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| 2006年度 天田発の立命館大学大学院先端総合学術研究科「公共」領域ML一覧(その2) |
天田城介(AMADA Josuke)
2007.03.31
【001〜100までのML一覧】
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm
■立命館大学大学院における仕事・2006年度(天田メモ)
【101〜200までのML一覧】
■199 ■070330-3 [ml-prosemip 3870] アカデミック・ライティングの活用?
■198 ■070330-2 [ml-prosemip 3867] Re: [ml-prosemip 3863] お伺い:新聞データベース+
■197 ■070330-1 [ml-prosemip 3852] 前期・火曜日・7時限の「特殊講義V」(天田)
■196 ■070329 [ml-prosemip 3840] Re: [ml-prosemip 3839] 2007年度プロジェクト予備演習等について・再掲
■195 ■070328-5 [ml-prosemip 3834] 私設ホームページからのアクセス(天田)
■194 ■070328-4 [ml-prosemip 3833] 2007年度の予定表+講義一覧作成(天田)
■193 ■070328-3 [ml-prosemip 3832] 2007年度プロジェクト予備演習等について(天田)
■192 ■070328-2 [ml-prosemip 3830] 『構築主義を再構築する』
■191 ■070328‐1 [ml-prosemip 3829] 来年度の講義について+畑谷さんへ(天田)
■190 ■070327 [ml-prosemip 3818] シンポジウム「中・韓・日ジャーナリストとの対話」(天田)
■189 ■070319-5 [ml-prosemip 3728] 『脳卒中を生きる意味』
■188 ■070319-4 [ml-prosemip 3726] Re: 了解です→田島さん(天田)
■187 ■070319-3 [ml-prosemip 3723] 『立命館人間科学研究』情報再送(天田)
■186 ■070319-2 [ml-prosemip 3722] Re: [ml-prosemip 3713] 老い研
■185 ■070319-1 [ml-prosemip 3721] 学会関連情報追加(天田)
■184 ■070318 [ml-prosemip 3696] 3月26日(月)15:00〜の面談の件(天田)
■183 ■070316 [ml-prosemip 3682] 3月下旬の予定(天田)
■182 ■070313-3 [ml-prosemip 3662] 今週の予定(天田)
■181 ■070313-2 [ml-prosemip 3661] 第190回関東地区定例研究会のご案内(天田)
■180 ■070313-1 [ml-prosemip 3660] 第191回関西地区定例研究会のご案内(天田)
■179 ■070312 [ml-prosemip 3651] Re: [ml-prosemip 3650] 明日の面談キャンセル:天田先生をはじめ
■178 ■070309 [ml-prosemip 3646] Re: [ml-prosemip 3645] 天田さん引越し
■177 ■070307 [ml-prosemip 3629] 学振対策&博士論文等に向けての準備(天田)
■176 ■070306-2 [ml-prosemip 3615] 高齢社会をよくする女性の会3月例会(石井暎禧氏講演)
■175 ■070306-1 [ml-prosemip 3614] 学会大会関連情報更新(天田)
■174 ■070302-4 [ml-prosemip 3586] 学会関連情報追加+日本社会臨床学会
■173 ■070302-3 [ml-prosemip 3585] 立命館大学土曜講座2007年4月「「生存学」の創成――障老病異と共に暮らす世界へ」
■172 ■070302-2 [ml-prosemip 3584] 「日本死の臨床研究会」情報追加
■171 ■070302-1 [ml-prosemip 3578] 2007年度学会関連情報(天田)
■170 ■070219 [ml-prosemip 3543] 国際シンポジウム「デジタル・コンテンツは大学を変えるのか?」のお知らせ
■169 ■070216 [ml-prosemip 3538] 来週の予定(天田)
■168 ■070206 [ml-prosemip 3506] 学振等について(天田)
■167 ■070125 [ml-prosemip 3487] Re: 有り難うございます→安部さん
■166 ■070124-3 [ml-prosemip 3485] Re: メール有り難うございました→能勢さん
■165 ■070124-2 [ml-prosemip 3482] Re: [ml-prosemip 3481] 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』ML合評会
■164 ■070124‐1 [ml-prosemip 3480] Re: 了解しました→新田さん
■163 ■070123-3 [ml-prosemip 3479] 『Core Ethics』最終段階・補足
■162 ■070123-2 [ml-prosemip 3473] 公共部屋搬入+郵送完了
■161 ■070123-1 [ml-prosemip 3472] 今週の予定(天田)
■160 ■070122-2 [ml-prosemip 3470] 日本社会学会倫理綱領にもとづく研究指針
■159 ■070122-1 [ml-prosemip 3466] 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』のご購入について
■158 ■070119-2 [ml-prosemip 3452] 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』刊行
■157 ■070119-1 [ml-prosemip 3451] 東京大学大学院情報学環アーカイヴ
■156 ■070115 [ml-prosemip 3433] Re: [ml-prosemip 3428] RE: [ml-prosemip 3426] 構築主義?関連論文掲載
■155 ■070114 [ml-prosemip 3426] 構築主義?関連論文掲載
■154 ■070111-2 [ml-prosemip 3400] Re: [ml-prosemip 3398] Re: 了解です(天田→小林さん)
■153 ■070111-1 [ml-prosemip 3395] Re: [ml-prosemip 3394] Re: 了解です(天田→高田さん)
■152 ■070110 [ml-prosemip 3388] 今週及び来週の予定(天田)
■151 ■070106 [ml-prosemip 3380] 1月上旬の予定(天田)
■150 ■061223 [ml-prosemip 3343] 年明けの予定(天田)
■149 ■061222-2 [ml-prosemip 3342] 『Core Ethics』論文へのコメントのこれまで(天田)
■148 ■061222-1 [ml-prosemip 3334] 本日の予定
■147 ■061220-7 [ml-prosemip 3322] 研究会のお知らせ(天田)
■146 ■061220-6 [ml-prosemip 3321] 『Core Ethics』論文へのコメントの進捗状況(その2/天田)
■145 ■061220-5 [ml-prosemip 3320] 『Core Ethics』論文へのコメント(山本さん/差別論論文)(天田)
■144 ■061220-4 [ml-prosemip 3319] 『Core Ethics』論文へのコメント(田島さん/研究ノート)(天田)
■143 ■061220-3 [ml-prosemip 3318] 『Core Ethics』論文へのコメント(山本さん/松田道雄論文)(天田)
■142 ■061220-2 [ml-prosemip 3317] 本人/関係者からの了解について明記すること(天田)
■141 ■061220-1 [ml-prosemip 3316] 『Core Ethics』論文へのコメント(吉村さん)(天田)
■140 ■061219-4 [ml-prosemip 3315] 2007年1月上旬の予定(天田)
■139 ■061219-3 [ml-prosemip 3314] 『Core Ethics』論文へのコメント(竹中さん)(天田)
■138 ■061219-2 [ml-prosemip 3312] 『Core Ethics』論文へのコメント(藤原さん)(天田)
■137 ■061219-1 [ml-prosemip 3311] 『Core Ethics』論文へのコメント(高田さん)(天田)
■136 ■061218-3 [ml-prosemip 3301] 『Core Ethics』論文へのコメント(杉原さん)(天田)
■135 ■061218-2 [ml-prosemip 3300] 植村さんのご質問に対して(天田)
■134 ■061218-1 [ml-prosemip 3299] 『Core Ethics』論文へのコメント(小林さん)(天田)
■133 ■061216 [ml-prosemip 3292] 『Core Ethics』論文へのコメント(植村さん)(天田)
■132 ■061215 [ml-prosemip 3279] 『Core Ethics』論文へのコメントの進捗状況(天田)
■131 ■061214-2 [ml-prosemip 3269] 『Core Ethics』論文へのコメント(上農さん)(天田)
■130 ■061214-1 [ml-prosemip 3264] 『Core Ethics』関連(お詫び)(天田)
■129 ■061213 [ml-prosemip 3250] 『Core Ethics』論文について
■128 ■061207-3 [ml-prosemip 3209] 『「福祉のターミナルケア」に関する……』への言及
■127 ■061207-2 [ml-prosemip 3207] 前々便+前便に関係しなくもない話
■126 ■061207-1 [ml-prosemip 3206] 「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」に関係した人たち
■125 ■061206-2 [ml-prosemip 3198] 『Core Ethics』論文へのコメント(天田)
■124 ■061206-1 [ml-prosemip 3188] 二木本・西村本・石井論文ほか+(天田)
■123 ■061205 [ml-prosemip 3185] 本日の予定(天田)
■122 ■061128 [ml-prosemip 3148] 12月上旬の予定(天田)
■121 ■061123 [ml-prosemip 3137] 明日の予定(天田)
■120 ■061120 [ml-prosemip 3115] リハビリテーション/療法関連文献(天田/主に田島さん)
■119 ■061117-2 [ml-prosemip 3092] 来週の予定(天田)
■118 ■061117-1 [ml-prosemip 3091] 日比間の移動に関する記事(主に永田さん宛て)
■117 ■061116 [ml-prosemip 3084] アルツハイマー関連本(天田)
■116 ■061115 [ml-prosemip 3081] 京大COE「哲学系若手研究者育成プロジェクト」研究会のお知らせ
■115 ■061112-3 [ml-prosemip 3056] 今月の巡業(天田)
■114 ■061112-2 [ml-prosemip 3055] 認知症介護研究会(案内)
■113 ■061112-1 [ml-prosemip 3054] 犯罪被害者関連情報(主に大谷(通)さん)
■112 ■061111 [ml-prosemip 3048] 研究会のお知らせ(天田)
■111 ■061108 [ml-prosemip 3037] 今週・来週の予定(天田)
■110 ■061107 [ml-prosemip 3031] 学振関連MLのバックナンバー
■109 ■061106-2 [ml-prosemip 3030] 「学振面接対策」の面談・2
■108 ■061106‐1 [ml-prosemip 3028] 「学振面接対策」の面談・1
■107 ■061103-2 [ml-prosemip 3008] 学振面接対策の日程調整
■106 ■061103-1 [ml-prosemip 3004] 音楽療法関連文献
■105 ■061101 [ml-prosemip 2990] 学振関連(天田)
■104 ■061030 [ml-prosemip 2983] 医学哲学・倫理学会報告(天田)
■103 ■061024 [ml-prosemip 2961] 今週の予定(天田)
■102 ■061013-2 [ml-prosemip 2912] 「研究倫理なるもの」についての文章掲載
■101 ■061013-1 [ml-prosemip 2908] 立教大学社会学部シンポジウムの案内(その2)
■101 061013-1 [ml-prosemip 2908] 立教大学社会学部シンポジウムの案内(その2)
天田です。
立岩さんのMLにて紹介のあった連続公開シンポジウム
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/kohoka/simpo/index.html
の一つでもある立教大学社会学部主催のシンポジウム
が10月21日(土)13:00〜17:00にあります。
(受講料無料かつ申し込み不要とのことです)
私も講演することになっています。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061021.htm
(配布資料は来週なかば頃にアップします)
以前も以下のようにMLで
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#056
お知らせしましたが、ML新規加入の方々があるので一応。
取り急ぎ。
天田
■102 061013-2 [ml-prosemip 2912] 「研究倫理なるもの」についての文章掲載
天田です。
立岩さん、シンポジウムの補足をして頂き、ありがとうございました。
さて、「研究倫理なるもの」に関わる事柄についての文章を掲載しました。
http://www.josukeamada.com/bk/bpp38.htm
以上は、2006年7月31日(月)にあった研究会
http://www.josukeamada.com/bk/bsp96.htm
のテープ起こし原稿をざっと簡単に校正しただけの文章です。
(同じことの繰り返し多し)
現在、『Core Ethics』をはじめとして、論文の執筆作業をしている人もいますし、
調査をしている人もいるかと思い、一応、お知らせ致します。
MLバックナンバーは以下。
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#054
取り急ぎ。
天田
■103 061024 [ml-prosemip 2961] 今週の予定(天田)
天田です。
諸々の事情によりしばらくご無沙汰しておりました。
今週末の10月28日(土)29日(日)に
第79回日本社会学会大会(於:立命館大学)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/research/index.html
があり、13名の方々が発表されるかと思います。
発表される皆さん、がんばってください。
(私は28日(土)のみ参加する予定です)
同日の28日(土)、29日(日)には
第25回日本医学哲学・倫理学会大会(於:大阪大学)
http://pe-med.umin.ac.jp/25th_meeting.html.htm
があり、大谷(い)さんが10月29日(日)に発表されます。
私も29日(日)のシンポジウム
「老いること、衰えること、死を迎えること」
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061029.htm
にて話をする予定です。(資料は明日にもアップします)
以上、簡単ですが、ご案内まで。
取り急ぎ。
天田
■104 061030 [ml-prosemip 2983] 医学哲学・倫理学会報告(天田)
天田@本日免許センターで2時間も講習を受けさせられた、です。
*
以下、生命MLに送付したものとほぼ同文。重複受信の方々、乞容赦。
------------------------
天田です。
大谷さん、川口さん、ありがとうございました。
また、大谷さん、発表お疲れさまでした。
日本医学哲学・倫理学会大会(於:大阪大学豊中キャンパス)は私の諸々の準備不足、認識不足もあり、どうしたものか、でした。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061029.htm
私の報告は、実に「単純極まりない話」でして、現実に、事実として、
@高齢者はこのように死んでいる(と、死後、その家族は語っている)、
Aその語りの内容は様々な人が「公的」に言っていることと大差なく、退屈で平板なものでありながら、幾重にも奇妙な捩れがある、
Bその実、その奇妙な構成によって、あるいは肉親が死んだ後にその奇妙な語りを口にすることで≪死に放擲される老い≫の現実が(転倒する形で)「よいもの」「致し方なかったもの」とされている。
Cただ、そうした転倒や相互に矛盾することの接合の形式であるにもかかわらず、であるがゆえに、人々に受容される構図になっている。
こんな(誰でも知っている/考えれば分かるような)お話でした。
近いうちに、きちんとまとめたいと思っています。
取り急ぎ。
天田
■105 061101 [ml-prosemip 2990] 学振関連(天田)
天田です。
多くの方々、学振関連でのご連絡ありがとうございました。
学振の採否は「テーマ」や「時代状況」が大きく左右しますので、不採択で残念であった方々も来年度PD申請等を目指して頑張っていただければと思います。なお、PDについての質問等がありましたら、いつでもご相談にのります。
なお、面接に進む方々は今後の対策を考えておく必要があります。こちらも早めに相談してください。数名の方々には面接に必要なポスターの準備作業等についてすでにお伝えしていますが、それ以外にも留意すべき点がいくつもあります。どうか「早め」にお願いします。
(上記については立岩さんと調整をしながら、「対策」を考えたいと思います)
取り急ぎ。
天田
■106 061103-1 [ml-prosemip 3004] 音楽療法関連文献
天田です。
以下、坂下さんにコメントしたものの一部抜粋。
関心のある方、関係のある方もいるやもしれないと思い、MLにてお知らせさせて頂きます。
----- Original Message -----
[略]
先日、(修正前の)論文についてのコメントを書きましたが、
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#093
特に押さえることは、
@「音楽」と「療法」という(もともと様々な議論があった話ではあるにせよ)がそれぞれどのように語られ、両者は定位されてきたのか、そこでは何が語られ、何が語られなかったのか、
A以上の議論は、「専門性」や「資格」との議論とどのように関係しているのか、あるいはそれらの議論はどのように変転したのか/していないのか。加えて、「専門性」や「国家資格化」の話が出来したのはいつ頃であり、それはどのような言及であったのか。
という部分です。
あれこれの話は後で(博士論文執筆の時に使うとして)、今回の論文に限定すれば、以下のように筋道を作っていくことが考えられるかと思います。
@はじめに
⇒ここは「音楽療法業界」の「専門性」と「資格化」をめぐっていかなる議論/論争があったのか、なかったのかにのみ照準して論を考察することを書いておくことが望ましいかと。
↓
A音楽療法と治療活動
⇒音楽療法がいかに定義されてきたのかについて概括した上で、実際に「音楽」と「療法」がそれぞれどのように位置づけられ、結び付けられてきたのかについての議論/論争の参照が十分でないように思われます。ここをしっかりと押さえた上で、それが後の「専門性」や「資格化」との関係とどのように接続しているのか/いないのかを議論していく理路になってくるので、この部分は重要になるかと思います。
この部分が【押さえるべき点@】に対応してくる箇所かと思います。
したがって、「2-3」の調査結果についての記述は議論がかえって拡散してしまうため、今回は削除したほうがよいかと思います。
B学会内における音楽療法の位置づけ
C国家資格化と認定制度への危機感
⇒これが【押さえるべき点A】の部分に対応してくるかと思うます。
さしあたり、以上をより多くの先行研究を参照しつつ、丁寧にまとめていく作業が求められているかと思います。
---------------------------------------------------
★
もう一つ。以前、立岩さんからも紹介があった、
http://www.arsvi.com/0r/2006p4.htm#2278
◆ケニー,キャロライン.2006-06-20.『フィールド・オブ・プレイ――音楽療法の「体験の場」で起こっていること』春秋社.
ISBN:4393934881.198p.19cm(B6).:\2,520(税込)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4393934881.html
ですが、坂下さんにとって(とってつけた感は否めないにしても)(参考文献に挙げられているものなどは)使える部分もあるかと思います。使えるものは使っていくということが一番望ましいかと。(この本はものの30分もあれば読み終えることができます)
この本のエッセンスは簡単に言えば以下のようなお話です。
@米国において、音楽療法はもともと第二次世界大戦の帰還兵で生きる意欲を喪失した兵士たちへの治療として1940年代後半に始まったが、その後、行動科学的視点からの分析が中心となった。
Aしかしながら、1970年代半ばから、音楽/音楽療法に随伴する「創造性」や「意識の変性」をめぐって行動科学的立場とそれに対立する立場のせめぎあいがあった。
例えば、1968年のガストンに始まる「音楽療法士養成プログラム」は行動科学的な視点を採ることによって、「結果として、音楽療法が専門的な職業として認知されるのに、おおいに貢献することになった」(P.35)が、当時からこうした視点への批判は常にあった。
Bそれに批判的な人たちは「クオリティ・オブ・ライフ」とか、「関係性」 とか、「音の場」であるとか、「創造的プロセス」を強調した。筆者は後者の立場に立脚し、それらの根拠づけを行おうとしている。(が、それは、私=天田から言わせれば、全くうまくいっていないが…)
Cでは、「体験の場」「儀式を通じた意識の変性」「創造的プロセス」とは実際にどのように記述し得るのかを検討してみる。
D平たく言えば、要するに「音楽療法には(行動科学的な認識論)とは異なった諸々の可能性があるのだ!」という主張をしている。(が、それはやはりうまくいっているとは私には思えない…)
ただ、米国における「音楽療法」においても様々な争点があり、そしてそれに絡みつつ「専門性」が主張されたことはあったようで、そのあたりも追加的に書き込んでおくことはあってもよいかもしれません。(むろん、上記だけでは(論文的な体裁を整えるためだけでは)、実に姑息な感じがしないでもないですが、重要な点は、今後、博士論文のための準備とすることであるかと思いますので、その準備として、という意味で言っております)。
---------------------------------------------------
★
以下、全く「きちんと読む必要」はないと思いますが、一瞥してもよいかもしれない本です。幾つかの文献とネット上で調べて列記しただけですので、参考になるか分かりませんが、一応、挙げておきます。
◆ジュリエット・アルヴァン.1969/01.桜林仁・貫行子訳.『音楽療法』音楽之友社.ASIN: 4276122805.
http://www.amazon.co.jp/%C2%97f3i7dv42ld5-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3/dp/4276122805/sr=1-155/qid=1162306873/ref=sr_1_155/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆Even Ruud,村井 靖児訳.1992/03.『音楽療法――理論と背景』ユリシス.ASIN:4896961994.
http://www.amazon.co.jp/%C2%97f3i7dv42ld5-15t06%C2%8Ad6068%C2%80ccf6f-Even-Ruud/dp/4896961994/sr=1-122/qid=1162306552/ref=sr_1_122/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆シャーリー・ラブ ウィンストン、Shirley Rabb Winston.2003/02.『音楽療法』中央アート出版社.ASIN: 4813601286.
http://www.amazon.co.jp/%C2%97f3i7dv42ld5-%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4813601286/sr=1-1/qid=1162306088/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆ハンス=ヘルムート デッカー=フォイクト, Hans‐Helmut Decker‐Voigt, 阪上正巳・斎藤考由・水野美紀・加藤美知子・真壁宏幹訳.2004/09.『音楽療法事典(新訂版)』人間と歴史社.ASIN: 4890071520.
http://www.amazon.co.jp/%C2%97f3i7dv42ld5N8bQ78-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9-%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%88/dp/4890071520/sr=1-53/qid=1162306288/ref=sr_1_53/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆E T Gaston.1968/06.Music in Therapy.Collier-Mac. ASIN: 002340700X.
http://www.amazon.co.jp/Music-Therapy-E-T-Gaston/dp/002340700X/ref=sr_11_1/503-3434189-7414334
◆Donald E.Michel.1985/05Music Therapy: An Introduction, Including Music in Special Education(2nd.ed).Charles C Thomas Pub Ltd.ASIN: 0398050635.
http://www.amazon.co.jp/Music-Therapy-Introduction-Including-Education/dp/0398050635/sr=1-2/qid=1162304287/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Even Ruud.1986/06.Music and Health.Mmb Music.ASIN: 8270930415.
http://www.amazon.co.jp/Music-Health-Even-Ruud/dp/8270930415/sr=1-2/qid=1162305279/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Even Ruud.1995/06.Music Therapy and Its Relationship to Current Treatment Theories.Mmb Music.ASIN: 0918812143.
http://www.amazon.co.jp/Therapy-Relationship-Current-Treatment-Theories/dp/0918812143/sr=1-4/qid=1162305876/ref=sr_1_4/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Mercedes Pavlicevic.1997/05.Music Therapy in Context: Music, Meaning and Relationship.Jessica Kingsley Pub.ASIN: 1853024341.
http://www.amazon.co.jp/Music-Therapy-Context-Meaning-Relationship/dp/1853024341/sr=8-14/qid=1162304009/ref=sr_1_14/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Even Ruud.1998/01.Music Therapy: Improvisation, Communication & Culture.Barcelona Pub.ASIN: 1891278045.
http://www.amazon.co.jp/Music-Therapy-Improvisation-Communication-Culture/dp/1891278045/sr=1-3/qid=1162305777/ref=sr_1_3/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆David Aldridge.2000/11/17.Music Therapy in Dementia Care.Jessica Kingsley Pub.ASIN: 1853027766.
http://www.amazon.co.jp/Music-Therapy-Dementia-David-Aldridge/dp/1853027766/sr=8-31/qid=1162303884/ref=sr_1_31/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Donald E.Michel, Joseph Pinson.2005/01.Music Therapy In Principle And Practice.Charles C Thomas Pub Ltd.ASIN: 0398075433.
http://www.amazon.co.jp/Therapy-Principle-Practice-Donald-Michel/dp/0398075433/sr=1-3/qid=1162304425/ref=sr_1_3/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Anthony Meadows.2005/2/28.Qualitative Inquiries in Music Therapy Research.Barcelona Pub.ASIN: 1891278290.
http://www.amazon.co.jp/Qualitative-Inquiries-Therapy-Research-Monograph/dp/1891278290/sr=8-42/qid=1162303682/ref=sr_1_42/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Even Ruud, Mercedes Pavlicevic, Gary Ansdell.2004/06.Community Music Therapy.Jessica Kingsley Pub.ASIN: 1843101246.
http://www.amazon.co.jp/Community-Music-Therapy-Even-Ruud/dp/1843101246/sr=1-1/qid=1162305119/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
取り急ぎ。
天田
■107 061103-2 [ml-prosemip 3008] 学振面接対策の日程調整
天田です。
日本学術振興会特別研究員
http://www.jsps.go.jp/j-pd/main.htm
に申請をした人たちで、第二次選考(面接選考)に進まれた方々は(私の認識で間違いがなければ3名の方々は)、諸々の「面接対策」をしていく必要があるかと思います。
したがって、今後の対策を考えていくためにも一度面談をしていきたいと思っています。最初は立岩さんと天田で面談をしたいと思います。
ML上でやりとりしてもOKの人たちはMLにて返信をください。個別に返信を希望される人は天田までメールをください。
現在のところ、日程としては、立岩さんの講義や予備演習などを想定すると、以下が候補として考えられるのではないかと思います。
来週であれば
11月06日(月)、07日(火)、08日(水)、09日(木)、10日(金)(09日(木)は立岩さんが講義のため16:00まで)のいずれか、
その翌週であれば、11月13日(月)、14日(火)、15日(水)、16日(木)(09日(木)は立岩さんが講義のため16:00まで)のいずれか、
になるかと思います。
面接に進む方々は、来週、その翌週のいずれの日のうち、都合のよい日に○をつけて(あるいは都合のよい時間○○〜○○までOKなどを記して)、天田まで返信をください。
★
なお、面談の際には、
@提出した学振申請書、
Aポスター案(面接の当日はA0版のポスターを用意すること
になりますが、準備段階ではA4版のものでよいかと思います)。
第二次選考(面接選考)は、ひとりの面接時間は10分間しかなく、その10分とて、最初の4分間で自分の研究の説明(これまでの研究業績、今後の研究計画)をし、その後、6分間の質疑応答になります。したがって、実質4分間で自分の研究のエッセンスを話すことになりますので、確実に相手に研究内容とそれを遂行する能力と意思を伝えることが大事になります。詳細については面談の時にまたお伝えします。
ということで、学振面接予定の方は、「面接対策」のための面談の日程について天田までお知らせください。
どうぞよろしく。
天田
■108 061106-1 [ml-prosemip 3028] 「学振面接対策」の面談・1
天田です。
[ml-prosemip 3008] 学振面接対策の日程調整
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#107
にてお伝えしたように、学振の「面接対策」の面談をします。
日程調整をした結果、3名の方々から以下のように返信をいただきましたので、最初は11月09日(木)10:00〜15:00で面談をしたいと思います。
> 11月09日(木) ○(午後〜障害学研究の前まで)
> 11月09日(木) ○(終日)16:00まで
> 11月09日(木) 午前中○ 16:00まで
面談の際には、
@提出した学振申請書、
Aポスター案(A4版)
(+学振申請書提出後の研究業績の一覧)
の準備をよろしくお願いします。
立岩さんと天田、面接予定者の3名での面談になります。
ただ、面接予定者の方々がいやでなければ、他の院生も参加できる形が望ましいと思います。「いやいや非公開にしてほしい」という方がいましたら、天田までメールをお願いします。そうでなければ、他の院生も参加可能な場として設定したいと思います。
取り急ぎ。
天田
■109 061106-2 [ml-prosemip 3030] 「学振面接対策」の面談・2
天田です。
[ml-prosemip 3008] 学振面接対策の日程調整
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#107
[ml-prosemip 3028] 「学振面接対策」の面談・1
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#108
にてお伝えしたように、学振の「面接対策」の面談をします。
11月09日(木)10:00〜15:00 於:創思館307
という線で面談を予定しています。参加者は面接予定者の3名の方々と、立岩さん・天田の計5名となります。
今回は、面接予定者の意向で「オープンにしない」ことになりそうです。
来年度に学振を申請する予定の方々にとって参考になるかどうかは分かりませんが、今年度の学振についての天田発のML一覧を別便にてお知らせします。
前便の通り、面接予定者の方々は、面談の際には、
@提出した学振申請書、
Aポスター案(A4版)
(+学振申請書提出後の研究業績の一覧)
の準備をよろしくお願いします。
取り急ぎ。
天田
■110 061107 [ml-prosemip 3031] 学振関連MLのバックナンバー
天田です。
以下、来年度、日本学術振興会特別研究員への申請を考えている方々に、ご参考まで天田発のML一覧を掲載しておきます。
(今年度は個別的に面談し、その面談の中で研究の「筋」を作っていくための議論をしているために)私のMLはほとんど内容はありませんが、いつの時期にどのようなやりとりがあったかは確認できるかと思います。僅かでもご参考になれば幸いです。
(なお、これは来年度に入院される方に、あとで告知するのを忘れないようにするための個人的メモで<も>あります)
取り急ぎ。
天田
★
「3」と「5」が2つありますが、単純なミスです。無視してください。
[ml-prosemip 1798] Re:学振について(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#006
[ml-prosemip 1885] 学振関係(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#009
[ml-prosemip 1894] Re: 学振関係+その他について
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#012
[ml-prosemip 1898] Re: 学振関係→返信:安部さん
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#014
[ml-prosemip 1925] 学振書類について・2(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#015
[ml-prosemip 1956] 学振書類について・3(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#017
[ml-prosemip 1961] 学振書類について・3(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#020
[ml-prosemip 1979] 学振書類について・4(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#021
[ml-prosemip 1987] 学振書類について・5(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#023
[ml-prosemip 2045] 学振書類について・5(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#027
[ml-prosemip 2047] 学振書類について・6(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#028
[ml-prosemip 2059] 学振書類について・7(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#029
[ml-prosemip 2080] 学振書類について・8(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#030
★
ついでに立岩さん発のMLも以下に引用。(勝手に無断引用)
[ml-prosemip 1941] 23・日曜(確認)
http://www.arsvi.com/0r/2006p2.htm#1941
[ml-prosemip 1970] オリジナリティについて
http://www.arsvi.com/0r/2006p2.htm#1970
[ml-prosemip 1975] 0506(土)/0507(日)あたり?
http://www.arsvi.com/0r/2006p2.htm#1975
[ml-prosemip 1998] 5月7日(日)演習
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#1998
[ml-prosemip 2023] 学振書類の件
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2023
[ml-prosemip 2035] 学振評価書の件
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2035
[ml-prosemip 2050] 書類作成についてのつまらぬ注意
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2050
[ml-prosemip 2052] 木曜(以降)
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2052
[ml-prosemip 2054] 18日木曜
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2054
[ml-prosemip 2057] 19〜21
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2057
[ml-prosemip 2068] Re: [ml-prosemip 2067] 学振申請書
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2068
[ml-prosemip 2069] 書類作成上の
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2069
[ml-prosemip 2071] 本日+
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2071
[ml-prosemip 2075] 学振書類・再度確認
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2075
[ml-prosemip 2078] 学振・研究課題他を
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2078
[ml-prosemip 2083] 学振
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2083
[ml-prosemip 2096] 学振(最終?)
http://www.arsvi.com/0r/2006p3.htm#2096
■111 061108 [ml-prosemip 3037] 今週・来週の予定(天田)
天田です。
今週、来週の予定は以下の通りです。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#11
今週の私の予定としては、明日11月9日(木)は10:00〜15:00まで「学振面接対策」の面談(非公開)、15:30〜16:30は打ち合わせ、16:30〜18:00は面談、18:00〜19:30頃?は新聞社の取材となっています。
なお、ここのところ、三番目の子が著しく体調を崩しておりましたゆえ(おまけに二番目の子はヘルペスになったため)、仕事をサボっておりましたが、ようやく安定してきましたので、来週あたりからは「きちんと」仕事に臨むつもりです。
来週は11月14日(火)、17日(木)に面談受付中。必要のある人は声を掛けてください(ただし、面談希望が重複した場合には、来週/再来週に限り、学振面接予定者を優先します)。また、『Core Ethics』関係、予備論文関係でもどうぞ。
----------------------------------------------
[略]
----------------------------------------------
★
ちなみに、11月16日(木)は、清泉女子大学にて話をすることになりました(10:40〜)。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061116.htm
(その日は仕事を休みますが、別のところで、きちんと時間を補って、ちゃんと給料分は働くようにします)
取り急ぎ。
天田
■112 061111 [ml-prosemip 3048] 研究会のお知らせ(天田)
天田@本日は終日「校区のつどい」とやらに動員?でした、です。
先日、私も討論者として参加した研究会(於:京都大学)
http://www.josukeamada.com/bk/bsp94.htm
の「その2」が1月14日(日)14:00〜17:30にあるそうです。
以下、企画者による研究会のお知らせを貼付しますが、少人数の研究会のため、人数調整が必要とのことですので、参加希望の方々は事前に連絡をすることになるかと思います。ということで、もし参加を希望される方がいましたら、天田までご連絡ください。企画者にその旨伝えておきます。
(後日、詳細が決まりましたら、再度、告知アナウンスをするように致します。まずはとりあえずということで)
取り急ぎ。
天田
(なお、上記のような事情があるようですので、当座、以下の部分はHPに掲載しません/URL等の情報は天田が付け加えています)
------------------------
[以下、略]
■113 061112-1 [ml-prosemip 3054] 犯罪被害者関連情報(主に大谷(通)さん)
天田です。
以下、研究所主催の連続公開講座の情報です。
一応情報が届きましたので、主として大谷(通)さんを宛先にして転送いたします。すでによくよくご存知の人かと思いましたが、一応、ということで。
---------
立教大学社会福祉研究所
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/r-fukushi/
連続公開講座「社会福祉のフロンティア」第25回
テーマ:「被害者保護の現状と課題――被害者が求めること、私たちができること」
講師:片山徒有(かたやま ただあり)氏
日時:2006年12月4日 18:00〜20:30
場所:立教大学池袋キャンパス7号館1階7101教室
※申込不要・聴講無料
【講師プロフィール】
「あひる一会(あひるのいちえ)」(被害者支援団体)代表・「市民の裁判員制度をつくろう会」代表世話人。1997年に、次男の片山準くん(8歳)をひき逃げ事故で亡くし、犯人のダンプカー運転手を検察が不起訴にしたことから、署名運動を展開、検察は異例の不起訴撤回をし謝罪した。著書に『準までとどけ7通の手紙―父が息子のためにできること』河出書房新書、1999、『犯罪被害者支援は何をめざすのか―被害者から支援者、地域社会への架け橋』現代人文社、2003など。
---------
■あひる一会HP
http://homepage2.nifty.com/AHIRU/
■市民の裁判員制度をつくろう会HP
http://www.saiban.org/old/index.htm
■114 061112-2 [ml-prosemip 3055] 認知症介護研究会(案内)
天田です。
次回の認知症介護研究会についての詳細はまだ決まっていないようですが、日程のみお伝えさせて頂きます。
ご関心のある方々は天田までご連絡ください。事務局にそのようにお伝えします。
(>坂下さん ご都合がよければ、ぜひ参加してみてください)
日時:2007年3月31日(土)14:00〜18:00
場所:未定(たぶん、高齢者福祉総合施設ももやま会議室)
内容:未定
http://www.josukeamada.com/og/ssdc.htm#070331
取り急ぎ。
天田
■115 061112-3 [ml-prosemip 3056] 今月の巡業(天田)
天田です。
来週11月22日(水)は熊本巡業(第四弾)
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061122.htm
に行ってきます。
多くはその目的のためというよりも、諸般の事情のために、今年度は複数回この地に行くことになっております。この日は仕事を休みますが、別のところで補って、きちんと働きます。
ちなみに、私はこのNPOの理事ということになっておりますが、理事会は初回を除き、参加したことがないという実に許されざる状況にあります。
なお、12月25日(月)〜30日(土)は熊本巡業(第五弾)
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061225.htm
に行くことになります。(これが最後の熊本巡業です)
一応、皆さんには事前にお知らせをしておきます。
取り急ぎ。
天田
■116 061115 [ml-prosemip 3081] 京大COE「哲学系若手研究者育成プロジェクト」研究会のお知らせ
天田です。
案内を頂きましたので、以下、転送します。
取り急ぎ。
天田
--------------
京都大学大学院文学研究科21世紀COEプログラム
「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/
「現代科学・技術・芸術と多元性の問題」(略称PaSTA研究会)
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/pasta/index.html
◆
「哲学系若手研究者育成プロジェクト」
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/pasta/ypp.html
第1回「哲学系若手研究者育成プロジェクト」研究会:「生物学の哲学と心の哲学の接点」
日時:11月18日(土)午後2:00-6:00
会場:京都大学文学部東館4階 COE研究室
第2回「哲学系若手研究者育成プロジェクト」研究会:「統計学の哲学と推論」
日時:12月16日(土) 午後2:00-6:00 (予定)
会場:京都大学文学部東館4階 COE研究室(文学部東館4階北東)
■117 061116 [ml-prosemip 3084] アルツハイマー関連本(天田)
天田です。
ある人からの問い合わせへの応答として(2006年に出版された/一つは2005年ですが)以下の3冊をあげました。医療社会学・医療人類学・病の歴史…等に関する人たちはざっと一読してもよいかも悪くはないかもしれません。
なお、3冊とも、それぞれ違った文脈で読むことを強くお薦めします。
取り急ぎ。
天田
◆Heidi Ehernberger Hamilton.2005.Conversations With an Alzheimer's Patient: An Interactional Sociolinguistic Study.Cambridge Univ Pr.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521023181/ref=pd_luc_mri/503-3434189-7414334?%5Fencoding=UTF8&m=AN1VRQENFRJN5
◆Jesse F. Ballenger.2006.Self, Senility, And Alzheimer's Disease in Modern America: A History.Johns Hopkins Univ Pr.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0801882761/ref=pd_ecc_rvi_cart_2/503-3434189-7414334
◆Annette Leibing, Lawrence Cohen.2006.Thinking About Dementia: Culture, Loss, And the Anthropology of Senility.Rutgers Univ Pr.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0813538033/ref=pd_ecc_rvi_cart_3/503-3434189-7414334
■118 061117-1 [ml-prosemip 3091] 日比間の移動に関する記事(主に永田さん宛て)
天田です。
本日(すでに昨日)、東京で、共同通信の記者の取材を受けました。
その時に偶然に話が出たのですが、その記者の方が以下のような記事を(フィリピンでの取材なども踏まえて)執筆したそうです。
(掲載は別の新聞社ですが、発信は共同通信社)
なお、その記者の方に話を聞くこと等も可能です。言って頂ければつなぎますので、声をかけてください。
高齢者の話なので、あまり参考にならないかもしれませんが、どうもこうしたことを通じても様々な関係があり、またその手の業者も乱立しているとのことです。
取り急ぎ。
天田
なお、新聞記事検索からの無断転用のため、以下はHPには掲載しない予定です。
----------------------------
[略]
■119 061117-2 [ml-prosemip 3092] 来週の予定(天田)
天田です。
来週11月21日(火)は終日大学にいますので、面談希望の方、どうぞ。
とりわけ、予備論文をまさに執筆している最中の人たちや、1回生の人たちでそろそろ来年のことを…と考えてい人たちは(後者の方たちとはこれまであまり面談していないこともありますので)都合がよければどうぞ声をかけてください。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#11
取り急ぎ。
天田
■120 061120 [ml-prosemip 3115] リハビリテーション/療法関連文献(天田/主に田島さん)
天田です。
諸々の事情から以下の本を読むことになり、ざっと読みましたが、リハビリテーション、作業療法に関する言及がありましたので、一応、ご紹介させていただきます。(これらを読む時には、こうした言及・論考をどこに/どのように位置づけるかが問われるかと思います)
取り急ぎ。
天田
◆Cheryl Mattingly.1998/10/8.Healing Dramas and Clinical Plots: The Narrative Structure of Experience.(Cambridge Studies in Medical Anthropology, 7).Cambridge Univ Pr.ASIN: 0521639948.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0521639948/sr=1-4/qid=1163957226/ref=sr_1_4/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Cheryl Mattingly, Maureen Hayes Fleming.1994/1/15.Clinical Reasoning: Forms of Inquiry in a Therapeutic Practice.F a Davis Co.ASIN: 0803659377.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0803659377/sr=1-1/qid=1163957177/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
◆Cheryl Mattingly, Linda C. Garro.2000/12/4.Narrative and the Cultural Construction of Illness and Healing.Univ of California Pr.ASIN: 0520218256.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0520218256/sr=1-2/qid=1163957068/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=english-books
■121 061123 [ml-prosemip 3137] 明日の予定(天田)
天田です。
明日は「学振面接予行?」を10:00〜16:00まで行います。場所は創思館307の「論文指導室」にて。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#11
それ以降、16:30〜、面談希望される方がいましたら、面談受け付けます。アポイントなしでどうぞ。
取り急ぎ。
天田
■122 061128 [ml-prosemip 3148] 12月上旬の予定(天田)
天田です。
12月上旬の私の予定は以下の通りです。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#12
今のところ、12月01日(金)、12月05日(火)、12月08日(金)は確実に、終日、大学にいる予定ですので、面談などが必要あらば、声をお掛け下さい。
---------------------------------
[略]
---------------------------------
※
なお、先日よりお伝えしていますが、私のほう、12月25日(月)〜30日(土)まで不在となります。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061225.htm
こうしたこともあり、もし面談、あるいはメールでのやりとりが必要であれば、早めに声をお掛け頂ければと思います。どうぞ宜しくお願いします。
取り急ぎ。
天田
■123 061205 [ml-prosemip 3185] 本日の予定(天田)
天田です。
本日は13:00〜田中さん、15:00〜大谷(通)さんとの面談。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#12
したがって、 13:00までは予定が入っていませんので、どなたでもアポなしでどうぞ。本日は終日9:00〜17:30頃まで創思館307にいます。
取り急ぎ。
天田
■124 061206-1 [ml-prosemip 3188] 二木本・西村本・石井論文ほか+(天田)
天田です。
ここのところ、諸々の仕事を溜め込んでいて、MLしておりませんでしたが、コメントと告知。
立岩さんがこのところ書かれている、
『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究事業報告書』(1997)&
『老人病院案内』&二木本、西村本、石井論文ほか
http://www.arsvi.com/0r/2006p6.htm#3154
http://www.arsvi.com/0r/2006p7.htm#3168
http://www.arsvi.com/0r/2006p7.htm#3187
ですが、改めて興味深く拝読。
なお、上記『「福祉のターミナルケア」に関する…報告書』についての
向井承子『患者追放』(2003)での言及は以下。
http://www.arsvi.com/0w/mkisuk.htm
(ちなみに、この報告書は私のいる業界でも話題になったものです)
「話は数年前にさかのぼる。1997年11月。東京の永田町で「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」と名付けたシンポジウムが開かれた。老年医学者の横内正利氏、社会保障の専門家で有料老人ホームの経営者である滝上宗次郎氏、医師で病院経営者、医療政策の専門家である石井暎禧氏らが呼びかけ人だが、かねがねこのことが気になっていた私も患者・家族の立場ということでそのひとりに加えていただいていた。/シンポジウムは、メディアに大きくとり上げられることこそなかったが、その後、専門誌(『社会保険旬報』)での長い論争(石井暎禧氏、横内正利氏と広井良典氏による)のきっかけとなり、いまふり返っても、制度の枠組みが大きく転換していく過程で、医療と福祉の最前線の政策思想と技術倫理と現場の実情が真剣勝負でぶつかりあうきっかけになったと思う。/ことの発端は一冊の報告書だった。『「福祉のターミナルケア」に関する調査研究報告書』と題され、厚生労働省の外郭団体である長寿社会開発センターが1996年度の調査研究事業報告書 <179< として世に出したものだった。/(中略)/だが、報告書の筆者が「ターミナルケアが『医療』の問題として論じられるかぎり……どうしても技術論に傾いてしまう。……(これからのターミナルケアでは)医学的介入の必要性の薄 <180< い『死』のあり方が確実に増え、言い換えれば、長期ケアないし『生活モデル』の延長線上にあるような、いわば『福祉のターミナルケア』が非常に大きな位置を占めるようになるんではないか」と言い切るのには違和感を覚えた。それは生と死の文化が政策的な意図をもった文脈、いわば「政策論」にとりこまれているような違和感だった。/(中略)/「生活モデルを」との主張への違和感は、その現状の分析が伝わってこないためだった。死の場面で「技術論」を否定するのならば、その前に、おとしよりたちをあえて死なせたり悪化させたりしないように、死を追い込まないためにも、「医療の質」の技術評価をこそしてほしかった。」(向井 2003:179-181)
「『福祉のターミナルケア』論は、母のケースを思い起こすとさらに理不尽だった。母だけではな <182< い。必要な医療も受けられず、医療不在の場で病状を悪化させられ、寝たきりに追い込まれ、病状や障害が重くなるにつれ医療から排除されていった人びとの姿が心に焼きついて離れないままだった。「そろそろ畳の上の大往生を」……。死に時をまるで政策にとって都合のよい鋳型にはめこむような、このてのキーワードを何度、聞かされたことだろう」(向井 2003:182-183)
この領域で何が言われていたのか、「高齢者医療」「終末期医療」に対して何がしかを(例えば「生活モデル」などを)言ってきた人たちがどのあたりに着地してしまっている(いた)のか、その配置を考えてみることはこれだけでおもしろいものになると思います。私はこの数年引きこもってでも「高齢化」とか「人口」の話との絡みで、この問題を考えるべきだと思っています。
なお、別件のようで、全く別件ではない話ですが、上記のような諸言説が様々に語られる中で、たとえば、一つとして、建築(学)の人たちが何を言ってきたのか、などを考えるのも悪くはないと私は勝手に思っています。
たとえば、故・外山義さん
http://www.arsvi.com/0w/srismsak.htm#20030715
などをはじめ、建築(学)の中でも様々に語られてきたが、そこで不問に付されている現実があり、またそこから(往々にして)着地してしまう落としどころがあるが、それはいったいどのような仕掛けによってそのようになっているのか、などを考えてみることが大切だと思っています。
で、今週12月09日(土)、京都私学会館にて(上記を前提にしつつ)10月末に医学哲学・倫理学会にて話した内容について話す予定です。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp061209.htm
■125 061206-2 [ml-prosemip 3198] 『Core Ethics』論文へのコメント(天田)
天田です。
『Core Ethics』論文ですが、外部査読結果が投稿者の皆さんに送付されてきた(くる)かと思います。
それで、そろそろ諸論文へのコメントをしていきたいと思っています。
基本的にはMLにてコメントしますが、個別的にメールでやりとりを強く希望される方は(情報共有化のため、また諸々の煩雑さを避ける意味でも、天田、立岩さん、堀田さんとの同報メールでのやりとりになります)、事前に、その旨、(同じく同報メールにて)お伝えいただければと思います。
(ただ、MLにてコメントをする積極的な意義が私はあると思っていますので、特に問題がないようであれば、MLがよいのではないかと個人的には思っています)
なお、今回、私がコメントするのは、(前回コメントをしていない方々+私が積極的にコメントできそうな方々、である)
植村さん、小林さん、坂下さん、杉原さん、高田さん、竹中さん、藤原さん、山本さん(2本)、田島さん(研究ノート)
の10論文です。
それ以外の9論文(9名の投稿者の方々)は堀田さんが担当することになります。ということで、どうぞ宜しくお願いします。
立岩さんは学内業務で多忙を極めていますため、適宜、状況に応じて、その判断からコメントをするという形になります。
皆さんの『Core Ethics』論文を受け取ったのち、コメントを開始します(明日明後日には受け取れるかと)。どうぞよろしく。
ちなみに、以前からお伝えしているように、私は12月25日(月)から非常勤(集中)で1週間不在となります。したがって、上記のコメントは(遅くとも)この10日以内に送付します。
また、必要あらば、『Core Ethics』論文での「筋」を作っていくための/を再構成するための面談をしたいと思っています。
★
なお、12月8日(金)は10:30〜藤原さんと面談。その後、片岡さんと打ち合わせ。16:30〜予備演習に参加。
http://www.josukeamada.com/scheduleGP2006.htm#12
取り急ぎ。
天田
■126 061207-1 [ml-prosemip 3206] 「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」に関係した人たち
天田です。
立岩さん、HP掲載、有り難うございました。使えるものであれば、どんどん使って下さい。
以下、以前、中途半端な形で貼り付けておいたファイルに、先ほど幾つか検索して加筆したものです。マニアックな情報ですみません。
ただ、「老い」とか「(少子)高齢化」とかをやっている人は知っておくべき事柄のように思います。
以下、「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」の関連情報と、そのフォーラムに関係した人たちの情報です。
◆東京新聞 1998.01.12 朝刊 6頁 健康面 (全204字)
▼シンポジウム「高齢者に生きる権利はないのか」
24日午後1時半から、東京都千代田区永田町2の16の2、星陵会館。財団法人・長寿社会開発センターの調査報告「福祉のターミナルケア」の問題点を問う。基調報告・◆横内正利・浴風会病院診療部長。◆石井暎禧・石心会理事長。◆奥川幸子・医療ソーシャルワーカー、◆沢田愛子・富山医科薬科大教授ほか。参加費千円。問い合わせはフォーラム・末期医療を考える=電0429・64・3094。
(◆は引用者による加筆)
◆向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』筑摩書房 250p. ISBN:4-480-86349-4 1500
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480863494/ryospage03-22
「話は数年前にさかのぼる。1997年11月。東京の永田町で「フォーラム・末期医療を考える――老人に生きる権利はないのか」と名付けたシンポジウムが開かれた。老年医学者の◆横内正利氏、社会保障の専門家で有料老人ホームの経営者である◆滝上宗次郎氏、医師で病院経営者、医療政策の専門家である◆石井暎禧氏らが呼びかけ人だが、かねがねこのことが気になっていた私も患者・家族の立場ということでそのひとりに加えていただいていた。/シンポジウムは、メディアに大きくとり上げられることこそなかったが、その後、専門誌(『社会保険旬報』)での長い論争(石井暎禧氏、横内正利氏と◆広井良典氏による)のきっかけとなり、いまふり返っても、制度の枠組みが大きく転換していく過程で、医療と福祉の最前線の政策思想と技術倫理と現場の実情が真剣勝負でぶつかりあうきっかけになったと思う。」(向井 2003:179/◆は引用者による加筆)
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以下、フォーラムに/において関係した人たちの情報。
■■広井良典
http://www.arsvi.com/0w/hriysnr.htm
■■横内正利
◆横内正利.2001/07.『「顧客」としての高齢者ケア』(NHKブックス).日本放送出版協会.
197p.19cm.ISBN:4140019204.\913(税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140019204/sr=8-1/qid=1165417689/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
【内容(「BOOK」データベースより)】
寝たきりや痴呆、排泄や買物に援助を必要とする「弱い高齢者」たち。周囲からは「ああなっちゃおしまいだ」と思われがちだ。しかしその見方は彼らを傷つける。また禁煙や食事制限の杓子定規の強制は、楽しみを奪い、しばしば逆効果を生む。じつは弱い高齢者は価値観を変え、老いを受容して現在を前向きに生き、しかも生きがいを求めている。豊富な臨床体験から、高齢者本人の視点を軸に、「現在」「生活」「生きがい」の視点で高齢者ケアを見直す医療、介護関係者の必読書。
【内容(「MARC」データベースより)】
寝たきりや痴呆、排泄や買い物に援助を必要とする「弱い高齢者」たち。実は、彼らは生きがいを求めている。豊富な臨床体験を持つ著者が、高齢者の視点を軸に「現在」「生活」「生きがい」の視点で高齢者ケアを見直す。
【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
横内 正利
1946年生。東京大学医学部卒業。東京大学第三内科、国立循環器病センター内科医長、浴風会病院診療部長を経て、現在、いずみクリニック院長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
◆Newton Doctorにおける横内正利氏の紹介
http://www.newton-doctor.com/information/ryakureki.php?hospital_code=00002033&ka_code=s01&kind=incho
◆Newton Doctorにおけるいずみクリニックの紹介
http://www.newton-doctor.com/doctor/tokyo39/izumi/s01/
◆横内正利.1992/03.『老年者心電図の読み方と実例』医薬ジャ−ナル社.
190p.26cm.ISBN:4753213544.\4,725(税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4753213544/sr=8-2/qid=1165418526/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
■■滝上宗次郎
◆滝上宗次郎.2006/06/09.『やっぱり「終のすみか」は有料老人ホ−ム』(介護ライブラリー)講談社.
253p.20cm.ISBN:4062824043.\1,680(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062824043/sr=1-1/qid=1165422348/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
【出版社/著者からの内容紹介】
ホーム選びの極意を伝授
人生90年時代。高齢者のほぼ全員が車椅子の生活や認知症となる。要介護期間は多くが10年以上。家族介護が困難になった今、自らの人生を豊かに生ききる知恵がここにある。
【内容(「BOOK」データベースより)】
ホーム選びの極意を伝授。人生90年時代。高齢者のほぼ全員が車椅子の生活や認知症となる。要介護期間は多くが10年以上。家族介護が困難になった今、自らの人生を豊かに生ききる知恵がここにある。
【内容(「MARC」データベースより)】
人生90年時代。高齢者のほぼ全員が車椅子の生活や認知症となる。要介護期間は多くが10年以上。家族介護が困難になった今、自らの人生を豊かに生ききる知恵がここにある。ホーム選びの極意を伝授する一冊。
【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
滝上宗次郎
1952年、東京都生まれ。有料老人ホーム「グリーン東京」社長、東京女子医科大学(先端生命医科学研究所)非常勤講師。一橋大学経済学部卒業後、三菱銀行調査部に勤務。聖路加看護大学特別講師(医療経済)、一橋大学非常勤講師(産業組織論、現代経済学)をつとめる。公正取引委員会「有料老人ホームの広告検討会」など、数多くの公職も歴任。とくに橋本内閣の6大改革の一つである社会保障において、経済審議会「医療・福祉作業部会」座長、政府の行政改革委員会参与(厚生省担当)などの要職にあって、現在の社会保障改革の青写真を描いた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
◆滝上宗次郎.1998/12/01.『「終のすみか」は有料老人ホ−ム』講談社.
278p.20cm.ISBN:4062093308.\1,680(税込).入手不可.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062093308/sr=1-3/qid=1165422541/ref=sr_1_3/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆滝上宗次郎.1995/06.『福祉は経済を活かす――超高齢社会への展望』(勁草−医療・福祉シリ−ズ).勁草書房.
289p.20cm.ISBN:4326798955 \2,520(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4326798955/sr=1-4/qid=1165422492/ref=sr_1_4/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆滝上宗次郎.1993/07.『厚生行政の経済学――病院経営・医薬品・有料老人ホ−ム』(勁草―医療・福祉シリ−ズ ) 勁草書房.
282p.20cm.ISBN:4326798858.\2,520(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4326798858/sr=1-2/qid=1165422685/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
■■石井暎禧
http://www.arsvi.com/0w/isieik.htm
■■向井承子
http://www.arsvi.com/0w/mkisuk.htm
■■奥川幸子
社会事業大学専門職大学院非常勤講師.担当科目:ケアマネジメント演習.
http://www.jcsw.ac.jp/guniversity/s_teacher.html
(⇒ここの専門職大学院では上田敏氏、室伏君士氏らほか様々な人がいるようです)
◆奥川幸子.1997/01.『未知との遭遇――癒しとしての面接』三輪書店.
268p.19cm.ISBN:4895900622.NDC:146.3.税込\2,548.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4895900622/sr=8-8/qid=1165420219/ref=sr_1_8/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆直井道子・奥川幸子・小林博・橋本正明・片岡玲子・阿部志郎・木下安子・仲村優一・一番ケ瀬康子・児島美都子・古川孝順.1997/05.『老人福祉論(第2版版)』誠信書房.
230p.ASIN: 4414609100.¥2,573 (税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4414609100/sr=1-3/qid=1165420544/ref=sr_1_3/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆奥川幸子・田中千枝子.1995/08.『知って得するお年よりのケアを支える制度(第2版)』保健同人社.
95p.26cm.ISBN:4832701789.NDC:369.26.税込\968 ◆品切れ
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4832701789/sr=1-6/qid=1165420902/ref=sr_1_6/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆桑名忠夫・奥川幸子編纂.1995/06.『図説臨床老年医学講座11』メジカルビュー社.
191p.ASIN: 4895530892.価格¥19,950(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4895530892/sr=1-4/qid=1165420978/ref=sr_1_4/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆奥川幸子・田中千枝子.1991/04.『知って得するお年よりのケアを支える制度』保健同人社.
88p.26cmX19cm.ISBN:483270124X.NDC:369.26.税込\663.絶版
http://www.amazon.co.jp/gp/product/483270124X/sr=1-5/qid=1165420934/ref=sr_1_5/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆奥川幸子・小林博・橋本正明・片岡玲子・直井道子.1990/11.『老人福祉論』誠信書房.
228p.ASIN: 4414609038.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4414609038/sr=1-2/qid=1165420261/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆奥川幸子.1981/11.「あなたのような方は前の病院にもいたんですか」日本障害者リハビリテーション協会発行『リハビリテーション研究』第38号:36-37頁.
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r038/r038_036.htm
※DINF(障害保健福祉研究情報システム)『リハビリテーション研究』1981年11月(第38号)
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/
◆奥川幸子.2003/05/24.「魅力あるソーシャルワーカー、力あるソーシャルワーク」社団法人東京都医療社会事業協会発行.『医療ソーシャルワーク』52号.ISBN:4894910586.萌文社.定価(本体1500円+税).
http://www.hobunsya.com/hukushi.html
■■沢田愛子
http://www.arsvi.com/0w/swdaik.htm
◆沢田愛子.2005/05.『夜の記憶――日本人が聴いたホロコ−スト生還者の証言』創元社.
470p.20cm.ISBN:4422300393.\3,360(税込)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4422300393/sr=1-1/qid=1165421446/ref=sr_1_1/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
【出版社/著者からの内容紹介】
ヨーロッパのユダヤ人600万人を襲った未曾有の大虐殺、ホロコースト。本書は著者がイスラエルに赴き、日本で初めてその生還者たちに直接インタビューした貴重な証言集である。アンネの最期の様子を知る友人を始め12人が、収容所を奇跡的に生き延び、戦後イスラエルに定住するまでの劇的な人生のストーリーを生々しい言葉で多様に語り、深い感銘を与える。著者によるヨーロッパ各地の収容所跡地の旅行記も臨場感を高めている。
【内容(「BOOK」データベースより)】
ホロコーストのサバイバー12人が恐怖と不安を乗り越えて語った真実の言葉。
【内容(「MARC」データベースより)】
決して忘れてはならない、ホロコースト生還者12人が恐怖と不安を乗り越えて語った真実の言葉。その「証言」をよりよく理解できるよう、詳細な解説を収めるほか、ホロコーストの記憶を継承していくことの意味を考察する。
【著者からのコメント】
本書は、わが国では珍しいホロコースト生還者(サバイバー)の証言を集めた本であり、ここに紹介する証言はすべて、著者がイスラエルに出かけて行って、直接聞き取ったものばかりである。(略)わが国で類書が見当たらない現在、本書はさまざまな点で、必ずや読者を利するものになると確信する。著者の狙いは何よりも、証言を通して、人類最大の負の記憶を後世に伝えていくことの意味を本書から汲み取っていただきたいということである。
【著者について】
名古屋市生まれ。早稲田大学第一文学部人文専攻卒業。上智大学大学院哲学研究科博士前記課程修了(文学修士)。千葉大学大学院看護学研究科修士課程修了(看護学修士)。信州大学医学部博士(Ph.D)。三重県立大学看護短期大学助教授、北海道大学医療技術短期大学助教授、富山医科薬科大学医学部看護科教授を経て、現在山梨大学大学院医学工学総合研究部教授。専門はホロコースト生還者の研究、被爆者の研究、生命倫理学、看護倫理学、終末期看護学など。ESPMH(European Society of Philosophy of Medicine and Health Care)会員、日本生命倫理学会評議員、日本医学哲学倫理学会評議員等。主要著書『末期医療からみたいのち』(朱鷺書房)『今問い直す脳死と臓器移植』(東信堂)など。
【著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)】
名古屋生まれ。早稲田大学第一文学部人文専攻卒業。上智大学大学院哲学研究科博士前期課程修了(文学修士)。千葉大学大学院看護学研究科修士課程修了(看護学修士)。信州大学医学博士(Ph.D)。三重県立看護短期大学助教授、北海道大学医療技術短期大学部助教授を経て1994年から2004年3月まで富山医科薬科大学医学部看護学科教授。2004年4月から山梨大学大学院医学工学総合研究部教授となり現在にいたる。専門領域はホロコースト生還者の研究、被爆者の研究、生命倫理学、看護倫理学、終末期看護学等々。ESPMH員、国際共同プロジェクトValue of Nursingメンバー、国際共同プ
ロジェクト・ナチナースリサーチグループのメンバー、日本生命倫理学会評議員、日本医学哲学倫理学会評議員、日本死の臨床研究会世話人、神戸ユダヤ文化研究会会員、JIJ‐F会員、日本心理臨床学会会員等々(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
◆沢田愛子.1999/12.『今問い直す脳死と臓器移植(第2版) 』東信堂.
204p.21cm.ISBN:4887133464.\2,100(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4887133464/sr=1-4/qid=1165421932/ref=sr_1_4/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆沢田愛子.1998/10.『今問い直す脳死と臓器移植』東信堂.
147p.22cm.ISBN:4887133065.\2,100(税込).入手不可.
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4886025110/sr=1-2/qid=1165421684/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
◆沢田愛子.1996/04.『末期医療からみたいのち死と希望の人間学』朱鷺書房.
269p.19cm.ISBN:4886025110 \1,890(税込).
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4886025110/sr=1-2/qid=1165421886/ref=sr_1_2/503-3434189-7414334?ie=UTF8&s=books
■127 061207-2 [ml-prosemip 3207] 前々便+前便に関係しなくもない話
天田です。
前々便
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#124
前便
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#126
に関係しなくもない話で、以下のMLのことがあるかと思います。
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#057
上記とあわせて、医療・看護(学)・社会福祉(学)・建築学・社会学、
その他の領域で誰が何を言ってきたのか、確認していくことをしても
よいと思います。
取り急ぎ。
天田
■128 061207-3 [ml-prosemip 3209] 『「福祉のターミナルケア」に関する……』への言及
天田です。
探したらもう一箇所、同報告書に関する記述あり。一応、ということで。
◆向井 承子 20030825 『患者追放――行き場を失う老人たち』筑摩書房 250p. ISBN:4-480-86349-4 1500
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480863494/ryospage03-22
「最近(1997年末)、財団法人「長寿社会開発センター」というところから出た「福祉のターミナルケア」についての報告書を読んだ。ターミナル・ケアとは直訳すれば「終末期のケア」ということになるのであろうか。末期医療と訳されることもあり、使うものの意図を反映しやすいことばだと以前から思っていたのだが、この報告書でもやはりターミナル・ケアが実に戦略的に位置づけられているように感じた。まず、冒頭部の論文が「死は医療のものか?」との見出しで始まる。そして、これまでの「メディカル・タームで語られるターミナルケア」から「ノン・メディカルな、つまり医学的な介入の必要性の薄い……長期ケアないし『生活モデル』の延長線上にあるような、いわば『福祉のターミナルケア』が非常に大きな位置を占める」と問題提起をしてから、「『政策としてのターミナルケア』の課題」の検討に入っていく。/たった、数行の引用だが、医療や福祉関連の論文は難解で片仮名ことばの援用が多いものなのである。メディカルタームとか、ノン・メディカルとか、ターミナル・ケアなどと言われると学問的 <067< な感じだけれども、要はどこでどう老い、病み、死んだらいいのか、という話であり、これまで死が医療用語だけで語られてきたとの指摘はもっともである。産むのも死ぬのも病院まかせの現代人は、自分で生死の演出などとうの昔に投げ捨てているから、老人病院の悲惨な現実は聞き飽きるほど知っているのに、ではどうしたらいいのかわからないので困っているのである。せいぜい、「ぼっくりと死にたいねえ」と井戸端会議で言い合う程度では解決の糸口にならない。一般市民はそのレベルで、でも以前よりは少しぶつぶつ不安を口にし、悲鳴をあげながらどうしたら政策参加できるか悩み始めたところなのだが、報告書の方は一気に「ターミナルケアの経済評価」へと飛んでき、どうしたら終末医療にかけるお金を減らせるかという方向づけを試みる。/ガン末期の父親に退院を勧めるために使われたことばがふとよみがえった。/「お父さんはそろそろ畳の上の大往生の時期ですよ。幸せに逝かせてあげて下さい」/真に受けて退院させたとたん、大往生直前の憔悴し切った人はよみがえって歩きだしてしまったのは余談だが、死をどこでどう迎えるのか、自分や家族の意思を保障するにはどうしたらいいのか。そちらは手つかずのまま、人のいい現場の職員をコマンドに仕立てあげながら進行させていく「政治的事態」はしっかり見据える必要があるだろう。」(向井 2003:67-68)
■129 061213 [ml-prosemip 3250] 『Core Ethics』論文について
天田です。
植村さんお尋ねの査読結果ですが、おそらく、査読者からハンドアウト版の査読結果が送付されてきた場合には投稿者にもそのコピーを郵送し、電子ファイルにて送付されてきた場合には投稿者にも電子ファイルを送付しているのだと思います。したがって、今回、郵送にて査読結果が送付されてきた人たちと、メールにて送付されてきた人たちがいるかと思います。
さて、『Core Ethics』論文へのコメントですが、諸般の事情に加え、私の個人的事情で、コメントの送付が遅くなっています。すみません。今週中には皆さんに送付するように致します。
[ml-prosemip 3198] 『Core Ethics』論文へのコメント(天田)
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#125
にて書きましたように、
@基本的にはMLにてコメントをさせて頂きます。
(ただし、個別的にやりとりをしたほうがよい(と思われる)内容については同報メールにてコメントを致します。したがって、立岩さん・堀田さんとの同報メールでのコメント「と」MLでのコメントを適宜使い分けて、コメントするということになります)
A担当は以下のとおりになります。「さしあたり」、私がコメントさせていただくのは、上農さん、植村さん、小林さん、坂下さん、杉原さん、高田さん、竹中さん、藤原さん、山本さん(2本)、吉村さん、田島さん(研究ノート)の12論文です。
堀田さんからは、小川さん、李さん、青木さん、北村さん、小宅さん、定藤さん、田島さん、的場さん、的場(他)(研究ノート)の9論文へのコメントがあるかと。
以上、21論文(19論文+2研究ノート)ということになります。
http://www.arsvi.com/0r/2006p7.htm#3205
以上を踏まえつつ、適宜、全体状況に応じて/を考慮して、立岩さんからコメント等がいくかと思います。
Bコメントの順番は査読結果の遅れ等もありますゆえ、
http://www.arsvi.com/0r/2006p7.htm#3236
個々の状況に応じてということになるかと思います。
C何名かの方から外部査読の対象となった原稿に加筆・修正を施した最新版の原稿を送付して頂きました。そうした最新版の論文に対してコメントが必要な場合には、同報メール(天田、立岩さん、堀田さんへの同報メール)にてその修正原稿を送付して頂ければ、できるかぎり、それ(も)含めてコメント致します。
取り急ぎ。
天田
■130 061214-1 [ml-prosemip 3264] 『Core Ethics』関連(お詫び)(天田)
天田です。
この4〜5日、子どもたちがノロウィルス、嘔吐下痢症などに次々と、そして順繰りとかかり、「悲惨な状況」にありました(あります)ため、『Core Ethics』論文へのコメント、大変遅くなっております。本当に申し訳ありません。
本日より、できるかぎりの範囲で、コメントをしていきたいと思っています。
(たった今、上農さんには同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付しました。MLでのコメントは後ほど)
どうぞ宜しくお願い致します。
取り急ぎ。
天田
■131 061214-2 [ml-prosemip 3269] 『Core Ethics』論文へのコメント(上農さん)(天田)
天田です。
先ほど上農さんに同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付(コメント部分の文字数:約3,200字)。
以下、上農さんの論文へのコメント。
(ですが、他の人たちにも少なからず共通する部分もあるかと)
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■1 「聴覚障害児の多言語状況の困難(性)」について言及すること
全体として(私個人の問題関心から)大変興味深く読ませて頂きました。
本稿の「論理展開(筋)」は全体として整合的に記述されており、また内容的にも適切に書かれている印象を持ちました。したがって、私から特段に記すべきことはほとんどないのですが、(門外漢が乱暴にまとめるのであれば)全体の「筋」として以下のことが言えるかと思います(以下は、可能なかぎり、幾つもの論点を含みこむように詳細に要約したつもりです)。
@ 「スクリーング検査による早期発見・早期療養、それに伴う人口内耳という新たな「救済策」の導入で医療側は活性化し、一方、「特別支援学校」という行政側からの改革という外圧により、聾教育現場は存続意義の立証を厳しく迫られる事態となった」(p.2)が、前者の議論でも後者の議論でも「本質的で重要な問題の存在を忘却されている面がある」(p.2)。それは「聴覚障害児の言語獲得が持つ歴史性と政治性」であり、更に言えば「言語という文化資本がもたらす政治的・経済的価値という観点を踏まえた議論」である。したがって、本研究は、聴覚障害児が現実に晒されている事態をめぐる「厄介な問題」について、換言すれば「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況をめぐる困難(性)」こそ照射することを目的とするのである。
(【1.聴覚障害児医療・教育の現状――見落とされている視点】)
↓
A 「聴覚障害児」と一括りにされているが、実際、現実においては、【1】中途失聴児がいて、【2】「インテグレーション教育におけるエリート的な難聴者」がいて、【3】「インテグレーション教育におけるセミリンガル状況に置かれている難聴者」がいて、【4】「聾学校における多くの聾者」がいて、【5】「聾学校におけるエリート的な聾者」がいる(なお、本論での記述の順番はこの通りではありません)。いずれの聴覚障害児も基本的には「言語獲得の当初から音声言語のみを目指す世界に置かれる」(p.4)ことになるのだが、「インテグレーションした聴覚障害児」は「ディスコミュニケーションの中の苦渋と忍耐の日々」を余儀なくされることになり、結局のところ、音声言語ならびに書記言語の習得も困難となっている(【2】の人たち)。つまり、「どの言語も中途半端なセミリンガル状態に陥り、それを改善できないまま、判断力や社会性の希薄なサイレント・マジョリティになるしかなかった」(p.5)。その一方で、「学校での理解の遅れを取り戻すため、家庭で熱心に教科指導の補習」を受けたり、「音声のコミュニケーションを介しては聴児の友人とは結局、友達になれなかった故の孤独を埋め合わせる」ために膨大な量の読書をしたエリートの聴覚障害児がいる(【3】の人たち)。
他方で、聾学校においては、口話法と呼ばれる音声言語を中心に教育が遂行されるゆえに、インテグレーション教育の場面と同様に、音声言語ならびに書記言語の獲得が困難であるのだが、その一方で、生徒間で使用・獲得・発達している日本手話があり、この自然言語が共通言語として「言語共同体を」形成しているのである。こうして「手話という聴覚障害児にとって最も獲得しやすい自然言語を無理なく身につけ出すと共に、日本語の読み書きはますます困難、苦手となる。言語獲得という観点からは、そこには利と害が同時に発生する」(p.7)のである。こうして自らの自然言語の習得を通じて、自らを「聾者」としてアイデンティファイすることが可能になるのである(【3】【4】の人たち。ただし、後者の【4】の人たちは日本手話を使用しつつも、何とか書記言語を使いこなせるバイリンガルな言語獲得状況にある)。そして、中途失聴者である人たちは、音声言語・書記言語を習得した後で障害をもつようになったため、「音声日本語を聞くことのみが困難化している状態にある」ゆえに、音声日本語に基づいた「対応手話」を使用するしかない状況にある(【1】の人たち)。
(【2.聴覚障害児の世界】)
↓
B こうした「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況」を背景にしているゆえに、聾者と難聴者との「団結」は簡単にはなされない。聾者にとって音声日本語は「多大な苦痛とむなしい努力を費やした結果、不明瞭な発音を周囲から嘲笑されることはあっても、それもとうとう習得することの出来なかった極めて不快な記憶を伴った言語」(p.10)であり、自らの譲り得ないもの(日本手話の獲得の機会)を剥奪してきた、まさに「抑圧の根源であった言語」であったのだ。「このように言語の獲得から生じた意識は難聴者と聾者という聴覚障害者の集団に異なる意識、価値観、アイデンティティを形成させ、それに基づく対立、齟齬、反目、分離感情を醸成させている」(p.10)ゆえに、事態(とそれを作り出している社会的機制)は「厄介な問題」なのである。
(【3.アイデンティティ・差異・対立】)
↓
C-1 では、なぜ聴覚障害児の言語教育が音声言語の習得を目指したものであったのかと言えば、端的に言えば、この社会で音声言語を使えれば便利であり、使えなければ不利益を被るからである。「手話が否定されてきた最大の理由もそれが社会的な「汎用性」「流通性」が極めて低いことにあった」(p.11)からである。しかしながら、この「言語の「汎用性」「流通性」という概念自体を根本から考え直す必要がある」(p.11)のであり、上記Aのような「多言語状況」を踏まえるのであれば、「言語の関係性、つまり、その言語の各要素(発音、聴能、書記日本語、対応手話、日本手話/引用者補足)は一体どのような状況の中で、誰を相手にした場合、誰にとって意味があるのかという最も本質的で重要な評価の観点」(p.13)こそ問う必要があるのだ。
そこで、ブルデューによる「言語は文化的利潤を生み出す実質的な一つの文化資本であり、それは「市場」において初めて意味を持つ(利潤を生む)」といった言及(p.14)を前提に考えてみると、音声言語であれ、書記言語であれ、日本手話であれ、「同じ障害者同士が理解しあう場所(市場)での「汎用性」「流通性」という利潤をその言語は生み出す資本たりえているのか」という決定的に重要な問題について考えることに接続していくことになるだろう。そのように考えると、難聴者同士が音声言語で交信した場合にはほとんど通じ合うことはできないのであり、その意味では「難聴者という仲間集団という重要な市場において、音声言語は何の利潤も生まない無益な言語」(p.14)であるのだ。にもかかわらず、こうした現実はこれまできちんと問われることがなかったのである。
加えて、「聴覚障害児におって音声言語がその利潤を生み出すほどの資本になりえるため」の「先行投資」として音声言語の獲得のため「発声と聴能訓練と呼ばれる膨大な努力」が見合っているかと言えば、そのためのコストと、それにともなう精神的苦痛や否定的自己像の形成という甚大な損失を勘案すれば、端的に言って「機能していない」(つまり無駄である)と言える。更には、「書記言語の能力においてもそれが利潤を生み出す資本とはなりえていない」のである。そのように考えるならば、「聴覚障害児に対し音声言語の獲得を目指させるという選択は同時に手話の自然獲得の機会を剥奪するということを意味するのである」(p.16)。
(【4.言語の「汎用性」という問題――言語資本からの再検討】の「4−3」まで)
↓
C-2 ただし、上記の「問題は獲得言語を音声言語から手話に切り替えれば解決するという単純なことではない」(p.16)――もちろん、やらないよりはやったほうがよいにしても。日本手話の獲得のためのコストと利得と効果の有無などを勘案するのであれば、「それは最も効率のよい、適切な言語資本」(p.17)であると言えるが、事はそう簡単に解決するわけではなく、第一に、自然言語である日本手話が自然に獲得されるための言語環境がないことによってその獲得は困難であること【A】、第二に、現実として、聴者教員が遅まきながら日本手話を習得してもきちんと習得するには至らず、また教育現場に導入された言語が対応手話であればやはりコミュニケーションの問題は解決されないこと【B】、第三に、日本手話と書記日本語は文法構造的に全く異なる言語機制を有しているため、両者は容易には接合し得ないのであり、日本手話とは「文字とい書記体系を持たない無文字言語」(p.17)であるがゆえに、いわば日本手話と書記日本語のあいだに共約的不可能性があるのである【C】。この両者のバイリンガル論に立脚するにしても、「この最も困難な(教育技術上の極めて困難な/引用者補足)問題が独自に存在している」(p.18)ことをどのように考えるかは残るであろう。
(【4-4.日本手話の課題】)
↓
D以上を踏まえるのであれば、「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況の困難(性)」とは、《手話言語と母語として獲得させ、それとは別途に書記日本語を習得し、音声言語に関してはより個別対応というバイリンガル・バイカルチュラル教育という対策》によって解決可能になる問題ではなく――むろん、そのような対応は求められるものであるにせよ――、上記の【A】【B】【C】のような困難(性)に関わる困難性である。
(【5.課題】)
★
全体の構成から言うと、@→A→B→Cの論理展開は適切になされていますが、Dの「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況の困難(性)」についての記述部分が(私個人の問題関心からすれば)最も重要な点であるにもかかわらず、――紙幅の制約等もあるにしても――、その点は十分に書き切れていないような印象を若干受けました。その意味では、可能であれば、本稿の全体におけるテーマと問題関心を明確にする意味でも、@の部分で、つまり冒頭で、本稿が射程としている上記の問題について明確に言及しておく必要があるように思いました。このようにすると、本稿で照準しているテーマが――「有体な対策」では単純には解決し得ないような――「厄介な問題」を扱っており、そのような問題=困難性を剔出することを意図せんとしていることが鮮明になるように思います。このように全体を通約するような論文の構造にするためにも、冒頭にて本稿のエッセンスについて言及しておくことが効果的であるように思いました。
加えて、Dの部分にあるような、「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況の困難(性)」とは《手話言語と母語として獲得させ、それとは別途に書記日本語を習得し、音声言語に関してはより個別対応というバイリンガル・バイカルチュラル教育という対策》によって解決可能になる問題ではなく、上記の【A】【B】【C】のような困難(性)に関わる困難性であることを指摘すると同時に、またそれは《聴覚障害児においてどのようなコストや利得や効果の有無などを勘案した上で、最も効率のよい、適切な言語が獲得されるような対策が行われること》によって解決可能になる問題でもなく、《言語資本》ひいては《資本》をどのように位置づけるか――そこでの力学や非対称性をも含めた社会的機制も含む――、更には、どのような言語が誰に対していかにして獲得されるべきであるのか、といった極めて「厄介な問題」を孕んだ困難(性)であることを明記しておくほうがよいのではないかと(勝手に)思っておりました。
要するに、(繰り返しになりますが)「コストや損得や効果の有無などを勘案して、最も効率のよい、適切な言語が獲得されるようになれば」、終わるお話でないこと、そのことの理論的な厄介さについて言及しておくことはとても重要なことのように思います。
■2 用語の検討について
同報メールにも書きましたが、「病理的定義/文化的定義」、あるいは図1の「医学モデル/社会モデル」の構図でどこまで言及可能であるのかについて確認しておくことも大切ではないかと思いました。とりわけ、こうした対立的な構図にて説明する場合――とりわけすでに様々に使用・流通している言葉であればなおのこと――、読み手は自らのイメージにて当該文章を読み込みますので、そうした概念をどのように規定し、位置づけているのかについての説明が必要になります。こうした説明についての詳説は必要ないにせよ、脚注などにて簡潔に記しておくこともありかと思います。また、そうした概念を括弧に入れて、「今回はさしあたり(ひとまずは)このように強引に?整理したものであり、概ね、かくかくしかじかのことは言えるであろう」と指摘することが主たる目的であるとすれば、記述の仕方に工夫があってもよいかと(勝手に)思っておりました。
■3 図の説明について
これも同報メールにてお伝えしましたが、図1、図2については文中あるいは図の補注にて必要最低限の説明があるとよいように思いました。例えば、図1の「1」「2」「3」「4」「5」の数字が、概ね図2の番号に対応していること、図2の空欄の箇所には「高位評価/低位評価」「高位評価と低位評価を加算した合計」などの説明があるとよいです。それと、瑣末なことですが、→の白抜きの部分ですが、一つは「インテ教育(統合教育)口話法」と記され、もう一つには「聾教育(聾学校)」と表記されているにもかかわらず、一番上の矢印だけは、なぜか「中途失聴者」となっています。前二者は教育についての記述であるのに対して、最後だけはある一群の人たちについて表記されており、統一的な図示ではないような印象がもたれてしまうかもしれません。可能であれば、統一的に表記しておくほうがよいかもしれません。
それと、図1は4頁にて表示されるにもかかわらず、その説明は実質的には11頁にて行われているため、最初の図示ですんなりと理解することが難しいように思います。場合によっては、適宜、本文と図1に対応する部分を説明しておくとよいかと思います。
■4 《資本》概念について
一般的には、確かに、ブルデュー的文脈においては「文化資本」という概念は、主として「世代間や階級の再生産」という意味で使用されており、またそのように人口に膾炙した言葉ではありますが、むしろ、本稿の意義はそのように「世代間・階級の再生産」という文脈で使用・流通されてきた「文化資本」概念を、「それを獲得することを通じて、その人が、何をどのように得て、日々の生活の中で、市場から利潤を得ることになっているのか」という意味での《資本》概念として使用していることにあるかと思います。だとすれば、そのこと(一般的に使用されている「文化資本」概念との異同)ついて記述しておくことが望ましいかと思いました。
加えて、上記のような《資本》という観点から、「市場からの利潤や利得や効果の有無を勘案してみると、音声言語の習得はその意味では無益である」と指摘しつつ、同時に「では、利潤・利得・効果の有無を勘案しつつ、最も効率のよい、適切な言語である『日本手話』が獲得できるようになればよい」といった単純なお話に帰着するものではないことを論考していくと、論理展開が一層明確化されるようになるかと思います。
このような理路において、「聴覚障害児の言語獲得の多言語状況における困難(性)」を――上記の【A】【B】【C】のような困難(性)に関わる困難性であることを――言及するのがよいかと。
■5 その他
p.17 「論を待たない」→「論を俟たない」
p.21 「家庭においしても」→「家庭においても」
p.23 ―――― 2000 「ろう・中途失聴・難聴」,『ろう文化』:52-57,青土社.の部分を改行
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以上です。
取り急ぎ。
天田
■132 061215 [ml-prosemip 3279] 『Core Ethics』論文へのコメントの進捗状況(天田)
天田です。
『Core Ethics』論文へのコメント、諸々で遅くなっています。すみません。
昨日、上農さんに同報メール+MLでのコメント。
加えて、私が担当している12論文のうち査読結果が出ている10論文の投稿者の方々全てに同報メールにて(査読結果を受けての)コメントのみ送付しました。(残りの2つのうち、1つは査読結果がいまだ未着の方、もう一つは研究ノートの方)
※私担当の方々は先日のMLの通りです。
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-2.htm#129
なお、私のコメントは
【1】立岩さん・堀田さんとの同報メールにて査読結果に関するコメント
【2】以上を勘案しつつ、MLにて論文に関するコメント
の「2段階方式」にて行います。どうぞよろしくお願いします。
私からの各論文に対するやや細かなコメントは明日から来週あたまあたりまでにMLにて送付いたします。
(なお、私は本日ならびに明後日は終日不在のため、コメントは土曜日あるいは月曜日以降になります。乞ご容赦)
私の周囲ではノロウィルスをはじめ、様々に体調を崩している方が続出しています。皆様もどうぞお身体ご自愛下さい。
取り急ぎ。
天田
■133 061216 [ml-prosemip 3292] 『Core Ethics』論文へのコメント(植村さん)(天田)
天田です。
先日、植村さんに同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付(コメント部分の文字数:約1,100字)。
以下、植村さんの論文「変容する身体の意味づけ――スティーブンズジョンソン症候群旧跡の経験を語る【最新版】」へのコメント。
(ですが、他の人たちにも少なからず共通する部分もあるかと)
なお、今回のコメントは、以前の『Core Ethics』論文へのコメント
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#087
の続きでもあります(かつ、この部分をどのように記述するかが問われているかと)。
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■1 いかにして《問い》を立て、《結論》を導くか
「最新版」では必要に応じて修正・加筆が施され、だいぶよくなったかと思いました(そして、やはりこのテーマはおもしろいと思いました)。
ただ、それでも本研究の「筋」が明確化されておらず、様々に拡散している箇所が散見され、また最終的に何を言わんとしているかが曖昧であり、【結論】「SJS本人の意味づけは、バイオメディカルな情報以外の情報に基づいてなされ、その内容も構造も身体の変容に牽引されて変遷しく。そこに首尾一貫して通底しているのは、日にち薬で回復していることを信じていることである。後遺症が残ることを知らなかったこの当時の橘さんは、同語反復的になおると信じていたのである」(p.19)と結論しているが、それだけではやはり「落としどころ」としては「弱い」と思います。換言すれば、「考察」がつめきれていない印象を受けてしまうということです。
いつもの如く、私なりに本研究を圧縮・要約するとすれば、全体の「筋」として以下のことが言えるかと思います。
@本研究では、(SJSであり、また手術を受けた人の事例を考察することを通じて)「病いによって変容していく身体を、羅漢した本人がどのように意味付けているのかが考察される」。そして、第一に「病いにある身体についてのバイオメディカルな情報のほとんどを独占している医師との相互作用に対する視座」に、第二に「病いの経過にともない身体の変容に沿っての時間軸を考慮に入れた縦断的な視座」(p.1)に立脚することを通じて、「変容する身体の意味づけ」を明らかにする試みとして本研究は位置づけられるものである。
↓
A最初に受診したA病院では初診時に感染症の疑いを告げられたが、橘さんには病名を伝えられることもなかったため、「病気の名前とか……そんなんも全然聞かずで、まさかこんなすごい病気とも思てへんし。……たいしたことは考えてなかったゆうか」と考えていた。(6月22日/A病院)
↓
B転院したB病院では最初はウィルス感染が疑われたため、個室に「隔離」された状態であったが、入院後10日〜2週間後に「皮膚粘膜症」と病名のみ告げられた。病名告知後、その病名を知人に伝えても知らないと返答されたように、「橘さんにとっての「皮膚粘膜賞」というシニフィエは、誰もが知らない病気だということをシニフィアンとした」(p.14)のである。また、「病名を伝えられ告げられたことは、橘さんにおいて病院役割としてはもちろん、ラベリングや汚名返上としても機能していなかった」(p.14)(6月23日/B病院)
↓
CB病院から「治るのに時間がかかる」と言われたため、自宅に近いA病院に再び戻ってからは、「急性期の激しい症状は、極期を過ぎて徐々に軽快」(p.8)していき、「症状のうち、治るものは治り、治らないものは固定化し、現在まで続く後遺症になっていく」(p.8)。痛みのため目を開けることは困難であったが、おそらくこの時期は視力は維持されていた状態であった(p.8)。だが、「A病院でも、医師から病気についての説明は何もなかった。橘さんは、治ると信じていたのである」(p.9)。橘さんが医師に「先生、日にち薬ですよね」と尋ねると「そうやねみたいな感じ」で答えていたため、「日にちがたったら目も回復しくるもんや」と思っていたのである。(7月13日/A病院)
↓
Dその後、橘さんは100日ぶりに自宅に帰り、内科と眼科に通院する生活をしていたが、診断している医師に対して(「日にち薬ですよね」と尋ねても「そうやね」などといった曖昧な返事しかしてこないことなどがあったので)「頼りなく感じていた」ため、C大病院眼科に受診することになる。(10月1日/自宅)
↓
EC大病院では「角膜の専門」であるE医師が診断した後、(夫が橘さんに席を外すように言ったのち)医師が夫のみに何かを伝えているのをみて、「あぁ、もう治らへんのかな」と思ったのである。「A病院でもB病院でも何の説明も受けてこなかった橘さんは、このようにして自分の目がもう見えるようにはならないのだと、初めて知ることになった」(p.12)のである。ただ、それでも「ショック」でもなく、「暢気」に考えてもいた。が、同時に、「3箇所の病院のいずれもで、(死にたいと思ったことは今までないが/引用者補足)橘さんは病院から飛び降りることを考えていた」と言う。ことほど左様に、幾重にも複雑に絡み合う感情を抱きつつ日々過ごしていたのである。(11月13日 C大病院眼科受診)
↓
F以上のように、橘さんの「病いの意味づけ」は自らの「身体の状態に応じた意味づけ」がなされるが、「やがて病いの経過にともなって身体が変容していくことで、その意味づけは齟齬をきた」すと、今度は「それまでの状態を遡及しながらも現状に適合する新たな意味づけが付与される」ようになる。「それらの意味づけの間には連続性はなく、ある断片からある断片へと場当たり的に置き換わっていく」(p.18)ようなものである。だが、このように「橘さんの病いの意味づけは、内容も構造も身体の変容に牽引されて変遷していく」が、そこには「日にち薬で回復していることを信じている」(p.18)ということは常に通底しているものであったのだ。
このように、橘さんの「病いの意味づけ」はバイオメディカルな情報以外の情報に基づいてなされ、その内容も構造も身体の変容に牽引されて変遷していくが、そこには(前述のように)「日にち薬で回復することを信じている」ということが常に通底しているゆえに、「治るものは治る」というような同語反復的な信念が貫かれていたのである(p.19)。
★
おおよそこんな「筋」だったかと思います。
ABCDEの記述はそれ自体は事実であり、概ね間違いはないのでしょうが――ただし、後述するようにやや「冗長」な部分があるかと思います――、【結論】も概ねその通りかと思います。ただ、これでは「なぜゆえに、橘さんはあえて病気について詳細に知ろうともせず、『治るものは治る』という実に曖昧かつ不確実な予期のもとで、SJS急性期を過ごすことが可能であったのか?」という、決定的に重要な《問い》について答えていないことになります。
「バイオメディカルな情報以外に基づいた病いの意味づけを――身体の変容に応じて/に牽引されて――行っていた」という「解釈」であれば、それはほとんど全ての病気に該当する事実ではないでしょうか。更に言えば、今回の「最新版」の論文では「病いの意味づけ」に(のみ)照準化して考察したために、逆に「どこにでも当て嵌まる解釈」を行ってしまったような気がします。
むしろ、私の勝手な解釈からすれば、橘さんが置かれていた現実とは、その都度の状況において「治ること」への信を、幾重にも「治るだろう」という予期と「治らないかもしれない」という不安のあいだを引き裂かれながらも、同時にそれを抱き続けるしかなかった現実があるように思いました。それをどのように考えるかが重要になるかと思います。
換言すれば、やはり@の問題設定がまだ確定し切れていない部分があるがゆえに、「考察」と「結論」が平板なものになってしまっているような印象を受けました。ただ、繰り返しますが、この橘さんの「事例」は大変おもしろいテーマであると思っていますので、十分に検討して改稿して頂ければ、とてもよい論文になると確信しています。
■2 この現実をいかに考えるか
上記の通り、橘さんの置かれている現実において決定的に重要な問いは「なぜゆえに、橘さんはあえて病気について詳細に知ろうともせず、『治るものは治る』という実に曖昧かつ不確実な予期のもとで、SJS急性期を過ごすことが可能であったのか?」という《問い》であると思います。
前回に立岩さんと私がコメントしたのは以下のようなものでした。
http://www.arsvi.com/0r/2006p5.htm#2752
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#087
上記は、「なぜゆえに、橘さんは自らの病気について(積極的に)知ろうとしなかったのか?」を考える手前で、さしあたり、「では、そもそも、人はどのような条件のもとで自らの病気について知ろうとするのか?」という「逆立ちの問い」を立てるという戦略を採った上で、《問い》について考えていくということが可能ではないかというものでした。この《問い》をいかに考えるか、です。
では、考えてみたいと思います。
立岩・天田案ではおおよそ(他にもあるのでしょうが)以下のような条件の場合、「人は知ろうとするのではないか」と考えられるのではないか、ということであったと記憶しています。
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1)生死に関わる場合(だからこそ知りたくないが、同時に、とても知りたい、という人もいる。)
2)治療法他、次に何をするかを決め、行なうため。
3)自分のへんな状態について納得したい。
4)他人に説明するとき、なにかしない(できない)時に必要、便利
5)「情報」へのアクセスのしやすさ、環境および情報を得る癖・趣味があるかどうか
6)自己の身体の変容(違和)を感じていること
7)どうにもやっていけない場合
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すると、橘さんの場合、A病院では「病名を知らされていなかった」し、B病院では「皮膚粘膜症」という「誰もが知らない病気」としてのみ受け取ったため、当人においては「1)生死に関わる場合」としては受け取られていないということになります。だとすれば、橘さんは「生存が可能である」ということを前提に、――特にB病院では「軽快」していったために――「回復する症状」と「回復しない症状」が同時に併存する状態を生きていたゆえに、その2つの併存状況に対応するようにして、「治るやろ」という見込み(予期)と「治らんかもしれない」という懐疑の2つに引き裂かれていたと考えられます。また、医師から情報を伝えられていなかったために、2)の条件もなかったと言えます。
更には、そのように「治らないかもしれない」という疑いを抱きながらも、自宅ではなんとかやっていける状況であり――つまり7)の条件はそれほど切実ではなく――、またC病院では@医師がその病気の専門家であるという認識していたこと、A周囲の反応から「何となく治らない」ということは分かったこと、Bにもかかわらず、角膜移植などの「アクティブな治療」が行われていたことなどがあったため(p.17)、「問うても無駄だから「私は治るのか」とは医師に問うことはない」が、それでも@Bを参照点として「治るかもしれない」と信じており、また同時にAを痛切に受け止めて「やはり治らんかもしれない」というように、両者のあいだで常に折り合いをつけることが極めて困難であったのである――ただし、C病院に入院してからは「やはり治らんかもしれない」という感情が強化されていくことになっていく――。かくして、橘さんは「知ろうとしなかった」のであろう、……。
以上のように考えるのであれば、橘さんの場合、1)2)は条件はなかった。
そもそも自分の病気が「よく分からない病気」であれば――しかも生死に関わる病気ではない――、何をしたらよいかも分からず、また病名が分かった段階では上記の@Bの条件があったため、あえて治療法等について何をするかについて決めることもなかった。
加えて、自らのへんな状態によって長期的に様々な不利益や困難を被ることになっていれば、自らのへんな状態について納得したり、他人に説明したいという条件が成立するのであろうが、橘さんの場合、病院という空間におけるSJS急性期という時間における「身体の変容」であったため、3)4)の条件もそれほど強くなかったと言えるだろう。更には、そのほとんどは入院生活であったため、4)周囲に説明する時に、なにかしない(できない)時に必要・便利ということもなく、自宅に戻ってからも――会社員などのように会社を欠勤する理由を取り立てて説明することもないため――周囲にも「どうにもよく分からない病気」ということで済んでしまったとも考えられるであろう。
5)についても情報へのアクセスは限られていたため、その条件は弱い。また、6)自己の身体の変容についても、SJSとなった後で自らの身体の変容を感じながらも、それまでの橘さんの身体イメージをその根本から劇的に変えるものではなかっため――眼を開けることはしんどかったが、視力は残っていたこともあった状態の時もあった――、やはり条件としては弱かったかもしれない。
7)についても、どうにもやっていけないということもなく、様々な痛みやしんどさはありつつも、病院でも自宅でもなんとかなっており、またそれどころではなかったため、この条件もそれほど強くなかったと言えるであろう。
上記のように「人が自らの病気について詳細に知ろうとする条件」を考えるのであれば、少なくとも、橘さんの場合には、そのいずれの条件もそれほど強いものではなく、それゆえに、「『なんとか治るのではないか』と考えて、自らの病気について知ろうとしなかった」のではないか、と考えることが可能ではないかと思います。
※医療社会学的に言えば、本人も周囲も病気についてよく分かっていない場合、病名がつけられることそれ自体によって必ずしもその本人に不利益・損失がもたらされるとは限らないことがあるとも言える――逆に言えば、その病気が(様々に誤解・曲解されているにせよ)そこそこは知られている条件があって、病名がつけられることの不利益・損失が生じることがあるかもしれない。橘さんの場合、「よく分かっていない」ため、急性期に限っては、このような事態にはそれほどなっていないと言えよう。
※また、本人も病名を聞いて納得する条件としては、日々の(周囲との/暮らす上での)様々なしんどさや困難を感受していることが考えられなくもない。このようなしんどさや困難がなければ、そもそも「汚名返上」にならないとも言えるのであり、その意味では、橘さんにおいてはこの条件はそれほど強くはないと言える。
以上、ご検討頂ければ幸いです・
■3 幾分か冗長な記述について
以上の「筋」と「考察」「結論」を前提に考えるのであれば、「V 橘さんのライフヒストリーから」(3頁〜14頁)の部分には、やや冗長な記述があるように思います。
例えば、3頁の「娘の小遣いの振込みの話」、9〜10頁の「爪の話」、10頁の「長女が下宿を引き払った話」などは上記の「筋」(ならびに「考察」と「結論」)には直接関係しないことであり、その部分は割愛できるのであれば、割愛してもよいのではないかと思いました。そのぶん、「考察」と「結論」部分の記述を厚くしていることが望ましいかと思いました。
それと、16頁の「隠喩としての病い」の部分についての表現等については今一度検討してもよいかもしれません。
それと、語りを引用している部分と、「医薬品申請書類」にもとづいた記述が時に混在しているため、やや前後関係が読み取り難い部分(例えば、7頁の最終パラグラフの部分)があったように思いました――場合によっては、「筋」をすっきりとさせるためにも、この部分は脚注にて記しておいてもよいかと思います。
以上、ご検討頂ければと思います。
■4 方法に関して
「U 対象者、方法、手続き」の最後に「上記のことを含めた研究遂行上の手続きならびに研究の公表に関しては橘さん本人の快諾を得たことを付記しておく。」などのように、本人の了解を得ていることを明記しておくことが望まれます。この点は、「表記」「表現」という意味だけではなく、「研究」そのものに関わる点でありますので、よくよく留意して頂ければと思います。
■5 その他
@二行空いている箇所などがあり、形式的な確認をすること。
A文献表記などにおいて(最新版は暫定的な改稿ということもあり)不適切な箇所が散見。要修正。
B脚注表記も不適切な表現あり。要修正。
Cしばしば英数字が全角で表記されている。半角に修正。
D「●月●日づけ」→「●月●日付」と表記すること。
(上記は改稿作業中のため、あえてここでは細かく指示しません)
C文章表現上の問題あるいは誤植について
p.1 「例え」→「たとえ」
p.1 「課程」→「過程」
p.2 「眼のまなざし」→「眼に対するまなざし」?
p.2 「まなざしの再建」→よく分からないので要修正。
p.2 「そのときに言葉を」→「そのときには言葉を」
p.2 「MDをトランスクリプトし」→「録音したMDのからトランスクリプトを作成し」
p.2 「時系列に整理して橘さんライフヒストリーを作成した」→ここでは「ライフストーリー」という言葉は適切ではないかも。
p.3 「開いてね、」→「あいてね、」
p.5 「常なら」→「ふだんなら」でOK?
p.5 「来るまで」→「車で」
p.5 「病名は橘さんには」→「病名について橘さんは」
p.5 「したく」→「仕度」でOK?
p.5 「6月といえば自営業は」→「空調関係の自営業にとって6月は」
p.5 「B病院へいった」→「B病院へ行った」
p.5 「22日1日間の」→「6月22日の1日間における」
p.7 「橘さんも2001年……始めて知ったことだが」→「その3年7ヵ月後の2001年1月18日、……診断書を取り寄せた段階で始めて橘さん自身も知ったことだが、」
p.8 「症状の内」→「症状のうち」
p.8 「この辺り」→「このあたり」
p.9 「思てんやけど、」→「思てんやけど。」
p.10 「いつかは定かにならないが」→「時期については確認できていないが、」
p.11 「何日後とだったのか」→「何日分であったのか」
p.14 「この辺り」→「このあたり」
p.14 「「……そんな気持ちとかは」と問うと」→「……そんな気持ちとかは(あったのですか)」と尋ねると」
p.15 「むしろそれを考慮に入れながらも」→「むしろそれを考慮に入れながら」
p.15 「前掲化」→「前景化」
p.15 「Aともいえる、が環境や…」→「Aともいえるが、環境や…」
p.16 「暗黙的に明言される」→文章がちょっと変です。要修正。
p.16 「隠喩としての病」という表現はこの場合には適切な表現ではないように思います。要検討。
p.16 「医師・患者関係」→「医師−患者関係」
p.17 「病室にいたのだとすれば。それは」→「病室にいたのだとすれば、それは」
p.17 「すご、あぁっていう気持ちと……」→「すごく、あぁっていう気持ちと……」
p.18 「補償」→「保証」(2箇所)
p.18 「立花さん」→「橘さん」
p.19 「現在から訴求して……」→「現在から遡及して……」
p.19 「前掲化」→「前景化」
p.22 「藤本2006」→「藤本(2006)」ほか修正箇所多数あり。
p.22 「堀内(2006]」→「堀内(2006)」
p.23 文献表において修正すべき箇所多数。→Aの通り
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以上です。
取り急ぎ。
天田
■134 061218-1 [ml-prosemip 3299] 『Core Ethics』論文へのコメント(小林さん)(天田)
天田です。
先日、小林さんに同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付(コメント部分の文字数:約830字)。
以下、小林さんの論文へのコメント。
(ですが、他の人たちにも少なからず共通する部分もあるかと)
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■1 その先に何を問うのか
いつもの如く、私なりに圧縮・要約するとすれば、全体の「筋」として以下のことが言えるかと思います。
@「「ワークフェア」という語が記録に残る形で初めて使用されたのは、1968年のチャールズ・エヴァースからである」(p.1)。彼は公民権運動の重要な指導者であり、その意味で、もともとワークフェアには「公民権運動の文脈においてマイノリティ(黒人)が働けるようになる」という側面もあり、だからこそエヴァースは(働ける能力のある者や、何らかの職に就ける見込みのある者は誰でも働けるためにも)「雇用の確保・創出」の必要性を訴えたのである。こうした彼の「ワークフェア+雇用の確保・創出」という政策を強調した背景には「福祉からの脱却」を望ましいとする福祉観があった。……
↓
Aでは、実際には連邦の公的扶助政策とはどのようなものであったのかを確認した上で、エヴァースの構想がその中でどのように位置づけられるかを考察していこう。
1960年代のケネディ政権下においては「就労支援と所得保障を結合することで対処しようとした」が――具体的には、「要扶養児童家族扶助AFDC」の需給対象の拡大や受給要件の緩和を図ることで「入口」が拡大されると同時に、積極的な教育・就労支援プログラムによって労働市場へ向けての「出口」も設けられた(p.4)――、ジョンソン政権下では「積極的な就労支援からの撤退」へとなっていく。なお、このケネディの時代では「教育・訓練」には「強制的な意味合いはなかった」が、ジョンソンの時代では「「出口」機能が強化され、……「入口」が初めて縮小された」。こうした政策的な展開を受けつつ、また公民権運動を背景にして、エヴァースによって「ワークフェア」という言葉が生まれたのである。
↓
Bその後、1969年のニクソン演説において(公民権運動のなかで考案された)「ワークフェア」は社会的なインパクトを持つようになる。ニクソン政権下では、当初は「(シングルマザーを主たる受給者としていた)AFDCの対象を失業者まで拡張するとともに受給者個人の就労努力をさらに強化させるものであったが」、結果的には「受給者への就労要請」が強化されることになった。このようにして、(現在のワークフェアの)
↓
C以上を踏まえるのであれば、「(ジョンソン−ニクソン政権における福祉政策を担当していた官僚であり、連邦の福祉政策に多大な影響力を及ぼしてきた)モイニハンを擁する連邦施策とエヴァースは福祉に依存的である点で親和性があるといえるが、福祉から脱却するために連邦の施策が受給者個人の就労努力を重視したのに対してエヴァースは雇用創出を重視した点で異なる」(p.14)と言えよう。
↓
Cしかしながら、「労働者の総供給量が既に十分であり、一人あたりの労働時間も変わらないのであれば、既存の就労者数を上回って雇用されることはない。だとすればエヴァーの雇用創出による福祉からの脱却という構想には限界があり、ましては労働市場の状態を考慮せず受給者個人の就労努力に注目して就労支援を行う連邦の施策には無理がある」。にもかかわらず、受給者を職につかせることに固執したため受給者に負荷のかかる「態度」強制を行うものへと変容していった」(p.14)のだ。――そして、これは1980年代の「態度」強制の強化へと接合していくことになっていく……。
以上のような「筋」になっているかと思います。
すると、非常に平たく言ってしまうと、今回の結論としては(おおよそ)以下の5点を指摘していることになります。
【1】ワークフェアという言葉は、1960年代の政策の影響を受けつつ、また公民権運動を背景にしてエヴァースによって生まれた。
【2】しかしながら、その後のワークフェアの政策を概括するならば、もともとの「働ける者・働く意欲のある者に仕事を!」というエヴァース的ワークフェアの側面は後景化し、受給者個人の就労努力を強化したり、(更にその後の)受給者の態度「強制」を行っていくという側面が前景化してくるようになったと言えるだろう。
【3】[受給者→労働市場]という側面で考えるのであれば、エヴァース的ワークフェアが「労働市場の拡大」、つまり「雇用の確保・創出」を目指したのに対して、連邦施策的なワークフェアでは「受給者個人の努力強化・態度矯正」が行われたのであるが、その実、両者は「福祉からの脱却」を強く指向しているという意味では同根であった。
【4】その意味では(Cを考えるのであれば)、「福祉からの脱却」のための方法として、「労働市場」側をなんとかしようとしたエヴァース的方法と、「受給者個人」に照準して彼/女らをなんとかせんとした連邦的施策とはいずれも失敗するしかなかった政策であったと言えるのではないか。
【5】歴史的には、ケネディ−ジョンソン的なリベラルな福祉政策もニクソン的な福祉政策のいずれも「福祉からの脱却」を基調音に展開されたものである。だとすれば、……。
かりに以上を【結論】とすると、【1】は「知られていない事実」であるからその意味では重要だが、だとすれば【1】が実際のワークフェア言説においてどのように効いたのか/効かなかったのか等を考える必要があります。あるいは、エヴァース的ワークフェア言説がどのようなものであるのかをもっと詳細に様々な資料を駆使しつつ、内在的に分析する方法もあるかと思います(ただ、こちらは資料的にちょっと難しいように見受けられましたが)。
加えて、【2】も「そりゃ、そうだよな」と受け取られてしまう可能性があり、「もう一声」をいった感がなくはないです。こうしたワークフェアの歴史がなぜこのようになったのかについても説明が欲しいところかと――エヴァース的ワークフェアに基づいて「雇用の確保・創出」を前面に押し出す人はいなかったのか、あるいは僅かであるがいたのか、そしてそれに対して何がしかを言った人はいたのかどうか、とか。
また、【3】【4】は14頁の最後に記されているだけであり、この点を強調するのであれば、もっと積極的に考察する必要があるかと思います。【5】もまた同様かと。
もっと言えば、【1】〜【5】を明らかにしたことで、私たちのワークフェア理解にどのようなインパクトを持つのかについて明記することが望ましいかと思います。
■2 エヴァースのワークフェア言説を提示する意義の明確化
加えて、本研究ではエヴァース的ワークフェア言説の位置づけとその意義を明確にする必要があります。エヴァースが初めてその言葉を公民権運動の歴史的文脈のもとで使用したという事実を踏まえつつ、そうした事実が連邦の福祉施策においてはどのように解釈されたり、無視されたりしたのか等を詳細に記述することができれば、@→ABの接続がより説得力のあるものになります。ご検討頂ければと思います。
■3 その他
@適宜、句読点を適切に使うとよいと思います。
A引用文献の表示を適切に行うこと。著者を英語で記すべきところが片仮名表記の箇所あり。
p.1 (Oxford English Dictionary 1993)の典拠なし。参考文献にあげるか、脚注にて記すこと。
p.10 (ギルバート&ギルバート 1999)→(Gilbert & Gilbert 1989=1999)
p.11 (トラットナー 1978:257)→(Trattner 1974=1978:257)
p.12 (ibid:37)→ここだけこの形式になっているので、引用文献の表示方法を統一化すること。
p.12 (The Washington Post, August 9, 1969:1)→参考文献に挙げるか、脚注にて明示。
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以上です。
取り急ぎ。
天田
■135 061218-2 [ml-prosemip 3300] 植村さんのご質問に対して(天田)
植村様
天田です。
以下の点に対する私の個人的見解を述べます。
> 生育歴として、誕生から発症までを概説した部分
これはあってもよいのではないかと個人的には思います。「筋」には直接的に関係ない話ではありますが、この記述があると、読み手は全体の像を描きやすくなるのではないかと思います。「なくてはならないもの」ではないにせよ、「あってよいもの」「あったほうがよいもの」のように思います。
>> p.2 「時系列に整理して橘さんのライフヒストリーを作成した」
>> →ここでは「ライフストーリー」という言葉は適切ではないかも。
自らがどのように「ライフヒストリー」「ライフストーリー」を位置づけるかによります。おおよそ時系列に整理したもの=ライフヒストリーではないと考える人が多いように思いますが、これは植村さん自身の判断するのがよいかと思います。
取り急ぎ。
天田
■136 061218-3 [ml-prosemip 3301] 『Core Ethics』論文へのコメント(杉原さん)(天田)
天田です。
先日、杉原さんに同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付(コメント部分の文字数:約1,000字)。
以下、杉原さんの論文へのコメント。
(ですが、他の人たちにも少なからず共通する部分もあるかと)
なお、今回のコメントは、以前の『Core Ethics』論文へのコメント
http://www.josukeamada.com/gsce/ml-prosemip2006-1.htm#096
の続きでもあります。
※杉原さんとは本日18日(月)15:00〜面談ですので、詳細については面談時にお話します。
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■1 何を明らかにするのか
私なりに圧縮・要約するとすれば、全体の「筋」として以下のことが言えるかと思います。
@「「ふれあい工場」の運営・内容・仕組みとそこから派生したこと」を考察することを目的とする。「ふれあい工場」の概説。
↓
A「ふれあい工場」は、@有限会社方式による就業の場であること、A当事者が会社の重役を務めていること、B外から様々な仕事を確保していること、C多角的・組織横断的な実践であること、D能力に応じて働くことが可能になっていること、E生活の必要性にあわせて給料が支払われていること(結果的にほぼ同じ収入を得るようになっていること)、F段階的にスタッフになっていく仕組みになっていること、G話し合いを通じた「規律ある運営」が行われていること、H就労継続のための生活支援が行われていること(住居の確保、子どもの保育園への送迎などもあり)、などのようなユニークな実践が行われている。
↓
B「自立と納得のいく社会参加」を目指してきた「ふれあい工場」はこのような仕組みによって「うまく回ること」が可能になっているのである。
これでは「筋」としては非常に弱いように思います。
Aは事実そのものであり、その事実が知られていないのであれば知らせるべきものではあるが、この事例についてはあまり知られていないにせよ、こうした事実を知らせること自体にはインパクトはないと思います。だとすると、@の問題設定において何を《問い》として立てるのかが重要になります。
本研究では【A】「この事例が組織としてうまく回っているのはどのような仕掛けによるのか?」という《問い》を立てて論を進めていますが、記述されているのは「組織の仕組み」についてです。研究として考察すべきは【B】「なぜゆえに、この仕組みで、この組織がうまく回ることが可能になっているのか?」ということであり、その仕組みでこの組織を回らせている諸々の条件を論考することであるように思います。
あるいは、この素材で、この資料しか手元にないのであれば、《問い》として考えうるのは【C】「この事例では概ねこの仕組みでうまく回っているが、諸々の制度的・経済的な条件を踏まえるならば、そこに組織としての/あるいはこの実践では立ち行かなくなる困難があるのか?」という問いであるように思います。
【B】【C】のいずれの《問い−分析−考察−結論》の問題設定を採るかは杉原さんの関心によるかと思いますが、個人的には――現在、手元にある資料と改稿するための時間的余裕やその他諸々の条件を勘案するのであれば――、【C】の《問い》のほうが記述しやすくはあります。【B】は記述しようとすれば、けっこう手ごわいです。
上記のことを含めて《問い》それ自体を再考して頂ければと思います。
■2 特例子会社の話をどのように位置づけるか
この「特例子会社」の話の位置づけが不明瞭であるように思いました。確かに、特例子会社になるだけの実績があり、また同時に特例子会社になることで都合よく使われてしまうことも分かりますが、これが上記の《問い》の中でどのような位置づけであるのかが明確ではないように思います。再検討して頂ければと思います。
■3 その他
@同じ内容についての記述が何度か反復されています。要修正。
A脚注の表記の仕方は要修正。
B文献の表記についても要修正。
p.2 「「ふれあい工場」の存在は、……実際に支援している」→「「ふれあい工場」は。……実際に支援している」
p.3 「尊重感」→「自尊心」?
その他、表記についても再チェックをして頂ければと思います。
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以上です。
取り急ぎ。
天田
■137 061219-1 [ml-prosemip 3311] 『Core Ethics』論文へのコメント(高田さん)(天田)
天田です。
昨夜、高田さんに同報メールにて査読結果に関連するコメントを送付(コメント部分の文字数:約1,350字)。
以下、高田さんの論文へのコメント。
(ですが、他の人たちにも少なからず共通する部分もあるかと)
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■1
私なりに圧縮・要約するとすれば、全体の「筋」として以下のことが言えるかと思います。
@本研究は「ピンクリボン活動によって、乳がん検診のための啓発はどのように行われてきたたのか」といった「啓発のしかた」を明らかにする(p.1)。義務も強制もない中で、関心のない人に話を聞いてもらうことは容易なことではないため、啓発には「伝わりにくいこと」を「伝わりやすく伝えること」が求められるのである。そこで――後述するように、ここで「そこで」となるのはなぜかについて書く必要があります――、「ピンクリボン活動」の「啓発方法」について調べると、そこでは以下のような方法が採られ、そのことで以下のような効果をもたらしていたのである。
↓
A「ピンクリボン活動の啓発方法」の内容とその効果としては、【A】ピンクリボンを媒介にすることで「押しつけがましさ」は軽減され、受けて側からの反応を引き起こすことにもなり、また幾つかの段階を踏んで乳がんの話について言及することができるようなどのように、「ピンクリボン」が「クッションの役割」(p.4)をしていること、【B】啓発イベントに(人が関心を持ちそうな、集客が見込まそうな)別の要素とセットで組み合わせることによって、「敷居を低くする」ような効果をもたらされていた、【C】(イベントに来ない人たちにも知ってもらうためにも)ピンクリボンフェスティバルのように「街の空間を使った視覚的な啓発」によって「見る人にピンクリボンに託された想いをイメージしてもらうこと」の効果がもたらされていた、といった3つがある。
↓
B「ピンクリボン活動の啓発方法」には上記のような3つがあり、その3つは以上のような効果をもたらしていたのである。……
以上のような「筋」になるかと思います。
(他の多くの方々にも共通することですが)上記の指摘それ自体は事実であり、それが知られていないようであれば知ってもらう必要がありますが、多くの場合にはそれだけでは「弱い」ことがあります。また、「ピンクリボン活動における3つの啓発方法」の内容とその効果についての記述はその通りであり、その意義は認めつつも、《「ピンクリボン活動の啓発活動」の方法とその効果は【A】【B】【C】の3つがある》とするだけではなく、それがどのような理論的な意味を持ちうるものであったのか、あるいはそれでも困難になる場面はいかなることを指し示しているのか、等々について記述することが大切かと思います。どうぞご検討下さい。
■2 「結論」の提示について
今回の論考の「素材」は「ピンクリボン活動」になり、そしてその「ピンクリボン活動の啓発方法」における3つの効果を明らかにしたのですが、その【考察】からどのような【結論】が導出されたのかが明確に提示されていないように思います。とりわけ、これまでの「ピンクリボン活動」の理解や、――「ピンクリボン活動」それ自体を扱った先行研究はないにせよ――関連する先行研究との、それこそ「差異」を明示することによって、本研究が何についていかに明らかにするのかがより鮮明になるかと。
この点は重要な点かと思いますので、ご検討頂ければと思います。
■3 問題設定と守備範囲について
本研究が「ピンクリボン活動の啓発方法」の効果/戦略を明らかにしたとして、なぜ「ピンクリボン活動」を取り上げ――その他のキャンペーン活動等ではなく、他ならぬ「ピンクリボン活動」なのか――、そしてそのとりわけ「啓発方法」に着目したのかが冒頭にきちんと記述されていないため――ピンクリボン活動の「資金獲得方法」などではなく、その「啓発方法」に着目したのか――、その導き出された「啓発活動」がどのように位置づけるかが明確になっていないように思います。「今回の論文では「ピンクリボン活動」を取り上げたのはカクカクシカジカの理由によるものであり、とりわけその「啓発方法」に照準したのはカクカクシカジカの判断によるものである。したがって、「ピンクリボン活動の啓発方法」の効果を明らかにすることによってカクカクシカジカを論考することになるであろう」といった基本的な問題設定と守備範囲を確定/画定していくことが望まれます。
■4 方法について
本研究がいかなるインタビュー等をどのように行ったのかについての簡潔な記述はありますが、いつ、いかなる場で、どのような配慮にもとづいて聞き取りが行われ、その結果いかなる性質のデータが収集されることになったのか、等の調査方法などについて――本文中あるいは脚注などにおいて――効果的に記述しておくとよいと思います。
■5 その他
@脚注のフォントをゴチックから明朝体などにすること。
A脚注に◆などのあとにURLが記載されているが、このあたりも工夫すること。
p.3 「期待する、ただ、」→「期待する。ただ、」
p.4 「聞く側が聞く準備を自発的するしかけ」→「聞く側が自発的に聞く準備をするしかけ」
p.5 「−たしかに……−」→「――たしかに、……――」
p.5 「開幕第1試合を感染」→「開幕第1試合を観戦」
p.9 「X線をつ会った」→「X線を使った」
p.10 「乳がん検診を啓発するピンクリボン活動にこの論文ではこうし