天田城介(josukeamada.com)著書・論文など
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「無数の呼びかけへの応答を突き動かしてきた「何か」に貫かれた小澤勲の《物語》」
【書評】小澤勲・土本亜理子.2004.『物語としての痴呆ケア』三輪書店.

社会福祉法人京都市社会福祉協議会・京都市長寿すこやかセンター発行.『平成16年度 京都市高齢者介護等調査研究事業報告書』.P**-P**.2005年3月.

天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2005.03 最終更新日:2006.04


【全文】(以下、草稿です)

無数の呼びかけへの応答を突き動かしてきた「何か」に貫かれた小澤勲の《物語》
【書評】小澤勲・土本亜理子.2004.『物語としての痴呆ケア』三輪書店.
 ●評者 天田城介(熊本学園大学社会福祉学部助教授)

 このように表現するのは甚だ烏滸(おこ)がましいのだが、間違いなく本書は「良書」である。
 本書の第一部は2004年1月の三重県津市での小澤勲の掛値なしに素晴らしい講演記録であり、第二部は土本亜理子が、かつて小澤が勤務していた介護老人保健施設「桃源の郷」での実践や、小澤から多くの示唆を受けつつ日々のケア実践を展開してきた伊藤美知が主催する痴呆性高齢者通所施設「デイハウス沙羅」の実践、そして30年以上の交友関係にある柳誠四郎が施設長を務める知的障害者更正施設「れんげの里」の物語を丹念に調べ、纏めたものである。
 上記のような構成と内容だけでも「好著」と呼ばれるに相応しい書であるのだが、本書を「良書」たらしめているのは、実は、読者の「読み方」如何によってまるで万華鏡の如く様々な彩(いろどり)と容(かたち)を呈する「物語」を供給する点にこそある。各々の読者はそれぞれの「読み方」によって様々な物語を読み込み、その物語から解き放たれる閃光に眩暈を感受せずにはいられないのだ。
 例えば、読者Aは、第一部の講演記録や第二部の実践例の内容から「物語としての痴呆ケア」の可能性を感受するだろう。そして、そこに『痴呆老人からみた世界』(1996年)から『痴呆を生きるというということ』(2003年)、『認知症とは何か』(2005年)にまで通奏低音として流るる基調音たる「当事者から見た世界」を解明せんとする小澤勲の情熱的な思考と冷静な感覚を「再発見」するのだ。すなわち、「当事者性」に立脚する「小澤痴呆論」に出遭うのである。
 あるいは、読者Bは、小澤が講演会の冒頭にて言及しているように「痴呆ケアの技術論序説」(P.5)として構成されている第一部と、その技術論に基礎づけられたこれまでの試行錯誤の諸実践を読み、「誰にも譲れない固有名詞をもった一人の人が『痴呆の人』という無名の存在になってしまった」と感じている当事者に「もう一度、固有の名前をもった『**さん』を取り戻すこと」(P.10)こそ最大の精髄とする「小澤痴呆ケア論」に否応なく震撼させられるだろう。
 はたまた読者Cは、「中核症状がもたらす不自由のために、日常生活のなかで困惑し、不安と混乱の果てにつくられた症状」である「周辺症状」は「ストーリーを読む」といった作業を通じて「理解すべき対象」であるが故に、それらは「ケアによって必ず治る」と主張する「小澤痴呆ケア論の原点」に強烈な感動を覚えるであろう(P.30-31)。と同時に、「ケア」とは「治る/治らない」といった二元論的構図を超えた地平からの実践であり、「ケアは、治療が『治らない』と切り捨てたところから始まる」(P.34)との言及に緻密な思考過程を知ることになる。
 読者Dは、「体験としての中核症状」である「痴呆を生きる不自由」として挙げられる身体的不調、奥行き知覚の障害、感覚のスクリーニング機能の障害、覚醒度のゆれと情動のコントロール不全、「同時進行人間」の崩れ、全体的把握・物語ることの困難、実行機能の障害、フィードバック機能の障害、自らのつまずきの自覚が困難であることなどの諸々の困難性の核心にある問題が「それらを統括する知的『私』が壊れる」(P.80)ことを剔出するその見事な手捌きに加えて、私たちに届けられるのは「自分が抱える(痴呆の)不自由を一生懸命乗り越えようと努力」した「成果」であり、その「成果」は痴呆を生きる当事者が自らの自己同一性(アイデンティティ)を必死に保持せんとする故であることを明示するその聡明さに感服するに違いない。
 読者Eは、小澤の痴呆を抱える家族への温かな眼差し、職員へのゆるぎない信頼、様々な試行錯誤を経て作り出してきた実践に裏打ちされた自信と自負、制度に翻弄・呪縛されることのない現実感覚(リアリズム)、ケアの場における重大な責任を負う覚悟を誰よりも痛感する責任(レスポンシビリティ)、「分かること」へ呪縛されつつも「分かるところも分からないところも『丸ごと』どう引き受けていくかの工夫」を常に思考し続けることが可能な知的体力と思考の柔軟さなどに頭を下げるだろう。
 そして、読者Fは、「自閉症児がまったく心を閉ざしているのかどうか」という論に対して「目の前にかざした自分の掌の指の間から彼らがチラチラとこちらを見ているのをどう理解するんや?」と述べ(P.2)、また柳の「職員を増やせば利用者の豊かな暮らしが実現できるという論」に対して「鉄条網が人に変わるだけじゃないのか」と主張していることに(P.3)――むろん、現在は「ケアには人の質が何より大切だけど、その質を確保するには最低限の量が必要」と主張している(P.4)――、その都度の時代文脈の中で決断してきた小澤のケアに対する確たる信念と矜持を感受するだろう。あるいは、無数の「T君」「K君」――それは通常、精神障害者や自閉症児、うつ病患者、痴呆性高齢者と呼ばれる人々である――からの「呼びかけ」に自らの無力感を知悉しながら「応答」し続けてきた軌跡に触発されるのだ(P.283-287)。そして、それは「Aさん」の治療病棟に入院に「賭ける」姿勢にも通約されている決断であり(P.212)、そうしたその都度ごとの「責任の重さ」を感受してきた「何か」こそが「小澤勲」を通約する「棒の如きもの」(P.302)であることを知ることになるのだ。
 そして、読者Gは以上の全てから「物語としての痴呆ケア」の中に折り込まれている「小澤勲」の《物語》を読み込むだろう。そして小澤自身が記した「あとがきにかえて――私の歩んだ道」の言葉・コトバに強烈に惹きつけられながら、あるいは無数の「T君」「K君」への「呼びかけ」への「応答」を惹起させてきた「棒の如きもの」=「何か」に貫かれた小澤勲の《人生=物語》に思いをめぐらせながら、自らの立ち位置=場所で立ち止まらざるを得ないのだ。
 その《物語》の「何か」とは、『反精神医学への道標』(1974年)や『呪縛と陥穽』で根源的な/徹底的(ラディカル)に問いを思考し続けた小澤勲へと通ずる「何か」であり、『幼児自閉症論の再検討』(1978年)や『自閉症とは何か』(1984年)で余りにも先鋭な論理を提示した小澤勲に感受した「何か」であり、終始一貫して痴呆ケアを根底から考え続けている小澤勲を駆動する「何か」である。私たちは本書を通じてその「何か」に触れることができるのだ。
 このように無限の可能性に拓かれているという意味で本書は「良書」なのである。

【参考文献】
小澤勲.1974.『反精神医学への道標』めるくまーる.
――――.1975.『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』田畑書店.
――――.1978.『幼児自閉症論の再検討』ルガ−ル社.
――――.1984.『自閉症とは何か』精神医療委員会.
――――.1998.『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』岩崎学術出版社.
――――.2003.『痴呆を生きるということ』岩波新書.
――――.2005.『認知症とは何か』岩波新書.

『物語としての痴呆ケア』の目次

第一部 物語としての痴呆ケア――小澤勲・講演記録  
 講演会を開くにあたって  知的障害者更生施設「れんげの里」 柳誠四郎
 講演
  1.クリスティーン・ブライデンさんの話
  2.私が考えつづけてきたこと
  3.痴呆の医学的知識
  4.物語としての痴呆ケア
  5.中核症状と周辺症状
  6.周辺症状に対するケア
  7.中核症状に対するケア
  8.痴呆を生きる不自由
  9.痴呆ケアに求められるもの
  10.コーピングとギャップ
  11.まとめ
  質疑応答

第二部 小澤痴呆ケア論の源流を訪ねて
  もう一つの物語――第二部のはじめに  土本亜理子
 一 人と人とのつながりのなかで支え合いたい 
   介護老人保健施設「桃源の郷」10年の実践から
 第一節 ある手記から
 第二節 笑顔に迎えられて
 第三節 「桃源の郷」の物語
  1.「桃源の郷」の軌跡を紹介するにあたって
  2.支援相談員に聞く
  3.ケアスタッフに聞く(その一)オープン直後のこと
  4.ケアスタッフに聞く(その二)ケアプランの導入
  5.ケアスタッフに聞く(その三)三者面談の開始
  6.在宅介護支援センターのスタッフに聞く
  7.その後の「桃源の郷」
  8.今後の構想――グループケアからグループホームへ
 第四節 ある事例――利用者の激しいもの集めをめぐって
 第五節 家族とともに
  一  若年発症のアルツハイマー病者、Cさんの場合
  二  桃源の郷で看取ったJさんの場合――メメント・モリ――死を避けてはいけない
 第六節 10年間のケアを振り返って
  二  行為動作分析で「やさしさのケア」を模索する
     痴呆性高齢者通所施設「デイハウス沙羅」(伊藤美知主宰)
  三  痴呆も自閉もかかわりはいっしょやと思った
     知的障害者更生施設「れんげの里」(柳誠四郎施設長)
 私の歩んだ道 ――あとがきにかえて  小澤勲

【関連の仕事】
■011■「治らないところから始める『ケアってなんだろう』
    小澤勲編.医学書院.2006年05月01日.A5版.294頁.ISBN:4-260-00266-5-X.2,000円(税込価格2,100円).
■010■「小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度」『ケアってなんだろう』
    小澤勲編.医学書院.2006年05月01日.A5版.294頁.ISBN:4-260-00266-5-X.2,000円(税込価格2,100円).

◆小澤勲氏の対談(インタビュー)の情報
■072■対談.「いかなる立ち位置でケアを語るか(といった内容での対談)」
    小澤勲氏との対談.2005年8月26日(金).14:00〜17:00.於:京都市長寿すこやかセンター

【関連ページ】
◆三輪書店における「小澤勲・土本亜理子.2004.『物語としての痴呆ケア』」の紹介ページ
 ※三輪書店 http://www.miwapubl.com/

arsvi.comにおける「小澤勲」の紹介ページ
立岩真也.2006/03/25.「医療と社会ブックガイド・58」『天田城介の本・1』.『看護教育』47-03(2006-03):**-**.
立岩真也.2006/04/25.「医療と社会ブックガイド・59」『認知症と診断されたあなたへ』『看護教育』47-04(2006-04):**-**.
立岩真也.2006/05/25.「医療と社会ブックガイド・60」『次に何を書くかについて――天田城介の本・2』『看護教育』47-05(2006-05):**-**.
立岩真也.2006/06/25.「医療と社会ブックガイド・61」「『ケアってなんだろう』」『看護教育』47-06(2006-06):**-**.
立岩真也.2006/07/25.「医療と社会ブックガイド・62」「『ケアってなんだろう』・2」『看護教育』47-07(2006-07):**-**.

天田城介(josukeamada.com)著書・論文など