天田城介(josukeamada.com)著書・論文など
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書評論文「直井道子著.『幸福に老いるために――家族と福祉のサポ−ト』(勁草書房,2001年)」
社会政策研究ネットワーク(SPSN)発行.『社会政策研究』第3号.P177〜P181.2002年11月.

天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2002.07 最終更新日:2004.04


【全文】(以下、草稿です)

直井道子著.
『幸福に老いるために――家族と福祉のサポート』
(勁草書房,2001年5月15日出版,A5版,214頁,3,000円)


●天田城介(熊本学園大学)

 本書は、戦後日本の激動の社会変動の只中を生き抜いてきた、「世界でもまれな体験をしてきた現代日本の高齢者たちが、何を幸せと感じ、どのようなサポートによって安心して老いることができるのか、を社会調査によってあきらかにすることを目的としている」(A頁)。「幸せに老いるための条件を探る」という課題を豊富なデータから照射しつつ、現在の日本社会において「高齢期に人々はどのような困難に遭遇しやすいのか、その困難を周囲の誰にサポートしてもらって乗りきり、幸福な高齢期を迎えようとしているのか(サクセスフル・エイジング)、そのなかで家族はどの程度の貢献をしているのか」(3頁)を多角的かつ包括的に考究している。
 本書はV部、12章から構成され、第T部「高齢者研究の課題と方法」では近年の日本社会における高齢者をめぐる現実の変化やそれに対する家族の関わりの変化が先行諸研究を概括される。特に第1章では「役割移行の諸状況を規定する要因や、役割移行への適応や不適応の条件を探る研究」(4頁)としてエイジングの社会学的研究があることが明示された上で、PCGモラール尺度から「幸福感」が測定されること等が説明され、本書全体を通約する視点と分析枠組みが提示される。第2章、第3章では高齢者のサポート研究の展開が整序された上で、現状の高齢者のサポートと家族の関係、要介護高齢者への家族介護の困難性が描出される。
 第U部「幸福に老いる」は、第4章から第7章で構成されており、都心部居住の前期高齢者調査、都下K市居住の夫婦世帯調査、東京都・山梨県調査にて収集したデータの適切な処理と概念の操作化を通じて「幸福感」に寄与する要因の分析が徹底して行われる。
第V部「助けてもらって老いる」は、第8章から第11章で調査結果が考究された上で、最後に本書の結論をまとめた第12章「サクセスフル・エイジングの条件」で完結する。ここでは複数の調査データから幸福感を被説明変数とし、サポートやサポートへの期待などの「適応のための資源」を被説明変数とした分析が徹底して展開される。
 詳細ついては直接書を熟読することをお勧めするものとし、以下ではごく簡潔に本書が明らかにした結果(発見)を列記したい。
 本書では、@高齢者の幸福感と関連が深いのは男女共通して健康度である、A安定した収入が幸福感に寄与する、B高齢夫婦世帯の場合は成人子との同居は幸福感の必要条件ではない、C配偶者を喪失した場合には成人子との同居が幸福感を高める、D一人暮らしの高齢者は幸福感が低いことなどが報告される。次いでE同居高齢者は別居子との交流頻度が少ない、F成人子との交流の増大は幸福感を向上させる、G成人子との間のサポートの授受もサポートの提供も多面的であると幸福感が高い、H成人子との不一致は幸福感を低減させる、I男性は有配偶者である場合は幸福感と強く関連するが、女性はそうでもない、J夫婦関係の良好は幸福感に寄与する、K夫の家事参加はむしろ幸福感へ寄与し得る、L前期高齢者では同居よりも友人との交流、余暇活動、親族との交流が幸福感と関連する、M男女ともに職種を問わず就労は幸福感を高める、N外出行動は幸福感を向上させる、O高齢夫婦世帯の多くは妻が主に家事役割を担っており、特に後期高齢者においてその負担は厳しい、Pサポートはインフォーマルサポートに偏向している(とりわけ配偶者への偏向)、Qサポートの授受は夫婦間で最も為されている(特に妻から夫へ)、R子供との間のサポートの授受は70代後半に「役割逆転」する傾向にある、S寝たきりになれば配偶者に期待し、それが困難であれば成人子や病院、老人ホーム、在宅福祉サービスに分散して期待する傾向にあることなど多数の知見が析出されている。
 こうした結果はいずれも“言われてみれば当たり前”のように聴こえるやもしれないが、入念な準備と周到な分析手続きによってこれらの知見が剔出されている点こそ、本書の紛う方なき意義深い功績がある。
 特に評者の関心を引いたのは、一つには〈高齢夫婦のジェンダー〉であり、もう一つには〈高齢夫婦介護の困難性〉、より精確に言えば“仲睦まじき高齢夫婦介護”の困難性についてである。
 まず「男性では配偶者がいる場合、子供との別居の幸福感が有意」に高く、「子供との同居は有配偶の場合と無配偶の場合では反対の効果」(85頁)持ち、家庭外の役割が減少した夫が家事労働を協働して担うようになった夫婦の満足度は高いが(111頁)、夫婦ではサポートの期待値が異なること(143頁)、配偶者が寝たきりになった時、夫は妻以上に「自分が家で」介護するつもりでいること(176頁)が言及されている。すなわち「戦後数十年を経過して家意識は衰退しつつある」状況下、妻は介護役割や同居規範から離脱しつつあるが、夫の方は“周回遅れのランナー”さながら、「性役割意識の払拭」という方向を強化し、「自分も妻を自宅で介護するという方向に働いた」(179頁)という指摘は大変興味深い。要するに、現在の高齢夫婦の変容は、妻には「夫婦のオープン化」へ作用しているのに対して(但し病院指向が強い)、夫には「夫婦の閉塞化」へと作用しており、かりに高齢の夫が妻を介護する場合には“家族介護の自閉化”の坎穽へと陥るのではないかとさえ予想させる。
 第二には、本書の結果では「夫婦関係が良好なほどモラール得点が高く、1%水準で有意な差があった」(110頁)が、現実の高齢夫婦介護の事態でも良好な夫婦関係は幸福感に寄与するのであろうかと疑義を抱いた。つまり、健康度の幸福感の低減については再三指摘されているものの、実際に夫が妻を介護する場合、実は“仲睦まじき夫婦”の方がその事態において抱える苦悩や葛藤は幾重にも深いのではないか。実は、この点は「高齢後期」を考える上でも重要な点であるので迂回して詳説しよう。
 筆者は、最後に「サクセスフル・エイジングの条件として健康、家族、経済の3Kが重要」(200頁)という説は一定の説得力があるが、こうした条件がそろった生活ができるのは「高齢前期」であり、「高齢期が本当に問題」となる80歳代、90歳代の「高齢後期」すなわち「老後とはこの3Kのどれもが脅かされる時である」(201頁)と指摘する。本書の底流に流るる問題設定がここにある。換言すれば、高齢期の特徴である「依存性の増大」に対して「どのような形で応えていくことができるのか、ある意味で社会全体が試されている」(A頁)という、〈老い〉への応答可能性(responsibility)の問いなのである。
 だとすれば、「高齢前期」には幸福感を向上させていた良好な夫婦関係が、「高齢後期」の高齢夫婦介護の事態になった時には反転して、言い難い苦悩や葛藤を招来させるのではないか。更に言えば、幸福感では衡量困難な高齢夫婦の〈老い〉の現実があるのではないかということである。例えば、評者が出会った夫が妻を介護している“仲睦まじい”高齢夫婦の多くは、夫は自らを「(身体のままならぬ)妻の意を汲むことのできる私」と自己定義することを通じて、「分かり得る私」と「分かり得ない他者」を分節化し、「私」と「妻」を節合化して絶えず〈われわれ〉という意識を強化していた。それ故に、「分かり得ない他者」である成人子や親族や福祉職の専門家の人々から隔絶化し、更にこうした分節=節合化が強化されてゆくという悪循環に陥っていたのであった。つまり、「高齢前期」では幸福感に寄与した要因が、「高齢後期」では逆説的に高齢夫婦における介護の困難性を立ち現せる現実になるのではないかと予測し得る。本書はこのような読者の想像力を喚起し、それを豊饒化する素材を幾つも提供してくれる。
 以上までに概括してきたように、「幸せに老いるための条件」を緻密な調査と充分に配意されたデータ処理を通して考究した本研究は我が国のエイジングの社会学的研究の先鞭をつける著書として大いにその意義を顕揚したい。しかしそれ故に、読後においては極めて重要な「問題設定」が評者の中に惹起されたのもまた事実である。それは〈老い〉への応答可能性に深く関連するような、以下の点へと収斂するような決定的に重要な「問題設定」である。
 冒頭に「生き抜いてきた」と叙述したように、〈老い〉を「生き抜いてきたこと(survive)」の過程として捕捉した上でそれを射程にする必要があろう。退職や同居が高齢者の幸福感を低減させることのない現実は「現在性」の地点から考究されるべきである。本書全体にもこの「生き抜いてきたこと」の理論的含意は通奏低音に鳴り響いているが、高齢者は単に日月を費やしてきたのではなく、自ら心地よく生き抜くため、老いの只中にあっても知恵を絞り自らのアイデンティティをマネージメントし、多種多様な戦略を採り続けてきたはずである。こうした未曾有の高齢化(aging)を遂げる中で立ち現れる現実を常に参照しつつ、加齢(aging)する個人は自らの生き方を問い直すと同時に、かつての老年期の価値や規範それ自体を吟味・改編してきているというダイナミズムについて、本書では残念ながら言及されていない。しかしながら、この場からこそ高齢社会における新たなる〈老い〉の思想は紡ぎ出されているし、我々の「可能性としてのエイジング」への応答可能性も文字通り「可能」となるのである。
 本書によってこの問題設定が鮮明に映写されたという効果から言っても本書がエイジングの社会学的研究において画期的な書であることは間違いない。加えて、緻密なる調査と精確かつ慎重なデータ分析に基づいた研究の醍醐味と同時に、著者の錬成された方法論的にまで触れることのできる必読の書でもある。

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