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| ■023■ 「米国の高齢者福祉政策をめぐるポリティックスと老年期のアイデンティティ」 財団法人ユニベール財団発行.『ユニベール財団調査研究報告書「豊かな高齢社会の探求」』.2004年3月. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2004.02 最終更新日:2004.04
【全文】※本文は「草稿段階」のものであり、また本稿は「中間報告」的な論文になっています。
米国の高齢者福祉政策をめぐるポリティックスと老年期のアイデンティティ
●熊本学園大学社会福祉学部助教授 天田城介
【目次】
第1章 本研究の目的と対象
(1)研究の目的
(2)研究の特色と独自性
(3)研究の手続きと対象
第2章 米国における社会保障の歴史性
(1)救貧事業の時代(第T期)
(2)社会事業(革新主義)の時代(第T期)
(3)大恐慌時代とニューディール政策(第U期)
(4)偉大な社会における「貧困の再発見」と福祉権運動(第V期)
(5)新保守主義改革の時代へ(第W期)
第3章 AARPの調査分析
(1)AARPの概略
(2)AARPの活動
(3)AARPが理想化する高齢者像
第4章 米国における社会保障政策と老年期のアイデンティティの政治
【本文】
第1章 本研究の目的と対象
(1)研究の目的
本研究の目的は、アメリカ合衆国(以下、米国と記す)において当事者運動の担い手である様々な高齢者団体・組織からの要求や異議申し立てとそれに対応する当該政府の政治的判断・選択・交渉を通じて形成される高齢者福祉政策をめぐるポリティックスを解読し、当該社会における錯綜するポリティックスの帰結と老年期のアイデンティティとの相互規定関係を解明することである。したがって、本研究は米国におけるマクロレベルの「高齢者福祉政策をめぐるポリティックス」とミクロレベルの「老年期のアイデンティティ」を接合する、言うなれば「高齢者福祉政策をめぐるミクロ・ポリティックス」とでも呼びうるアプローチからの実証的研究である。
米国の高齢者福祉政策の歴史を概観すれば、1930年代にはカリフォルニア州でのタウンゼント運動やマクレーン運動が、1950年代には全国高齢市民協議会や全米退職者協会(American Association of Retired Person:現在は略称であったAARPが正式名称)などの全国規模の運動団体が組織化され、60年代にはそれらの団体・組織の要求によって、1965年に社会保障法改正に伴い「メディケア」と「メディケイド」が、1967年には「年齢差別撤廃雇用法」が成立した。また70年代に入ると、それまでのステレオタイプ化された高齢者のイメージやエイジズム(ageism)に対する批判や、いわゆる「老人神話」の“脱神話化”の試みがグレイ・パンサー(Gray Panthers)やAARPなどの団体・組織による運動を中心に展開されてきた。
現在においても当該政府の高齢者福祉・医療政策の意思決定や政策の制定はこうした「高齢者の社会運動(social movement of the elderly)」の中心的担い手である団体・組織からの要求や異議申し立てによって強い影響を受けている。そして、こうした高齢者福祉政策をめぐるポリティックスは時の当該政府の政治的な判断・選択・交渉を介して、米国社会の理想とする高齢者像である「自律した活動的な高齢者」「自立した主体的高齢者」であり続けるための支援・援助という形で収束化されてゆくのである。逆に言えば、「依存的で受動的な高齢者」は不可視化ないし否定化されるという社会的帰結へと帰着するのである。その結果、米国社会では「サクセスフル・エイジング」「プロダクティブ・エイジング」「エイジレス・セルフ」である(あり続ける)ことが賞揚されるため、米国の高齢者は自らが活動的で自立的な主体的高齢者であることを存在証明しようと躍起になる。
つまり、米国社会においては老年期のアイデンティティは「活動的・自立的・主体的」であるかのようにセルフ・マネージメントすることで何とか保持されるものとなっているのである。換言すれば、マクロレベルの「高齢者福祉政策」とミクロレベルの「高齢者のアイデンティティ」とは、一見すると無関連のように見えるが、その実、上記のように高齢者福祉政策をめぐるポリティックスの収束点として「理想なる高齢者像」が政治的に嵌入されるのである。本研究ではこうした高齢者福祉政策をめぐるミクロ・ポリティックスのアプローチから米国社会におけるアイデンティティの政治学を明らかにしている。
したがって、本研究では以上のような高齢者福祉政策をめぐるポリティックスを微細に読み解きつつ、いかにして米国の高齢者が自らのアイデンティティを保持しているかを構築主義の視座から解明することを主題とするものとしている。
(2)研究の特色と独自性
先行研究の知見にて明示されているように、米国の高齢者福祉政策の方向性は高齢者福祉NPOによって決定づけられていると言っても過言ではない。そして、こうした高齢者福祉NPOの運動や高齢者福祉政策は実際の高齢者のアイデンティティにも強い影響を及ぼしていることも明らかになっている。しかしながら、それまでの研究は両者を接続する実証研究は皆無であったため、本研究ではマクロレベルの高齢者福祉政策とミクロレベルにある高齢者のアイデンティティを連接した上で社会政策をめぐる政治性を解明することにした。この点に本研究の特色がある。また、米国における高齢者社会政策をめぐる政治のダイナミクスを明らかにしている点は本研究の独自の視点であると言えよう。
加えて、本研究の特色は、これまでの社会政策学や社会保障論や経済学の領域において考察されてきた高齢者福祉政策の制度や財政や理念への着眼点とは異なり、高齢者保健福祉に対する社会政策をめぐるポリティックスをミクロなレベルでの老いゆく高齢者のアイデンティティに照準することを通して考察し、そのダイナミズムやその機制を剔出しようとする点にあり、社会構築主義の立場から「高齢者福祉政策をめぐるミクロ・ポリティックス」を解明しようという我が国では初の試みである。
また、こうした米国におけるマクロレベルの高齢者福祉政策とミクロレベルの高齢者のアイデンティティを接続しようと試みは老年社会学及び高齢者福祉論の先行研究にも見られないものである。本研究の独創性は、現代社会における高齢者福祉政策をめぐる政治的帰結を「高齢化事業化(aging enterprise)」という視角から照射する近年の米国老年社会学、特に社会構築主義の立場からの研究系譜に位置づけられるものであり、我が国におけるこうした視座とアプローチによる初の試みとなる点である。
従来の米国の高齢者福祉政策に対する社会政策の先行諸研究においてはその制度面や財政面などのマクロな側面からのみ考察され、ミクロな水準である高齢者のアイデンティティとの接合点が探求されることがなかった。また、米国の複雑かつ錯綜した高齢者福祉政策をめぐる政治性やそのダイナミズムそれ自体に着眼してその政治的帰結を明らかにしようとする研究も皆無である。それゆえ、歴史的文脈から錯綜する高齢者福祉政策をめぐるポリティックスを焦点化し、米国社会における老年期のアイデンティティを考察するという本研究課題は従来の老年社会学及び高齢者福祉論の先行研究には見られない新たな知見になると予想される。
(3)研究の手続きと対象
本研究では、はじめに米国の高齢者福祉・医療・保健に対する社会政策に関する資料分析を中心に進め、次いで広範な先行諸研究の文献研究を行った。次いで、米国において多様な高齢者のための団体・組織が最も数多く設立・運営されているフロリダ州とカリフォルニア州を対象にして、州独自のローカルな高齢者福祉政策を概括した上で、アメリカの高齢者NPOとしては極めて政治的影響力の強いAARPやグレイ・パンサーをはじめとする幾つかの高齢者福祉NPOで活動するスタッフやボランティアへのインタビュー調査を実施した。高齢者NPOへのフィールドワークは2003年3月に実施し、米国における高齢者のアイデンティティを実証的に明らかにした。こうした組織・団体による政治的・社会的活動を広範かつ長期に調査した上で、当該組織・団体の職員へのインタビュー(直接面接法)を中心とした緻密なインテンシブな調査を実施すると同時に、米国の社会政策・社会保障制度に関する資料を収集し、その歴史的な展開と政治性を論考した。
第2章 米国における社会保障の歴史性
米国の社会保障は、いわゆる「アメリカ型福祉」などと表現されるような自由主義を標榜し、「自己決定(自己責任)」「自助」「自立/自律」を理念にした社会保障制度を形成してきたという一枚岩的な理解では読み解くことのできない性格を有している。むろん、上記のような「自己決定(自己責任)」「自助」「自立/自律」を理念にした社会政策が行われてきたことを否定するものではないが――当該社会の社会政策の多くの部分を言い当てているのも事実であるとは認めながらも――、こうした解読では回収困難な事実がある。
確かに、政治的・経済的領域での「超大国」たる米国は、その「福祉国家」としての政策を見る限り、当該社会においてそれなりに発展が観察された1960年代の「偉大な社会」の時代においてさえ、米国は「半福祉国家(semi welfare state)」であり、あるいは「躊躇する福祉国家(reluctant welfare state)」であったと言える(古川 2000:63)【1】。
古川孝順が便宜的に時代区分を設定したように、米国の社会保障の歴史を時系列的に理解するのであれば、@第T期:社会保障前史、A第U期;社会保障成立期、第V期:社会保障発展期、第W期:社会保障改革期の4つに分けて考えてみることができる。
乱暴に整理するのであれば、@の「第T期」は植民地時代は植民地時代から第一次世界大戦までの時期であり、それは更に19世紀にいたるまで救貧事業の時代と20世紀初頭から第一次世界大戦までの社会事業の時代に区分することができる。Aの「第U期」は1920年代から第二次世界大戦期を含んで1940年代までの「社会保障成立期」を指す。Bの「第V期」は1950年代から1970年代までの「社会保障成立期」を表し、Cの「第W期」は1980年代以降の米国の社会保障において新保守主義改革が席巻する時代を意味する。
正確を記すのであれば、米国の社会保障の歴史は1935年の社会保障法の成立によって開始したと言うべきであり、またそれは世界で始めて「社会保障(social security)」という用語を法制度に定着させた最初の国であった(古川 2000:68)【2】。しかしながら、その内容は16世紀初頭以来の救貧法の伝統を継承しており、20世紀初頭に労災保険、無拠出年金(1925年拠出制)、医療保険、失業保険という4つの社会保険制度を創設していたイギリスの社会保障に比較すると「貧弱」であった(Guilbert & Guilbert 1989=1999)。
(1)救貧事業の時代(第T期)
古川が図1のような米国の社会保障史略年表にて説明しているように、米国の社会保障の歴史は、@の「社会保障前史」、とりわけ「救貧事業」の時代に端を発する。1962年に制定されたプリマス植民地救貧規定やバージニア植民地救貧規定に見られるように、アメリカ大陸が植民地化されて間もない時期からイギリスの救貧制度が移入され、植民地単位に救貧法が制定されていったのである【3】。その後、産業革命期に入ると、その社会変動にともなって失業、貧困、疾病、浮浪、犯罪などの拡大したために、その対処を目的にカウンティ救貧院の設置を中心とした公的救貧事業の拡大・強化が試みられるようになった。ただし、注意すべきは、この当時のこうした公的救貧事業の目的は救済の拡大というよりも救援の抑制を目的としていた点である(古川 2000:67/Guilbert 1983:102)。
その一方で、植民地時代から19世紀を通じて米国においても民間における救済活動の発展が少なからず見られたのもまた事実である。慈善事業は植民地開設の当初から宗教家や宗教心に厚い住民による個人的活動として始まっているが、やがて教会や教団による組織的な活動に発展した(Green 2001)。具体的には、1843年には個人加入制の慈善団体であるニューヨーク貧民生活状態改善協会が発足し、その後の1877年にはバッファローを嚆矢に東部の大都市を中心に慈善活動の組織化と救済方法の改善を目的に慈善組織協会(COS)が組織化された(古川 2000:69)。
■時期区分
第T期 社会保障前史 救貧事業
■時代の特徴
独立革命
産業革命
南北戦争
■事項
1642 プリマス植民地救貧規定
バージニア植民地救貧規定
1748 ニューヨーク州救貧法
1821 クインシー・レポート
1824 ニューヨーク州カウンティ救貧院法
1843 ニューヨーク貧民生活状態改善協会
1863 マサチューセッツ州公的慈善委員会
1977 バッファローCOS
1879 ブルックリン市院外救済廃止
1886 隣人ギルト
■時期区分
第T期 社会保障前史 社会事業
■時代の特徴
革新主義
永遠の繁栄
■事項
1908 カンザスシティ公的福祉局
1911 イリノイ/ウィスコンシン母子年金法
全国COS連合/全国セツルメント連盟
1921 乳幼児保険法
アメリカ・ソーシャルワーカー協会
1923 モンタナ/ネバタ老年扶助法
■時期区分
第U期 社会保障成立期
■時代の特徴
大恐慌
ニューディール
■事項
1931 ニューヨーク州臨時緊急救済法
1932 ウィスコンシン州失業保険法
全国産業復興法
1933 連邦緊急救済法(FERA)
1935 全国労働関係法
社会保障法
1938 公正労働基準法
1946 雇用法
■時期区分
第V期 社会保障発展期
■時代の特徴
偉大な社会
■事項
1950 社会保障法(重度障害者扶助)改正
1961 社会保障法(AFDH)改正
1962 社会保障法(サービス)改正
1964 経済機会法
1965 アメリカ高齢市民法
1965 社会保障法(高齢者医療保険/医療扶助)改正
1967 社会保障法(就労奨励事業)改正
1972 平等雇用機会法
社会保障法(補足的保証所得)改正
1973 社会保障給付増額
1974 在宅および地域開発法
社会保障法(タイトルXX)改正
■時期区分
第W期 社会保障改革期
■時代の特徴
新保守主義
■事項
1983 社会保障法改正(給付削減)
1988 家族扶養法
1996 個人責任・就労機会調停法
図1 アメリカ社会保障史略連表
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出典:古川[2000:67](『先進諸国の社会保障7:アメリカ』第7章「社会保障の歴史的形成」)
※実際の論文では出典の図の通りに引用しています。
こうした米国の初期民間活動の特徴は、米国が植民地の時代から多くの移民を受け入れてきたことと関連して、移民の出身地、人種や民族、使用言語、宗教別に組織された民間の相互扶助団体や受け入れ支援団体が組織化された点にある。加えて、1886年には大都市における「スラム居住者」の貧困問題や移民問題に関心をもつ大学関係者を中心に米国におけるセツルメントハウス運動の端緒となる隣人ギルトが開設された。ここで特筆すべき点は、当時の米国社会において市民団体・組織が市民生活の安定に大きな役割を果たしたのであり、それが現在のNPO活動を駆動・推進するエートスとなっている点である。
(2)社会事業(革新主義)の時代(第T期)
こうした民間団体・組織の救済活動や州政府による救貧制度を継承する形で20世紀初頭に社会事業が成立することになる。いわゆる「革新主義」の時代である。それまでの歴史的展開の中で、地方政府を中心とする救貧事業とは別に、州政府や連邦政府による公的救貧事業が拡大し、公的セクターが救貧事業の「舵取り役」を果たすようになる。この時期から母子扶助(寡婦年金あるいは母子年金)、視覚障害者扶助、高齢者扶助などのカテゴリー(対象者)別の扶助制度の創設と拡大が始まった。また、1909年の白亞館会議の開催に端的に見られるように、連邦政府による児童保護事業も推進されるようになった。
母子扶助制度が東海岸や中西部の大都市を中心に発展したのに対して、高齢者扶助制度はフロンティアが最後まで残っていた中西部の山岳地域諸州において発展したと言われる(古川 2000:70)。後者は「ゴールドラッシュ」を夢見て西漸運動に加わり、その夢を実現することができなかった高齢者たちの単身貧困者救済のための制度であったのである。
加えて、この時期には、州政府による公民の救貧事業の規制を目的とする公的慈善局(委員会)設置の試みや、東部や中西部の大都市や州による公的福祉局(委員会)設置の試みも重要な意味を持っていると言える(Phillipson & Walker 1987)。
20世紀初頭には民間セクターの救貧活動の「役割転換」があった。その背景には、民間セクターの公的救貧制度への態度は二極分解していたことが挙げられる。例えば、セツルメントハウス運動は積極的に公的救貧制度を支援・促進したが、慈善組織や友愛組合に代表される互助・支援団体の多くは公的救貧制度に反対・抵抗することになった(その意味で、19世紀末に誕生した「慈善組織協会」などは自由主義的貧困観に呪縛されていたと言えるだろう)。だがこうした二極分解した態度も時代とともに変容する中で、米国における救貧活動は民間セクターから公的セクターに移行するようになった。このような展開の中で公的セクターによる貧困救済の責任が明確化されるようになったのである。
だが、その後、民間救済活動は「役割転換」をしていく。古川が指摘するように、「民間救済活動、なかでも慈善組織協会の活動は経済的な救済活動の責任を公的セクターに委譲したことによって、ケースワークを中心に個人や家族の生活上の困難や障害に対する援助に活路を見いだし、やがてその成果公的セクターによる救済活動にも摂取されていった」(古川 2000:71-72)。機構と実践が相互に関連しながらも独自に展開したのである。
加えて、20世紀初頭当時は金融資本主義が発展する中で「労働問題」が拡大するが、有力の資本家たち(の一部)は企業内福利事業を導入したり、慈善事業やセツルメント活動の助成をする財団や奨学財団を創設することによって「社会問題」の解決に努力する姿勢を社会にアピールした。このようにして米国に「福祉資本主義」が登場するのである。
20世紀初頭に登場した、この「福祉資本主義」の発展は、その後の米国における社会保障制度のあり方に大きな影響を与えることになったのである(Phillipson 1982)。
(3)大恐慌時代とニューディール政策(第U期)
1920年代に「永遠の繁栄」を高らかに謳っていた米国資本主義は1929年の「大恐慌」を経験することになった。こうした大恐慌によって失業率が25%に達しようとしていた1933年、当時の大統領ローズベルトはこうした事態を早急に解決すべく「ニューディール政策」を矢継ぎ早に展開した。こうして1935年の社会保障法を中心に、1933年の全国産業復興法、職業紹介所、公共促進局、全国労働関係法、1938年の構成労働基準法などが次々と導入されていったのである(小林 1999)。また、「貧困者救済問題についてローズベルトは連邦緊急救済法を制定し、連邦の補助金を交付することによって州政府による母子扶助、高齢者扶助、視覚障害者扶助、地方政府による一般救済(救貧法の伝統を継承する救済制度)の維持と拡大を支援した」(古川 2000:73)のである。
こうした制度化過程を通じて、「経済的自由主義」と「州権主義」の理念の強い米国において始めて連邦政府が経済領域や国民の生活領域に積極的に介入するようになり、公的セクターの位置づけも大きく変化することになったのである。こうした大恐慌という「緊急事態」に対する過渡的な「応急措置」が恒久的な制度構築へと接続していくようになったのである。いわばこの時期こそ「米国の社会保障の成立期」となる。
有名なルーズベルトの「左旋回」によって、農民・失業者・貧困な高齢者や母子、エスニック・マイノリティなどの「社会的弱者」の立場に立脚して、労働者の権利を擁護するとともに、国民生活の安定を志向する恒久的な制度設計を試みるようになるのである。こうした1935年意全国労働関係法、1938年に公正労働基準法を制定すると同時に、先述したように、1935年に社会保障法が成立することになったのである。
この社会保障法によって規定された米国の社会保障法は、「年金保険」と「失業保険」の2つの「社会保険」、「高齢者扶助」「視覚障害者扶助」「要扶養児童扶助」という3つのカテゴリー別の「公的扶助」、そして「母子保健サービス」「肢体不自由児福祉サービス」「児童福祉サービス」の3つの「社会福祉サービス」から構成されていた(古川 2000:74)。ただし、米国の社会保障制度の場合、「年金保険」のみが連邦政府の手によって運営されており、それ以外の「失業保険」「カテゴリー別公的扶助」「社会福祉サービス」は州政府の事業として位置づけられていた(連邦政府の役割は補助金の交付に限定されていた)。
古川が明確に論じているように、この社会保障法によって創設された米国社会保障制度の特徴は特筆すべき点が多々ある。第一に、医師会の抵抗によって米国の社会保障法は「医療保険」を組み込むことに失敗した。そのため、1960年代になってようやく高齢者医療保険制度(以下メディケアと記す)と低所得者のための医療扶助制度(以下メディケイドと記す)が高齢者による当事者運動の異議申し立てによって追加されることになったが、それでも先進諸国の中では医療保険をもたない極めて稀有な国家になっているのである。
第二には、この点も極めて特異な点であるのだが、アメリカの失業保険は雇用者側と州政府のみが拠出する制度であり、労働者は拠出することがない。加えて、雇用者の拠出には経験料率制度が適用され、失業者を出さなかった場合には雇用者は拠出が減額されるという優遇措置がある。すなわち、米国の失業保険は失業期間中の生活保障を目的としているのではなく、失業者の発生を予防するための制度なのである(西村 2000)。
第三の特徴としては、公的扶助が高齢者・視覚障害者、要扶養児童家族といった特定のカテゴリーの人々を対象にして制度化されたという点にある。言ってみれば、一般的に日本の「一般扶助」は生計をともにする「家族」を対象にするが(日本の生活保護は血縁関係にない同一の世帯を構成するものにまで拡大している)、カテゴリー別の生活保護は共通のカテゴリーに対する扶助となっている。制度創設の端を達したこうした「カテゴリー別生活保護」の誕生は極めて米国的な発想の上に成立していると言ってよいであろう。
第四に、一般救済が連邦政府による補助金の埒外に置かれている点である。「米国の社会保障制度では救貧法以来の伝統をもつ一般救済は、カウンティ、シティ、タウンなどの地方政府の独自の施策として位置づけられて今日にいたっている」(古川 2000:75-76)。したがって、一般扶助の受給資格や手続きや扶助額などの地域間格差は極めて大きいのだ。
(4)偉大な社会における「貧困の再発見」と福祉権運動(第V期)
第二次世界大戦後の自由主義を謳う世界において米国は経済的ならびに政治的な「帝国」となった。「冷戦崩壊」はその事実が歴史的に証明された出来事であると言ってよい。こうした「帝国」になるべく邁進した「黄金の60年代」において、米国は「貧困との戦い」を宣言し、独自の「福祉国家」の道を歩みことになるのである(Phillipson 1998)。
こうした「黄金の60年代」に邁進する前夜、米国に「ニューディール政策」の反動とも呼べるような現実が起こる。例えば、1961年の「ニューバーグ事件」がある。この年、ニューバーグ市は公的扶助の受給を抑制するために、扶助受給を極力制限し、扶助の変わりに失業対策で労働させ、就労を選択せざるを得ないほどの低い扶助基準に変更し、転入者の扶助受給期間を制限するなどの極めて抑制的な条例を制定したのである。このニューバーグの条例には同年末のニューヨーク州高等裁判所による禁止判決が下ったものの、この事件は、「自己決定(自己責任)」「自助精神」「自立/自律」という理念を賞揚する故に「貧困者=惰民」と差別する米国市民の心性を具現化したものであったのだ。その意味では、扶助受給者の縮減を企図した1962年の連邦政府による社会保障法の改正もこうした「黄金の60年代」における「時代精神」を端的に示していると言えるであろう。ただし、こうした抑制や引き締めにもかかわらず、貧困者は逆に増大化し続けていったのである。その意味では、「偉大な社会」と呼称される米国の「黄金の60年代」は社会全方位的な「貧困化」の時代でもあったのである(Phillipson, Bernard, Phillips, Ogg 2000)【4】。
こうした60年代の「貧困化」は同時期に「再発見」されることになる。その代表がM.ハリントンの『もう一つのアメリカ』であり、こうした一連の書によって「偉大な社会」である1960年代の米国において多数の貧困者がスラムなどの閉塞的空間の中で「貧困の文化」を継承し、貧困の世代的な再生産が現実にあることが白日の下に曝されるようになったのである(古川 2000:77)。だからこそ、周知のように、ジョンソン大統領はこうした「豊富の中の貧困」に対処すべく「貧困との戦い」を宣言したのである。しかしながら、こうした「貧困との戦い」は「貧困の文化」の世代的再生産を「原因」として想定していたが故に、「偉大なる社会」たる米国社会を根底から規定している貧困の社会構造を剔出することが困難であったのである。言い換えれば、この「貧困との戦い」は「結果の平等」よりも「機会の平等」を優先する米国の自助努力促進の施策の枠内にあったのである【5】。
こうした「黄金の60年代」の「貧困との戦い」は結局のところ敗北に終わる――1960年代末の米国は「ベトナム戦争」と「貧困との戦い」という2つの戦いの敗北を経験した。
ところが、逆説的な社会的帰結ではあるのだが、こうした公的扶助の抑制が徹底化しつつも、然したる成果が得られなかった米国の60年代においてこそ「福祉権運動」は生まれることになったのである。むろん、福祉権運動は1950年代後半から1960年代の米国社会を根底から問い直す契機となった公民権運動と、「貧困との戦い」に対する受給者やその支援者たちによる異議申し立てを機軸に展開されたものである。
こうした背景において米国における社会保障制度は1950年代から1970年代にかけて大きく変化した。社会保障法の改正に限って言及するだけでも、1950年の「重度障害者扶助」改正、1961年の「AFDH」改正、1962年の「サービス」改正、1965年の「高齢者医療保険/医療扶助」改正、1967年の「就労奨励事業」改正、1972年の「補足的保証所得」改正、1973年の「タイトルXX」が挙げられる(小林 1999/広井 1992)。
この中で決定的に重要な改正は言うまでもなく1965年の「高齢者医療保険/医療扶助」改正である。この改正によって米国の社会保障は高齢者のメディケア(高齢者医療保険制度)とメディケイド(医療扶助制度)を有することになったのである。なお、人口に膾炙した事実ではあるが、米国には現在においても一般的な所得のある65歳未満の市民の公的医療保険は存在せず、彼/女らは民間の医療保険を利用せざるを得ない状況にある。
そして、こうしたメディケアとメディケイドの成立に大きな役割を果たしたのが全米退職者協会(American Association of Retired Person:現在はAARPを正式名称とする)である。AARPやグレイ・パンサー(Gray Panthers)をはじめとする当事者組織は1960年代以降の社会運動を通じて当該社会における社会保障制度に決定的な働きかけると同時に、ステレオタイプ化された高齢者のイメージ、いわゆる「老人神話」に対する批判や“脱神話化”を積極的に展開していったのである。むろん、こうしたエイジズム【6】への批判の運動が大きなうねりとなった社会文化的土壌には、米国では1930年代にカリフォルニア州で年金給付を要求するタウンゼント運動やマクレーン運動が、1960年代前半には後の高齢者の社会運動の中心的担い手となる全国高齢市民協議会や全米退職者協会(AARP)などの全国規模の運動団体が組織化されていたことが挙げられる。しかし、60年代以降の運動ではエイジズム批判が明確に宣誓され、それまでの〈老い〉を自然的なるもの、宿命的なものとする自明性からの解放を目指し、〈老い〉は社会的に構築されたものに過ぎないと明言したことは、重要な認識論的転回として記憶されるべきである。また、このような年齢差における「生物学的宿命」を解体せんとする運動の志向性は、フェミニズムやマイノリティによる性差別や人種・民族差別への異議申し立てなどの市民運動と共鳴しつつ形成されてきたものであり、それらは共通の歴史的文脈おいて立ち現れた同根のパラダイム転換であることは見落としてはならない(Gubrium & Holstein 2002)【7】。
また、こうした1960年代の運動の成果として、1967年には年齢差別禁止法(age discrimination in employment act:ADEA)が制定され、それ以降、雇用における年齢制限や職務要件から年齢を除外する「エイジフリー化」が進んだ。ただし、正確に記すのであれば、高齢者の当事者運動によってエイジズムが根底から解消されたわけではない。後述するように、当事者運動を推進するスタッフやボランティアの意識の内にもエイジズムは孕んでおり、「高齢者虐待」の解決を訴えながらも、その一方で「自己決定」「自助」「自立/自律」を賞揚している当事者も少なからずいるのである。その意味で、米国におけるエイジズムは極めて複合的かつ重層的な差別となって立ち現われることになる。
いずれにしても、メディケアならびにメディケイドに対する米国医師会からの強烈な反対があって公的医療保険が成立しなかった米国において、65歳以上の高齢者という「限定」が付されているとは言え、あるいは保険の対象が「病院」に限定され、適用期間を入院日数60日に限定されているとは言え、成立したのは高齢者の当事者組織による社会運動の大きな成果であったのは間違いない。これは歴史的にも極めて画期的な出来事であった。
このような幾重にも「限定付き」であるとは言え、メディケア・メディケイド法の成立は未曾有の増大を遂げている高齢者の「医療市場」を爆発的に拡大したのである。医療費の支払いが公的に担保され、医療へのアクセスが大幅に解消されたために、医療サービスの供給が加速度的に発展したのである(広井 1999/2000)。このメディケアによって高齢者は病院にとっての「最大のお客さん(消費者)」になったのである(和気純子 2000)。
(5)新保守主義改革の時代へ(第W期)
第二次世界大戦後の米国の社会保障は1970年代の改革を分水嶺として劇的な変化を遂げることになった。いわゆる1970年代以降の「混迷と縮減の時代」である。こうした「ネオ・リベラリズム的転回」は米国に限ったことではなく、イギリスやフランスやドイツ、そして日本にも共通する現象であった。この「新保守主義」、あるいは「ネオ・リベラリズム」の勃興については拙著に記しているので割愛するが(天田 2004)、現代の社会保障に決定的な影響を及ぼしている(以下では「ネオ・リベラリズム改革」と統一して記す)。
こうした70年代以降の「混迷と縮減の時代」を象徴するのが1981年に「強いアメリカの再現」を果敢に演説したレーガン大統領の登場である。レーガンは大統領に就任すると、ネオ・リベラリズム改革を強力に推進していく。周知の通り、レーガンは米国資本主義の再生を「小さな政府」と苛烈な自由競争を前提とした市場経済を〈社会〉の全方位的に導入し、ローズベルトとジョンソンによるニューディール政策をはじめとする幾多の社会政策によって作られてきた社会保障制度は大きく揺らぐことになったのである(酒井 2001)。いわば、ニューディール的な国家が国民の社会生活に介入することはコストの肥大化となり、「大きな政府」を生み出すため、結果として、国民の福祉依存の傾向を強化し、米国経済の弱体化させるという論理から強烈に批判に曝されることになったのである。
こうして軍需予算の拡大に反比例するが如く、福祉関係予算の削減(ウェルフェアカット)を強行し、国民の「自己責任」「自立」「自助」を声高に叫ぶことになったのである。こうした国家の動向に対して福祉権運動を担ってきた運動組織も成果のある異議申し立てを行うことができず、社会保障の削減に対する社会的な抵抗の力を持ち得なかった。むしろ、この「強いアメリカ」というスローガンは、「社会保障費の増大を危惧し、社会保障給付に依存する隣人の生活ぶりに不満を募らせていた低位中間層に位置するアメリカ国民大衆の魂を捉え、社会保障の削減と個人責任の追及を当然とする伝統的な精神風土を呼び覚ますことになったのである」(古川 2000:80)。こうしたレーガン政権によって実施された「歳出削減」「大幅減税」「規制緩和」の政策転換のインパクトはNPOに対しても決定的な影響を及ぼした(阿部・五十嵐 1991/新藤 1991)。当時のレーガン政権や共和党の論理ではNPOへの補助金が減額されても大幅減税が行われれば民間からの寄付金が連邦政府補助金の減少を補うとされていたが、こうした「移転」は起こることなく、NPOの活動は決定的な打撃を受けることになったのである(安立・小川 2001)。
1990年代に入ると、議会主導の財政再建政策となったのは記憶に新しい。1994年のアメリカ議会選挙では、ニュート・ギングリッチを代表とする共和党は選挙公約として「アメリカとの契約」を宣言し、連邦政府の財政赤字の削減と大規模減税を行うと公約した。そして共和党が多数派となった議会で連邦支出を大幅に削減した。また、1996年に成立した「福祉改革法」はAFDCに対する改革を積極的に導入し、定額補助とした上で、5年を限度に打ち切られることとなったのである。こうして財政再建政策が次々に採られていく。
第3章 AARPの調査分析
本章では、1965年のメディケアとメディケイドの成立に大きな役割を果たしたAARPを中心とする当事者組織の歴史と政治について分析を行う。とりわけ、AARPにて活躍をしているスタッフやボランティアの高齢者が老年期においてどのように自らのアイデンティティを保持しているのか、そしてそうしたミクロな政治は彼/女たちの活動とどのような関係にあるかを考察することを目的としている。
先述したように、AARPとグレイ・パンサーは1960年代以降から現在にいたるまでに展開してきた社会運動を通じて当該社会における社会保障制度に決定的な働きかけると同時に、ステレオタイプ化された高齢者のイメージ、いわゆる「老人神話」に対する批判や“脱神話化”を積極的に展開してきた。また、先述したように1967年の年齢差別禁止法(age discrimination in employment act)の制定にも大きな寄与をしてきた。
だが、こうした当事者運動で活躍する高齢者のアイデンティティでさえ、「自己決定(自己責任)」「自助」「自立/自律」を重んじる当該社会の価値に呪縛される形で形成されているのではないか、そしてそれは社会政策への異議申し立てとどのように関係しているのかを明らかにしていきたい。
(1)AARPの概略
AAPRはもともとAmerican Association of Retired Personsの略称であったが(したがって、かつては「全米退職者協会」と訳された)、現在はAARPが正式名称となっている。AARPは高齢者の利益と権利を代表する独立した勢力として、明確な目的をもって行動する無党派の非営利組織の高齢者団体である。政治にも決定的な影響力を持つことで有名である。会員の形態は50歳以上の人、全国退職教員協会(NRTA)の会員、理事会から准会員と認められた人(50歳以下の人を含む)の3種類がある。年会費は12.5ドル、会員数は3500万人の世界最大のNPOであることも周知の通りである。本部はワシントンD.Cにあり、支部が国内50州とプエルトリコ、USヴァージン諸島にある。
AARPの目的は、@高齢者個々人の生活の質を高めること、A高齢者個々人の自立・尊厳・目的を助長すること、B高齢であることのイメージを改善することの3つからなる。
会員への広報は、年間11回発行される月刊紙「ブレティン(Bulletin)」によってなされている。記事は主として中高年に関係の深いテーマ(例えば、税金・仕事・退職問題、あるいは社会福祉や年金問題などが扱われている)が取り上げられるが、ボランティア活動についても積極的に紹介もされている。また、スポーツ、レジャー、旅行の記事なども扱った中高年者にも楽しめる「モダン・マチュリティ」という雑誌を隔月刊で発行しており、「活動的な自立した高齢者」「趣味やボランティア活動に積極的な老年期の意味を見出す自律した高齢者」のイメージを過剰なほど演出的に描写しているのだ。その発行部数は2,200万部(Modern Maturity)であり、アメリカ最大の部数となっている。
(2)AARPの活動
AARPの活動の理念は「To serve, not to be served(奉仕を受ける側ではなく、奉仕をする側になる)」である。こうした理念が1960年代の「無能力な高齢者像」「受動的な高齢者像」というエイジズムに抵抗するための戦略としてはオルタナティヴな高齢者像を提示したのは事実であるが、こうした「自己決定(自己責任)」「自助」「自立/自律」を理想化する高齢者を称揚することは、後述するように、高齢者のアイデンティティの政治を隠蔽し、老い衰えゆく高齢者を排除することになるのである。いずれにしても、こうした理念の下に結集した3500万人の会員を実動させているのは、約1800人の有給職員と約40万人のAARPのボランティアである。そして、彼/女らが高齢者の社会参加あるいは政治への参画を積極的に呼びかけているのである。
AARPの提供するサービスも極めてヴァラエティに富む内容である。サービスとしては、医薬品通信販売、自動車保険、生命保険、旅行の割引、薬品の割引、レンタカー、ホテル等の割引の特典、高齢者への安全運転トレーニングの提供、パソコン通信によるAARPと会員との交流あるいは会員相互間の情報交換と交流、職業斡旋(Job Hub)などがある。基本的なサービス内容は「当事者の視点から発想した老年期を健やかに生活するためのサービス内容」となっている、とAARPのスタッフは自負する。実際にはホームページなどにも「メンバーへのサービスとディスカウント(Member Services and Discounts)」が掲載されており、航空チケット、旅行ツアー、ホテルや別荘の予約(代行も行う)、コンピューターと家電などの商品の格安購入(デジタルカメラやパソコンの付属品を7%割引)をはじめ、イベントの情報提供やチケット割引(AARPのビザカードもあり)、財政や法に関する相談にも応じる。また、フギフトや音楽やショッピングも会員割引で行うことができ、その数は充実している。加えて、親の介護の相談などのサービスもある。
また、「社会貢献」を高らかに謳い、ボランティアの募集と教育に力を入れている。
と同時に、1960年代の社会運動の機軸となった組織であり、また現在の米国においても最も政治的な影響力のあるとされるAARPは極めて積極的に政治活動を支援する。例えば、米国の各地域(小さなブロックから構成)から上がってきた健康、経済、雇用、消費者問題などの情報を全国立法協議会で検討し、1つの政策として形にしていくことで政治的な力を結集させてゆくのである。それが全米各地で活動する会員にフィードバックされ、それに基づいて地域の政治活動が行われる。具体的には、ターゲットとなった議員に対して当該地域に在住するAARPのボランティアが電話、手紙、直接訪問などを積極的に行い、その議員との交渉を行うことを通じて、AARPの要求を実現させてゆくのである。
AARPのホームページには以下のように表示されている。
◆退職後の計画
蓄えは十分でしょうか。
退職後の計画が十分でないのなら、計画をともに立てましょう。計画があるのなら、より詳しく立てましょう。
◆デモクラシーの声
アメリカの物語を守ります。
AARPはアメリカの平等を実現するための幾多の戦いに関する記事や情報を収集しているLCCR(Leadership Conference on Civil Rights)と情報の共有化を図ります。
◆健康と幸福
健康の維持をサポートします。
筋肉を鍛えるための楽しい方法を見つけましょう。そうすれば、いつまでも自立して生活することができます。
◆AARPのイベント
私たちは皆さんに会いたいと願っています。
AARPの会員と招待客のためのイベント行われる時には是非ご参加ください。
◆メディケア
メディケアの割引カードを取り巻く選択に混乱していませんか? あなたに適したカードの選び方がAARPにはあります。
◆住宅
誰もが広い玄関、明るい照明、段差のない階段を快適に感じるものです。ユニバーサルデザインについてもっと学びましょう。
◆会員サービスと割引
アメリカとカナダでレンタカーを毎日、週末、毎週、毎月といったパターンで、ご都合がよい時間に借りることができ、最大で30%まで割引することが可能です
このようにAARPのサービスは「退職後の生活」や「健康と幸福」や「住宅」を考えることで「自立/自立」した老後を過ごし、「会員サービスと割引」の消費生活や「イベント」を通じて様々なネットワークを形成することで老後を快適にエンジョイし、医療や介護が必要になった時のために「メディケア」を合理的に利用することが勧められているのだ。そしてその上で、「高齢者」の力を政治的な影響力へと結集することでデモクラシーの理念を実現することが叫ばれ、米国の「伝統(物語)」を守っていこうとするのである。
また、それ以外のAARPの活動としては、高価な薬を販売する製薬会社に異議申し立てをしたり、場合によってはインフレーションの水準値はるかに超える医薬品の値段の高騰を統制/制限するために製薬会社に圧力をかける活動などを行っているのである。加えて、非課税の援助を得ることで経済的な安定を図ったりするのである。
(3)AARPが理想化する高齢者像
AARPのスタッフの口から漏れた言葉の中で最も多かったのは「私たちは世界最大のNPOだ。アメリカはAARPを無視できない」という意味内容の発言であった。これはワシントンDCにあるAARP本部のみならず、カリフォルニアでもフロリダでも同様であった(その他の地域に関しては調査することは困難であったが、恐らく同様でしょうとAARPのスタッフは述べていた)。そして、その後には以下のような言葉が続くのだ【8】。
「私たちの会員数は現在3500万人で、全米3800ヶ所に支部があります。しかも、この本部で1200人の専属スタッフがいて、高齢者の生活の安定を図り、いつまでも自立した生活ができるように支援することが私たちのミッションです。だからこそ、エイジズムをなくすことが最も重要なのです。(中略)AARPにはテレビ局もあります。例えば、高齢者政策の討論会も全米で見ることができれば、議員たちも3500万人の会員を要するAARPの存在を無視できないわけです。いまや議員たちにとって高齢者福祉政策は最も積極的な投票行動を行う高齢者に訴えなければならない政策の一つです」
そして、サンフランシスコ支部のAARPのあるスタッフは以下のように話すのである。
「AARPの理念は一貫しています。その高い理念に沿って3500万の会員を獲得することができました。最大の理念は『自立』と『エイジズムの打破』になります。(中略)AARPのホームページへのアクセス数は恐らく世界的に見ても高いサイトでしょう。それに、AARPの隔月誌である『モダン・マチュリティ』は発行部数2300万部で世界最大の発行部数を誇っています。その上、マーケット戦略として読者のターゲットを限定して『マイ・ジェネレーション』を発刊しています。これが新しい会員の確保につながっています。高齢者のニーズが変われば、それに合わせてAARPも変化します。だた、理念は変わることはありません」
上記の発言に見られるように、そしてAARPのスタッフやボランティアの多くの語るAARPの理念は「自己決定(自己責任)」であり、「自助」であり、「自立/自律」なのである。そして、AARPの「ミッション」とはそうした「自己決定(自己責任)」「自助」「自立/自律」を最大限サポートし、当該社会のエイジズムを打破することなのである。
だからこそ、上述したように、AARPは「退職後の生活」や「健康と幸福」や「住宅」に関するサービスを提供することで高齢者が「自立/自立」した老後を送ることをサポートし、高齢者がディスカウント商品を購入することで楽しい消費生活を満喫し、様々なイベントを通じて豊かな人的ネットワークを形成することで老後をエンジョイし、医療や介護が必要になった時のために備えることによって高齢者がいつまでも「主体的で自立した高齢者」であり続けることを最大限支援するのである。そして、そのためにこそ、AARPは「政治家に最も恐れられている」と言われるようなロビー活動を行うことで自らの「ミッション」を実現可能にしていこうとしているのである。
だが、そうであるからこそ、AARPのスタッフやボランティアのアイデンティティは奇妙な逆説を孕むことになる。以下の語りに着目してみよう。
「エイジズムを打破するためにもAARPは米国の若者中心の文化を批判してきました。仕事が若い方ができるなんって言うのは幻想です。若者のほうが性的に活力があるっていうのも全くの嘘です。若い人のほうが『自立』しているってのは最大のデタラメですね。アメリカの高齢者は自立しているし、AARPがその実現に大きな役割を果たしています。(中略)AARPのスタッフやボランティアを見れば分かるでしょう。みな、誰に頼りこともなく、自立した生活を送っているでしょう。ヨボヨボとした高齢者はAARPにはいませんよ。私もボランティアをしている時が一番充実しているもの。自分が社会に貢献しているって感じますね」
この発言に端的に見られるように、AARPは「米国の若者中心の文化を批判して」きたのであり、「仕事が若い方ができる」という幻想や「若者のほうが性的に活力がある」といった「嘘」や「若い人のほうが『自立』している」といった「デタラメ」に対して公然と異議申し立てをし、それがいかに虚構であるかを白日の下に曝してきたのである。
ただし、AARPの「若者中心文化」への批判は「若者>高齢者」という優劣/序列といったステレオタイプに対して行われたのであって、米国社会の支配的価値である「自己決定」「自助」「自立/自律」それ自体を痛烈に批判したわけではない(O’Reilly 1997=2004)。正確に表現すれば、AARPの理念の一つが「自立」であることから窺えるように、高齢者であっても米国社会の支配的価値である「自己決定」「自助」「自立/自律」を実現することは可能であると、いや、高齢者こそが米国社会の支配的価値である「自己決定」「自助」「自立/自律」を実現化することができる、と主張しているのである(天田 2003/2004)。
以上までに確認してきたように、米国の高齢者福祉政策の意思決定や政策の制定は「高齢者の社会運動」の中心的担い手であるAARPなどからの要求や異議申し立てによって強い影響を受けているが、AARPをはじめとする当事者運動で活躍する高齢者のアイデンティティは米国社会の支配的価値である「自己決定」「自助」「自立/自律」に呪縛される故に、当該組織の高齢者は「若者中心文化」を批判しながらもAARPを通じて自らが活動的で自立的な主体的高齢者であることを存在証明しようと躍起になってしまうという皮肉的な事態に陥っているのである。そして、こうしたAARPのスタッフやボランティアのアイデンティティに端的に示される「自立」へと邁進する心性はAARP全体を駆動する原理でもあり、それは当該政府と交渉する時にも決定的な影響を及ぼすことになるのである。言い換えれば、米国の社会保障制度が独特の制度設計であるのは、それを当該社会における社会政策に対して異議申し立てをしてきた社会運動を推進してきた当事者のアイデンティティを貫く「自己決定」「自助」「自立/自律」という価値によって支えられてきたのだ。
第4章 米国における社会保障政策と老年期のアイデンティティの政治
フロリダ州のAARP支部のスタッフやボランティアは異口同音に以下のように語ったのである。これはAARPにて活躍する高齢者のアイデンティティを端的に示しているとも言えるのである。
「私たちAARPはアルツハイマー病の問題に対してもきちんと取り組んでいます。アルツハイマー病は人格の崩壊ですので、家族はたいへん辛いです。だからこそ、このサポートをこれまでも積極的に考えてきました。電話やメールでの相談システムを構築しましたし、自助グループも結成しています。(中略)私個人で言えば、アルツハイマー病になるなんて想像もしたくないわね。今まで人生を楽しんで生きてきたのに、最後の最後で家族に悲しい思いをさせる悲劇に出会うことなんて本当に辛いわね。だから、そういう研究にもAARPは助成をしています。それと、アルツハイマー病の場合には、デイサービスや金銭管理のサービスが必要です。こうしたアルツハイマー病をもつ高齢者の金銭管理マニュアルを作成しました。こうして家族が少しでも楽になって、そして当事者が少しでも安定した生活ができればと思っています。(中略)ただね、私はAARPの活動は積極的にしてきたし、これからも続けていくけど、どうしても私がアルツハイマー病になることは想像できないのよ。社会に何の貢献もしてない、中を眺めるだけの人間になるなんて本当に考えられないのよね」
ことほど左様に、AARPで活躍するスタッフやボランティアの高齢者のアイデンティティは「自己決定」「自助」「自立/自律」という米国社会の支配的な価値に呪縛されているのだ。言い換えれば、AARPは〈老い〉を否定しながら、〈自立〉を肯定するのだ。
1960年代以降おいて米国政府の高齢者福祉政策の意思決定や政策の制定は「高齢者の社会運動」の中心的な担い手であったAARPからの要求や異議申し立てによって強い影響を受けてきた。これは現在においては明白な事実となっており、逆にAARPの政治的な影響力の強化を憂う声があちこちで散見されるようになってきたほどである。
いずれにしても、米国社会の高齢者福祉政策はAARPと時の政府の政治的な交渉を介して行われてきたのだが、米国において高齢者福祉サービスの安定的な制度が設計されないのは――むろん高齢者のみならず、あらゆる福祉の領域においてではあるが――、AARPのエートスは「自立」である故に、米国社会の理想とする高齢者像である「自律した活動的な高齢者」「自立した主体的高齢者」であり続けるための支援・援助という形で収束化されてゆくのである。逆に言えば、「依存的で受動的な高齢者」は不可視化ないし否定化されるという社会的帰結へと帰着するのだ。だからこそ、AARPのスタッフの一人は「ただね、私はAARPの活動は積極的にしてきたし、これからも続けていくけど、どうしても私がアルツハイマー病になることは想像できないのよ。社会に何の貢献もしてない、中を眺めるだけの人間になるなんて本当に考えられないのよね」と語るのである。
こうした社会的な帰結として、米国社会では「サクセスフル・エイジング」「プロダクティブ・エイジング」「エイジレス・セルフ」である(あり続ける)ことが賞揚されることになり、そのために「エイジズムの打破」を掲げるAARPで活躍する高齢者であっても、いやそうであるからこそ、自らが活動的で自立的な主体的高齢者であることを存在証明しようと躍起になっているのである。その意味で、AARPとは自らの「敵」こそ自らを駆動するエンジンとして推進しているような存在なのである。言い換えれば、AARPは米国社会におけるエイジズムを批判しながらも、「活動的・自立的・主体的」であるかのように自らのアイデンティティをセルフ・マネージメントすることで何とか保持するメディアであり、駆動装置であると言えるのである。社会政策の意思決定の観点から言えば、米国における高齢者福祉政策をめぐるポリティックスを収束させているのは、当該文化の支配的な価値である「自己決定」「自助」「自立/自律」という価値であり、そうした理想像が政治的に嵌入されているのである。このように、米国社会における高齢者福祉政策をめぐるポリティックとは、当該社会におけるアイデンティティの政治と密接に関係しているのだ。
つまり、米国における高齢者福祉政策と抵抗する組織は蜜月的でありながら、循環的な関係を形成しているのである。高齢者福祉政策は「自己決定」「自助」「自立/自律」という支配的価値を前提に行われるが、その価値が前提にしている埒外に放擲された人々(1960年代以前であれば高齢者)がいる。それに対して、当事者は社会運動を通じて異議申し立てをし、当該社会における政策の意思決定に大きな影響を及ぼすことになる。だが、それは「埒外に放擲されたこと」に対する批判であって、支配的価値それ自体に対する痛烈な告発ではない。したがって、高齢者福祉政策をめぐる政治的な収束点として両者が前提にしている「自己決定」「自助」「自立/自律」を実現可能にする政策が選択されることになるのだ。こうして「自己決定」「自助」「自立/自律」の埒外から放擲され続けている他者は忘却されていくことになるのだ――その意味で「痴呆性高齢者」と呼ばれる高齢者はまさに忘却された他者に他ならない。
註
【1】 米国の社会保障は、古川が指摘するように、制度設計や給付の内容に関して言えば、1970年代まで世界を先導したイギリスの社会保障に比して「貧弱」であり、1980年代以降に脚光を浴びるようになったスウェーデンやデンマークなどの北欧諸国における社会民主主義体制の下における社会保障とは明確にその原理を異にしている(古川 2000:63)。また、Green(2001)も参照。
【2】 米国が法制度の中に位置づけた「社会保障(social security)」の意味内容について、あるいはその変容について考えなくてはならないであろう(酒井 2000/渋谷 2003)。あるいは、米国の社会保障の特質を丁寧に整理する必要がある(広井 1992/1997/2003/武川 1999/塩野谷 2003)。
【3】 ただし、植民地の救貧制度はその母国のイギリスのそれとは異なり、植民地ごとに多様であった。
【4】 現代の「女性の貧困化」については杉本(2003)を、社会問題については熊谷(2004)参照。
【5】 この「貧困との戦い(war on poverty)」においては、経済機会法に基づいたコミュニティ・アクション・プログラムとして「貧困の文化の再生産」を切断するために、教育・職業訓練・職業機会の提供などの多様なプログラムや政策が、とりわけアフリカ系アメリカ人のコミュニティにおいて実施されたのである。このことは「貧困問題」へ専門家が介入して解決にあたりながら、当事者をの自立をもって問題解決を図ろうとすることが前提にされていたのである。しかし、「貧困との戦い」に対して全く解決の糸口が見えない状況になると、「コミュニティ・オーガナイゼーション」といったコミュニティ・ワークの手法が根底から問い直されるようになる。「ブラックパワームーブメント」と称される当事者運動が高まる中で地域組織化やコミュニティ・オーガナイゼーションは時代の流れに逆行していくように思えたのである。その結果、地域性を前提にした「コミュニティ」よりもエスニック・グループという単位を重視する立場が生まれることになる。
【6】 R.バトラーは1969年、このエイジズムという言葉によって、現代社会における高齢者への差別を剔抉し、当時の「援助を必要とする弱者」「老い衰えゆく無能力者」といった著しく偏った老人像を痛烈に批判した。このエイジズムを定義するのであれば、「ある特定の年齢集団や年齢カテゴリーに対する否定的(negative)及び肯定的(positive)なまなざし、偏見や差別、それらに根ざした抑圧や排除」を示している。つまり、年齢による差別全般を総称する用語である。しかし実際にはより狭義に、「老人」「高齢者」という特定の年齢カテゴリーに対する差別を指し示す言葉として使用されることが多く、その場合「老人差別」「高齢者差別」という訳語が充てられる。詳細は天田(2003/2004)、Blaikie(1999)、O’Reilly(1997=2004)ほかを参照。
【7】 この1960年代後半以降のエイジズムの解体、老人神話の脱神話化という「異議申し立て」の運動は老年学(gerontology)の認識論や視座にも決定的な影響を及ぼし、こうした動向に呼応・連動する形で人間の発達(human development)研究という新たなるアプローチが形成されるに至った。それは「生涯発達(life-span development)」という視点を基軸に出生から死までのライフサイクル全体を把握する試みであり、「発達」過程を生涯全般へと拡張/普遍化しようとする志向性を有していた。しかしながら、このエイジズム批判の運動とそれに呼応・連動して登場した生涯発達という視点には「エイジズムの克服」こそ最重要課題として含み込まれていたため、何よりも「主体的高齢者」を声高に謳う戦略が優先的に採られた。したがって、今後のエイジズム批判の運動では、今だこの「主体的高齢者」として承認されていない、例えば痴呆性老人などの問題に対していかなる構想が打ち立てられるかが問われている。詳細は天田(2003/2004)参照。
【8】 そしてインタビューの最初はAARPを立ち上げたエセル・パーシー・アンドラスの話になることも多い。これは、調査者である私がそうしたAARPの経緯を確認したいとAARPのスタッフが予期した発言なのであるが、執拗に語ろうをするその姿勢にはある種独特なものがあった。いわば、「エセル・パーシー・アンドラス」は「AARPの物語」には欠けてはならぬ登場人物なのである。AARPのスタッフは口をそろえたように「設立当時は公的な医療保険もなく、また年金額も定額であった。そして強烈なエイジズムがあったこと」と語るのである。そして、「こうした事態に対して異議申し立てをしたのがアンドラスであった。と同時に、相互に支えあって解決するために、退職者を組織してNPOを設立してグループ保険を提供した」ことの歴史を嬉々として話すのだ。
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⇒天田城介(josukeamada.com)⇒著書・論文など