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| ■047■ 「死の贈与のエコノミーと犠牲の構造――老い衰えゆく人びとの生存という戦術」 青土社発行.『現代思想』(2008年3月号/第36巻3号).P**〜P**.2007年03月01日. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2008.02.06 最終更新日:2008.02.16
死の贈与のエコノミーと犠牲の構造
――老い衰えゆく人びとの生存という戦術――
●天田城介
【目次】
1.《秘儀》としての「死の贈与」
2.エコノミーの彼岸における根源的贈与
3.死の贈与のエコノミーと犠牲の構造
4.〈家の法(オイコノミア)〉から〈魂のオイコノミア〉へ
5.オイコノミア=装置における統治のプログラム
6.エコノミーによる生−権力の配備
7.「生きさせる」と「死の中に廃棄する(死ぬに任せる)」の接合
8.死の贈与のエコノミーと犠牲の構造の現在
9.老年学の〈夢想〉
10.老い衰えゆく人びとの生存という一つの戦術
註
【1】 デリダによるアブラハム神話の解読において重要なのは、アブラハムがイサクを犠牲として捧げんとした瞬間に、つまりは息子に刀を振り上げたとき、神の使いが「少年に手をのばすな。彼に何もしてはならない。いま、わかった、あなたは本当に神を畏れる者である」と告げたのち、アブラハムが羊を息子の代わりに供犠として捧げた点であるのが、ここでは紙幅の都合上割愛する。
【2】 デリダはこう言う。「たしかにこの話はおそろしく、前代未聞であり、ほとんど思考することができないようなものだ。父は愛する息子に、かけがえのない愛する者に死を与えようとする。それは〈他者〉が、大いなる〈他者〉が、まったく理由も示さずに要求し、命じたからである。子殺しの父は自分がしようとしていることを息子にも近親者にも隠す。なぜなのかもわからないし、愛や人類や家族や道徳に対していったいどのような忌まわしい罪を、どのようにおそるべき(tremendum)秘儀をなそうとしているかもわからないのだ」(Derrida 1999=2004:141)。今日の社会における安楽死/尊厳死の「自己決定」――「みずからに死を与える」――においても誰になぜゆえに命じられているかも分からず、またそれがどのようなおそるべき秘儀を遂行しているかも分からず、更には分からないことが分からないという意味で《秘儀的》というしかない。
【3】 こうした《負担/責任》《身体/差異》《人間/存在》については天田(2007-2008)にて触れている。なお、老いについて論考した近年の拙稿として天田(2006、2007c、2008a、2008b、2008c)、現代において老い病み衰えゆく人びとが「死の中に廃棄される(死ぬに任せる)」事態に晒されている現実については天田(2007d、2008b)。
【4】 説明するまでもなく、編者スネラールが註にてルソーの言葉を引いて説明するように、「エコノミーないしオイコノミアという単語は家(oikos)と法(nomos)に由来し、もともとは家族全体の共通善のためになされる賢明・正当な家の統治を表すに過ぎない」(Foucault 2004=2007:139)。
【5】 フーコーはこうも言う。「フランス語の「エコノミー」は明らかにこの「魂のオイコノミア(オイコノミア・プシュコーン)」を翻訳する最適の単語ではないでしょう。(中略)「魂のオイコノミア(オイコノミア・プシュコーン)」は「魂の操行(コンデュイット)」と翻訳するのが最善かもしれないと思うのです。キリスト教司牧が西洋社会に導入した根本的な要素の一つだろうと思います」(Foucault 2004=2007:238-239)。
【6】 ここにアーレント(Arendt 1958→1998=1994)を媒介にして説明することもできなくはない。極めて乱暴に圧縮・要約するならば、アーレントが提示したように、かつてのギリシアにおける〈政治的なもの〉とは、私的領域(オイコス)と公的領域(ポリス)の明確な峻別によって可能となっていた。それはオイコスにおいて「生命/生存の維持」に関わる事柄が全て営為されているゆえに、オイコスの支配者である家長は「生命/生存の維持」に関わる一切の事柄とは離れて、あるいはそれぞれのオイコス内部の「生命/生存の維持」に関わる利害関係を超えて、「政治的生」あるいは「公共的生」を追求することが可能であったがために「公共空間」は人間の複数性や共約不可能性によって逆説的に構成されることを指摘した。こうした強固な境界設定ゆえに、公共領域たるポリスは「何性」ではなく、「誰性」としての存在を相互に承認し合う形式を通じて、「共約不可能な他者」が出来する「現われの空間」あるいは「アゴーン」となっていたのである。ところが、かつては明確に峻別されていた私的領域(オイコス)と公的領域(ポリス)が、近代における〈社会的なもの〉の勃興によって、すなわちこれらの2つの領域の結合によって、〈社会体〉という範域内で――元々はオイコスで為されていた――人びとの生命/生存の維持が為されるようになると、これによって私的領域(の利害)を超えて達成されるべき公的領域の自由な政治性が失墜し、〈社会的なもの〉による権力が強化/徹底化されるという事態をアーレントは憂慮し批判した(天田 2003、2004a)。だとすれば、〈社会的なもの〉によってまるで〈家の法〉が社会全域を包囲してしまったと捉えることも可能であろう。この領域こそ「装置」としての「オイコノミア」が作動する空間となる。
【7】 以下で極めて乱暴に言及した点については天田(2003、2004a)で詳述している。天田(2003)の「普及版」として天田(2007a)。また、天田(2004b、2005、2007b)なども参照されたい。
【8】 「17世紀と18世紀における狂気は、厳密には「精神の病」を指さずに、身体と精神がともに問題とされるある何事かを指して」(Foucault 1964=1975:238)いたが、18世紀末から19世紀初頭にかけて精神疾患は身体疾患と分離され、「精神」という領域を創出した(市野川 2000:84)。
【9】 刑罰の歴史を紐解けば、18世紀末までは鞭打ちや八つ裂き、指や手足や生殖器の切断、焼判押しなどの「身体刑」が中心であったが、それ以降は懲役、禁錮、拘留など受刑者の行動の自由を奪う「自由刑」と、罰金、科料、没収などの財産を剥奪する「財産刑」が基本となってきている。このことは、自由刑や財産刑の剥奪によって犯罪者の「精神」が矯正され(反省をし)、そのことをもって受刑後は更正だろうという予期を前提にしていることを物語っている。
【10】 権力のテクノロジーとしての告白の、「語る主体と語られる文の主語とが合致する言説の儀式」は「私が私を語る」という点に特徴があり、「自己の『内面』を探索し、知り、それを自己についての真理として言語化する『自己分析』」という点は「『本当の私』の探索」である。その端緒としては「性を語る主体」は〈神〉に準拠する告白の「儀礼」を執行し、そのことによって〈神〉との対話から「汝を知りたければ、汝の性を知れ」という問いを立て、自らの「〈神〉に救済されるべく性の物語」を構築していく。その後は、性科学をはじめとする性のメディアにその席を譲ることとなるが、ここでも儀礼によって物語が展開されてゆくのである。フーコーによれば、こうした「性を語る主体」によって、伝統社会における制度的な規則に統制される自己とは異なる、自らの身体を自己によって監視・規律する「主体化=隷属化(サブジェクション)」が産出されたのである。
【11】 フーコーは現代社会における「人間」とは「人口の一つの形象」であると言う。「人間という問題設定――人間を生きものとして、労働する個人として、語る主体として分析する人文科学を通じてなされる主題設定――は、権力の相関物として、また知の対象としての人口の出現から出発して理解しなければならないということです。人間――十九世紀のいわゆる人文科学から出発して思考され定義されたような人間、十九世紀の人文主義において考察されてきたような人間――はつまるところ、人口の一つの形象に他ならないのです」(Foucault 2004=2007:95)。
【12】 ビンディングとホッヘの小論がどのように日本に伝えられ、安楽死をめぐる言説を構成していったのか、あるいはその言説の分節/節合化(アーティキュレーション)を通じていかに編成されてきたのかについても別途報告するものとしたい。また、すでに大谷いづみが「安楽死/尊厳死」をめぐる言説が歴史的−政治的にいかにして分節/節合化(アーティキュレーション)されながら「尊厳死」言説を編成してきたのかについての論考があるので、詳細はそれらを参照されたい(大谷 2006、2008)。大谷が説明するように(2006:40-41)、森鴎外の「高瀬舟」に先だつ1906年に市村光惠が『醫師の權利義務』(市村 1906)によって安楽死違法論が展開されており、その後、ドイツにおける安楽死論をめぐる論考が滝川幸辰、宮本英脩、泉二新熊ら刑法学者によってなされていた。そして、1941年に『断種法』(藤本 1941)を記すことになる京城帝国大学教授であった藤本直がビンディング、マイヤー、ケーラー、シュピンナー、リスト=シュミットなどの安楽死論を概括している(藤本 1930a、1930b)――なお、ドイツ刑法学が日本の安樂死言説に多大な影響を及ぼした点は宮野(1976:55)でも言及されている。
なお、付言すると、藤本直が朝鮮総督府高等法院内司法協会発行の『司法協会雑誌』に寄せた言葉はあまりにも有名である。「当局はこれがために精神病者の予防対策に腐心し、精神病院の新設、ベットの増設等に百万円計画を立てて、来るべき議会を目標に提案準備を行なってゐると報ぜられたが、病院の新設と云ひ、ベットの増設と云ひ、畢竟病者監置治療の一時的便法にしか過ぎず、此の逐年に激増する病者の根を絶やすことなど到底不可能だと見られる。而も斯かる不生産的な使途に充てる莫大な金は、健全者の汗に成る極めて貴重な勤労の所産なのである」(藤本 1941:327)。なお、岡田の著書に1930年に民族衛生学会――後に日本民族衛生協会と改称――の理事長であった永井潜の言葉とともに上記の藤本直の言葉が引用されている(岡田 2002:191-192)――。
話を元に戻す。1930年代では、山本宣治とともに戦後の産児制限運動に関わった安田コ太郎(1933)、南澤十七(1934)の議論、1941年に『国民優生法』を記すことになる医師の土井十二(1934、1935)の安楽死を支持する論考、田中香涯(1940)などの議論が展開された。ここで指摘すべき点は、第一に、ビンディングとホッヘの論文が刑法学者のビンディングの紹介を介して戦前の日本においてすでに知られていたこと、第二に、1933年に発表された「ドイツ刑法覚書」が紹介されるなど、すでに戦前の日本において、とりわけ刑法学の領域おいて安楽死をめぐる議論が賛否も含めて様々に行われていたこと、第三に、にもかかわらず、「精神的に死せる者」の安楽死については藤本と土井を除いて言及されていない点である(大谷 2006:41)。そして、戦後においては、セルイン・ジェームスによる安楽死の記事(1948)があったが、特筆すべき大きな転換点となったのは1949年に起こった成吉善事件である。事件の後、担当弁護士であった加藤隆久(1950)、牧野英一と並び近代学派(新派)の権威であった木村龜二(1950)、事件担当の東京地検判事であった岡恒學(1950)、加藤の共同弁護士であった瀧川清次郎(1950a、1950b)、三浦袋栄(1950)、朝日新聞の記事(1950年4月14日)、古典学派(旧派)の刑法学者であった小野C一郎(1950a、1950b、1955)、朝日新聞記者であった山名正太郎(1951)、『芝蘭』(1953)での「安樂死」の特集での議論などが次々に安楽死問題について言及したのである。なお、この事件を契機に日本でも安楽死協会を設立しようとする活動が加藤隆久や和田健偉や近藤綸二などを中心になされていたが、結局のところ、協会設立には至ることがなかったと言われている(宮野 1976:57)。このように太田典礼を中心とした日本安楽死協会設立の前にすでにその気運は存在していたのである。
なお、上記の山名の書では「ナチスドイツも、食糧不足から、無期囚、ライ患者、強度の精神病者、老衰者など國力をマイナスする人たちを、處分したことから、日本でも戦時中これを論じたこともあつた」(山名 1951:24)と記されており、1951年の段階ですでにナチスドイツの安楽死計画が「新書」で言及されていることも注目に値するところである。
更に付言しておくと、かつて「保安処分」をめぐる動向とその政策に小野清一郎や植松正が関与していたことなども知られてよい。保安処分めぐっては、1880年の旧刑法の刑罰法廷主義の原則(客観主義)に対する批判から1891年のドイツ刑法を基礎とする現行法が1907年に制定されたが、当時の国家主義的反動と刑法学における新派(近代学派)が相俟って、第一次世界大戦後に刑法改正の気運が高まり、常習累犯に対する不定期刑の採用や保安処分の新設が要求されるようになった。実際に、1921年12月には臨時法制審議会は「刑法改正の綱領」を答申、それにもとづき政府は1926年に「刑法改正予備草稿」をまとめた。しかしながら、刑法並監獄法改正委員会での審議は難航し、全体が未定稿として発表された。戦後、1947年に新憲法にともなう刑法の一部改正があったが、新憲法の精神にそった全面改訂は行なわれなかった。1956年になると、法務大臣牧野良三が法務省特別顧問の小野清一郎(元東京帝国大学法学部教授。1946年に免官)に対して刑法及び刑事訴訟法を改正するべき点があるかを諮問した――ちなみに、牧野良三は、小野清一郎が東京帝大在学中に私淑した刑法学者の牧野英一の弟である――。その結果、法務省内に小野清一郎を議長にした刑法改正準備会がもうけられ、刑法改正の新原案が1960年4月に「改正刑法準備草稿(未定稿)」が発表され、この草稿に対する批判や意見を入れた修正がなされて「憲法改正準備草稿」が1961年12月20日に発表されたのである。そしてその後は、法制審議会が同刑事部会内に設置した刑事法特別部会が1693年7月に発足し、小野が部会長に選出された。なお、保安処分については植松正――説明するまでもなく、刑法学者の植松正は太田典礼とともに日本安楽死協会の設立を呼びかけた人物でもある――を委員長とする第3小委員会で準備草案の条文を再検討する作業が行なわれたのだ。そしてその刑法改正作業の思想的根底には1926年の改正綱領にあったと言えよう。いずれにしても、1972年に法制審議会刑事法特別部会で「改正憲法草案」にもとづき、法制審議会は1974年5月29日の総会で「改正刑法草案」(改正草案)を最終決定し、答申したのである。その後の論争や動向も含め、このような保安処分をめぐる一連の動向とそれへの批判についてもまた知っておくべきことである。岡田(2002:217-234)ほかにその部分的記述がある。
更に付言しておくと、1950年代以降はビンディングとホッヘの小論やドイツ安楽死計画についてほとんど言及されなくなるが、1960年代後半になると、戦後の安楽死/尊厳死を語る上で欠かすことのできない刑法学者であり、太田典礼とも親交が深く、日本安楽死協会の理事を長く務めた宮野彬が、1967年の段階でビンディングとホッヘの論文を論考し、1968年の論文ではナチス・ドイツによる安楽死計画を紹介し、更に1976年の新書でも戦前においてナチス・ドイツの新刑法覚書が刑法学者においていかに解釈されていたのかを紹介している点は特筆すべきことである(宮野 1967、1968、1976)。なお、ドイツの安楽死計画の必要性を大衆に訴えるためのプロパガンダ映画『私は訴えるich klage an』を市野川は1998年と2000年に取り上げているが(市野川 1998、2000)、宮野はすでに1984年の著作――初出は1970年代の論文――でこの映画を紹介している(宮野 1984)。誰がいつナチス・ドイツによる安楽死計画を紹介してきたのか、あるいはそれはどのような言説と接合/分離しながらそれらが記され語られてきたのかについても私たちは知っておくべきであろう。
【13】 あまり知られていないが、「老年医学」の歴史において“microbiotics”なる用語を使用して老年医療の知見をはじめて提示したのはC.W.フーフェランドである。これは今日の言われているような意味での「マクロビオティック」の意味とは異なり、可能な限り規則正しい生活を通じて生命を維持すると同時に、病気の際には医療技術を介して生命を維持する立場を指し示していた。また、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の症状を緻密に記述したことを含め、近代医学に多大な影響を与えたJ.M.シャルコーは、パリのサルペトリエール病院における貧しい高齢者の膨大な診療記録を残している。その後、今世紀に入り、米国のI.L.ナーシャ、英国のM.ウォレンなどの実践によって老年医学geriatricsの知が形成されてきた。日本では1906年11月10日に東京帝大医学部第二内科の初代教授を務めた入澤達吉が中心となって『老人病學』(南江同書店)を刊行している。国内外の様々な言説がどのように接合/分離して今日の言説を形成してきているのかの歴史を知るためにもこのような基本的な事実は知っておくべきであろう。天田(2009)にて報告する予定である。
【14】 1949年5月31日に起こった「成吉善事件」の直後に書かれた山名の小著でも「かの生物學者メチニコフは、ある老貴婦人が死を望んでいたので、よくしらべてみると病氣にかかつて、死ぬことが今は唯一の治療法であるというのであつた」(山名 1951:20)と紹介されている。
【15】 立岩真也が鋭く析出したように、尊厳死の思想は、@社会の主流でありながら批判をなし得る「自律」という価値を基調音とした主張をし――その実現を志向しながらもそれは私たちの社会においては「未完のプロジェクト」であることによって、その主張は「主流派/多数派」でありながら「批判派/少数派」でもあるという両義的な立ち位置が可能になる――、A肯定的に受容されている「自然」を称揚することによって、あるいは「自然(の死)」を自ら決定することを通じて各人各様の「自然さ」を享受することを強調する思想であり――「自然」を強調することによって現在の社会のあり方に「批判的」であると同時に、多くの人たちにその言説は消費されることになる――、B自らの決定であるとしながらもそれが社会や周囲に迷惑・面倒をかけるからと自発的に行われるという意味で「利他的」なふるまいでもある。「こうして尊厳死の思想は、批判的でもあるし、本流でもある。科学的でもあるし、科学(主義)批判でもある。近代的でもあるし、自然志向でもある。自律的でもあるし、利他的でもある。それらを加え、並べて、尊厳死は、『他者を考慮し、自然に死ぬことを、私が選ぶ』という行いである」(立岩 2005:29)。その意味からすれば、老年学の思想とは歴史的に安楽死/尊厳死の思想を自らの内に潜在させてきたとも言えなくもない。
【16】 前述したように、イサクの代わりに供犠として捧げられた「羊」が私たちの社会にあって誰/何であるのかはここでは問わないことにする。だが、神学的に重要なテーマである以上の問題である。
【文献】
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――――.1998.Quel che resta di Auschwitz:L’archivo e il testimone(Homo sacer V).Bollati Boringhieri.=上村忠男・広石正和訳.2001.『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社.
――――.2006.“Che cos’ e un dispositivo ?”(未発表テクスト).=高桑和己訳.2006.「装置(ディスポジティフ)とは何か?」『現代思想』第34巻7号:84-96.
天田城介.2003.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
――――.2004a.『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社.
――――.2004b.「抗うことはいかにして可能か?――構築主義の困難の只中で」『社会学評論』219号(Vol.55, No.3).223-243.
――――.2005.「『生命/生存の維持』という価値へ――『公共圏/親密圏』という構図の向こう側」『家族研究年報』30号.17-34.
――――.2006.「小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度」.小澤勲編『ケアってなんだろう』医学書院.205-234.
――――.2007a.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.
――――.2007b.「二重の宿命による《生の根源的肯定》の(不)可能性」『保健医療社会学論集』第17巻2号.12-27.
――――.2007c.「〈老い〉の身体――身体の異なりの境界はどこにあるのか?」『TASC MONTHLY』2007年9月号(No.381).6-15.
――――.2007d.「死に放擲される老い――事態の深刻さに対する倫理」『医学哲学 医学倫理』第24号.131-136.
――――.2007-2008.「老い・1」(世界の感受の只中で・01)『看護学雑誌』(Vol.71 No.05).446-470./「老い・2」(世界の感受の只中で・02)『看護学雑誌』(Vol.71 No.06).554-558./「老い・3」(世界の感受の只中で・03)『看護学雑誌』(Vol.71 No.07).644-648./「老い・4」(世界の感受の只中で・04)『看護学雑誌』(Vol.71 No.08).740-744./「老い・5」(世界の感受の只中で・05)『看護学雑誌』(Vol.71 No.09).834-838./「老い・6」(世界の感受の只中で・06)『看護学雑誌』(Vol.71 No.10).928-932./「老い・7」(世界の感受の只中で・07)『看護学雑誌』(Vol.71 No.11).1018-1023./「ケア・1」(世界の感受の只中で・08)『看護学雑誌』(Vol.71 No.12).1110-1114./「ケア・2」(世界の感受の只中で・09)『看護学雑誌』(Vol.72 No.01).64-69./「ケア・3」(世界の感受の只中で・10)『看護学雑誌』(Vol.72 No.02).154-158./「ケア・4」(世界の感受の只中で・11)『看護学雑誌』(Vol.72 No.03).248-252./「安楽死・1」(世界の感受の只中で・12)『看護学雑誌』(Vol.72 No.04).(予定).
――――.2008a.「老いの倫理学」『倫理学年報』』第56集.【刊行予定】
――――.2008b.「老い衰えゆくことめぐる実践とその歴史」.上野千鶴子・大熊由紀子・大沢真理・神野直彦・副田義也編『ケアすること』(シリーズ『ケア――その思想と実践』第2巻).岩波書店.
――――.2008c.『(未定)』医学書院.【刊行予定】
――――.2008d.『(未定)』ハーベスト社.【刊行予定】
――――.2009.『(未定)』【刊行予定】
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有吉佐和子.1972.『恍惚の人』新潮社.→2003.『恍惚の人』(改版)新潮社(新潮文庫).
朝日新聞社編.1972.『高齢社会がやってくる』朝日新聞社.
Binding, Karl & Hoche, Alfred.1920.Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens:Ihr maB und ihre form.Felix Meiner, Leipzig.=森下直貴・佐野誠訳.2001.『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』窓社.
Derrida, Jacques.1991.Donner le temps 1. La fausse monnaie.Galilee.
――――.1999.Donner la mort.Galilee.=廣瀬浩司・林好雄訳.2004.『死を与える』筑摩書房(ちくま学芸文庫).
土井十二.1934.『医事法制学の理論と其実際』(同志社大学公法研究叢書)凡進社.
――――.1935.「刑法並に醫學の立場より安樂死の可否を論ず」『同志社論叢』2.91-134.
――――.1941.『国民優生法』教育図書.
Foucault, Michel.1964.Histoire de la folie a l'age classique.→1972.Histoire de la folie a l'age classique.Gallimard.=田村俶訳.1975.『狂気の歴史――古典主義時代における』新潮社.
――――.1975.Surveiller et Punir;Naissance de la Prison.Gallimard.=田村俶訳.1977.『監獄の誕生――監視と処罰』新潮社.
――――.1976.Histoire de la Sexualite.Vol.1:La Volonte de Savor.Gallimard.=渡辺守章訳.1986.『性の歴史T――知への意思』新潮社.
――――.1997.Il faut defendre la societe:Cours au College de France(1975-1976).ed. Mauro Beratni.Gallimard/Seuil.=石田英敬・小野正嗣訳.2007.『社会は防衛しなければならない コレージュ・ド・フランス講義1975-1976年度[ミシェル・フーコー講義集成Y]』筑摩書房.
――――.1999.Les anormaux:Cours au College de France(1974-1975).ed. Valerio Marchetti.Gallimard/Seuil.=高桑和巳訳.2007.『異常者たち コレージュ・ド・フランス講義 1974-1975年度[ミシェル・フーコー講義集成X]』筑摩書房.
――――.2004.Securite, Territoire, Population:Cours au College de France(1977-1978).ed. Michel Senellart.Gallimard/Seuil.=高桑和巳訳.2007.『安全・領土・人口 コレージュ・ド・フランス講義 1977-1978年度[ミシェル・フーコー講義集成Z]』筑摩書房.
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宮野彬.1967.「生きる価値のない生命を絶つことの許容性――ビンヂングとホッヘの見解を中心に」『法学論集』3.130-159.
――――.1968.「ナチスドイツの安楽死思想――ヒットラーの安楽死計画」『法学論集』4.119-151.
――――.1976.『安楽死――人間に死ぬ権利はあるか』日本経済新聞社(日経新書).
――――.1984.『安楽死から尊厳死へ』弘文堂.
岡田靖雄.2002.『日本精神科医療史』医学書院.
岡恒學.1950.「安樂死に関する諸問題」『法学新報』57(3).37-66.
小俣和一郎.1995.『ナチスもう一つの大罪――安楽死とドイツ精神医学』人文書院.
小野C一郎.1950a.「安樂死判例解説」『判例タイムズ』5.5-11.
――――.1950b.「安樂死の問題」『法律時報』22(10).25-33.
――――.1955.「安楽死の問題」『刑罰の本質について・その他』(刑事法論集第三巻)有斐閣.197-221.→町野朔・西村秀二・山本輝之・秋葉悦子・丸山雅夫・安村勉・清水一成・臼木豊編.1997.『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法U』信山社.40-46.
大谷いづみ.2006.「『尊厳死』言説の誕生」立命館大学大学院先端総合学術研究科博士論文.
――――.2008.『「尊厳死」言説の誕生(仮)』勁草書房.【刊行予定】
芝蘭会.1953.「特集 安楽死」『芝蘭』61.4-29.
セルイン・ジェームス.1948年6月.「ユーサネイジア合法化の動き――二つの死を選ぶ自由」『アサヒニュース』6.
瀧川清次郎.1950a.「鴎外と安楽死――日本におけるユーサネージアの思想」『朝日評論』1950年3月号.71-78.
――――.1950b.「安楽死を論ず」『判例タイムズ』4(3).21-23.
立岩真也.2005.「他者を思う自然で私の一存の死(1)」『思想』976:23-44.
上野千鶴子・大熊由紀子・大沢真理・神野直彦・副田義也編『ケアすること』(シリーズ『ケア――その思想と実践』第2巻).岩波書店.
山名正太郎.1951.『安樂死』弘文堂(アテネ文庫).
安田コ太郎.1933.「不知の病人は殺してもよいのか-――ナチスの新刑法覺書」『中央公論』1933年11月号.109-116.
米本昌平.1989.『遺伝管理社会――ナチスと近未来』弘文堂.
吉田寿三郎.1974.『日本老残――20年後の長命地獄』小学館.
――――.1981.『高齢化社会』講談社(講談社現代新書).
⇒天田城介(josukeamada.com)⇒著書・論文など