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| ■028■ 「家族より家族的なケア?」(西川勝氏との対談)【タイトルは編集者が付けたもの】 社会福祉法人京都市社会福祉協議会・京都市長寿すこやかセンター発行.『平成16年度 京都市高齢者介護等調査研究事業報告書』.P**-P**.2005年3月. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2005.03 最終更新日:2006.08.29
【全文】※以下、「草稿段階」のものを天田が掲載したものです。また、掲載を快諾頂いた西川氏に深謝いたします【060829】。
家族より家族的なケア?
●西川勝×天田城介(対談)
●なぜ「家族」を調達するのか
西川 認知症ケアでは最近、「家族的なケアを大切にしていこう」とよく言われます。古くからの「老人ホーム」にしても、認知症ケアの一大転換点となった「グループホーム」にしても、やはり“ホーム”ですから、家族的なものと認知症ケアはつながっているという認識があるわけです。でも、それでほんとうに具体的な「家族のケア」が見えてくるのか。この点について天田さんと考えてみたいんです。
天田 西川さんが言われたことには2つのテーマがあると思います。一つには、ご指摘の点は決して「新しい問題」ではなく、1970〜80年代から言われてきたでもあるのですが、なぜ「職業としてのケア」が、家族をモデルとして、あるいは家族を参照枠組として使わざるを得なかったのかという問題です。もう一つは、そのような「(疑似)家族的ケア」が言われることによって、逆に、実際の家族が認知症当事者とともに生きる現実が見えなくなってしまっているのではないか、隠されてしまうことがあるのではないということです。
「職業としてケアをする」とは、「本来は出会うことがなかったであろう人たちがそこで出会う」わけですから、何らかの「参照枠組」がないと「落ち着きの悪さ」を感じてしまうことになります。そこで、多くの場合、「家族」という参照枠組=フレームを使ってケアを展開するわけです。つまり「秩序」を付与するために「家族的なものthe familial」が必要になってくる。もし「家族モデル」を使わないとすれば、「いらっしゃいませ」「どうもありがとうございました」と、徹底して認知症当事者やその家族をお客さん扱いをするような「顧客モデル」となるでしょう。そのいずれかの「参照枠組」で「職業としてのケア」の「居心地居の悪さ」を何とか回避していくような仕組みになっていると思います。
一方で、当の認知症の当事者も、いきなり宅老所やデイサービスやグループホームに連れてこられて、「ここがどこで、いまはいつで、目の前の人が誰なのかさっぱりわからない」状態なわけです。「私はどうしたらいいの?」という当事者の「落ち着きの悪さ」に対して、ケア労働者は「おじいちゃんは上座に、おばあちゃんはこちらでお茶を入れてください」といったことを言って、認知症当事者が「落ち着く」ような、施設特有の「世界」を作り出していく。その意味では、ケア労働者の「本来は出会わなかった人たちが出会ってしまったことに随伴する不安」と、認知症当事者の「いつのまにか、わけのわからないところに連れてこられたといった強烈な不安」の2つを二重に隠蔽していくための参照枠組として「家族的なもの」が使用=調達されているわけです。
先ほど言及した後者の点については以下のように考えています。「職業としてのケア」が参照枠組とする「家族的なもの」は、「家族は安定したものだ」「家族は秩序を与えるものだ」ということを自明なものとしていますが、果たしてそうなのか。実際は、現実の家族とは、幾重にも深い苦悩と葛藤の中で介護せざるを得ないこと、強烈な「宙づり状態」的な不安の只中にいること、家族成員のそれぞれが自らの底の見えない不安や苦悩・葛藤・苛立ち・陰鬱を経験することを余儀なくされている現実が、「家族的なもの」の参照枠組によって逆に見えなくなってしまう(不可視化されてしまう)と思います。
以上の2点があるとすれば、2つは分けて考えた方がよいかと思います。
西川 かつて認知症の人を「看護」していたときは、家族なんて持ってこなくてもよかったんですよ。精神病院で白衣を着た看護職は、老人性痴呆といわれる人を専門職として見ていたわけで、「家族的な感情」などはいらなかった。痴呆を治せるという現実的な力があるわけではないけれども、「いまのところ専門家にしか扱えない」という思いもあったと思うんです。
ところが「介護」になってくると、そうはいかない。介護は「専門性」が低いと言われるじゃないですか。ご飯を炊いたり、一緒に洗濯物を干したり畳んだり、一緒に散歩したりとかは、いってみれば業務独占型にしなくてもできるって。自分がなぜそれをするのかの説明ができにくい。だからこそ、「家族みたいな気持ちでやる」ところに自分自身を落ち着かそうという思いがあったのかもしれないですね。
「ふつうの暮らしを大切にしましょう」とか、「医療モデルではなく生活モデルで」と言われたときにそれを支えるのは、医療者ではなくて家族なんですよ。つまり専門性を外れていくときに「家族」が逃げ場になってくる。そこで、「家族的な愛情をもって、普通を大切にすることが大事なケアなんだ」となってくる。
でも、それで飯をくっている施設の職員は、やっぱり家族じゃないわけです。介護職が描いている家族は、現実の家族とは全然違う。
天田 そのとおりですね。そうした「職業としてのケア」に関わる人たちの職業的なアイデンティティの不安が「家族を演出することで、生き生きとした表情をしてもらうのが自分たちの専門性だ!」と考えることにことへと彼/女らを駆り立て、また「家族的なもの」を参照枠組として使用することによって自らの専門性を主張することで自ら存在証明しようとしていたのだと思います。
西川 入所しているおばあちゃんがとにかく好きで仕方がない、という若い介護職がよくいます。病気になるとかわいそうで涙が出てくる。それほど自分のおばあちゃんみたいな感情になっている。そんな介護職が「どうしてあそこの息子は面会に来ないのか」というかたちで家族を責める、というようなことがあるんです。「あんなのはほんとうの家族ではない。私がいまやっていることのほうが家族としてこの人が最期の人生を送るのにふさわしい相手なんだ」と。
でも、ほんとうの家族はそんなことできないわけですよ。一日24時間365日死ぬまで、いつまで続くかわからない介護を背負っている家族と、勤務表が組まれた施設の中ではやさしい顔をして、家に帰ってからはやけ酒でも飲める職員とは違う。
介護職のもっている家族像が現実の家族の実態とどれほどかけ離れているか。これを明らかにしないと、「家族的なもの」をどんどん持ち上げる一方で、現実の家族には「どうして息子さんは来ないのか」ということになる。家族が実際に置かれている状況がこれからますます見えなくなってしまうのではないかという危惧を僕はもっています。
天田 かつては(今も)ケア労働者のほうは「病院モデル」で割り切っていけばいいので、「白衣」が両者の関係性に秩序を与えていた。そこでは「参照枠組」としての不安定はなく、その枠組で当事者とケア労働者の関係を当て嵌めてしまえばいいし、勤務が終わればさっさと帰ってやけ酒を飲めばいい。しかし、「医療モデルから生活モデルへ」となったとき――私はこの「医療モデル/生活モデル」という二元論的な思考法は不毛だと思っていますが、ここでは割愛します――、もともとは匿名的な関係であった他者たちがともに暮らすことの「不安定さ」や「居心地の悪さ」を回避するために、余りにも安直に「家族的なもの」へと着地してしまったということだと思います。そして自分たちが勝手に調達した参照枠組たる「家族的なもの」とは適合しない家族を「ほんとうの家族ではない」と裁断してしまう。
それは、僕は「わきまえ」の問題だと思っています。「自分たちは決して家族ではないのだ」「家族にはなりきれないのだ」ということを、現場の人たちはわきまえないといけないと思っています。自分たちが参照枠組として調達し、演出している「家族的なもの」を勝手に持ち上げて、その「家族的なもの」とは適合しない――実際の家族とはそのような陳腐な枠組に適合するはずなどないのですが――現実の家族を「どうして面会に来ないの!」などと言って裁定してしまう。その帰結として、より一層、現実の家族にケア労働者の言葉が届かなくなってきてしまうといった話があるのだと思います。
西川 「私たちのしているケアのほうが家族的なんですよ」と、つい家族に言ってしまうんですね。「外に行くときにダメと否定するのではなくて、『ちょっと待って。一緒に外に出てみましょう。お散歩をしているうちに気分が変わるかもしれません』というケアを私たちはやっています。これは相手を管理したりという従来的な専門的な管理型のケアではなくて、家族に近い一緒に共に歩むというケアをしているのです。皆さんにはなかなかむずかしいと思いますが、認知症の人のこころの動きをしっかり想像してください」って、勝手な家族観を、専門家が非専門家のあるべきものを押し付けてしまう。
天田 転倒したかたちになっている。
●家族はみんなが歳をとる
西川 僕の父親がパーキンソンになって、その後だんだん表情がなくなってきました。パーキンソンは認知症を併発することが多いのですが、頭ではわかっていてもなかなか僕自身は納得しがたくて、これはパーキンソンによる仮性痴呆だと思い込もうとしていました。やがて、ほんとうに言葉を発しなくなってきて、歩くこともなく車椅子に座って、食べるときにもビニールのエプロンをつけさせられて、ボロボロこぼしても気にもせず食べるようになった父親を見たとき、やっと「これは僕がずっとケアをしている認知症と同じ人なのだ」と思えた。そう思えるまでに、すごい時間がかかってしまったんですよ。
だから、知識があれば認知症を理解できるなんて大嘘です。いままで僕は、「表情のなさはパーキンソンによる症状ですよ。だから愛想のない顔をしていてもしっかりお話しましょうね」と言っていたけれども、人に教えるぐらいに知っている僕でもまったくできなかったのだから。
もう一つ、こんなこともあります。若い介護職は利用者が亡くなると、お通夜・葬式に行くんです。病院の看護職はそんなことをしたことがないから、「そこまで思っているのか」と僕はものすごいショックだった。と同時に「それでこれから続けていけるのか」と思ったけれども、若い人たちは案外平気な顔して5年ぐらい続けている。それぐらいの思いを込めながらやるんですね。
だけど、僕は父が死んだときには、実はほっとしたんですよ。父親にやれるだけのケアをしたわけではなくて、洗濯物を取りにいくのは全部嫁さんに任せて自分はほとんど面会にもいかず……というのに、僕はほっとした。これは、介護職が施設のお年寄りのお葬式に行って泣いたという気持ちともずいぶん違うし、亡くなった人にいつまでも気持ちを引きずられずに、次に自分の目の前にあらわれる人に対して集中するために職業的に気持ちを切っていく、という看護職とも違う。ただ、ほっとしたんです。
天田 まったくそう思いますね。僕が欺瞞的だと思うのは、「家族は〜であるべきだ」と勝手に捏造して持ち上げてしまうことがありますが、でも、そんなふうに現実の家族は生きていない。現実の家族は生き難いあれこれの現実に対して何とか「やり過ごす」ために“みなす”ことで生きています。例えば、「これは仮性痴呆だ」とみなす、「これはほんとうにボケたのではなく口には言えないが何らかの思いがあるのだ」とみなす、「口には表現できないが父親は様々な思いを抱えて生きているのだ」と家族がみなす。そんなふうに僕たちは直視したら底が抜けてしまうような現実を何とか「みなして」生きています。
一方で、認知症当事者もみなして生きています。例えば、デイサービスに来た認知症当事者が何と言っているかというと「ここは集会所だね」とみなす。好き好んでデイサービスに行っている当事者は誰ひとりいないです。特別養護老人ホームに念願叶って入りましたという人もまずいないです。「ここは集会所だ」とか、「一時的に娘は困ってね」とか、「ここは一時的な避難所だ」「一時的にいる場所だ」とみなして生きている。みんなが「家族の老い」の只中での厳しい現実を、こうして「やりすごして生きている」のだと思います。こうした現実と、施設が「家族的なもの」として想定する「本来あるべき家族」として押しつけるイメージとは全く違うのだと思います。そうした勝手な枠組を現実の家族に押し付けることによって逆に「やりすごさずには生きていけない家族の現実」が見えなくなる。これが1つ。
二つめは、「かつての(父親の)面影もない」といったような現実の落差があるかと思います。現実の家族にはそれぞれ「歴史」があって、しかもしれは全く「一枚岩」ではないわけです。愛憎入り乱れ、錯綜する感情があります。ある種の「殺したいほどの憎しみ」を感受しながら、他方で「どうしようもなく許してしまう自分」もいて、そのアンビヴァレントから“みなし”をすることもあります。「現実を受け止めろ!」みたいなことを言うのは、当の現実を生きる家族にとって滅茶苦茶な話だと僕は思っています。受け止めたりしないでも、やりすごしたり、みなしたりして人は生きており、また、その根底にある「○○だと敢えてみなさなくては生きられない現実をどのように生きているのか」「なぜゆえにそうせずしては生きられないのか」ということを考える必要があるのかと思います。更に言えば、こうした「みなさずには当の現実を生きられないこと」を暴力的に否定するのではなく、そのような「みなさずには生きられない現実」をどのように組み換えていくのかがまさに問われていると言えます。
三点目ですが、「家族の老い」の問題を考えなくてはいけないと思います。父親を看取っていく西川さんもやはり歳を重ねていき、否応にも自分の「老い」を痛感せざるえない現実に直面します。施設の職員は、職員が常に入れ替わりますから、若いままかもしれないが、家族は老いていくし、自分自身も年老いていくという現実を生きています。家族社会学的に言ってもこの点は重要な点かと思います。
西川 さっき父親が死んでほっとしたと言いましたが、そのとき、自分も歳がいったなとも思いました。父が死ぬというかたちで人生を、僕が知っている逞しくて力強い父親が年老いて病を経て亡くなっていったわけですが、そのときに僕も同じにただの守られる子どもではなしに、だんだん対等に話をするようになり、今度は僕のほうが稼ぐようになり、父親が亡くなるのを見送っていく。僕も父親が亡くなるのと同じように、年老いていっているのだなと。
家族は誰か1人が年老いていくわけではなくて、家族全体が年老いていくわけです。それは施設のなかではあり得ない。施設がやろうとしている家族的なケアの息子や娘たちは歳をとらない。そこが絶対に違う。施設介護は変わった、よくなったと思っているのでしょうが深い溝があります。家族が共に老いていく家族の落胆、空虚感とつきあわなくてはいけない現実の家族のケアの実態と、理想とされる家族的ケアとは違うような気がするんです。
そういう意味でも、「素晴らしい認知症ケアのあり方を象徴する家族」という考え方は、けっこう家族には重苦しいと思う。「ほんとうの家族よりも家族らしくしてくれるところがあるならばそこにお任せします」と言って、自分たちは「第2の家族」に身を下げなくてはいけないわけですから。
天田 家族ってそんなに単純ではないですよね。たとえば「生き生きすればいい」みたいな話が現場では言われる。施設職員は「宅老所に来てから生き生きとするようになった」「デイサービスでは自分には見せたこともないようなおどけた表情をしている」といったことを殊更に強調します。では、家族はそれで満足かというと、全然そうではないですよね。一方でどこかで安堵しながらも、もう一方ではむかし厳格だった父親が宅老所に行っておどけている姿に、強烈に胸痛む現実を生きていたりしています。
そのような「職業としてのケア」を行うケア労働者がもっている「生き生きすればいい」みたいな枠組の中で「家族のケア」を捉えるのは間違っていると思います。しかもそれを「(擬似)家族的なケア」という名でケアを展開するは、僕に言わせれば、「家族」という名を借りて現実の家族を簒奪するイメージに近い。だから僕は、「職業としてのケア」は、「家族的なもの」を参照枠組とした「家族的なケア」をしてはいけないのだ、といった「わきまえ」をもつことがとても大切だと思っています。その意味では、最初に指摘したように、ケア労働者の「本来は出会わなかった人たちが出会ってしまったことに随伴する不安」と、当事者の「いつのまにか、わけのわからないところに連れてこられたといった強烈な不安」の2重の不安定さを内在した「職業としてのケア」は、ある種の「匿名的な関係」のなかで、「家族的なもの」を拠り所とせず、どのようにケアすることが可能かということが問われているのです。
●落ち着けばいいのか、いきいきすればいいのか
西川 グループワークとか風船バレーに絶対に入らなかった人の娘さんが面会に来て「すみません。うちのお父さんはこんな人で。人と交わらないし。せっかく人のいるところに来たのだから少しでも楽しくしてくれればいいと思うのですけれど」と言うんです。悩んでいるような苦しそうな顔をして。そして何年後かには、ニコニコ笑いながら折り紙などをやっている父親の姿を見て、今度は何も言わずにその娘さんは泣いていた。「うちの父に色紙なんてバカにしないでください!」なんて言っているわけではないんですよ。でも「人と仲良くやってよかった」とも言わない。ただ涙ぐんでいる。
その姿を見て、ケアがいいとか悪いではなくて、これが人が年老いていくということなんだと思いました。でもそのことを施設職員たちは「認知症も進んだけれども、こうやって人と一緒に和やかに時を過ごせるようになりました」とプラスに評価するじゃないですか。落ち着けばいい、いきいきすればいいという枠組みで、認知症の人のいのちの質を評価をしているわけです。
ところが家族というのは、評価なんてしているわけではないんですよ。困ったり悲しんだり、ほっとしたり。要するに、もうお父さんの次の入所先を探さなくてもいいとか。子どもの塾への送り迎えの合間をなんとかして面会に来たりだとか。経済的なさまざまな問題を一生懸命にやりながらも、でも自分は施設に入れてしまったという気持ちを抱きながら。
父の死であっても母の死であっても、それは1つの歳月が過ぎたということなのでしょう。やっと終わった、というような。それは「お別れがさびしい」とか「最期には私にありがとうと言ってくれるようになった」という介護職員の気持ちとは全然違った道筋があると思うんです。
天田 同感です。折り紙を折っているのをみてむなしいとか、底が抜けていくような悲しさ、当惑、せつなさがあり、そういった感情は幾重にも錯綜し、そしてその輻輳する感情もまた状況によって「万華鏡」の如く変わっていく。折り紙を折る姿を見て涙ぐむ、だけど帰り道にはやはりホッとして電車に乗ってしまう。悲しみだけでも、むなしさ、せつなさだけでもない。かつて自宅から頻繁に出て行ってはあれこれと大騒動を起こし、地域の人たちからは「なぜ施設に入れないのだ!」と怒鳴られていたところ、ようやく施設に入所することができた。そのような状況の中で折り紙を折っている父の姿に涙ぐみ、だけど帰り道の電車の中ではやはり安堵して、でもなぜか家に帰ると怒りが込み上げてきて、寝る前には施設のほうを向いて手を合わせて感謝する、といった幾重にも矛盾・相反した感情を生きています。
そういう錯綜・輻輳した感情を家族は365日生きているわけです。そういう家族の介護や家族の老いの現実って、なかなか言語化・物語化できない。物語化に挫折することを運命づけられている。
そうした幾重にも深い現実を生き、そしてその只中で矛盾・相反する感情を感受する家族とは対照的に、ケア労働者は「生き生きとした姿」「落ち着いた表情」などだけを殊更に持ち上げて、認知症を生きる当事者の「いのちの質」を評価しているわけですから、とても「暴力的」な感さえします。
西川 ぼちぼち家庭的な雰囲気とかいう言い方をやめて、なおかつ希望が持てるような生活モデルがほしいですね。暮らしを大切にしましょうと言ったときに、どうしても家族だとか地域に着地してしまう。生活は「家の中かご近所さん」にしかないというイメージがあるけれども、実際にわれわれはそんなことをやっているのか? 都会生活のなかでは、お隣さんなんて暮らしの共同生活者でもないわけでしょう。家族だってそうです。この時代と社会が変わっているのに家族に対して与えられているイメージと、家族がもっている能力とのあいだにものすごい齟齬がある。
天田 「家族か、お隣さんか、町内・地域」みたいな話がすぐに登場してきますね。よく「介護関係の町内化」みたいな話をする人がいますが、僕は、「町内でしか落ち着きどころがないの?」って思ってしまいます。加えて、先ほども指摘しましたが、そうした「生き生き」「落ち着く」といった言語でしか認知症当事者の「いのちの評価」をしていないとすれば、それはとても欺瞞的で、暴力的だと思います。
次に、「介護関係の町内化」といった言説では不可視化されてしまう問題とは何かを考えたいと思います。それは、「職業としてのケア」に内在する「本来は出会わなかった人たちが出会ってしまった不安」を「不安」として、その不安定さの只中で実践していくことの意味と可能性が隠蔽されてしまうと思っています。言い換えれば、ケア労働者とは、「通り過ぎる人」である認知症当事者の人たちとの出会いの中で反復的にケアを展開するが、いつかは彼/女らは自分たちから常に離れていくわけで――文字通り「通り過ぎる人」なのです――、そのせつなさを自分の胸に刻印しながら、職業としてやっているという事実を徹底的に考えるべきだと思う。ちなみに、先も指摘しましたが、僕は「医療モデル/生活モデル」という二項対立的な区分によって無効化されてしまう現実が気になるため、その区分は使いません。
もう一つ指摘しておくべき点として、先ほどの泣いていた娘さんの話のように、家族のなかでの「生老病死」は決して「ケア」の言葉に置き換えるような狭い話でないと僕は思う。ましてや当事者の「いのち」を評価する話では絶対にない。では、実際の現場は家族に対してどのように実践すればいいのか? まさにその組み替えが最も重要なポイントだと思うのです。そこが未決定で未規定だからこそ、「町内モデル」あるいは「介護関係の町内化」みたいな話がそこに嵌入されてしまうのだと思っています。
僕は、「誰がケアをするのか?」という問題をどこかで常に「家族」を前提しているがゆえに新しい関係を築くことが困難になっているのだと思っています。「家族」ではない領域においてケアが仮に100%担われるとすれば――「家族すること」と「ケアすること」を分けて考えるのであれば――、「家族の生老病死」の問題が「ケア言説」によって語られることはないはずです。つまり、ケア言説に置き換わっているというのは、家族が介護していることを前提にし、自明なるものとしているからこそなんです――このように「人生の問題」を「ケアの問題」に置き換えさせている社会的機制があります。
つまり、「職業としてのケア」がどのように他者と出会うことが可能であり、その中でいかにしてケアの倫理を考えるかという問題系と、「家族すること」と「ケアすること」をさしあたり区分した上で、いかにして「家族の生老病死」を考えることができるのかといった問題系の2点に集約されると思います。
西川 でも、僕は家族のなかでも施設のなかでも、「老い」と、その先にある「死」がなくなっているのだと思う。その空白がどちらにもあって、それを夢みたいな「家族」で埋めようとしているわけでね。「老い」とか「死」に対する文化がいま現実にないというところから、始めないといけないと思う。全然答えになりませんが、「抜けているもの」を「もうないもの」で埋めようとするのはやめようと思う。ないということをまず知らないといけない。
天田 むしろ求められるのは、「職業としてのケア」がいかにして当事者の「生老病死」と向き合うかという問題だと思います。しかもそこで出会う人たちは基本的に「通り過ぎる人」であり、その要諦は一時性・反復可能性です。その意味では、踏み込むことのできない「通り過ぎる人」です。「通りすぎる人」である「老いて死んでいく人」をどのようにまなざし、いかにして実践することが可能であるのか。
西川 ケアを職業とする人間と家族がきちんと話ができていないと思う。認知症ケアによってお年寄りの生活の質がこうなったと評価する専門家と、片一方では困っていてただ泣くしかない家族がいる。この両者の対話がいまのところ僕はないと思っている。その対話が成り立つ文化もないから対話が成り立たないのだと思うけれども、文化があって対話があるのではなく、対話することで新しい文化が生まれてくるんです。
●アウラを消失したケア
天田 ただ、「対話」から生まれる「自己調和的な話」だけではすまない問題があるんじゃないですか。それをどう考えるのか、ではないですか。
思いつきで話しますが、例えば、ウォルター・ベンヤミンは、アウラ(オーラ)を消失した複製作品を、「芸術」の反対に位置づけました。ベンヤミンによれば、「アウラ」とは真正な芸術作品がそうであるように、空間と時間から織り成された不思議な織物であり、それは「どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現れているもの」です。分かりやすく言えば、「モナリザ」がそうであるように、それを描こうとしても絶対に到達できないような地点にあるような、そしてそれを正確に理解することさえ不可能なものとしてアウラはあります。ご存知のように、アウラを消失した複製作品に対して多くの人たちは「コピー」と否定的な立場を表明した。あるいは、コピーへの否定的な見解と同様に、多くの人たちは「群集」をファシズムへと容易に転嫁するような「おぞましきもの」として(まるで「モンスター」として)位置づけたわけです。
それに対して、ベンヤミンは、世界にただ一つしかない真正な芸術作品(=本物)とは異なり、「一時性」と「反復可能性」が密接に結びついた形で経験される複製作品(=コピー)はアウラを消失しているゆえに、そこには儚く消えていくような一瞬の出来事があると評価しています。あるいは、アウラを消失した複製作品では、まさに群集の中を、喧騒の街路を、その雑踏の中を、「通りすがりの人」が無言で通り過ぎ、儚く消えていくような一瞬の(心奪われる瞬間が永遠の別れてあるような)出来事として存在するものとして位置付け、「複製作品」(コピー)や「群集の中での通りすがりの人との出会い」にこそ大いなる可能性を見出したと言えるかと思います――そして、「アウラの消失」自体が「消失」している私たちの時代においてそのことをどのように思考し、実践するかという社会(科)学的に大切な問題があります――。
かりに「アウラを消失したケア」を位置づけるのであれば、問うべきはそこでの「老い」と「死」の問題です。言ってみれば「アウラを消失したケア」とは「家族のケア」に表象されるような「アウラをまとったケア」の「本物」「一回性」「遠さ(到達不可能性)」「永遠の別れの隠蔽」「群集におぞましさを感受」とは異なり、「模造(コピー)」であり、「一時性」「近さ(反復可能性)」で、「心奪われた瞬間が永遠の別れ」となり、「群集の中から一瞬だけすれ違う通りすがり人」との出会いのようなものである――ちなみに、ハイデガーが言うように、ケアとは「クーラの神話」に由来しており、「クーラ」とは「アウラ(オーラ)」をも意味しているので、語源的に言えばケアとはアウラをまとった行為です――。以上のような意味で、「アウラを消失したケア」(一時的で、反復可能で、群集の中ですれ違った通りすがりの人との出会いのような中で、心奪われた瞬間が永遠の別れとなるような関係におけるケア)の実践の中で、僕たちは「老い」と「死」をどのように問うことが可能かを考えるべきかと思います――ただし、「アウラの消失したケア」という言い方自体が(家族のケアに象徴されるような)「アウラ」を前提としているという限りにおいて、それをも痛烈に批判的に実践する必要がありますが、問題はそのような砂を噛み締めるような時代において「ケア的なるもの」の位置価をどのように考えるべきかであると思います。
このように「固有性」とは離れてケアの本質(エッセンス)を問う文化はありません。これまでケアは、徹底的に家族をモデルにしているのだから。事実として、私たちの社会においては家族はどうしようもなく「固有的なもの」にならざるをえませんから。
西川 でもその固有性は、家族のなかでも変わってきているんじゃない? 家族が変わってきているということをまだ施設は気がついていないのですよ。
天田 もちろんそうです。ただ、家族が変わっているか否かではなくて、現場から唱導される「ケアの固有性」とは、実に陳腐で平板な「家族イメージ」を参照枠組として勝手に調達した上で成り立っているものです。その上で、現実の家族の抜き差しならぬ関係を完全にスルーして、「生き生き」「落ち着く」といった言語を使いつつ、実に能天気に「ケアの固有性」と言ってしまっている。
僕は、「職業としてのケア」は本質的には「匿名的」な関係を基底とするし、「日常反復的」な要素がすごく強い行為だと思っています。その「職業としてのケア」が「アウラを消失したケア」――繰り返しますが、そのような物言い自体が「アウラ」を前提にしているという意味では矛盾した表現ですが――であるならば、「家族」を参照枠組とするでもなく、その中で「老い」と「死」に対していかに実践することができるのか、どのように問い直すことができるのかという話かと思います。その意味で、現場の人間と家族とが対話さえすれば生まれるといった話で済む問題ではない気がするのですよ。
西川 僕はね、家族がほっとしたとか、涙が出てくるけれども何も言えないみたいな空虚な感じをしっかり聞かないといけないと思うんですよ。それはいままでの求めている家族ケアの家族のイメージとはずいぶん違う。いまは家族だけでは無理だから他人にゆだねるわけでしょう。つまり、自らのアウラも捨てざるえない状況にあるわけですよ。
天田 そこが捨て切れないからこそ強烈な葛藤になるわけで、あの娘さんのように無言で涙を流すのだと思いますよ。例えば、ある部分では他者に委ね、ある部分では自分でやらざる得ないといった非常に「中途半端な立場」です。24時間のうちホームヘルパーが来てくれるのはせいぜい1日2時間です。残り22時間は家族(主として女性)がやっているわけで、2時間は他者に委ね、後の22時間は家族が顔を歪めながらやっている。だから僕は「家族もアウラをともなったケアを捨てざるを得ない状況にある」とは全然思っていなくて、一つには捨て切れなくさせている現実の制度――例えば、「捨て切れる」とはとても言っていられないほどの家族に大いなる不安を余儀なくさせている過酷な介護保険制度――があると思う。もう一つには「家族のケア」のアウラ性とは近代家族のもとにおいて事後的に作り出されたものである以上、それがかりに「消失」しつつあるとしても、そもそも「家族」と「ケア」の接合のされ方のありようをきちんと見据えて、どうあるべきかを考える必要があると思います。そうした現実が、施設で「擬似家族」が語られる時には見えていない。
その問題とは別に、施設は「アウラを消失したケア」の中から「老い」と「死」をどのように見つめかえすのか、「老い」と「死」のまなざしをいかにして定位させていくことができるのかといった問題系を問うべきだと思う。だから、「現実の家族の話に耳を傾けましょう」「実際の家族はこのような語り得ぬ現実を生きています」という、それ自体は「ごもっとも」な指摘は、「家族イメージ」を安易に調達してしまうことへの「自戒」(自覚化)としては効果的だと思うけれども、「アウラを消失したケア」のなかで専門職が「老い」と「死」を見つめ直すことは全く違うんですよ。
西川 それは僕も賛成します。
天田 「通り過ぎる人」である「老いて死んでいく人」がいる。そこのせつなさみたいなものを抱えてケアワーカーは生きているわけですが、だけど、僕はそこにこそ可能性があるとも思っています。
例えば、「愛情」とか「老い」や「死」は当然ながら「分配」できないわけで、嫌いな人は嫌いだし、私の代わりにあんたが老いてくれとか死んでくれ、とは言えないわけです。だけど、僕らは嫌いな人でもケアするし、その当人になり代わることのできない老いゆく現実や死にゆく現実を生きる当事者を支えていくわけです。その意味では「分配されるべきもの」と「分配され得ないもの」があるわけですが、恐らく、両者を論理的に接続するためにも、また私たちが現代社会の老いや家族をきちんと考えるためにも、「アウラの消失」の時代において、あるいは「アウラの消失」自体が「消失」していく時代において「ケア」をいかにして作っていくのか、その点がとても重要な気がするのです。
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