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| ■123■ 発表. 「<異なりの身体>を社会学する――老い・障害・病いに照準して」 スティグマとノーマライゼーション研究会.08月02日(木).13:00〜16:30.於:大阪府立大学人間社会学部棟(A4)1F 104会議室. |
天田城介(AMADA Josuke)
配布資料作成:2007.08.01 最終更新日:2007.07.14
【研究会の概要】
※本研究会を企画された中河さん作成のプログラムを(了解のもと)以下に転載します。
[スティグマとノーマライゼーション研究会・2007年度研究会のお知らせ]
「<異なりの身体>を社会学する――老い・障害・病いに照準して」
●報告者: 天田 城介(立命館大学)
●討論者: 森岡 正博(大阪府立大学)
平 英美(滋賀医科大学)
○司会: 中河 伸俊(大阪府立大学)
●日時: 2007年8月2日(木) 13:00〜16:30
●場所: 大阪府立大学人間社会学部棟(A4)1F 104会議室
[企画の趣旨(文責・中河)]
天田さんは,『<老い衰えゆくこと>の社会学』(第3回日本社会学会奨励賞受賞)や『老い衰えゆく自己の/と自由: 高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』などの著述や,各地での講演やワークショップなどで知られる,新進気鋭の社会学者です。今回,7月30日から8月2日の人間科学専攻での集中講義に来ていただけることになったのを機会に,医療社会学・老年社会学の分野で,フィールドと言説史研究を両睨みにして蓄積してこられた天田さんのご知見の一端を披露していただき,学部内外の教員・院生と学際的な知的交流を持つ場を作ろうと,この研究会を企画しました。フロアとの質疑応答の時間もできる限り確保しようと思いますので,皆様の幅広いご参加をよろしくお願いいたします。
[なお,この研究会は,科学研究補助金(C)課題番号18530392001 のサポートを受けた共同研究の一環として行なわれます。]
『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.2007年(税込価格5,250円).
http://www.josukeamada.com/bk/books3.htm
【配布資料】
〈異なりの身体〉を社会学する――老い・障害・病いに照準して
天田城介
1.言語には回収し得ない何か/語り得ない何か
◆社会学における自己論/自己物語論(cf. 浅野智彦 2001)
◆〈すでに自己構成した自己→他者への語りとそれに伴う相互行為→構成された自己〉
⇒「すでに成立してしまっている自己」という先取り=取り込み(時間的・論理的転倒)(天田 2003:33-36)
⇒パラドックス+脱パラドックス化
◆言説を参照しつつ、自らを語る私(≠規範を参照しつつ、自己を評価・裁定する私)
◆このような社会学における自己論/相互行為論から大切な問いとそれをめぐる困難がいくつも提示されてきたのもまた事実であり、この点は幾度も確認しなければならないだろう。(cf. 例えば、ゴフマン仕事を参照せよ。具体的には、ゴフマンの儀礼論、印象操作論、儀礼論、更には『アサイラム』の論点など(無力化過程/特権体系/抵抗の戦略(@身内化、A秘密空間の創出、B植民地化、C転向))(天田 2003:43-57/153-162)
⇒そのような言語には回収し得ない何かを感受することについて考えること。
⇒そのような言語実践を可能にしている身体の物質性について考えること。
2.身体の物質性
◆【〈身体〉は言語実践を通じて、あるいは言語を媒介にした相互行為を通じて常に既に作り出され続けている】という構築主義的テーゼが事実として認めながらも、同時に、そもそもその言語を語るのは他ならぬ当の〈身体〉であること。(天田 2007b)
⇒身体と言語のパラドックス
◆行為体が権力を生産する装置として何かを語る時、それは端的に生存していることを織り込んでいると言えるのである。
◆と同時に、言語では回収し得ない何か、語り得ない何か(欲望・感情・美醜・肉体……その複数性)を通じて、まさにそのような何かを通じた世界の感受を可能たらしめているのもまた身体(の生存)なのである。だからこそ、身体の生存なくして世界の感受は端的に不可能なのである。
3.〈異なり〉の境界はどこにあるのか?
◆むろん、論理的に考えるのであれば、言語に回収し得ない何か、語り得ない何かを通じて世界を感受しているその個々人のあり様は等価であるとしか言いようがない。
◆ただ、その等価である(はずの)世界の感受を可能にしている身体の物質性は、まさに物質であるがゆえに、私たちはその物質としての身体がいかに生存することが可能であるのか、あるいはその生存を可能にするための分配について考えざるを得ないのである。要するに、老い・障害・病いなどの〈異なり〉をめぐる困難のいくつかはこのような「誰が負担を担わざるを得ないのか」「誰がいかに負担を担うべきなのか」をめぐって惹起しているのである。ここに〈異なり〉の一つの大きな境界があると言ってよい。
【文献】
天田城介.2003.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
――――.2004a.『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社.
――――.2004b.「抗うことはいかにして可能か?――構築主義の困難の只中で」『社会学評論』219号(Vol.55, No.3).223-243.
――――.2005.「『生命/生存の維持』という価値へ――『公共圏/親密圏』という構図の向こう側」『家族研究年報』30号.17-34.
――――.2006.「小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度」.小澤勲編『ケアってなんだろう』医学書院.205-234.
――――.2007a.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.
――――.2007b.「二重の宿命による《生の根源的肯定》の(不)可能性」『保健医療社会学論集』第17巻2号.12-27.
――――.2007c.「老い・1」(世界の感受の只中で・01)『看護学雑誌』(Vol.71 No.05).**-**.
――――.2007d.「老い・2」(世界の感受の只中で・02)『看護学雑誌』(Vol.71 No.06).**-**.
――――.2007e.「老い・3」(世界の感受の只中で・03)『看護学雑誌』(Vol.71 No.07).**-**.
――――.2007f.「老い・4」(世界の感受の只中で・04)『看護学雑誌』(Vol.71 No.08).**-**.
――――.2007g.「老い・5」(世界の感受の只中で・05)『看護学雑誌』(Vol.71 No.09).**-**.
――――.2007h.「〈老い〉の身体――身体の異なりの境界はどこにあるのか?」『TASC MONTHLY』2007年9月号(No.381).**-**.
――――.2007i.『「承認」と「物語」のむこう(仮題)』医学書院.【刊行予定】
――――.2007j.『死に放擲される老い(仮題)』ハーベスト社.【刊行予定】
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