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| ■003■ 事典執筆 「老人観」「死生観」「エイジズム」「老化」の4項目. 『ケアマネジメント事典』メヂカルフレンド社.2005年.(執筆2000年4月) |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2000.04 最終更新日:2004.04
※本ホームページの原稿は校正作業を行う前のものです。
⇒『ケアマネジメント事典』の刊行は中止となったそうです【050622】。
■老人観
【定義】
老人や老いについての観念や態度をその主意としているものの、老年期における人格や生活に対するイメージや意識、感情、欲望をも含み指す言表である。
言うまでもなく、ある時代・社会における老人観は決して固定的でゆるぎない観念などではなく、社会的・文化的・歴史的に作り上げられたものである。その反面、社会史や歴史研究の知見が明らかにしたように、多くの伝統社会において年老いた人々は、一方では醜悪や愚鈍、無用、重荷、汚穢という負性=不浄を、他方では英知、超俗、賢者、聖者という正性=浄を具現した両義的存在であった。こうした〈老い〉の両義性は当該社会の宗教や信仰やライフサイクル観と連関しており、それ故に、老いた人々は生者の世界において不可視な死者の世界(異界・他界)を表象する他者であった。換言すれば、この生と死の境界人としての老人の両義性によってその社会の世界観は維持され、信じられるものになっていたのである。
しかし、近代社会の成立とともに「老人」は「大人」の〈他者〉として、つまり「大人」との差異から把握される存在として「発見」された。また、福祉国家の形成・展開に伴い「援助を必要とする弱者」「老い衰えゆく無能力者」などのステレオタイプ化されたイメージ、いわゆる「老人神話」が作り出されることとなった。ここにおいて産業社会における「非生産者」としての「老人」が誕生することになったのである。
【現状】
一方で、「高齢社会」と呼ばれる現在において老人観が大きく変わりつつあるのもまた確かである。1960年代末からのグレイパンサー(Gray Panthers)や全米退職者協会(American Association of Retired Person:AARP)などの団体・組織を中心としたエイジズム批判の運動によって、あるいは趣味やボランティアなどに積極的に活動する高齢者の増加によって、かつての「老人神話」は文字通り「神話」であったことが明らかになりつつある。むしろ、現在では主体的で活動的な高齢者像が過剰に理想化されることで「健常なる老い」という新たなる老人像が称揚されているとも言え、こうした新たな〈老い〉をめぐる政治にも注視する必要があろう。
老年学及び老いや高齢者に関する諸研究では、老い、加齢、老年期、高齢者のパーソナリティや役割期待などに対する態度やイメージを様々な尺度で測定する研究がこれまでに蓄積されてきた。メディアと老人観のイメージの関係を分析したものもある。また、老いと近代化との関係を説明する「老いと近代化(aging and modernization)」論などもある。
<文献>
Beauvoir S. de (1970) La Vieillesse.Editions Gallimard.=朝吹三吉訳 (1972)『老い(上・下)』人文書院./Cole T.R. (1992) The Journey of Life;A Cultural History of Aging in America.Cambridge University Press./Minois G. (1987) Histoire de la Vieillesse en Occident;de l’Antiquite a la Renaissance.Librairie Artheme Fayard.大野朗子・菅原美恵子訳 (1996)『老いの歴史;古代からルネッサンスまで』筑摩書房.
<参照項目>
エイジズム、エイジレス社会、敬老思想、棄老、死生観、少子高齢社会、老化、老年学
■死生観
【定義】
死や死後や死者に対する、あるいは死との関係から考えられた生に対する観念と態度を主意とする。死生観は自らの死や死後、死者、終末についての観念と、それらから反照される生の実存によって形成されるが、その様式は極めて相対的である。
文化人類学や歴史学の知見が教えるように、多くの伝統的な社会において死生観は宗教や信仰などと相互に規定しあう関係にあり、〈生〉と〈死〉を接続する世界観を根底から支えていた。それぞれの社会・文化においては、死や死者をめぐる儀礼の様相は異なるものの、儀礼によって人間にとっての最大の脅威である〈死〉を秩序化し、個体=肉体の死を超えた存在の永続性を保証する観念を作り出してきた。その死の儀礼においては生/死、生者/死者、此岸/彼岸、聖/俗、内部/外部、秩序/混沌などの二項対立は可視的に形象され、そのシンボルの運動によって〈不死性〉が表象された。言うなれば、それは時空間を再秩序化する、生と死と再生の循環性を共同演出する象徴劇であった。
しかし、近代という時代では死の儀礼は形式化され、死後の自己の永続性や死後の世界それ自体を想定しない世俗的死生観が支配的になってきていると言える。その意味で、現代社会における個人は自己の死生観を常に書き換えながら自ら作り上げる他はないのである。それ故、〈神〉なき時代、鎮魂と再生の儀礼なき現代社会の基調音となる社会的感情は「孤独」と「不安」となる。
【現状】
その一方で、「高齢化」を遂げている高度産業社会においては、個人は将来における自分の生涯を予期しながら自らの死の問題に意識的にならざるを得ない。こうした背景には、@近代医療の成功の結果、多くの人々が長期にわたり慢性疾患や身体障害、終末期といった治癒困難/不可能な病や障害を抱えて生活することになったこと、と同時に、A医療テクノロジーによる人為的な生命の維持(延命)・管理への抵抗、つまり自らの死を自分で決定するという志向性が高まったこと、また、B戦争や飢餓による死が現実的になくなったことによって自らの生命がその主体である個人の所有の対象となったこと、C長寿化による生存期間の延長とその予測可能性が拡大したことによってそれぞれの個人が自ら老いや死をプランニング化・デザイン化するようになったこと等がある。安楽死・尊厳死やリビング・ウィル、脳死などへの関心の高まりにはこうした歴史的背景があり、こうした場において「生きさせようとする力」と「死へと廃棄する力」がまさに作動しているのである。
そして、現代社会は「なぜ人を殺してはならないのか?」という根源的問いに直面せざるを得ない時代状況でもある。人を殺してはならない、という規範はあらゆる規範を規定する、いわば原−規範であり、これなくしてあらゆる規範は成り立たないのだが、この原−規範さえ失効化してしまうような閉塞的な時代を我々は生きている。
<文献>
Aries P. (1975) Essai sur l'histoire de la mort en Occident du Moyen Age a nos jours.Seuil.=伊藤晃・成瀬駒男訳 (1987)『死と歴史』みすず書房./Aries P. (1977) L'homme devant la mort.Seuil.=成瀬駒男訳 (1990)『死を前にした人間』みすず書房./Huntington R. and Metcalf P. (1979) Celebration of Death;The Anthropology of Mortuary Ritual.Cambridge University Press.=池上良正・池上冨美子訳 (1996) 『死の儀礼;葬送習俗の人類学的研究』未来社.
<参照項目>
安楽死、エイジズム、延命医療、少子高齢社会、尊厳死、脳死、リビング・ウィル、老化、老人観、老年学
■エイジズム ageism
【定義】
ある特定の年齢集団や年齢カテゴリーに対する否定的(negative)及び肯定的(positive)なまなざし、偏見や差別、それらに根ざした抑圧や排除を示す。つまり、年齢による差別全般を総称する用語である。しかし実際にはより狭義に、「老人」「高齢者」という特定の年齢カテゴリーに対する差別を指し示す言葉として使用されることが多く、その場合「老人差別」「高齢者差別」という訳語が充てられる。
【沿革】
ロバート・バトラー(Robert Butler)は1969年、このエイジズムという言葉によって、現代社会における高齢者への差別を剔抉し、当時の「援助を必要とする弱者」「老い衰えゆく無能力者」といった著しく偏った老人像を痛烈に批判した。更に1970年代に入ると、ステレオタイプ化された高齢者のイメージ、いわゆる「老人神話」に対する批判や“脱神話化”の試みがグレイパンサー(Gray Panthers)や全米退職者協会(American Association of Retired Person:AARP)などの団体・組織による運動を中心に展開されるようになった。こうしたエイジズム批判の運動が大きなうねりとなった社会文化的土壌には、米国では1930年代にカリフォルニア州で年金給付を要求するタウンゼント運動やマクレーン運動が、1960年代には後の高齢者の社会運動の中心的担い手となる全国高齢市民協議会や全米退職者協会などの全国規模の運動団体が組織化されていたことが挙げられる。しかし、70年代以降の運動ではエイジズム批判が明確に宣誓され、それまでの〈老い〉を自然的なるもの、宿命的なものとする自明性からの解放を目指し、〈老い〉は社会的に構築されたものに過ぎないと明言したことは、重要な認識論的転回として記憶されるべきである。また、このような年齢差における「生物学的宿命」を解体せんとする運動の志向性は、フェミニズムやマイノリティによる性差別(sexism)や人種差別(racism)への異議申し立てなどの市民運動と共鳴しつつ形成されてきたものであり、それらは共通の歴史的文脈おいて立ち現れた同根のパラダイム転換であることは見落としてはならないだろう。
この70年代以降のエイジズムの解体、老人神話の脱神話化という「異議申し立て」の運動は老年学(gerontology)の認識論や視座にも決定的な影響を及ぼし、こうした動向に呼応・連動する形で人間の発達(human development)研究という新たなるアプローチが形成されるに至った。それは「生涯発達(life-span development)」という視点を基軸に出生から死までのライフサイクル全体を把握する試みであり、「発達」過程を生涯全般へと拡張/普遍化しようとする志向性を有していた。
しかしながら、このエイジズム批判の運動とそれに呼応・連動して登場した生涯発達という視点には「エイジズムの克服」こそ最重要課題として含み込まれていたため、何よりも「主体的高齢者」を声高に謳う戦略が優先的に採られた。したがって、今後のエイジズム批判の運動では、今だこの「主体的高齢者」として承認されていない、例えば痴呆性老人などの問題に対していかなる構想が打ち立てられるかが問われていると言えよう。
【現状】
上記の運動の展開とほぼ同時期の1967年、米国においては年齢差別禁止法(age discrimination in employment act:ADEA)が制定され、それ以降、雇用における年齢制限や職務要件から年齢を除外する「エイジフリー化」が進んだ。しかしながらその一方で、「高齢者(老人)虐待」は米国のみならず世界的に深刻な問題であり、エイジズムの問題は今だ克服されていない状況にある。
<文献>
Palmore E. B. (1990) Ageism:Negative and Positive.Springer.=奥山正司他訳 (1995)『エイジズム―優遇と偏見・差別』法政大学出版会./Macdonald B.,Rich C. (1983) Look Me in the Eye;Old Women, Aging and Ageism.Spinsters.=寺澤恵美子・山本博子訳 (1994)『私の目を見て―レズビアンが語るエイジズム』原柳舎.
<参照項目>
エイジレス社会、高齢者虐待、サクセスフル・エイジング、差別/偏見、少子高齢社会、スティグマ、老化、老人観、老年学
■老化 senescence ; aging
【定義】
主として「老化」は成長・発達を遂げた成人期以降の心身の機能的変化を意味する概念であるのだが、研究者の寄って立つ研究領域や立脚する視座やアプローチによりその定義はそれぞれ異なる。更に、現在では「老化」の概念が前提とする視座や枠組それ自体が根底から問い直されているため、概念規定するにはエイジング研究の系譜と諸概念の意味内容を精確に理解・把握する必要がある。
【沿革】
かつての「老化」は、当時の老年医学や生物学などの領域におけるaging概念の訳語として、言うなれば「生物学的エイジング」=「成熟期以降の不可逆的な機能低下・退行」という概念規定を示していた。しかし、特に1960年代以降、老年学、殊に社会老年学を中心とする一連の研究が「生物学的エイジング」とは異なる、社会的・文化的・歴史的に規定される加齢の側面、すなわち「社会的・文化的エイジング」とでも呼ぶべき現象の機制や過程を自らの対象領域として切り開いていったことに伴って、同じagingでありながら前者の「生物学的エイジング」を「老化」とし、後者の「社会的・文化的エイジング」を「加齢」と弁別して訳語を充てるようになった。つまり、エイジング概念が「老化(aging)」と「加齢(aging)」に分割使用されるようになったのである。
ところが、それ以降、老年医学や生物学などの自然科学の研究領域においても「生物学的エイジング」概念がそれまで指示してきた意味内容=「成熟期以降の不可逆的な機能低下・退行」に対する反証的な知見が現れるようになり―例えば老年期においても知能(特に言語性能力)の低下は観察されない等の調査研究―、老年期をも「発達(development)」として捉える「生涯発達(life-span development)」や、「疾病(disease)」の状態にない“普通に”年齢を重ねてゆく中での心身の機能変化に着目した「正常老化(normal aging)」という概念が登場するに至った。こうして「生物学的エイジング」が「発達」や「正常老化」という観点から書き換えられた結果、「老化」は“低下・退行”という意味合いを含めない「成長・発達後の心身の機能変化」を示す概念となった。しかし同時に、その帰結として「発達」「正常老化」という視点からでは捉えられないような「生物学的エイジング」の現象は、ノーマルなエイジングとは概念上区別された、言わばアブノーマルなエイジングとしての「病理」という視線に囲い込まれることとなったのだ。まさに「老年期痴呆(senile dementia)」が「疾病」として定着したこと等はそのことを象徴している。
上記のように意味内容を改変してきた結果、現在では「老化」はsenescenceの訳語として、一方で成長・発達後のノーマル・エイジングを、他方では「疾病」としてのアブノーマル・エイジングを包含するアンビヴァレントな概念となっている。
【現状】
現代社会では老年医学や分子生物学などを中心にした医療化(medicalizaition)の高度化・徹底化によって〈老い〉はますますメディカルな視線から了解されるようになっている。しかも、それはかつての加齢に伴う身体の機能変化への注目という水位から遺伝子レベルでの加齢変化の解明という水準へと移行・変移することを通じてなされている。現在の社会老年学においてはこうした〈老い〉の医療化に対する批判的検討も徐々に向けられるようになってきており、「生物学的宿命」としてのエイジング概念という前提それ自体が根底から問い直されつつある。
1960年代以降、「老化」概念が大きく内容を変更せざるを得なかった背景にはエイジングのもう一つの意味である「高齢化(aging)」がある。高齢化とは単に「人口高齢化」のみを意味する現象ではなく、社会のあり方それ自体を変容させる社会的現実である。その意味で、まさに未曾有の高齢化を遂げつつある現代社会においてかつての「老化」概念は吟味・改編の対象として問い直され、今日の意味内容に到達してきている。
<参照項目>
エイジズム、エイジレス社会、サクセスフル・エイジング、少子高齢社会、老人観、老年学
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