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| ■016■ 書評.「死者が問い続ける「何か」――林力著『山中捨五郎記』」 熊本日日新聞(3月13日付熊本日日新聞読書欄掲載).2005年3月13日. |
天田城介(AMADA Josuke)
脱稿:2005.02 最終更新日:2005.02
【原稿】
林力、2004年12月10日出版、『山中捨五郎記――宿業をこえて』,皓星社.
ISBN:477440375X,261頁、19cm(B6)、税込\2,520(本体価格\2,400) [amazon]
ハンセン病患者であった「山中捨五郎」の「息子」である著者によって書かれた本書は、山中捨五郎がハンセン病療養所においてどのように生き抜いたのか、そしてそれを息子である著者がそのことをどのように見つめ続けてきたのかを克明に描いた良書である。
本文中に何度となく引かれるかつての出来事――「くされの子」と投げかけられた経験、父の存在を知って慌てて去っていた恋人、自分も父と同じ「恐ろしい病」を発病するのではないかという恐怖心、父の存在を隠し続け、父の死を痛切に願ったことなど――が著者の受苦の深さを物語る。
本書を巻措く能わざる読了した時の最初の強烈な印象は、この本は著者林力が「林力」へと送り届けるために、つまり自己を宛先に書かれたものではないかというものであった。病を恐怖し、父の存在を隠蔽・抹消しようとした自分への羞恥と自責の念と、愛しき父への敬慕と情愛のあいだで文字通り引き裂かれながら生きてきた著者が自らでは語り得ぬものを自身に向けて語ろうとしているのだ。だとしたら、本書は何を呈示しているのか。
一つには、ハンセン病を生きてきた人びとの苦悩・葛藤・逡巡を、また著者も含めその家族として生きてきた人びとの心のうちの二律背反・亀裂・裂け目を、そしてハンセン病療養所において生きる人たちの不一致・軋轢・対立・断絶を作り出してきた重層的かつ複合的な差別と権力の構造を明示している。だが、より根源的な問題性を投げかけてもいる。おそらく、本書が語らずして語っているのは、たとえ無数の言葉を重ねても「父・山中捨五郎」を、いや「父・馬場広蔵」を記述/表象することが困難であること、言い換えれば「息子」である自らの「声」が決して「父」には届き得ぬという厳然とした現実ではないかと思うのだ。そうであるがゆえに、「父」は「死者」として「林力」に今も語り続け、突き動かしてやまないのだ。その意味では、私たちにも、ハンセン病を経験した死者たちは今も、常に「何か」を問い続けている。私たちはこのことを忘却してはならない。
●評者:天田城介(熊本学園大学教員)
※新聞には書評本の表紙の写真が掲載
■熊本日日新聞
http://kumanichi.com/index.htm
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