふとんの上に寝ている。枕もとは、まるでゴミためである。菓子袋が口を開き、空カンが散乱したり、タバコが散らかっている。患者のひげはぼうぼう、手足はやせ衰え骨と皮だけで、あかが鱗みたいである。これでは皮膚呼吸も十分にできまい。」(田中 1969:264-265)

 「第七回国際老年学会(一丸六六年六月末ウィーン)で、悠生園のリハビリテーションは一躍国際学会の檜舞台に上がった。とくに、三十分間の記録映画は好評を博すことが出来た。
 この学会は、三年に一度開催されるが、筆者はこの第七回に悠生園の真価を問うべく、前年の秋から取り組んだ。」(田中 1969:282)

 「これで明らかなとおり「馬を池には連れてゆけても、水は飲せることが出来ない」のである。わずか三七・二%しかリハビリテーションを受けてくれなかった。その結果は明白であった。やれば必ずよみがえるのである。それとは逆に、よみがえらざる不幸な老入たちについて調査したのを発表しよう。
 全死亡者中、一ヵ月以内の死亡が二〇・三%、三ヵ月以内一六・五%、六ヵ月以内が二二・六%、合わせて半年以内に五四・丸%が死亡している。入園後一ヵ月以内の死亡二〇・三%というのは、対象者の選択の誤りを物語っている。当然、病院に入れるべき重症者を、誤ってナーシング・ホームに強引に連れ込んだ結果といえよう。
 また、入園前所在から見た死亡を考えてみよう。
 老人ホームからの全入園者九七例中、死亡は四六例(四七・四%)。病院からは六四例中一九例(二九・一%)。家庭から二二七例入園し、六八例が死亡(三〇%)している。老人ホームからの入園者の死亡率が高いことは、何を意味するのだろうか。
 メディカル・ケヤーとリハビリテーションの欠如である。その理論的裏づけは、悠生園の三年三ヵ月のデータが証明している。
 よみがえる老人と、よみがえらざる老人。生と死の別れ道は紙一重である。やるか、やらな<288<いか。やらせるか、やらせないか。「老人は保護さえすればよい」とか、「老い先短い命だ。そうしなくとも」……。これらの考えが、日本の老人福祉関係者たちの間に、強くしみついているのを拭い去るに、非常な勇気と叡智を要する。
 筆者は、猛烈な外からの抵抗にあい、足を引っ張られた。それもしろうとと関係者の双方からである。しかしながら筆者の信念は、いささかもくじけなかった。そして、その実績が見事に証明されたのである。」(田中 1969:288-289)

■397 ■080120 [ml-prosemip 6494] 『ここに問題が』(天田)

天田です。
以下、紹介。

本書は、
大熊 一夫 19860531 『あなたの「老い」をだれがみる』
http://www.arsvi.com/b1900/8605ok.htm
の2年前(『週刊朝日』連載中の1年前)に書かれたものです。
http://www.arsvi.com/d/a061980.htm

――――――――――――――――
◆中川 晶輝 19840425 『ここに問題が――老人の医療と福祉』,同時代社,206p. ASIN: B000J727AU 1890
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J727AU/ryospage03-22">[amazon]</A> ※ b a06

【中川晶輝[ナカガワアキテル]】
1917年2月25日松山市にて出生。1942年9月東京慈恵会医科大学卒業。1942年12月北京同仁医院(眼科)勤務。1945年8月北京仁民医院(眼科)に留用。同時に日本人戦犯拘置所に一日おきに往診。1947年11月帰国。1948年3月衣笠病院眼科勤務。1953年2月白十字会村山療養園(現東京白十字病院・結核科)勤務。1972年7月特別養護老人ホーム白十字ホーム園長就任。1989年3月園長退任。引き続き専任医師として勤務。1993年7月白十字ホーム退職。キリスト者平和の会委員、安保反対キリスト者平和会議事務局長、日本友和会理事長及び理事、白十字会理事、アルヴィン学院理事、友愛の灯協会会長、全国老人福祉問題研究会会長などを歴任。日本基督教団信濃町教会会員

■引用

 「まず七五年七月に大蔵省が無料化制度への批判を公にしたのにつづいて、翌七六年大平首相は「老人医療費有料化を進める」と言明、七八年の小沢私案、七九年の橋本試案、と歴代の厚相が有料化へ向けて次つぎとアド・バルーンをあげ、八〇年五月には野呂厚相が社会制度審議会に対し、「老人保健医療制度のあり方」について諮問する、というかたちで、事実上有料化への足固めがおこなわれました。さらに八一年三月、渡辺厚相は初めて「老人保健法」という名をつかって社会保険審議会と社会保障審議会に諮問、「大筋で了承」との答申を得、早くも五月に同法案を第九四国会に提出、何度かの修正を経て、八二年八月十日ついに成立に至りました。
 ところが年の暮れも押し迫ったこの年の十二月二十九日の夕方七時すぎに、突然「診療担当規準」なるものが厚生大臣によって提示され、中央社会保障制度審議会に諮問がなされたのでした。そして審議会はわずか一時間の討議だけで、老人に対する「診療差別」を内容とした、諮問に沿った答申を出しました。まさに電光石火の早わざです。これが実は老人保健法の「本命」だったのです。」(中川 1984:56)

 「ところで、これ(「診療担当規準」/引用者補足)がたんなるお説教にとどまらず、具体的な診療規制となっているところに問題があります。
 つまり「みだり」と「みだりでない」診療との間に「老人の入院に限って」ある種の差別がおかれているのです。ここに明らかな「差別診療」があります。こんどの老人保健法の「規準」に従えば、七十歳以上の老人を六割以上抱えている医療機関を「老人病院」と規定し、そのような病院に対しては、およそ医学的常識を無視した、厳しい診療制限を課しているのです。
 たとえば、心電図、脳波は月に一回、注射は一か月百点、処置は三十点と定められています。つまりこれ以上は「みだりに」検査、注射、処置をしたことになるのです。だが、検査はいつも一回だけでピシャリと正確無比の結果が出るとは限りません。一回のデータに疑問を感じた時、二回、三回と「反覆」してはじめて、より正しい診断を加えることができるのです。それを、一回の検査に押さえることは、「老人には正確な診断は<58<不必要」という意図かと疑われます。また、抗生物質を一、二回注射すれば、たちまち百点は吹っとんでしまいますし、結膜炎で二回も洗眼すれば、あとはどんなに目やにや涙が出ようとも、それこそ「処置なし」です。
 要するに、老人は、物質生産性に寄与できぬ、社会にとって役立たずの「お荷物」だから、病気になったからといって、正確な診断も治療も不必要、できるだけ早く死んでしまった方が「お国のため」であるらしい。

「老人病院」征伐
 こうした診療制限は、医療を受ける老人の生命ばかりでなく、診療をする病院の側の生命をも危うくします。診療制限は即診療収入制限につながるからです。それというのも、老人を六〇%以上入院させると「老人病院」のレッテルを貼られるからです。そこで病院として生きのびるためには、「老人病院」のレッテルを追放せねばなりません。それには、六〇%をこえた部分の頭切り、つまり余分の老人を病院から追放することによって命脈を保とうとする工作がなされます。この二月以降「病院から退院を命ぜられているが、行先がなくて困っている」との訴えが「老人のいのちとくらしを守る電話一一〇番」を賑わしたのもそのあらわれでしょう。
 このようにして、入院中の老人の診療費を減らすだけでなく、ゼロにすること、つまり「病院からの追い出し」こそが、こんどの老人保健法の裏側にある恐るべきねらいであることが、しだいに明らかになってきました。四百円、三百円といった「有料化論争」は、いねば陽動作戦であったのです。
 たしかに、いままでのいわゆる「老人病院」の中には目にあまるものがありました。「みだりに」検査、投薬、注射、処置をおこなって、多額の診療費をかせいでいた「老人専門病院」も少なくなかったようです。老人人口の急増に伴う社会政策が立ち遅れのため、「ねたきり老人」を抱えこんで困窮している家庭が多く、し<59<かもこうした老人の受け皿となるべき特別養護老人ホームのベッド数の絶対的不足という状況の中から、ここ数年間雨後のタケノコのように「老人病院」が乱設されて特養の代替施設の役割を果たしてきました。事実、特養のように長く待たされることなくはいれるし、「老人ホーム」より「病院」の方が外聞もよいし、で入院中し込みが殺到して一時はブームとなり、「老人病院花盛り」でした。しかし「花」は表面だけで、中にいる老人は必ずしもしあわせとぱいえなかったようです。すべての老人病院がそうであったとは中しませんが、老人を食いものにしてひともうけをたくらんだ病院も少なからずあったらしい。
 これまでにものべたように、本来老人患者は、手がかかるわりに収益が少ないから、病院にとって「招かざる客」のはずです。それなのに、りっぱなパンフレットをつくって方々に宣伝し、「カムカムエブリバディ」とやるからには何かがある、と疑わざるを得ない。つまり、老人にとって有害無益な「くすり」をやたらにのませ、不必要な検査を連日強行し、最も必要な「介護」職員を置かず、老人を文字どおり「飼い殺し」にして、ばく犬な収益をあげてきたようです。私自身、特養入所希望の老人を診査するために、彼の入院している病院を訪ねたところ、その老人は点滴注射を受けていました。特養へ入所を希望するほどですから点滴など必要はないはずです。ところが、その部屋の者全員、さらに他の部屋の老人も、みないっせいに点滴をうけていたのには驚きました。驚く方がばかで、採算のとれぬぱずの老人患者を集めてひともうけするには、当然の処置でしょう。
 こうした、いわゆる「くすり漬け」「検査漬け」の「老人病院」に対する世間の批判がようやく高まってきたのに呼応して、「老人保健法」はこれら「悪徳病院」を征伐する「正義の味方」として登場してきたのです。<60<
 つまり、「みだりに」投薬や検査ができないように、きわめてきびしい、否、あまりにもきびしすぎる、医学的良識も無視した、無茶苦茶な規制を設けることによって「破邪顕正の剣」をふるおうとしたらしくもあります。
 だがこうした規制が、すべての病院に対して平等におこなわれたのでなく、七十歳以上の老人を六〇%以上抱えている「老人病院」にだけ適用した、というところに問題があります。もし全病院に適用したら、たちまちドクターズパワーの総反撃をうけて、政府は袋叩きにあったでしょう。そこで一部の病院をスケープゴート(犠牲の小羊)に仕立てて、「見せしめ」的規制をおこなったのです。
 たしかに、「くすり漬け、検査漬け」で荒かせぎをした「悪徳病院」が「みせしめ」のためにお灸をすえられるのは、けっこうなことです。しかし、「老人病院」の中にも、ごく少数ながら、じつに良心的に運営されている病院を私は知っています。しかしこんどの保健法は、そうした過去の実績を一切問うことなしに、ただ「老人入院率六割以上」のみを基準にしてレッテルをはり、ミソもクソもいっしょくたに、無茶苦茶規制を押しつけて、「病院つぶし」を工作しているとしか考えられません。しかし政府にとっては、つぶれた病院が「よい病院」であろうと「悪い病院」であろうと、そんなことはおかまいなし、要するに総医療費を削減できさえすれば、万万歳なのでしょう。
 しかも、ほんものの「悪徳病院」は、これくらいのことでビクともしません。いくらでも抜け道をみつけて、ますます肥え太っていきます。結局、「征伐」されたのは、むしろ良心的な老人病院でしょう。これらこそほんものの「スケープゴート」であります。<61<
ヤブ医者
  老人保健法は、「悪徳病院」という「鬼」を退治する「桃太郎」よろしく、さっそうと登場しました。そしてなみいる鬼どもを、バッタ、バッタと斬り殺したように見えました。しかしよく見ると、殺されたのは「鬼」ではなく、なんの罪もない老人たちでした。鬼どもぱ、いちはやく入院中の老人を追い出して、「老人入院率六割以下」に抑え、「一般病院」の仮面をかぶって、厳しい診療規制を免れました。期日までにそれが間に合わず、「特例許可外病院」というレッテルを貼られて規制をうけるぱめになった病院は、「自存自衛の必要」上、患者さんから直接「お世話料」とか「運営管理協力費」などといった名目で、数万から十数万の差額徴収をするなど、いっそう「鬼」の真面目を発揮しています。つまり「悪徳病院」に圧力を加えて、その経営をなり立たせないようにとの企図が、かえってその「悪徳性」を奨励する結果になったのです。結局、いちばんひどい目に会ったのは老人たちで「去るも地獄、留まるも地獄」でした。また少数の良心的な老人病院も「老人数六割以上」という「鬼ケ島」にいたばかりに、真先に桃太郎の血祭に上げられてしまいました。こうして「良・u梔ン」ばかりが駆逐され、「悪貨」はゆうゆうと生きのびています。
 老人保健法は昔話では「桃太郎」でしたが、現代流にいえば、日本の医療を蝕む病巣にメスを加える「名医」の装いをして登場しています。だがそのメスの刃先は健常な部分を切り取ってしまったため、悪い病巣をますますひろげる結果となりました。とんだヤブ医者です。もっとも、前述のように、つぶれたのが良心的病院であろうと、悪徳病院であろうと、それによって総医療費が削減できさえすればよいのであり、また「特例別許可外病院」が生きのびるために、老人患者からどんなに多額の「協力費」をむしり取ろうと、保険診療請<62<求点数が制限基準内に抑えられさえすれば、目的は十分に達せられたことになり、たとえ病院を追い出された老人の家庭が困窮のはてに一家心中の事態を招こうと、国の経済的危機の緩和に貢献したという意味では、やはり「名医」なのでありましょうか。しかし、「全地球よりも重い」貴重な人命を守るべき使命をになっているにもかかわらず、地球上のちっぽけな一国の経済のために、多数の人命を犠牲にして省みない「迷医」は、まさに「ヤブ医者」と断ずべきでありましょう。私ぱいささか極端な表現を用いましたが、為政者の姿勢と・u桙「うものが、なによりも「人命尊重」という方向性に徹してほしいとの願いからに他なりません。」(中川 1984:58-62)

 「このような強制された「悲惨な生」、身体精神両面の「不自然な生」からの脱出を求めて老人の「安楽死願望」が生じてくるのもまた当然でありましょう。それは、現在の「悲惨な生」よりもまだ「死」の方が「安<72<楽」であろうと思うが故であります。つまり老人に、とくに特養老人に、「安楽死願望」、「ぽっくり死志向」が統計上多いといわれているのは、まさに「悪しき生」からの「脱出願望」が強いということに他ならないのでありましょう。ということは、かれらがほんとうに求めているのは「死」ではなく、「悲惨でない生」であるということです。「安楽死願望」は「安楽生願望」の裏返しであることに留意すべきであります。
 しかもこの「悲惨な生」の多くの部分が、人間の、社会のつくり出した一種の「人災」である以上、私たちが老人に対して用意すべきものは「安楽死」ではなく「安楽生」、つまり「社会環境条件の整備」でありましょう。そのためには、人間が「物」に奉仕する「生産第一主義」的価値観を、私たち自身の中で払拭し、自己変革を断行せねばなりません。これは他人事ではない、私たちひとりひとりの将来に関わる重大な事柄であります。
三 「安楽死」に関して
 最後に「安楽死」について一言申しのべて終りたいと思います。
 「安楽死」という発想の原点ともいうべきものは、一九世紀頃、一部の良心的な医師たちが、瀕死の苦痛にのたうちまわる患者を目前にして、何とかして楽にさせてやりたいと思いつめたところにあるようです。つまり発想ぱあくまで「苦痛の除去」であり、目的は「安楽」にあるのであって、断じて「死」ではないということです。近代医学の目ざましい発達は、はたして人類にとってプラスとなったか、マイナスとなったか? いた<73<ずらな「延命効果」には、今日多くの批判があるようです。ただ、もしなんらかのプラスがあったとすれば、それは麻酔学の発達によって、病気の苦痛をわずかでも緩和する方策が見い出だされたことではないでしょうか。
(中略)
 昭和三十七年に名古屋高裁で、安楽死が認められるための「六要件」が提示されました。太田典礼氏はこれを「四要件」に集約しておられます。即ち@不治で死期切迫が確実であること、A生きているのが死にまさる苦痛であること、B本人の希望であること、C苦痛の少ない方法が選ばれること。ところで@の判定ははたして可能か。誰がどのような資格で断定するのか。Aの判定も同様であり、「死」の経験をもたぬ人間に「死と<74<生の苦痛の比較」などできるはずがない。B「本人の希望」も何を根拠とするか。Cはいまさら要件とするまでもなく当然であろう。−といった問題点が残ります。ことにBに関しては、「安楽死」が問題とされるのは、「本人の希望」が表明できない時点であり、元気な時にいったことばや書いたものにそのような「希望」があったとしても、死を目前にした危機的状況の中でもまったく同じ「希望」をもちつづけているとは、誰も確言できません。もしも元気な時の「遺言状」を根拠として「安楽死」の執行を許すとすれば、それは法律の冷酷な非人間性の暴露という他はありますまい。
 「医療辞退連盟」の人たちぱ、「基本的人権」の問題として、「人問には医療を受ける権利があると同時に、受けない権利も保障されねばならぬ」と主張します。だが、かれらがこの後者の権利を主張するとき、前者の権利の保障を当然の前提としています。しかし、かれらにとって当然のこととされている「医療を受ける権利」を奪われているのが老人たちです。その意味で「医辞連」の人たちは、老人だちから見れば、ぜいたくな要求をもったエリートであります。
 いまひとつ、問題なのは、「死ぬ権利」を主張する人たちの「価値観」です。米国での有名な「カレン裁判」では、「尊厳なる死」を根拠として、安楽死を法的に保障しました。つまりカレンさんの植物人間のような生には、人間としての尊厳が存在しない。だからその尊厳性を保つために、彼女に備えつけられた人工蘇生器を外して死を与えることは法的に処罰の対象にならぬ、という判決です。もしこの法律が今日の日本の現場に適用されるならば、特養にいる「たれ流しの恍惚老人」は、その生が「不尊厳」なるが故に「尊厳なる死」を与えるべし、という議論になりかねません。これは恐るべきことです。若く美しい、また健康で生産力のある<75<生は尊厳であり、その反対の生は不尊厳であり、生きる資格なし、とのきめつけにつながります。私たちはここでもう一度、「人間の尊厳」という問題について、考えなおしてみる必要があると思います。
 いま一つ、「安楽死肯定」派の中に、これを「老齢人口増加」の実態と結びつけた、いかにも説得力のある、それだけにきわめて危険な議論をなす者がいます。つまり、年ねん老人が増えていくことにより、生産人口と非生産人ロとが接近し、人類全体の生存に危機が迫ってくる。したがって、「生き残る」ためには、適者生存、弱肉強食の「自然の理」に従って、弱者の「安楽死」を承認、否奨励しよう、という発想です。これは、「役立たずは殺せ」というナチズムにつながります。もともと動物界に見る自然淘汰の原理を、そのまま人類生存の原理に適用するのはあやまりであります。「弱肉強食」によってではなく「相互扶助」によって生きつづけてきた歴史を人類はもっています。それが「万物の霊長」たる「人間の知恵」ではないでしょうか。このかけがえのない「人間の知恵」を今後も保ちつづけ、「相互扶助」によって「共に生きつづける」ことは不可能でしょうか。もし万一、将来の滅亡がさけられないものであるならば、弱者を押しのけ、踏みつけて、たまさかに生きのびるよりも(それでも早晩滅亡は免れ得ません)、むしろ、「皆でいっしょに、仲良く手をつないで」・u梛、に滅びようではないか。有能者も無能者も、平等に生き、平等に滅びることこそ、人類最大の知恵であり、真のヒューマニズムではないでしょうか。」(中川 1984:72-76)

 「このたび、全国老人福祉問題研究会で編集している雑誌「ゆたなかくらし」選書の一つとして、本書を出すことになりました。」(中川 1984:206)

――――――――――――――――
【関連情報】
■全国老人福祉問題研究会
http://www1a.biglobe.ne.jp/roumon/index.html

■398 ■080120 [ml-prosemip 6495] 『医療経済学』(天田)

天田です。
以下、紹介。

「透析医療の国際比較」などについて合計40頁以上の記述があります。すでにご存知だと思いますが、一応。なお、未読の場合、時間的制約から、予備論では参照することもないかと思いますが、「資料」として終わったら一瞥しておくとよいかと。すぐに必要という感じではないと思います。
→有吉さん

※二木立
http://www.arsvi.com/w/nr01.htm
その他の本の紹介はどこかで。

――――――――――――――――
◆二木 立 19850801 『医療経済学――臨床医の視角から』,医学書院,283p. ISBN-10:4260135635 ISBN-13: 978-4260135634 3465
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4260135635/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4260135635.html">[kinokuniya]</A> ※ b a06 d me

【内容】
わが国には,真の意味での医療経済学はまだないと言われている。しかし,あらゆる医療行為・実践に,今日ほど“経済的視座”を必要とされる時代はなく,また,医療経済の動向の変化は近年とみに顕著である。「医療経済学を構築し得る唯一の人」という内外の評価を得ている著者が医師・医療従事者に必要な医療経済学の基本的考え方・方法を示し,医療技術論と医療経済学の手法を用い,日本医療の諸側面を分析する。

【目次】
1 医療と経済学
2 「国民医療費」の構造分析と国際比較
3 費用便益分析とその展開
4 医療技術進歩と医療費増加
5 医師所得の構造分析と将来予測
6 病院倒産と病院経営

■引用

「V 透析医療の国際比較
 透析医療(血液透析)は「第2次医療技術革新]の中で延命効果が確認された数少ない治療技術である。この血液透析は1960年代に治療技術として確立された後,1970〜80年代にかけて各国で急速に普及し,現在では全貼界で約20万人がその恩恵に浴している。
 しかし他面,血液透析はその費用が高額(年間1人600万円)であるため医療費高騰の一因とみなされ,近年では各国で種々の医療費抑制策がとられている。
 わが国では透析医療の社会経済的研究が少なくないが,国際比較研究はほとんど行われていない。一般にわが国における医療の国際比較研究は医療保障制度や「国民医療費」など“マクロ”面に限られ,“ミクロ”な個々の医療行為・医療技術の比較研究はほとんどみられない。
 しかし今後“医療の質を低下させない医療費節減”をはかっていくためには、この種の国際比較研究が不可欠である。事実欧米諸国では透析医療を含めた高度・高額医療技術の国際比較研究が盛んであり,いくつかの国際シンポジウムも開催されている(補論参照)8)30)31)。
 ここではこれらの動向を紹介しつつ,わが国の透析医療の国際的位置・<129<特殊性を検討したい。(以下略)」(二木 1985:129-130)

 「わが国では1970年代前半には透析医療の保険点数は他の医療分野に比べてかなり高く設定されたため,民間の透析施設が急増した。その結果1983年には私立透析施設(診療所・病院)は全透析施設の64.0%を占め,全透析患者の74.7%を占めるに到っている。
 しかしその後透析施設の普及が一巡した1970年代後半以後は,1978年2月,1981年6月の2回の医療費改定で透析医療費のそれぞれ20〜30%の大幅切り下げが行われ,透析医療費の“超過利潤"もほとんど消滅した。
 その結果透析患者1人当たりの年間医療費も外来ベースで1,000万円→800万円→600万円にまで低下し,透析医療費の「国民医療費」に対する比率は患者増にもかかわらず減少傾向にある。ちなみに外来医療費ベースで透析患者の総医療費を計算すると1982年度で2,879億円(1人年600万円×47,978人)となり,同年度の「国民医療費」13兆8,659億円の2.1%である(透析患者の薬や検査等を除いた「人工腎臓」のみの費用は1,750億円で,国民医療費対比1.445%)と推計されている)。

 以上,透析療法を中心に慢性腎不全治療の国際比較を行ってきた。それにより,わが国の透析患者数は欧米諸国に比べて著しく多いことが明らかにされたが,その原因にぱ謎”が多く残されている。
 今回触れられなかったものに日本の患者運動の役割がある。筆者は腎臓病患者組織(国腎臓病患者連絡協議会,1971年結成)が医療関係者・マスコミなどの支援を受けて1970年代に強力な運動を展開し,それによって透析医療に対する患者負担を事実上撤廃させたことを高く評価している。
これによって潜在患者の“堀り起こじが促進されたことは疑いない。しかし,今回は資料不足のため,患者運動の国際比較はできなかった。」(二木 1985:145)

「1.慢性腎不全治療患者数の国際比較
 図18は日本と欧米諸国の慢性質不全治療患者数の推移をみたものである。日本では慢性質不全の治療のほとんどは透析(しかもそのほとんどが血液透析)によって行われているのに対して,欧米諸国では腎移植が盛んであり,図19でも欧米諸国の数値には透析と質移植の両方を含んでいる。
 しかし日本は透析患者のみでも欧米の腎不全治療患者数を大幅に上回っている。
 わが国では1972年10月の透析医療の更生医療・育成医療適用と1973年10月の高額医療費支給制度の発足以後透析患者数が飛躍的に増加し,1975年以後は一貫して世界一の水準である。 1983年末の透析患者数は実数で5万3,017人,人口100万対で443.7人に達している。
 表32は慢性質不全患者の治療方法の国際比較(1982年)をしたものである。
 この表から,日本と欧米諸国との間には慢性質不全治療に関して構造的違いが存在することがわかる。
 まず透析患者数(人口100万対,以下同じ)は日本で404.2人と著しく多く,これはアメリカ(Medicare給付分)の257.0人の1.57倍,全ヨーロッパ平均の124.5人の実に3.25倍である。ただしアメリカでは全透析患者のうち7%はMedicare(老人・障害者健康保険)の給付を受けていないと推計されており33),この点を考慮すると日米間の格差は多少縮小する。
 他面,わが国では家庭透析は0.2%にすぎない。それに対して欧米諸国ではイギリスの45.5%は例外としても,各国とも1割強の患者が家庭透析を受けている。また近年新しい透析技術として欧米で急速に普及しつつあるCAPD(腹膜利用連続透析法)もわが国では保険適用の遅れなどのため1.7%にとどまっている。なおこのCAPDはわが国でも1984年3月より保険適用となったが,点数設定,実施医療機関の基準の問親等で普及に大き<130<な隘路がつくられ,同年6月現在で保険請求可能な医療機関は全国でわずか20にすぎない32)注1)。
 しかしわが国と欧米諸国との覧不全治療方法の根本的相違は,わが国における腎移植の著しい少なさである。
 表32に示したように1982年の日本の年間腎移植患者数は人□100万対3.3人にすぎず,これはアメリカの21.3人の15.5%,全ヨーロッパ平均の9.7人と比べても34.0%である。
 腎移植には死体腎移植と生体腎移植があり,欧米諸国では死体腎移植が主流である(アメリカ70.2%,全ヨーロッパ平均89.5%)。わが国でも近年腎移植が増加してきてはいるか,それでも1982年で37.5%にとどまっている。」(二木 1985:131-132)

「注1)最近の1985年3月医療費改定では,診療報酬全体では平均3.3%の引上げが行われたにもかかわらず,血液透析(人工腎臓)は逆に1回21,000〜13,000円(透析時間により異なる)から1回18,000〜13,000円へと実質的1割の引き下げが行われた。それと同時にダイアライザーの価格引下げもなされた。
 CAPD(自己腹膜灌流)指導管理科も月4回を限度として1回7,000円から月2回を限度として1回15,000円へとわずかの引き上げにとどまった。ところがこのCAPDについては,その直後に@月10回を限度として電話再診料の算定を認める,ACAPD指導管理料も月4回までの算定を認める,という異例の処置がとられた。これによりCAPD指導管理料は,月3万円から6万円へと2倍の引上げとなった。更にCAPDの施設基準を緩和する動きも伝えられ,今後日本でもCAPDはかなりの普及をみせることと予測される。
 ただし,今回のCAPDの異例の引上げの裏には「アメリカとの貿易摩擦が作用していたといわれる。すなわち『CAPDが日本で普及しないのは,点数が低いからである。これは非関税障壁だ』というアメリカ・トラベノール社(CAPDの独占企業)の要求で,摩擦解消という高度な政治判断も加わって今回の引上げになったといえる」(社会保険旬報1500号,1985)。
 このことは目本の医療市場がアメリカ「医療産業複合体」の格好の標的になりつつあることを示している。」(二木 1985:133)

 「わが国では,老人ホームの絶対的不足が病院で代替されるという「福祉の医療化」政策が伝統的である3)。 1970年代はわが国が高齢化社会に突入した時代であり,当然それに見合った老人福祉施設の急増が計画的に行われるべきであった。しかし1970〜82年の老人福祉施設定員数の増加は,同時間の病床数増加のわずか28.8%にとどまった。その結果,急増した老人のケアが病院で代行されるという「福祉の医療化」政策が1970年代に加速されたといえよう。
4.私的中小病院の「中間施設」への転換は可能か
 しかし,そのような「福祉の医療化」政策は,国民医療費の急騰を加速することにより破綻し,老人保健法(1983年2月実施)が登場することになった。
 この老人保健法では,患者の自己負担の復活による受診抑制がはかられると共に,「老人特掲診療料」により老人病院規定の新設一病院の選別が行われたことは記憶に新しい。その結果,1983年度は特例許可外老人病院が95,特例許可老人病院が540認定され,前者では20〜30%,後者でも2〜5%の減収がもたらされることになった。
 このように厚生省は診療報酬制度の操作をテコとして,これら老人病院の「中間施設」への転換,あるいは廃業を誘導しようとしている。例えば厚生行政のオピニオン・リーダー・佐分俊輝彦氏(病院管理研究所長)は老人保健法成立直後に,日本の病床は今の半分でよく既存の病床の半分は<201<ナーシングホームに転用すべきことを主張されていた。また吉村仁現厚生省事務次官も保険局長時代に,「個人的な見解」として,現在ある160万床の病床のうち40万床ぐらいは「病院と家庭との間の中間的な施設」として再編すべきではないかと述べ,更に特例許可外病院に対しては「つぶれるか,許可病院のほうへ来るかどっちかにせよ」と明言していた4)。
 しかし筆者には,それが成功するとは思えない。
 まず事実問題として,老人保健法実施後に倒産した老人病院は一つのみ(1983年6月,広島・清風会)であり,しかもこれは過大投資と看護料の不正受給による理事長逮捕のためで,老人保健法とは関係がない。逆に大部分の老人病院は,患者に対する差額徴収の強化というサバイバル戦略をとり,それで成功している。この点についての公式数字はないが,巷間,東京周辺で5〜10万円が相場といわれている。
 筆者自身は医療近代化のために病院の機能別編成を行うことに賛成であり,一部の病院を「中間施設」に転換すること自体にも反対ではない。しかしその前提として,病院機能(特に人材面)の大幅向上が不可欠であると考えている。
 よく知られているように,わが国の病院の器械・設備の保有率は欧米諸国のそれを大幅に上回っている。例えば高額医療機器の代表ともいえるCTスキャナーの設置台数は1982年で人口100万対18.5台であり、アメリカの10.7台の1.7倍に達している(第4章第2節→114頁参照)。
 その反面,人材面の水準は欧米諸国のそれを大幅に下回っている。厚生省「医療施設調査」によると100床当たりの職員数は一般病院でも84.6人,全病院では76.5人(1982年)にすぎない。それに対してアメリカのコミュニティ病院注1)の患者100人当たり常勤職員数は376人(1982年,Hospital Statistics 1983年版)に達し,西欧の一般病院でも100人は大幅に上回っている。わが国の最高の看護体制である特U類ですら,欧米諸国のナーシングホームの水準にすぎないのである。
 費用面から比較しても,アメリカの病院の1日当たりの入院費は市立病<202<院ですら5万円,一流の民間病院では優に10万円を超え、しかもこれらの中には医師の診療費が含まれていないのである。病院とナーシングホームとの費用の格差は約5倍であり,これがアメリカにおいて病院抑制・ナーシングホーム育成を行う原動力となっている注2)。
 これに対してわが国の病院の入院1目当たり医療費は,比較的大病院が多い甲表病院でも16,456円,同大学病院でも23,005円にとどまっている(「医療機関別診療状況調」1983年6月診療分,社会保険本人)。更に多くの老人病院や精神病院の1月当たり医療費は,特別養護老人ホームの平均的費用20万円を下回っているとさえいわれている。
 このような日本の病院の人材・費用面での著しい低水準を抜本的に改善しない限り,病院の機能別再編成は不可能ではなかろうか。」(二木 1985:201-203)

■399 ■080120 [ml-prosemip 6496] 『高齢化社会』(天田)

天田です。
以下、1981年の本という本。とにかくざくっと。

――――――――――――――――
◆吉田 寿三郎 19810120 『高齢化社会』,講談社,講談社現代新書,212p. ISBN-10:4061456040 ISBN-13: 978-4061456044
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061456040/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4061456040.html">[kinokuniya]</A> ※ b a06

【著者紹介】(『高齢化社会』に掲載されている著者紹介)
よしだ・すみお。兵庫県生まれ。京都大学医学部卒。大阪医科大学教授、京都大学老年医学科講師を経て、現在、日本老年学会理事、日本老年社会科学会常務理事、日本WHO協会常務理事、ヨーテボリ日瑞協会名誉会員、北欧文化協会理事、人口問題研究会評議員。内科学、公衆衛生学(老年社会臨床医学)専攻。医学博士。
著書に『老人の保健福祉に関する体系的開発』日本生命済生会、『日本老残』小学館、『デイ・ケアのすすめ』ミネルヴァ書房、『一九七八年老年問題に関する京都国際シンポジウム』編者、日本WHO協会など多数。

■引用

 「この判断からの希望がようやくかなえられて、二十二年前、縁あって北欧の長寿国スウェーデンに行けた。しかし「福祉国」として名高いこの国の現実を目の当たりにして考え込まざるを得なかった。そのことが私を老年問題に首を突っ込ませる決定的なきかっけをつくったのである。
 すなわち、一九五九年、私は大きな期待と憧れを抱いてスウェーデンに渡った。世界に冠たる長寿国、手厚い保護を受け幸福な余生を送る老人たち、そしてそれを支える若い生産人口――いったいどうすればこんなすばらしい国家が出来上がるのか、私はポジティブ・ヘルスと<8<いう“青い鳥”をみつけるつもりだったのである。
 だが私の期待と憧れはまったく裏切られたといってよい。スウェーデンで私が見たのは健康で幸福な余生を送る老人たちでなく、“弱っても死ねない”老人たちの群れであった。たしかに国をあげて手厚い老人対策は講じられてはいたが、ほとんどの老人たちは決して幸福な顔付をしていなかった。人力でつくった老年問題の深刻さ、難しさ……それをまざまざと見せつけられた思いだった。」(吉田 1981:8-9)

 「そんな願いも込めて、一九五三年、私たち同じ思いを持つ者が集まって「日本寿命科学協会」(ウェル・エージング・アソシエーション・オブ・ジャパン)を発足させた。」(吉田 1981:62)

 「ねたきりの状態は、えてして“ボケ”へ通じる可能性が大きい。北欧などの慢性病院やナーシング・ホームに行くと、病棟の一角にまったくデクの棒のような群像が突っ立っていたり、丸太のようにころがっている。むろんまだ生きている人間である。まさに老残としか形容しようがない。
 口に食べ物を突っ込めば嚥下はする。大小便の始末はできない。うつろな目はどこをみているのか定かではない。ただ生物学的に生きているというだけの存在である。
 私は最初、こうした光景をみてぞっとせずにはいられなかった。栄養はたいてい鼻から管を<168<通して胃に送っている。本人はもはや自分で食べることすらできないのだが、ケアの仕方によっては二ヶ月、三ヶ月はおろか一年、二年、三年、否十年でも生かしておける。
 生物として生き残れる可能性は今日大変進歩した。ここで従来はなかった新しい安楽死の問題が人口長命にからんで登場しているわけだ。」(吉田 1981:168-169)

 「私たち生きものの個体は有限である。時間的な経過とともに必ず死がくる。どんな人にも死がくる。第一、第二の人生にも死は起こるが、これは災厄死である。しかし、第三の人生には<172<死は必然のことで、自然死は他の人生にない重要な特徴である。しかも、これからは卒然と死がくる場合より老病弱、複雑な心身の障害によって漸次追いつめられた後死んでいくのであるから、高齢期のケアをどのように充実させて、死と対決し人間として堂々と死んでゆくかが重要なテーマとなってくる。」(吉田 1981:172-173)

――――――――――――――――
【関連情報】
■日本ウエルエージング協会(元・日本壽齢科学協会)
http://www.wellaging.ne.jp/index.html

――――――――――――――――
なお、同じ著者の他のものとしては以下。

◆吉田 寿三郎 197401 『日本老残――20年後の長命地獄』,小学館,261p. ASIN:B000J9OHZQ
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J9OHZQ/ryospage03-22">[amazon]</A> ※ b a06

◆吉田 寿三郎 198006 『デイ・ケアのすすめ――ベッドのない第三の住まい』,ミネルヴァ書房,242p. ASIN: B000J87RLS
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J87RLS/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4623013006.html">[kinokuniya]</A> ※ b a06

【内容】
厳しい長命地獄に新しいオアシスを!家底に埋没している老人に活力を創造する新しいサービス=デイ・ケアの道を欧米に学びながらも,日本の現実に即して考える。54年度から制度化されたデイ・サービス事業への積極的提言。

【目次】
第一章 人工長命時代を考える
実現しなかった孫の好意
第三の住まいを身近に
長命時代―八十歳台の生残
ウェル・エージング開発の視点
収容ケア三%、家庭ケア九七%で
対策の理念と方法と条件
集約型ユニットの続出
施設と家庭に懸ける橋、媒体論 など

第二章 老人のデイ・ケアとは
嫁姑の板挾みに悩むサラリーマン
老人のデイ・ケア小史
デイ・ケアの基盤になる老人観
デイ・ケア成立の舞台裏
デイ・ケアをめぐっての考察
デイ・ケアの目標と分類
デイ・ケアの多様な効用 など

第三章 職掌からみたデイ・ケア
東京リハビリ、福祉協会の悲願
長命時代の職掌、老年科医として
病質一変と老化に取組む一般医
千手観音役目のナース
理学療法士と、静と動
作業療法士と、刺戟と反応
ワーク・ショップ、平均年齢七十台
和合の要(かなめ)、ソーシャル・ワーカー
デイ・ケア行政の問題点

第四章 デイ・ケア設営の実際
母娘コンビの厳しい老後
老人デイ・ホスピタルの設営体験
実験的設営の方法と成果
中断を惜しまれたデイ・ケアの試み

第五章 老人デイ・ケアの日本の現状
さる老人福祉センターを訪ねて
デイ・ケアに関する実態・意識調査
KDSA'79でのデイ・ケア論議
デイ・ケアへの提言十二ヵ条

再版に際しての訂正・補遺・追加

◆吉田 寿三郎 199602 『文明病としての高齢社会――ウエルエージングの思想』,創知社,244p. ISBN-10: 4915510700 ISBN-13: 978-4915510700
<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4915510700/ryospage03-22">[amazon]</A>
<A HREF="http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4915510700.html">[kinokuniya]</A> ※ b a06

【内容(「BOOK」データベースより)】
人類の福祉をめざしたはずの高度工業社会は、なぜ、暗く困難な超高齢化をもたらすのか。斯界第一の権威が40年間の自らの足跡を通して説く、高齢化を乗り越える思想と方法―。自伝的文明批評。

【内容(「MARC」データベースより)】
人類の福祉を目指したはずの高度工業社会は、なぜ、暗く困難な超高齢化をもたらすのか。斯界第一の権威が、40年の自らの足跡を通して説く、高齢化のもたらすマイナス面を乗り越える思想と方法。自伝的文明批評。

■400 ■080120 [ml-prosemip 6497] 『理想の医療を語れますか』(天田)

天田です。
以下、紹介。10分でざっと読めます。
すでに他の本との重複もありますので、簡単に引用。

その他の今井本についてはどこかで。
なお、後ほど送付する新聞記事に今井氏の名前が出てきます。

――――――――――――――――
◆今井澄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E4%BA%95%E6%BE%84

◆今井 澄 20020405 『理想の医療を語れますか――患者のための制度改革を』,東洋経済新報社,275p. ISBN-10: 4492700811 ISBN-13: 978-4492700815
http://www.amazon.co.jp/dp/4492700811/

【内容(「BOOK」データベースより)】
元東大全共闘防衛隊長が医師として、国会議員として日本医療の再生を願って再び闘争宣言。自らが病気になって感じた医療のあるべき姿を熱いメッセージで語る。

【内容(「MARC」データベースより)】
安心できる医療改革制度をどうつくるか。医者、政治家、また患者としての経験を持つ著者が、自分の体験したエピソードを交えながら、医療問題の本質と改革の方向を判りやすく示す。

【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
今井 澄
参議院議員。1939年中国東北地区(旧満州国)ハルビン生まれ。東京大学医学部卒業。佐久市立国保浅間総合病院勤務を経て、組合立諏訪中央病院に勤務、1980年に同病院院長に就任する。1991年同病院を退職。1992年に参議院議員当選(長野県区)を果たし、現在にいたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

第1章 こんなにおかしい日本の医療
第2章 病院へのフリーアクセスをやめよう―「顧問医」活用のススメ
第3章 医師の意識をどう変えるか
第4章 老人医療を考える
第5章 医療費は誰が負担するのか
第6章 医療改革をどう実現するか―官僚主導の議論からの脱却
終章 これからの医療改革を考える
補論 私の社会保証改革論

■引用

「老人医療費無料化は、一九六一年一二月、岩手県の沢内村で始められました。その様子は、岩波新書『自分たちで生命を守った村』に書いてありますので、ぜひお読みください。
 その後、東北地方を中心に全国に広がった無料化は、一九六九年に東京都が、七〇歳以上の老齢福祉年金受給者の自己負担を無料化したことをきっかけに、国の制度となりました。
 老人医療費無料化前の一九七〇年と、無料化後の一九七五年の、年齢別の受療率は、(以下略)
 しかし、先に述べたようにいろいろな問題が生じ、その後遺症で今苦しむことになりました。いわゆる「モラルハザード」、つまり、倫理的に危険な落とし穴ができてしまったのです。医師側にも、患者側にも、負担を考えない無責任な無駄遣いが起こってしまいました。」(今井 2002:114)

 「こうなってしまった原因の一つは、負担できる人と負担できない人の区別をせずに、七〇歳とか六五歳とか、一律の年齢で区切ってしまったことにあります。(中略)
 無料化をきっかけとしておかしくなった原因の二番目は、沢内村の本を読んでもらえばわかりますが、老人医療の無料化にあわせて、住民参加の健康づくり運動を一緒にやらなかったことです。(中略)<115<
 第三の原因は、二番目の原因と関連しますが、お金だけに注目していた政治の貧困さです。(中略)
 第四の原因は、医療保険制度のなかで無料化を考えるのではなく、老人福祉法のなかで無料化したことです。(中略)<116<
 第五の原因をあげれば、専門家である医療関係者が、老人医療のあるべきやり方について真剣に取り組まなかったことです。」(今井 2002:115-117)

  「欧米はどちらかといえば「クール」
 ヨーロッパでは年齢で区切る特別の制度がないにもかかわらず、老人が医療を受けにくい状況が出てきています。イギリスでは六〇歳を超えると、腎不全になっても国民医療サービス(NHS)では新規の透析を受けられないのが実態です。北欧でも介護サービスは十分に受けられますが、医療からは遠ざけられているようです。そのことに対して、ヨーロッパでは見直すべきだという意見も出されているようです。
 二〇〇〇年五月、パリに行ってOECDの医療担当者と話したときも、同年末にストックホルムで医療担当者と話したときも、そういう印象を受けました。
 実は、「寝たきり老人」がなぜ日本に多いのかという議論が二〇年余り前から行われてきましたが、その際に、「日本は、老人に対しても徹底的に医療を行うので、重症のまま生き延びる患者が多いからだ」という意見があります。私は、それは完全に間違っていると思います。日本では、本人も「寝たきり」を好み、病院や家族も「寝かせきり」にしているのが、根本的な原因だと思います。現に、多くの病院が寝たきり老人や、褥瘡をつくってきました。また、リハビリをして歩けるようにして退院させても、家に帰ると寝たきりになる老人も多いのです。病院やケア施設や地域でのリハビリヘの<132<取り組みについて、日本は欧米にはるかに及びません。
 しかし、重症の、いわゆる「植物状態」の患者もあまり欧米では見かけません。欧米では、老人医療やターミナルケアについては、どちらかといえばクールであるように思います。
終末期医療を考える難しさ
 最近は、医療費の無駄の話題になると、すぐにターミナルケアの問題が出てきます。どうせ死ぬことがわかっているのだから、お金のかかる治療をする必要はないという意見があります。
 厚生労働省が二〇〇一年三月に出した『医療制度改革の課題と視点』では、「終末期医療」、「死亡場所の変化と延命治療に対するる考え方」、「終末期における医療費」、「終末期医療の考え方」の四項目をあげ、三ページわたって高齢者の終末期医療について書いてあります。
 死に場所が病院に偏ってきていることについては、社会的入院の節でも書きましたが、本人にとっても好ましいものではありません。在宅医療や在宅介護の体制を強化したり、住宅政策を充実させながら、本人の希望添うかたちで、在宅で看取れるように進めることが必要です。
 しかし、高齢者医療の専門化である横内正利医師が、インタビュー(二〇〇一年二月二五目「朝日新聞」、同年六月一九日「読売新聞」)に答えているように、いくつかの問題があります。
 まず、厚生労働省がパンフレットでは、「単なる延命治療を望まない人も約七割」と書いてありますが、これは正しい表現ではないことです。質問の内容は「痛みを伴い、治る見込みがないだけでな<133<く、死期が追っていると告げられた場合、単なる延命だけのための治療をどう考えますか」というものです。高齢者の場合、痛みが伴わない末期も少なくありませんし、慢性の病気の場合、死期が追っているかどうかの判断も難しいのです。どこからを末期というのかということも問題ですが、はなはだしい研究では、死亡一年前からを末期とみなすようなひどいものもありました。
 また高齢者の場合、慢性疾患でだんだんに弱っていくことが多いのですが、肺炎などの急性期疾患にもかかりやすくなります。そのときに適切な治療をすれば回復しますが、放っておけば確実に死期を早めます。二〇〇一年秋の臨時国会で、高齢者にインフルエンザの予防接種をする法案が成立しました。数年前にインフルエンザが大流行したときに、かなりの数の老人が肺炎を併発して死亡しましたが、そういったことを防ぐことも、この法律改正の目的としてあげられました。予防接種も意味がありますが、そのときの集団死亡例をみると、ある特定の施設に偏っていたことがはっきりしています。つまり、ある特定の施設では、入所者への医療サービスが十分ではなかったのです。おそらくこういった施設では、日常のケアも、入所者の立場に立った温かいものではなかったのではないかと推測できます。
 医療費については、厚生労働省のパンフレットにも書いてあるように、死亡した月の医療費が高いという研究もあれば、医療費全休に占める終末期医療費の割合は少ないので、医療費を削減する効果は少ないという研究もあります。費用面から終末期医療を取り上げるにはデータ不足なのです。
 日本人一人当たりの生涯医療費は平約二三〇〇万円かかり、七〇歳を過ぎてからその半分以上を使<134<っているという計算がありますが、これは終末期医療費ではありませんし、老人医療のおり方の問題に関係することです。
QOLが悪用される危険性
 また、最近では「QOL(生活の質)」が重視されていますが、横内氏は、「高齢者医療に限らずQOLの維持・向上は医療の重要な使命である。『QOLの低い状態で生きていても仕方がない』という考え方が広まりつつあり、QOLという言葉が高齢者切り捨てに悪用されようとしている」と警告を発しています。
 患者や家族の求めることと関係なく、「一分一秒でも命を長引かせたい」とがむしゃらにがんばり、いわゆる「スバゲッッティー症候群」をつくりだし、家族の手も握れず、最後の話もできないままに死にしていくよう々医療行為は問題ですが、だんだん死期が近づいてくる患者が人間としての尊厳を保ち続けられるように、ときどきに起こる肺炎などの急性疾患をきちんと治しながらQOLの低下を防いでいくのが、立派な高齢者医療というものではないでしょうか。
 そして何よりも、横内氏が指摘するように、「高齢者医療について系統だったノウハウは蓄積されていないといっても過言ではない。多くの医科大学に老人科が設置されており、また四〇年の歴史をもつ日本老年医学会という医師の団体もあるが、いずれも高齢者にふさわしい医療のあり方を研究しているとはいいにくい,むしろ地域医療に取り組む医師たちのほうが高齢者医療に詳しいのではない<135<か」というのが実情です。
 医療と介護、さらには健康づくりと連携、そして慢性疾患、急性疾患、終末期の相同的で系統的なプログラムを急いでつくることが先決だと思います。」(今井 2002:136)

 「まず、出来高払いが今どのように医療を歪めてしまっているか、という点から話をはじめます。
 出来高払いの欠点の第一は、診療が過剰になりやすいことです。(中略)<156<
 出来高払いの欠点の二つ目は、過剰診療とはいえないまでも、同じ種類の診療行為であればより点数の高いものを選びがちになるということです。(中略)
 出来高払いの三番目の欠点は、「点数表にあるものはやるが、ないものはやらない」という傾向になることです。」(今井 2002:156-157)

天田城介(josukeamada.com)