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| ■045■ 「書評:山本直美著『「居場所のない人びと」の共同体の民族誌――障害者・外国人の織りなす対抗文化』」 財団法人鉄道弘済会発行. 『社会福祉研究』第100号.P**〜P**.2007年10月(予定). |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2007.08.20 最終更新日:2007.08.23
【全文】(以下、あくまでも「草稿」です)
書評:山本直美著『「居場所のない人びと」の共同体の民族誌――障害者・外国人の織りなす対抗文化』」A5版 271ページ 5,600円(本体) 2007年 明石書店
●評者:天田城介(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授)
本書は、1970年代において緒方師なる人物によって創設された「ユリノキ村」の諸実践を、「現代社会の大前提ともいえる能力主義・規律化に対応的な実践として、いわば『管理社会』への『対抗文化』として、捉え直し明らかにすること」(8頁)を目的に遂行された研究である。
評者の率直な読後感を言えば、本研究において筆者が民族誌的記述を通じて描出した「ユリノキ村」をめぐる諸種の現実の面白さと、筆者がその現実を踏まえて提示せんとした「新しい共同性のありようの可能性」(21頁)とがうまく接合しているようには思えなかった。むろん、筆者の問題関心は評者にも了解可能であったが、やはり幾つかの困難を内在していると言わざるを得ないであろう。ただし、ここでは、紙幅の制約上、まずは筆者が描出せんとした《可能性》について簡単に確認をした上で、かかる論理的接合の問題について2点のみ言及する。
筆者の問題関心は明確である。つまり、この「ユリノキ村」の実践が、1960年代〜70年代の時代的文脈において「コミューン」を探求する運動とある種の共鳴関係にあった、「居場所のない人びと」のための共同生活の場を創り出す実践でありながら、また各時代の諸々の要請に応じてその都度で組織を再編しながら、更にはこの実践の軌跡と歴史性ゆえにその場に居合わせる人びとは――何がしかの「共通性」を参照前提にしたコミュニケーションは困難であると言い得るほど――多様でありながら、緒方師を中心に、常に組織の構造化を無効化し、集団の規範を失効化することを通じて、まさに現代の「管理社会」に対する「対抗文化」としての実践になっているのではないか、という筆者の確信をもとに遂行された研究なのである。したがって、筆者の最大の関心はこの「ユリノキ村」が「構造化」と「非構造化」という相反・矛盾するダイナミズムによっていかにして組織を成り立たせているのかという点にこそあるのだ。
その上で、第一に、果たして「ユリノキ村」が《管理社会に対する対抗文化》であるといかに同定することが可能なのか、という問題がある。確かに、筆者が詳細に記述するように、生活や仕事の場面において「目に余る」ような「逸脱行為」が日常的に繰り返されていくことに対して村の成員やボランティアが深い苦悩や不満を抱きながらも、同時に、緒方師が身をもって「誰も排除しない」よう絶えずふるまうことを目にすることを通じて、苦悩の只中にあってもこの村に関わり続けることが可能になったり、成員自らが「自分なりの規範」や「常識」を相対化する只中で共約不可能な他者との「宙吊りの共同性」(258頁)が可能となる現実があること、このことは事実として認めよう。しかしながら、程度や強度や内実は異なれど、他の「目的志向的」ではない集団や組織においても、構造化や規範が不断に失効化されるがゆえに、成員が各々勝手気ままに過ごしつつ、自らの存在証明を常に宙吊りにされる状況の中で他者との関わりに右往左往しながらもやり過ごしていく場面は見られる光景である。だとすれば、他ならぬこの「ユリノキ村」が《管理社会に対する対抗文化》であることを論理的に明示しなければならない。かりにこの村を《対抗文化》の「一つのありよう」として(のみ)位置づけるにしても、《現実の記述》と《可能性の提示》とがいかに接続するのかが言及されていないのだ。
第二に、この村が「管理の可能性を徹底して排してきたと言える」(227頁)と、いかに言い得るのかという問題がある。実際、筆者が何度も参照するE.ゴッフマンが見事に詳述した通り、ある事態に対する「抵抗」の実践が皮肉にも組織の力を強化したり、「やり過ごし」の実践が事態を出来させている構造を温存してしまう陥穽があるとすれば、必ずしも「ユリノキ村」が「管理の可能性を徹底して排した」と言及し得ない現実もあるのではないか。実際、「無力な身代わり役」である緒方師による「超人的」な働きとその「無力性」によってこそこの村の情緒的基盤が与えられているとすれば、そこに別様かつ強固な力が作動していると予測されるのだ。
上記の問題を踏まえつつ、私たちは本書で剔出された現実をその根底において読み解き、考究する作業が大切であろう。
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