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| ■020■ 「老夫婦心中論(1)――高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学」 立教大学社会福祉研究所発行.『社会福祉研究』第22号.P1〜17.2003年3月.【PDF】. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2002.12 最終更新日:2004.04
【全文】(以下、草稿です)
老夫婦心中論(1)
――高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学――
天田 城介
はじめに
2002年5月27日佐賀県鹿島市において、夫(83歳)が車椅子の妻(80歳)を川に突き落とし死亡させたとして、佐賀県警鹿島署が当市在住のこの夫を殺人容疑で逮捕したという「事件」が「衝撃的(ショッキング)なニュース」としてメディアで取り上げられた。しかしながら、この報道を目にした瞬間、〈私〉は以下のような疑義を強烈に感じたのだ。
こうした出来事は、過酷な「老老介護」の果てに実行された老夫婦の心中(殺害)という衝撃性に目を奪われることによって逆にその本質が隠蔽化されてしまうのではないか、そしてこの出来事の衝撃性に突き動かされた人々の善意や提言は皮肉にもこうした心中を生起させている構造を温存/再生産することに加担してしまう可能性があるのではないか、老い衰えゆく身体をめぐって輻輳するアイデンティティの政治性は常にこうした隠蔽によって不可視化されていくのではないか、というやり場のない怒りにも似た疑問を感じた。
現在我々が問うべきは、お互いに老い衰えゆく只中で当該高齢夫婦が心中を企図したまさにその過程においてこそ性差別と異性愛主義の結合態である〈ヘテロセクシズム〉が行為遂行的(パフォーマティヴ)に作り出され続けているといるのではないかと根底から/徹底的(ラディカル)に問い直すことではないか。換言すれば、「老夫婦心中」とは、この〈ヘテロセクシズム〉によって達成されている政治的な出来事に他ならないのではないか、という問いである。したがって、本稿は「老夫婦心中」を〈政治的な問い(ポリティカル・インクアイアリー)〉として再設定する試みであると言えよう【1】。
5月28日付の新聞報道によれば【2】、27日午後9時15分ごろ、夫は自宅近くの河川の堤防から約4メートル下の川(水深約40センチ、幅約20メートル)に妻を電動車椅子ごと突き落として殺害した。同日午後11時20分ごろ、妻の介護に訪れたホームヘルパーの女性が、高齢夫婦2人の姿が見えなかったことから110番をしたため、同署員やヘルパーらが付近を捜したところ、約30分後に川から上がってずぶ濡れの夫を発見し、更にその付近において川岸の階段にはい上がるようにして倒れていた妻を見つけた。その後、すぐに妻は病院に運ばれたが、約3時間後に死亡が確認された。
鹿島市保険健康課によれば、この高齢夫婦は2人暮らしで、妻はリウマチで両足が不自由でほぼ寝たきりであるため、要介護度4の認定を受けていたという。また、妻は数年前から入退院を繰り返していたが、「おじいさん(夫)のそばにいたい」という希望から4月11日に同県内の病院を退院し、自宅に戻った後は市内の民間のホームヘルプサービスを利用していた。身体介護のため1日5〜6回計6時間の訪問を受け、自己負担も大きかったという。夜間は夫が介護していた。その夫も要介護度1で家事などの介護サービスを受けていた。こうした状況から担当のケアマネージャーは妻の入院を勧めており【3】、また市は高齢者2人暮らしで心配されることから民生委員や近所の人に見守りを依頼していた。
夫は同署の調べに対し「介護に疲れた。自分や妻の健康状態を考えると将来の不安が頭から離れず、一緒に死のうと思った。水深が浅すぎて(自分は)死にきれなかった」「2人とも生きとってもしょうがなか」「一緒に死のうと思った」などと供述している。同署は、介護負担などから将来を悲観して心中を図ったとみて調べている【4】。
上記の「事件」から翌々日の新聞では、「鹿島の無理心中事件、再発防止へ市が検討」と題した記事が掲載され、上記の事件を受け、鹿島市長が29日に幹部と保険健康課長など約20人を集めて緊急庁議を開き、事件の再発防止に関する対策委員会を立ち上げることを決めたことが記載されている【5】。
その後の9月12日、この「車いすに乗った妻と川に転落して心中を図り、妻を死亡させたとして、承諾殺人の罪に問われた高齢男性の事件」の判決公判が佐賀地裁であり、裁判長は「妻が苦しむ姿を見かねた上での心中とはいえ、2人の介護のために努力した息子夫婦らの声を無にしたのは残念だ」として、懲役3年執行猶予5年を言い渡した。そして、公判で裁判長は、耳の遠い夫を書記官席に呼び寄せ、「妻の後を追うようなことはせず、冥福を祈りながら穏やかに生活してほしい」と諭すと、夫は静かに頷いた。公判後、夫は息子夫婦や住民と握手を交わし、「迷惑を掛けてごめんね」と涙交じりに話したという【6】。
公判の冒頭陳述によると、妻は退院後、手足がままならなくなり、食事も困難な状態であった。また、苦痛から「早く死にたか」と周囲に漏らしていたという。一方、弁護側は「妻が必要とする在宅介護サービスを受けようとすれば、月に20〜30万円かかる。年金などに頼る経済力ではかなわず、将来、自分も含めて十分な介護を受けられないのでは、という不安が大きかったようだ」と話す。高齢夫婦は10数年前、近くの町から転入。近所の住民によると、夫は妻が入院した際は毎日入院先の隣町まで電動車椅子で通った。妻思いの一方、町内に同年代の知人はなく、話し相手がいなかったという【7】。
鹿島市では11月25日に上記のような経過を受けて、いわゆる「老々介護」対策のために同市が組織した高齢者介護問題対策委員会が協議結果を市長に報告した【8】。その具体的提言は、@介護負担軽減のため気軽に相談できる態勢の充実と強化、A希望する時に利用できる在宅サービスの充実と施設整備、B地域・専門家・行政の連携強化、C在宅介護援助者のサポート態勢充実と強化、D緊急時に対応できる機能を持つ施設の設置、E専門家を含む協議の場の設置の6項目となっている。こうした地方自治体による新たな制度設計やシステム構築への諸提言には重要な事項を多く含まれているものの、後述するように「老夫婦心中」という出来事を防止することが最優先課題として設定されているため、逆に「老夫婦心中」の問題の本質を不可視化する事態を出来させてしまっているように思える。
そして、この事例からもこれまでの心中事件とほぼ同様に下記の3点が指摘された。
第1は、こうした心中事件の度に反復的に提唱される「在宅介護サービスの拡大化/充足化」の指摘である。特に、当該高齢夫婦は介護保険での在宅介護サービスを利用していたにもかかわらず、心中が避けられなかったために介護保険の不備や限界点が言及された。
実際、介護保険対象外のサービスの拡充、生きがい対応型デイサービスや安否確認を兼ねた配食サービスやゴミ出しサービス、緊急避難的な利用が可能なサービスなどの多様なメニューの充実とその広報の必要性が研究者などから繰り返し訴えられている。また要介護認定の限度額以上が自己負担になる現行の制度では、高齢夫婦世帯などにおいては極めて厳しい自己負担額になることなどが批判されている。
むろん、この事例においてサービス利用における厳しい自己負担が夫の将来への不安を惹起させたのは事実であろうが、なぜ高齢夫婦は心中をしたのか、なぜ心中を(強制)する高齢夫婦の多くは男性配偶者が介護するケースに偏重するのか、とりわけ妻が痴呆などの状態の場合には多いのかという「問い」に応答したことにはならない。いや、むしろこうした提言が反復的に提唱されてきたにもかかわらず、今でも老夫婦心中が絶えないということ自体が、老夫婦心中が「在宅介護サービスの拡大化/充足化」という単純な政策提言によって解決(リゾルヴ)する出来事ではないことを証明している。こうした提言によって逆に「老夫婦心中」が極めて政治的な出来事であることが忘却されているのである。
第2に、「介護配偶者、とりわけ介護する男性配偶者への精神的ケア」という指摘である。とりわけ、このケースの場合、「妻思いの一方、町内に同年代の知人はなく、話し相手がいなかった」ということから、介護する配偶者、特に介護に慣れていないため「悩みやストレスの大きい」男性介護者への精神的ケアの必要性や相談態勢の充実やカウンセリング窓口の設置などが強調されている。
第3には、「地域におけるネットワークの強化」という指摘である。具体的には、社会福祉協議会などによる地域住民のネットワーク作り、在宅介護支援センターによる住民への働きかけを媒介にした資源の活用・創出などが提言される。とりわけ、この夫婦の場合にはケアマネージャーは入院を勧め、市は民生委員や近隣者に見守りをお願いしていたことからも、より緊密で多層的なネットワーク作りが必要不可欠であると叫ばれている。
しかしながら、上記で概括した「サービスの拡充化/充足化」「精神的ケアの体制化」「地域ネットワーク化」の3つの用法は(心中事件があるなしに関係なく常に唱導されており)、「老夫婦心中」を説明する際にも単に反復的に使用されているに過ぎないのである。
決定的に重要なことは、老い衰えゆく高齢夫婦が心中へと追い込まれていく過程(プロセス)とはどのようなものであるのか、心中を企図したまさにその瞬間においてこの高齢夫婦におけるジェンダーあるいはセクシュアリティはいかにして作動しているのか、その機制は一体いかなるものであるのか、高齢夫婦における関係性や成人子やその配偶者との家族における関係性はどのようなものか、かりに心中を企図せんとする高齢夫婦に対するケアプランを作成するとすればどのようなものになるのか、老夫婦心中を根底から/徹底的(ラディカル)に問い直すための思想的・実践的提言とはいかにして可能となるのか、を問うことなのだ。
T.老い衰えゆく高齢夫婦の心中の只中において
「老夫婦心中」の「事件」の多くが高齢夫婦ともに、あるいは一方の配偶者が他者による何らかの援助が必要な状態の中で起こっていることから推測できるように、介護する側の配偶者の視点に立脚した場合、自らも老い衰えゆく身体を生きながら、同時に老い衰えゆく配偶者をケアするという過程においてこそ「心中」は生起すると考えられる。
であるならば、心中を企図した高齢夫婦において、夫婦それぞれが自らの老い衰えゆく身体に随伴する否定性を受け入れ、あるいは抵抗する中で、そこに自己を同一化(アイデンティフィケーション)してゆく過程(プロセス)とはいかなる営みであるのか、あるいはそうした夫婦それぞれの自己同一化(アイデンティフィケーション)に対して家族規範やジェンダーやセクシュアリティはいかなる機制として作動しているのか、またその自己同一化(アイデンティフィケーション)において高齢夫婦は自らの経験をどのように分節/節合化(アーティキュレーション)しているのか、そして、そこでのアイデンティティの政治性とは一体いかなるものであるのか、を探求しなければならないだろう。これこそ本稿の最大の目的である。
更に言えば、夫婦それぞれの自己同一化(アイデンティフィケーション)が他者である配偶者の自己同一化(アイデンティフィケーション)によって補完されることを介して高齢夫婦が心中へと突き動かされているとすれば、その場における権力の構図やヘゲモニーとはいかなるものであるのか、を考究しなければならないであろう。
上記の意味から言えば、心中を企図した老い衰えゆく高齢夫婦の語りは、アイデンティティをめぐって錯綜する政治的な場として「発見」されなければならないのである。
さて、以下では、1991年6月9日放送されたNHKスペシャル『二人だけで生きたかった――老夫婦心中事件の周辺』〔放送時間60分〕を具体的な事例として引用・参照しながら分析を行っていく【9】。このドキュメンタリーでは心中に至るまでの経過と状況が克明にフィルムに収められており、高齢夫婦それぞれの一挙手一投足とまではいかずとも、かなり詳細に心中をめぐって繰り広げられた諸成員の言動を確認することができる。
こうした微細な言動を確認することは「老夫婦心中」の核心を探求する上で不可欠の作業である。と言うのも、「個人的なことは政治的である」という主張の通り、ラディカル・フェミニズムの最大の功績は、我々の余りにも個人的な行為であるかのように見える一挙手一投足、一言一句という微細な行為とは政治的な出来事の結果であり、あるいは政治的な出来事を作り出している契機であることを発見したことであったからである。
したがって、「個人的なこと」「私的なこと」として想定されている、あるいは福祉制度上の不備から引き起こされているといった限定的な理解がなされている「老夫婦心中」を、〈政治的な舞台〉へと引きずり出すためには微細な諸成員の様々な行為を観察する必要があるのだ。そのために、本稿では事例として上記のドキュメンタリー・フィルムを分析し、その結果をエスノグラフィカルに記述することにした。
1.事例――ドキュメンタリー・フィルムの登場人物
登場人物は、東京都大田区在住の夫(放送当時77歳)、妻(同66歳)。高齢夫婦は新潟県東頚城郡大島村の同郷出身である。14年前に長男が独立して以来、夫婦二人暮しである。
子どもは大田区の3LDKマンションに長男(33歳)が在住。長男は妻と2人の子どもの4人家族であり、長男夫婦は共働きである。にもかかわらず、長男は「長男として親の面倒を見るのは当たり前」と考えている。
これまでの当該夫婦の生活史の概略を示すと、同郷で結婚後、昭和28年に上京。上京後は親戚の家を転々とし、苦労した時代があった。夫67歳の時(放送時点の10年前)に町工場を退職して以降、借家住まいでありながらも年金生活で穏やかに暮らしていた。
しかし、4年前に妻が糖尿病と老人性痴呆(4年前の最初の時点では老人性うつ病)と診断された。夫はリウマチを患っており、そのままならなさの中で妻を介護している。3年前より、夜中に妻が夫を「訳もなく起こす」ようになり、夫は日毎に疲れ果ててきた。
以上の状況を心配した長男が同居を強く勧めた結果、心中の4ヶ月前(1990年4月中旬)から長男夫婦との同居が開始。ところが、同居3ヶ月後、夫は長男夫婦に何の相談もなく「無断」で近所の福祉事務所に新設予定の特別養護老人ホームへの入所を申請する。
心中の1ヶ月前(1990年7月中旬)、病院での診察中に妻がいなくなり行方不明となる。夫は、妻を保護した福祉事務所の職員にこの件(妻が行方不明になったこと)について、そして新設予定の特別養護老人ホームに現在入所申請をしている旨を長男夫婦に告げないで欲しいと頼むが、結局、長男に伝えられてしまう。この時、長男は「なぜ同居できないのか」と夫に激しく詰問したという。このように高齢夫婦と息子のあいだには特養の入所の希望をめぐって見解が競合していたため、息子は何度も夫の説得を試みるが、夫は頑として譲らない。そのため、息子は妻(息子にとっては母親)だけ入院させて夫(息子にとっては父親)は同居するのはどうかと誘うも、夫は「妻はこういう状態で、人に迷惑がかかるから嫌だ。心配で夜も眠れないからそれはできない」と険しい面持で返答した。
そして、この夜、老人性痴呆に苦しむ妻の「どこで死ぬの?」「いつ死ぬの?」という襖越しに聞こえてきた声に長男は愕然とした(とナレーションで述べられている)。
番組の中で「同居はどうだったんですか?」というインタビュアーの質問に対して、過去を回顧しながら長男は「同居はうまくいっていたと思いますけどね。(暫し沈黙)でも、それは私たちから見てということですから。親父たちからしてみればどうだったかという疑問は残りますけど。まぁ、自分たちが二人でアパートに住んでいる時よりは良かったと思いますけど。何か不満があるとすれば、(中略)自分の家じゃぁないってことですかね。多分あったとすれば。間借りしているような感覚じゃないですかね。昔から、きょうだいのところに間借りさせて頂いたとか、親戚のところにご厄介になったとか、そういうことをよく言っていましたから。そういう部分はあったんじゃないですかね」と返答する。
加えて、「特養への入所に反対したのはなぜですか?」という質問に対して、長男は「老人ホームに入れるということは私が嫌だったんですよ。対親父・お袋ということもあったんですけど。対外的なものもあったんじゃないかと思います。対外的に、親戚に対して、世間に対してあったのではないかと思う。(中略)それで、入れるのが嫌だというのが全面に出てしまったのが、親父と対立してしまったんだと思います」と答えている。
上記のような過程を経て、高齢夫婦は「遺書」を残して忽然と消えてしまったのである。
2.心中までの25日の軌跡
1990年7月26日
高齢夫婦は遺書を残して夫婦で忽然と消えてしまう。息子夫婦へ残された遺書には「…長いこと心配をかけました。ありがとう。今の自分は気力がなくなり、自分自身が分からなくなりました。病気の妻を連れて行きます。…」と記されていた。夫婦は生まれ故郷の新潟県に向かい、故郷から僅かに離れた越後湯沢の温泉宿に宿泊する。宿帳には、捜索願を気にしてか、「櫻沢正三」と偽名を書き残す。夫は夏物の背広、妻は花柄のワンピースを着ていた。また家を出る時に預金から70万円を引き出している。宿では、妻がお風呂から帰ってこないために夫が探し回る光景なども観察されており、妻は自分ひとりで食事をとるのも大変な様子であったという。この時、夫は宿の従業員に「(妻が)ボケてきたから旅に出た。田舎にでも連れて帰ろうかと思って…」と告げている。
1990年7月27日
越後湯沢の温泉宿を出発し、同じ新潟県の湯治場で1週間滞在する(8月1日まで)。この温泉宿でも、夫婦はお風呂以外はほとんど部屋にこもっていたという。また、夫が何らかの用事で外に出る度に心配でドアを開けて夫の行方を追っている妻の様子が職員に見られており、職員も大よその事情(痴呆の妻を夫が介護している事態)を推測することができたそうである。
1990年8月2日
1週間滞在した湯治場を出発し、上野温泉に7日間滞在。宿を出る時、夫は温泉宿の職員に「これから東京に帰ります」と言い残している。
1990年8月9日
前日まで宿泊していた温泉宿の職員に「東京に帰ります」と言い残したにもかかわらず、野沢温泉の1泊2万円の高級旅館に1週間滞在する。宿帳には「櫻沢」の偽名を書き残している。またこの時「寸志」として従業員に1万円を渡している。1週間の滞在中、妻は何度か宿の中で迷子になることがあり、その度夫は探し回っていた。
1990年8月15日
故郷を遠巻きに眺めるような旅路をとりながら、故郷の隣町を通り抜け松之山温泉に1泊する。出発する時、夫は温泉宿の職員に「これから直江津に行きます」と言い残している。
1990年8月16日
直江津に到着した後、当地の観光案内所で「早川」の偽名で宿を予約する。そして赤倉温泉に7泊8日の宿泊。ところが、実際に宿に到着して記帳する際には宿帳に本名を書き込んでいた。突然、6日目の夜に夫は「明日、東京に帰る」と温泉宿の支配人に伝え、予定を変更して帰京することを決意する。その晩に、支配人が晩酌した時、夫は「妻はまだ66歳。なのに、なぜ、この年で痴呆症に苦しまなければならないのか」と行き場のない怒りの感情を告げたという。そして、最後に「明日、東京に妻を連れて帰り、病院に入院させます」と言い残し、翌日出発した。
1990年8月22日
直江津から一旦は上り電車に乗車し東京に向かうが、越後湯沢で途中下車し、再び直江津に引き返す。その後、直江津からタクシーに乗り、タクシー運転手に「海沿いの道を走って下さい」とお願いをしたという。タクシーが海沿いの道を走らせている途中で、突然、妻が「もうこのへんでいいんじゃない」と夫に声をかけ、夫婦で降車したという。そして、付近の海を一望できる高台に立つ民宿に宿泊する。最後に、翌朝、坂道を降りてゆく妻を急いで追いかける夫の姿が民宿職員に見られている。この日、高齢夫婦は、波穏やかな静かな日本海で心中をしたのである。
U.高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学
本章では最初に、上記事例の高齢夫婦が心中へと追いつめられていった理由の遠因と近因を明らかにした上で、ジェンダーの視点から当該夫婦の関係性を解読していく。最後に、以上の分析結果を踏まえた上でジェンダー・センシティヴなケアプランを作成してみたい。
1.心中へと追いつめられた理由(遠因)
まず、当該夫婦が心中への追いつめられた社会的背景、すなわち「遠因」を考えよう。
第一には、「現実的・制度的な制約」がある。当該夫婦が心中した12年前は言うに及ばず、現在においても2人で暮らす高齢夫婦が一緒に特養などに施設入所することを希望しても、それは現実的に困難な状況である。つまり、制度によって老い衰えゆく高齢夫婦は(成人子との同居を除けば)別々に住むという選択を余儀なくされているのである【10】。
第二には、「ジェンダーによって不平等に配分されているケア」である。女性の家族介護を自明視している日本社会においては、逆に男性介護者への支援は想定されることがないために、男性介護者は援助対象の射程外となってしまうのである。しかしこのことは男性の苦悩や葛藤が女性のそれより深いということを意味しない。いわば過剰にケアの与え手として期待されている女性とケアの与え手として想定されてこなかった男性とではその苦悩や葛藤の質が異なるのである。また、男性介護者は全体としてみると、少数派であるがゆえに、相談相手も相談する機会にも恵まれないことが多いというのもこうしたジェンダーによって非対称的に配分されたケアワークによって生起している現象である。
第三には、高齢夫婦とは言うなれば“サバイバー・カップル”であるという点である。夫婦がともに生き抜いているということは、逆に言えば、きょうだい・親戚・友人の多くに先立たれていることを意味する。それは高齢であればあるほど深刻となる。つまり、同じコーホートにあたる同世代のきょうだいや友人などの喪失体験を介しつつ、夫婦のみが生き残る形になってしまうがゆえに、夫婦間関係は自閉化することが多くなる。
最後は、「途中同居による関係性の切断」である。当該高齢夫婦の場合は、3年前からの妻の「痴呆症状に手を焼き」、自らのリウマチの身体のままならなさの中で妻の介護が限界に達したため、長男の誘いに同意する形で心中の4ヶ月前から長男夫婦と同居し始めていた。しかし、夫婦はそれまでは借家住まいをしながら、大家や近隣者との関係や、地域に住む友人や知人との関係を維持してきたが、同居によってそれまでの関係性はいわば“切断”する形になってしまい、夫婦間の閉塞的な関係をより一層強化させてしまったのである。ちなみに、「呼び寄せ老人」とはこうした関係性の切断の最たる現象である。
もはや説明する必要もなかろうが、先ほど確認した、常に反復されている「サービスの拡充化/充足化」「精神的ケアの体制化」「地域ネットワーク化」という3つの提唱は、上記の「遠因」に対応した政策提言になっているのである。
2.心中へと追いつめられた理由(近因)
では、次いで当該夫婦の心中の直接的な要因、いわば「近因」を析出していこう。
第一には、この夫は「息子(長男)には迷惑をかけたくない」という思いから「良き父親」であり続けようとし、他方、長男は「対外的に、親戚に対して、世間に対して」「良き息子」を演出しようとした結果、換言すれば、夫と長男はお互いに「良き父親」「良き息子」という役割規範へと呪縛されてしまった帰結として夫と長男のアイデンティティは競合してしまったのである。その結果、当該夫婦の「二人だけで暮したい」という自己閉塞化は一層強化されるようになってしまったのだ。
長男と同居をするようになっても、いや同居したからこそかえって、夫は「良き父親」たらんとして、妻が夜中に頻繁に起きたり、行方不明になる等の事態に直面するようになると、夫の「これ以上、妻のことで子どもたちに迷惑をかけたくない」という「子への愛情・配慮」はより一層強化されていき、「無断」で新設予定の特養への入所申請を行ったのであろう。そうした言動を通じて夫は自らの「妻を守(護)る(プロテクトする)」という「夫」としてのアイデンティティを保持せんとしていたのである(天田 2003a)。こうした夫のアイデンティティを保持している「守る性」としての「男性性」は、夫が「妻はこういう状態で、人に迷惑がかかるから嫌だ。心配で夜も眠れないからそれ(妻を一人で特養に入所させること)はできない」と返答していたことや、温泉宿で妻がお風呂からなかなか帰ってこない時には夫は必死に探し回っていたこと、また温泉宿で「寸志」として従業員に1万円を渡していたことなどからも窺い知ることができる【11】。
一方、長男は「良き息子」としての自らのアイデンティティを保持するためにも、当該夫婦に一緒に同居することを強く勧めたのであった。それ故に、同居して3ヶ月して夫婦が特養に入所申請を知った時には、自らの「良き息子」としてのアイデンティティは著しく脅かされてしまったため、「なぜ同居できないのか」と夫に激しく詰問したのである。こうして当該夫婦と長男のあいだには決定的な亀裂が生じてしまったのである。
第二には、息子夫婦との同居によって「かつての転々と間借りした時代の苦労の思い」が呼び起こされ、かえって「ここは私たちのいる場所ではない」という感覚が強化されることで、当該夫婦は一層の孤立化・自己閉塞化へと陥る結果となった。長男が番組中のインタビューで返答しているように、当該夫婦にとって同居は「間借りしているような感覚」に他ならず、過去の「間借り」や「厄介」になった時の「居心地の悪さ」が想起されるような出来事であったのである。皮肉なることか、長男の「親孝行」の名の下によって実行された同居によって逆に夫婦の孤立感・自己否定感は強化されてしまったのである。
第三には、長男夫婦と同居したことで「かえって若い人との一緒の生活は淋しい」という強烈な孤独感が当該夫婦に感受されるようになったと予測される。特に、過去において自らも老親の介護の苦労を経験している高齢夫婦であれば尚更のこと「子どもには(これ以上の)迷惑をかけたくない」という意識が強化されるであろうから、子どもが深い愛情を示せば示すほど、かえってそれは高齢夫婦にとって過度な重荷(あるいは自責の念)へと転化してしまうのである。こうした機制から「息子の家にはこれ以上いられない!」という夫の切迫感は強化される一方で、施設入所も断念せざるをえなくなったため、いよいよ息子の家を飛び出すしか選択肢はなくなってしまったのであろう。
第四には、夫はリウマチ等により妻を介護し続けるにはもはや限界であったために、夫は「妻を一人残して死ねない」「私しか守る者はいない」という強烈な切迫感と強迫的(オブセッショナル)な義務感を感受していたであろう(春日 2000)。特に、妻が診察中に行方不明になったことはこうした夫の切迫感や義務感をより強固にさせた。その一方で、自らの身体のままならなさを感じつつも夫は妻を何とか周囲から守ろうとしてきたが、それが困難/不可能であると認識した時には、もはや「心中」しか選択肢がないように思えてしまったのだろう。
3.ジェンダーの視点からの高齢夫婦の関係性の解読
(1) 性別役割分業の反転化・協働化に反して氾濫する過剰なる男性性
当該夫婦は妻が「痴呆」になるまでは性別役割分業によって生活してきたために、妻の家事労働が困難となってからは夫が主として「食事を作る」「お風呂を入れる」「掃除をする」などの家事労働を行うようになっていた。また、同居してからも長男夫婦は共働きであったため、妻への介護労働(とりわけ気遣い労働)は夫が担っていたと思われる。
ところが、皮肉なることか、こうした「性別役割分業の反転化・協働化」とは裏腹に夫婦間のジェンダーはいわば“肥大化”し、夫の言動には過剰な「男性性」が充満されてゆくようになっていたのである。例えば、番組内で確認された行為に限っても、夫は文字通り「四六時中」にわたって「痴呆」の妻を常に監督・保護していた。あるいは、番組内では確認されなかったが、夫は妻に対して「これをしなさい(した方がいい)」「これはしてはいけない」と「指導」するなどの「妻への統制(コントロール)」を強化していったのではないかと予想される(天田 2003)【12】。
(2)「男」「夫」としてのジェンダー
こうした監督的・統制的介護に随伴する形で夫は「私しか守る者はいない…」「自分が先に死んだら妻はどうやって生活するのかを考えると不憫でならない…」という保護的意識を肥大化させてゆく。とりわけ妻が「痴呆」などの場合、周囲の人間が妻の意志を的確に汲み取ることが困難であると夫は考えるために、「私しか分かる者はいない」「やはり他人は妻の意を(私のようには)汲み取れない」として自他を分節化(アーティキュレーション)してしまうのである。当該夫婦の心中とはこの過剰なる男性性の“暴走化”の果てに実行された行為なのだ!
言うなれば、性別役割分業の反転化・協働化と「反比例」するようにして発動する、過剰なる男性性を潜在した夫の言動とは、夫が自らの「夫」としての、「男」としてのアイデンティティを証明するための儀礼であるのだ。先行研究の知見によって明らかになっているように、妻の介護をする夫は、性別役割分業の反転化・協働化に反して、いやその性役割の反転性によって夫婦間の過少化した男性性を充填するが如く、妻の病気や障害を「克服」し、周囲からの差別的・屈辱的眼差しを「防衛・統制」することに躍起になることを通じて常に自らの男性性を証明しようと試みるのである【13】。
加えて、男性介護者の多くは自らが被っている苦悩や葛藤を他者に話すことを躊躇ってしまうといったように、「男」なるジェンダー規範に呪縛されているのも事実である。冒頭の鹿島市のケースでも夫は「妻思いの一方、町内に同年代の知人はなく、話し相手がいなかった」と記されている。こうして夫は孤立感を強化し、夫婦は更に自閉化していく。
(3)「克服」の挫折と身体の所有意識
ところが、このジェンダー規範への呪縛からの夫の「克服」の試みは挫折してしまう。
赤倉温泉を出発する晩に宿の支配人が晩酌した時、夫は「妻はまだ66歳。なのに、なぜ、この年で痴呆症に苦しまなければならないのか」とまるで神を呪うかのような憤怒の気持ちを露にしたことに端的に表れているように、夫は妻が「痴呆症」に苦悩していることを察知しているが故に、それに対して無力である自己に自責の念を感じているのだ。いわば「妻を救ってやるべき」というジェンダー規範に呪縛されながら、「妻を救ってやるべき」にもかかわらず「救ってあげることのできない私」「克服し得ない私」を感得する結果、夫は自らの無力感に痛烈に苛まされてしまうようになる。
こうした夫の自己の無力感、「克服」の挫折は、「周囲に助けをもとめるわけにはいかない」という「男」としてのジェンダー規範から他者の援助を求める方向へとは展開せず、「妻を残して逝くぐらいならせめて自分で…」「一人では妻が不憫でならない」という妻の身体をまるで自らが所有しているかのような意識へと結合化していくのである。
(4)自他の境界線の霧消化
後述するように、妻は「痴呆」によって「何も分からなくなってしまった」存在では決してない。例えば、7月27日から新潟県の湯治場で1週間滞在した時、妻は、夫が何らかの用事で外に出る度に心配でドアを開けて夫の行方を追っている様子が職員に見られていることからも推測可能なように、夫婦の自閉的な関係の中で、妻は夫に「依存」せざるを得ないような状況を生きていたのである。
こうした妻の「依存」は逆に夫の「(妻は)僕がいないと淋しがる」「僕がいないと(妻は)周囲に恥をかいてしまう」という意識を強化していくことにともなって、夫は「分かり得る自己」と「分かり得ない他者」という分節化(アーティキュレーション)を固着化させていったのである。
木下康仁は夫の死後1週間してもその死を理解できない痴呆の妻の新聞記事を取り上げ、その夫婦における「IとYouなきWeの意識」を析出している(木下 1997)。要するに、私たち(We)という関係は、私(I)とあなた(You)の距離を前提にして成立し、それは第三人称の社会的関係であるTheyの関係を必要としているにもかかわらず(あなたYouという意識は、無数に存在するあなた以外の人々Theyとの差異から生まれる)、その妻においては〈私I〉が生きているのか、〈夫You〉が生きているのか、〈私たちWe〉が生きているかの境界が曖昧化してしまい、IとYouからなるWeではなく、IとYouの境界線が消失したWeの意識へと陥ってしまっていたのである。平たく言えば、生きているのが「私」であるのか、「夫」であるのか、「私と夫」であるのかが、あまりにも自明化してしまい、意識されなくなってしまったということである。いわばこうした状況において高齢夫婦の〈親密性〉は融解してしまうのである(天田 2003a)。
本例の高齢夫婦の場合も同様に、夫は「分かり得る自己」と「分かり得ない他者」という分節化(アーティキュレーション)の固着を通じて、夫の意識においては〈我々〉という意識のみが極大化し、自己と妻を過剰なまでに同一化してしまったと予想される(=Iの意識なきWeの感覚)。
夫が書き残した遺書にある「今の自分は気力がなくなり、自分自身が分からなくなりました。病気の妻を連れて行きます」という言葉はまさにこの自他の境界線の霧消化する中で、自己存在それ自体がもはや感得することが困難な状況を表している(=Iの消失)。
こうして夫は自己と妻の過剰な同一化(=他者への自己の埋没)の回路において自己存在それ自体を感得することが困難な状況に晒されることによって、夫の自己の無力感と妻の身体の所有意識は更に強化されていき、夫婦関係は自己閉塞的な関係へと陥り、ともに死を欲望するようになってしまったと推測されるのだ【14】。
----【以下、図の挿入】------------
※【夫】と【妻】と【息子】が相互の矢印で結ばれた三者関係を示す図
【夫】
・「夫」としてのアイデンティティ
「私しか守る者はいない…」
・「男」「父親」としてのジェンダー(男性性)
「愚痴を言って弱く見られなくない」
「子どもには迷惑をかけたくない」
「周囲に迷惑をかけられない。妻が不憫だ」
・「克服」の挫折と身体の所有意識
「妻を残して逝くならせめて自分で」
・自己と他者の境界の霧消化
「自分自身が分からなくなりました」
「私しか妻を分かる者はいない」
→「分かることのできる私」と「分かり得ない他者」の分節化の固着化
→高齢夫婦はlonelinessへと陥る
■性別役割分業の反転化・協働化
↓過剰なる男性性の充填
↓ケア=過剰な自己同一化
↑ 感情ワークの実践
【妻】
痴呆を抱える当事者の苦悩・葛藤
「バカになってしまった…」
・「妻」としてのアイデンティティ
痴呆でも夫に毛布をかける等の感情ワーク
・夫に対する「罪の意識」
「こんなことまでお父さんにさせて悪い」
「お父さん、もういいよ…」という絶望
・自己と他者の境界の霧消化
→「私」の苦悩と「あなた」の苦悩の一体化
【息子】
・「息子」という規範への囚われ
「長男として親の面倒をみるのは当たり前」
対外的に「良き息子」を演出しようとした
→父親と息子それぞれの役割規範の呪縛からの競合
・家族であるが故に理解できないという陥穽
→「家族とは分かりあえるもの」という想定によって逆に当事者を理解できなくなってしまう落し穴
----【以上まで図の表示】------------
図1.心中へと追いつめられた高齢夫婦の関係性の解読
(1)痴呆を抱えて生きる妻の自己差別化
では、妻の側は単に夫に自らの身体を委ねるだけの存在であったのか。否である。
恐らく、多くの「痴呆性老人」と呼ばれる人々がそうであるように、妻は「バカになってしまった」「痴呆になってしまった」という強烈な自己差別化を被っていたと思われる(天田 2003a)。また、その自己差別化に何とか抗うが如く、自分が周囲に「痴呆」「呆け」であることを覚られないように隠蔽したり懸命になっていたのではないか。あくまでも推測の域を出ないが、夫はこのように妻が自己差別化に苦しみ、それ故に「財布などを失くさないように」としまい込み、そしてそのしまい込んだこと自体を忘れてしまい、不安に満ちた顔で「財布がない」と声を発してしまうという悪循環をも理解していたであろう。
特筆すべきは、この高齢夫婦に限っては「夫=加害者/妻=被害者」という単純な対立図式で理解してはならないということである。後述するように、特養入所申請が長男に知られてしまった晩に、妻は夫に「どこで死ぬの?」「いつ死ぬの?」と話しかけていた。また、心中の場所に向かうタクシーの車中で、妻が「もうこのへんでいいんじゃない」と夫に声をかけてもいた。そして何よりも、心中をしたその日、坂道を降りてゆく妻を急いで追いかける夫の姿があったという。妻は自らの老い衰えゆく身体のままならなさ、そのままならなさに随伴する自己差別化に苦悩するが故に、自らも(恐らく夫が決意したであろう)心中に同意していく(承認せざるを得ない)状況に晒されていたのである。
(2)妻による「妻」役割の保持
もう一点、重要な点がある。妻は「痴呆」であったが、「痴呆」でありながら、妻は自らの「妻」としてのアイデンティティを保持せんとし、行動していたことがフィルムの中からはっきりと窺える。というのも、温泉宿では必ず夫は「上座」に座り、妻は「下座」に座っていたことである。無論、こうした行為は「習慣」であるので、妻のアイデンティティ管理とは関係がないという反論も考えられなくはないが、むしろ我々のアイデンティティを保持し続けている言動とは多くの場合「習慣的行為」である。かりにこうした行為が夫婦にとって無意識的・半意識的に為されていたとしても、それは夫の「夫(男性)」という、妻の「妻(女性)」というアイデンティティを達成しているのである。
また、長男夫婦の家を出る時、夫は夏物の背広、妻は花柄のワンピースを着ていたことも、当該夫婦それぞれの「夫」「妻」というアイデンティティを保持し、それらが相互に補完する関係によって、各々のアイデンティティは承認されていたのである。
想像力を駆使して考えれば、妻は夫のリウマチを心配したり、冬などには夫の足が冷えないかを心配して毛布をかけてあげる等の「感情ワーク」の行為をしていたのではないかとさえ思えるのである。
いずれにしても決定的に重要な点は、性別役割分業の反転化・協働化とは裏腹に過剰なほど充満化した夫の男性性によって夫は自らの「夫」としてのアイデンティティを保持せんとしており、妻は「痴呆」に苦しみながらも夫への「感情ワーク」を実践し続けることで自らの「妻」としてのアイデンティティを達成していたのである。そして、当該夫婦はそれぞれの自己同一化(アイデンティフィケーション)が他者である配偶者の自己同一化(アイデンティフィケーション)によって補完されていたのである。その結果、皮肉なることか、高齢夫婦の自他の境界線は霧消化し、ともに心中へと突き動かされるという帰結を招来することになったのである。
(3)妻による夫に対する「罪の意識」
先述したように、妻の被っている自己差別化、こうした内的機制によって妻は「こんなことまでお父さんにさせて悪い」「お父さん、もういいよ…」という「罪の意識」(自責の念)を感じていたのではないだろうか。
妻は「痴呆」に苦しみながらも、妻は「夫に(家事を)やってもらって悪い」という「罪の意識」を抱えている。こうした「罪の意識」は「本来であれば妻がすべき役割」に対して「そうし得ない自分」との距離から生起しており、ジェンダー規範による解釈へと呪縛され、何重もの苦しみを妻に与えている。こうして、夫は男性性への呪縛から統制的になる一方で、妻は感情ワークを実践し、同じように「罪の意識」を抱えているのである。
つまり、当該高齢夫婦はそれぞれジェンダー規範へと強烈に囚われながら自己同一化(アイデンティフィケーション)し、そしてその自己同一化(アイデンティフィケーション)を相互に補完しあうという「相互依存」の形式において、当該夫婦のアイデンティティは何とか保持されていた一方、自他の境界線は消失してしまったのだ。
ことほど左様に、高齢夫婦介護という場にはジェンダーの力が作用している。
こうした自己同一化(アイデンティフィケーション)の「相互依存」という回路を通じて当該夫婦は心中へと追い込まれていったのであるが、こうした「相互依存」のコミュニケーション形式の中での妻が「罪の意識」を感じていたこと、自らの老い衰えゆく身体のままならなさへの絶望感を感じていたことは以下の例からも推測できる。具体的には、施設入所申請が長男に知られてしまった晩に妻が夫に「どこで死ぬの?」「いつ死ぬの?」と声をかけていたこと、タクシーの車中で妻が夫に「もうこのへんでいいんじゃない」と声をかけていたこと、心中するまさにその直前に夫の前を妻が海に向かって歩いていたこと、などである。
4.ケアプランの作成
本章の最後にごくごく簡潔に当該夫婦のケアプランを作成するとすれば、どのようなプランが作成可能かを検討しよう。むろん、ケアプランは複数のプランが想定可能であるのだが、以下ではあくまでも上記の分析結果を踏まえた上でのプラン化をしてみたい【15】。
説明するまでもなく、ここで言うケアプランの作成はパッケージ的な発想に基づくものではなく、プラン化する人間の思考の柔軟性を駆使して作成されるものである。そもそもケアプランとは状況の変化に対応できる柔軟性が求められているだけではなく、また定期的にアセスメントとその見直しを実行する作業プロセス的性質のものではない。重要な点はケアプランとは「他でもありうる可能性」(=偶有的可能性)を常に思考しながら実践するアクション・リサーチ的思考プロセスの別名でもあるのだ。
では、実際にケアプランを極めて簡単に記しておこう。
最も重要な点は夫の「妻を分かり得る私」と「分かり得ない他人」という頑強な境界設定(区分)を戦略的に緩やかにするようなサービス・プログラムを組み込むことである。これは言うまでもなく、サービスの質的問題である(量的問題のみに原因を還元しない)。
具体的には、第一には「夫婦の親密性の確保と拡散」が必要である。たとえば、当該夫婦は借家での居住が困難であったが、2人で住み続けることを強く欲望していた。とすれば、まずは夫婦で居住し続けることが可能なシルバーハウジングやシニア住宅などの確保した上で(=親密性の確保)、様々な他者の参入を組み込んだ複合的な在宅サービスを提供することが重要となってくる(=親密性の拡散)。こうしたコミュニケーションの過程においてその関係を調整・再編するような実践が必要となる。例えば、夫婦それぞれにIを意識化させるようなTheyの関係性を創出することなどが挙げられる。例えば、痴呆の妻には、デイサービスを利用している時に妻が「自宅に帰る」と言って「徘徊」をしているようであれば、ケアワーカーはむしろそれを「好機」として考え、一緒に「自宅」に帰るが如く散歩しながら、会話し、妻の関心や好みに合わせた話題の提供ができるかどうかが鍵になる。そうした会話を媒介にした新しい関係形成を基点に自らの存在を妻の記憶(と夫婦の関係性)に刻印していくような実践が必要である。
第二には、「夫婦間のセクシュアリティへの配慮」である。例えば、当該夫婦が在宅介護を続けるのであれば、最初の段階では、夫のセクシュアリティに配慮して妻を担当するホームヘルパーは「女性」が望ましいであろう。むろん、こうした設定は後述するように〈ヘテロセクシズム〉の構造を温存/再生産することになってしまうのだが、あくまでも当該夫婦の「我々/他者」というように分節/節合化(アーティキュレーション)された境界設定を再編するための端緒として上記のようなプラン化をするということである。夫婦それぞれに複数の楔を打ち込むが如く多様な人間関係が形成されてきたら、暫時変更していけばよいのである。
第三には、「妻の罪の意識の軽減」のための実践が必要である。妻は「こんなことまでお父さんにさせて悪い」「お父さん、もういいよ」と過剰に思っているが故に、一層の自己差別感や絶望感に苛まされていた(結果、夫の決意に身を委ねるしかなくなってしまった)。
そのため、例えば、可能な限り、日中はデイサービス、あるいは地域でのミニデイ等を利用し、夕方以降から高頻度なホームヘルプサービスを利用するなどの設定をプランに組み込む必要がある(=妻の罪の意識の軽減)。ただし、現状では要介護度によっては「可能な限り」といってもかなりの制約があるため、介護保険限度額をフルに利用した上でNPOやボランティアが運営するミニデイや見守りサービスなどを利用することが求められる。
第四には、「妻の自己差別化の解消」のための実践である。すなわち妻のアイデンティティを保持するためのプランを組み込む必要がある。この時に重要なのは妻に「してあげる」ではなく「してもらう」発想である。「痴呆」ということで妻の言動を制限するのではなく、妻に「できること」を「してもらう」こと、職員がともに楽しむプログラムが望まれるであろう。先駆的な実践を実施している小規模多機能ホームやグループホームに見られるように、食事作りが得意な人には食事を一緒に作ってもうのがいいし、買い物が得意な人には買い物に、配膳が得意な人には配膳を、片付けの得意な人には片づけをしてもらうこと、そして柿とりや芋ほりや犬の散歩などかつて慣れ親しんだ行為を日常の中で一緒に楽しみながら行うことなども効果的であろう。
第五には、「世代間の継承と地域の構想」である。具体的には、夫の「夫婦の人生(物語)」ないし「夫の個人史」の話に耳を傾けるボランティアが効果的なケアとなり得るであろう。とりわけ子どもなどのように同世代や隣接世代よりは異なる世代のボランティアの方が効果的であろう(=世代の継承性)。特に、異質な他者の方がかえって「理解不可能性」を前提にするために、かえって「共感」や「共鳴」を相互に感得し易いのである(“分りあえない”から出発することで逆に共感し得る)。加えて、地域資源の有効的な利用やセルフヘルプ・グループへの積極的な参加への促しなどが必要である(=地域の構想)。
最後には、「象徴を媒介にした「協働領域(common)」の感受可能性」である。実際には難しい点もあるのだが、「夫の死後も妻へのケアは継続されていく安心感」を夫に与え得る舞台を演出することが不可欠となる。例えば、多機能型ホームの複数のサービスの効果的な利用によってサービス利用の「拠点」を明確化すると同時に、イベントや行事への参加を呼びかけるなどの具体的実践が望まれるであろう(=象徴を媒介にしたコモンズの感受)。例えば、デイサービスや地域型ホームなどの利用を通じて夫婦それぞれの「協働領域」を創出することや、地域での拠点となるセンターを再編することなどが不可欠であろう。
4.「老夫婦心中」をめぐるアイデンティティの政治学
本稿で確認してきたとおり、夫は自らのアイデンティティを証明するために、性別役割分業の反転化・協働化によって夫婦間に過少化した男性性を補充するが如く、逆に自らの男性性の証明をする言動(例えば妻を周囲の差別的・侮辱的な眼差しから防御する行為)に躍起になってしまっていた。一方、妻は「痴呆」に苦しみながらも夫への「感情ワーク」を実践し続けることで自らの「妻」としてのアイデンティティを達成していた。すなわち、当該夫婦はそれぞれの自己同一化(アイデンティフィケーション)が他者である配偶者の自己同一化(アイデンティフィケーション)によって補完されるという「相互依存」の形式の結果、皮肉なることか、高齢夫婦の自他の境界線は霧消化し、ともに心中へと突き動かされるという帰結を招来することになったのである。
こうしたアイデンティティの相互依存の形式を構成しているのは「市民社会」における「私的領域/公的領域」という境界設定であることは言を待たない。そしてこの境界設定はジェンダーやセクシュアリティによって形作られたものである以上、それらによって高齢夫婦の「分かり得る自己」と「分かり得ない他者」という分節/節合化(アーティキュレーション)は行為遂行的(パフォーマティヴ)に常に既に作り出されているのである。これこそが高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治性である。ことほど左様に、「老夫婦心中」とは政治的な出来事なのである。
しかし、この高齢夫婦におけるアイデンティティをセクシュアリティを〈ヘテロセクシズム〉という視点を導入して考究すると別の現実が浮かび上がる。というのも、当該夫婦の夫の男性性は「別様でもあり得た」にもかかわらず「統制的」であったし、また夫婦間におけるセクシュアリティは極めて「異性愛主義的」であったからである。
コンネルは「複数の男性性(masculinities)」、すなわち男性性とは一枚岩的なものではなく階級・エスニシティ・セクシュアリティ等による男性性の複数性が存在すること、そして、その複数の男性性の中に序列的配置と権力関係を構成=配置する「覇権的男性性(hegemonic masculinity)」の機制を剔出した(Connell 1995)。つまり、当該夫婦における夫の男性性は強固な異性愛主義に基づくものであり、その意味で「覇権的男性性」である。
以上までの結果から、同居は高齢者の不安を解消するどころか、かえって強化してしまう事態を招来することもあり得ること、男性が家事や介護をすればジェンダー・フリーになる等という見解は本質を看過してしまうこと、「痴呆性高齢者」と呼ばれる人であっても、とりわけ女性の場合には自らが介護を受けることに自責の念を抱えていること、あくまで本稿で扱った高齢夫婦に限定すれば老夫婦の心中は「加害者−被害者」という単純な図式には当て嵌まらないこと、しかし不可視化されたジェンダーの構造は強固に存立しており、それゆえに高齢夫婦は心中へと追いつめられていく機制があることなどが明らかになった。
特筆すべきは、冒頭に例示した鹿島市の老夫婦心中の事件は「高齢者福祉の問題が背景」にあり、「被告一人を責められない」として地元で減刑を求める嘆願書が集められたという点である【16】。このように老夫婦心中はその衝撃性ゆえに、その責任の宛先は「制度」であり「社会(国家)」へと差し向けられることになり、制度的な限界がある現時点でのパッチワーク的な対応として「地域」で「包摂」する必要性が最も効果的である、と提唱をされてしまう。こうした問題提起には賛意する部分も少なからずあるのだが、「地域」によって老夫婦心中を惹起させていた〈ヘテロセクシズム〉の構造は不問に付されてしまう。いや、そもそも「地元の住民」は「献身的に介護する妻思いの夫」を「思いやりのある優しい夫」として眼差してきたはずであり、その意味では心中へと駆動させたジェンダー構造を温存/再生産することに加担してきたのである――その加担性は問われることがない。
このように、「老夫婦心中」とはその衝撃性にのみが照射されてしまうが故に、それが〈ヘテロセクシズム〉によって作り出されているという本質が隠蔽化されてしまっており、上記の鹿島市の地元の人々の反応に端的に観察されるように、彼/彼女らの善意や提言は皮肉にもこうした心中を生起させている構造を温存/再生産することに加担してしまっていたのである。そして、何よりもこうした老い衰えゆく身体をめぐるアイデンティティの政治性は常にこうした隠蔽によって不可視化されていたのである。
いまだに〈老い〉は脱性化・脱ジェンダー化してゆく過程として捉えるようなイメージがあるが、これは全くの誤読(ミスリーディング)であると言わざるを得ない。むしろ、老い衰えゆく高齢夫婦においてこそ、とりわけ仲睦まじき高齢夫婦においてこそ、その老い衰えゆく只中でのままならなさを夫婦それぞれが抱える状況において〈ヘテロセクシズム〉は行為遂行的(パフォーマティヴ)に作り出されて続けているのである。逆に言えば、老い衰えゆく高齢夫婦のあいだに充満する過剰なる〈ヘテロセクシズム〉、これこそが老夫婦心中の核心を作り出している機制である。この充満化した〈ヘテロセクシズム〉こそが高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティをめぐる政治性を、そしてヘゲモニックな権力の配分=配置(エコノミー)を構成しているのである。
おわりに――〈老い衰えゆくこと〉を生き抜くための思想と生存戦略へ
最後に、超高齢社会を迎えている今日、〈老い衰えゆくこと〉を生き抜くための思想を作り出すこと、そしてそのための生存戦略について触れて本稿を締め括るものとしよう。
第一に、三島由紀夫の「心中論」や埴谷雄高と樋口覚の対談の「心中論」における問題設定は「死の思想化」であり、〈死と死にゆくこと〉ではなく〈死〉それ自体を美的・倫理的に感得することの必要性が提唱されている。換言すれば、自ら此岸における自己の視線を、彼岸における超越的審級としての他者の視線の先取り=取り込みをすることを通じて、定位させるための思想、それが三島や埴谷の「死の思想」の核心である。そこでは心中は否定されず、むしろ〈死〉への飛躍、思想的突破として描出されている。
しかし、我々が現在問うべきは、以下の大川の卓越した行文のような問いである。
設定される、わたし/あなた、わたしのもの/あなたのもの、自/他の境界線をあたかも自然で所与だと考えるのは、この境界設定が政治的なものであることを隠蔽するばかりではなく、この設定そのものを脱政治化することでもある。こうした境界設定という「行為の意味を定義する力をもっているのは、誰なのかという問い」、まさに政治的な問いが退けられてしまうからである(大川 1999:99)
であるとすれば、「死の思想」は「老夫婦心中」という極めて「政治的な問い」を脱政治化した上で言語の自乗によって思想的な水準に転移させている思考に過ぎない。
「老夫婦心中」という出来事に対して我々がすべきは「このように自然化された境界設定ゆえに不運として受け入れた生き難さ・苦難を、不運ではなく不正であると感じ、その不正義感覚を表出することによって既成の境界設定を揺るがし、あらたに設定し直しはじめることを呼びかけ、問いかけること。そして、その呼びかけ、問いかけによって切り拓かれる、新たなはじまりを聞き届けつつ、それに呼応し応答すること。そうして軌跡として描かれる「人間としての尊厳」がかたちづくられていく過程に信をいだき、そこに投企すること。しかもその際に、あなたとわたし、それぞれがかかえる「影と歴史、傷痕と痕跡」ゆえの分かち合えなさ、分かり合えなさがあるにもかかわらず、分かち合い、分かり合いへの信を賭けること」(大川 1999:100)なのである。こうした人と人の〈あいだ〉において浮び上がる〈正義〉の可能性がある。これが「生き抜くための思想」である。
「生き抜くための思想」とは「不運として受け入れた生き難さ・苦難」を「不運」ではなく、「不正」であると感得するための思想であり、そのことを通じた「不正義感覚」の表出によって「既成の境界設定」それ自体を転覆する実践へと結実する思想である。それは「夫婦」を「私的領域」としている境界設定を転覆する戦略への離陸を可能とするだろう。
第二には、「私的領域/公的領域」という境界設定の転覆の戦略と同時に、現実の老い衰えゆく高齢夫婦が〈老い衰えゆくこと〉の自己差別化から解放されるための生存戦略が不可欠である。そして自己差別化からの解放は自己解体をともなうからその只中で生き延びる思想をいかにして言語化し得るかという点である。説明するまでもなく、上記の第一課題と第二の課題は連接しており、実践的にも両者を同時に解決し得るような実践が求められている。例えば、現在の実践の場において様々な試行錯誤を重ねて作り出されているような「私的領域」でも「公的領域」でもない領域、言うなれば「協働領域」を分節/節合化することである。
註
【1】 本稿は、「老夫婦心中」の出来事に照準化した上で、当該高齢夫婦が心中に至る過程のパフォーマティヴィティを明らかにするものである。したがって、老夫婦心中事件の統計的把握や歴史的な変化等は別途(2)にて報告するものとしたい。また、実践論についても機会を改めて論じる。
【2】 2002年5月28日の朝日新聞(夕刊)、毎日新聞(夕刊)ならびに29日両紙の朝刊を参照した。
【3】 この場合、入院さえしていれば心中が防げていたかは甚だ疑問である。例えば、鳥取県の病院の個室で妻が夫の病気を苦に心中していた事件などを思い返せば(2002年4月14日朝日新聞)、入院すれば心中はなくなると考えるのは、ある意味で「思考停止」した発想に他ならない。
【4】 5月28日の毎日新聞(夕刊)では、この後「背景に老老介護」と題して、今回の事件の背景に「老老介護」の問題があり、厚生労働省の2000年調査では介護が必要な家族がいる世帯のうち、主な介護者が70歳以上の世帯は22.9%に上っていることを指摘した後で、厚生労働省の「一般的には、介護保険制度の導入で家族の負担は軽減しているはず。介護サービスをより利用しやすくするなど、制度の充実に努めたい」というコメントを掲載している。次いで、佐賀県長寿社会課長の「独居老人や高齢夫婦であっても他者とのかかわりがあれば孤立せずに済む。生きがい対応型デイサービス、安否確認も兼ねた配食サービスなど、多様な高齢者福祉のメニューが、高齢者自身に十分知られていない面もあり、今後の課題だと思う」というコメントを順次載せている。そして、最後に、専門家の「介護には子育てと同じように愛情の交換が必要で、専門的サービスだけではケアすることはできない。ただ、夫を介護する妻より、妻を介護する夫の方が、世話に慣れていないこともあって悩みやストレスは大きい。夫に対しても精神的なケア、支援が必要だったのではないかと思う」という見解を提示、という新聞記事のプロットになっている。
【5】 2002年5月30日の朝日新聞(朝刊・西部地方版35頁)。ここでは市長の「悲惨な事件が起きて残念だ。高齢者が孤立しないよう、心のケアを考えていく必要がある」という談と、検討委員会を通じて事件の原因究明と再発防止策を論議していくことが記されている。とりわけ、「事件では、夫婦が介護保険を利用していたにもかかわらず、将来への不安が動機とみられ」たため、今後鹿島市としては高齢者家庭に対するカウンセリング窓口の設置や、介護保険のケアマネージャーへの医学的な専門知識の提供、介護保険対象外の高齢者に対してのサービス拡充などを通じて「介護保険制度や、市の高齢者支援活動で不足している問題を探り、福祉の向上に努めたい」と言う。
【6】 2002年9月12日朝日新聞(夕刊・西部地方版9頁)を参照。
【7】 2002年9月12日朝日新聞(朝刊・西部地方版27頁)「背後に老老介護の窮状 鹿島の老夫婦心中事件、きょう判決 /佐賀」参照。この後「(佐賀)県内では2001年11月にも重度の糖尿病で将来を悲観した夫(当時74歳)が、妻(同71歳)と自宅の池に入水した心中事件が起きた。男性は要介護認定を受けており、町側も介護保険を利用して在宅介護を受けるよう勧めたが、他人であるヘルパーが自宅に入り込むのを嫌い、妻が付ききりで介護したという。同町保健福祉課の主査は『介護を受けるには、下の世話から家庭関係などプライバシーをさらけ出す必要がある。それを他人に明かすことは難しい』と指摘。介護を受けても『配偶者の老化や経済的な理由から悲観的になりやすく、自分たちで死を選ぶ人もいる』と話している」という記事を載せている。
【8】 2002年11月26日の朝日新聞(朝刊・西部地方版25頁)を参照。
【9】 ちなみに本ドキュメンタリーは第18回放送文化基金賞の番組部門の本賞に選ばれている。本ドキュメンタリーは藤崎宏子先生(お茶の水女子大学)から紹介して頂いた。記して感謝したい。
【10】 また、仮に夫婦で有料老人ホームなどに入所してもそれまでと同様に夫婦の〈親密性〉を維持するのは(同じ入所者仲間への過剰とも言える配慮から)困難となるのである。したがって、有料老人ホームの高齢夫婦の〈親密性〉は裏舞台にて演出されるようになるのだ(木下 1997)。
【11】 夫の男性性は「息子には迷惑をかけられない」「周囲に迷惑をかけたくない。妻が可哀想だ」という意識に端的に見られるが、この「1万円」という高額な「寸志」の意味は一考に価する。つまり、この高額な寸志とは「周囲に対する迷惑」を貨幣によって代償するという行為である。社会学的に言えば、夫は妻の「迷惑」を貨幣へと換算することで、周囲からの妻への冷たい眼差しや屈辱からプロテクトしようと試みていたのである。「貨幣」とは様々な差異(価値)を相対化し、無限なる差異を同一化の平面に還元するという作用があるが、その差異の抹消=通約に孕む「暴力性」こそが「男性性」へと容易に結合する。多くの男性が貨幣で周囲の人々の配慮を購入しようとし、「名医」の下で痴呆の妻の治療やリハビリを試みようとする「克服」への過剰な欲望は、貨幣を媒介にした「男性性」の表象によって惹起されているのだ(Connnel 1995)。
【12】 筆者の調査した高齢夫婦においても、こうした性別役割分業の反転化・協働化とは裏腹に、夫は妻に対して「薬はちゃんと飲んだか」といった管理的な介護を行っていたり、「妻を何とか元の身体に戻してやりたい」「病気を治してやりたい」と言って「名医」を探し回るといった行動に躍起になったり、妻の意思を確認せずにリハビリにひたすら邁進したりしていた。
【13】 こうした夫による妻の介護においては「妻には散々世話になった。せめて最後ぐらいは」という「負債意識」と「自分の身体さえしっかりしていたら、もっと妻をちゃんと看てやれるのに」という罪の意識(自責の念)が見られることが多い。この点は拙著(2003a)参照。
【14】 そもそも「ケア」とは本質的に、自己の感覚を他者の感覚と一体視させ、相手との距離を極小化させることが求められる行為――言い換えれば、自己が完全に理解することが不可能な他者の意思/感情を汲み取る行為――であるため、自己と他者の過剰な同一化を孕む。とりわけ、配偶者が「痴呆」となり相手の意思や感情が明確に把握できないような状況では、このような自己と他者の過剰な同一化へと陥りやすい。詳細は天田(2003a)を参照されたい。
【15】 ただし、本稿で解読し得ていない幾つかの疑問が残っている。以下、ごく簡潔に筆者の見解を述べる。例えば、一つには、なぜ「偽名」を使って温泉宿に宿泊していたのか、なぜ最後には「本名」を宿帳に書き記したのか、「本名」とは人間にとっていかなる意味をもつのか、である。「名前」とは人間の自己同一性の最大の拠り所であることからすれば、「偽名」を使用していたのは捜索願が出されていることを心配していたからだけではない。むしろ、「偽名」を名のることを通じて、生と死の境界を漂うが如く旅をしていたのであろう。最後に「本名」を名のったのは、文字通り最後の命懸けの生存をかけていた状況を想起させる。第二に、なぜ一度は引き返して東京に戻ろうとしたのか、それでも、なぜやはり心中したのか、この高齢夫婦にとって「引き返す」という行為は一体何を意味していたのか、である。民俗学的に言えば「引き返す」という行為は、生者の世界(此岸)と死者の世界(彼岸)の往復運動ではなかったかと思える。その意味で、当該夫婦は心中の前に生と死の境界を彷徨っていたのである。第三には、なぜ故郷を遠巻きに眺めるが如く旅していたのか、一体、「故郷」とは何なのか、生々しい「生と死のストーリー」としての25日間の旅路=象徴的な行路とはいかなるものであったのか、である。「故郷」とは文化人類学的に解釈すれば「生と死のシンボリズム」であり、遠巻きに眺めるような旅とは生と死の周縁の旅路であったに違いない。いわば〈生〉と〈死〉淵を彷徨い歩いていたのである。
【16】 2002年9月12日の朝日新聞(夕刊・西部地方版9頁)参照。区長は「ほっとした。地区に帰ってきたら、皆で協力して温かく支えていきたい」と言っているという。
文献
天田城介.2001a.「自己と暴力――身体、ジェンダー、セクシュアリティ、親密性/公共性」.『応用社会学研究』(立教大学社会学部紀要)第43号:31-60.
――――.2001b.「構築主義の困難――自己と他者の〈語る〉場所」『現代社会理論研究』第11号:1-15.
――――.2002a.「自己と自由――責任・制度・正義」『応用社会学研究』(立教大学社会学部紀要)第44号:69-113.
――――.2002b.「老い、死、そして自由――高齢社会における言説編成」未発表.
――――.2003.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
Connell R.W..1995.Masculinities.University of California Press.
埴谷雄高・樋口覚.1994.『生老病死――埴谷雄高・樋口覚 対談』三輪書店.(心中論参照)
春日キスヨ.2000.『介護問題の社会学』岩波書店.
木下康仁.1997.『ケアと老いの祝福』勁草書房.
耕治人.1986.「天井から降る哀しい音」『群像』41(7):144-168.
――――.1988.「そうかもしれない」『群像』43(2):6-25.
三島由紀夫.1999.『日本人養成講座』(パサージュ叢書――知恵の小径)メタローグ.「第4章 エロスと政治について」の「心中論」(108頁〜)参照.
大川正彦.2000.『正義』岩波書店.
芹沢俊介.1991.「現代心中論」.上野千鶴子ほか編.『変貌する家族2 セクシュアリティと家族』岩波書店.191-212.
竹村和子.2002.『愛について――アイデンティティと欲望の政治学』岩波書店.
上野千鶴子.2002.『差異の政治学』岩波書店.
【言及文献】
■平英美.2005/07/23.「ある難病患者にとってThey-relationがもつ意味〜A.シュッツのアクチュアリティ」.社会科学基礎論研究会 第2回研究会(於:大正大学).
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【その他の媒体における本書への言及】
■janp氏の濫読日記「2004-01-06 久々に自分のものを読む」
http://d.hatena.ne.jp/janp/20040106
天田城介「老夫婦心中論(1)――高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学――」『立教大学社会福祉研究』第22号、2002、pp.1-18
老老介護に疲れた老夫婦の心中。高齢化が進むなか、ある意味珍しくもなんともなくなってしまったものだ。実際、ちょっとWEBで調べただけでもいくつもみつかる@AB。
こういった心中はなんでおきるんだろうか。天田はまず、@ABでも書いてあるような、心中の理由を行政の制度上の問題(サービスが不十分)や精神的ケアの必要性の指摘、地域のネットワーク化など老夫婦の「外部」の要因をつかって説明しようとする傾向を批判する。「外部」の制度的問題はたしかに重要だが、これらは別に心中の有無かかわらず常にいわれているものだ。むしろこういった説明をすることは、老夫婦が心中へ追い込まれていくその過程において、いかなる要素(特にジェンダーやセクシャリティ、家族における関係性などによる規範)が作動しているのかを覆い隠してしまっている。そう告発する。そして、天田の視点は、@を事例に夫婦の心中への過程を詳細に分析することへ向かう。ここではその詳細には立ち入らないが、その分析はとても緻密でしかも説得力がある。老夫婦がいかに家父長的なジェンダー規範を内面化し、介護関係になることでその規範がたとえ夫が介護者の場合でも(いや、むしろ)強化、再生産しているか、その行為遂行的 performative な過程を描き出してくれる。そして、この規範が強固に内面化されたがゆえに、心中へといたってしまうことを明らかにする。それは、規範の中で精一杯がんばってしまうことが最後には心中という悲劇につながってしまうという、二重の悲劇にいたってしまう。
正直、今の僕はまだこの論文の実践を消化できない。規範を指摘し批判することはできても、それをどのようにずらしていくのか、その方法がまったく見出せないからだ。ただ一つだけいえることは、制度をどれだけよくしたって、この老老介護における問題は解決できないということだ。天田は最後に、この心中劇を起こさないための”柔軟な”ケアプランを社会学的な見解を駆使して導き出す。こういったプランを作り出すための土台を作り、鍛えることが今の僕の課題だろう。
「個人的なこと」「私的なこと」として想定されている、あるいは福祉制度上の不備から引き起こされているといった限定的な理解がなされている「老夫婦心中」を、<政治的な舞台>へと引きずり出すためには微細な諸成因の様々な行為を観察する必要があるのだ。
制度を変えるということは、他の人に任せよう。つまらないとされることが、実は政治的なことなのだから、それを見続け指摘しつづけよう。
■Naoto TAKAI氏の紹介 Tuesday, November 30, 2004
www.commentout.com/people/takai/ diary/2004/11/rofufu-shinjuuron1.html
Rofufu Shinjuuron(1)
天田城介,2002,「老夫婦心中論(1)――高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学」,『社会福祉研究』22:1-17.
http://www.rikkyo.ne.jp/grp/r-fukushi/22amada.pdf
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⇒天田城介(josukeamada.com)⇒著書・論文など