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| ■048■ 「〈老い〉の倫理学――〈老い〉を現出させる力能から/へ」 日本倫理学会学会発行.『倫理学年報』第56集.P**〜P**.2007年3月30日. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2008.02.03 最終更新日:2008.02.04
【全文】(以下、あくまでも「草稿」です)
〈老い〉の倫理学――〈老い〉を現出させる力能から/へ
●天田城介
0.戦後における〈老い〉をめぐる言説・素描
私たちの社会において〈老い〉をめぐる言説は幾度も――それはしばしば陳腐かつ平板な言説に編成されて――反復されていく。戦後において〈老い〉をめぐっては様々に語られてきたにもかかわらず、それは何度も反復されて提示されてしまうのだ。なぜゆえにこのように言説が反復されてゆくのかそれ自体が興味深いのであるが、本稿ではその問題は措くものとする【1】。むしろ、本稿では「忘却される歴史の忘却」【2】の時代の中で〈老い〉を問うことの根源的困難を踏まえつつ、〈老い〉の倫理学をいかに問うことが可能であるのかについてのみ記すものとしよう。
まず、戦後の早い段階において〈老い〉を照射したのは人口問題研究所(現 国立社会保障・人口問題研究所)などによる人口学からの研究が中心であった。具体的には、舘稔、黒田俊夫、上田耕三、寺尾琢磨、あるいは老年学の知見も踏まえた村井隆重、渡辺定らによって「人口高齢化」「少子高齢化」が社会問題として提起されたのである。また、1950年代には制度論的視点からの家族研究が川島武宜や唄孝一らによって遂行された。また、社会保障論や高齢者福祉など領域では池川清、大内兵衛、岡村重夫、佐口卓、杉村春三、田中多聞、塚本哲、森幹郎、三浦文夫の研究があり、また1960年代以降の社会学の研究では笠原正成、小山隆、那須宗一、大道安次郎、増田光吉、湯沢雍彦、森岡清美などの仕事をさしあたり挙げることができるであろう【3】。無論、橘覚勝の研究も忘れてはなるまい。
なお、付言しておくと、上記の人口学の知見を通じて1950年代初頭の社会保障制度審議会などでは「人口老齢化(高齢化)」による「危機」が言及されており【4】、その後の幾つかの(詳細かつ緻密に記録されるべき)時代的な出来事と契機を通じて1963年に老人福祉法制定、1973年のいわゆる老人医療費無料化、1982年の老人保健法制定、そして介護保険法制定とその後の改定などの事態――またこれに連動して医療制度も幾度も「改革」がなされてきた――へ帰結していくのである。また、1965年には社会保障研究所(現 国立社会保障・人口問題研究所)の設立、1972年の東京都老人総合研究所の設立などの詳細についても私たちは記憶しておくべきであろう。
一方、老年医学の領域では、1950年代になると急速に老いや高齢化に関する研究は活況を呈してくる。1953年には東京大学病理学の緒方知三郎が老人病研究所、老人病研究会を設立し、また同年には日本寿命科学協会(ウェル・エージング・アソシエーション・オブ・ジャパン)が発足している。翌1954年には大阪大学の内科学の今村荒男が老年科学研究会を設立した。同年、東京大学外科学の塩田広重を中心にして寿命学研究会が設立され、1956年以降は『寿命学研究会年報』を発行している――なお、同研究会は渡辺定を中心によって運営されていたが、2007年に解散――。その後、1956年12月には上記の研究会が中心となって第1回日本ジェロントロジー学会が東京にて開催され、翌年の大阪での第二回大会を経て、1958年11月の名古屋での第3回大会の総会にて日本ジェロントロジー学会は日本老年学会と名称を改め、老年医学部会は日本老年医学会、文化科学部会は老年文化科学会――その後、老年社会科学会に改称――と位置づけられたのである。そして、1959年11月に第1回日本老年学会が東京にて開催されるに至ったのである。加えて、戦後の早い時期における老年精神医学の領域では金子仁郎、新福尚武、三浦百重などの研究を挙げることができよう。
更には、1950年代後半からの谷崎潤一郎『鍵』『瘋癲老人日記』、川端康成『眠れる美女』、伊東整『変容』などの「老年期の性」を主題とした「老人文学」が登場し、また深沢七郎『楢山節考』が刊行されるなどしたのである。その後1970年代になると有吉佐和子『恍惚の人』などが話題になって、それらの主題に関する言説が幾つも登場していく【5】。
ここで私たちが押さえておくべき点は、上記の諸々の言説においてさえも幾つかの論争があり、また異なる立脚点から相反する論点が提示されたのだが、おそらく、上記の言説に通底していたのは「〈老い〉の否定から肯定へ」というテーゼであると言えよう。戦後の社会において「〈老い〉の否定から肯定へ」というテーゼは、説明するまでもなく、おおよそ「共通了解事項」であったのである【6】。少なくない人たちが「若さ志向の社会」「生産至上主義社会」「死ぬまで現役社会」「近代社会」に対する批判を言ってきたのだ。この点こそが〈老い〉をめぐって幾度も反復的に提唱・提起されてきた言表なのである。私たちはこのことこそ思考しなくてはなるまい。
1.〈老い〉の肯定と否定の奇妙な接合
拙稿でもごく簡単に言及したが(天田 2007g)【7】、戦後、とりわけ1970年代以降の言説において、たとえば、「老いの成熟」が幾度も語られた。あるいは、「老いの創造性」(天野 1987)、「老いの時間」(鶴見 1987/1988)、「老いのラディカリズム」(井上 1986)、「離脱の戦略」「アイデンティティからの自由」(栗原 1986/1994)などが提示された。こうした指摘をもっともだと思う部分はある【8】。しかしながら、やはり創造的ではない〈老い〉はあり、自らの世界において反復・再演される時間性に回収されない〈老い〉もあり、また、決して規範にラディカルではない〈老い〉は存在し、規範から離脱し、自らのアイデンティティから自由とはならない〈老い〉があるのもまた確かであるのだ。つまり、「〈老い〉の肯定」を論究したとしても、そこからスルリと抜け出る世界があるゆえに、そのいずれの「〈老い〉の肯定」の物言いも、その実、私たちの存在を根底から肯定するようには思えないのだ。では、素朴な「〈老い〉の肯定」とは異なった立場に立つのであれば、いかに〈老い〉を思考することが可能であるか。この点を倫理学的・社会学的に思考してみたいと思うのだ。
こうした基本的な事実がきちんと押さえられていないと、時として、「生産性/生殖性を究極的価値とする現代(近代)社会とはひたすら“若さ”を希求する中で老いと死を否定してきた。ゆえに、この自然な老いと死を否定する延命治療(延命主義)を拒否して、自分らしく老いて死ぬことが老いと死の肯定となる」という、論理的に全くおかしな物言いに変転してしまうことになりかねないのである【9】。
第二に、同様に「〈老い〉の多様性」が指摘されてきた。しかしながら、これは余りにも自明な話であると言える――むろん、自明な話ではあるが大切なことでもある――。だが、単純に考えてみても、「多様であること」は「多様である」としか言いようがないのだ。かりにその「多様なあり様」を記述したとしても、それはそれだけのことである――だから意味がないという話では無論ない――。むしろ、その「〈老い〉の多様性」を前提にした上で、何を言うかを論及することこそ求められるのだ。すると、「問いの立て方」としては「多様であるはずの〈老い〉が(現実には)なぜゆえに多様ではないのか?」という方向で論考するか、あるいは「〈老い〉の多様性」の位置を問うかである。つまり、「例えばホクロの数も場所も多様であるにもかかわらず、なぜ〈老い〉の多様性を私たちは殊更に問うてしまうのか?」と問うてみることである【10】。
しかしながら、慎重に考えなければ、ここでも第一の点と同様のことが起きる。「なぜXは多様ではないのか?」という「問い」に対し、「近代社会」「生産主義」「能力主義」である私たちの社会がその複数性/偶有性を縮減しているのだという「解」を提示することを通じて、その帰着点として奇妙な「〈老い〉の肯定」を称揚してしまうことがあるのだ。同様に、「なぜXの多様性が殊更に問われるのか?」という「問い」に対し、他ならぬ「X」の「位置」が私たちの言説実践を通じて行為遂行的(パフォーマティヴ)に作り出されてきたからであるといった「解」を提示し、そのことを通じて殊更に持ち上げられてきたその「位置」こそ問うべきであるという「落としどころ」に着地してしまい――このように「X」の「位置」についての指摘自体は間違っていないし、重要でもある――、場合によっては、無邪気に「〈老い〉の肯定/否定の無効化」を主張してしまうことがある。私はそのいずれも違うと思う。
第三に、〈老い〉それ自体、あるいは〈老いの身体を生きること〉を記述する困難があるのだ。私たちが世界を感受しつつ存在していることそれ自体は、その感受のあり様がいかなるものであっても価値的に同値であるとしか言いようがない。いかなる世界の感受のあり様であっても、それ自体はいずれも論理的に等価である。したがって、〈老いの身体を生きること〉を記述する困難は、老いの只中にあって世界を感受するあり様(の差異)を価値づけることの困難に由来しているのである。だからこそ、積極的に〈老い〉について何がしかを語ることはかくも難しいのである。ゆえに、論考すべきは「老いの身体を生きることは価値がない」などといった「〈老い〉の否定」をその根底から否定するその論理なのである。その基礎的かつ根本的な思考作業を易々と手放してはならないのだ。
繰り返すが、現在の私たちの社会にあって「〈老い〉の否定から肯定へ」という物言いはむしろ容易に了解される主張なのである。そして、少なくない人たちが実に不可解な「〈老い〉の肯定」を躊躇いもなく語りながら、その実、〈老い〉を――その論理的帰結において――否定してしまっているのである。〈老い〉をめぐる言説はこのように成り立っているのだ。
私たちは上記のような歴史的事実を忘却しており――あるいは忘却したこと自体を忘却しており――、その時代の中で幾度も繰り返し言説が反復されているのである。
2.「〈老い〉はいかに在る(べきな)のか」という「問い」をめぐる困難
上記のような歴史−時代的状況の只中において私たちはしばしばそのように思考してしまうことを自覚しつつ、「〈老い〉はいかに在る(べきな)のか?」を考えてみよう。
単純に考えても、この「問い」に「解」を与えることは極めて困難であるように思える。むしろ、解を導出することが困難であることが論理的に導かれるとしか言いようがない。
その理由として、第一に、事実、これまでの〈老い〉をめぐって幾度も明示されてきたように、〈老い〉はその「多様性」において語られるし、事実そのようにあるからである。第二に、〈老い〉の境界設定をめぐる困難がある。すなわち、私たちは常に老いていく身体を生きているのであり――換言すれば、常に自らの身体の〈異なり〉を何らかにおいて感受しているのであり――、その意味ではいつからが/何が〈老い〉であるのか――あるいはいつからまでが/何が〈老い〉ではないのか――を明確に区画・確定することは原理的に困難であるからである【11】。第三としては、後述するように、〈老い〉をめぐる様態が輻輳する力によって現出可能になっているとすれば、その〈老い〉の《生存する力》を判断・診断した上で、その《生存する力》を価値づけることが困難であることに由来する困難性がある。
まず単純な〈老い〉をめぐる事実を確認しておこう。拙稿(天田 2007k)にて言及したように、私たちは、事実、個々それぞれにおいて〈老い〉を感受しているとしか言いようがない。これは概ね自明のことであると言えよう。また、私たちは自らにおいて自らを「高齢者」と見なしたり、他者に「高齢者」と見なされていることを通じて、またかつてできたことができなくなったり、自らの衰えを感得することなどを通じて自らの〈老い〉を感受しているのである。実際、これらは経験的に様々によく言われていることである。
だが、これではほとんど何も回答していないのに等しい。と言うのも、上記は「私たちは〈老い〉をいかに感受しているのか?」「私たちはどのような契機を通じて〈老い〉を感受しているのか?」という「問い」に対して端的に自明な回答を提示しているだけであり、「私たちが〈老いの身体〉をいかに生きているのか」について何ら言及し得ていないからだ。更には、〈老い〉が多様であることは多様であるとしか言い得ないし、それはそれだけでしかないのである――繰り返すが、もちろん、これらの指摘に意味がないというわけではない――。
3.同一性(アイデンティティ)の綻びを通じた身体の〈異なり〉の現れとしての〈老い〉
極めて乱暴に概括するとすれば、「私たちは常に老いていく只中で身体の〈異なり〉の一様態である〈老い〉を感受しているにもかかわらず、なぜゆえに偶発的出来事を契機に自らの身体の〈異なり〉の一様態である〈老い〉を痛切に感受するのであろうか? それはいかにして可能であるのか?」という「問い」に対して、以下のように回答することが可能であろう。
すなわち、「私たちは常に老いていく只中において感得している自らの〈同一性(アイデンティティ)〉の亀裂・綻び・傷痕を通じて自らの身体の〈異なり〉の一つとして〈老い〉を感受することが可能となっているのである。いわば、その〈同一性(アイデンティティ)〉に回収不可能な何かによってこそ身体の〈異なり〉の一つである〈老い〉は立ち現れている」と回答することができるであろう(天田 2007k)。
このように、私たちは〈同一性(アイデンティティ)〉を前提にしか〈異なり〉(の一つである〈老い〉)を感受し得ないにもかかわらず、まさにその〈老い〉を含めた〈異なり〉によってこそ私たちの〈同一性(アイデンティティ)〉は擬制的に仮構されているとすれば、一方では私たちは常に現に「言語に回収し得ない何か」「語り得ない何か」を感得することを通じて〈異なり〉(の一つである〈老い〉)を感受していながらも――その意味で私たちは事実として常に「差異の回収不可能性」を感受しているのである――、他方で、〈異なり〉(の一つである〈老い〉)という「部分性」によって老いを生きる人びとの存在の全体性を表象・代補してしまうのである――言うまでもなく、〈老い〉をめぐる差異/差別の問題においては後者のような言説の配置=配分(エコノミー)とその力学を考えざるを得ないのだが、ここではこの点は割愛することにする。
繰り返すと、〈老い〉、正確に言えば〈老い衰えゆくこと〉とは「老年期における個人の身体の「ままならなさ」を第一義的に意味する現象」(天田 2003:3)であり、「自らの意思とは無関係に、意思に反して当事者に襲いかかって来るような、あるいは自己にとって制御不可能で「主体」それ自体を剥奪されるかのような――自己による統制・馴致不可能であるような――〈現実〉のモメントなのである」(天田 2004a:52)。その意味で、私たちの社会においては〈老い〉は言わば「根源的な暴力性」を内在しつつ立ち現れるのだ。
ところが、こうした〈同一性(アイデンティティ)〉の亀裂・綻び・傷痕を通じて身体の〈異なり〉として〈老い〉の現れを感受可能にしている基底的条件としての《身体の物質性》があるのだ。
4.〈老い〉の境界設定をめぐる困難
先述したように、私たちは常に老いてゆく身体を生きているのであり、その意味では 「いつからが/何が〈老い〉であるのか」を確定することは困難な作業でもある。
しかしながら、私たちは常に誰もが〈老い〉を感受して生きていると言えるのであるが、他方で、私たちはある出来事を契機に痛切に〈老い〉を感受することもまた事実である。すなわち、常に老いてゆく身体を生きながらも、同時に、たとえば障害や病をめぐる〈異なり〉を感受することを通じて私たちは〈老い〉を痛切に感受しているのである。ここにこそ私たちの社会における〈老い〉をめぐる境界設定(の一つ)があるとも言えるのだ。だから、常に老いてゆく身体を生きているにもかかわらず、この〈異なり〉をまさに〈異なり〉として痛切に感受させている社会的機制(メカニズム)は「できないこと」「手に負えないこと」「負担がかかること」をめぐる所有の規則と価値の配置ということになる(天田 2006:220)。
加えて、これも既述した点であるが、いかにして〈老い〉の様態をいかに価値づけるかの困難もある。論理的に考えるのであれば、〈老い〉をめぐる言説/言語には「回収し得ない何か」を通じて私たちは世界を感受しているのであるが、その個々人の世界の感受のありようは価値的に「等価」であるとしか言いようがない。たとえ私たちが端的に「おぞましい」と感得してしまうような〈老い〉の世界を感受している共約不可能な他者がいたとしても、そのように私たちが常に現に世界を感受している只中にあることそれ自体はやはり価値的に同値であるのだ。この意味で、「〈老い〉はいかに在るべきか」を価値づけることは端的に困難なのである。
5.〈老い〉の身体の〈物質性〉をめぐる問い
一方、私たちは身体の生存なくして――そのありようは「一枚岩的」に言及し得ないにせよ――世界の感受は端的に不可能であるとすれば、私たちは物質としての身体が生存することはいかに可能であるのかについて思考せざるを得ない。このように、等価である(はずの)世界の感受を可能にしている《身体の物質性》は、まさに物質であるがゆえに、私たちはその物質としての身体がいかに生存することが可能であるのか、あるいはその生存を可能にするための分配について考えざるを得ないのである。要するに、老い・障害・病いなどの〈異なり〉をめぐる困難のいくつかはこのような(その世界を感受する生存を可能たらしめている条件でもある)「誰がいかに負担を担うべきなのか」をめぐって惹起しているのだ。ここに〈異なり〉の一つの大きな境界がある【12】。
加えて、【〈身体〉は言語実践を通じて、あるいは言語を媒介にした相互行為を通じて常に既に作り出され続けている】という構築主義的テーゼを事実として認めながらも、同時に、そもそもその言語を語るのは他ならぬ当の〈身体〉である(天田 2007b:24)。換言すれば、「行為体が権力を生産する装置として何かを語る時、それは端的に生存していることを織り込んでいる」という意味での「身体と言語のパラドックス」を考えるのであれば、私たちは《物質としての身体》なくして身体の〈異なり〉の一つである〈老い〉を通じて様々に世界を感受することは端的に不可能であるとしか言いようがないのだ。
換言すれば、「言語には回収し得ない何か」「語り得ない何か」を通じた欲望や感情や姿形や肉体の複数性・偶有性によって私たちは自らの存在と世界をモザイク的に感受することが可能になっている。だからこそ、「言語では回収し得ない何か」「語り得ない何か」を通じた複数の/別様でもあり得た欲望・感情・姿形・肉体などを通じて、そのような何かを通じた世界の感受を可能たらしめているのはまさに身体(の生存)であると言えるのだ。
だからこそ、かりに私たちが〈老い〉の身体を生きる只中における欲望や感情や姿形や肉体の複数性・偶有性を通じて世界を感受して存在していることを支持するのであれば、そのような複数性・偶有性を通じて世界を様々に感受しつつ存在していることを可能にしている《身体の生存》もまた肯定されるであろう。要するに、私たちは身体の生存なくして――そのあり様は「一枚岩的」に言及し得ないにせよ――世界の感受は端的に不可能であるとすれば、私たちは物質としての身体が生存することをめぐる倫理について考えざるを得ないのである。もっと言えば、〈老い〉の身体とは、身体の傷つきやすさや身体が充たされなくては生存し得ないという「徹底的な受動性」においてあるならば、それは端的に他者にとって「負担がかかること」であるとも言い得るのである――私たちの身体は生きていくためには呼吸し、体温を保ち、食事をし、排泄をすることなどを通じて辛うじて生存が可能となるほど脆弱な存在だからでもある――【13】。
更には、〈老い〉の身体を思考することとは、私たちはなぜだかこの身体を与えられ、重力・空気・水・食物などの生存するために基本的に必要なものを享受することが可能となっているという「根源的贈与」について考えることでもあるのだ。
6.〈老い〉をめぐる様態を現出させる力
私たちの身体は様々なものによって支えられ、その様態は条件づけられていると言える。たとえば、「呼吸をする」という生存に関わる行為でさえ、空気が一定の酸素濃度を保っていなければ、鼻腔や肺などの臓器などにその空気を摂取する力能がなければ、可能とはならないのである。人工呼吸器を着ける人々の呼吸は、まさに人工呼吸器を自らの身体に着けることが可能となる身体の力能がなければ、その器械が送り出す空気を摂取する臓器の力能がなければ、現出することは有り得ないのである。その意味において、私たちの存在は身体とその他のものとの力が輻輳する場において現前するのである。
このように私たちの生存とは身体とその他のものとの力の関係によってその様態は条件づけられているのである。すると、人は生きていく中で、老いていく只中で、様々な力が輻輳する場において、ある身体の力能(力)を喪失しつつ、また別の力能(力)を得ながら、自らが生きていくその様態を変容させていくのである。そして何よりも、どのような力能(力)だとしても、あるいはそこに社会的諸力が遍在的に働いているとしても、私たちは常に現に生存していることそれ自体を可能にしている《身体の物質性》に内在する力を根源的な条件にしているのである。
以上のような輻輳する力によって現出可能となっている〈老い〉の様態について価値づけることもまた困難ではある。しかしながら、私たちが様々な〈老い〉の様態をその根底において可能にしている《身体の物質性》に内在する力――かりにこれを《生存する力》と呼んでもよいであろう――こそが、私たちの存在を可能にしている「根源的贈与」であるとするならば、その根源的贈与の観点からこそ〈老い〉は思考されるべきであろう。
そしてこのような「根源的贈与」においてこそ、私たちは「回収不可能な何か」「語り得ぬ何か」を通じた複数の/別様でもあり得た欲望・感情・姿形・肉体などを通じて世界を感受していることが可能となっていること、これこそが〈老い〉の身体について倫理学的に思考することであるように思うのである。
7.存在/生存の価値――解けない問い
デリダの『死を与える』(Derrida 1999=2004)を引くまでもなく、「死を与えるdonner la mort」とは、すなわち「死の贈与」とは「殺すこと」であると同時に「犠牲として死を捧げること」であるという意味で、常に二重の贈与である。そして、デリダの「贈与論」に従うならば(Derrida 1991)、「贈与」とは、物質的・象徴的な交換を含めたエコノミーの円環・接続を可能にすると同時に、それはまさにエコノミーの円環・接続を中断・不可能にさせる〈何ものか〉であるはずなのだ(天田 2008d:82-84)。
繰り返すが、デリダに倣うならば、《秘儀(ミステール)》の内において「死の贈与」が遂行されたからこそ、〈神〉の超越的視線のもとで「エコノミーの犠牲」すなわち「オイコノミアの犠牲」を耐え忍ぶことを受け入れたからこそ、「絶対的贈与」それ自体は贈与として現れることなく、報酬などを含むエコノミーの円環=接続を可能たらしめているのである。だとすれば、デリダが《秘儀》のうちの「死の贈与」の瞬間において現出=消失する「絶対的贈与」を憤りつつ論難したことを踏まえるならば、すなわち「X」――この「X」には神・共同体・人間・名づけようのない何か……などを代入・嵌入されたい――の「家畜」たる人間が「X」の呼びかけに応じる隷属者=家畜として自ら/他者を「犠牲」にして「死の贈与」がなされることを肯定せんとする馬鹿げた幻想に対して痛烈な批判を投げかけたことを踏まえるならば、私たちはまさに全き「犠牲」なきエコノミーの彼岸においてこそ「根源的贈与」が可能になることを願うなら――その不可能なものを信仰する信によって、つまりは奇跡/奇跡の魔術的な力によってこそ「根源的贈与」が可能になることを願うなら(小泉 2006:155)――、全き「犠牲」なき「根源的贈与」としての未来の別名の〈何ものか〉こそが私たちに生存する力能としての身体を与え、私たちが生存するための全てを享受できるようになる世界を与えてくれることを希求することになるのだ(天田 2008d:84)。
それはまた、しばしば死の贈与のエコノミーと犠牲の構造において自ら/他者に「犠牲」を与える事態に自ずと与してしまった「〈老い〉の否定から肯定へ」という幾度も陳腐化・平板化されつつ反復されてきた思考の認識論的地平とは全き異なる場所から、「根源的贈与」(の到来)によって与えられた「〈老い〉をめぐる様態を現出させる力」を思考することであり、そのことが私たちの「回収不可能な何か」「語り得ぬ何か」を通じた複数の/別様でもあり得た欲望・感情・姿形・肉体などを通じて世界を感受していることを可能にしていること、更には〈世界の現れ〉それ自体を倫理学的に思考することを導くのである。
註
【1】 戦後における〈老い〉と〈高齢化〉の言説がいかに分離・接合してきたのか、そのような言説の配置=配分(エコノミー)については別途報告するものとしたい。その一部は天田(2008i/2009)にて報告する。
【2】 精神医療の領域における「忘却された歴史の忘却と反復される言説」について、とりわけ1970年代以降の「精神医療」において幾つかの偶発的な時代的な契機によって突きつめられた問いについての言説が拡散し、異なる領域で語られていた言説と奇妙な形で分離・結合していきながら反復されている歴史について拙稿にてごく簡単に記述した(天田 2006)。参照されたい。
【3】 なお、大道安次郎が指摘するように、「老年社会学」の研究において纏った著書の形で刊行されたのは1962年2月刊行の笠原正成の『老人社会学』(笠原 1962)と同年10月に上梓された那須宗一による『老人世代論――老人福祉の理論と現状分析』(那須 1962)の2冊である(大道 1966:1)。その意味で、1962年は「老年社会学」において注目すべき年である――なお、1962年は老人福祉法施行の前年にあたり、そうした時代状況の中で上記の2冊は書かれたことを付記しておく――。なお、更に注目すべき点としては、その後、笠原は1981年と1984年に『高齢化社会と安楽死問題』と『老人問題の今日的課題――老人安楽死問題に関する論文と資料』(笠原編 1981、1984)を編んでおり、「安楽死」問題を実践的に取り組んだのに対して――笠原は日本尊厳死協会の前身である日本安楽死協会(1978年設立)の理事を務めていた――、那須宗一は1978年11月の日本安楽死協会による「末期医療の特別措置法案」に反対の立場から発足した安楽死法制化を阻止する会の発起人の一人として「安楽死法制化」に反対の立場を採ったことも記憶されるべきことであろう――なお、その他の発起人は武谷三男・野間宏・松田道雄・水上勉である――。実際、那須は朝日新聞に連載していた「不老のすすめ」にて「安楽死」を取り上げ、「私も安楽死賛成論者としばしば対談させられたが、がんの終末の苦痛や植物的人間の高価な医療費のことを指摘されて、延命を強制することは患者の人権無視だと論じられると、しばしばたじろがざるをえなかった。また老人医療にみられる医師の技術偏重主義や金もうけ主義に植物的人間が利用されるという痛烈な批判にも現実の一面がありそうだと思えた。しかしそれでも私は、つねに消極的ではあるが反対論の立場に立った」と記しているように(那須 1976:122)、そこには逡巡が見られることも記しておこう。戦後における〈老い〉をめぐる言説がいかに編成されてきたのか、それは私たちの社会におけるエコノミーといかに連接・結合しつつ語られてきたのかについては稿を改めて詳細に描出するものとしたい(天田 2009)。部分的かつ断片的には天田(2008d)にて言及した。
【4】 1980年代になると、「高齢化」を「危機」として捉える視点に対する批判も登場していた。加えて、「高齢化」との関係で言えば、1960年代には「高齢化」の問題はまずは企業内における労働や雇用の問題として語られたことも付記しておこう。私たちは歴史的・時代的文脈において〈老い〉や〈高齢化〉をめぐる言説がいかに編成されてきたのかを知っておく必要があるのだ。
【5】 有吉佐和子『恍惚の人』(有吉 1972→2003)と作品が書かれた歴史的・時代的文脈については拙稿(天田 2008b)参照。小説などの「文学」の領域において〈老い〉をめぐっていかなる言表が相互に結合してきたのかなどについても天田(2009)にて詳説したい。
【6】 むろん、「高齢化」を「危機論」の文脈において、「老い」――正確には「老いの只中で障害や病いを生きること」――を「老残」の文脈において素朴かつ乱暴に「〈老い〉の否定」を主張する論点もあったし、現にあるが、むしろ私たちが注目すべきは一見すると「〈老い〉の肯定」を語りながら、その実、奇妙な形で「〈老い〉を否定」する言説である(天田 2008e)。極めて乱暴な形での言及であるが、天田(2007c/2007d/2007e/2007f/2007g/2007h/2007i/2007j/2008a/2008b/2008c/ 2008e/2008f)にてそのような言説の分離・結合の配置=配分(エコノミー)について記している。なお、一つだけ挙げるとすれば、吉田寿三郎の作品などは極めて単純な典型例である(吉田 1974/1981)。天田(2008d)にて生権力を駆動するエコノミーの観点から吉田の論考を分析し、老年学がどのような政治の只中にあって言説を編成してきたのかについて論及した。
【7】 以下は拙稿(2007g、2007k)にて提示した論点を大幅に再構成して書き記す。なお、紙幅の制約上、本稿で十分に言及・論考し尽くすことが困難な論点については天田(2008g、2008h、2008i、2009)にて詳説・考究するものとしたい。
【8】 伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(1)〜(5)』に当時の時代状況の中で考えられた重要な論考が残っている。その幾つかを挙げるとすれば、井上俊「老いのイメージ」(井上 1986)、栗原彬「「老い」と〈老いる〉のドラマトゥルギー」(栗原 1986)、松田道雄「市民的自由としての生死の選択――老人問題のコペルニクス的展開」(松田 1987)、中井久夫「世に棲む老い人」(中井 1987)、鶴見俊輔「生き方としての老い」(鶴見 1987)、上野千鶴子「老人問題と老後問題の落差」(上野 1986)等がある。
【9】 拙稿にてバーバラ・マクドナルドの本を取り上げた上で、このような言説の結合を決剔した。マクドナルドの本で描出されているように(Macdonald 1983=1994)、「老いの否定」に抗うことは極めて困難にならざるを得ない。当事者が〈老い〉の否定を差し向けられないように回避すること/誤魔化すことも、その否定を上回る価値を証明することも、またその否定を転換することも、結局のところ、うまくいかないのだ。加えて、老いも愉快だとうそぶき、演技することも、「自分たちの(精神こそ)若いのだ!」と強弁することも、更には「老人にしては〜である(〜できる)」といったような「例外扱い」されるような存在になるべく「偽装」することも、その社会的帰結としては、「出口なし」の「八方塞」の事態を招来してしまうことになるのだ! マクドナルドはこのような認識を基軸にしつつも、むしろそうであるがゆえに、「死を手中に握ること」によって「自分のパワーを自分のもの」にして「自分の人生を決めることができる」ようになることに《希望》の光景を見たのだ。むろん、このように「死」を想像することでかろうじて自らの「自由」を感得することが可能となる現実があること、あるいは実際に「最期の場面」を想定して自らが「死の選択」を行うことによって何とか「唯一」の「自由」を行使していると感受することが可能となる事態が現にあること、それ自体は事実として間違いではない。そうすることでしか自らの〈老い〉を生きられないことがある。そのように私たちの社会における強烈な「〈老い〉の否定」に抗って「〈老い〉の肯定」を主張することによって、かろうじて自らの存在を死守せんとする現実は現にある。しかしながら、まさにそれは「他者によって暴力的に作り出されている〈老い〉」を「自らによって選び取る〈老い〉」に反転させる行為であるのだが――そこでは「美しき老いの物語」が語られたりもするのだが――、まさにその「選択」によって私たちの社会は(奇妙な形で)維持されてしまうという皮肉な帰結をもたらすことになってしまうことがあるのだ。差別/差異をめぐる問題にはこうした「罠」が常にある。だとすれば、それは「エコノミー」の問題であり、それをめぐる思考は〈倫理〉と呼ぶことはできない(天田 2007f)。天田(2007e/天田2007f)でもごく簡単にこの点について記した。
【10】 要するに、「Xの多様性」の「多様性」を参照点にして現実にそうなっていない私たちの社会の仕組みを記述していく道筋と、あるいは「X」の位置を主軸にして数多ある私たちの生の多様性の中でも「X」が殊更に問われるのかを考えていくような道筋があるのだ――それ以外の問いの立て方も無数にあるが、ここでは略す――。これは差別/差異をめぐる問題を論及するにおいて決定的に重要な問いとなる。
【11】 すでに拙稿にて言及している、最小限の指摘にとどめるが、老い衰えゆく人たちがしばしば口にする「こんなふうに(認知症や寝たきりなどの状態に)なったら死んだほうがマシ」といった現実はなぜゆえに立ち現れるのであろうか。考えてみると、このような現実自体が大いなる「謎」であるとも言える。と言うのも、私たちは常に老いているからである。これは自明であると言ってよいであろう。しかしながら、私たちは常に老いていく身体を生きているにもかかわらず、言い換えれば、「常に自らの身体の〈異なり〉を何らかにおいて感受していながらも、その実、なぜゆえに私たちは老い衰えゆく只中において障害や病などを経験する場面において、つまりは老いや障害や病などの身体を生きる事態においてこそ自らの身体の〈異なり〉を感受するのであろうか?」という「問い」についても論考している(天田 2007k)。その論考にて極めて乱暴に要約・概括したように、上記のような「問い」に対して社会学(とりわけ自己論/相互行為論と呼ばれる領域の)研究では、要するに、社会学の自己論/相互行為論では、他者の眼差し/視線の先取り(プロジェクション)=取り込み(イントロジェクション)を通じた『私は私である』という自己同一化(アイデンティフィケーション)を介して自らの存在の価値づけが可能になっている、と言っているのである(天田 2003:37)――この詳細については拙著参照(天田 2003、2004、〔天田(2003)の〔普及版〕として2007a〕)――。それ以上でもそれ以下でもない。誤解を恐れず極めて簡潔に表現すれば、つまりは【私たちは他者の眼差し/社会の規範を参照しながら自らを価値づけていること――もっと言えば、世間のモノサシによって私たちは自らの存在を評価・裁定してしまうこと】を端的に明示したのである。極論すれば、そのこと(だけ)を論考してきたとも言えるし、ある意味でそれは大切な解の提示の仕方であったのだ。以上の議論を踏まえるのであれば、私たちが〈老い〉を感受する社会的機制(メカニズム)は以下のように説明されることになる。すなわち、「他者に私がいかに見られているのかを参照にしつつ自らがいかに私を見てきた中で作り出してきた自己イメージ/身体イメージと現実の落差・ズレによって自らの身体の〈異なり〉の現れを感受しているのだ」、と言うことだ。しかしながら、主として自己論/相互行為論においては「規範を参照しつつ、自らを評価・裁定する私」や「言説を参照しつつ、自らを語る私」に照準した上で、日々の言語実践を通じた相互行為によって作り出されてゆく現実を抉剔することに力点が置かれてきたのもまた事実である。したがって、私たちが「言語には回収し得ない何か」あるいは「語り得ない何か」を感受しながら常に現に存在していること、あるいは私たちがそのような「言語には回収し得ない何か」や「語り得ない何か」を通じて世界を感受しつつ常に現に存在していることを可能たらしめている《身体の物質性》についてほとんど(あるいは十分に)考えてこなかったのもまた事実であるのだ。その意味で、これまでの自己論/相互行為論は「決定的に重要な問い」を十分に思考していないと言えよう。以上を踏まえるのであれば、〈私〉とはある役割や規範や言語には決して「回収し得ない何か」によって「私は私である」という同語反復的(トートロジカル)な〈同一性(アイデンティティ)〉を擬制的に仮構することによって成り立っているにもかかわらず、その〈同一性(アイデンティティ)〉の仮構性によって逆説的に「言語には回収し得ない何か」や「語り得ない何か」――「自己の過剰性」とでも呼び得る何か――はあたかも存在していなかったように放擲・抹消されてしまうのである(天田 2003:43)。すると、冒頭の「こんなふうに(認知症や寝たきりなどの状態に)なったら死んだほうがマシ」という、少なくない老い衰えゆく身体を生きる人たちが発する言葉を通じて、まさにこのように仮構された〈同一性(アイデンティティ)〉によって、たとえば「生きて(何かを感じて)いたい」「苦悩を生きながらも存在していたい」などの当事者の自己のうちにおいても回収し得ない何か――たとえば、それは欲望や感情や姿形や肉体などであったりするし、またそれらは複数的/偶有的である――があること自体が封印・消去されてしまうことになるのだ!
【12】 身体の〈異なり〉は原因論を問うこと以上に、身体の〈異なり〉をめぐって「誰がどのように負担しているのか」という力学について考えることが要請されているのである。また、私たちの社会は、一方では身体の〈異なり〉を生きる人々を排除・抑圧しながらも、同時に私たちの社会は、論理的に考えれば、身体の〈異なり〉を前提に/組み込んでしか成立し得ないのである。だとすれば、このような私たちの〈社会〉において交錯する力・欲望をその根底においていかに思考するかを問うべきであるのだ(天田 2007k)。
【13】 おそらく私たちの〈社会〉は〈異なり〉を排除せんとする欲望を基底にした機制と同時に、〈異なり〉によって〈社会〉を成立せんとする欲望を基盤としたより原基的/根本的な機制(メカニズム)によって可能になっているのである。この欲望の複数性・偶有性をいかに考えるかである。加えて、【〈身体〉は言語実践を通じて、あるいは言語を媒介にした相互行為を通じて常に既に作り出され続けている】という構築主義的テーゼが事実として認めながらも、同時に、そもそもその言語を語るのは他ならぬ当の〈身体〉である(天田 2007b:24)。換言すれば、「行為体が権力を生産する装置として何かを語る時、それは端的に生存していることを織り込んでいる」という意味での「身体と言語のパラドックス」を考えるのであれば、私たちは《物質としての身体》なくして身体の〈異なり〉を通じた様々に世界を感受することは端的に不可能であるとしか言いようがないのだ。「言語には回収し得ない何か」「語り得ない何か」を通じた欲望や感情や姿形や肉体の複数性・偶有性によって私たちは自らの存在と世界をモザイク的に感受することが可能になっているのである。だからこそ、「言語では回収し得ない何か」「語り得ない何か」を通じた複数の/別様でもあり得た欲望・感情・姿形・肉体などを通じて、そのような何かを通じた世界の感受を可能たらしめているのはまさに身体(の生存)なのである(天田 2007k)。
【文献】
天田城介.2003.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
――――.2004a.『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社.
――――.2004b.「抗うことはいかにして可能か?――構築主義の困難の只中で」『社会学評論』219号(Vol.55, No.3).223-243.
――――.2005.「『生命/生存の維持』という価値へ――『公共圏/親密圏』という構図の向こう側」『家族研究年報』30号.17-34.
――――.2006.「小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度」.小澤勲編『ケアってなんだろう』医学書院.205-234.
――――.2007a.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.
――――.2007b.「二重の宿命による《生の根源的肯定》の(不)可能性」『保健医療社会学論集』第17巻2号.12-27.
――――.2007c.「老い・1」(世界の感受の只中で・01)『看護学雑誌』(Vol.71 No.05).446-470.
――――.2007d.「老い・2」(世界の感受の只中で・02)『看護学雑誌』(Vol.71 No.06).554-558.
――――.2007e.「老い・3」(世界の感受の只中で・03)『看護学雑誌』(Vol.71 No.07).644-648.
――――.2007f.「老い・4」(世界の感受の只中で・04)『看護学雑誌』(Vol.71 No.08).740-744.
――――.2007g.「老い・5」(世界の感受の只中で・05)『看護学雑誌』(Vol.71 No.09).834-838.
――――.2007h.「老い・6」(世界の感受の只中で・06)『看護学雑誌』(Vol.71 No.10).928-932.
――――.2007i.「老い・7」(世界の感受の只中で・07)『看護学雑誌』(Vol.71 No.11).1018-1023.
――――.2007j.「ケア・1」(世界の感受の只中で・08)『看護学雑誌』(Vol.71 No.12).1110-1114.
――――.2007k.「〈老い〉の身体――身体の異なりの境界はどこにあるのか?」『TASC MONTHLY』2007年9月号(No.381).6-15.
――――.2007l.「死に放擲される老い――事態の深刻さに対する倫理」『医学哲学 医学倫理』第24号.131-136.
――――.2008a.「ケア・2」(世界の感受の只中で・09)『看護学雑誌』(Vol.72 No.01).64-69.
――――.2008b.「ケア・3」(世界の感受の只中で・10)『看護学雑誌』(Vol.72 No.02).154-158.
――――.2008c.「ケア・4」(世界の感受の只中で・11)『看護学雑誌』(Vol.72 No.03).248-252.
――――.2008d.「死の贈与のエコノミーと犠牲の構造――老い衰えゆく人びとの生存という戦術」『現代思想』36(3).82-101.
――――.2008e.「安楽死・1」(世界の感受の只中で・12)『看護学雑誌』(Vol.72 No.04).***-***.
――――.2008f.「リハビリ・1」(世界の感受の只中で・13)『看護学雑誌』(Vol.72 No.05).***-***.
――――.2008g.「解かれない問い――存在/生存の価値をめぐって」『緩和ケア』第18巻3号(特集「老いの時代の緩和ケア――どう捉え、実践するか」).青海社.【刊行予定】
――――.2008h.『(未定)』医学書院.【刊行予定】
――――.2008i.『(未定)』ハーベスト社.【刊行予定】
――――.2009.『(未定)』【刊行予定】
天野正子.1987.「「もうひとつの時間」への招待――序に代えて」.思想の科学研究会〈老いの会〉編『老いの万華鏡――「老い」を見つめる本への招待』御茶の水書房.3-16.
有吉佐和子.1972.『恍惚の人』新潮社.→2003.『恍惚の人』(改版)新潮社(新潮文庫).
Beauvoir Simone de.1970.La Vieillesse.Editions Gallimard.=朝吹三吉訳.1972.『老い(上・下)』人文書院.
大道安次郎.1966.『老人社会学の展開』ミネルヴァ書房.
Derrida, Jacques.1991.Donner le temps 1. La fausse monnaie.Galilee.
――――.1999.Donner la mort.Galilee.=廣瀬浩司・林好雄訳.2004.『死を与える』筑摩書房(ちくま学芸文庫).
井上俊.1986.「老いのイメージ」.伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(2)老いのパラダイム』岩波書店.163-184.
伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1986a.『老いの発見(1)老いの人類史』岩波書店.
伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1986b.『老いの発見(2)老いのパラダイム』岩波書店.
伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987a.『老いの発見(3)老いの思想』岩波書店.
伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987b.『老いの発見(4)老いを生きる場』岩波書店.
伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編.1987c.『老いの発見(5)老いと社会システム』岩波書店.
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小泉義之.2006.『病いの哲学』筑摩書房(ちくま新書).
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――――.1994.『人生のドラマトゥルギー』岩波書店.
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松田道雄.1987.「市民的自由としての生死の選択――老人問題のコペルニクス的展開」.伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(3)老いの思想』岩波書店.87-107.
中井久夫.1987.「世に棲む老い人」.伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(4)老いを生きる場』岩波書店.155-180.
那須宗一.1962.『老人世代論――老人福祉の理論と現状分析』芦書房.
那須宗一.1976.『不老のすすめ』勁草書房.
思想の科学研究会〈老いの会〉編.1987.『老いの万華鏡――「老い」を見つめる本への招待』御茶の水書房.
小澤勲編.2006.『ケアってなんだろう』医学書院.
鶴見俊輔.1987.「生き方としての老い」.伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(3)老いの思想』岩波書店.11-37.
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上野千鶴子.1986.「老人問題と老後問題の落差」.伊東光晴・河合隼雄・副田義也・鶴見俊輔・日野原重明編『老いの発見(2)老いのパラダイム』岩波書店、111-138.
上野千鶴子・中村雄二郎.1989.『〈人間〉を超えて――移動と着地』青土社.→1994.『〈人間〉を超えて――移動と着地』河出書房新社(河出文庫).
吉田寿三郎.1974.『日本老残――20年後の長命地獄』小学館.
――――.1981.『高齢化社会』講談社(講談社現代新書).
⇒天田城介(josukeamada.com)⇒著書・論文など