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| ■017■ 「老い衰えゆくことをめぐる人びとの実践とその歴史――私たちが自らを守らんがために現われてしまう皮肉かつ危うい事態について」 『ケアすること』(シリーズ『ケア――その思想と実践』第2巻(全6巻)). 上野千鶴子・大熊由紀子・大沢真理・神野直彦・副田義也編.2008年05月09日.岩波書店.173-198. |

天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2007.11.30 最終更新日:2008.03.16
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●活字版が不便な方に天田担当部分のテキスト・ファイルを送付します。天田までメール等でご連絡下さい。
【本書の概要】
■上野千鶴子・大熊由紀子・大沢真理・神野直彦・副田義也編 20080509 『ケアすること』(ケア その思想と実践2)岩波書店,256p.ISBN-10: 4000281224 ISBN-13: 978-4000281225 2310 [amazon]/[kinokuniya]
■岩波書店のHPより http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/6/0281210.html
ケアは,する側とされる側との間の相互行為として理解される必要がある.よい関係性を築くための条件は何か.ケアを媒介とする人間関係,社会関係のあり方を具体的に考察.介護保険の導入で浮彫りになったケア問題の本質を浮彫りにしつつ,「ケアをする」「ケアを受ける」ということの根源的な意味を問う.安心して暮らせる社会を築くための基礎的考察.
■岩波書店のHPより http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/4/0281220.html
◇ケア その思想と実践 第2巻 ケアすること
ケアワーカーの労働や待遇の実態,仕事に対する意識,ケア現場に潜在するジェンダー規範,虐待や身体拘束の問題,ケアワーク特有の感情労働やストレスの問題,認知症ケアの難しさ,コミュニティ・ケアの理想と現実…….人が人をケアすることに伴う様々な問題を浮き彫りにし,ケアワークにおける専門性とは何かを明らかにする.
【全体の目次】
■目次 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028121+/top2.html#chap02
・ケアすることとは――介護労働論の基本的枠組 副田義也
・介護の専門性 高口光子
・「よいケア」とは何か――来るべき「ふつうのケア」の実現のために 中村義哉
・介護労働市場と介護保険事業に従事する介護職の実態 堀田聰子
・感情労働としてのケアワーク 田中かず子
・ケアする性――ケア労働をめぐるジェンダー規範 内藤和美
・ケアワークにおけるストレス 小笠原和彦
・縛り放題! 閉じ込め放題!あぁ懲りない国ニッポン 大熊一夫
・老い衰えゆくことをめぐる人びとの実践とその歴史――私たちが自らを守らんがために現れてしまう皮肉かつ危うい事態について 天田城介
・ウソつきは認知症ケアのはじまり、なのか? 出口泰靖
・認知症を生きる人たち 小澤勲
・コミュニティ・ケア――幻想と現実 星野信也
【天田担当箇所】
老い衰えゆくことをめぐる人びとの実践とその歴史
――私たちが自らを守らんがために現われてしまう皮肉かつ危うい事態について――
●天田城介
0.老い衰えゆくことをめぐる人びとの実践の言説
1.私たちがこの世界を生きる中で実践してしまうこと
2.「自らを保たんとする実践」への眼差し/視線
3.私(のアイデンティティ)が剥奪されるという事態の只中で
4.巧妙な仕掛け――アメとムチを通じた従属化
5.自らを守らんとする実践によって困難な事態が現出してしまうこと
6.自らを守らんとする実践が現出させてしまう皮肉な事態
7.認知症を生きる人びとによる自らを守らんとする実践
8.ケア労働者の人びとによる自らを保たんとする実践
9.自らを守らんとする実践をめぐる攻防とその帰結
10.老い衰えゆくことをめぐる人びとの実践とその歴史から/へ
註(後日大幅に圧縮・修正)
【1】 本稿を記すにあたり本当に難儀した。紙幅的・時間的制約などによって書くことが困難である以上に、多くの執筆者が寄稿するシリーズものの1冊となる本書の中で〈ケア〉をめぐる何をいかに論考するのがよいのかの判断が極めて困難であったということもある。本稿で設定したテーマは何度も(5回以上)変更をしたが、今もってそれが妥当な判断であるが不明な部分は残る。
【2】 本来であれば言及しなければならない点は幾つもあるが、ここでは全て割愛する。本稿で描出するような「私たちが自らを守らんがために実践してしまうこと/私たちはそうせずして生きられないからこそそのようにしてしまうこと」というゴフマン的な視点を踏まえて何をいかに考えることが可能であるのかという点もある。一つには、私たちの社会において立ち現れる現実を事実とした上でその価値を問うという思考作業がある(天田 2004b、2005、2007b)。そしてその上で、〈老い〉をめぐる《倫理》を問うことがある(天田 2007d、2007e、2008a、2008b、2008d、2008e、2008f)。もう一つには、本稿の最後に言及した点でもあるが、〈老い〉をめぐって歴史的に何がいかに語られてきたのかそれ自体をきちんと押さえておく作業が必要である(天田 2006a、2007c、2008c、2009)。このいずれにおいても本稿では詳説することは不可能であるため、全て略すものとしたい。なお、限定的な記述にとどまっているが、天田(2007-2008a)にて〈老い〉をめぐる問いの困難について、天田(2007-2008b)にて社会学に潜在する困難について言及した。
【3】 このような視点から認知症を生きることを記述した著書として、天田(2003、2004)(なお、2003の〔普及版〕として天田(2007a)がある)、小澤(1998、2003、2005)ほか参照。また、そのようなむろん、その嚆矢として室伏君士(1985、1989)の研究とその実践を忘れてはなるまい。
【4】 自らの愚書を引き合いに出すのは大変気が引けるが、小澤勲の『痴呆を生きるということ』が刊行されたのが2003年7月18日、拙著『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』が2003年3月28日であるが、その当時は私と小澤の接点は全くなかったということを考えると、時代的文脈においてそのような捉え方がむしろ要請されていたと言えなくもないだろう。また、そのような一連の言説がどのような「効果」を産出してしまったのかについても稿を改めて論じる予定である。
【5】 拙著(天田 2003、2007a)第1章ならびに第3章でゴフマンを概括している。参照されたい。
【6】 以下の詳細な記述は天田(2003、2007a)第三章ならびに天田(2004a)第三章にて展開しているため、ここでは「老い衰えゆく当事者」たちの生存戦略の素描に徹するものとする。
【7】 明示的ではないにせよ、こうした当事者の「呆け」と「不安」の只中における「対処」によって帰結する「悪循環のループ」(天田 2003:123-124)を1980年代に室伏君士が記述していたことを私たちは記憶しておくべきである(室伏 1985、1989)。こうした〈老い〉をめぐって歴史的に何がいかに語られてきたのかについては拙著(2009)にて詳述する予定である。
【8】 こうした「社会学的な認知症理解」がどのような「効果」を現出させたのかについては井口(2007)の研究が秀逸している。つまり、「社会学的な認知症理解」の「効果」によって、たとえば、家族介護者は認知症を生きる人びとの一言一句・一挙手一投足のふるまいをその「社会学的な認知症理解」によって「決めつけてしまうこと」があること、そのためにケアする家族介護者にとっては余計に許せない言動に思えてしまうことがある。このような困難が生じてしまうのだ。更には、現実に、家族介護者のみに責任・負担が集中している場合にあっては、すなわち、一人の介護者の一挙手一投足、一言一句の言動が当事者に極めて大きく作用してしまう場合、家族介護者は自分のふるまいや介護が認知症の人びとの状態や意思に強い影響を及ぼしてしまうという感情や責任を強く感受してしまうがゆえに、そのことが皮肉にも二者関係へと閉塞化していくことがある。このような困難が惹起してしまうのである。同様に、このような「社会学的な認知症理解」がケア労働者にどのような「効果」をもたらしているのかを含めて知っておく必要がある。ただし、このような「社会学的な認知症理解」による「ケア労働の高度化・肥大化」の浸透にともなってケア労働者はそれなりに「やりがい」を感じてしまうがゆえに介護労働から抜けられなくなる結果、燃え尽きたり、経営者に都合のよいように使われたり、過酷な仕事に耐え忍んでしまうことなどが指摘されることがあるが、その事実は半分正しいが、半分は間違いだ。つまり、私たちはそのような状況において(こそ)逞しく強かであり、愚かで哀しくもある実践を遂行してしまうのである。幾つかだけ例示すれば、一つには「こんな給料じゃ、やってられねぇよ!」などのような解釈を通じて「やりがい」を感受するのを「最適化」してしまう戦略がある。そのことによって余計な「深み」に嵌(はま)らないようにしたりするのだ。一つには、周囲に自らの労働のしんどさを説明する場合、「給与が安い」とするよりは「労働のしんどさ」を述べるほうが周囲に了解されやすいということがあるために、そのように解釈するという実践もある。それ以外にも様々な実践があるのだが、いずれにしても、そのようにしてケア労働者は自らの「過酷な労働状況」を耐え忍んでしまうのである。こうした「社会学的な認知症理解」の「効果」あるいは「功罪」についても考えておく必要がある。天田(2007-2008a)でも部分的に言及しているので、参照されたい。
【9】 本来は家族、とりわけ家族介護者と呼ばれる人びとの実践を記述しなければならないのだが、紙幅の制約からここでは割愛する。天田(2003、2004a、2007a)ほか参照。
【10】 以下の詳細についても天田(2003、2007a)第三章、第六章ならびに天田(2004a)第三章にて詳述したので、ここでは「ケア労働者」たちの生存戦略の素描のみに徹するものとしたい。
【11】 註8にて説明したように、自らのケア行為が意味あるもの/効果的なものとしてケア労働者に感受される場合の疲労と摩耗もある。自らの行為が認知症を生きる当事者(の言動)に「強い影響力のあるもの」「決定的な原因となり得るもの」として解釈される結果、今度はケア労働者は自らの一挙手一投足、一言一句に厳しい注意を喚起させられるような高度に緊張の強いられる状況となることがある。とは言え、こうした「感情労働の高度化」などと呼ばれる状況においてさえも、人びとはまた様々な実践=方法を駆使して自らを守らんとする。事はそう単純ではないのだ。
【12】 こうした事態を剔出したものとしては向井(2003)が傑出している。また、向井(2008)の呼びかけに私たちがどのように応えていくべきかについても考えざるを得ないであろう。
【13】 天田(2007-2008a)の「老い・4」においてマクドナルドの著書を取り上げ、人びとは〈老い〉の只中にあって「選択の余地のない」物質の運命を「自らが選び取る」こと、そのような「死を手中に握ること」によって「自分のパワーを自分のもの」にすること、そのようにしてしか生きられない現実があることを剔出した。その上で、私たちは「〈老い〉の肯定を主張することの困難」「〈老い〉の多様性の先を言及することの困難」「〈老い〉それ自体を記述することの困難」「〈老い〉をめぐる差別をその根底において思考する困難」の4点を踏まえつつ、《負担/責任》《差異/身体》《人間/存在》をいかに思考することができるのかについて論考している。参照されたい。
【文献】
天田城介.2003.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
――――.2004a.『老い衰えゆく自己の/と自由――高齢者ケアの社会学的実践論・当事者論』ハーベスト社.
――――.2004b.「抗うことはいかにして可能か?――構築主義の困難の只中で」『社会学評論』219号(Vol.55, No.3).223-243.
――――.2005.「『生命/生存の維持』という価値へ――『公共圏/親密圏』という構図の向こう側」『家族研究年報』30号.17-34.
――――.2006a.「〈老い〉の歴史社会学序説・1」.社会福祉法人京都市社会福祉協議会・京都市長寿すこやかセンター発行.『平成18年度 京都市高齢者介護等調査研究事業報告書』.
――――.2006b.「小澤勲の生きてきた時代の社会学的診断――ラディカルかつプラグマティックに思考するための強度」.小澤勲編『ケアってなんだろう』医学書院.205-234.
――――.2007a.『〈老い衰えゆくこと〉の社会学〔普及版〕』多賀出版.
――――.2007b.「二重の宿命による《生の根源的肯定》の(不)可能性」『保健医療社会学論集』第17巻2号.12-27.
――――.2007c.「〈老い〉の歴史社会学序説・2」.社会福祉法人京都市社会福祉協議会・京都市長寿すこやかセンター発行.『平成18年度 京都市高齢者介護等調査研究事業報告書』.
――――.2007d.「〈老い〉の身体――身体の異なりの境界はどこにあるのか?」『TASC MONTHLY』2007年9月号(No.381).6-15.
――――.2007e.「死に放擲される老い――事態の深刻さに対する倫理」『医学哲学 医学倫理』第24号.131-136.
――――.2007-2008a.「世界の感受の只中で」(連載)『看護学雑誌』医学書院.〔連載の全文は天田城介のホームページhttp://www.josukeamada.com/bk/bs200705.htmにて掲載〕
――――.2007-2008b.「この世界を社会学すること(OTのための教養講座 Lesson2:社会学)」(6回にわたる連載)『作業療法ジャーナル』三輪書店.〔連載の全文は天田城介のホームページhttp://www.josukeamada.com/bk/bs200801.htmにて掲載〕
――――.2008a.「死の贈与のエコノミーと犠牲の構造――老い衰えゆく人びとの生存という戦術」『現代思想』36(3).82-101.
――――.2008b.「老いの倫理学――――〈老い〉を現出させる力能から/へ」『倫理学年報』』第56集.**-**.(印刷中)
――――.2008c.「〈老い〉の歴史社会学序説・3」.社会福祉法人京都市社会福祉協議会・京都市長寿すこやかセンター発行.『平成19年度 京都市高齢者介護等調査研究事業報告書』.
――――.2008d.「解かれない問い――存在/生存の価値をめぐって」『緩和ケア』第18巻3号(特集「老いの時代の緩和ケア――どう捉え、実践するか」).青海社.(印刷中)
――――.2008e.『(未定)』医学書院.【刊行予定】
――――.2008f.『(未定)』ハーベスト社.【刊行予定】
――――.2009.『(未定)』【刊行予定】
Goffman, Erving..1959.The Presentation of Self in Everyday Life.Doubleday & Company.=石黒毅訳.1974.『行為と演技―日常生活における自己呈示』誠信書房.
――――.1961a.Asylums;Essay on the Social Situatuion of Mental Patients and Other Inmates.Doubleday & Company.=石黒毅訳.1984.『アサイラム――施設被収容者の日常世界』誠信書房.
――――.1961b.Encounters;Two Studies in the Sociology of Interaction.Bobbs-Merrill.=佐藤毅・折橋徹彦訳.1985.『出会い――相互行為の社会学』誠信書房.
――――.1963a.Stigma;Notes on the Management of Spoiled Identity.Prentice-Hall.=石黒毅訳.1970.『スティグマの社会学』せりか書房.
――――.1963b.Behavior in Public Places;Notes on the Social Organization of Gatherings.Free Press.=丸木恵祐・本名信行訳.1980.『集まりの構造』誠信書房.
――――.1967.Interaction Ritual;Essays on Face-to-Face Behavior.Bantheen Books.=広瀬英彦・安江孝司訳.1986.『儀礼としての相互行為』法政大学出版局.
井口高志.2007.『認知症家族介護を生きる――新しい認知症ケア時代の臨床社会学』東信堂.
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向井承子.2003.『患者追放――行き場を失う老人たち』筑摩書房.
――――.2008.「超高齢社会と死の誘惑」『現代思想』36(2).101-109
室伏君士.1985.『痴呆老人の理解とケア』金剛出版.
――――.1989.『痴呆性老人の心のケア――仲間づくりで楽しく』学苑社.
小澤勲.1998.『痴呆老人からみた世界――老年期痴呆の精神病理』岩崎学術出版社.
――――.2003.『痴呆を生きるということ』岩波書店(岩波新書).
――――.2005.『認知症とは何か』岩波書店(岩波新書).
小澤勲編.2006.『ケアってなんだろう』医学書院.
⇒天田城介(josukeamada.com)⇒著書・論文など