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| ■002■ 「老い・2」(世界の感受の只中で・02) 『看護学雑誌』(Vol.71 No.06).554-558.医学書院.2007年06月01日発行. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2007.04.08 最終更新日:2007.04.14
世界の感受の只中で.2007年5月01日〜.『看護学雑誌』(医学書院)
■医学書院 http://www.igaku-shoin.co.jp/
■『看護学雑誌』 http://www.igaku-shoin.co.jp/prd/00146/0014610.html
【全文】(以下はあくまでも草稿です)
老い・2――世界の感受の只中で(2)
●天田城介(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
「西川 そう。はっきりと(階層/引用者補足)差があった。老いというのは、老いだけがあるんじゃなくて、それまでも人生全部の結果なんだというのが、当時四〇代だった私には新鮮だった。今から考えたら当たり前なことだけど。その人たちが戦前にどんなに偉いことをしたかというのは、いっぱい書かれているでしょ。でも、それよりも老いた姿のほうにずっとひかれた。」(荻野編 2006:244/西川祐子・上野千鶴子・荻野美穂の鼎談における西川の発言)
■「〈老い〉の否定から肯定へ」では争えない
前回「老い・1」の話の続きをしよう。前回は天野正子の本を取り上げつつ、戦後において〈老い〉について思考し、未来における自らの〈老い〉を念頭に何らかの具体的な手立てを求めてきた人たちは、まさに自分にとって「切実な問題」として考えざるを得なかったからこそ思考した人たちであった。具体的には、戦後の規範や制度においてもはや家族の中に高齢者の世話を担いきれなくなくなっていたにもかかわらず、その世話を国家が社会的に保障しないという「社会的矛盾」が「嫁・姑問題」に端的に表れていること、戦後においても依然として〈女〉にとって結婚/家族が「老後を保障する制度」であるために独り身の者/子がいない者は幾重にも〈老い〉をめぐる困難を被らざるを得ないこと――こうした事実認識を踏まえて幾人もの人たちが自ら実践してきたのである。
そして、「思想の科学研究会〈老い〉の会」では、主として、上記のような事実認識をも踏まえながら、@〈老い〉は「老人」という括りで十把一絡げにされるために、高齢者は自らの欲望に忠実に生きることが困難であること、A〈老い〉とは常に思いがけない、未知の経験であること、Bそしてその経験はどこまでも多様であること、Cだからこそ〈老い〉についての別様な価値が求められることを主張したのである。すなわち、私たちの社会における〈老い〉の否定に対していかに〈老い〉を肯定するかを構想したのだ。それだけと言えばそれだけのことを提示した。それ以上でもそれ以下でもない。だが、私たちはこのような「〈老い〉の否定」に対して「〈老い〉の肯定」を描出するこの言説の位置価を常に見定めておく必要がある。
ちなみに、先日、立命館大学土曜講座2007年4月「「生存学」の創成――障老病異と共に暮らす世界へ」(詳細はhttp://www.arsvi.com/a/200704.htm参照)という催しがあり、私は第1回目の講演者として話をしたのだが、その中で「〈老い〉の戦後史」についてごく簡単に言及をした。その内容は以下のような極めて単純な話だ。
要するに、戦後の早い段階で川島武宜らによる「敬老思想」批判があり、その後1950年代後半からの谷崎潤一郎『鍵』『瘋癲老人日記』、川端康成『眠れる美女』、伊東整『変容』などの「老年期の性」を主題とした「老人文学」が登場し、また深沢七郎『楢山節考』が刊行されたりもした。その後1970年代になると有吉佐和子『恍惚の人』などが話題になって、それらの主題に関する言説が幾つも登場したのである。また、1960年代には「生涯教育」論などが社会教育の文脈の中から提示されるようになってきた。と同時に、1950年代初頭の社会保障制度審議会など「高齢化(社会)」への警鐘が人口動態との関係で言及され、その後1963年には老人福祉法制定、1965年には社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)設立、1972年には東京都老人総合研究所設立などが作られていくようになる。また、1980年代になると、「高齢化」を「危機」として捉える視点に対する批判も登場していた。加えて、以上の「高齢化」との関係で言えば、1970年代には「高齢化」の問題はまずは企業内における労働や雇用の問題として語られた後に、1980年代になって医療や福祉あるいは「安楽死」問題などについて言及されるようになってきたのである。極めて乱暴にまとめてしまうと、おおよそこのような話になるだろう。
重要な点は、それぞれに幾つかの論争があり、また異なる立脚点から相反する論点が提示されたのだが、おそらく、そこに通底していたのは「〈老い〉の否定から肯定へ」というテーゼである。戦後の社会において「〈老い〉の否定から肯定へ」というテーゼは、説明するまでもなく、おおよそ共通了解事項であったのである――むろん、素朴に「〈老い〉の否定」を主張する論点もあったし、現にあるが、それは別途報告することにしよう――。そのような文脈において、たとえば、「老いの成熟」が明示された。あるいは、「老いの創造性」(天野正子)、「老いの時間」(鶴見俊輔)、「老いのラディカリズム」(井上俊)、「離脱の戦略」「アイデンティティからの自由」(栗原彬)などが提示された。こうした指摘をもっともだと思う部分はある。
しかしながら、やはり創造的ではない〈老い〉はあり、自らの世界において反復・再演される時間性に回収されない〈老い〉もあり、また、決して規範にラディカルではない〈老い〉は存在し、規範から離脱し、自らのアイデンティティから自由とはならない〈老い〉があるのもまた確かであるのだ。つまり、「〈老い〉の肯定」を論究したとしても、そこからスルリと抜け出る世界があるゆえに、そのいずれの「〈老い〉の肯定」の物言いも、その実、私たちの存在を根底から肯定するようには思えないのだ。では、素朴な「〈老い〉の肯定」とは異なった立場に立つのであれば、いかに〈老い〉を思考することが可能であるか?
■〈老い〉を語ることの困難
冒頭の言葉は荻野美穂編『資源としての身体(身体をめぐるレッスン2)』(岩波書店、2006年)に所収されている西川祐子・上野千鶴子・荻野美穂の三者による鼎談「女が老いる、ということ」の中でも西川祐子の言葉である。
ちなみに、この鼎談以外の論文としては、荻野美穂「序論 身体をめぐるエコノミーの構図」、荻野美穂「産む身体・産まない身体――生殖管理のテクノロジーとジェンダー」、三浦展「働ける身体・働けない身体」、市野川容孝「隔離される身体」、加藤秀一「性的身体ノート――〈男語り〉の不可能性から〈新しい人〉の可能性へ」、香西豊子「バンキングと身体――日本における血液事業の展開から」、粥川準二「人体資源利用のエコノミー」、柘植あづみ「卵子・胚・胎児の資源化――何が起きようとしているのか」、美馬達哉「生かさないことの現象学――安楽死をめぐって」が編まれており、その幾つかの論文は興味深い論点を指し示しているのだが、ここではそれらは割愛することにしよう――ちなみに、全体としての本書への私の評価は高くない。
話をもとに戻そう。西川・上野・荻野の三者の鼎談では驚くほど自明な事実のみが反復的に語られている。この鼎談を何度熟読しても、「その議論は概ね事実だろう。だが、その上で更に〈老い〉それ自体を語るとすれば、それはいかに語り得るのか?」という《問い》に対して何がしかを答えてもらった印象をどうしても抱くことができないのである。
極めて乱暴にこの鼎談の内容を平たく表現してしまうと、要するに、@〈老い〉を感受するその時は人それぞれであり、何をもって〈老い〉を感受するかも人それぞれであること、A〈老い〉に向かっていく時期と実際に自らが〈老い〉を迎えている時に感受する世界は異なるということ――たとえば、閉経前にその後を予測していた世界の感受の有り様と、実際に閉経後において経験する世界の感受の有り様は驚くほど異なるということ――、B〈老い〉の多様性が老いの表象において回収されてしまうこと、その表象には「死ぬまで現役思想」が内在していることが少なからずあること、C〈老い〉の只中において身体に触れる/触れられるという欲求は常に残り続けるだろうということ、D老いの性はマスターベーションも含めて考えていく必要があるが、その基本においてコミュニケーションの文脈で考えるべきであること、E老いた女の価値は家事や世話ができるかどうかといった有用性で量られるべきではないこと、F自己決定し得ない事態が生じ得る老いの只中において生きることの決定は困難を伴わざるを得ないこと、G最後まで自宅で老後を過ごすことのは現実的に厳しい状況であること、H介護労働者が安く使われていることで現実の介護保険制度は何とか回っていること、I自分の死後は親しい人の記憶にとどめてもらえればよく、また手間のかからない葬送を三者ともに希望していること、Jだが、いずれも老いという経験とは自らの身体における未知なる旅になるがゆえに、その只中において感受していくしかないこと。これらについて(だけ)がこの鼎談では提示されているのである。
だが、上記のいずれもが自明な事実である。その意味では、この鼎談は「失敗」していると言わざるを得ないだろう。これらは、先述した思想の科学研究会〈老い〉の会が考究してきた論点においてほとんどが言い尽くされているようにも思えてしまうのだ。しかしながら、このように〈老い〉を語ることの困難は、この鼎談においてそうであっただけではなく――これまでの〈老い〉をめぐる論考のいずれにおいても「成功」したとは言い難いのであり――、〈老い〉の世界を感受することをどこに位置させるのかをめぐることに由来しているように思う。
より正確に言えば、私たちが世界を感受して存在していることそれ自体は常にそのいずれにおいても論理的に等価にならざるを得ないし、その感受の有り様によって価値づけることが困難であることをめぐる困難に由来しているのである。私たちは「〈老い〉の世界の只中で感受している事実」をこのように思考するしかないのだ。だからこそ、積極的に〈老い〉について何がしかを語ることはかくも難しいのだ。
■事実として、単純に人はそれぞれに老いていく
さて、冒頭の西川祐子の言葉に戻ろう。西川のこの言葉は1987年に書かれた論文「自立と孤独――雑誌『婦人戦線』の人びとをたずねて」(伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(4)/老いを生きる場』岩波書店、123-153頁)を受けての発言である。西川はこの論文において、1930年3月号〜1931年6月号まで続き、月間で5千部、全16冊が刊行された『婦人戦線』に集まり、1986年夏当時において自らの老いを生きていた人たち(八木秋子、松本正枝、望月百合子、犬塚せつ子、宮山房子、住井すゑ)の姿を描出しているのだが、その論文を書く中で西川は「老いというのは、老いだけがある」のではなく、「それまでの人生の全部の結果」であることを痛感したと発言しているのである。
確かに、この論文において『婦人戦線』に集まった人たちは当時としては少数派の老いの生き方をしていたが、その少数派の老いの生き方もまたそれぞれの来し方によって多様であることが描出されている。そして自らの老いの「自立」の中で「近代の病」である「孤独」に対してそれぞれが各自の方法で対処し、その中で生きていることも鮮やかに記述されてはいる。その記述にはそれぞれに興味深い話が幾つもある。
しかしながら、私には、かつて『婦人戦線』に集った人たちの〈老い〉が当時としては少数派であったとは言え、またそれぞれの個人史と歴史を自らの身体に刻印したような多様な老いの生き方をしているとは言え、それらを記述することによって〈老い〉について何がしかを語ったようには思えないのである――西川が「その人たちが戦前にどんなに偉いことをしたかというのは、いっぱい書かれているでしょ。でも、それよりも老いた姿のほうにずっとひかれた」という発言とは反対に、むしろ本人たちが書いたもののほうが、事実として、何がしかを語っているように思えてしまうのだ。実際、西川が1982年に上梓した『森の家の巫女・高群逸枝』(新潮社)ではそれが見事に記述されている。
更に言えば、どのような人間であれ、人が老いるということは、端的に言って、事実、単純に老いるのであり、それ以上でもそれ以下でもないとすれば、やはり〈老い〉それ自体を語ることは極めて困難な作業にならざるを得ないのである。〈老い〉をめぐる周辺――たとえば、『婦人戦線』に書かれたもの、そしてその後をいかにして生き抜いたのかなど――はそれぞれに「魅力的」であったとしても、その核心にある「老いの身体を生きること」それ自体はいかなる内実や形式であれ、ある意味では「凡庸」であらざるを得ないのである。これが〈老い〉を語ることの困難に内在せざるを得ない困難性なのだ!
■「老いに抗うこと」と「老いを生きること」の接合
したがって、私たちはこれまで〈老い〉について書かれてきた論考から「老いの身体を生きること」それ自体について何かを教わることは少ない(ように思えてしまう)。だが、それぞれの時代において「老いの身体を生きること」をそれぞれの書き手がいかに位置させてきたのか、あるいはその老いの身体をめぐって何がいかに争点とならざるを得なかったのかについては知ることができるし、知るべきである。この作業は幾重にも大切である。
なお、以上の西川の論文が収められた、伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(1)〜(5)』は上記のような意味で刺激的な論考が幾つも収められていると言ってよい。幾つかだけ挙げるとすれば、栗原彬「「老い」と〈老いる〉のドラマトゥルギー」(『老いの発見(1)/老いの人類史』岩波書店、11-48)、上野千鶴子「老人問題と老後問題の落差」(『老いの発見(2)/老いのパラダイム』岩波書店、111-138)、井上俊「老いのイメージ」(『老いの発見(2)/老いのパラダイム』岩波書店、163-184)、鶴見俊輔「生き方としての老い」(『老いの発見(3)/老いの思想』岩波書店、11-37)、松田道雄「市民的自由としての生死の選択――老人問題のコペルニクス的展開」(『老いの発見(3)/老いの思想』岩波書店、87-107)、中井久夫「世に棲む老い人」(『老いの発見(4)/老いを生きる場』岩波書店、155-180)などがある。これらの著者についての論考については別の回に改めて論考するので、ここでは、中井久夫の論文を引用・参照する作業だけしておこう。なお、以下、やや長文になるが、そのまま引用する。
「老いて失明をし、道を横断するにも人の手を借りずにはすまなかった最晩年のサルトルは、「老いとは他者である」といったそうである(鈴木道彦『異郷の季節』、みすず書房、1986年)。この、周辺からの他者化、あるいは思いがけない部分の他者化は、相当部分が、有病率の高さを介して老いに見られるものである。サルトルはその例に入るだろう。他者化とはいろいろな意味にとれることだが、さしあたり、不如意性ということである。そして、自分の一部であったと観念していたものが他に委譲されるということである。この他者化に抗することが課題であり、かなり成功することもある。老眼鏡や入れ歯を自分の一部にしてしまう心理的作業である。この作業は相当な大仕事である」(中井 1986:169-170)
私も拙著『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(2003年、多賀出版。2007年1月に「普及版」を刊行)あるいは『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』(2004年、ハーベスト社)において上記の論考と比較的近似した記述をしたが、この「他者化する身体=自ら制御し得ない身体」こそが「老いを生きる身体」であるとして、その他者化していく(制御困難な)自らの身体に抗うことと、その他者化していく(制御困難な)自らの身体を生きることとはどのように接続するのか、この問いは残っている。簡単に言えば、「老いに抗うこと」と「老いのままに生きること」を順接する論理はいかなるものであるのかという問いを考えることが大切であるということだ。この点は上述した「老いの身体を生きること」をいかに位置させるかに関わる重要な点であるのだが、紙面が尽きた。次回に考えることにしよう。
【文献】
◆荻野美穂.2006.『資源としての身体(身体をめぐるレッスン2)』岩波書店.ISBN:9784000267281.\2,700(税込\2,835).
◆伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1986a.『老いの発見(1)/老いの人類史』岩波書店.ISBN:9784000040310.\2,233(税込\2,345).
◆伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1986b.『老いの発見(2)/老いのパラダイム』岩波書店.ISBN:9784000040327.\2,233(税込\2,345).
◆伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987a.『老いの発見(3)/老いの思想』岩波書店.ISBN:9784000040334.\2,233(税込\2,345).
◆伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987b.『老いの発見(4)/老いを生きる場』岩波書店.ISBN:9784000040341.\2,233(税込\2,345).
◆伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987c.『老いの発見(5)/老いと社会システム』岩波書店.ISBN:9784000040358.\2,233(税込\2,345).
【プロフィール】
天田城介。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。34歳。この連載では、比較的近年に刊行された著書を紐解きながら、障害や老いや病いの世界を感受するということはいかなることであるのかを考えあぐねていきたいと思っています。
E-mail josuke.amada@nifty.com
ホームページ http://www.josukeamada.com
「世界の感受の只中で」のページ http://www.josukeamada.com/bk/bs200705.htm
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