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| ■005■ 第14回全国ボランティアフェスティバル火の国くまもと県央ブロック分科会.No.8「福祉(ネットワーク)」 「地域福祉とネットワーキング―共生社会をめざすために」資料冊子 NHK学園専攻科CSネットワーク(CS熊本).2005年10月31日. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2005.07 最終更新日:2006.04
【冊子タイトル】
◆第14回全国ボランティアフェスティバル火の国くまもと県央ブロック分科会.No.8「福祉(ネットワーク)」
「地域福祉とネットワーキング―共生社会をめざすために」資料冊子
◆NHK学園専攻科CSネットワーク(CS熊本).
日時:2005年10月30日(日).9:30〜12:50
場所:熊本市役所14階ホール.
【冊子内容(天田執筆部分)】051003
地域福祉実践とネットワークの可能性とその条件
天田城介(あまだ・じょうすけ)
熊本学園大学社会福祉学部助教授。1972年埼玉県さいたま市生まれ。立教大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程修了。社会学博士。著書に『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(多賀出版/第3回日本社会学会奨励賞「著書の部」受賞)、『老い衰えゆく自己の/と自由』(ハーベスト社)など。近刊として『「承認」と「物語」の向こう側』(医学書院)ほか。天田城介研究室のホームページはhttp://www.kumagaku.ac.jp/teacher/josuke/
■ネットワーキングから導かれる糸
2005年10月30日(日)に「第14回ボランティアフェスティバル 火の国くまもと」の県央ブロックのNo.8の分科会「地域福祉とネットワーキング―共生社会をめざすために」が開催される。当該分科会はCSネットワーク熊本が中心となって準備を進めてきたものであり、CS会員の方々の並々ならぬ尽力によって可能になったものである。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
分科会のテーマを構成するキーワードである「地域福祉」「ネットワーキング」「共生社会」のいずれもが現在の社会福祉において、あるいは広く現代社会において極めて重要なタームであることは言を俟たない。ましてや、障害や病をもつ人たち、あるいは老いて介護が必要になった人たち、そしてその家族や彼/彼女らをサポートする人々にとってはそれこそ痛切な問いでもある。あるいは震災などの自然災害で被災した方々にとって自らが地域で相互に支えあって生きることの意味はいくら強調してもし過ぎることはない。
その意味では、この分科会における問いは、単に「地域福祉とネットワーキング」の課題や可能性を再考するものではなく、現代社会を生きる私たち誰もが一般的・普遍的に考えあぐねなければならない「根源的な問い」であるとも言える。かく意味において、この分科会が問うべき問題性はあまりにも大きい。だが、その一方で、「21世紀は地域福祉の時代」「ネットワーキングの時代」と喧伝されると、私たちは分かったことにしてしまう、分かったつもりになってしまうのもまた事実である。その意味では、「地域」とは問うべき重要な問いであると同時に、常に危うさを孕んだ言葉でもある。
しかし、翻って考えてみると、私たちは「地域とはいったい何なのであろうか?」「市民の自由なネットワーキングとはどのようにして遂行されるべきなのか?」という問いを自らに立てて生きているわけではなく、現実には「すでに地域の中で生きている」し、「市民の自由なネットワーキングを生きている」のである―私たちはその意味で常に可能性に開かれて生きているのだ。だとすれば、「地域」や「ネットワーキング」とはあれこれと考えあぐねるべき課題であると同時に、人々の営みによって作り出されていくものであるとも言える。否、「地域」も「ネットワーキング」も試行錯誤を積み重ねながら作り出す現実であるからこそ―走りながら考えることで生まれる現実であるからこそ―、その集積を参照しつつ、私たちは立ち止まって「私たちの社会において誰がどのようにいかにして保障されるべきか?」という根源的な問題を問い直すための契機となるのである。言うなれば、試行錯誤を重ねて作り出してきた現実の集積は私たちの根源的な問いを思考する上での参照枠組となるが故に、私たちに別の社会のあり様へと、その可能性への通路へと導いてくれる糸があることを知るのだ。
■地域におけるネットワーキングが創出する価値へ
さて、ここで、あまり「問い」として浮上することはない「ネットワーキングはなぜ必要か?」という根源的な問いについて考えてみよう。
ネットワーキング自体が重要なこともあるが、地域において重層的かつ多層的なネットワークを持つことは多様な異質な他者との関係の通路となると言うことでもある。その意味では、重層的かつ多層的なネットワークをもつということは、一つには、私たちの社会における多様な価値を知る契機となるし、その多様な価値が併存することの結節点になるということでもある。その意味で、多様な他者を繋ぐ「媒介役」となるということである。
もう一つには、それぞれの他者において、あるいは集団の中において様々な情報の集積があり、情報は分散的に集積されているのだが、多層的かつ重層的ネットワークをもつ人たちはその多様な情報を集約し、その情報の落差から新しい価値を発見することが可能となるであろう。その意味では、情報の集積点であると同時に、新しい価値の創造地となる。
そして、「多様な他者を繋ぐ媒介役」であり、「情報の集積点」であり、「新しい価値の創造の起爆剤」となるネットワーカーが地域を舞台として活動することは、分断化/分散化された私たちの生のあり方を繋ぎあわせていくことであり、それは「共生社会」の構築のための重要な要となるはずである。その意味で、共生社会において多層的かつ重層的なネットワーキングの構築は不可欠なものであり、その可能性のための条件であるのだ。とりわけ多文化社会における現代においてこの意味は幾重にも大きなものだ。
と同時に、当のネットワーカー自身もまた他者との出会いを通じて変容し、その変容を通じてまた出会いのあり方自体が変わっていくというダイナミズムを経験することになるだろう。換言すれば、「私」は他者とのネットワーキングを通じて変わりもするし、その私が変わることでまたネットワーキングのあり方も変わってくるのである。ここの<私>の世界と<他者>との世界の同時変容と、それを繋ぐ通路の新たな変容があるのだ。
ただ、誤解がないように説明しておくが、障害をもち、病を生きる人たちの「生存」はその根底において制度的に保障されるべきであり、提供する側(ボランティア)の状況によって変動するものであってはならない。その意味で「地域のことは地域で解決すべき」といったボランティア的な発想とは異なるボランティアの可能性を考えるべきである。
だが、そのことはボランティアの可能性を否定することにはならない。むしろ、ボランティアを中心とした市民自治による地域福祉実践とネットワーキングが「媒介役」となってこそ、「社会的価値」を作り出すのもまた事実である―私たちが「ともに・現に生きている」ということを実感するという社会的価値はこうした活動においてこそ生まれるのだ。その意味で「資源の創出」「自治の創出」「価値の創造」という異なる水準の問題をいかに考えるかが決定的に重要であると同時に、「見えない活動(労働)」を再評価し、人間の関係性を新たに再構築することの意味と可能性を私たちは問い直さなければなさないのだ。
以上の観点からすれば、本分科会は、まさに第一線において自らの営みによって「地域」と「ネットワーキング」を作り出してきた講師とパネリストの方々によって構成されたものであり、その社会的意義と可能性は極めて大きい。分科会の終了後、多くの参加者の方々はおそらく何がしかの「価値」を「発見」することに違いない。そう確信している。
http://www.josukeamada.com/bk/bsp77.htm
http://www.josukeamada.com/events.htm#051017
http://josuke.air-nifty.com/josuke/2005/10/148_fc46.html
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